妙見菩薩
妙見菩薩 | |
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日輪・月輪・紀籍・筆を持つ四臂の尊星王(妙見) | |
名 | 妙見菩薩 |
梵名 | スドリシュティ(सुदृष्टि, Sudṛṣṭi)[1][2] |
別名 | 妙見尊星王、北辰菩薩、妙見天 等 |
経典 | 『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』 |
関連項目 | 薬師如来・十一面観音・吉祥天・玄武 |
妙見菩薩(みょうけんぼさつ、旧仮名遣:めうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)などとも呼ばれる[3]。
概要
[編集]妙見信仰の由来・拡散
[編集]妙見信仰は、インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである[4]。「菩提薩埵」とは、本来「ボーディ・サットヴァ」(梵語:bodhisattva)の音写で、「菩提を求める衆生」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている[4][5]。
インドにも北極星(ドルヴァ)や北斗七星(サプタルシ)への信仰はあるが、日本にはほとんど伝わらなかった。妙見菩薩はほぼ道教由来の神格と考えるべきである。
道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる[6]。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである[7]。
妙見信仰は中国の南北朝時代には既にあったと考えられているが、当時からの仏像は未だに確認されていない[8]。妙見を説く最古の経典は晋代失訳『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』(西暦317~420年[9][1]、大正蔵1332)である[1]。
ここでは、妙見菩薩の神呪を唱えることで国家護持の利益を得られるとされている。
唐代に入ると妙見信仰が大きく発展し、妙見関連の経典や行法が流布した。円仁の旅行記『入唐求法巡礼行記』から、当時の中国では妙見信仰が盛んであったことが窺える[1]。
妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀(飛鳥時代)のことで、高句麗・百済出身の渡来人によってもたらされたものと考えられる。当初は渡来人の多い近畿以西の信仰であったが、渡来人が朝廷の政策により東国に移住させられた影響で東日本にも広まった。正倉院文書(752年頃)に仏像彩色料として「妙見菩薩一躰並彩色」の記事、また『続日本紀』(巻三十四)には上野国群馬郡(現・群馬県高崎市)にある妙見寺に関する記載がある[注釈 1][4][11]。
妙見信仰の発展
[編集]信濃から関東・東北にかけての牧場地帯に多く見られる信仰で、「七」を聖教とし、将門伝説とは関係が深い[12]。 北斗七星の内にある破軍星(はぐんせい)[注釈 2]にまつわる信仰の影響で、妙見菩薩は軍神として崇敬されるようになった。密教経典『仏説北斗七星延命経』(唐代成立、大蔵経1307)[13]では破軍星が薬師如来と同一視されたことから[注釈 3]、妙見菩薩は薬師如来の化身とみなされた[14][15]。なお、薬師如来のほか本地仏に十一面観音[4][16]あるいは釈迦如来[17]を当てる例もある。
中世においては、鷲頭氏、大内氏、千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としていた。千葉氏は特に妙見信仰と平将門伝承を取り込み、妙見菩薩を氏神とすることで一族の結束を図った[注釈 4]。千葉氏の所領であった地域にも、必ずと言っていいほど妙見由来の寺社が見られる。千葉氏の氏神とされる千葉妙見宮(現在の千葉神社)は源頼朝から崇拝を受けたほか、日蓮も重んじた。また、千葉氏が日蓮宗の中山門流の檀越であった関係で妙見菩薩は日蓮宗寺院に祀られることが多い[6][19]。
中世初期に中国から伝来し陰陽道に取り入れられた「太上神仙鎮宅七十二霊符」(「太上秘法鎮宅霊符」とも)と呼ばれる72種の護符を司る鎮宅霊符神(道教の真武大帝に比定)とも習合された。大阪府にある小松神社(星田妙見宮)では元治元年(1865年)の鎮宅霊符の版木が伝わっており、現在もこの霊符が配布されている[4][20]。妙見信仰の聖地として有名な能勢妙見山(同府豊能郡能勢町)でも鎮宅霊符神と妙見菩薩が同一視されている[21]。
以上に加えて、地域によっては水神、鉱物神・馬の神としても信仰された。能勢がキリシタン大名の高山右近の領地であったことと、キリシタンの多い土地に日蓮宗の僧侶が送り込まれたことから、隠れキリシタンは日蓮宗系の妙見菩薩像(いわゆる能勢妙見)を天帝(デウス)に見立てたともみられている[4]。
江戸時代の平田篤胤の復古神道においては、『古事記』や『日本書紀』に登場する天之御中主神は天地万物を司る最高位の神、または北斗七星の神と位置づけられた。その影響で、明治維新の際の神仏分離令によって「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった多くの妙見神社の祭神が天之御中主神に改められた[4]。
像容
