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第77師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第77師団
創設 1944年(昭和19年)3月27日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 旭川-勇払-加治木
編成地 旭川
通称号/略称 稔(ねん)
補充担任 旭川師管区
最終上級単位 第16方面軍
最終位置 鹿児島県 加治木
戦歴 太平洋戦争
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第77師団(だいななじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1944年3月、旭川の第7師団が道東へ進出することに伴い、留守第7師団を基幹に編成され、第5方面軍に編入された。第77師団の担当区域は大雪山系より西側地域で、師団は勇払海岸に移動し陣地構築を行った。

1945年(昭和20年)5月、九州に転用され第16方面軍に編入。当初は川内地域に駐屯し、のち加治木に移り本土決戦に備えている中で終戦を迎えた。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 久世弥三吉 大佐:1944年(昭和19年)4月1日 - 1945年7月16日[2]
  • 欠員:1945年(昭和20年)7月17日 - 終戦[3]

最終司令部構成

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  • 高級参謀:桑原勝雄中佐
  • 高級副官:桜井平次郎少佐
  • 兵器部長:藤田又八郎大佐
  • 経理部長:石川安之助主計中佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第98連隊(旭川):太田源助大佐
  • 歩兵第99連隊(旭川):山口武臣大佐
  • 歩兵第100連隊(旭川):上原清二中佐
  • 騎兵第77連隊(旭川):尾高三郎中佐
  • 山砲兵第77連隊(旭川):一柳恒市中佐
  • 工兵第77連隊(旭川):三輪本雄少佐
  • 輜重兵第77連隊(旭川):大野慶三少佐
  • 第77師団速射砲隊:新田次衛少佐
  • 第77師団通信隊:安田栄少佐
  • 第77師団衛生隊:森清大尉
  • 第77師団第1野戦病院:新川輝明大尉
  • 第77師団第4野戦病院:明石勝丈大尉
  • 第77師団制毒隊:間野清中尉
  • 第77師団兵器勤務隊:野村亮一中尉
  • 第77師団病馬廠:佐藤雄吾大尉

第77師団編合

  • 独立山砲兵第7連隊:田島昌治少佐
  • 独立工兵第75大隊:石浜真琴少佐

脚注

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  1. ^ a b 『日本陸海軍総合事典』第2版、378頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』397頁。
  3. ^ 『帝国陸軍編制総覧』1142頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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