コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「オリバー・ストーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
68行目: 68行目:
私生活では3度の[[結婚]]歴があり、2度目の妻エリザベス(1993年に[[離婚]])は『トーク・レディオ』『ドアーズ』『JFK』および『天と地』で {{en|"Naijo no Ko}}(内助の功)"とクレジットされた。[[1984年]]に生まれた息子は、俳優となって父の作品に出演している。
私生活では3度の[[結婚]]歴があり、2度目の妻エリザベス(1993年に[[離婚]])は『トーク・レディオ』『ドアーズ』『JFK』および『天と地』で {{en|"Naijo no Ko}}(内助の功)"とクレジットされた。[[1984年]]に生まれた息子は、俳優となって父の作品に出演している。


[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙]]では[[民主党 (アメリカ)|民主党]]候補の[[バラク・オバマ]]候補を支持していた。[[2012年アメリカ合衆国大統領選挙]]の時は[[共和党 (アメリカ)|共和党]]から出馬していた[[リバタリアン]]の[[ロン・ポール]]候補を支持していたが、[[ミット・ロムニー]]が共和党指名を勝ち取った為、オバマ支持に回った。[[2016年]]は[[バーニー・サンダース]]と[[ジル・スタイン]]を支持した。[[2024年アメリカ合衆国大統領選挙]]の前に行われている、[[ドナルド・トランプ]]に対する訴追については「政治的なもの」と批判しトランプに同情しつつも投票はしないという一方、[[ジョー・バイデン]]も「戦争屋」と批判して、だれにも投票しないと語った<ref>{{Cite web |title=トランプ氏に対する司法闘争「ばかげている」 オリヴァー・ストーン監督 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=20240314045698a&g=afp |website=時事ドットコム |access-date=2024-05-29 |language=ja |date=2024-03-14}}</ref>。
[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙]]では[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]候補の[[バラク・オバマ]]候補を支持していた。[[2012年アメリカ合衆国大統領選挙]]の時は[[共和党 (アメリカ)|共和党]]から出馬していた[[リバタリアン]]の[[ロン・ポール]]候補を支持していたが、[[ミット・ロムニー]]が共和党指名を勝ち取った為、オバマ支持に回った。[[2016年]]は[[バーニー・サンダース]]と[[ジル・スタイン]]を支持した。[[2024年アメリカ合衆国大統領選挙]]の前に行われている、[[ドナルド・トランプ]]に対する訴追については「政治的なもの」と批判しトランプに同情しつつも投票はしないという一方、[[ジョー・バイデン]]も「戦争屋」と批判して、だれにも投票しないと語った<ref>{{Cite web |title=トランプ氏に対する司法闘争「ばかげている」 オリヴァー・ストーン監督 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=20240314045698a&g=afp |website=時事ドットコム |access-date=2024-05-29 |language=ja |date=2024-03-14}}</ref>。


親[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]、親[[ロシア]]的態度を示しており、[[2014年ウクライナ騒乱]]を題材とした、ストーンが行ったインタビューで構成されている『[[ウクライナ・オン・ファイヤー]]』は「ロシアのプロパガンダ」とウクライナ、西側で批判された。ストーンがプーチンに対して行ったインタビュー『[[オリバー・ストーン オン プーチン]]』は、「あまりにプーチン寄り」「プーチン氏への質問というより、(プーチンに対するストーンの)オマージュ」と批判された<ref>{{Cite web |title=オリバー・ストーンの甘すぎるプーチンインタビューと、その重すぎる代償 |url=https://www.newsweekjapan.jp/ishido/2022/05/post-27.php |website=Newsweek日本版 |date=2022-05-23 |access-date=2024-05-29 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite news |title=コラム:O・ストーン監督らによる「プーチン礼賛」の問題点 |url=https://jp.reuters.com/article/idUSKBN19E0FS/ |date=2017-06-23 |access-date=2024-05-29 |language=ja |first=John |last=Lloyd |agency=ロイター}}</ref>。
親[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]、親[[ロシア]]的態度を示しており、[[2014年ウクライナ騒乱]]を題材とした、ストーンが行ったインタビューで構成されている『[[ウクライナ・オン・ファイヤー]]』は「ロシアのプロパガンダ」とウクライナ、西側で批判された。ストーンがプーチンに対して行ったインタビュー『[[オリバー・ストーン オン プーチン]]』は、「あまりにプーチン寄り」「プーチン氏への質問というより、(プーチンに対するストーンの)オマージュ」と批判された<ref>{{Cite web |title=オリバー・ストーンの甘すぎるプーチンインタビューと、その重すぎる代償 |url=https://www.newsweekjapan.jp/ishido/2022/05/post-27.php |website=Newsweek日本版 |date=2022-05-23 |access-date=2024-05-29 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite news |title=コラム:O・ストーン監督らによる「プーチン礼賛」の問題点 |url=https://jp.reuters.com/article/idUSKBN19E0FS/ |date=2017-06-23 |access-date=2024-05-29 |language=ja |first=John |last=Lloyd |agency=ロイター}}</ref>。

