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利用者:Nova replet laetitia/sandbox/歴史・地理・地図/三角縁神獣鏡

三角縁仏獣鏡 奈良県広陵町新山古墳出土 宮内庁蔵
三角縁波文帯四神二獣鏡(レプリカ。岐阜県各務原市、埋蔵文化財調査センター。一輪山古墳出土)

三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう[1][2]、さんかくぶちしんじゅうきょう[3])は、銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡

概要

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銅鏡はこれまでに弥生時代中期後半の遺跡から古墳時代の墳墓に至るまでおよそ4000面以上が発掘され[4]、このうち三角縁神獣鏡に分類される銅鏡は330面[疑問点]<!ーー「540面以上」の典拠不明-->を越えて日本で出土した鏡の中では最も数が多いが[5]、正確な出土状況や出土分布を正確に把握した資料が少ない。

日本の古墳時代前期の古墳から多く発掘され、面径は平均20センチ程度。鏡背に神獣(神像と霊獣)が鋳出され、中国、の年号を銘文中に含むものは2点発掘されている。

縁が三角になっている理由としては、ほとんどが凸面鏡であるため三角縁にすると構造上作りやすいため、あるいは、神聖な場所を囲む瑞垣をまねた、などの説がある。中国では神獣鏡でない三角縁の銅鏡が2世紀 - 3世紀の時代に紹興近辺で出土した例しかなく、朝鮮半島においても三角縁神獣鏡の出土はまったくない。

日本で三角縁神獣鏡があらわれる前の3世紀前葉には、神獣鏡類の画文帯神獣鏡と呼ばれる中国鏡が畿内を中心に出土している。これらの図画意匠を鏡裏に施した銅鏡を「画像鏡」というが、日本へもたらされた画文帯神獣鏡などの画像鏡の意匠を巧妙に変更して国内で量産したもの、という説がある。

近年の研究

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鏡の型式による分類

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近年の研究で、鏡の断面が時代とともに変化していることがわかってきた。古い鏡は、外区が厚く、それに対して内区が薄いが、時代の経過とともに外区が薄くなり、内区との差がなくなり、終いには内区と外区の厚さが同じになってしまっている。これらの変化と文様やその配置などを勘案した5段階の型式編年ができあがっている。第1段階は景初3年(239年)・正始元年(240年)前後と推定できるから、一つの段階を約10年あまりと考えて、第2段階は250年前後、第3段階は260年前後、あとの段階も同様に考える。

この違いを型式編年に利用し、鏡が出土した古墳の築造時期の判断に応用できるようになった。

生産地に関する研究

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鏡の生産地については難しい議論が進行中で解決をみていない。

従来、文様の違いから舶載鏡(中国製)・仿製鏡(国産)に分類していた。三角縁神獣鏡は仕上げの研磨が徹底しておらず鋳造時の鋳型の傷などの状態がかえって確認しやすい。これを応用して2015年に鏡の精密3次元形状計測が行われ、それまで舶載鏡とされたヘボソ塚古墳(神戸市)のものと、仿製鏡とされた鶴山丸山古墳(岡山県備前市)などからの3枚が、実際には同鋳型であることが判明した。さらに舶載鏡とされた筒野古墳(三重県松阪市)のものと仿製鏡とされた造山1号墳(島根県安来市)のものとが、これも同鋳型と判明した。この結果から、同じ鋳型から先に鋳造した銅鏡の文様を削った後に別の文様を彫り込んだ可能性を指摘した。つまり調査したすべてが舶載、もしくはすべてが仿製ということになり、文様や銘の違いで分類することに意味が薄れていた[6]

2016年には、小田中親王塚古墳石川県鹿島郡中能登町)の出土鏡(かつて同町内の白久志山御祖神社で神宝とされていたもの)が、「中国製」とされていた鏡と「国産」鏡の中間の過渡的な特徴を有するとして、両形式が一連の変遷上にあり、これも中国か日本のどちらか一方で作られた可能性を示した[7]。調査にあたった宮内庁の研究員は「個人的には三角縁神獣鏡は全て中国製」との見解を示した[7]

これとは別に、泉屋博古館久津川車塚古墳(京都府城陽市)出土の三角縁神獣鏡に、SPring-8を使った蛍光X線分析を行い中国製との結果を得ていたが、2018年黒塚古墳奈良県天理市)出土の33面の三角縁神獣鏡にも同様の調査を行い、鏡の材質が前漢の後期から三国時代に制作された古代中国鏡と組成とほぼ一致するとの結論を得て、橿原考古学研究所は、調査報告書に「黒塚古墳の研究」と題してとりあげた。[8]。ただし、中国での制作はまだ可能性にすぎず、どこで制作されたかはいまだ不明としている。

