第77師団 (日本軍)
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第77師団 | |
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創設 | 1944年(昭和19年)3月27日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 旭川-勇払-加治木 |
編成地 | 旭川 |
通称号/略称 | 稔(ねん) |
補充担任 | 旭川師管区 |
最終上級単位 | 第16方面軍 |
最終位置 | 鹿児島県 加治木 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
第77師団(だいななじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]1944年3月、旭川の第7師団が道東へ進出することに伴い、留守第7師団を基幹に編成され、第5方面軍に編入された。第77師団の担当区域は大雪山系より西側地域で、師団は勇払海岸に移動し陣地構築を行った。
1945年(昭和20年)5月、九州に転用され第16方面軍に編入。当初は川内地域に駐屯し、のち加治木に移り本土決戦に備えている中で終戦を迎えた。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]最終司令部構成
[編集]- 高級参謀:桑原勝雄中佐
- 高級副官:桜井平次郎少佐
- 兵器部長:藤田又八郎大佐
- 経理部長:石川安之助主計中佐
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第98連隊(旭川):太田源助大佐
- 歩兵第99連隊(旭川):山口武臣大佐
- 歩兵第100連隊(旭川):上原清二中佐
- 騎兵第77連隊(旭川):尾高三郎中佐
- 山砲兵第77連隊(旭川):一柳恒市中佐
- 工兵第77連隊(旭川):三輪本雄少佐
- 輜重兵第77連隊(旭川):大野慶三少佐
- 第77師団速射砲隊:新田次衛少佐
- 第77師団通信隊:安田栄少佐
- 第77師団衛生隊:森清大尉
- 第77師団第1野戦病院:新川輝明大尉
- 第77師団第4野戦病院:明石勝丈大尉
- 第77師団制毒隊:間野清中尉
- 第77師団兵器勤務隊:野村亮一中尉
- 第77師団病馬廠:佐藤雄吾大尉
第77師団編合
- 独立山砲兵第7連隊:田島昌治少佐
- 独立工兵第75大隊:石浜真琴少佐
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。