2024年7月18日 (木) 22:13時点における版

オリヴァー・ストーン(オリバー・ストーン)
Oliver Stone
Oliver Stone
本名 William Oliver Stone
生年月日 (1946-09-15) 1946年9月15日(78歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
職業 映画監督、脚本家、映画プロデューサー
活動期間 1974年 -
配偶者 レバノンの旗 レバノンNajwa Sarkis (1971-1977)[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 Elizabeth Stone (1981-1993)
大韓民国の旗 韓国チョン・ソンジョン (1996-)
主な作品
監督
プラトーン
ウォール街』シリーズ
7月4日に生まれて
ドアーズ
JFK
ナチュラル・ボーン・キラーズ
アレキサンダー
ワールド・トレード・センター
野蛮なやつら/SAVAGES
スノーデン
脚本
ミッドナイト・エクスプレス
コナン・ザ・グレート
スカーフェイス
エビータ
製作・製作総指揮
ラリー・フリント
誘導尋問
受賞
アカデミー賞
監督賞
1986年プラトーン
1989年7月4日に生まれて
脚色賞
1978年ミッドナイト・エクスプレス
ヴェネツィア国際映画祭
審査員特別賞
1994年ナチュラル・ボーン・キラーズ
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(監督賞)
1987年『プラトーン』
名誉金熊賞
1990年
英国アカデミー賞
監督賞
1987年『プラトーン』
エミー賞
作品賞(テレビ映画部門)
1995年誘導尋問
ゴールデングローブ賞
監督賞
1986年『プラトーン』
1989年『7月4日に生まれて』
1991年JFK
脚本賞
1978年『ミッドナイト・エクスプレス』
1989年『7月4日に生まれて』
作品賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)
1995年『誘導尋問』
日本アカデミー賞
最優秀外国語作品賞
1987年『プラトーン』
1992年『JFK』
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1992年『JFK』
その他の賞
ハリウッド映画賞
監督賞
2006年ワールド・トレード・センター
備考
ハリウッド名声の歩道
テンプレートを表示

オリヴァー・ストーンOliver Stone1946年9月15日 - )は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサー脚本家

ベトナム帰還兵である自身の1年間の実体験を活かし、ベトナム戦争とそれが人間に与えた影響を描いた『プラトーン』で一躍有名になった。

経歴

ニューヨーク州ニューヨーク市出身[2]。父ルイスはウォール街で成功を収めたユダヤ系の株式仲買人で、母はフランス系のカトリック教徒であった。折衷案として米国聖公会で育つ[3][4](しかし、のちに仏教徒となった)。イェール大学で1年間学ぶが、中退してベトナム共和国に赴き、英語を教えるなどして半年程過ごす。帰国後復学するが、再び中退している。

1967年からアメリカ合衆国陸軍に従軍し、ベトナム戦争を経験。空挺部隊に所属し、LRRPと呼ばれる偵察隊に加わっていた。この任務は特殊部隊的な側面を持ち、死傷率がもっとも高かった部隊のひとつである。