[編集]妙見信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。吉祥天に近い姿[22]、忿怒形や童子形、他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。
日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301年)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝通り妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。
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二臂の妙見菩薩
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四臂の妙見菩薩
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能勢妙見菩薩
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亀に乗る妙見菩薩
(『仏像図彙』より) -
童子形妙見菩薩
真言・種字
[編集]真言
[編集]- 妙見帰命心真言
- 妙見心中心呪
- 妙見真言(『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』より)
- 「ボチテイ トソタ アジャミタ ウトタ クキタ ハラチタ ヤビジャタ ウトタ クラチタ キマタ ソワカ」
- 「ロクチテイ トソタ アジャミタ ウトタ クキタ ハラテイタ ヤビジャタ ウトタ クラテイタ キマタ ソワカ」
種字
[編集]寺社
[編集]寺院
[編集]以下は妙見菩薩を本尊とする、あるいは妙見信仰にゆかりのある寺院の数例である。
- 相馬小高神社にあった妙見菩薩像が神仏分離令により明治5年に当山に移動された。
- 一説では平良文が創建した妙見宮が当山の前身といわれている。嘉禎元年(1235年)に秩父神社が落雷によって焼失すると秩父神社に妙見菩薩が合祀されることとなり、その150年後に妙見宮の跡地に新たに寺院(今の廣見寺)が建てられた[31]。
- 妙見菩薩に基づき「北斎辰政」と号した葛飾北斎が崇敬していた寺院として知られている。
- 妙見山別院(東京都墨田区)
- 本瀧寺(大阪府豊能郡能勢町)
- 本尊は妙見大菩薩。
神社
[編集]以下は妙見菩薩を祀っていた神社の数例である。
- 現在の祭神は天之御中主神ほか7柱。
- 古くは知々夫国造の祖神・八意思兼命と知々夫彦命を祀る神社(式内社)。嘉禎元年(1235年)に焼失した社殿の再建に際して神社北東の妙見宮(一説では廣見寺付近)の妙見菩薩が合祀され、神仏分離まで「妙見宮」として知られるようになった。明治以降は妙見菩薩が天之御中主神に改められている。
- 我野神社(埼玉県飯能市)
- 両総六妙見(千葉六妙見)
- 桓武平氏流千葉氏にゆかりのある下総国(千葉・飯高・印西[注釈 6])と上総国(周西・横田・浦田)に位置する6寺社。
- 千葉氏の氏神。当初は妙見菩薩を本尊とする寺院(千葉妙見宮・北斗山金剛授寺)であったが、神仏分離によって神社となった。現在は祭神を天之御中主神とし、「北辰妙見尊星王」をその異称としている[37]。
- 明治初年に当社の妙見菩薩像が別当寺であった妙福寺に移された。祭神は天之御中主神[38]。
- 平忠常が治安元年(1021年)に創建したと言われる。祭神は天之御中主神ほか9柱。
- 登渡神社(千葉県千葉市中央区)
- 千葉氏の一族である馬加氏が創建した神社。現在の祭神は天之御中主神。
- 鎮宅霊符神と混交した妙見菩薩が祀られていた。現在の祭神は天之御中主神。
- 主祭神は名草彦大神で、副祭神は天之御中主神以下の造化三神ほか3柱。
- 主祭神は妙見尊。
- 日本三大妙見の一つに数えられる。祭神は天之御中主神と国常立尊。
信仰塔
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d Orzech, Charles; Sørensen, Henrik; Payne, Richard, eds (2011). Esoteric Buddhism and the Tantras in East Asia. Brill. pp. 238-239. ISBN 978-9004184916
- ^ 「妙見菩薩」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 「妙見菩薩」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
- ^ a b c d e f g h “妙見菩薩と妙見信仰”. 真言宗智山派 梅松山円泉寺. 2019年10月2日閲覧。
- ^ 児玉義隆『印と梵字ご利益・功徳事典: 聖なる象徴に表された諸尊の姿と仏の教え』学研パブリッシング、2009年、147頁 。
- ^ a b “千葉氏と北辰(妙見)信仰”. 千葉市公式ホームページ. 2019年10月2日閲覧。
- ^ 高橋俊隆. “北辰妙見信仰”. 日蓮宗妙覚寺. 2019年10月2日閲覧。
- ^ Orzech, Charles; Sørensen, Henrik; Payne, Richard, eds (2011). Esoteric Buddhism and the Tantras in East Asia. Brill. pp. 127.
