コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

正森成二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正森 成二
まさもり せいじ
生年月日 (1927-01-19) 1927年1月19日
出生地 日本の旗 日本 兵庫県
没年月日 (2006-10-18) 2006年10月18日(79歳没)
死没地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
出身校 東京大学法学部
所属政党 日本共産党

選挙区旧大阪1区→)
比例中国ブロック
当選回数 9回
在任期間 1972年12月10日 - 1997年11月6日
テンプレートを表示

正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 2006年10月18日)は、日本の政治家弁護士自由法曹団)。

来歴・人物

[編集]

兵庫県出身。旧神戸一中・旧静岡高校を経て、東京大学法学部卒。弁護士時代には大教組の勤評闘争事件の主任弁護士などを担当した。1972年第33回衆議院議員総選挙旧大阪1区から初当選。元々は反党活動で除名された志賀義雄の地盤ということもあり、その影響の払拭に尽力した。以後当選連続9回。

この間、国会では衆院大蔵委員会や法務委員会予算委員会に所属し、大蔵、法務、決算行政監視沖縄北方特別の各委員会の理事、宗教法人に関する特別委員会委員、裁判官弾劾裁判所裁判員を務めた。

1997年10月30日、衆議院の院議により、議員在職25年を表彰された。同年11月6日、健康上の理由で議員辞職して政界引退。引退後は日本共産党の名誉役員となった。

2006年10月18日午前9時40分、多臓器不全のため大阪市の病院で死去。享年79歳。

浜田幸一による「宮本顕治のリンチ疑惑」発言

[編集]

1988年(昭和63年)の予算委員会で、委員長浜田幸一の過去の発言を引用して、「過激派泳がせ政策」の存在について正森が追及していたところ、浜田がその発言を認めたうえで「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました」などと主張した。浜田からの言質は得られたものの逆に共産党への挑発を受けた正森は、過激派の話題を切り上げて他の質問に移った。

しかしその後、円ドル為替問題の質疑中の正森を浜田が唐突に遮り、「昭和8年12月24日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……」「針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね。」「私が言っているのは、ミヤザワケンジ[1]君が人を殺したと言っただけじゃないですか。」等と発言し出し[2]、委員会は大荒れとなった。この結果1ヶ月間委員会審議が空転し、浜田は辞任した[3]

選挙歴

[編集]
当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 45 旧大阪1区 日本共産党 6万7263票 21.8% 3 2/6 /
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月05日 49 旧大阪1区 日本共産党 6万7851票 21.7% 3 3/6 /
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月07日 52 旧大阪1区 日本共産党 7万6635票 26.8% 3 2/7 /
第36回衆議院議員総選挙 1980年06月22日 53 旧大阪1区 日本共産党 7万6850票 24.2% 3 2/6 /
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 56 旧大阪1区 日本共産党 7万1032票 25.7% 3 2/4 /
第38回衆議院議員総選挙 1986年07月06日 59 旧大阪1区 日本共産党 7万7751票 24.2% 3 2/6 /
第39回衆議院議員総選挙 1990年02月18日 63 旧大阪1区 日本共産党 6万6642票 20.4% 3 3/6 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 66 旧大阪1区 日本共産党 7万7082票 24.6% 3 2/5 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 69 比例中国 日本共産党 13 / 1/1

政策

[編集]

家族

[編集]

著書

[編集]
  • 『大きなひとみで』
  • 『道ひとすじに』
  • 『質問する人、逃げる人』

その他

脚注

[編集]
  1. ^ 宮本顕治を宮沢賢治と言い間違えた。
  2. ^ 第112回国会 予算委員会 第7号議事録”. 国会会議録検索システム (1988年2月6日). 2017年9月30日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞の正森の追悼記事によると浜田は正森と出会ったときに、「俺の首をとりやがって」と話しかけたという。
  4. ^ 第140回国会 法務委員会 12号
  5. ^ 千里タイムズ(2011年1月28日 1968号)