除隊後にニューヨーク大学マーティン・スコセッシに師事し映画制作を学んだが、しばらくはシナリオが売れないなどスランプの時期が続いたが、1974年ホラー映画邪悪の女王英語版』(日本ではVHSスルー、原題:Seizure、あるいはQueen of Evil)で長編監督デビュー[5]。脚本を担当した1978年の『ミッドナイト・エクスプレス』で、アカデミー脚色賞を受賞。『コナン・ザ・グレート』(82)、『スカーフェイス』(83)などの脚本で頭角を現す。

プラトーン』『7月4日に生まれて』の2作品でアカデミー監督賞を2度受賞する。その他の代表作には『ウォール街』『JFK』『天と地』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』『ニクソン』『スノーデン』など。

特に『プラトーン』は、自身のベトナム戦争での体験がベースになっていると言われ、戦争という異常な状況下で人間はいかに醜く残酷になるか、そしていかに戦争が非人道的なものであるかを痛烈に訴えている。これらの作品についてはアメリカ国内では賛否が大きく、特にオリバー・ストーンと同じ世代ではその傾向が顕著である。

日本への来日の際、オリヴァー・ストーンは広島市長崎市沖縄県を訪れ、原爆資料館や米軍基地反対の沖縄住民の元を訪れた。沖縄ではジャーナリストのジョン・ミッチェルが同行した。

2017年、米国家安全保障局盗聴を告発したエドワード・スノーデンを描いた映画『スノーデン』が公開された際、「日本や韓国、北大西洋条約機構(NATO)などアメリカの同盟国と言われる国々は、僕は現実には同盟国ではなく "アメリカに人質を取られた国" だと思っている」と語った[6]

人物

JFK』『ニクソン』『ブッシュ』と現職・元アメリカ合衆国大統領をテーマにした映画を3本製作している。

映画監督を志す前は、19歳の時に小説を書いたりもした。

私生活では3度の結婚歴があり、2度目の妻エリザベス(1993年に離婚)は『トーク・レディオ』『ドアーズ』『JFK』および『天と地』で "Naijo no Ko(内助の功)"とクレジットされた。1984年に生まれた息子は、俳優となって父の作品に出演している。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党候補のバラク・オバマ候補を支持していた。2012年アメリカ合衆国大統領選挙の時は共和党から出馬していたリバタリアンロン・ポール候補を支持していたが、ミット・ロムニーが共和党指名を勝ち取った為、オバマ支持に回った。2016年バーニー・サンダースジル・スタインを支持した。2024年アメリカ合衆国大統領選挙の前に行われている、ドナルド・トランプに対する訴追については「政治的なもの」と批判しトランプに同情しつつも投票はしないという一方、ジョー・バイデンも「戦争屋」と批判して、だれにも投票しないと語った[7]

プーチン、親ロシア的態度を示しており、2014年ウクライナ騒乱を題材とした、ストーンが行ったインタビューで構成されている『ウクライナ・オン・ファイヤー』は「ロシアのプロパガンダ」とウクライナ、西側で批判された。ストーンがプーチンに対して行ったインタビュー『オリバー・ストーン オン プーチン』は、「あまりにプーチン寄り」「プーチン氏への質問というより、(プーチンに対するストーンの)オマージュ」と批判された[8][9]

1967年にベトナム戦争に志願し、翌1968年に除隊した後、メキシコで麻薬におぼれ、ヘロイン所持で逮捕されたが父親に保釈金2500ドルを出してもらって釈放してもらった[10]1999年マリファナ所持で逮捕、2005年にもマリファナ所持と飲酒運転で再び逮捕されている[11][12]。2008年には自身の映画を撮影中に自身のスタッフ三人と俳優二人が喧嘩して逮捕されている[13]

ウルトラマンガイア』に注目し「是非ともハリウッドで映画化させてほしい」とFAXを送ったことがある[14]

日本への原爆投下への認識

歴史学教授のピーター・カズニックとともに、アメリカ社会で広く知られている「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」という「原爆神話」に対して、反論をしている。『語られない米国史』のプロジェクトを始めたのは、ストーンの娘の高校教科書の広島・長崎についての記述が原爆投下を正当化するひどいものだったことがきっかけだという[15]

