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戦車第1師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戦車第1師団
創設 1942年(昭和17年)6月24日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵科 機甲兵
兵種/任務 機甲師団
所在地 満州-栃木県
編成地 満州 寧安
通称号/略称
補充担任 福岡
最終上級単位 第36軍
最終位置 栃木県 栃木市吹上
戦歴 太平洋戦争
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戦車第1師団(せんしゃだいいちしだん、旧字体戰車第一師團)は、大日本帝国陸軍機甲師団の一つ。当初4個戦車連隊、1個機動歩兵連隊、1個機動砲兵連隊などの部隊で構成された。

沿革

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1942年(昭和17年)6月、第1戦車団を基幹に満州寧安で編成され、機甲軍に属した。満州東部国境付近に配置され、教育錬成を実施し有事の際には第1方面軍に配備する計画であった。

1944年(昭和19年)4月、所属の戦車第9連隊は第31軍に編入され、サイパン島へ移動した。次いで、所属の戦車第3連隊と師団防空隊は大陸打通作戦に加わった。

1945年(昭和20年)3月、本土決戦に備えるため、戦車第1師団は日本本土へ移動し、第12方面軍第36軍に編入された。師団司令部と戦車第1連隊は佐野に、戦車第5連隊は栃木県金丸原(のち埼玉県加須町へ移動)に、機動歩兵第1連隊及び機動砲兵第1連隊を栃木市にそれぞれ配置した。

連合軍の上陸想定地を、九十九里浜を第一とし、他に相模湾鹿島灘を考慮し準備を整えた。優勢な連合国軍の攻撃に対応するため夜間行動を予定し、筑波山東側と多摩川西側に掩蔽部を構築するなどの準備を行ったが、戦闘を交えることなく終戦を迎えた。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 清水馨 中佐:1942年(昭和17年)7月19日 - 終戦[3]

最終司令部構成

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  • 参謀長:清水馨大佐
    • 参謀:樋口六之助少佐
  • 高級副官:宮地育三中佐
  • 経理部長:岸本勘一主計大佐

機甲軍創設時の戦車第1師団所属部隊

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  • 戦車第1旅団
  • 戦車第2旅団
  • 機動歩兵第1連隊
  • 機動砲兵第1連隊
  • 戦車第1師団速射砲隊
  • 戦車第1師団捜索隊→戦車第26連隊に改編 第1軍第109師団に転属 昭和19年 硫黄島で全滅
  • 戦車第1師団防空隊
  • 戦車第1師団工兵隊
  • 戦車第1師団整備隊
  • 戦車第1師団輜重隊

(昭和17年6月24日 軍令陸第42号)

最終所属部隊

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  • 戦車第1連隊(福岡):中田吉穂大佐
  • 戦車第5連隊(福岡):杉本守衛大佐
  • 機動歩兵第1連隊(久留米):沢敏行大佐
  • 機動砲兵第1連隊(福岡):神部英彦中佐
  • 戦車第1師団速射砲隊:須山正規少佐
  • 戦車第1師団工兵隊:安藤進少佐
  • 戦車第1師団整備隊:鈴木宣少佐
  • 戦車第1師団輜重隊:前野重弘中佐
  • 戦車第1師団通信隊:森田一雄少佐

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』331頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』336-337頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』451頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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