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{{分割提案|フジテレビのアナウンサー一覧|フジテレビの不祥事|t=ノート:キー局#在京キー局記事の分割提案|date=2012年4月}}
{{基礎情報 会社
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社フジテレビジョン
|社名 = 株式会社フジテレビジョン
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[[インターネット]]を利用した一般新卒社員募集活動に熱心なテレビ局である。一般の四大卒応募希望者はエントリーから書類選考に相当する段階まで、メールアドレスを含むインターネット接続環境手段を持たないと応募はほぼ不可能である。
[[インターネット]]を利用した一般新卒社員募集活動に熱心なテレビ局である。一般の四大卒応募希望者はエントリーから書類選考に相当する段階まで、メールアドレスを含むインターネット接続環境手段を持たないと応募はほぼ不可能である。


社員に有名人や大手[[クライアント]]の子息・孫が多いことで知られる。[[アナウンサー]]では、[[タレント]]・[[永六輔]]を父に持つ[[永麻理]]([[1993年]]退社)や[[俳優]]の故・[[竜崎勝]]を父に持つ[[高島彩]](2010年退社)、同じく俳優の[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]を父に持つ[[高橋真麻]]、元[[プロ野球]]選手・[[田淵幸一]]と元女優・[[ジャネット八田]]夫妻の息子である[[田淵裕章]]、俳優・[[生田斗真]]を兄に持つ[[生田竜聖]]などがる。著名な社員では、[[フジサンケイグループ]]の元議長・[[鹿内信隆]]の孫にあたる[[鹿内植]]([[プロデューサー]])をはじめ、[[映画監督]][[大島渚]]女優[[小山明子]]夫妻の息子である[[大島新]]([[1999年]]退社、現在は『[[情熱大陸]]』なども手掛ける[[フリーランス|フリー]][[ディレクター]])、俳優・[[宇津井健]]を父に持つ宇津井隆(事業センター事業推進担当部長、テレビ出演経験もあり)、[[小説家]][[遠藤周作]]を父に持つ[[遠藤龍之介]](同社[[取締役]])、[[音楽家|ミュージシャン]][[かまやつひろし]]を父に持つ[[TAROかまやつ|釜萢太郎]](現役の[[シンガーソングライター]]でもある)、脚本家[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]の娘である[[宮本理江子]](編成制作局ドラマ制作センター副部長、ドラマディレクター、映画監督)などがいる。
社員に有名人や大手[[クライアント]]の子息・孫が多いことで知られる。[[アナウンサー]]では[[永麻理]]([[1993年]]退社)や[[高島彩]](2010年退社)、[[高橋真麻]]、[[田淵裕章]]、[[生田竜聖]]などが挙げられる。著名な社員では、[[フジサンケイグループ]]の元議長・[[鹿内信隆]]の孫にあたる[[鹿内植]]([[プロデューサー]])[[映画監督]][[大島渚]]女優[[小山明子]]夫妻の息子である[[大島新]]([[1999年]]退社、現在は『[[情熱大陸]]』なども手掛ける[[フリーランス|フリー]][[ディレクター]])、[[小説家]][[遠藤周作]]を父に持つ[[遠藤龍之介]](同社[[取締役]])、[[音楽家|ミュージシャン]][[かまやつひろし]]を父に持つ[[TAROかまやつ|釜萢太郎]](現役の[[シンガーソングライター]]でもある)、[[脚本家]][[山田太一 (脚本家)|山田太一]]の娘である[[宮本理江子]](編成制作局ドラマ制作センター副部長、ドラマディレクター、映画監督)などがいる。


[[1980年代]]に入ると、[[バラエティ番組]]を中心に同局の女性アナウンサーを[[タレント]]同然に扱う様子が見受けられるようになる。他の民放局でも同様の傾向は見られるが、フジテレビはそれが顕著で、また、[[平井理央]]のように入社以前に何らかの芸能活動を経験しているアナウンサーも多数在籍している([[日本のアナウンサー#「女子アナ」とその背景]]も合わせて参照)さらには、『[[ラヴシーン (朗読劇)|ラヴシーン]]』と題した同局アナウンサーによる朗読劇を企画するなど、いち早く「タレント化」とも言える事業展開を行ってきた。
[[1980年代]]に入ると、[[バラエティ番組]]を中心に同局の女性アナウンサーを[[タレント]]同然に扱う様子が見受けられるようになる。他の民放局でも同様の傾向は見られるが、フジテレビはそれが顕著で、また、[[平井理央]]のように入社以前に何らかの芸能活動を経験しているアナウンサーも多数在籍している([[日本のアナウンサー#「女子アナ」とその背景]]も合わせて参照)さらには、『[[ラヴシーン (フジテレビ)|ラヴシーン]]』と題した同局アナウンサーによる朗読劇を企画するなど、いち早く「タレント化」とも言える事業展開を行ってきた。


『[[NONFIX]]』や『[[ザ・ノンフィクション]]』など質の高い[[ドキュメンタリー番組]]を多く手掛け、放送関係の受賞歴も多い。
『[[NONFIX]]』や『[[ザ・ノンフィクション]]』など質の高い[[ドキュメンタリー番組]]を多く手掛け、放送関係の受賞歴も多い。


在京[[キー局]]中、[[労働組合]]の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いとされている(民放労連会報・会員コメントより)。なお、労組の組織化に至ったのは現[[会長]][[日枝久]]の尽力によるもの(本人の項も参照)。
在京[[キー局]]中、[[労働組合]]の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いとされている(民放労連会報・会員コメントより)。なお、労組の組織化に至ったのは現[[会長]][[日枝久]]の尽力によるもの(本人の項も参照)。


[[渡辺プロダクション]]とその系列の[[イザワオフィス]]との結びつきが非常に強く、『[[ザ・ヒットパレード]]』や『[[新春かくし芸大会]]』、『[[クイズ・ドレミファドン!]]』など往年の看板番組や現在放送中の『[[ウチくる!?]]』や『[[志村けんのバカ殿様]]』などの制作にはこの2事務所が深く関わっており、番組エンドロールの企画・制作元が「フジテレビ」ではなく、「渡辺プロダクション」や「イザワオフィス」となっている。
=== キャスティング ===
[[渡辺プロダクション]]とその系列の『[[イザワオフィス]]』との結びつきが非常に強く、『[[ザ・ヒットパレード]]』や『[[新春かくし芸大会]]』、『[[クイズ・ドレミファドン!]]』など往年の看板番組や現在放送中の『[[ウチくる!?]]』や『[[志村けんのバカ殿様]]』などの制作にはこの2事務所が深く関わっており、番組エンドロールの企画・制作元が「フジテレビ」ではなく、「渡辺プロダクション」や「イザワオフィス」となっている。


=== 制作番組 ===
=== 制作番組 ===
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{{Main|フジテレビのオープニング・クロージング}}
{{Main|フジテレビのオープニング・クロージング}}


== スタッフ ==
== 主な役員・社員 ==
* 現在の[[役員 (会社)|役員]]及び主要幹部については[[編制上層部一覧#フジテレビジョン]]を参照。
{{see|編制上層部一覧}}
* 過去の役員や番組スタッフ([[プロデューサー]]・[[ディレクター]]など)については[[:Category:フジテレビの人物]]を参照。


; 現在
== アナウンサー ==
* [[TAROかまやつ|釜萢太郎]](“TAROかまやつ”の名で[[シンガーソングライター]]としても活動)
フジテレビのアナウンサーは、編成制作局アナウンス室に所属する。

数字は入社年。また、[[2006年]][[4月3日]]付けをもって[[ニッポン放送]]の親会社・ニッポン放送ホールディングスをフジテレビが吸収合併したため、ニッポン放送から移籍した[[アナウンサー]]もいる。

男性は採用のない年もあり、他の部署に異動する人物もいる。女性は男性より多く採用を行うが、結婚その他による退職や他の事務所への移籍が男性に比べて多い。

=== 男性 ===
* 1976年 - [[福井謙二]](アナウンス担当局長兼室長)
* 1982年 - [[向坂樹興]]
* 1983年 - [[牧原俊幸]]
* 1984年 - [[川端健嗣]]
* 1985年 - [[軽部真一]]・[[三宅正治]]
* 1987年 - [[笠井信輔]]・[[塩原恒夫]]
* 1988年 - [[青嶋達也]]
* 1989年 - [[境鶴丸]]・[[野島卓]]
* 1990年 - [[吉田伸男]]
* 1992年 - [[福原直英]]
* 1993年 - [[奥寺健]]
* 1994年 - [[佐野瑞樹 (アナウンサー)|佐野瑞樹]]
* 1995年 - [[伊藤利尋]]・[[森昭一郎]]
* 1996年 - [[竹下陽平]]
* 1998年 - [[西岡孝洋]]
* 2001年 - [[渡辺和洋]]
* 2003年 - [[田中大貴]]
* 2004年 - [[倉田大誠]]
* 2005年 - [[田淵裕章]]
* 2007年 - [[中村光宏]]
* 2008年 - [[榎並大二郎]]
* 2009年 - [[立本信吾]]・[[福井慶仁]]
* 2010年 - [[木下康太郎]]・[[谷岡慎一]]
* 2011年 - [[生田竜聖]]

=== 女性 ===
* 1977年 - [[益田由美]]
* 1983年 - [[松尾紀子]]
* 1984年 - [[吉崎典子]]
* 1986年 - [[阿部知代]]
* 1989年 - [[佐藤里佳]]・[[田代尚子]]
* 1992年 - [[西山喜久恵]]
* 1994年 - [[武田祐子]]
* 1996年 - [[佐々木恭子]]・[[藤村さおり]]
* 1997年 - [[春日由実]]
* 1998年 - [[島田彩夏]]
* 2000年 - [[梅津弥英子]]
* 2001年 - [[森本さやか (アナウンサー)|森本さやか]]
* 2002年 - [[中野美奈子]]・[[中村仁美]]
* 2003年 - [[石本沙織]]・[[戸部洋子]]
* 2004年 - [[高橋真麻]]・[[斉藤舞子]]
* 2005年 - [[遠藤玲子]]・[[平井理央]]
* 2006年 - [[本田朋子]]・[[松尾翠]]・[[秋元優里]]
* 2007年 - [[大島由香里]]・[[生野陽子]]
* 2008年 - [[加藤綾子]]・[[椿原慶子]]
* 2009年 - [[松村未央]]・[[山中章子]]
* 2010年 - [[細貝沙羅]]・[[山崎夕貴]]
* 2011年 - [[三田友梨佳]]・[[竹内友佳]]
* 2012年 - [[久代萌美]]・[[宮澤智]]

=== ニッポン放送から転籍したアナウンサー ===
* [[小野浩慈]]、[[川野良子]]、[[桜庭亮平]]、[[鈴木芳彦]]、[[冨田憲子]]、[[福永一茂]]、[[松元真一郎]]、[[山本麻祐子]]
* 他には[[栗村智]]がいたが、その後[[ニッポン放送]]に復帰している。
* [[田代優美]]と[[塚越孝]]は異動した(下記参照)。

=== 専属契約アナウンサー ===
* 1971年 - [[須田哲夫]](報道局解説委員兼務の嘱託)

== 歴代アナウンサー ==
=== 異動したアナウンサー ===
; 男性
* [[小穴浩司]](報道局)
* [[岡田浩揮]](報道局)
* [[小泉陽一]](報道局外信部・現パリ支局長)
* [[近藤雄介]](人事局次長、厚生部長)
* [[堺正幸]](CSR推進室専任局長、元アナウンス室長、[[東日本旅客鉄道]]([[JR東日本]])管内の[[新幹線]]([[東北]]・[[上越]]・[[長野]]・[[山形]]・[[秋田]]各新幹線)や[[在来線]]の[[特急電車]]([[JR東日本E257系電車|E257系]][[あずさ (列車)|あずさ]]・[[JR東日本E653系電車|E653系]][[フレッシュひたち]]・[[JR東日本E751系電車|E751系]][[つがる]]など)の[[車内アナウンス]]も担当)
* [[桜井堅一朗]](スポーツ局)
* [[陣内誠]]([[スタジオアルタ]]代表取締役専務、元アナウンス室長)
* [[長谷川豊]](ニューヨーク支局)
* [[智田裕一]](報道局)
* [[塚越孝]](クリエイティブ事業局)
* [[長坂哲夫]](総務局)
* [[野崎昌一]](株式会社[[フジ・メディア・ホールディングス]]投資管理部長)
* [[八馬淳也]](情報制作局)
* [[増田明男]](報道局解説委員)
* [[森下知哉]](報道局外信部)※ニューヨーク駐在
* [[横井克裕]](総務局)
* [[吉沢孝明]](デジタルコンテンツ局営業担当部長)
* [[渡邉卓哉]](人事局)

