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第136師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第136師団
創設 1945年(昭和20年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満洲
編成地 満洲 奉天省海城
通称号/略称 不抜
補充担任 関東軍管区
最終上級単位 第3方面軍
最終位置 満洲 奉天
戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
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第136師団(だいひゃくさんじゅうろくしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満洲居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。

しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。

同年7月、第136師団は、「根こそぎ動員」の際に満洲で召集された邦人男子のみで編成された。7月31日に海城で編成が完結したが、充足率は約6割で火砲も定数の半分程度という状況であった。第3方面軍の直属として本渓で陣地構築を行った。同年8月9日のソ連対日参戦時には、奉天で陣地構築を行っていたが、戦いを交えることなく停戦した。

第136師団のほか、第134第135第137第138第139第148第149師団が同時に編成された。

師団概要

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歴代師団長

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  • 中山惇 中将:1945年(昭和20年)7月16日 - 終戦[1]

参謀長

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  • 伊地知季春 大佐:1945年(昭和20年)7月26日 - 終戦[2]

最終司令部構成

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  • 参謀長:伊知地季春大佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第371連隊(満洲):前田瑞穂大佐
  • 歩兵第372連隊(満洲):重松光雄中佐
  • 歩兵第373連隊(満洲):河野桂十郎少佐
  • 砲兵第136連隊
  • 工兵第136連隊
  • 輜重兵第136連隊
  • 第136師団挺進大隊
  • 第136師団通信隊

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』295頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』465頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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