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ノーベル平和賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノーベル平和賞
会場オスロ
 ノルウェー
主催ノルウェー・ノーベル委員会
初回1901年
最新回2024年
最新受賞者日本原水爆被害者団体協議会
公式サイトhttps://www.nobelprize.org/
ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会
オスロ市庁舎外観
1974年のノーベル平和賞のメダル

ノーベル平和賞ノーベルへいわしょうノルウェー語: Nobels fredspris)は、ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベル遺言によって創設された5部門のうちの一つ[1][2]

ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体である。ノーベル平和賞のメダルは、表面にはアルフレッド・ノーベルの横顔(各賞共通)、裏面には三位一体を表現した図案「Pro pace et fraternitate gentium」の文が刻まれている(受賞者名も刻まれる)[3]

概要

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創設者のノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている[1][2]。他のノーベル賞と異なり、団体も授与対象となっているのが特徴である[2]。政治情勢の影響を受けやすく、第一次世界大戦第二次世界大戦の時期等、受賞者がないことも見られた[2]

当時業績とされた実績が後から欠陥があったり、効果のないものと判明したりするために失望を招くことが多発している。そのため、賞の価値が批判されるなど受賞者選定や賞そのものの妥当性が度々指摘されており[4][5][6]、廃止の声も上がっているという。

また、受賞前の実績だけではなく、受賞後の政治的情勢を誘引する目的で贈られる場合もある。賞は、12月10日午後1時(現地時間)からオスロのオスロ市庁舎で授賞式が行われる。

選定方式

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毎年の受賞は最高3人。選考はノルウェーの国会が指名する5人の委員と選考を取り仕切る1人の書記で構成されているノルウェー・ノーベル委員会が行う。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている[7]。受賞が決まるのは例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない[7]。個人の場合は生存していること、組織の場合は現存することが条件であり、物故者への追贈はない。死後この賞を受けたのはダグ・ハマーショルドのみ(存命中に授与が決定していたため)[7]

トマーシュ・マサリクウィリアム・ハワード・タフトなどの政治家、ニコライ2世ハイレ・セラシエ1世といった君主、レフ・トルストイピエール・ド・クーベルタンなどが候補となっていたことが公表されている[7]

現在では独裁者とされる人物が推薦された例もある。1939年にはアドルフ・ヒトラーが推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであったとされる[7]。しかし武田知弘によると、推薦したのはエリク・ゴットフリード・クリスティアン・ブラント英語版でこのジョーク説は第二次世界大戦後にノーベル平和賞委員会とブラントの後付けの言い訳にすぎず、1938年9月に開かれたズデーテン割譲を巡るミュンヘン会談の結果を受けて世界に平和をもたらしたとして、ネヴィル・チェンバレンが称賛されたようにイギリスとドイツに挟まれるスウェーデンは大戦回避をもたらしたヒトラーを推薦したとしている。しかし推薦を受けた直後の1939年9月にナチス・ドイツはポーランドに侵攻を開始したため推薦は取り消された[8]。他にベニート・ムッソリーニヨシフ・スターリンフアン・ペロン夫妻もノミネートされているが、受賞には至っていない[7]

ジェーン・アダムズは1916年に初めて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである[7]

賞金

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賞金額は1901年当時の賞金額を、その年の貨幣価値に換算されたものが贈られる[9]。2012年以降、平和賞の賞金は一つの賞あたり、800万スウェーデン・クローナとされている[7]。このため共同受賞となった場合には、受賞金額を受賞者達で分け合うことになる。1976年に受賞したベティ・ウィリアムズマイレッド・コリガン=マグワイアの組織は、賞金の分配でもめてバラバラになってしまった[要出典]

論争と批判

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医学・物理・化学の科学3賞は、業績に対してある程度客観的な評価と期間を経て選考決定される。しかし、ノーベル平和賞は「現在進行形の事柄に関わる人物」も受賞対象になり、毎年選考に向けて、選考委員に対するロビー活動や政治行動が多く起こるため、選考結果を巡り、世界中で度々論議が起こる。科学3賞や、賞そのものに対して批判のあるノーベル経済学賞と比べ、政治色が強くなりがちである。平和賞受賞者が、その後に世界の失望を招くこともあり、問題視されている[10]

1974年佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞については、ベトナム戦争支援政策、中国敵視外交などを進めた佐藤の受賞を疑問視する意見もあり、フランスの『ル・モンド』紙は「驚くべき、異議のある決定」と批判している[11]