; 女性
* [[青木美枝]](経理局財務部)
* [[小田多恵子]](広報局長)
* [[木幡美子]](CSR推進室)
* [[桜井郁子]](CSR推進室長)
* [[田代優美]](総務局法務室、適正業務推進室)
* [[筒井櫻子]](編成制作局編成部)
* [[本間淳子]](映画事業局)

=== 退社したアナウンサー ===
==== 男性 ====
* [[逸見政孝]](司会者、[[1993年]]に死去)
* [[今井彬]](元報道局解説委員長)
* [[岩佐徹]]([[WOWOW]]アナウンサー→現[[フリーアナウンサー]])
* [[大川和彦]](現:フジサンケイ人材センター開発部長)
* [[大林宏 (アナウンサー)|大林宏]](解説委員)
* [[岡正]]
* [[小篠菊雄]]
* [[角谷優]]
* [[陣内誠]](スタジオアルタ代表取締役専務、元アナウンス室長)
* [[鶴岡巍]](後にテレビ東京アナウンサー・解説委員)
* [[田中亮介]]
* [[露木茂]](フリーキャスター、[[東京国際大学]]教授)
* [[鳥居滋夫]](『[[プロ野球ニュース]]』幻の初代キャスター。“幻”とした理由は、局側が公式には1976年放送開始、かつ初代キャスターは[[佐々木信也]]としているため)
* [[永島信道]](元アナウンス室長)
* [[浪久圭司]](元[[BSフジ]]代表取締役会長)
* [[能村庸一]]
* [[野間脩平]](元アナウンス室長)
* [[長谷川恵一]]
* [[松倉悦郎]](現:[[浄土宗]][[僧侶]])
* [[盛山毅]](共同テレビ元専務取締役)
* [[山川建夫]]
* [[山田祐嗣]]([[ニッポン放送]]から移籍、元アナウンス部長)
* [[山中秀樹]](フリーアナウンサー)

==== 女性 ====
* [[相川梨絵]](当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在フリー)
* [[荒瀬詩織]]([[広島東洋カープ]]・[[石井琢朗]]選手夫人)
* [[有賀さつき]](タレント)
* [[安藤幸代]](当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在フリー)
* [[石毛恭子]]
* [[佐々木紀代子|石野紀代子]](現姓・佐々木)
* [[岩崎真純]](後、フリー転向。[[2009年]]没)
* [[岩瀬惠子]](タレント)
* [[海野まり子]]
* [[永麻理]]
* [[宇田麻衣子]]
* [[内田恭子]](フリーアナウンサー)
* [[大坪千夏]]
* [[大野香菜|大野かおり]]
* [[大橋マキ]](タレント)
* [[織田恵美子]]
* [[河原幾子]]
* [[菊間千乃]]
* [[木佐彩子]]([[埼玉西武ライオンズ]]・[[石井一久]]夫人)
* [[小出美奈]]([[メリルリンチ日本証券]]勤務)
* [[花田景子|河野景子(現:花田景子)]]([[貴乃花光司|貴乃花親方]]夫人、タレント)
* [[古賀万紀子]]([[テレビ朝日]]:[[佐々木正洋 (テレビ朝日)|佐々木正洋]]アナウンサー夫人/現姓:佐々木)
* [[小島奈津子]](フリーアナウンサー)
* [[小玉美意子]]
* [[小林節子 (フリーアナウンサー)]]
* [[近藤サト]](タレント)
* [[斎藤裕子 (アナウンサー)|斎藤裕子]]
* [[酒井ゆきえ]](タレント)
* [[城ヶ崎祐子]]
* [[関戸めぐみ]](当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在リポーター)
* [[高木広子]](フリーアナウンサー)
* [[高島彩]](フリーアナウンサー、[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]・[[北川悠仁]]夫人)
* [[滝川クリステル]](当時[[共同テレビジョン|共同テレビ]]所属・専属契約、現在フリー)
* [[竹下典子]]
* [[田丸美寿々]](フリーキャスター)
* [[千野志麻]]
* [[寺田理恵子]]
* [[坂野尚子|土井尚子]]
* [[富永美樹]](タレント、[[まこと (ミュージシャン)|まこと]]夫人)
* [[豊原ミツ子]]
* [[中井美穂]](タレント、元[[東京ヤクルトスワローズ]]・[[古田敦也]]夫人)
* [[中野安子]]
* [[長野翼]]([[福岡ソフトバンクホークス]]・[[内川聖一]]夫人)
* [[長野智子]](レポーター、フリーキャスター)
* [[中村江里子]](タレント)
* [[牛尾奈緒美|中村奈緒美(現:牛尾奈緒美)]](明治大学助教授)
* [[中村洋子]]
* [[濱田典子]]([[福原直英]]アナウンサー夫人)
* [[平松あゆみ]](フリーキャスター)
* [[深澤里奈]]
* [[福元英恵]](元・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]・[[福盛和男]]夫人)
* [[政井マヤ]](フリーアナウンサー、[[俳優]]・[[前川泰之]]夫人)
* [[松井みどり]]
* [[松田朋恵]]([[野崎昌一]]元アナウンサー夫人)
* [[三上彩子]]
* [[皆川寿美]]
* [[宮瀬茉祐子]]
* [[八木亜希子]](タレント)
* [[山村美智|山村美智子]]
* [[頼近美津子]]
* [[渡辺直子]]

== 著名な社員 ==
=== 在籍者 ===
ディレクター・プロデューサーについてはそれぞれ『[[フジテレビディレクター一覧]]』、『[[フジテレビプロデューサー一覧]]』を参照。

* [[岡田寿也]](『[[めちゃ×2イケてるッ!]]』の装飾担当。[[シンガーソングライター]]でもある)
* [[TAROかまやつ|釜萢太郎]](スポーツ業務推進センター勤務。「TAROかまやつ」の名でシンガーソングライターとしても活動)
* [[里谷多英]]([[フリースタイル・スキー]][[モーグル]]選手、[[長野オリンピック]]金メダリスト)
* [[里谷多英]]([[フリースタイル・スキー]][[モーグル]]選手、[[長野オリンピック]]金メダリスト)
* [[中野友加里]](元[[フィギュアスケート]]選手、映画事業局・映画製作部勤務
* [[中野友加里]](元[[フィギュアスケート]]選手)
; 過去

=== 退社した人物 ===
* [[王東順]]([[プロデューサー]]として『[[クイズ・ドレミファドン!]]』や『[[なるほど!ザ・ワールド]]』などを手掛けた。現在は[[通信販売]]会社社長)
* [[王東順]]([[プロデューサー]]として『[[クイズ・ドレミファドン!]]』や『[[なるほど!ザ・ワールド]]』などを手掛けた。現在は[[通信販売]]会社社長)
* [[五社英雄]](元映画部長。退社後は[[映画監督]]へ転身)
* [[五社英雄]](元映画部長。退社後は[[映画監督]]へ転身)
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* [[俵孝太郎]](元同局[[ニュースキャスター]]。退社後は[[政治]][[評論家]]へ転身)
* [[俵孝太郎]](元同局[[ニュースキャスター]]。退社後は[[政治]][[評論家]]へ転身)
* [[長島一由]](報道センター政経部記者などを歴任。前[[逗子市]]長、現[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[衆議院議員]])
* [[長島一由]](報道センター政経部記者などを歴任。前[[逗子市]]長、現[[民主党 (日本 1998-)|民主党]][[衆議院議員]])
* [[三宅雪子]](現民主党衆議院議員)
* [[山川千秋]](報道局海外特派員、ワシントン支局長、キャスターなどを歴任。在籍中の1988年に死去)
* [[横澤彪]](プロデューサーとして『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』や『[[オレたちひょうきん族]]』などを手掛けた。退社後は[[吉本興業]]東京支社長、同社[[相談役]]などを歴任。2011年に死去)
* [[横澤彪]](プロデューサーとして『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』や『[[オレたちひょうきん族]]』などを手掛けた。退社後は[[吉本興業]]東京支社長、同社[[相談役]]などを歴任。2011年に死去)
* [[吉田正樹]](ディレクター・プロデューサーとして『[[夢の中から]]』や『[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]』、『[[笑う犬]]』シリーズなどを手掛けた。また、3代目[[いいとも青年隊]](スタッフ隊)も務めた。現在は[[ワタナベエンターテインメント]][[代表取締役]][[会長]]など
* [[吉田正樹]](ディレクター・プロデューサー、3代目[[いいとも青年隊]](スタッフ隊)。現在は[[ワタナベエンターテインメント]][[代表取締役]][[会長]]、妻は同社代表取締役社長の[[渡辺ミキ]]

=== アナウンサー ===
{{see|フジテレビのアナウンサー一覧}}


== 主なスタジオ技術系協力会社 ==
== 主なスタジオ技術系協力会社 ==

2012年5月4日 (金) 04:01時点における版

株式会社フジテレビジョン
Fuji Television Network, Inc.
ファイル:FOG Building Fuji Television Headquarters Odaiba Tokyo.jpg
FCGビル
種類 株式会社
略称 フジテレビ
本社所在地 日本の旗 日本
137-8088
東京都港区台場二丁目4番8号
設立 2008年10月1日
(新設分割のため)
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送
代表者 代表取締役会長 日枝久
代表取締役社長 豊田皓
資本金 88億円
(2008年10月1日現在)
売上高 単体: 3778億7500万円
連結: 5826億6000万円
(2007年3月期)
従業員数 1426人(2008年10月1日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 100%
外部リンク www.fujitv.co.jp
特記事項:旧法人(株式会社富士テレビジョン)の設立は、1957年11月18日。
FCGビル設計・丹下健三・都市・建築研究所
テンプレートを表示

株式会社フジテレビジョン英語: Fuji Television Network, Inc.)は、関東広域圏放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者である。また、スカパー!プラットフォームとしてフジテレビONEフジテレビTWOフジテレビNEXTの放送を行う衛星一般放送事業者でもある。

関東広域圏の放送事業者であるとともに、FNSフジネットワークフジテレビ系列)・FNNフジニュースネットワークキー局でもある。

略称は、コールサイン(アナログ放送:JOCX-TV、デジタル放送:JOCX-DTV)から一般的にCXが用いられる(ただし、正式な略称として定められていない[1])。通称はフジテレビフジ

2008年(平成20年)9月までは、76社、5法人、3美術館、1万名強の従業員からなる日本最大のメディア・コングロマリットであるフジサンケイグループの中核企業であり、資本関係上もグループの統括会社となっていたが、2008年10月1日に株式会社フジテレビジョン(旧会社)は、株式会社フジ・メディア・ホールディングスに商号変更、テレビジョン放送関連事業を同日設立した新会社たる「株式会社フジテレビジョン(現行会社)」に事業譲渡および放送免許を承継し、純粋持株会社また、認定放送持株会社となった。本項目では2008年9月30日までの旧会社、および2008年10月1日以降の現行会社について述べる。

概要

フジテレビジョン/log20200104
英名 Fuji Television Network, Inc.
放送対象地域 関東広域圏
東京都茨城県栃木県
群馬県埼玉県
千葉県神奈川県
ニュース系列 FNN
番組供給系列 FNS
略称 CX
愛称 フジ、フジテレビ
呼出符号 JOCX-DTV
呼出名称 フジデジタルテレビジョン
開局日 1959年3月1日
本社 137-8088
東京都港区台場二丁目4番8号
北緯35度37分36.04秒 東経139度46分27.47秒 / 北緯35.6266778度 東経139.7742972度 / 35.6266778; 139.7742972座標: 北緯35度37分36.04秒 東経139度46分27.47秒 / 北緯35.6266778度 東経139.7742972度 / 35.6266778; 139.7742972
演奏所 #スタジオを参照
リモコンキーID 8
デジタル親局 東京 21ch
アナログ親局 東京 8ch
ガイドチャンネル 8ch
主なデジタル中継局 下記参照
主なアナログ中継局 下記参照
公式サイト http://www.fujitv.co.jp/
特記事項:
開局は毎日放送(大阪)、九州朝日放送(福岡)と同日。
また、大東諸島も、放送区域に含まれる
2008年10月1日、フジ・メディア・ホールディングスからテレビジョン放送免許を承継。
テンプレートを表示
フジテレビ
ミトカナイトフジ!
基本情報
略称(愛称) CX、フジ
運営(番組供給)事業者 株式会社フジテレビジョン
ジャンル 地デジ難視対策衛星放送
放送内容 地上デジタル放送サイマル放送(マルチ編成の場合は主番組のみ)
衛星基幹放送(BSデジタル放送)
放送事業者 社団法人デジタル放送推進協会
チャンネル番号 Ch.298
物理チャンネル BS-17ch
放送開始 2010年3月11日
放送終了 2015年3月31日終了予定
公式サイト
特記事項:
地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)に掲載された地区のみ視聴可能。
テンプレートを表示

各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とするフジネットワーク (FNS:Fuji Network System) と、ニュース素材の供給・ネットを目的とするフジニュースネットワーク (FNN:Fuji News Network) を組織している。

