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キッドナップ・ブルース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キッドナップ・ブルース
KIDNAPING BLUES
監督 浅井慎平
脚本 浅井慎平
製作
出演者
音楽 山下洋輔
撮影 浅井慎平
編集 吉岡雅春
製作会社
  • バーズスタジオ
  • ATG
配給 東宝
公開 日本の旗 1982年昭和57年)10月9日
上映時間 94分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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キッドナップ・ブルース』(KIDNAPING BLUES)は、1982年昭和57年)10月9日に公開されたタモリ(タモリ一義名義)主演・浅井慎平監督・脚本撮影照明による日本映画である。 

概要

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浅井慎平が四役を一人でこなし[1][2]、浅井の人脈で豪華キャストが集結[1]。主演のタモリがノーギャラとされるため[3]、他の出演者もノーギャラか、それに近いギャラと見られる。

孤独な中年オヤジのタモリが「海が見たい」という少女と旅に出るというストーリーが、ともすれば少女誘拐に見えかねない設定に長らく封印作品だったとされ、VHSリリースはされたものの、DVD化されたのは公開から26年後の2008年平成20年)であった[1]

ストーリー

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本業はバンドマンだが今はほとんど仕事をせず、パチプロのような事をして稼いでいる中年男、森田。彼は近所に住む母子家庭で鍵っ子の孤独な少女、舞を普段から気にかけていたが、ある時彼女の「海が見たい」というつぶやきに応じて自転車で海辺まで連れていった折、そこで出会ったジャズピアニストに言われた「こういう子なら、旅をさせてもいいんじゃないか」という言葉に乗り、舞を連れた旅に出る事にする。特に行く先も決めていない二人の旅は日本のあちこちに及び、様々な人に出会っては別れる旅路が続くが、森田はほとんど家にいない舞の母親とは面識が無く、母親が出した捜索願により誘拐犯とされて指名手配されてしまう。「東京に帰ろうか」と問う森田に舞はポツリと「雪が見たい」と答え、二人は北の雪野原に向かうが、途中で寄った質屋の店主の通報により、警察の追跡はすぐそこまで迫っていた。森田が質屋で買ったカメラで舞と並んだ写真を撮ったところで、森田の収監が示唆される。

キャスト

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スタッフ

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製作

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製作費1000万円[3]。製作を伝えられた1981年(昭和56年)10月の文献に「5~6年前に実際に起こった事件を主題に、二人の珍道中が描かれます。1981年(昭和56年)12月にアップするが、公開は来年か?」と[4]、1982年(昭和57年)3月の文献にはタイトルが『KID NAPING BLUES(誘拐の唄)』と書かれたものがある[3]。タモリはノーギャラ[3]。浅井慎平との付き合いの延長として出演した[3]。タモリは出演にあたり、「(自分は)いつダメになるか、もうオチメだろうって、ずっーと思っているけど、忙しくなるばっかりで、でもいい友だちがいたので助けられたんですね」と話した[3]。映画製作中は『笑っていいとも!』はまだ始まっておらず[注 1]、映画雑誌にもタモリのプロフィールが詳しく紹介されるなど、まだ誰にでも知られる存在ではなかった[3]

映像ソフト

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VHSは『ATGビデオ文庫』のひとつとして東宝ビデオからリリースされた後、1998年(平成10年)4月24日東和ビデオ[注 2]から再発売。その後2008年(平成20年)6月25日に浅井愼平監修の下で、ニューマスター仕様のDVDジェネオン エンタテインメントから発売された[1]2021年令和3年)7月にはキングレコードからブルーレイディスクが発売されている[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『いいとも』は公開前の1982年(昭和57年)10月4日に開始。また公開当日未明(前日深夜)にはテレビ朝日で『タモリ俱楽部』が放送開始されている[1]
  2. ^ 販売元はパイオニアLDC。

出典

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  1. ^ a b c d e f 「DVD発売日一覧」6月20日の更新情報 - AV Watch
  2. ^ 石田伸也「続闇に葬られた放送禁止映像~驚天動地の35作~」『アサヒ芸能』2013年5月16日号、徳間書店、13頁。 
  3. ^ a b c d e f g 「《昔の素顔・今の横顔》(3)タモリ いつダメになるかと思いつつますます多忙!」『映画情報』1982年3月号、国際情報社、37頁。 
  4. ^ 「邦画ニュース」『シティロード』1981年10月号、エコー企画、23頁。 
  5. ^ キッドナップ・ブルース《HDニューマスター版》

外部リンク

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