2020年に『ニューヨーク・タイムズ』は過去30年間のノーベル平和賞受賞者のうち、当時業績とされたものは後から考えると欠陥があったり、効果のないものと判明したりした6人の「疑わしい」受賞者として、エチオピアアビィ・アハメド首相(2019年受賞)、ミャンマーアウン・サン・スー・チー国家顧問(1991年受賞)、イスラエルシモン・ペレス首相、同イツハク・ラビン元首相、パレスチナ解放機構ヤーセル・アラファト議長(1994年受賞)、韓国金大中・元大統領(2000年受賞)、アメリカ合衆国バラク・オバマ大統領(2009年受賞)の名を挙げている。ノルウェー・オスロ国際平和研究所のウーダル所長も「最近では現在進行中のことに対して賞を授け、候補者たちが賞に見合った振る舞いをするよう促している」として「これは非常に危険な行為」と指摘している[5]

ノーベル平和賞受賞者の一部は、戦争を助長したと思われる行動を取ったこともあり、「ノーベル平和賞でなくノーベル戦争賞と呼ばなければいけない」という皮肉もある[12]。特に中東和平問題について広瀬隆は、イスラエルパレスチナ解放機構の秘密会談が行われた背景にアラブ人が不利になる可能性を指摘していた[注 1]

ノルウェー外交による政治アピールの側面もあるとの見方もある。2015年10月9日付けの『ディ・ヴェルト』は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」との見出しで、同紙が疑問に思う『ノーベル平和賞受賞者』を列挙した。

成果の価値の有無で物議を醸すことになった受賞例
母国から批判を招いた受賞者
受賞しなかったことで疑念を招いたケース

マハトマ・ガンディーはノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている[33]

  • 1937年には、彼の支持者の運動が時として暴力を伴ったものに発展したことや、政治的な立場の一貫性に対する疑問、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。
  • 1947年は、当時インドですでに起きていたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立への対処に関し、ガンディーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしたことで、選考委員の間に受賞に対する疑問が起きた。
  • 1948年は最終候補3人の1人で選考委員からは高い評価を得ていたが、故人に対してノーベル賞を与えられるかどうかで議論が起きた。当時は規定で除外されていなかったが、何らかの組織に所属していなかったガンディーの場合賞金を誰が受け取るかが問題になった。最終的に、受賞決定後に死亡した場合以外は故人に賞を与えるのは不適切だという結論となった。ガンディーがもう1年長生きしておれば、賞を与えられていたと考えるのが合理的であろう。
  • ガンディーがそれまでの他の平和賞受賞者とは異なるタイプの平和運動家であったこと、1947年当時のノーベル委員会には今日のように平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする考えがなかったことが影響している。委員会がイギリスの反発を恐れたという明確な証拠は見当たらない。

受賞者

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1900年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1901 アンリ・デュナン スイスの旗 スイス 国際赤十字の創設とジュネーヴ条約制定に向けての貢献
フレデリック・パシー フランスの旗 フランス共和国 列国議会同盟や国際平和会議の創設を主導したこと
1902 エリー・デュコマン スイスの旗 スイス 国際平和ビューローの名誉事務局長として
シャルル・ゴバ 列国議会同盟の事務総長として
1903 ウィリアム・ランダル・クリーマー イギリスの旗 イギリス 国際仲裁連盟英語版の書記として
1904 万国国際法学会 世界の旗 世界 不明瞭であった戦争法規の存在を喚起するなど、国際法の科学の一般的原則を策定する学会の労力に対して
1905 ベルタ・フォン・ズットナー オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 『武器を捨てよ!』の著作と、平和運動への寄与に対して
1906 セオドア・ルーズベルト アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国大統領として日露戦争の講和を斡旋したことに対して
1907 エルネスト・テオドロ・モネータ イタリア王国の旗 イタリア王国 ロンバルディア平和調停連盟の議長として
ルイ・ルノー フランスの旗 フランス共和国 フランスを代表する国際法学者であり、ハーグ平和会議における常設仲裁裁判所の判事として
1908 ポントゥス・アルノルドソン  スウェーデン スウェーデン平和と仲裁協会英語版の創設者として
フレデリック・バイエル  デンマーク スカンディナヴィア半島の和平を推進し、国際平和ビューローの名誉議長を務めたこと
1909 オーギュスト・ベールナールト ベルギーの旗 ベルギー 2度に亘るハーグ平和会議の代表を務め、列国議会同盟を先導したことに対して
エストゥールネル・ド・コンスタン フランスの旗 フランス共和国 英仏、独仏の相互理解のための国際仲裁に関する顕著な外交実績に対して