地上放送の他にスカパー!(東経124・128度CS放送)、および委託放送事業者であるサテライト・サービスを通じてスカパー!e2(東経110度CS放送)で、フジテレビONEフジテレビTWOフジテレビNEXTの3つのチャンネル(フジテレビワンツーネクスト)を放送していて、一部のケーブルテレビ事業者へもこれらのチャンネルの供給を行っている。

メインバンクは、みずほコーポレート銀行(旧富士銀行)で、FNSチャリティーキャンペーンにおけるフジテレビの振込先もみずほ銀行東京中央支店(旧富士銀行本店)である。また、以前フジテレビで芙蓉グループ提供の番組『感動エクスプレス』『満足!迷い旅』を放送していた。さらに、フジサンケイグループ傘下の広告会社3社と合併した広告会社クオラスがある。また、三菱グループとも関係が深く、以前フジテレビで三菱電機提供の『メントレG』を放送していたほか、FNS系列局で毎年5月に放送している『ダイヤモンドカップゴルフ』(関西テレビ制作)は三菱自動車工業などの三菱グループ数社が協賛しているほか、現在フジテレビの常務取締役を務める飯島一暢三菱商事の出身である。

取材対象地域には、青森県山梨県が含まれる。

なお、フジテレビジョンの略称は開局当初、「FTV」が用いられた。しかし、正式な略称として定めておらず、後に開局した福島テレビが「FTV」を正式な略称として使用するようになった。これ以降フジテレビジョンは「CX」の略称が用いられている(ただし、これも正式な略称として定められたものではない)。なお、この「CX」とは元々仮局名だった「中央テレビジョン」の名残(Central)である。

社名の由来は諸説あるが、開局に当たり創業者の一人で当時専務取締役だった鹿内信隆が、「庶民に愛されなくてはならない。ポピュラーなものでなくてはならない。日本でポピュラーと言えば桜と富士だから仮に富士テレビでどうだろうか」と提案の上で社名を「富士テレビジョン」に改めた。しかし、漢字の「富士」は画数が多く、「フジテレビジョン」に変更された。

沿革

  • 1957年(昭和32年)11月18日 - 文化放送ニッポン放送を主体とし、東宝松竹大映映画会社各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立(「富士テレビ」に決定される前は「中央テレビジョン」で仮決定されていた)。
  • 1958年(昭和33年)12月 - 商号を株式会社フジテレビジョンに変更。
  • 1959年(昭和34年)1月9日 - 本免許を受ける。
  • 1959年 (昭和34年) 2月8日 - 試験放送を始める。
  • 1959年(昭和34年)3月1日 - 地上アナログテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-TV)。開局は大阪・毎日放送(MBS・JOOR-TV)と福岡・九州朝日放送(KBC・JOIF-TV)と同日。関西地区においては、関西テレビ(KTV)と毎日放送とのネットワーク関係を結ぶが、翌年関西テレビに一本化する。
  • 1959年(昭和34年)6月 - 東名阪福の基幹4局(フジテレビ・東海テレビ(THK)・KTV・KBC)でネットワーク協力体制に調印する。これが後のフジネットワークシステム(FNS) の基礎となる。
  • 1960年(昭和35年)1月17日 - 本局の送信出力を映像50KW、音声12.5KWに増力する。
  • 1964年(昭和39年)9月3日 - 東京オリンピック開始に伴い、カラー試験放送を開始(東京地区では3番目)。最初の番組は『僕は見たんだ』で、午前10時半からの30分番組。
  • 1964年(昭和39年)9月7日 - カラー本放送を開始する。カラー本放送番組第1弾はイギリスの特撮人形劇海底大戦争 スティングレイ」。
  • 1964年(昭和39年)10月1日 - 福岡地区のネット局がKBCからテレビ西日本(TNC)に変更され、CX・THK・KTV・TNCの4社によるネットワーク協力体制が確立する。
  • 1966年(昭和41年)8月 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
  • 1969年(昭和44年)4月 - フジネットワークシステム(FNS)発足。
  • 1971年(昭和46年) - 制作局を廃止させ、系列子会社化(「フジポニー」「フジ制作」「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する(1980年の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。
  • 1973年(昭和48年)『キンカン素人民謡名人戦』を最後に、自主制作番組がすべてカラー放送になる。
  • 1978年(昭和53年)10月2日 - 音声多重実用化試験放送開始。東京では日本テレビNHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は、同日午後5時からのアメリカテレビ映画「コンバット!」の2ヶ国語放送。ステレオ第1弾は、同日午後7時から放送された神宮球場からのヤクルト巨人戦のステレオ放送。
  • 1984年(昭和59年) - フジサンケイグループ議長・鹿内春雄が将来の衛星放送事業(現在のBSフジフジテレビワンツーネクストなど)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、当時はまだ更地であったお台場への社屋移転構想を発表する。(#フジテレビお台場移転の経緯を参照。)
  • 1985年(昭和60年)12月8日 - 文字多重放送本放送開始。
  • 1986年(昭和61年) - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。
  • 1987年(昭和62年)10月 - 日本の地上波テレビ放送局で初めてとなる24時間放送(終夜放送。日曜未明〜月曜早朝及び保守点検時を除く)を開始[2]
  • 1988年(昭和63年) - 開局30周年を記念してオリエント急行を日本で走らせる。
  • 1989年(平成元年)8月 - 第一世代クリアビジョン放送開始。
  • 1989年(平成元年)頃 - 民放では初めて、ソニー製の1インチ非圧縮デジタルハイビジョンVTR DVH-1000が導入される。
  • 1990年(平成2年)11月 - ハイビジョン試験放送開始。
  • 1993年(平成5年) - 新本社・演奏所となるFCGビルが着工。
  • 1993年(平成5年)3月31日 - 山形テレビがフジネットワークを離脱。
  • 1994年(平成6年)11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。
  • 1995年(平成7年)4月 - 株式会社フジサンケイグループ本社を合併。
  • 1995年(平成7年)9月 - ワイドクリアビジョン (EDTV-II) 本放送開始。
  • 1996年(平成8年) 8月- 東京都港区台場のFCGビルが完成。河田町からの移転作業が部署別に順次開始される。
  • 1997年(平成9年)3月10日 - 台場のFCGビルへの本社・演奏所機能の移転が完了。本社事業所所在地変更(東京都港区台場二丁目4番8号)。旧河田町本社ビルの解体作業開始。
  • 1997年(平成9年)8月 - 東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
  • 1998年(平成10年)4月 - 放送法に基づきCSデジタル放送2チャンネルの委託放送事業者の認定を受ける。
  • 1998年(平成10年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ721」(現フジテレビTWO)放送を開始。
  • 1999年(平成11年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ739」(現フジテレビONE)放送を開始。
  • 2000年(平成12年)12月1日 - 午前11時、系列のBSデジタル放送『BSフジ』(デジタルBS8Ch)開始。
  • 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-DTV)。
  • 2005年(平成17年)1月17日 - 系列ラジオ局のニッポン放送株式の公開買付(TOB)を発表した。その結果、ニッポン放送発行済み株式の36.47%を取得した。
  • 2005年(平成17年)5月23日 - ライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を『LFホールディングス』に変更(7月12日に合併)。
  • 2005年(平成17年)6月13日 - 産業再生法に基づく事業再構築計画の認定を受ける。2008年(平成20年)5月まで。
  • 2005年(平成17年)7月15日 - 地上波キー局として初めてのブロードバンド動画配信サービス、「フジテレビ On Demand」のサービスを開始。
  • 2005年(平成17年)9月1日 - ニッポン放送と株式交換し、同社を完全子会社化。
  • 2006年(平成18年)1月22日 - ライブドア証券取引法違反で1月18日に家宅捜索される。
  • 2006年(平成18年)3月15日 - ポッドキャスティングフジポッド」の配信開始。
  • 2006年(平成18年)3月16日 - 日枝会長が記者会見を行いUSEN宇野康秀社長にフジテレビが所有するライブドア持ち株を95億円で全株譲渡しUSENとの業務提携を発表。同時にライブドアとの提携解消とライブドア・ショックにより受けたフジテレビの損害総額345億円の賠償請求を行うことを決定した。
  • 2006年(平成18年)4月1日
    • 地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。
    • ニッポン放送からアナウンサーを含む47人がフジテレビに転籍。
  • 2006年(平成18年)4月3日 - 事業持株会社化し、フジサンケイグループの統括会社になる。これとともに株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、これまでのラジオ放送事業・中波放送局免許は『株式会社ニッポン放送』を新設し、同社に承継)を吸収合併し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式は吸収後消却され、ポニーキャニオンディノス等ニッポン放送傘下の企業がフジテレビ傘下に移動。
  • 2007年(平成19年)3月26日 - ライブドアに対する345億円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起したと発表した。
  • 2007年(平成19年)3月29日 - ポニーキャニオンと扶桑社の発行済み全株式を取得し、完全子会社化。同時にBSフジへの出資比率を上げる。
  • 2007年(平成19年)9月1日 - ハイビジョンでの報道取材を開始する(スポーツ報道の一部は以前からハイビジョン化されている)。
  • 2007年(平成19年)9月14日 - 東京都江東区青海臨海副都心に建設した「フジテレビ湾岸スタジオ」の運用を開始。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - CSチャンネル「フジテレビCSHD」(現フジテレビNEXT)放送を開始。在京民放キー局主体で初のCS放送によるハイビジョン放送である。
  • 2008年(平成20年)9月4日 -総務大臣から、放送法に基づく認定放送持株会社の認定を取得し、また新設会社(2008年10月1日設立)へのテレビジョン放送免許の承継が許可された。
  • 2008年(平成20年)10月1日 - 株式会社フジテレビジョンが『株式会社フジ・メディア・ホールディングス』に商号変更、認定放送持株会社に移行、同時に地上波放送関連事業を分社新設分割方式による事業子会社『株式会社フジテレビジョン(新設会社)』に放送免許共々承継。社名ロゴマークは変更せず新設会社がそのまま承継した。
  • 2008年(平成20年)12月1日 - ファイル配信に対応した地上波(アナログ・デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の統合型デジタルマスター設備(東芝製)が稼動[3]。同時に地上デジタルテレビジョン放送のサブチャンネル番号「083」の運用開始。3分割放送が物理上可能となる。マスター切換は3段階に分けて行なわれ、第1段階は地上波、第2段階は2009年4月にCS放送(フジテレビワンツーネクスト)、第3段階は2009年10月にBS放送(BSフジ)の順で切換を行なった。
  • 2010年(平成22年)4月23日 - CS放送のフジテレビNEXTにて、同局初の3Dハイビジョンによる番組「アリス3D」を放送(同局の音組による制作)。この際、この番組の冠スポンサーであるパナソニックによる日本初の3DハイビジョンCM(プロゴルファーの石川遼選手が出演)も放送された[4]
  • 2010年(平成22年)7月5日 - NHK民放連の申し合わせにより、地上アナログ放送における全番組が、地上デジタル放送への完全移行を前提にレターボックス放送(画角サイズ16:9)に移行[5]
  • 2011年(平成23年)10月31日 - 生放送の報道・情報番組がすべてフルステレオ放送化された。

歴史

旧有楽町本社(1961年ごろ)。ニッポン放送の本社所在地でもあった。
旧河田町本社(1961年ごろ)
旧河田町本社(1991年4月撮影)
河田町時代のフジテレビ本社があったところは、現在高級高層マンションになっている(河田町コンフォガーデンURの運営で、フジテレビとは無関係)。本社があった痕跡はないが、第一別館は2009年までフジテレビが新宿支局として使っていた。

1950年代 - 1960年代

1970年代 - 1980年代

  • 1970年代は、アニメ・子供向け番組などでは注目されたものの、全般としては、特に現代ドラマにおいて視聴率が低迷し、迷走を極めていた。
  • 1976年、「プロ野球ニュース」がキャスターに佐々木信也を迎えて放送再開される。
  • 1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズを打ち出した。面白い番組・視聴者の笑いを取れる番組を生み出そうという意識改革のスローガンであった。そこから横澤彪がプロデュースした『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』など数々の人気番組が生まれていった。このような状況は当時のキャッチコピーから「軽チャー路線」(かるちゃーろせん)とも評された。バラエティ番組中心の編成は結果として視聴者の支持を集め、1982年に「年間視聴率三冠王」(ゴールデン・プライム・全日でトップ)を獲得。その後「三冠王」は12年間続いた。1984年には年間売上高でもキー局トップとなり、名実ともに日本最大の民放テレビ局へと成長していった。
  • 1983年にスタートした『オールナイトフジ』で生放送型深夜番組のブームを巻き起こした。また、1987年10月、日本の地上波テレビ局で初の24時間放送を開始。深夜枠のソフト充実を目的に『JOCX-TV2』と銘打って実験的な内容の番組を多数開始した。以降、『やっぱり猫が好き』や『夢で逢えたら』など新感覚の番組が高い評価を受ける。
  • 1980年代後半のバブル景気時には、いわゆる「トレンディドラマ」が人気を博し、ゴールデン・プライム帯の視聴率を押し上げた。
  • 1987年7月、同局開局以来の24時間編成の大型番組として『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』を放送(以降、『FNS27時間テレビ』として毎年7月に放送される)。

