コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ケリー・フォン・エリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケリー・フォン・エリック
ケリー・フォン・エリックの画像
1985年
プロフィール
リングネーム ケリー・フォン・エリック
本名 ケリー・ジーン・アドキッソン
ニックネーム テキサス・トルネード
The Modern Day Warrior
虎の爪
身長 191cm
体重 120kg
誕生日 1960年2月3日
死亡日 (1993-02-18) 1993年2月18日(33歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州
エリー郡バッファロー
トレーナー フリッツ・フォン・エリック
デビュー 1979年6月17日
テンプレートを表示

ケリー・フォン・エリックKerry Von Erich、本名:Kerry Gene Adkisson1960年2月3日 - 1993年2月18日)は、アメリカ合衆国プロレスラーニューヨーク州バッファロー出身。鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの息子(四男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては三男)。

WWF(現:WWE)ではテキサス・トルネードThe Texas Tornado)のニックネームでも活躍した。日本では「虎の爪」の異名を持つ。

娘のレイシー・フォン・エリック英語版も女子プロレスラーとして、2007年から2010年にかけてFCWTNAなどで活動していた[1]

来歴

[編集]

血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を主戦場に、ベテランのアーニー・ラッドマーク・ルーインザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデスキングコング・バンディファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。

1983年1月23日、ミズーリ州セントルイスハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得[2]。同年3月には全日本プロレスに初来日[3]。4月4日に鶴岡にて石川敬士、4月7日に宮城県スポーツセンターにて天龍源一郎を相手に、ミズーリ王座の防衛戦を行っている[3][4]。シリーズ中は同時参戦していたテッド・デビアスとも度々タッグを組み、テリー・ファンクを交えたトリオも実現した[4]

1984年5月6日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを破り、第67代NWA世界ヘビー級王者となる[5]。同月、王者として全日本プロレスに再来日[6]。5月22日に田園コロシアムジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5月24日に横須賀市総合体育会館で前王者フレアーに敗れ、王座から陥落した(NWA世界王者時代の挑戦者は、テリー・ゴディ、フレアー、マイク・ロトンドスーパースター・ビリー・グラハムロン・バスブラック・バート、鶴田の7名)[7]

1985年10月からはブルーザー・ブロディの仲介で新日本プロレスに来日するようになり(ブロディも同年4月より全日本から新日本へ移籍)、兄のケビン・フォン・エリックと組んで藤波辰巳&木村健吾WWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している[8]。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた[9][10]

1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う[11]。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故により傷の痛みや幻肢痛に悩まされ、それを紛らわすために薬物を使用し、ペインキラー依存症となる)。切断の件はレスラー仲間にも口外せず、義足を隠すためにブーツを履いたままシャワーを浴びていたという[11]

オートバイ事故後のケリー(1987年)

カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにおいて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得[12]。以降、当時のAWA世界ヘビー級王者ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサステネシー」の抗争を繰り広げた[13]。タイトルは勝者ローラーによって統一され、1989年よりUSWA統一世界ヘビー級王座と改称[14]。WCCWもローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたテネシーCWAとの合併でUSWAとして再出発するが、1990年9月に興行収益を巡るトラブルでテネシー派と袂を分かつ。

ケリーもUSWAを離れ、1990年夏よりWWFに参戦。8月27日のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取した[15][16]。WCCWでの盟友でもあったアルティメット・ウォリアーともタッグを組み、同年11月22日開催のサバイバー・シリーズではウォリアー&リージョン・オブ・ドゥームと "The Warriors" を結成して出場、ミスター・パーフェクト&デモリッションアックススマッシュクラッシュ)と対戦した[17]1991年3月24日にはレッスルマニアVIIにおいてディノ・ブラボーから勝利を収めている[18]。同年3月と12月には当時WWFと提携していたSWS東京ドーム大会に出場[19]、翌年7月にはWARの旗揚げ興行に参戦した[20]。WWFには1992年8月まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。

1993年コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2月18日に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅において(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルにより自らの命を絶った[21][22]

TNAでの実娘レイシー・フォン・エリック(2010年)