最近では、次の時代を担う世代への教育的見地から、ドキュメンタリーを通じて、アメリカ現代史を問い直す作業に取り組み、その成果が2012年の映像作品『The Untold History of The United States』に結実した。これを日本放送協会放映権を取得して、NHK-BS1BS世界のドキュメンタリーにより『オリヴァー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』というタイトルで、50分番組を10回に分けて、3週にわたり放送された。このドキュメンタリー番組への反響が大きかったため、2013年8月25日に『オリバー・ストーンと語る “原爆×戦争×アメリカ”』という、ストーン監督に加え、脚本を担当した歴史学者ピーター・カズニックNHKスタジオに招き、2氏へのインタビューをメインに据えた2時間番組が放送された。ストーンは広島と長崎に訪問して被爆者と対面している。ストーンは長崎原爆被爆者の谷口稜曄を「彼は日本の軍国主義にも責任があると言っていた。物事の善悪を冷静に区別している素晴らしい人だ。」と称賛した。広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、ストーンは「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(アメリカ人として)被爆者に謝罪したい」と語った。

当時のアメリカ大統領であるハリー・S・トルーマンについては非常に批判的である。トルーマン政権内では多くの軍幹部が、空襲を受けて疲弊し降伏寸前だった日本に原爆を使っても意味が無いと進言していたが、それでも耳を貸さなかったのは、対日参戦へと動いていたソ連を牽制するためと主張している。原爆投下よりもソ連対日参戦日本の降伏の決定打だと主張している。ソ連に対して「第二次世界大戦後のアメリカの勢力圏を守るという時にはアメリカは歴史上最も残虐な行為も厭わないということ」[16]を警告するためであると主張してる。ストーンは、ベトナム戦争の従軍体験から映画『プラトーン』を製作した40歳頃までは、「神話」(原爆正当論)にとらわれていたとも述べた[17]

田原総一朗ヘンリー・キッシンジャーに対して日本への原子爆弾投下についてインタビューしたことがあり、「あなた方は広島と長崎に原爆を落とした。そしてまったく何の罪もない一般市民を大量に殺した。この責任をアメリカはどうとるつもりなのか」と質問したら、キッシンジャーは「広島と長崎に原爆を落とさなければ日本は本土決戦をやるつもりだった。本土決戦で何百万人、あるいは一千万人以上の日本人が亡くなるはずだった。原爆を落とすことでその人数をかなり減らしたんだから、むしろ日本はアメリカに感謝すべきだ」と答えたという。ストーンは「キッシンジャーの見方は私たちの見方とはまったく違います。私たちは広島・長崎への原爆投下は必要なかったと思っていますし、キッシンジャーは何もわかっていない人だと思います。彼はノーベル平和賞を受賞しましたが、同時に南米各地でのアメリカの残虐行為に関わったということで、戦争犯罪人として入国できない国もたくさんあるようです」と述べた[18]

フランクリン・ルーズベルトが1943年1月にカサブランカでドイツ、イタリア、日本への「無条件降伏」を要求したことで、「無条件降伏」という「致命的な文言」が戦争終結の障害になったと批判している[19]。また、ストーンは「天皇制を保障すれば1945年5月に降伏しただろう」と述べている[20]。実際に国務次官だったジョセフ・グルーは、皇室維持条項を含む最後通告を1945年5月の段階で発していたなら、日本は6月か7月に降伏していたので原爆投下は必要なかったと述べている[21]

2016年に、ストーンはカズニックとともにロサンゼルス・タイムズに「広島への原爆投下は世界を変えたが、戦争を終結させてはいない」という記事を寄稿した。その内容は「トルーマンはソ連の侵攻により日本の敗戦が決定的になることを理解していたが原爆の投下を決断した」という内容である。

ストーンは自身の著書で広島原爆で被爆したアメリカ人について触れており、「日系アメリカ人二世」と「アメリカ人捕虜」が広島原爆で被害を受けていることを著書で述べている [22]