1990年代

フジテレビ本社があるFCGビル(1996年、アクアシティ建設前)
ファイル:Fujitv.jpg
フジテレビ本社があるFCGビル(東京テレポート駅側より)
  • 1990年代前半には、『カノッサの屈辱』など、深夜放送を中心とした人気番組が続々生まれた。しかし、1993年夏頃から「三冠王」のうちのいくつかを巨人戦中継などのコンテンツを持ち、バラエティ番組も好調だった日本テレビに明け渡すようになってくると、その勢いも次第に衰えていった。1994年-2003年には、「年間視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を10年連続で日本テレビが達成している。
  • 1997年3月10日に、東京都新宿区河田町から東京都港区台場FCGビル(通称:フジテレビ本社ビル)に移転。新社屋の設計は『丹下健三都市・建築設計研究所』、施工は鹿島建設。敷地面積21102.220m²、延べ床面積141825.438m²、地下2階 地上25階 塔屋1階。直径32mの球体展望室が印象的。収録に使用した道具や収録スタジオ(V4スタジオ)などが見られる見学者コースがあり、お台場周辺の観光スポットの1つになっている。ビル全体の“見た目サイズ”はワイドクリアビジョンテレビの16:9をイメージしているとされる。
  • 1999年にはイメージキャラクターの「ラフくん」が登場、2002年からは「きっかけは、フジテレビ。」のキャッチコピーで様々なキャンペーンを展開、毎年本社ビルで行われているイベントも名物となっている。不定期で社内を歩き回り、愛嬌を振りまいている。

2000年代

  • 2003年度(2003年4月-2004年3月)の調査ではプライムタイムの視聴率が日本テレビを上回り、この結果、2004年には「三冠」を日本テレビから奪還し民放トップの座に返り咲いた。その後は7年連続で「三冠」を達成した(2011年に再度、日本テレビに「三冠」を奪われ、その地位から陥落)。
  • 2005年1月、お台場社屋からの主要生番組(『めざましテレビ』『とくダネ!』『ニュース関係全般』など)が全てハイビジョン放送となる。
  • 2008年5月15日、フジテレビは2008年4月に施行の改正放送法に基づく『認定放送持株会社』制への移行を取締役会で決定した[6]。その概要は、現在の株式会社フジテレビジョンを純粋持株会社『株式会社フジ・メディア・ホールディングス (FUJI MEDIA HOLDINGS,INC.)』に商号変更、地上波テレビ放送事業は放送免許も含め、分社型新設分割方式によって新設する『株式会社フジテレビジョン(新設会社)』への移管・免許承継する。
  • 2008年6月27日、定時株主総会にて放送持株会社制への移行が承認された。その後主務大臣の認可・法的な処理を実施の上、2008年10月1日から新体制に移行した。

2010年代

  • 2010年にはデジタルコンテンツ事業の強化に乗り出し、「キミフジ」や「イマつぶ」などのオンラインサービスを開始している。
  • 2010年9月27日、フジテレビが報道及び関連番組で使用していたテロップ・CGシステム(同局では「ワープロシステム」と呼称)を1994年10月の機材更新以来およそ16年ぶりに更新した[7]。これにより同局のニューステロップはすべてHD対応仕様となった。基本書体はJTCウインSから平成角ゴシックW7に変更されたが、わずか3週間でJTCウインSに戻った[8]。なお、2011年度上期には非報道系(制作・情報系)のワープロシステムも、報道系と同様のシステムへ更新されている(ただし、報道系と非報道系は基本的に全く別のシステムとして構築されている。)。
  • 2011年7月1日から7月23日まで『産経テレニュースFNN』や『サザエさん』など一部番組において、地上アナログ放送で放送終了のカウントダウンを画面左下に表示したため、スポンサークレジット上部の「提供」の文字を削除、企業名のみの表示となった。なお、この表示方法は同系会社のBSフジがすでに行っているものである。
  • 2011年10月31日、モノラル放送(地上デジタル放送ではモノステレオ放送)で放送されている全ての報道・情報番組がステレオ放送に切り替えられた。[9]なお、各局の全国ニュース枠における全日・全時間帯のステレオ音声化は初となる。また、ニュース映像に付けられるBGMもステレオ音声で送出される(他局ではモノラル音声で送出されることが多く、全国ニュースでは数少ない)。
  • 2011年、年間視聴率三冠王を2003年以来8年ぶりに日本テレビに奪われる。2011年の年度視聴率においても、三冠王を日本テレビに奪われた。

歴代社長

  1. 水野成夫(1957年設立 - 1964年)
  2. 鹿内信隆(1964年 - 1968年)
  3. 浅野賢澄(1968年 - 1982年)
  4. 石田達郎(1982年 - 1985年)
  5. 羽佐間重彰(1985年 - 1988年)
  6. 日枝久(1988年 - 2001年)
  7. 村上光一(2001年 - 2007年)
  8. 豊田皓(2007年 - )

外国人持株問題

フジテレビの株主である株式会社フジ・メディア・ホールディングスにおいては、2011年4月21日現在、外国人等の議決権比率は19.99%であった。電波法第5条は、放送業者の議決権の5分の1(20%)以上を外国人が有することを禁じており、かろうじて法律の範疇にある。しかし7月28日現在、フジ・メディア・ホールディングス株式の外国人直接保有比率は28.63%に達している。

フジテレビお台場移転の経緯

1980年(昭和55年)に掲げた「軽チャー路線」がようやく波に乗り出し、1984年(昭和59年)には年間売上高も開局以来初めて在京キー局でトップに躍り出た。局舎のお台場移転構想が持ち上がったのはこのころである。

当時のフジサンケイグループ議長であった鹿内春雄が、所用で当時はまだ更地だったお台場を訪れ「テレビ局を運営するならビルの林立した都心よりも、その都心を広々と見渡すことのできるお台場のような場所がいい」と考え、後のフジテレビ役員会議で提唱した。当時の東京都知事鈴木俊一も「情報の集まる所に人は集まる」と考えており、「臨海副都心計画を成功させるためにはお台場エリアに一大エンターテインメントも必要」という方針を打ち出していた。そのようなこともあり、かねてから親交が深かった鹿内春雄にフジテレビの誘致を積極的に行っていたことが、この移転構想へつながったと見られている。お台場は当時未開発の地であり、都心と比較しても地価が安く、用地も都から安価で提供してもらえたことも大きく影響した。

当時はレインボーブリッジゆりかもめはおろか、臨海副都心線さえ開通していなかったことや、都心からも遠いこともあり、ほとんどの役員はお台場移転案に消極的であった。前述のように将来における民放の衛星放送への参画や、それに伴うスタジオの増設、局内のデジタル回線への変更などで当時の河田町の局舎では限界があったため、新局舎の建設が必要であることは役員の誰もが理解していた。このため、再三にわたる議論の末、

  1. 河田町の局舎解体後、跡地に新局舎を建て直す案(移転不要案)
  2. 都心に近くて広大な土地のある品川区大崎(現在の大崎ニューシティやゲートシティ大崎があるJR大崎駅東口地区)への移転案
  3. お台場移転案

の3つに絞られた。フジテレビの現場サイドも局舎そのものを観光名所にして、そこから新たな収益構造を作りたいという目的があったため、住宅地に囲まれた河田町では地理的に集客力に限界があり、この目的は達成できないとして1.の移転不要案は却下された。また、2.と3.を比べても、お台場は海沿いで眺めも良く、開発されつくした大崎エリアと比べても未開発で集客面でも将来性が大きかったことと、前述の地価の面でも大きく有利に動いた。これに加えて鈴木都知事の協力が得られたことにより、3.のお台場移転案が決定的になった。

これを受け、局内に当時取締役編成局長だった日枝久を初代室長とする総合開発室が設置された。将来の台場新局舎の建設計画や用地取得、および衛星放送開始に備え、10年越しでの大プロジェクトを敢行し、現在の「お台場のフジテレビ」を築き上げた。また、これらのプロジェクトで費やした費用は10年間で実に数千億円に上ったという。

なお、1997年5月放送の『めちゃ×2イケてるッ』(河田町からお台場への引越企画を放送)では、「台場移転に2tトラック約4千台分・費用約7億円」と放送されていた。

特色

ニュースや情報番組で使用されているテロップフォントは、フォント制作会社のニィスと共同開発したもので、これが先駆となって、他局や色々な印刷物にもこのフォントが使用されるようになった。

インターネットを利用した一般新卒社員募集活動に熱心なテレビ局である。一般の四大卒応募希望者はエントリーから書類選考に相当する段階まで、メールアドレスを含むインターネット接続環境手段を持たないと応募はほぼ不可能である。

社員に有名人や大手クライアントの子息・孫が多いことで知られる。アナウンサーでは永麻理1993年退社)や高島彩(2010年退社)、高橋真麻田淵裕章生田竜聖などが挙げられる。著名な社員では、フジサンケイグループの元議長・鹿内信隆の孫にあたる鹿内植プロデューサー)や映画監督大島渚・女優小山明子夫妻の息子である大島新1999年退社、現在は『情熱大陸』なども手掛けるフリーディレクター)、小説家遠藤周作を父に持つ遠藤龍之介(同社取締役)、ミュージシャンかまやつひろしを父に持つ釜萢太郎(現役のシンガーソングライターでもある)、脚本家山田太一の娘である宮本理江子(編成制作局ドラマ制作センター副部長、ドラマディレクター、映画監督)などがいる。

1980年代に入ると、バラエティ番組を中心に同局の女性アナウンサーをタレント同然に扱う様子が見受けられるようになる。他の民放局でも同様の傾向は見られるが、フジテレビはそれが顕著で、また、平井理央のように入社以前に何らかの芸能活動を経験しているアナウンサーも多数在籍している(日本のアナウンサー#「女子アナ」とその背景も合わせて参照)さらには、『ラヴシーン』と題した同局アナウンサーによる朗読劇を企画するなど、いち早く「タレント化」とも言える事業展開を行ってきた。

NONFIX』や『ザ・ノンフィクション』など質の高いドキュメンタリー番組を多く手掛け、放送関係の受賞歴も多い。

在京キー局中、労働組合の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いとされている(民放労連会報・会員コメントより)。なお、労組の組織化に至ったのは現会長日枝久の尽力によるもの(本人の項も参照)。

渡辺プロダクションとその系列のイザワオフィスとの結びつきが非常に強く、『ザ・ヒットパレード』や『新春かくし芸大会』、『クイズ・ドレミファドン!』など往年の看板番組や現在放送中の『ウチくる!?』や『志村けんのバカ殿様』などの制作にはこの2事務所が深く関わっており、番組エンドロールの企画・制作元が「フジテレビ」ではなく、「渡辺プロダクション」や「イザワオフィス」となっている。

制作番組

フジテレビ制作の番組については、『フジテレビ番組一覧』や『ミニ番組#フジテレビ』などを参照のこと。

制作セクションは編成制作局にあり、第三制作部までに分かれていた。ドラマ制作センター(旧・第一制作部、英語ではdivision1→ディビジョン1)はドラマ、バラエティ制作センター(旧・第二制作部)はバラエティ・音楽番組、情報番組センター(旧・第三制作部)はドキュメンタリー・情報番組などを作っている(2002年7月に第三制作部は生活情報局に移行、2004年6月に情報番組センターに改称)。また、報道特番についてはFNN系報道特別番組を参照。

報道・情報番組

フジテレビ・ニュース番組の街頭取材・取材カメラクルー

FNNニュース』、『FNNスピーク』、『FNNスーパーニュース』、NHKニュース7と同様に、正当な報道番組の姿勢を貫いており評価を受けている『ニュースJAPAN』などのニュース番組を報道局が制作。『めざましテレビ』、『情報プレゼンター とくダネ!』などの情報番組ワイドショー番組は、情報制作センター(旧・第三制作部)が制作している。

フジテレビ以外の系列局の映像には、当該系列局名のテロップが入ったが、2005年4月に廃止。現在は、画面左下に『FNN NEWS』と入り、その横にそのニュース取材場所などが表示されるようになっている。これは、フジテレビ、それ以外の系列局の取材に関係なく表示される。『とくダネ!』など情報制作センターの番組は、系列局が取材した映像にクレジットが表示される。

1961年4月1日プロ野球に特化したスポーツニュースのはしりである『きょうのプロ野球から』が放映開始。翌1962年に『プロ野球ニュース』に改題(いずれもプロ野球シーズン期間中のみ放送)。