2007年、遺児である娘レイシー・フォン・エリック英語版WWEと育成契約を結び、傘下のFCWで女子プロレスラーとしてデビュー。2009年から2010年まではTNAに参戦した[1]

2009年4月、フォン・エリック・ファミリーの一員として、父のフリッツ、兄のケビン&デビッド、弟のマイク&クリスと共にWWE殿堂に迎えられた[23]

得意技

[編集]
  • ディスカス・パンチ(学生時代に円盤投の選手だったことを応用した回転パンチ。WWFでは「トルネード・パンチ」と呼ばれた)
  • タイガー・クロー(アイアンクロー

獲得タイトル

[編集]
ナショナル・レスリング・アライアンス
セントルイス・レスリング・クラブ
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回[2]
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション / エンターテインメント
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・フェデレーション
  • USWFテキサス・ヘビー級王座:1回
テキサス・レスリング・フェデレーション
  • TWFテキサス・ヘビー級王座:1回

フォン・エリック・ファミリー

[編集]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フリッツ・フォン・エリック
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジャック・アドキッソン・ジュニア
(幼少期に死去)
 
ケビン・フォン・エリック
 
デビッド・フォン・エリック
 
ケリー・フォン・エリック
 
マイク・フォン・エリック
 
クリス・フォン・エリック
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロス・フォン・エリック
 
マーシャル・フォン・エリック
 
 
 
レイシー・フォン・エリック英語版

脚注

[編集]
  1. ^ a b Lacey Von Erich”. Online World of Wrestling. 2012年8月18日閲覧。
  2. ^ a b NWA Missouri Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
  3. ^ a b AJPW 1983 Grand Champion Carnival I”. Puroresu.com. 2024年3月12日閲覧。
  4. ^ a b The AJPW matches fought by Kerry Von Erich in 1983”. Wrestlingdata.com. 2024年5月4日閲覧。
  5. ^ a b NWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
  6. ^ AJPW 1984 Grand Champion Carnival II”. Puroresu.com. 2024年3月12日閲覧。
  7. ^ Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1984”. Wrestling-Titles.com. 2020年2月5日閲覧。
  8. ^ NJPW 1985 Burning Spirit in Autumn”. Puroresu.com. 2020年2月5日閲覧。
  9. ^ NJPW 1986 IWGP Champion Series”. Puroresu.com. 2020年2月5日閲覧。
  10. ^ The NJPW matches fought by Kerry Von Erich in 1986”. Wrestlingdata.com. 2024年5月4日閲覧。
  11. ^ a b Jeremy Allen White's character in 'The Iron Claw' Kerry Von Erich, really wrestled his entire WWE career with only one foot, and never told anyone about it”. Business Insider (2023年12月23日). 2024年5月4日閲覧。
  12. ^ a b WCWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
  13. ^ The AWA matches fought by Kerry Von Erich in 1988”. Wrestlingdata.com. 2024年5月4日閲覧。
  14. ^ USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月12日閲覧。
  15. ^ a b History of the Intercontinental Championship”. WWE.com. 2012年8月18日閲覧。
  16. ^ a b Intercontinental Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  17. ^ WWF Survivor Series 1990”. Cagematch.net. 2024年5月4日閲覧。
  18. ^ WWF WrestleMania VII "Superstars and Stripes Forever"”. Cagematch.net. 2024年5月4日閲覧。
  19. ^ The SWS matches fought by Kerry Von Erich in 1991”. Wrestlingdata.com. 2024年5月4日閲覧。
  20. ^ The WAR matches fought by Kerry Von Erich in 1992”. Wrestlingdata.com. 2024年5月4日閲覧。
  21. ^ Who's who in the Von Erich Family?”. About.com. 2012年8月18日閲覧。
  22. ^ Kerry Von Erich”. Online World of Wrestling. 2012年8月18日閲覧。
  23. ^ a b The Von Erichs: Bio”. WWE.com. 2024年5月4日閲覧。
  24. ^ Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  25. ^ NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  26. ^ NWA American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  27. ^ NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  28. ^ NWA World Tag Team Title [Dallas]”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  29. ^ World 6-Man Tag Team Title [Dallas]”. Wrestling-titles.com. 2024年5月4日閲覧。
  30. ^ WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2024年5月4日閲覧。

外部リンク

[編集]