窪谷逸次郎
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窪谷 逸次郎(くぼたに いつじろう、1873年(明治6年)1月27日 - 1937年(昭和12年)7月26日[1])は、内務官僚、岡山市長。
経歴
[編集]岡山県浅口郡船穂町(現在の倉敷市)出身[1]。坪井良一郎の二男として生まれ、窪谷勝蔵の養子となった。1896年(明治29年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。1900年(明治33年)、判事検事登用試験に合格し、さらに高等文官試験にも合格した。1902年(明治35年)に検事となり、東京区裁判所・東京地方裁判所に勤務した。翌年、辞職して弁護士を開業した。
その後内務属として内務省に入り、大阪府警視、関東州民政署警視、関東都督府事務官兼参事官、統監府書記官、佐賀県事務官・警察部長、熊本県事務官・警察部長、高知県内務部長、群馬県内務部長を歴任した。
退官後の1923年(大正12年)から岡山市長を務めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。