鏡の魔鏡現象

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2014年1月29日、3Dプリンターを使用して、東之宮古墳から出土した三角縁神獣鏡の複製品を作成して実験したところ、鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる魔鏡の現象が確認できたと、京都国立博物館が発表した[9]。なお、実物はなどのため、光は反射できない[10]

主な議論

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卑弥呼の鏡説

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1953年(昭和28年)、京都府相楽郡高麗村(現・木津川市)の椿井大塚山古墳から神獣鏡が出土した。小林行雄は同型の鏡が日本各地の古墳から出土している事実に着目し、「魏志倭人伝にある卑弥呼が治定した邪馬台国は奈良盆地を中心とした近畿圏にあったとの前提のもと、ヤマト王権が卑弥呼に下賜された神獣鏡を各地の豪族に与えたとする古代政権成立過程を提唱した。

卑弥呼が大量の銅鏡を有していた根拠となるのは、中国の歴史書三国志』「魏志倭人伝」にある、邪馬台国女王の卑弥呼が魏に遣使し、239年(景初3年)の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜した、とする記述である。一方で国内で既に330面以上も見つかっている三角縁神獣鏡が中国での出土例が1枚もないことから、下賜された銅鏡を国内で大量に複製創作された仿製鏡と考える説がある。

魏から下賜されたとすれば年代的には平原遺跡から多数出土している方格規矩四神鏡もしくは画文帯神獣鏡に類似したものであろうと言われている。

黒塚古墳だけで33面出土するなど、国内で大量に複製品が作られた三角縁神獣鏡はそれほど珍しくないものであったと考えられる。

三角縁神獣鏡の「銘」に関する議論

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三角縁神獣鏡が畿内を中心に出土することから、卑弥呼の鏡説をとるのは邪馬台国=畿内説をとる研究者に多かった。彼らの中には、三角縁神獣鏡を、卑弥呼の遣使を記念しての工人などに日本で作らせたとする主張も見られる。一方、銅鏡は邪馬台国=九州説を主張する研究者は、三角縁神獣鏡全体が魏の年号が記されてはいるが後世の偽作物であるとし、その根拠として、 改元されて実在しない中国の年号の銘が入った鏡があることを挙げている。

三角縁神獣鏡のうち、銘文中に魏の年号が記された鏡は4面が見つかっていて、いずれも文様の神像と獣形像が同じ方向に並ぶ同向式になっている。

景初三年」銘

『 景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜□□出吏人□□□(位)□(至)三公母人?之保子宜孫寿如金石』

正始元年」銘の同型鏡

『: □始元年陳是作鏡自有経述本自州師杜地命出寿如金石保子宜孫』

この銘について、

    • 景初3年は、
    • 漢代を代表する方格規矩四神鏡の銘文ではキッチリと押韻がなされているが、三角縁神獣鏡における銘文は韻が踏まれていない、というものがある。これより後代の三角縁神獣鏡の銘文では韻が踏まれておらず、中国で鋳造されたとは考えにくい、とするものである。

また、反論側に連なる意見として、「景初は本来4年まで存在したが、魏晋革命に関連して紀年が書き改められ、本来の景初4年は正史では景初3年として記録されるに至った」とする説もある[11]

景初4年正月となるべき月を後十二月とした年であり、年号はその混乱を示すものである。

また、景初3年1月1日に明帝が崩御しているため、その翌年が改元せずそのまま景初4年となることはありえないという意見もあるが、景初4年が存在しなければ先帝の命日に正月の祝賀行事を行うことになり、不孝となる。魏朝が景初3年12月の翌月を閏の「後12月」としたのも、新帝の正月と先帝の一周忌を一か月ずらすために景初3年に後12月を制定せざるを得なかった、という経緯がある。

    • 三角縁神獣鏡は4世紀以降の古墳から既に540面以上見つかっているのに、邪馬台国の時代である3世紀の墳墓からは1面も出土しておらず、年代が合わない。
    • 三角縁神獣鏡は中国国内では1面も出土しておらず、中国の鏡ではないと中国の学者が述べている。
    • 卑弥呼に下賜された銅鏡は100枚だが、それをはるかに超える数の三角縁神獣鏡が出土している。

仿製鏡説は、上述の議論に加え、不確実な発見例以外に中国国内からの出土の確認がないこと、椿井大塚山古墳からは36面以上、黒塚古墳からは33面出土した例をはじめ、総数で540面以上にもなる銅鏡をすべて下賜されたものとは考えられない、ことなどを根拠としている。

