1971年南アフリカグランプリ
レース詳細 | |||
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1971年F1世界選手権全11戦の第1戦 | |||
キャラミ (1967–1985) | |||
日程 | 1971年3月6日 | ||
正式名称 | Fifth AA Grand Prix of South Africa | ||
開催地 |
キャラミ 南アフリカ共和国 トランスヴァール州 ミッドラント | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 4.104 km (2.550 mi) | ||
レース距離 | 79周 324.216 km (201.458 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ティレル-フォード | ||
タイム | 1:17.8 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | マリオ・アンドレッティ | フェラーリ | |
タイム | 1:20.3 (73周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | ティレル-フォード | ||
3位 | フェラーリ |
1971年南アフリカグランプリ (1971 South African Grand Prix, アフリカーンス語:Vyfde AA Suid-Afrikaanse Grand Prix[1]) は、1971年のF1世界選手権の開幕戦として、1971年3月6日にキャラミで開催された。
レースはフェラーリのマリオ・アンドレッティが優勝した。
レース前
[編集]開幕前の1月24日にオスカル・ガルベス・サーキットで行われた非選手権レースのアルゼンチンGPで、マトラに移籍したばかりのクリス・エイモンが優勝して幸先のいいスタートを切ったが[2]、チームメイトのジャン=ピエール・ベルトワーズはその2週間前の1月10日に同サーキットで行われたスポーツカー世界選手権の開幕戦ブエノスアイレス1000kmレースでマトラ・MS660を止めたところにフェラーリ・312PBを駆るイグナツィオ・ギュンティが激突し、ギュンティは命を落とした[3]。ベルトワーズはこの事故の責任を問われ、裁判所で15日間拘留された後、過失致死罪で告発された。ベルトワーズは保釈金を支払ってフランスに帰国したが、フランス自動車競技連盟(FFAS)に3ヶ月間のライセンス停止の裁定を受けた[4]。
エントリー
[編集]主要チーム
[編集]前年の終盤5戦のうち4戦で優勝したフェラーリはV型8気筒のフォード・コスワース・DFVエンジン搭載車よりも圧倒的であり、シーズン開幕前はエースのジャッキー・イクスがチャンピオンの最有力候補と予想されていた[5]。強力な水平対向12気筒エンジンにも改良の手を加えるとともに、新車312B2の制作にも着手した。312B2は開幕前のテストで初披露されたが、クレイ・レガツォーニがテスト中に312B2を激しくクラッシュさせたため、本レースからの投入は見送られた[6]。ドライバーラインナップもエースのイクスと前年に衝撃的なデビューを果たしたレガツォーニに加え、アメリカでのレースがない場合にマリオ・アンドレッティが参加するという強力な布陣であった[7]。前年のチャンピオンチームであるロータスは若いエマーソン・フィッティパルディとレイネ・ウィセルが残留し[8]、前年に登場した72Cを走らせる傍ら、プラット・アンド・ホイットニー製のガスタービンエンジンを搭載する四輪駆動車56Bの設計も進行していた[2][注 1]。前年のシーズン終盤にコンストラクターとしてデビューを果たしたティレルはジャッキー・スチュワートとフランソワ・セベールが残留し、前年はスチュワートのみに自製マシン001が与えられた[注 2]が、長身のセベール用にホイールベースを延長した002が用意された[9]。前年に大々的に新規参入してコンストラクターズランキング3位となったマーチはドライバーラインナップをロニー・ピーターソン、アンドレア・デ・アダミッチ、アレックス・ソラー=ロイグに一新した[10]。新車711はユニークな曲線フォルムとノーズの先端に載せられたテーブル状のウィングが設置される個性的なスタイルであった[11]。エンジンはピーターソンとソラー=ロイグがDFVを、デ・アダミッチのみアルファロメオ(V8)を使用する[10]。ジャック・ブラバムが前年をもって引退し、共同創設者のロン・トーラナックに後事を託されたブラバムはベテランのグラハム・ヒルが加入し[10]、本レースのみ地元出身のデイヴ・チャールトンがラッキーストライクの支援を得てスポット参戦する[2]。マクラーレンはデニス・ハルムとピーター・ゲシンが残留し、ライジングレートサスペンションが特徴の新車M19Aをハルムが走らせる(ゲシンは前年型のM14A)[12]。BRMはエースのペドロ・ロドリゲスが残留し、マーチから移籍のジョー・シフェールと新人ハウデン・ガンレイが加わった。マシンは前年型P153の改良版でチゼル(鑿)ノーズが特徴の新車P160が投入された[12]。マトラはジャン=ピエール・ベルトワーズが残留し、マーチから移籍のクリス・エイモンが加入した[12]。ベルトワーズは前記の通りライセンスの停止により欠場を余儀なくされた[4]。マシンは前年型MS120の改良版であるMS120Bを使用する[12]。サーティースは前年をもってチーム活動を終えたロブ・ウォーカー・レーシングチームと、同チームのスポンサーであったブルックボンド/オクソの支援を受け[2]、オーナーのジョン・サーティースが自ら設計したTS7の改良熟成型TS9を走らせる。2台目にはアウト・モトール・ウント・シュポルトとアイフェラント・キャラバンのスポンサーを得たロルフ・シュトメレンがブラバムから移籍してきた。これに加えて本レースのみブライアン・レッドマンがTS7でスポット参戦する[9]。
プライベートチーム
[編集]ウィリアムズはシャシーをマーチに切り替え、アンリ・ペスカロロを走らせる[10]。ベテランのヨアキム・ボニエは自身のチームからマクラーレン・M7Cを走らせる[12]。本レースのみ参加するチーム・ガンストンはジョン・ラブがマーチ・701を、ジャッキー・プレトリウスがブラバム・BT26Aを走らせる[10]。
タイヤ
[編集]1960年代にF1を支えたダンロップが前年をもって撤退し、アメリカのグッドイヤーとファイアストンがしのぎを削る構図ができあがった。前年にダンロップを使用していたティレルはグッドイヤー、BRMはファイアストンに変更した。特にティレルはシーズン開始前からグッドイヤーのタイヤ開発に深く関与した[13]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]ジャッキー・スチュワートが練習走行から速さを見せ、2番手のクリス・エイモンに0.6秒差を付けてポールポジションを獲得した[4]。3番手のクレイ・レガツォーニがスチュワートとエイモンとともにフロントローに並ぶ[注 3]。マリオ・アンドレッティはエマーソン・フィッティパルディと2列目を得て、ジョン・サーティース、デニス・ハルム、ジャッキー・イクスは3列目に並ぶ。地元出身のデイヴ・チャールトンは12番手に入る健闘を見せた[2]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 9 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 1:17.8 | - | 1 |