1910年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1910 国際平和ビューロー 世界の旗 世界 様々な国家間の平和社会の連携のための行動に対して
1911 トビアス・アッセル オランダの旗 オランダ 国際常設仲裁裁判所の設立
アルフレート・フリート オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ドイツ平和協会英語版の創設
1912 エリフ・ルート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 国際仲裁にかける強い関心と、彼の国際裁判所についての草案に対して
1913 アンリ・ラ・フォンテーヌ ベルギーの旗 ベルギー 国際平和ビューローの代表者として
1914 なし
1915
1916
1917 赤十字国際委員会 世界の旗 世界
1918 なし
1919 ウッドロウ・ウィルソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 国際連盟創設への貢献

1920年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1920 レオン・ブルジョワ フランスの旗 フランス共和国 国際連盟の総会議長として
1921 カール・ヤルマール・ブランティング  スウェーデン 国際連盟に対する貢献
クリスティアン・ランゲ  ノルウェー ノルウェー・ノーベル委員会の事務総長、列国議会同盟の事務局長として
1922 フリチョフ・ナンセン  ノルウェー 戦争難民の帰国および飢餓難民救済活動
1923 なし
1924
1925 オースティン・チェンバレン イギリスの旗 イギリス ロカルノ条約締結の主役として
チャールズ・ドーズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ドイツの経済を回復し安定させる計画についての研究
1926 アリスティード・ブリアン フランスの旗 フランス共和国 ロカルノ条約の締結に尽力
グスタフ・シュトレーゼマン ドイツの旗 ドイツ国
1927 フェルディナン・ビュイソン フランスの旗 フランス共和国 独仏融和への貢献に対して
ルートヴィッヒ・クヴィデ ドイツの旗 ドイツ国
1928 なし
1929 フランク・ケロッグ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ケロッグ・ブリアン協定締結に尽力

1930年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1930 ナータン・セーデルブロム  スウェーデン キリスト教相互の団結(エキュメニズム)のみならず、世界平和のためにキリスト教会を関与させることへの彼の尽力に対して
1931 ジェーン・アダムズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 婦人国際平和自由連盟の指導とその社会改革に対して
ニコラス・バトラー 不戦条約の締結推進とアメリカ合衆国における平和運動の先導者として
1932 なし
1933 ラルフ・ノーマン・エンジェル イギリスの旗 イギリス 大いなる幻影』の著作と、国際連盟への支援、並びに反戦論の敷衍による国際平和への貢献に対して
1934 アーサー・ヘンダーソン イギリスの旗 イギリス 世界軍縮会議英語版の議長として
1935 カール・フォン・オシエツキー ナチス・ドイツの旗 ドイツ国 反戦主義的ジャーナリズム活動を称えて
1936 カルロス・サアベドラ・ラマス アルゼンチンの旗 アルゼンチン パラグアイとボリビア間の対立の仲介
1937 ロバート・セシル イギリスの旗 イギリス 国際連盟における彼の業績に対して
1938 ナンセン国際難民事務所 世界の旗 世界 その難民救助活動に対して
1939 なし[注 2]

1940年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1940 なし
1941
1942
1943
1944 赤十字国際委員会 世界の旗 世界
1945 コーデル・ハル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 国際連合憲章の起草を称えて
1946 エミリー・グリーン・ボルチ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 婦人国際平和自由連盟名誉国際会長として
ジョン・モット キリスト教青年会会長として
1947 イギリス・フレンズ協議会 イギリスの旗 イギリス その慈善活動への熱意に対して
アメリカ・フレンズ奉仕団 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1948 なし
1949 ジョン・ボイド・オア イギリスの旗 イギリス 国際連合食糧農業機関の長官や、「国家平和協議会」の議長として