1965年5月1日NET(現:テレビ朝日)系列の朝のワイドショー、『モーニングショー』に対抗し、NHKの看板アナウンサーだった小川宏を招聘して、『小川宏ショー』をスタート。初代司会陣は小川宏と元TBSアナウンサーの木元教子、当時アナウンサーだった露木茂。1968年4月1日、不毛の時間帯とされた平日午後3時枠を開拓したワイドショー『3時のあなた』が放送開始。1984年10月に『FNNスーパータイム』を開始。夕方ニュース戦争の幕開けとなる。

1985年8月12日日本航空123便墜落事故では現場が特定困難であった山中から、翌日にテレビ上で最も早く事故現場の映像を衛星中継(自社開発による移動型衛星中継装置を使用)<-これは間違いである、衛星中継では無く上空のヘリコプター経由で中継したももである。大変に有名な話でこんな間違いがなぜ記載されているが疑問に感じる。 で伝えたり、2003年12月14日のサッダーム・フセイン拘束のニュース速報を、他局に先駆けて伝えたうえに、民放で唯一報道特番を組んだ。

スポーツ

すぽると!』、中継番組全般をスポーツ局が制作。また、レーベル表記は「FUJI NETWORK SPORT」を2001年10月より使用(2005年4月より中継番組のみの使用)。

1987年以来、大きなスポーツイベントにおける放映権を獲得するようになり、モータースポーツの最高峰であるF1世界選手権を放送を開始、同年から10年ぶりの復活となった「日本グランプリ」の冠スポンサーとなる。その他、バレーボール・ワールドカップ世界柔道選手権2003年・大阪大会以後)、体操世界選手権(2009年-2016年まで)もフジテレビ系列の地上波独占中継となった。また2003-2004シーズンより全日本スピードスケート選手権世界スピードスケート選手権全日本フィギュアスケート選手権世界フィギュアスケート選手権がフジテレビ系列の独占放送となった(2003年まではTBS系列の独占放送だった)。

FIFAコンフェデレーションズカップなど国際サッカー連盟 (FIFA) 公認のナショナルチーム同士による国際大会(W杯は除く)は、フジテレビ系列およびTBS系列が共同放送制作している(2004年アテネオリンピックのバレーボール最終予選もフジ・TBSの共同制作だった)。2007年の大会はフジテレビ系列独占放送となる。かつてはJリーグ中継は清水エスパルス鹿島アントラーズなどの主催試合を中継していたが、2002年以降はヤマザキナビスコカップ決勝のみの中継となっている。

開局の1959年以来、中央競馬の日曜東京中山および夏季ローカル開催のメインレース中継を放送している。また、「フジテレビ賞スプリングステークス」の冠スポンサーにもなっている。なお、2005年菊花賞では初めて関西テレビとの共同制作で中継された。(従来の京都阪神の中継は関西テレビが担当している。)

格闘技は、前述の世界柔道選手権の独占中継をはじめ、日本大相撲トーナメントの主催・中継を行っている。ボクシング中継ではファイティング原田輪島功一らの国民的スターを輩出し、現在では『ダイヤモンドグローブ』で月1回の放送を実施している(窓口となるプロモーターは三迫プロモーション)。プロレスでは過去に全日本女子プロレスの中継や、WWEの日本語版放送を実施してきた。かつてはPRIDEも放送していたが、2006年6月にPRIDE主催側に契約違反があったとして、放送の打ち切りを発表している。

バラエティ

バラエティ制作センター(旧・第二制作部、港浩一執行役員バラエティ制作センター担当局長がチーフとなり小須田和彦部長らが所属)が制作している。

主に『笑っていいとも!』、『めちゃ×2イケてるッ!』など。『ネプリーグ』等のクイズ番組や、『ライオンのごきげんよう』等のトーク番組もバラエティ制作センターで制作している。

バラエティ番組最大の特徴は、地域・事務所を問わず実力のある若手のお笑いタレントを5,6組集合させて番組を製作し、関東ローカル深夜番組からゴールデンタイムの全国ネットへと番組を育ててゆく手法を取ることである。この手法をとった番組は1980年代に一世を風靡した『オレたちひょうきん族』に始まり、『夢で逢えたら』や『とぶくすり』、『笑う犬シリーズ』、『はねるのトびら』、『爆笑レッドシアター』等があり、いずれもフジテレビを代表する人気番組となった。異色の番組としては、若手芸人発掘のために8年周期で放送される『新しい波』シリーズがある。

スポンサー料の安い深夜・早朝枠は、逆に「視聴率を稼がなくても良い」と解釈され、実験的な番組が多数作られた。1987年10月改編で正式に「24時間放送」を開始、『プロ野球ニュース』終了後以降の深夜枠に「JOCX-TV2」という「ゾーンタイトル」を付加、社内組織的にも編成局内に「深夜の編成部」なる深夜編成担当チームが組まれた。これらの枠から人気を博した番組に『カノッサの屈辱』『ウゴウゴルーガ』『Flyer TV』があったが、編成方針の変更により「深夜の編成部」が廃止され、「ゾーンタイトル」など「深夜枠」という特定のカテゴリー自体もこれをもって廃止された。

音楽番組

バラエティ同様、バラエティ制作センターが担当。

HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』『新堂本兄弟』など、きくち伸プロデューサー率いる音組が担当している。また、40年以上の歴史を誇る長寿番組『ミュージックフェア』は、石田弘(現在はエグゼクティブプロデューサー役員待遇)が長く担当し、当初よりシオノギ製薬一社提供番組で、現在も引き続き放送されている。

1968年11月4日、新感覚の歌謡番組と銘打ち『夜のヒットスタジオ』放送開始。幅広い出演者と歌手の素顔を映し出してゆくという番組構成が視聴者に浸透し、格上の音楽番組として後に評価されるようになる。1974年7月、第1回『FNS歌謡祭』放送。初代司会は小川宏と吉永小百合。当初は賞レース番組であったが、1991年からはコンサート形式の番組に変更されて継続している。

ドラマ

ドラマ制作センター(旧・第一制作部)が制作している。

現在、ドラマを放送している時間帯(以下JST)は月曜午後9時(月9)、火曜午後9時木曜午後10時土曜午後11時日曜午後9時の5枠。

1981年10月、後にスペシャル番組としてシリーズ化される『北の国から』がスタート。脚本は倉本聡、主演は田中邦衛。1987年4月、1981年4月より続いた萩本欽一による『欽ドン!』シリーズに代わって、新たにドラマ枠(通称:"月9")を新設。『アナウンサーぷっつん物語』を最初に、『ラジオびんびん物語』、『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』、『ロングバケーション』などの大ヒット作を生み出し、業界ドラマやトレンディードラマブームの火付け役となる。2003年10月、フジテレビ開局45周年記念番組として、1978年に田宮二郎山本學の主演で放送された社会派ドラマ『白い巨塔』のリメイク版を半年間(2クール)にわたり放送。

アニメ

日本初のテレビアニメ鉄腕アトム』を放送し、『ゲゲゲの鬼太郎』、『フランダースの犬』に代表される『世界名作劇場』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『タイムボカンシリーズ』や『ドラゴンボール』シリーズを初めとする週刊少年ジャンプ漫画原作作品などの人気アニメ番組を数多く放送するなど、かつてフジテレビは民放一のアニメ局であった。現在でもアニメ番組では視聴率トップクラスの『サザエさん』を、日曜午前9時台には数多くの人気作品を放送している。

しかし、1997年以降、同局の看板作品である『世界名作劇場』の終了や、テレビ東京でのアニメ本数の増加、ポケモンショック少子化などで次第に地位が低下し、2001年には平日枠(深夜枠以外)のアニメ番組が消滅した。また、民放一のアニメ局の地位をテレビ東京TXN)に奪われた。このはるか前、1980年代まではタツノコプロとの関係が深かったが、1983年の「イタダキマン」の不振がきっかけとなって絶縁し(最後の作品は1985年の「炎のアルペンローゼ」)今日に至っている。2004年には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が終了、『ONE PIECE』も2006年10月より日曜日午前9時半(ローカルセールス枠)からの放送になった事により、ゴールデンタイム枠のアニメ番組は消滅した。

また、アナログ放送では2008年12月以降の放送中のアニメ放送を全てレターボックス形式に変更した(ただし『サザエさん』のみ2009年1月から)。また、バラエティ枠も深夜帯はレターボックス放送になっている。プライムタイム枠では16:9で放送されている番組が増えてきた。

フジテレビ制作のアニメは、東映アニメーション日本アニメーションぴえろとの関係や縁が深い。

2002年-2003年にかけて番組数が比較的多かったが、当時地上デジタルテレビ放送の準備による放送機器メンテナンスが相次ぎ放送スケジュールが不安定になり、それに伴う地上波放送の打ち切り・枠廃止も相次いだことから視聴者や制作会社から不満の声が高まり、その影響で関東地区では独立U局でのネットに切り替える作品が相次ぎ(その名残でしばらくの間、関西・中京圏では従来通り、系列局の関西テレビおよび東海テレビでの放映作品枠が1本存在した)、2004年10月にすべての枠が一旦廃止となった。

しかし、2005年4月14日から『ノイタミナ』枠でスタートした『ハチミツとクローバー』(木曜深夜0:35 - )で復活することになったが、『蟲師』がシリーズ途中で地上波放送では打ち切りになるなど、2011年1月現在は『ノイタミナ』枠2本を放送しているのみである。

子供向け番組

かつて「母と子のフジテレビ」をキャッチフレーズとしていた通り、子供向け番組には黎明期から力を入れていた。主に、『ママとあそぼう!ピンポンパン』や『ひらけ!ポンキッキ』→『ポンキッキーズ』などを制作し、両番組とも長年に渡り高い支持を得てきた。

1966年10月3日、子供向けバラエティ番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』放送開始。初代お姉さん役は渡辺直子アナウンサー。以来、若手の女子アナがお姉さん役を務め、アイドルアナウンサーの登竜門でもあった。1973年4月2日、子供向け幼児教育番組『ひらけ!ポンキッキ』放送開始。

しかし、少子化などの影響から視聴率が低迷するようになり、2007年3月の『ポンキッキ』終了とともに、地上波でのレギュラー子供向け番組は消滅している。現在、関連会社のフジテレビKIDSがBSフジポンキッキシリーズ(現在は『Beポンキッキ』)などを制作している。

現在のゴールデンタイム・プライムタイム編成

※2012年4月現在

月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
19

ネプリーグ カスペ! おじゃマップ VS嵐 ゲーム&クイズバラエティ
ペケポン
リアルスコープZ ほこ×たて
20

HEY!HEY!HEY!
MUSIC CHAMP
はねるのトびら 奇跡体験!アンビリバボー 奥の深道〜同類くんの旅〜 めちゃ×2イケてるッ! 爆笑 大日本アカン警察
21

連続ドラマ
鍵のかかった部屋
連続ドラマ
リーガル・ハイ
ホンマでっか!?TV とんねるずの
みなさんのおかげでした
金曜プレステージ 土曜プレミアム ドラマチック・サンデー
家族のうた
22

SMAP×SMAP 連続ドラマ
37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜
ピカルの定理 木曜劇場
カエルの王女さま
Mr.サンデー

スタジオ

臨海副都心

台場・FCGビル(フジテレビ本社ビル)

竣工当初は自社所有のビルであったが、2008年10月1日以降は、フジ・メディア・ホールディングスがビルを所有し、それに入居している形となっている。

  • V1スタジオ(3階 100坪)
  • V2スタジオ(3階 150坪)
  • V3スタジオ(3階 120坪)
  • V4スタジオ(3階 300坪) - 毎年7月FNS27時間テレビのメインスタジオ
  • V5スタジオ(3階 210坪)
  • V6スタジオ(6階 100坪)
  • V7スタジオ(6階 70坪)
  • V8スタジオ(メディアタワー9階 90坪)
  • V9スタジオ(メディアタワー12階 100坪)
  • V10スタジオ(メディアタワー14階 17坪)
  • VGスタジオ(メディアタワー18階)

スタジオ内にあるテレビカメラは、全てハイビジョン対応(1997年3月10日の運用開始当初から)。しかし、サブ周りの機器は一部河田町からの移設やSD対応機材だったため、その「HD非対応」スタジオについては段階的にHD対応に移行。

建物は、低層部については公開スペースを1階に設け、スタジオを3階に設置するという珍しい構造で、高層部については「オフィスタワー」と「メディアタワー」の2棟を中央3フロアに合計6本ある渡り廊下(コリドール)が繋ぐ構造となっている。

かつてはメディアタワー棟22階 - 24階に、系列ラジオ局であるニッポン放送の本社が入居しており、ラジオスタジオを構えていた。その後、2004年9月6日にかつて本社があった千代田区有楽町に再移転し、9月13日より全業務を開始した。