2 | 19 | クリス・エイモン | マトラ | 1:18.4 | +0.6 | 2 |
3 | 5 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 1:18.7 | +0.9 | 3 |
4 | 6 | マリオ・アンドレッティ | フェラーリ | 1:19.0 | +1.2 | 4 |
5 | 2 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 1:19.1 | +1.3 | 5 |
6 | 20 | ジョン・サーティース | サーティース-フォード | 1:19.1 | +1.3 | 6 |
7 | 11 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:19.1 | +1.3 | 7 |
8 | 4 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 1:19.2 | +1.4 | 8 |
9 | 10 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 1:19.2 | +1.4 | 9 |
10 | 16 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 1:19.3 | +1.5 | 10 |
11 | 12 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 1:19.6 | +1.8 | 11 |
12 | 15 | デイヴ・チャールトン | ブラバム-フォード | 1:19.8 | +2.0 | 12 |
13 | 7 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 1:19.9 | +2.1 | 13 |
14 | 3 | レイネ・ウィセル | ロータス-フォード | 1:19.9 | +2.1 | 14 |
15 | 21 | ロルフ・シュトメレン | サーティース-フォード | 1:20.1 | +2.3 | 15 |
16 | 17 | ジョー・シフェール | BRM | 1:20.2 | +2.4 | 16 |
17 | 28 | ブライアン・レッドマン | サーティース-フォード | 1:20.2 | +2.4 | 17 |
18 | 22 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 1:20.2 | +2.4 | 18 |
19 | 14 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 1:20.5 | +2.7 | 19 |
20 | 25 | ジャッキー・プレトリウス | ブラバム-フォード | 1:21.7 | +3.9 | 20 |
21 | 24 | ジョン・ラブ | マーチ-フォード | 1:21.9 | +4.1 | 21 |
22 | 8 | アンドレア・デ・アダミッチ | マーチ-アルファロメオ | 1:22.2 | +4.4 | 22 |
23 | 23 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-フォード | 1:22.3 | +4.5 | 23 |
24 | 27 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 1:23.7 | +5.9 | 24 |
25 | 26 | アレックス・ソラー=ロイグ | マーチ-フォード | 1:25.8 | +8.0 | 25 |
決勝
[編集]スタートでクレイ・レガツォーニが首位に立つ一方、ジャッキー・スチュワートとクリス・エイモンは大きく出遅れた。エマーソン・フィッティパルディ、ジャッキー・イクス、デニス・ハルム、ペドロ・ロドリゲス、マリオ・アンドレッティがレガツォーニに続き、スチュワートはその後方を走る。ジョン・サーティースもスタートに失敗して11位、エイモンは14位まで順位を落とした[2]。ハルムは4周目にフィッティパルディを抜いて2位に浮上し[4]、17周目にはレガツォーニを抜いてから首位を独走していく。レガツォーニはハルムに抜かれてからしばらく2位を走行していたが、サーティースとアンドレッティにも抜かれた。数周後にアンドレッティがサーティースを抜いて2位に浮上した[2]。レースも残り4周となったところで、首位を走行するハルムのマクラーレン・M19Aの後部が横に流れ始めた。サスペンションからボルトが外れたのが原因で[17]、ハルムは優勝を目前にピットインを余儀なくされた。これでアンドレッティが首位に立ち、F1初勝利を挙げた。スチュワートはレース終盤までにサーティースとレガツォーニを抜いて2位でフィニッシュした。レガツォーニが3位で、フェラーリは表彰台の2つを占めた。4位のレイネ・ウィセルまでがアンドレッティと同一周回で、エイモンが5位、修理を終えてコースに復帰したハルムは6位に終わった[2]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | マリオ・アンドレッティ | フェラーリ | 79 | 1:47:35.5 | 4 | 9 |
2 | 9 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 79 | +20.9 | 1 | 6 |
3 | 5 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 79 | +31.4 | 3 | 4 |
4 | 3 | レイネ・ウィセル | ロータス-フォード | 79 | +1:09.4 | 14 | 3 |
5 | 19 | クリス・エイモン | マトラ | 78 | +1 Lap | 2 | 2 |
6 | 11 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 78 | +1 Lap | 7 | 1 |
7 | 28 | ブライアン・レッドマン | サーティース-フォード | 78 | +1 Lap | 17 | |
8 | 4 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 78 | +1 Lap | 8 | |
9 | 14 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 77 | +2 Laps | 19 | |
10 | 7 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 77 | +2 Laps | 13 | |
11 | 22 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 77 | +2 Laps | 18 | |
12 | 21 | ロルフ・シュトメレン | サーティース-フォード | 77 | +2 Laps | 15 | |
13 | 8 | アンドレア・デ・アダミッチ | マーチ-アルファロメオ | 75 | +4 Laps | 22 | |