1950年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1950 ラルフ・バンチ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 パレスチナ和平調停に尽力し、アラブ諸国とイスラエルの停戦交渉に貢献
1951 レオン・ジュオー フランスの旗 フランス 国際労働機関創設への貢献に対して
1952 アルベルト・シュヴァイツァー 西ドイツの旗 西ドイツ ランバレネにおける外科医としての診療活動に対して
1953 ジョージ・マーシャル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マーシャル・プランに対して
1954 国際連合難民高等弁務官事務所 世界の旗 世界 東西冷戦下の難民のための政治的、法的保護に対して
1955 なし
1956
1957 レスター・B・ピアソン カナダの旗 カナダ 第二次中東戦争時に国連緊急軍の創設を提唱
1958 ドミニク・ピール ベルギーの旗 ベルギー 第二次世界大戦後のヨーロッパでの難民救済活動
1959 フィリップ・ノエル=ベーカー イギリスの旗 イギリス 生涯を通じた国際平和と国際協力への熱心な活動に対して

1960年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1960 アルバート・ルツーリ 南アフリカの旗 南アフリカ連邦 アフリカ民族会議の議長であり、南アフリカ共和国の対アパルトヘイト闘争において最前線で活動したこと
1961 ダグ・ハマーショルド[注 3]  スウェーデン 世界の平和と協力を推進し、国際連合の強化に尽力
1962 ライナス・ポーリング アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 核兵器に対する反対運動
1963 赤十字国際委員会 世界の旗 世界 ジュネーヴ条約の原則の推進と国際連合との連携
国際赤十字赤新月社連盟
1964 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動
1965 国際連合児童基金 世界の旗 世界 国際援助機関として
1966 なし
1967
1968 ルネ・カサン フランスの旗 フランス 国連人権宣言の起草に対して
1969 国際労働機関 世界の旗 世界 労働条件や生活水準の改善のための取組みに対して

1970年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1970 ノーマン・ボーローグ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 世界の食糧不足の改善に尽くした
1971 ヴィリー・ブラント 西ドイツの旗 西ドイツ 東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした、彼の東方外交に対して
1972 なし
1973 ヘンリー・キッシンジャー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ベトナム戦争の和平交渉
レ・ドゥク・ト[注 4] ベトナムの旗 北ベトナム
1974 ショーン・マクブライド アイルランドの旗 アイルランド 人権に強い関心を示し、欧州評議会を通じて欧州人権条約を規定し、アムネスティ・インターナショナルを創設、並びに国際法律家委員会の事務総長を務めたこと
佐藤栄作 日本の旗 日本 非核三原則の提唱
1975 アンドレイ・サハロフ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 人権や軍縮、およびすべての国家間協力のための彼の奮闘に対して
1976 ベティ・ウィリアムズ イギリスの旗 イギリス 北アイルランドの平和運動への貢献
マイレッド・コリガン・マグワイア
1977 アムネスティ・インターナショナル 世界の旗 世界 チリ・ピノチェト政権における国民への弾圧を告発
1978 アンワル・アッ=サーダート  エジプト キャンプ・デービッド合意
メナヘム・ベギン イスラエルの旗 イスラエル
1979 マザー・テレサ インドの旗 インド 長期間にわたる献身的な働きにより、苦しみの中にいる人々に安息をもたらした

1980年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1980 アドルフォ・ペレス・エスキベル アルゼンチンの旗 アルゼンチン ラテンアメリカの人権向上への尽力に対して
1981 国際連合難民高等弁務官事務所 世界の旗 世界 難民の移住と定着と処遇の改善に資する活動に対して
1982 アルバ・ライマル・ミュルダール  スウェーデン 国連の軍縮交渉において重要な役割を果たし、国際的な認知を得た、壮大な実績に対して
アルフォンソ・ガルシア・ロブレス メキシコの旗 メキシコ
1983 レフ・ヴァウェンサ ポーランドの旗 ポーランド 「連帯」の結党と、民主化運動の発起に対して
1984 デズモンド・ムピロ・ツツ 南アフリカの旗 南アフリカ共和国 南アフリカにおけるアパルトヘイトの問題を解決するための運動における統一的指導者としての役割に対して
1985 核戦争防止国際医師会議 世界の旗 世界 核戦争がもたらす悲惨な結果について理解を広めるのに貢献
1986 エリ・ヴィーゼル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ホロコーストに関する大統領委員会」の議長として
1987 オスカル・アリアス・サンチェス コスタリカの旗 コスタリカ 中央アメリカにおける和平調停への尽力と、ニカラグアとエルサルバドルの間の紛争を仲裁した功績に対して
1988 国際連合平和維持活動 世界の旗 世界 国連の基本的信条の実現に向けての重要な貢献に対して
1989 ダライ・ラマ14世 チベット(ガンデンポタン)の旗 チベット 非暴力によるチベット解放闘争と、チベットの歴史と文化遺産の保存のための、寛容と相互尊重に基づく平和的解決の提唱