青海・フジテレビ湾岸スタジオ

  • M1スタジオ(313坪)
  • M2スタジオ(313坪)
  • M3スタジオ(201坪)
  • M4スタジオ(201坪)
  • D1スタジオ(318坪)
  • D2スタジオ(319坪)
  • D3スタジオ(204坪)
  • D4スタジオ(204坪)

都内に分散する番組収録スタジオ(渋谷ビデオスタジオフジテレビ砧スタジオ〔TMC〕等)を統合・集約する事により、作業効率・費用効率の向上、企画から収録・編集・放送までの一貫したコンテンツ制作体勢の構築を目的として建設された。

テレビスタジオは8つあり、総床面積は5459m²。HDフルデジタルシステムを導入し、台場本社とは光ケーブル等で大容量の双方向回線で結ばれている。また台場本社と異なり、展示ギャラリー・ショップ等がある1階と屋上の公開エリア以外の建物内は一般人の立ち入りが完全に規制できる。屋上緑化や壁面を二重構造にするなどして従来のスタジオよりもエネルギー消費量を約2割削減して省エネルギー化をはかり、また敷地内に1万本以上の樹木を植樹するなどして環境に配慮した設計になっている。

2007年の『FNS27時間テレビ』で行われた『クイズ!ヘキサゴンII』スペシャルで、生放送としては初めて使用された。また、施設名が正式決定していなかったため「フジテレビ新スタジオ」として紹介した。

その他

  • スタジオアルタ新宿区
    ダイビル所有の貸スタジオ。フジテレビは森田一義アワー 笑っていいとも!笑っていいとも!増刊号)収録のために借りている。
  • 大手町取材センター(千代田区大手町)
    台場に本社がある関係でアクセスが良くない大手町周辺の取材拠点として、東京サンケイビル(産経新聞社東京本社)内に設置している。経済系ニュースの取材拠点。中継用の簡易スタジオがある。
  • 国会記者会館(千代田区永田町)
    政治ニュースの取材拠点であり、会館の周辺には首相官邸などの重要施設が集中している。オフィス内に中継用の簡易スタジオがある。
  • 東証アローズ(中央区日本橋兜町東京証券取引所 東証アローズ・メディアセンター内)
    東証アローズの一角にあるメディアセンター内に設けられたミニスタジオで、フジテレビ専用ブースから中継ができる。市場を管理しているマーケットセンターのグラスシリンダー部全体が見渡せるようになっている。

かつて存在したスタジオ

  • 新宿支局(フジテレビ第一別館)(新宿区市谷仲之町
    本社が台場という埋立地にあることによるアクセスの特殊性を考慮し、旧本社敷地付近にある第一別館に報道の取材拠点を設置。常設の簡易スタジオがある他、中継車も常駐していた。なお、こちらの建物は河田町本社時代のものをそのまま使用しており、通り沿いにある看板も「フジテレビ第一別館」のままであった。しかし、2009年に同支局は廃止され、建物もすでに解体されている。跡地にはマンションが建設される予定。また、同支局の閉鎖をもって、フジテレビを含むフジサンケイグループの企業は河田町エリアから完全撤退となった。
  • 新宿・河田町本社(フジテレビ旧本社ビル)(新宿区河田町

1959年3月1日の開局から1997年3月9日までフジテレビの本社であった。

局舎がメインビル、タワービル、グランドスタジオの3つの建物に分かれており 入口にはそれぞれの場所へのルートを示した看板が立っていた。

なお1959年の開局時点ではまだメインビル棟を含む第1~第5スタジオのみ完成しておりグランドスタジオ棟を含む第6スタジオと、メインビル棟の第7・第10スタジオについては1968年の2月に、第9スタジオを含むタワービルについてはフジテレビ開局10周年の1969年にそれぞれ完成した。

階数はメインビルとグランドスタジオが地下1階の地上4階建て、タワービル棟は地下2階の地上13階建てであった。

また南側の玄関口には電波をイメージしたと思われるモニュメントがありこのモニュメントは時折テレビの野外ロケなどで見られた。

スタジオは各フロアとも低層部に設置されておりその上に副調整室というスタイルとなっていた。

  • スタジオ一覧
  • 第1スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
  • 第2スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
  • 第3スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
  • 第4スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
  • 第5スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
  • 第6スタジオ - グランドスタジオ棟1Fに設置(250坪)
  • 第7スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
  • 第9スタジオ - タワービル棟1Fに設置(76坪)- 84年までは報道用スタジオ
  • 第10スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)

1984年以降スーパータイム放送開始に伴い副調整室(サブ)の変更が行われ第7スタジオのサブは第9スタジオのものを、第9スタジオのサブは第7スタジオのものを使用することになりそれらの変更は1997年の台場移転まで続けられた。

情報カメラ設置ポイント

●…ハイビジョンカメラ

現在

過去

送信所

フジテレビ系列のリモコンキーID地図

主な中継局

  • 東京都
    • 新島 - 21ch
    • 伊豆大島 - 37ch
    • 八丈 - 34ch
    • 青梅沢井 - 21ch
    • 八王子 - 21ch
    • 新島本村 - 21ch
    • 八王子上恩方 - 37ch
    • 鶴川 - 37ch
    • 小仏城山 - 41ch
  • 茨城県
    • 水戸 - 19ch
    • 日立 - 19ch
    • 十王 - 35ch
    • 山方 - 21ch
    • 常陸鹿島 - 21ch
    • 日立神峰 - 21ch
    • 竜神平 - 21ch
    • 北茨城 - 19ch
    • 奥久慈男体 - 21ch
    • 大子 - 19ch
    • 里美 - 19ch
    • 御前山 - 21ch
    • 水府 - 19ch
    • 笠間 - 35ch
    • 岩瀬 - 21ch
    • 那珂湊 - 21ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 - 35ch
    • 矢板 - 31ch
    • 足利 - 21ch
    • 今市 - 21ch
    • 馬頭 - 21ch
    • 日光清滝 - 40ch
    • 鹿沼 - 19ch
    • 足尾 - 41ch
    • 那須伊王野 - 21ch
    • 日光広久保 - 19ch
    • 黒羽中野内 - 21ch
    • 烏山神長 - 21ch
    • 南那須志鳥 - 21ch
    • 黒羽川上 - 40ch
  • 群馬県
    • 前橋 - 42ch
    • 沼田 - 21ch
    • 利根 - 21ch
    • 吾妻 - 21ch
    • 下仁田 - 21ch
    • 桐生 - 21ch
    • 草津 - 29ch
    • 片品 - 16ch
    • 川場 - 21ch
    • 沼田発知 - 15ch
    • 桐生梅田 - 38ch
    • 嬬恋田代 - 32ch
    • 沼田沼須 - 44ch
    • 倉渕 - 29ch
    • 妙義 - 29ch
    • 横川 - 21ch
    • 嬬恋干俣 - 32ch
    • 片品東小川 - 21ch
    • 子持小川原 - 16ch
    • 利根大原 - 21ch
    • 白沢 - 41ch
    • 松井田上増田 - 16ch
  • 埼玉県
    • 秩父 - 21ch
    • 小鹿野 - 51ch
    • 児玉 - 21ch
    • 鬼石 - 31ch
    • 秩父定峰 - 51ch
    • 秩父栃谷 - 51ch
    • 風布- 21ch
    • 飯能上赤工 - 42ch
    • 横瀬根古谷 - 42ch
    • 飯能原市場 - 42ch
  • 千葉県
    • 銚子 - 21ch
    • 東金 - 21ch
    • 大多喜 - 21ch
    • 君津 - 21ch
    • 長南 - 19ch
    • 市原加茂 - 35ch
    • 勝浦 - 21ch
    • 館山 - 21ch
    • 小見川 - 21ch
    • 佐原 - 21ch
    • 下総光 - 21ch
    • 丸山 - 35ch
    • 勝浦総野 - 35ch
    • 鴨川 - 38ch
  • 神奈川県
    • 平塚 - 21ch
    • 小田原 - 38ch
    • 南足柄 - 38ch
    • 湯河原 - 38ch
    • 愛川 - 48ch
    • 箱根湯本 - 38ch
    • 横須賀武 - 38ch
    • 相模湖 - 21ch
    • 仙石原 - 37ch
    • 山北 - 21ch
    • 津久井 - 38ch
    • 久里浜 - 38ch
    • 逗子 - 38ch
    • 秦野 - 38ch
    • 横須賀鴨居 - 38ch
    • 湯の沢 - 16ch
    • 笹下 - 21ch
    • 釜利谷 - 35ch
    • 秦野菩提 - 37ch
    • 中井 - 38ch
    • 戸塚 - 21ch
    • 鎌倉 - 38ch
    • 衣笠 - 38ch
    • 大船 - 38ch
    • 箱根強羅 - 37ch
    • 小田原東 - 37ch

アナログ放送概要

2011年7月24日廃局。

2010年6月までは放送区域は、本来は沖縄県の放送対象地域である大東諸島が含まれたが、セーフティネット導入に伴いそちらへ移行した。これは系列局の沖縄テレビが、大東諸島に中継局を設けていなかったため。沖縄県内他局も同様。

  • コールサイン:JOCX-TV
  • チャンネル:8ch(東京) なお、フジテレビの送信chといえば8チャンネルのイメージが強いが、日本国内で最初にアナログ放送の送信chに8chを使用したのは同局(フジテレビ)ではなく、福岡のRKB毎日放送関門局・JOFO-TV)である。
    • 映像出力:50kW
    • 音声出力:12.5kW
  • 主な中継局
    • 東京都
      • ※八王子 - 31ch
      • ※多摩 - 55ch
      • 新島 - 58ch
      • 父島 - 57ch
      • 母島 - 58ch
      • ※大井町 - 74ch
    • 茨城県
      • 水戸 - 38ch
      • 日立 - 58ch
      • 常陸鹿嶋 - 41ch
    • 栃木県
      • 宇都宮 - 57ch
    • 群馬県
      • 前橋 - 58ch
      • 桐生 - 35ch
      • 利根 - 57ch
    • 埼玉県
      • 秩父 - 29ch
      • 児玉 - 57ch
    • 千葉県
      • 銚子 - 57ch
      • 成田 - 57ch
      • 館山 - 58ch
    • 神奈川県
      • ※横浜みなと - 58ch
      • 横須賀久里浜 - 37ch
      • 平塚 - 39ch
      • 小田原 - 58ch
      • ※山下町 - 75ch
    • 沖縄県
      • 北大東 - 46ch
      • 南大東 - 58ch

全96中継局

※はその中継局周辺でも東京(VHF)8chを視聴する場合が多かった、受信感度により視聴される。他局の同位置にある中継局も同様。

中継局から受信する場合でも8にプリセットされていた。

番組制作姿勢に対する批判

所属については特記の無い限り、発生当時のものである。

番組全般に対する批判

  • 放送番組全般が、偏向的な報道であり、韓国文化を過剰に押しているのではないか、と批判されることがある。このことに関し、2011年8月21日には、フジテレビ本社周辺で抗議デモが行われる事態となった。参加人数は主催者発表では約4000人[11]から6000人[12]、警察発表では3500人[13]、、8000人と伝えるメディアもあった[14][15]。このデモは韓国などの日本国外メディアでも報じられたが、フジテレビは一切報道しなかった[15]。これに先立ち、同月7日には、『散歩』と称して、フジテレビ周辺で21日と同様の主張をする者が現われた。参加人数は600人[16]、主催者発表では2500人[17]ともされた。警察集計では、7日と21日の合計で、延べ5300人が参加したとされる[18]。なお、デモの詳細については「フジテレビ抗議デモ」、「2011年のフジテレビ騒動」を参照。