- ^ Shinohara, Koichi (2014). Spells, Images, and Mandalas: Tracing the Evolution of Esoteric Buddhist Rituals. Columbia University Press. pp. 4-5. ISBN 978-0231537391
- ^ “七佛八菩薩所說大陀羅尼神呪經 第2卷”. CBETA 漢文大藏經. 2019年10月10日閲覧。
- ^ 「卷第卅四」(中国語)『續日本紀』。ウィキソースより閲覧。
- ^ 福田豊彦『平将門の乱』(岩波書店、1981年)200頁
- ^ “佛說北斗七星延命經”. CBETA 漢文大藏經. 2019年11月23日閲覧。
- ^ 中西用康『妙見信仰の史的考察』平泉明事務所、2008年、32-34頁。
- ^ a b c “「星の都 さよう」における星辰信仰の中心を担う諸尊”. 高野山真言宗 分立山常光寺. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “妙見菩薩”. 仏様の世界. 龍光山正寶院 飛不動. 2019年11月23日閲覧。
- ^ 八田至行「妙見菩薩の本地」『能勢妙見山 事蹟と信仰』妙教会出版部、1925年、130-132頁。
- ^ “神紋・社紋”. 千葉神社 公式ホームページ. 2019年11月30日閲覧。
- ^ 渡辺宝陽 監修『挑戦する苦しみ喜び 日蓮その人と教え』鈴木出版、1984年、213頁。
- ^ “太上神仙鎮宅七十二霊符”. 星田妙見宮公式ホームページ. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “妙見山を知る 妙見山の歴史”. 能勢妙見山 公式ホームページ. 2020年4月26日閲覧。
- ^ 小村純江『妙見信仰の民俗学的研究―日本的展開と現代社会』青娥書房、2020年、88頁。
- ^ 羽田守快『仏尊の事典』学習研究社、1997年4月。ISBN 4-05-601347-0。
- ^ a b “妙見菩薩”. 仏様の世界. 飛不動 龍光山正寶院. 2020年4月27日閲覧。
- ^ “七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪經 (T. 1332)”. 大正新脩大藏經テキストデータベース. 2020年4月27日閲覧。
- ^ 『信仰叢書』国書刊行会編、国書刊行会、1915年、432, 440頁。
- ^ “形から引く 梵字字典”. 仏様の世界. 飛不動 龍光山正寶院. 2020年4月27日閲覧。
- ^ “相馬妙見歓喜寺”. 相馬市観光協会. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “北辰妙見大菩薩の由来”. 恵明山正教院 覚成寺. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “妙見堂(妙見宮)と妙見菩薩・平将門資料集”. 真言宗智山派 梅松山円泉寺. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “秩父妙見寺”. 曹洞宗 廣見寺. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “おとりさま 酉の市”. 酉の寺 長國寺. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “寺院紹介”. 日蓮宗 妙見山 廣龍寺 公式ウェブサイト. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “愛知県春日井市 「内々神社」と「内々神社庭園」、さらに隣接する「内津妙見寺」における「神仏習合」についての考察”. 京都芸術大学. 2024年4月20日閲覧。
- ^ “九戸神社”. 九戸村 公式ホームページ. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “星宮神社”. 龍ケ崎市 公式ホームページ. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “御祭神”. 千葉神社. 2020年7月19日閲覧。
- ^ 『千葉県の地名』平凡社地方資料センター 編、平凡社、1996年、667頁。
- ^ 村上春樹『平将門伝説』汲古書院、2001年、290頁。
- ^ “御祭神・御由緒”. 人見神社. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “横田神社”. 神社のひろば. 2020年4月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 経典・史料
- 七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経 第2巻
- 仏説北斗七星延命経
- 北辰妙見大菩薩神呪経・北辰妙見菩薩霊応編(国書刊行会編『信仰叢書』収録)
- 千葉実録(『房総叢書 第3巻』収録)
- 千葉伝考記(『房総叢書 第3巻』収録)
- 千学集抄(『房総叢書 第3巻』収録)
- 妙見実録千集記(『房総叢書 第3巻』収録)
- 寺社