1990年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
1990 ミハイル・ゴルバチョフ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化
1991 アウンサンスーチー ミャンマーの旗 ミャンマー ミャンマーの人権と民主主義の確立のための非暴力闘争に対して
1992 リゴベルタ・メンチュウ グアテマラの旗 グアテマラ グアテマラ先住民の人権と権利の向上のための努力に対して
1993 ネルソン・マンデラ 南アフリカの旗 南アフリカ共和国 アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いたため
フレデリック・ウィレム・デクラーク
1994 ヤーセル・アラファート パレスチナ国の旗 パレスチナ 中東へ平和を築く努力に対して
イツハク・ラビン イスラエルの旗 イスラエル
シモン・ペレス
1995 ジョセフ・ロートブラット イギリスの旗 イギリス 国際政治における当面の核兵器の削減と、長期的な核廃絶のための努力に対して
パグウォッシュ会議 世界の旗 世界
1996 カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ 東ティモールの旗 東ティモール 東ティモールにおける紛争の正当で平和的な解決への尽力
ジョゼ・ラモス=ホルタ
1997 地雷禁止国際キャンペーン 世界の旗 世界 対人地雷の禁止および除去に対する貢献
ジョディ・ウィリアムズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1998 ジョン・ヒューム イギリスの旗 イギリス 北アイルランド紛争の平和的解決の模索への尽力に対して
デヴィッド・トリンブル
1999 国境なき医師団 世界の旗 世界 アフリカ・アジア・南米の各大陸における、その先駆的な人道的活動に対して

2000年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
2000 金大中 大韓民国の旗 韓国 韓国、および一般に東アジアの民主主義と人権のための努力、特に北朝鮮との平和と和解のため
2001 国際連合 世界の旗 世界 より良く組織され、より平和な世界のための取組みに対して
Kofi Annan, Photo:Harry Wad コフィー・アナン ガーナの旗 ガーナ
2002 ジミー・カーター アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 数十年間にわたり、国際紛争の平和的解決への努力を続け、民主主義と人権を拡大させたとともに、経済・社会開発にも尽力した
2003 シーリーン・エバーディー イランの旗 イラン 民主主義と人権擁護に対する貢献
2004 ワンガリ・マータイ  ケニア 持続可能な開発、民主主義と平和に対する貢献
2005 国際原子力機関 世界の旗 世界 原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献
モハメド・エルバラダイ  エジプト
2006 ムハマド・ユヌス バングラデシュの旗 バングラデシュ 貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献
グラミン銀行
2007 気候変動に関する政府間パネル 世界の旗 世界 人為的気候変動(地球温暖化)についての問題点を広く知らしめ、気候変動防止に必要な措置への基盤を築くために努力したことに対して
アル・ゴア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
2008 マルッティ・アハティサーリ  フィンランド インドネシア・アチェ武装勢力の紛争解決への尽力に対して
2009 バラク・オバマ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 国際外交、および、諸民族間における協力強化のため、並外れた努力を払い、世界中の人々に、良き将来への希望を与えた

2010年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
2010 劉暁波 中華人民共和国の旗 中国 中国の基本的人権確立のために長期にわたる非暴力の闘いを継続した
2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ リベリアの旗 リベリア 平和構築活動に女性が安全かつ全面的に参加できるよう求めて非暴力の活動を行った
レイマ・ボウィ
タワックル・カルマン イエメンの旗 イエメン
2012 欧州連合 欧州連合の旗 欧州連合 欧州地域の安定および協調路線を図る取り組みを評価して
2013 化学兵器禁止機関 世界の旗 世界 化学兵器の排除のための多大な努力
2014 マララ・ユスフザイ[34] パキスタンの旗 パキスタン 児童と青年に対する抑圧に対する戦いとすべての児童のための教育への権利への貢献を称えて
カイラシュ・サティーアーティ インドの旗 インド
2015 チュニジア国民対話カルテット チュニジアの旗 チュニジア ジャスミン革命後の民主化への貢献に対して
2016 フアン・マヌエル・サントス  コロンビア 50年以上にわたったコロンビア内戦の終結に向けた決然たる努力に対して
2017 核兵器廃絶国際キャンペーン スイスの旗 スイス 核兵器の使用による、人類への壊滅的な結果に注目を集めさせ、その廃絶のための条約締結を達成した画期的な努力に対して
2018 デニス・ムクウェゲ  コンゴ民主共和国 戦場や紛争地域において兵器として用いられる戦時性暴力を終結させるための努力に対して
ナーディーヤ・ムラード イラクの旗 イラク
2019 アビィ・アハメド エチオピアの旗 エチオピア 平和と国際協力を達成するための努力、殊に隣国エリトリアとの国境紛争を解決するための決定的な指導力に対して

