第61師団 (日本軍)
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第61師団 | |
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創設 | 1943年(昭和18年)3月13日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 東京-南京-上海 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 鵄(とび) |
補充担任 | 東京師管・東京師管区 |
最終上級単位 | 第13軍 |
最終位置 | 江蘇省 上海 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
第61師団(だいろくじゅういちしだん)は、1943年から1945年まであった大日本帝国陸軍の師団である。
沿革
[編集]1943年(昭和18年)3月13日の軍令陸甲第22号により、第61独立歩兵団を基幹に編成が命じられた[1]。東京で編成後、第13軍の戦闘序列に入り[1]、南京からビルマ戦線に転用された第15師団から任務を引き継ぐため南京に移動した。南京から蕪湖にかけての区域の警備に当たった。
師団編成当初には所属の砲兵隊がなかったが、1945年(昭和20年)2月に師団迫撃砲隊が編成された。
その後、上海に移動し連合国軍の上陸に備え、その準備を行なうと共に治安警備に従事する中で終戦を迎えた。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 山下哲夫 大佐:1943年(昭和18年)3月18日 - 終戦[3]
最終司令部構成
[編集]- 参謀長:山下哲夫大佐
- 参謀:永田忠正中佐
- 高級副官:赤堀篤中佐
- 経理部長:福永定治郎主計大佐
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第101連隊(東京):野村懋大佐
- 歩兵第149連隊(甲府):岡村誠之大佐
- 歩兵第157連隊(佐倉):赤松貞雄大佐
- 第61師団迫撃砲隊:杉山重太郎少佐
- 第61師団通信隊:松原常雄少佐
- 第61師団工兵隊:清水達男大尉
- 第61師団輜重隊:小川福次郎少佐
- 第61師団野戦病院:高尾利弘大尉
- 第61師団病馬廠:小林芳治大尉
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。
- 防衛庁防衛研修所戦史部『陸軍軍戦備』(戦史叢書)、朝雲新聞社、1979年。