報道姿勢に対する批判

  • 1998年11月29日 - 情報番組『スーパーナイト』で取り上げた隣人トラブルについて、片方の言い分だけを鵜呑みにし、相手方を一方的に非難した内容で放映した。それにより、非難された側の経営する会社が倒産に追い込まれ、娘の婚約が破談になるなどの報道被害を受け、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)へ救済を訴えた。BRCはフジテレビの報道姿勢に対し、「人権への配慮が不十分で、放送倫理上問題があった」と認定した。
  • 2002年10月25日 - 『FNN報道特別番組』として北朝鮮拉致被害者横田めぐみの娘とされているキム・ヘギョンの独占インタビューなどを放送した。放送途中からフジテレビやその系列局に「北朝鮮のプロパガンダに乗せられたのでは」などの抗議があったほか、救う会家族会などが会見し批判した。
  • 2003年8月13日 - 民放連の規定で取り扱わないとしている結婚相談所コマーシャルを放送していることが判明[19]広報部は「時代のすう勢に伴う判断だ」とコメントした。[要出典]
  • 2004年6月 - 新潟県長岡市にある田中直紀参議院議員の選挙事務所前の民家を借り、事務所の様子を密かに撮影していたことが発覚し、田中議員と後援会が選挙妨害と盗撮だとしてフジテレビに損害賠償と謝罪を求めて新潟地方裁判所に訴状を提出した。2007年2月7日、新潟地裁で判決が下り、「撮影の目的自体は不当ではないが、正当な取材範囲を逸脱する違法なもの」としてフジテレビ側に36万円の賠償を命じた。
  • 2005年9月 - 『めざましテレビ』内のコーナー「めざまし調査隊」で、やらせがあったことが発覚。やらせを行ったフリーのディレクターとの契約は打ち切られ、コーナーも打ち切られた。また、管理責任を問われ情報制作局長を減俸、情報制作センター室長を減給処分とした。
  • 2006年5月4日 - 『FNNスーパーニュース』内で、中華民国台湾)の国旗として五星紅旗中華人民共和国の国旗)を掲載。中華民国政府の駐日代表処を含む、中華民国関係者の抗議を受けた。
  • 2008年12月15日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』にて「浅田真央逆転Vも… キム・ヨナ“実力”に差」という題で、視聴者に「浅田真央よりもキム・ヨナのほうが実力が上」と感じさせる内容を放送。大きな反発を招いたため、18日に同番組内で訂正及び謝罪を行った[20]
  • 2009年7月17日 - 『FNNスーパーニュース』にて、旅館の女将たちが不況下で奮闘する様子を紹介したが、宮城県の温泉旅館の女将が「売り上げが伸びない旅館という負のイメージを視聴者に与え、温泉街も暗いシーンばかりが編集されるなど事実に反する」として、謝罪などを求めた。これに対し、「取材に基く事実を伝えた」フジテレビは主張したが、放送人権委員会による和解斡旋の末、「誤解を与えかねない表現を詫び、今後取材先との信頼関係を大切にして報道に取り組む」という内容の書面を女将に手渡し、和解が成立した。[21]
  • 2009年9月26日 - CS放送の『フジアナスタジオ まる生2009』において、フジテレビアナウンサーの長谷川豊が、『ニュースJAPAN』でキャスターが交代した件で、新キャスターは「この間までやってた外人滝川クリステルのこと)より、ずっと上手い」と発言した。これに対して、「外国人に対し差別意識を持っている」といった批判が寄せられた。番組責任者は「外人は不適切な発言であり、この発言が出たときにすぐに訂正すべきでした。番組の制作サイドも反省しておりまして、番組の視聴者や不快になられた方に本当に申し訳ない」とコメントを出した。
  • 2010年3月12日 - 金曜プレステージ熱血教師スペシャル第1夜「居場所をください 〜愛と涙の密着1000日〜」』にて、2010年に撮影したものを2009年内に撮影したかのように編集して放送。やらせ疑惑が浮上した。フジテレビ広報室長の小田多恵子は2010年3月20日放送分の『新・週刊フジテレビ批評』にて、「制作サイドに事実をねじ曲げる意図はまったくない」とし、やらせを否定した。
  • 2010年10月4日・10月5日 - 『すぽると!』において、同月12日に韓国のソウルで行われたサッカー親善試合・日本代表対韓国代表戦について、2日連続で「韓日戦」と放送。視聴者[誰?]から批判を浴びた。広報部によると、ホームとアウェーを明確にするため以前からホームチームを先に表記していたとのこと[22][23]。10月6日以降からは「韓国戦」に修正した。ただし、2011年8月には、日本がホームの国際戦でも、日韓戦という表記をしていない。
  • 2011年3月12日 - 東北地方太平洋沖地震に関する首相会見の中継の際に「ふざけんなよ。また原発の話なんだろ、どうせ」「笑えてきた」「くそだよ」という音声が流れた。放送から9日後の3月21日に、「音声機器のトラブルによるもの」で、「誤解を招くような発言が外に出たのは反省している」と広報部はコメントした[24]。発言者の公表はしなかった。台湾の中天電視では、フジテレビアナウンサー秋元優里ではないかと報道している[25]
  • 2011年8月24日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』において、出演者の小倉智昭が島田紳助引退報道に関係するコメントで、暴力団による民事介入暴力を肯定する発言を行い、視聴者やインターネット上で批判の声が上がった。[26]

ドラマ・バラエティ番組などに対する批判

  • 1991年10月31日 - 『とんねるずのみなさんのおかげです』において、盲腸で入院していた木梨憲武が亡くなったような演出を行い、抗議の電話が殺到した(→とんねるずのみなさんのおかげです#おかげです事件史)。
  • 1999年 - 『愛する二人別れる二人』の出演者が遺書でやらせを告白し、自殺した。スポンサーが降板を申し出たために番組は打ち切られた。
  • 2003年 - 『ネプリーグ』(深夜時代)において、通行人の持ち物をひったくってその被害者と競争するといった企画があり、番組内でラグビーの日本代表ユニフォームを着ていたことから、ラグビー協会が抗議、フジテレビ側が謝罪した。
  • 2003年8月13日 - 『ワンナイR&R』内のコント「ジャパネットはかた」において、福岡ダイエーホークス監督・王貞治の顔を模した便器「王シュレット」を販売するという内容を放送した。これに対して同球団と王貞治本人が激怒し、地元局であるテレビ西日本(TNC)を含め、フジテレビ系列の取材を一切拒否した。後日、フジテレビは放送上等で謝罪するが、同年の日本シリーズでの放送権を剥奪され、またコーナー名、商品名のパロディ元と思われる通信販売業のジャパネットたかたウォシュレットを製造しているTOTOからも「あまりに良識の範囲を超えている」と抗議された(→王シュレット事件)。またこの日の放送では、和光堂の粉ミルク「ぐんぐん」を妊婦に扮した出演者にかけるというコントも放送しており、これに対しても視聴者から「育児に不可欠な粉ミルクを軽率に扱うとは何事か」などの苦情が殺到し、和光堂からも「企業イメージを損ねた」として抗議された。
  • 2005年11月 - 『幸せって何だっけ』内で、細木数子養鶏場で生産される鶏卵について「薬漬けのニワトリが24時間照明を点けられて一日2,3個の卵を産まされている」と発言し、養鶏業者団体から猛抗議を受けた。これを受けフジテレビは後日養鶏業者団体に謝罪し、番組内で細木自らが養鶏業者に出向いた。
  • 2006年5月 - テレビドラマ『トップキャスター』の第3話の内容に関して、細木数子から「ドラマに登場した『女性占い師』は明らかに自分をモデルにしており、名誉毀損に当たる」として抗議を受けた。その結果、11月に発売したDVDでは第3話がカットされた。
  • 2006年10月4日 - 『VivaVivaV6』内の罰ゲーム「浜辺の清掃」の撮影準備と称し、フジテレビスタッフが神奈川県鎌倉市腰越海岸に持参したゴミをまき散らした。住民に見咎められトラブルとなった。
  • 2007年1月10日 - 同月6日に放送された『めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周健康の旅スペシャル』の内容に日本高等学校野球連盟が抗議文を送付。また、番組制作に協力した兵庫県西宮市の旅館を、甲子園大会時の指定宿舎から外す方針(後に復帰している)も決めた。
  • 2007年1月20日 - 同月7日に放送された『発掘!あるある大事典II』(関西テレビ制作)において、納豆ダイエットの実験データが捏造されていたことが関西テレビより発表された。その後、スポンサーが降板を申し出たため番組は打ち切られた。(→発掘!あるある大事典#データ捏造問題』)
  • 2008年1月21日 - 2007年に放送された『FNS27時間テレビ』内の企画において、霊能者江原啓之の霊視の結果と編集された放送内容に対し、霊視を受けた人物から抗議を受け、BPOから「非科学的」「出演者への配慮を欠く」と改善意見を受ける。フジテレビは出演者に謝罪し、後日フォローする番組を放送する。また同時に、番組で取り上げるきっかけとなった投稿の手紙がやらせであり、霊視会場にいた観客の過半数がサクラであることも発覚した。
  • 2010年1月 - 2007年6月19日放送の『世界びっくり人間!ニッポン(珍)滞在記』でやらせがあったと、出演した大家族の母親がブログ上で告発した。フジテレビは「取材や内容に問題はなかった(中略)結果として配慮が十分でなかった」と事実上謝罪した。
  • 2011年7月 - 『FNS27時間テレビ』の番組内企画「復興スマイルライブ」の開催にあたり、東日本大震災からの復興のために自費で被災地を訪れたボランティアが、フジテレビスタッフの指示により、会場設営に動員させられた[27]。参加者からは「なんでテレビ局の仕事を手伝うんだろうね」「これってフジテレビへのボランティアじゃない?」との声があがった[27]。フジテレビは、番組のためではなく、同場所で行われた地元主催の「復興市」の一環だと主張している。
  • 2011年8月7日 - テレビドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011』第5話において、前田敦子演じる主人公が、「LITTLE BOY」という文字の入った黄色のTシャツを着用していた。これに対して、「LITTLE BOY」が第二次世界大戦中にアメリカ軍広島市に投下した原子爆弾コードネームに、黄色がウラン精鉱(広島型原爆や核燃料の原料)を意味する「イエローケーキ」に通じること、さらに、放送日が広島原爆忌(8月6日)の翌日であったことから、配慮が足りないと指摘された。読売新聞の報道によると「不謹慎だ」とするメールや電話などが、広島県に約130件、広島市に約150件あり、広島県がフジテレビに対して配慮の申し入れを行った[28]。(→フジテレビ原爆名Tシャツ問題を参照)
  • 2012年4月期放送予定の連続ドラマ「家族のうた」が、1987年にTBSで放送された連続ドラマ「パパはニュースキャスター」と設定が似ていると一部報道で指摘された。この件について、フジテレビ編成制作局のドラマ担当責任者とプロデューサーが、「パパはニュースキャスター」の脚本・伴一彦とプロデューサー・八木康夫と2012年2月20日に直接会い話し合いをもったことを、フジテレビ社長・豊田皓が同月24日の定例会見にて明かし、「模倣や盗作といわれるのは本意ではない。ご指摘の部分にはアレンジをする、直すなど現在、検討している。」とした。

事故・不祥事

所属については特記の無い限り、発生当時のものである。

番組出演中の事故

  • 1993年6月24日 - バラエティー番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の収録中に香港のロックバンドメンバーがセットから転落して死亡。この事故を受けて番組は打ち切られた。
  • 1998年9月2日、『めざましテレビ』の生放送中、災害時に高所から脱出する避難器具の体験リポートを行っていたフジテレビアナウンサー菊間千乃がマンション5階(地上約13m)の窓から落下、全治3ヶ月の重傷(腰椎圧迫骨折)を負った。
  • 2012年2月2日、お笑いコンビずんやすが『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画で新潟県内のスキー場での収録中にゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、スピードが出過ぎていたため雪で作った停止点で止まることができず、その先のトタンに腰を強打、腰の骨を折るケガをした[29]

関係者の不祥事

  • 1999年 - 美容師の腕を競わせる番組『シザーズリーグ』に出演していた「カリスマ美容師」が、無免許であることが発覚した。同番組のプロデューサーは、制作会社からの制作費のキックバックを受けていたことなどが発覚し退社。その後、金融業者・無免許美容師・美容院を恐喝し逮捕された。
  • 2005年11月14日 - ジャニーズ事務所所属のアイドルグループNEWSの未成年メンバーが仙台市内で泥酔し、トラブルを起こし補導された。その後、フジテレビアナウンサーの菊間千乃が、補導された同メンバーが未成年であることを承知で酒席に呼び出していたことが発覚。ジャニーズ事務所は同メンバーを無期限謹慎処分としてNEWSメンバーから外し、研修生に降格とした。一方、フジテレビは同アナに1週間の謹慎処分を下し、同アナの他、酒席に参加していた同局常務など10名の社員に減給減俸処分を下した。
  • 2011年8月 - 『湾岸のテレビ局』勤務を名乗る人物が、「tss3116」のアカウント名にて、F1関連の非売品をヤフーオークションにて大量に出品していたことが明らかになり、横領疑惑が浮上した。『湾岸のテレビ局』がフジテレビを指すことは当該アカウントのブログから明らかであるが、フジテレビはコメントを一切出していない[15]

