伍賀厚
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伍賀厚 ごが ひろし | |
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生年月日 | 1902年6月8日 |
出生地 |
日本 岡山県上道郡可知村 (現・岡山県岡山市東区) |
没年月日 | 1983年11月16日(81歳没) |
出身校 | 上道郡可知実業補習学校卒業 |
前職 | 岡山市助役 |
現職 | 岡山市市政相談員 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1957年2月20日 - 1969年2月17日 |
伍賀 厚(ごが ひろし、1902年6月8日[1] - 1983年11月16日[2])は、日本の政治家。岡山県西大寺市(現・岡山市)長。
来歴
[編集]岡山県上道郡可知村出身[1]。上道郡可知実業補習学校卒[1]。1922年、岡山県書記となり、のち、民生部勤労課長となる[1]。1946年、岡山県庁を退職し、岡山市役所に転じ、理事兼復興第一部長となる[1]。1947年、岡山市助役となる。1957年、西大寺市長選挙に立候補して、市議会副議長、元雄神村長の新人2人を破って初当選を果たした[3]。1961年、無投票で再選を果たした[4]。1965年、無投票で3選を果たした[5]。1968年、岡山市から合併の申し入れを受けた[6]。その後、1969年2月18日に岡山市と合併した[7]。退任後は岡山市の市政相談員となった[1]。1983年11月16日、腎不全のため死去した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『岡山歴史人物事典』、421頁。
- ^ a b 『岡山県関係新聞記事索引 昭和58年 227コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『山陽年鑑 昭和33年版 67コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『山陽年鑑 昭和37年版 39コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『山陽年鑑 昭和41年版 49コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『岡山市と周辺市町村合併の記録 29コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『岡山市と周辺市町村合併の記録 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。