    • 三角縁神獣鏡が出土するのは4世紀以降の古墳のみだというが、近年の年輪年代学により古墳時代の開始は3世紀に繰り上がるという説もある、とする。

日本製鏡説等

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三角縁神獣鏡と同型の銅鏡は中国では出土しておらず、中国で既に改元された年号や実在しない年号の銘が入ったものもあることから、日本製あるいは中国から渡来した工人の製であるとする説、また中国製で船で日本に運ばれた舶載鏡とする説、日本で中国の鏡を真似て作った倣製鏡説などがある。

一方で2015年(平成27年)には中国の骨董市で三角縁神獣鏡が発見されたという報告がなされた[12]。その西川寿勝の調査により、少なくともこの鏡は贋作ではないとされるが、の出自は不明であるとしている。現在でも中国では出土が確認された三角縁神獣鏡は1面も見つかっていない[13]

三角縁神獣鏡が確認された主な古墳

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三角縁神獣鏡の府県別の[要出典]出土分布をみると、奈良県の100枚を筆頭に、京都府の66枚、兵庫県の40枚以上、大阪府が38枚と、旧大和国を中心とした近畿地方の出土が多いが、出土地は九州から東北まで全国に分布している。[疑問点]

分布の詳細
古墳名 所在地 形状 時期 特徴
東北地方
会津大塚山古墳 福島県会津若松市 4世紀 東北地方最古級、1972年(昭和47年)国の史跡に指定
関東地方
前橋天神山古墳 群馬県前橋市 前方後円墳 4世紀後半 四神四獣鏡2面出土
蟹沢古墳 群馬県高崎市 前方後円墳 正始元年」銘。持田旧48号墳の同范鏡
手古塚古墳 千葉県木更津市 仿製鏡、河合古墳、島根県造山古墳の同笵鏡
真土大塚山古墳 神奈川県平塚市西真土
白山古墳 神奈川県川崎市幸区 前方後円墳 前期で4世紀後半
中部地方
甲斐銚子塚古墳 山梨県甲府市下曽根町 前方後円墳 4世紀後半
花野谷1号墳 福井県福井市 円墳 2000年(平成12年)9月発見
森将軍塚古墳 長野県千曲市 前方後円墳 「天王日月」銘
赤門上古墳 静岡県浜松市 前方後円墳 古墳期前期 椿井大塚山古墳、佐味田宝塚古墳の同笵鏡
新豊院山2号墳 静岡県磐田市 前方後円墳 3世紀末から4世紀前半 四神四獣鏡
奥津社古墳 愛知県愛西市 円墳 墳頂にある奥津社が3面を所蔵、椿井大塚山古墳の同笵鏡
円満寺古墳 岐阜県海津市南濃町 前方後円墳 4世紀中頃
一輪山古墳 岐阜県各務原市鵜沼西町 円墳
花岡山古墳 岐阜県大垣市 前方後円墳 4世紀中頃
長塚古墳 岐阜県大垣市
野中古墳 岐阜県可児市中恵土 古墳時代前期II
東之宮古墳 愛知県犬山市 前方後方墳 国の史跡、4面出土
龍門寺一号墳 岐阜県岐阜市長良真福竜門寺
近畿地方
雪野山古墳 滋賀県東近江市 前方後円墳 椿井大塚山古墳の同范鏡
温江丸山古墳 京都府与謝郡与謝野町
久津川車塚古墳 京都府城陽市 前方後円墳 5世紀前葉 平川古墳群
椿井大塚山古墳 京都府木津川市 前方後円墳 前期 36面以上出土
闘鶏山古墳 大阪府高槻市 前方後円墳 4世紀前半 三島古墳群ファイバースコープの調査により未盗掘の竪穴式石槨内に2面を確認
黒塚古墳 奈良県天理市 前方後円墳 33面出土、椿井大塚山古墳と同笵鏡
桜井茶臼山古墳 奈良県桜井市 前方後円墳 前期
鴨都波1号墳 奈良県御所市柳田町 方墳 棺外から3三面出土
佐味田宝塚古墳 奈良県北葛城郡河合町大字佐味田字貝吹 前方後円墳 古墳時代前期 墳頂で鏡片を採集、ほかに仿製鏡の家屋文鏡を出土
新山古墳 奈良県北葛城郡広陵町 前方後円墳 6世紀後半 大塚陵墓参考地、9面が出土[1]
西求女塚古墳 兵庫県神戸市灘区 前方後方墳
ヘボソ塚古墳 兵庫県神戸市東灘区 前方後円墳 2面出土
東求女塚古墳 兵庫県神戸市東灘区 前方後円墳 前期 4面出土
コヤダニ古墳 兵庫県洲本市
吉島古墳 兵庫県たつの市 前方後円墳 銅鏡6面のうち4面を出土、椿井大塚山古墳などの同笵鏡
森尾古墳 兵庫県豊岡市森尾字市尾 「正始元年」銘鏡
中国地方
備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 銅鏡13面のうち11面を出土
鶴山丸山古墳 岡山県備前市 円墳 銅鏡30面のうち1面を出土
白鳥古墳 広島県東広島市高屋町
潮崎山古墳 広島県福山市新市町
中小田1号墳 広島県広島市東区 椿井大塚山古墳の同笵鏡
神原神社古墳 島根県雲南市加茂町 「景初三年」銘
竹島御家老屋敷古墳 山口県周南市 「正始元年」銘鏡
四国地方
奥三号墳 香川県さぬき市寒川町 前方後円墳 前期古墳期前半
西山古墳 香川県さぬき市鴨部西山 前方後円墳 前期古墳期前半
宮谷古墳 徳島県徳島市国府町 前方後円墳 3世紀末〜4世紀初頭
九州地方
那珂八幡古墳 福岡県福岡市博多区 前方後円墳 3世紀中葉 三角縁五神四獣鏡
石塚山古墳 福岡県京都郡苅田町 前方後円墳 3世紀後半 椿井大塚山古墳と同笵鏡、7面が出土
一貴山銚子塚古墳 福岡県糸島市 前方後円墳 4世紀後半 日本製の[要出典]三角縁神獣鏡8面出土
岩上祭祀遺構 福岡県宗像市沖ノ島 4世紀後半から5世紀 古代祭祀遺構であり古墳ではない
赤塚古墳 大分県宇佐市宇佐風土記の丘 前方後円墳 3世紀末 川部・高森古墳群。九州最古古墳、5面出土
伝持田古墳群 宮崎県児湯郡高鍋町持田 「天王日月」銘。椿井大塚山古墳の同范鏡[14][15]
持田旧48号墳 宮崎県児湯郡高鍋町持田 円墳 持田古墳群。前橋天神山古墳の同范鏡[14]。古墳群は昭和初期に深刻な盗掘[16]