キャッチフレーズ

  • 明るい家庭に楽しいテレビ(1959年開局時)
  • 母と子どものフジテレビ(1960年頃)
  • 青春は8ビート燃える秋のフジテレビ(1979年秋)
  • 80年代は8チャンネル(1980年)
  • テレビカルサマー8チャンネル(1981年夏季のみ)
  • この春もおもしろ王国フジテレビ(1983年春)
  • 暮れもお正月もおもしろロマンフジテレビ(1983年秋)
  • 軽チャーっぽい。春の8チャンネル(1984年春)
  • イマジニアっぽい人、好き。秋のフジテレビ(1984年秋)
  • 気分は○遊(マルユー)心は○知(マルチ)春の8チャンネル(1985年春)
  • 暮れもお正月もしなやか思想フジテレビ(1985年秋)
  • しなやか盛り春のフジテレビ(1986年春)
  • ニャンと、しなやか。夏休みもフジテレビ(1986年夏)
  • 8チャンネルはテレビの冒険王です(1986年秋)
  • 夢咲案内人。春のフジテレビ。(1987年春)
  • スーパーTV宣言フジテレビ(1987年秋)
  • お世話になったあの人に、フジテレビ。(1987年末)
  • 年の瀬やテレビに飽きたらフジテレビ(1987年暮)
  • 不意のお客様に、フジテレビ。(1988年1月)
  • フジテレビを見なくても生きては行ける。面白おこしで30年(1988年春)
  • フジテレビばかり見てると、ウマになるよ。(1988年夏)
  • 4月からのフジテレビに気をつけよう。(1989年春改編)
  • なんか、変化。(1989年後期)
  • ゆく変化、くる変化。(1989年末)
  • 変化新年。(1990年1月)
  • それ、世の中動かしてみませんか(1990年前期)
  • フジテレビがLOVEと言い始めた(1990年後期)
  • 新しいルールとご一緒しませんか(1991年)
  • みんなそろそろホントのことを(1992年前期)
  • 「哲学」(1992年後期)
  • サービスとは何でしょうか?(1993年)
  • テレビって…(1994年前期)
  • PUSH(1994年後期)
  • フジテレビが、いるよ。(1995年)
  • 歌えフジテレビの歌(1996年)
  • お台場ちゃんねるフジテレビ(1997年)
  • また、お会いしましたね(1997年)
  • マジ?フジ(1999年)
  • フジテレビギン(2000年)
  • ガッチャ!フジテレビ(2001年)
  • きっかけは、フジテレビ(2002年-2005年、2008年 同時期に一部の系列局で「きっかけは、○○(局名)」として使用。)
  • ちょっぴりハッピー→ちょぴハピ きっかけは、フジテレビ(2006年)
  • HAVE YOUR MEASURE きっかけは、フジテレビ(2007年)
  • 50ッス!!(2009年、開局50周年限定)
  • 生みます。(2010年秋)
  • ミトカナイトフジ!(2011年春 系列局では「ミトカナイト!」として使用。)
  • ピカる★フジテレビ(2012年春)

コーポレート・スローガン

  • 母と子のフジテレビ( - 1980年)
  • 楽しくなければテレビじゃない(1981年 - )
  • 夢・を・つ・く・る(1986年 - )

テレビの時刻出し

現在

表示時間

  • 平日朝から昼:放送開始時(通常は4:00:00) - 12:58:00
  • 平日夕:16:53:05 - 18:56.25
  • 土曜朝:放送開始時(通常は4:50:00) - 9:54:00
  • 日曜朝:放送開始時(通常は4:55:00) - 9:31:30

フォント・その他

現在のフォントは、2008年12月1日より使用されている。

標準フォントは、斜体・モノクロの平成丸ゴシックフォントが使用されている[30]。『めざにゅ〜』、『めざましテレビ』、『めざましどようび』では、斜体・赤字に白の縁取りで大きい平成角ゴシックフォントが『めざましテレビ』放送開始以来から使用されている(例 7 : 0 0)。『とくダネ!』、『笑っていいとも!』では、標準体・モノクロで、平成角ゴシックフォントが使用されている。『FNNスピーク[31]・『知りたがり!』・『FNNスーパーニュース』ではそれぞれ専用のカスタムフォントを使用。

平日9:54.00以降は、CM中および提供クレジット時には表示されない。デジタル放送では、16:9の位置に表示されている[32]

テレビ放送以外

映画事業局

フジテレビは、テレビ局であると同時に日本最大級の映画制作集団であり、映画事業局[リンク切れ]が映画制作とテレビでの映画放送を行っている。

映画事業局は、劇場用映画を制作する「映画制作部」と、『土曜プレミアム』などテレビ等で放送する映画放映権の獲得交渉・宣伝を行う「映画調整部」の2セクションに分かれる。規模で言えば、既存の映画制作会社を凌ぎ日本でも最大級である。制作する映画のほとんどは映画制作部が主体となる。映画事業局は、同局々長である亀山千広を中心に、関口大輔や臼井裕詞などの映画プロデューサーが所属。彼らが中心となり、企画から制作・配給契約・宣伝・DVD化・テレビ放送・海外セールスまでを同局が一括して管理している。配給は東宝系列で行われることが多い。

『踊る大捜査線』をはじめとして高い興行収入が見込める作品は、通常の番組への映画キャストの出演や関連特集番組の放送など、通常の番組を徹底して映画の宣伝に利用し、ドラマの視聴者を映画館に誘導して高い興行収入に結びつけるビジネスモデルを開拓。2000年代に多くのテレビ局映画を産む契機ともなった。

現在、フジテレビは同局が中心となり、株式会社GDH(アニメーション制作会社であるGONZOの持株会社)の株を第三者割当により10%取得して資本関係を結び、アニメ映画の共同制作(第一作は宮部みゆき原作、2006年夏公開の『ブレイブ・ストーリー』)を行っている。その一方で、『攻殻機動隊』シリーズで世界的な名声を誇るアニメーションおよびCG制作スタジオProduction I.Gと共同で、有限責任事業組合フジ・IG・ラボ・フォー・ムービーズ(FILM。現 FILM有限責任事業組合)を設立。同組合専用のデジタルスタジオ「FIX STUDIO」を立ち上げ、同スタジオと米国の音楽制作プロダクションスカイウォーカー・サウンドのスタジオ間に専用の大容量ネットワーク回線「スカイ・リンク」を敷設し、日米で同時並行作業が可能な体制を整えるなど、劇場用実写・アニメーション映画の制作力向上に対して積極的な姿勢を取っている。

なお、2008年4月よりフジテレビ制作の映画はWOWOWが先行放映している。

フジテレビ制作映画

1983年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
シリーズ物(2001年~)

事業部

イベント

イベントは事業部が主催している。

総合イベント
このほか、河田町時代には毎年8月8日"フジテレビの日"に河田町本社の一部と駐車場を会場に『フジテレビまつり』が開催されていた。内容は本社内部見学ツアーや、駐車場に当時の番組のブースが設けられ物販が販売されたり、駐車場の仮設ステージ上で所属アナウンサー進行によるクイズ大会や、若手芸人・タレントが参加してのステージなど。なおこの日は、本社地下のレストランで一般の人でも食事をすることができた。
シルク・ドゥ・ソレイユ日本公演

1992年より、FNS系列局との共催によって行われている。東京原宿ビッグトップをはじめ、全国の各都市で開催されている。

なお、2008年 - 2011年に東京ディズニーリゾート千葉県浦安市)内にあった常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」は、オリエンタルランド (OLC) がシルク・ドゥ・ソレイユ社、ディズニー社との業務提携により主催するものであり、フジテレビは直接関わっていない。

オープニング&クロージング映像

主な役員・社員

現在
過去

アナウンサー

主なスタジオ技術系協力会社

系列局

系列放送局各社に関しては「FNN」および「FNS」の項目を参照。

関連衛星放送

マルチメディア放送

  • mmbi - 設立時にはニッポン放送と合わせて40%を出資、本社はフジテレビ内にあった。NTTドコモによる子会社化後もニッポン放送と合わせて10%を出資。

脚注・出典

  1. ^ フジネットワークの加盟局一覧にも、略称の表記がない。放送業界ではコールサインから略称を取ることはある。テレビ朝日のEX(「全国朝日放送」時代はANB)やテレビ東京のTXなど。日本テレビ放送網ではNTVが公に使われるが、AXを使うこともある
  2. ^ ただし、芝送信所(東京タワー)内にある送信機器の都合上(送信機が当時、真空管式であったためにメンテナンスの時間を要したとされている)、完全な24時間放送ではなく、毎日30分から最大1時間程度の放送休止時間が設けられていた。しかし完全な停波ではなく、電波の送出は維持されていた(休止時間帯はカラーバーが放送されていた)。なお、芝送信所の送信機を更新した後は休止なしの完全24時間放送(終夜放送)に移行している。
  3. ^ 東芝・日本SGIフジテレビジョンへの送出系放送基幹システムを順次納入」 東芝公式サイト内ニュースリリース、2008年12月25日。
  4. ^ この番組&CM制作にあたり、スポンサーのパナソニックが3D関係の撮影、編集機材等を提供した
  5. ^ 2010年9月5日までは、関東のテレビ局では唯一、冒頭に表示するアナログ放送終了のお知らせのテロップ表記や表示形態が、開始から一度も変更されていなかったが、常時表示開始に伴い変更された
  6. ^ 認定放送持株会社体制への移行に伴う会社分割及び商号変更について(フジテレビ公式リリース)
  7. ^ これは、報道局の映像系システム全般の更新計画に伴うもので、これまでSDとHDが混在していたものをHDに統一することが主目的であるが、河田町時代から更新されずに来たワープロシステムも、この更新計画に沿ってHD対応の機材群へと更新されたものである(雑誌「放送技術」2011年1月号及び2月号より)。
  8. ^ 更新後の機材にフォントが一通りセッティングされていなかったことが理由の一つと言われている。ただし、一部番組においては番組側の都合から、平成角ゴシック体が維持されている。
  9. ^ ただし、関西テレビ制作の『にじいろジーン』は対象外で、2011年11月5日以降もモノラル音声で放送されている。
  10. ^ フジテレビ系で親局が物理チャンネル21chで送信されている局は本局以外で秋田テレビ仙台放送東海テレビの3局ある
  11. ^ スポーツ報知 2011年8月22日06時01分
  12. ^ Chosun Online朝鮮日報 2011年8月22日09:01:33
  13. ^ NEWSポストセブン 2011.08.22 07:30
  14. ^ 反韓流示威 日民眾街頭抗議 中央社 2011年8月21日
  15. ^ a b c “【報道しない自由】フジテレビが2chを閲覧しながらも薬物を報道しデモを報道しない理由”. ガジェット通信. (2011年8月26日). http://getnews.jp/archives/137850 2011年8月閲覧。 
  16. ^ 週刊新潮 2011年9月8日号
  17. ^ “お台場騒然、「韓流やめろ」コール フジ批判デモに多数参加”. J-CASTニュース. (2011年8月7日). http://www.j-cast.com/2011/08/07103785.html 2011年8月8日閲覧。 
  18. ^ 朝日新聞 2011年9月1日朝刊
  19. ^ 民放連が定めた放送基準の第109条に「私的な秘密事項の調査を業とするものは取り扱わない」という規定があり、結婚相談所はこれに該当する[要出典]
  20. ^ 浅田真央とキム・ヨナの比較報道に誤り、「とくダネ!」が謝罪。Livedoorスポーツ2008年12月18日
  21. ^ 放送人権委員会 2009年度仲介・斡旋解決事案
  22. ^ 『フジテレビから皆様へ』の『FIFA主催のサッカー中継における表記について』節を参照(2011年9月3日閲覧のウェブ魚拓)
  23. ^ “「韓日戦」フジテレビの表現 「日韓戦というべき」ネットで話題”. J-CASTニュース. (2010年10月6日). http://www.j-cast.com/2010/10/06077660.html 2011年8月8日閲覧。 
  24. ^ “「ふざけんなよ」フジTVスタッフ、首相会見で”. 読売新聞. (2011年3月21日). http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110321-OYT1T00424.htm 2011年8月8日閲覧。 
  25. ^ 「あー笑えてきた」と発言したのはフジテレビ秋元優里と報道 【台湾】
  26. ^ “フジ『とくダネ!』で小倉智昭が暴力団を肯定? 国民の声「アナウンサーが暴力団擁護すんなよ!」”. エキサイトニュース. (2011年8月24日). http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20110824/Rocketnews24_124822.html?_p=1 
  27. ^ a b 被災地ボランティアのつもりが 「27時間テレビ」設営作業の怪 週刊朝日 2011年08月19日号 2011年8月11日配信
  28. ^ “ドラマのTシャツに原爆通称名、配慮申し入れ ”. YOMIURI ONLINE . (2011年8月11日). http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110811-OYT1T00145.htm?from=main5 2011年8月11日閲覧。 
  29. ^ 「ずん」のやす 番組収録中に腰椎骨折の大ケガ 2012年2月3日スポーツニッポン
  30. ^ 2011年10月1日からはBSフジの時刻表示でも同じフォントが使用されている。
  31. ^ 2011年11月21日より表示開始。
  32. ^ 2008年12月1日に4:3の位置から移動したが、『めざまし』シリーズのフォントは2009年2月28日まで4:3の位置だった。

参考文献

  • 月刊SD編集部 編『SD別冊29号「フジテレビ本社ビルの記録 高度情報化社会の大規模複合建築の原点を求めて」』鹿島出版会、東京、1996年。 

関連項目

外部リンク