Ret | 2 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 58 | エンジン | 5 | |
Ret | 20 | ジョン・サーティース | サーティース-フォード | 56 | ギアボックス | 6 | |
Ret | 10 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 45 | アクシデント | 9 | |
Ret | 27 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 42 | 体調不良 | 24 | |
Ret | 16 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 33 | オーバーヒート | 10 | |
Ret | 15 | デイヴ・チャールトン | ブラバム-フォード | 31 | エンジン | 16 | |
Ret | 17 | ジョー・シフェール | BRM | 31 | オーバーヒート | 12 | |
Ret | 24 | ジョン・ラブ | マーチ-フォード | 30 | ディファレンシャル | 21 | |
Ret | 25 | ジャッキー・プレトリウス | ブラバム-フォード | 22 | エンジン | 20 | |
Ret | 12 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 7 | 燃料漏れ | 11 | |
Ret | 23 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-フォード | 5 | サスペンション | 23 | |
Ret | 26 | アレックス・ソラー=ロイグ | マーチ-フォード | 5 | エンジン | 25 | |
ソース:[18]
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- 優勝者マリオ・アンドレッティの平均速度[19]
- 180.804 km/h (112.346 mph)
- マリオ・アンドレッティ - 1:20.3(73周目)
- クレイ・レガツォーニ - 16周 (1-16)
- デニス・ハルム - 59周 (17-75)
- マリオ・アンドレッティ - 4周 (76-79)
- 達成された主な記録
- ドライバー
- 初優勝/初ファステストラップ: マリオ・アンドレッティ - デビューから10戦目[注 4]。フェラーリでは唯一の優勝[4][22]。
- 初出走: アレックス・ソラー=ロイグ[23][注 5]、ハウデン・ガンレイ[24]
- 出走50戦目: ペドロ・ロドリゲス[4]
- 出走100戦目: ジョン・サーティース[4]
- コンストラクター
第1戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Motor Racing Programme Covers: 1971”. The Programme Covers Project. 7 July 2017閲覧。
- ^ a b c d e f g h “South African GP, 1971”. grandprix.com. 2020年1月19日閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 254)
- ^ a b c d e f g h “South Africa 1971”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ (林信次 1993, p. 16-17,26)
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 260-261)
- ^ (林信次 1993, p. 17,26)
- ^ (林信次 1993, p. 26)
- ^ a b (林信次 1993, p. 29)
- ^ a b c d e (林信次 1993, p. 27)
- ^ (林信次 1993, p. 21,27)
- ^ a b c d e (林信次 1993, p. 28)
- ^ (林信次 1993, p. 22)
- ^ “South Africa 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “South Africa 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “South Africa 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ (ダグ・ナイ 1989, p. 215)
- ^ “1971 South African Grand Prix”. formula1.com. 17 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “South Africa 1971 - Result”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “South Africa 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “South Africa 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “戦績:M.アンドレッティ”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “戦績:A.ソーラー=ロイグ”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “戦績:H.ガンリー”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
- ^ “戦績:ティレル”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
- ^ a b “South Africa 1971 - Championship”. STATS F1. 20 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1971 South African Grand Prix(2019年9月9日 4:37:31(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
- ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]- “chicanef1.com”. 22 July 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月8日閲覧。
- South Africa 1971 - STATS F1
- South African GP, 1971 - grandprix.com
FIA F1世界選手権 1971年シーズン |
次戦 1971年スペイングランプリ | |
前回開催 1970年南アフリカグランプリ |
南アフリカグランプリ | 次回開催 1972年南アフリカグランプリ |