2020年代

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受賞者名 出身国 受賞理由
2020

国際連合世界食糧計画 世界の旗 世界 飢餓克服への努力、紛争地域の平和のための貢献、そして飢餓を戦争や紛争の武器として使用することを防ぐための努力において原動力としての役割を果たしたことに対して
2021 マリア・レッサ フィリピンの旗 フィリピン 民主主義と恒久的な平和の前提条件である表現の自由を守るための努力に対して
ドミトリー・ムラトフ ロシアの旗 ロシア
2022 アレシ・ビャリャツキ  ベラルーシ 母国における市民社会の代表として、長年にわたり、権力を批判し、市民の基本的人権を守るための権利を促進し、また、戦争犯罪、人権侵害、権力の濫用を記録する多大な努力によって、平和と民主主義のために、市民社会の重要性を示したことに対して
メモリアル ロシアの旗 ロシア
市民自由センター  ウクライナ
2023 ナルゲス・モハンマーディ イランの旗 イラン イランにおける女性への弾圧に抵抗し、すべての人々の人権と自由を促進するための戦いに対して
2024 日本原水爆被害者団体協議会 日本の旗 日本 核兵器のない世界の実現に長年にわたって努力し、核兵器が二度と使われてはならないことを証言を通じて示してきた」こと、また「並外れた努力が核のタブーの確立に大きく貢献した」ことに対して

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 広瀬は根拠を示すために、まず当事者のイスラエル、会場の山荘を提供したen:Orkla Group、その実質的な支配者であるen:Nobel Industriesハンブローズ銀行ヴァレンベリ家、そしてロスチャイルドを家系図と役員兼任関係で纏め上げた[13]
  2. ^ ロバート・ベーデン・パウエルに決定していたが、第二次世界大戦勃発により賞自体が取り消された。
  3. ^ 遺贈
  4. ^ 受賞辞退

出典

[編集]
  1. ^ a b ノーベル賞の国際政治学 -ノーベル平和賞の歴史的発展と選考過程-,吉武信彦,高崎経済大学地域政策学会,地域政策研究,vol.13-4,pp.23-40,2011-02
  2. ^ a b c d ノーベル平和賞、在ノルウェー日本国大使館
  3. ^ ノーベル賞のメダル”. アワードプレス. 2017年10月4日閲覧。
  4. ^ 2016年は誰が手にした? ノーベル平和賞なんていらない理由”. ITmedia ビジネスオンライン (2016年11月17日). 2020年11月16日閲覧。
  5. ^ a b 金大中・オバマ・スーチー…米紙が選ぶ「疑わしいノーベル平和賞」(朝鮮日報日本語版)”. Yahoo!ニュース. 2020年11月16日閲覧。 “ NYTは同日「疑わしいノーベル平和賞受賞者の増加」と題する記事で「ノーベル平和賞は過去30年間で最低でも6回、受賞前あるいは受賞後の言動に価値がない、場合によってはばかげていると見なされる人物を選んだ」と報じた。”
  6. ^ なぜノーベル平和賞の受賞者は、その後に世界の「失望」を招くのか”. Newsweek日本版 (2017年10月4日). 2020年11月16日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h Facts on the Nobel Peace Prize - ノーベル賞公式サイト(英語)
  8. ^ 武田知弘『なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか』ビジネス社、2019年10月15日、65頁。ISBN 978-4-8284-2136-0 
  9. ^ The Nobel Prize Amounts - ノーベル賞公式サイト(英語)
  10. ^ なぜノーベル平和賞の受賞者は、その後に世界の「失望」を招くのか”. アワードプレス (2017年10月4日). 2024年10月13日閲覧。
  11. ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京堺屋太一立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p1089。
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関連項目

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外部リンク

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