主な作品

監督

テレビ

製作・製作総指揮

テレビ

脚本

自作への出演

  • 『キラーハンド』 バム役
  • 『プラトーン』 爆死する司令官役
  • 『ウォール街』 トレーダー役
  • 『7月4日に生まれて』 レポーター役
  • 『ドアーズ』 UCLAの教授
  • 『ニクソン』 ナレーター
  • 『エニイ・ギブン・サンデー』 タグ

他にも俳優としての出演作が有る。『JFK』以降「政府の陰謀」というと引き合いに出されるようになり、『メン・イン・ブラック2』でも陰謀に関連付けられビデオ店の等身大パネルで顔を見せている。また『デーヴ』では自らオリバー・ストーンを演じ、陰謀説を唱えてラリー・キングに窘められるというパロディもこなした。

著作

  • 『オリヴァー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下』 2013年、早川書房ISBN 4152093676
  • 『オリヴァー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史: 2 ケネディと世界存亡の危機』 2013年、早川書房ISBN 4152093722
  • 『オリヴァー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史: 3 帝国の緩やかな黄昏』 2013年、早川書房ISBN 415209379X

脚注

  1. ^ https://www.theguardian.com/film/2010/jul/18/oliver-stone-chavez-wall-street
  2. ^ アメリカ/ニューヨーク州ニューヨーク出身 Yahoo!映画
  3. ^ The religion of director Oliver Stone
  4. ^ https://www.washingtonpost.com/wp-srv/style/longterm/movies/review97/foliverstone.htm
  5. ^ 74年にカナダで「邪悪の女王」というホラー映画で監督デビューを果たした Yahoo!映画
  6. ^ 日本は「同盟国」ではなく「人質を取られた国」:映画『スノーデン』オリヴァー・ストーン監督インタビュー”. ハフポスト (2017年2月16日). 2021年1月10日閲覧。
  7. ^ トランプ氏に対する司法闘争「ばかげている」 オリヴァー・ストーン監督”. 時事ドットコム (2024年3月14日). 2024年5月29日閲覧。
  8. ^ オリバー・ストーンの甘すぎるプーチンインタビューと、その重すぎる代償”. Newsweek日本版 (2022年5月23日). 2024年5月29日閲覧。
  9. ^ Lloyd, John「コラム:O・ストーン監督らによる「プーチン礼賛」の問題点」『』(ロイター)2017年6月23日。2024年5月29日閲覧。
  10. ^ http://soe006.tm.land.to/cinema/stone01.html
  11. ^ https://eiga.com/news/20050531/14/
  12. ^ https://www.gqjapan.jp/culture/movie/20110506/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%81%E6%96%B0%E4%BD%9C%E3%81%AF%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%82%92%E3%82%81
  13. ^ https://web.archive.org/web/20170113130140/http://www.mtvjapan.com/news/cinema/10534
  14. ^ ハイパーホビーPRESENTS キャラクターランド vol.6 2016, p. 85, 「ウルトラマンティガ放送開始20年 笈田雅人インタビュー」.
  15. ^ 「インタビュー 核といのちを考える:米国で原爆神話に挑む ピーター・カズニックさん」、『朝日新聞』2015年06月02日(火)付。
  16. ^ オリヴァー・ストーン監督とピーター・カズニック教授が語る『アメリカ史から見た原爆投下の真実』 2013.8.8
  17. ^ 『言』 原爆投下肯定論 歴史のうそ 見抜くべきだ
  18. ^ 田原総一朗 × オリヴァー・ストーン & ピーター・カズニック「武力介入は失敗するという歴史をなぜアメリカは繰り返すのか」現代ビジネス(2013年8月30日)2020年12月2日閲覧
  19. ^ 『オリヴァー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下』P310・311より。
  20. ^ 2013年8月25日放送の『オリヴァー・ストーンと語る “原爆×戦争×アメリカ”』
  21. ^ 有馬哲夫『歴史とプロパガンダ』PHP研究所2015年、pp.99-100
  22. ^ 『オリヴァー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下』P353より。
  23. ^ “スノーデンはなぜ告発を決めたのか?オリヴァー・ストーン最新作が公開決定”. 映画ナタリー. (2016年9月15日). https://natalie.mu/eiga/news/201909 2016年9月15日閲覧。 

出典

関連文献

外部リンク