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萩原誠司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
萩原 誠司
はぎわら せいじ
生年月日 (1956-04-28) 1956年4月28日(68歳)
出生地 日本の旗 日本 岡山県英田郡西粟倉村
出身校 東京大学教養学部
前職 国家公務員通商産業省
岡山県岡山市長
衆議院議員
帝京平成大学教授
現職 岡山県美作市長
所属政党自由民主党→)
新党改革→)
無所属→)
自由民主党
称号 教養学士(東京大学)
親族 父・萩原賢二(元西粟倉村長)

当選回数 4回[1]
在任期間 2014年3月30日 - 2020年7月25日
2020年8月3日 - 現職

岡山市旗 第31・32代 岡山県岡山市長
当選回数 2回
在任期間 1999年2月10日 - 2005年8月25日

選挙区 比例中国ブロック岡山2区
当選回数 1回
在任期間 2005年9月11日 - 2009年7月21日
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萩原 誠司(はぎわら せいじ、1956年昭和31年)4月28日[2] - )は、日本政治家通産官僚岡山県美作市長(4期)。

岡山県岡山市(2期)、衆議院議員(1期)を務めた。岡山県英田郡西粟倉村長を務めた萩原賢二は父。

来歴

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岡山県英田郡西粟倉村生まれ。岡山県立岡山大安寺高等学校東京大学教養学部教養学科卒業。プリンストン大学大学院(ウッドローウイルソンスクール)修了。1980年通商産業省に入省。

1999年、通産省を退官。岡山市長選挙に自民社民2党の推薦を受けて出馬し、初当選する。2003年の市長選でも再選されたが、任期途中の2005年8月、自由民主党の要請を受け、岡山市長を辞職し岡山県第2区から第44回衆議院議員総選挙に出馬。元々、岡山2区は熊代昭彦の選出選挙区であったが、熊代は首相の小泉純一郎が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため、自民党の公認を得られず、出馬を断念。熊代は萩原の辞職に伴う岡山市長選挙に立候補したが、高谷茂男に敗れ落選した。萩原は岡山2区で民主党津村啓介に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選を果たした。当選後しばらくは無派閥だったが、2007年7月に古賀派に入会した。また、2005年初当選の議員で結成された83会にも所属していた。

トンネル塵肺訴訟に関連し、全面和解に向けトンネルじん肺対策議員連盟を設立し、事務局長に就任。2007年6月、全面和解が成立した。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙に岡山2区から自民党公認で出馬するが、再び津村に敗れ、比例復活もならず落選。なお岡山2区からは熊代昭彦も無所属で出馬したが、熊代の得票数は萩原に次ぐ3位であった。落選後、9月15日に開かれた第2回自民党再生会議に出席し「何か仕事が欲しい」と発言した[3]

2010年4月、帝京平成大学教授に就任。同年5月に自民党を離党し、舛添要一らが改革クラブに合流して新たに結成された新党改革に入党。7月の第22回参議院議員通常選挙に新党改革公認で比例区から出馬したが、落選した。法政大学情報技術(IT)研究センター学術担当教授を経て、2013年より明治大学国際総合研究所客員研究員。

2014年3月、道上政男の辞職に伴い実施された美作市長選挙に無所属で立候補して当選し[4]、31日に美作市役所に初登庁した[5]

※当日有権者数:25,321人 最終投票率:65.56%(前回比:pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
萩原誠司57無所属9,517票58.13%
内海健次67無所属3,719票22.72%
岡野鉄舟65無所属3,136票19.15%

2014年8月29日、自由民主党への復党が了承され、4年ぶりに自民党の党籍を回復した[6]

2018年3月に行われた市長選に無所属で立候補。第三セクター・特産館みまさか元社長との接戦を制し、再選。投票率は65.69%[7]

※当日有権者数:24,178人 最終投票率:65.69%(前回比:+0.13pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
萩原誠司61無所属8,002票50.92%
大沢伸三68無所属7,713票49.08%

2020年6月19日、6月定例市議会に提出した教育長人事案が議員全員の反対を受けて否決されたことを受け、混乱の責任を取るため7月25日付での辞職願を提出し、出直し選挙を行う意向を表明した[8]。23日の定例市議会で萩原は、否決された教育長人事案、2020年度一般会計補正予算案などを22日付で専決処分したと報告。これを不服とする市議から問責決議案が提出され、8対8の可否同数となり、議長決裁で可決された[9]

8月2日の出直し選挙の投開票の結果、元市議の安東章治を破り3選[10]。 

※当日有権者数:23,207人 最終投票率:64.88%(前回比:-0.18pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
萩原誠司64無所属7,729票52.07%
安東章治61無所属7,115票47.93%

2022年3月13日に行われた市長選挙で4選。

※当日有権者数:22,681人 最終投票率:61.64%(前回比:-3.24pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
萩原誠司65無所属8,639票62.36%
後藤基69無所属5,214票37.64%

政策・活動

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  • 市民が市長と気軽に対話できる「オープン市長室」の実施[11]
  • 耕作放棄地の解消に向けた「草刈りオリンピック」の実施[11]
  • 人手不足を補うための「外国人3,000人構想」[11]
  • 選択的夫婦別姓制度の導入に賛成[12]

人物

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  • 趣味はスポーツや音楽[13]

所属団体・議員連盟

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脚注

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  1. ^ うち1回は出直し選挙のため実質的な任期は3期。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、334頁。
  3. ^ 「党再生会議」で麻生総裁への「恨み節」”. スポーツニッポン (2009年9月15日). 2009年9月16日閲覧。
  4. ^ 選挙:岡山・美作市長選 萩原氏が初当選”. 毎日新聞 (2014年3月31日). 2014年4月1日閲覧。
  5. ^ 「市政刷新は笑顔から」 萩原・美作市長が初登庁 岡山”. 産経新聞 (2014年4月1日). 2014年4月6日閲覧。
  6. ^ 萩原誠司氏の復党了承=自民”. 時事通信 (2014年8月29日). 2014年9月12日閲覧。
  7. ^ 美作市長に萩原誠司氏が再選 実績を強調、大沢氏との接戦制す”. 山陽新聞 (2018年3月18日). 2018年3月23日閲覧。
  8. ^ “萩原美作市長が辞表提出 教育長の人事案否決で引責”. 山陽新聞. (2020年6月19日). https://web.archive.org/web/20200622102830/https://www.sanyonews.jp/article/1023248 2020年6月22日閲覧。 
  9. ^ “美作市議会 市長の問責決議案可決 否決の教育長人事案など専決処分”. 山陽新聞. (2020年6月23日). https://www.sanyonews.jp/sp/article/1024301 2020年7月3日閲覧。 
  10. ^ “美作市長選、萩原氏が3選 出直し選で新人破る”. 山陽新聞. (2020年8月2日). https://web.archive.org/web/20200803115024/https://www.sanyonews.jp/article/1037819 2020年8月3日閲覧。 
  11. ^ a b c 「トップインタビュー 萩原誠司・岡山県美作市長」時事通信[リンク切れ]
  12. ^ 読売新聞2010年参院選 各党候補者アンケート
  13. ^ 時事通信、2014年6月4日

外部リンク

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公職
先代
道上政男
岡山市旗岡山県美作市長
2014年 -
次代
現職
先代
安宅敬祐
岡山市旗岡山県岡山市長
1999年 -2005年
次代
高谷茂男