脚注

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  1. ^ a b 主な所蔵資料/宮内庁が管理している陵墓等から出土した考古品詳細『三角縁神獣鏡』”. 宮内庁書陵部. 2018年10月14日閲覧。
  2. ^ 三角縁神獣鏡 文化遺産オンライン
  3. ^ 「神獣鏡」『国史大辞典』 吉川弘文館、「三角縁神獣鏡」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。
  4. ^ 西川寿勝. “「日本考古学 第8号『三 角縁神獣鏡と卑弥呼の鏡』,1994年” (PDF). 日本考古学協会. 2018年10月15日閲覧。
  5. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『三角縁神獣鏡』」”. コトバンク. 2018年10月15日閲覧。
  6. ^ "「中国製」「国産」同じ鋳型か 卑弥呼の「神獣鏡」、傷ほぼ一致"(日本経済新聞、2015年11月1日記事)。
    "中国製と国産が同鋳型、傷で判明 卑弥呼の鏡、製作地論争に影響"(共同通信、2015年11月1日記事(47NEWS))。
  7. ^ a b "中国製と国産の「中間」 能登で出土の三角縁神獣鏡"(日本経済新聞、2016年2月5日記事)。
  8. ^ 黒塚古墳から出土の三角縁神獣鏡は中国製? 蛍光X線分析で判明”. 産経新聞 (2018年10月13日). 2018年10月15日閲覧。
  9. ^ “「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」 3Dプリンターで復元”. 日本経済新聞. (2014年1月29日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2902G_Z20C14A1000000/ 2014年1月29日閲覧。 
  10. ^ “三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明”. NHK. (2014年1月29日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140129/k10014866311000.html 2014年1月30日閲覧。 
  11. ^ 平勢隆郎「景初の年代に関する試論」(所収:池田温 編『日中律令制の諸相』(東方書店、2002年) ISBN 978-4-497-20205-5
  12. ^ "邪馬台国論争に新材料 -卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文-"(朝日新聞、2015年3月2日記事)。
  13. ^ "三角縁神獣鏡、中国で発見か 日本人研究者が所見"(日本経済新聞、2015年12月18日記事)。
    "日本と同じ工人製作か - 中国出土の三角縁神獣鏡"(奈良新聞、2015年12月25日記事)。
  14. ^ a b 持田古墳群の形成過程とその背景
  15. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『持田古墳群』」”. コトバンク. 2018年10月23日閲覧。
  16. ^ みやざき文化財情報「持田古墳群」”. 2018年10月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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