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第132師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第132師団
創設 1945年(昭和20年)2月1日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 湖北省
編成地 湖北省
通称号/略称 振起
補充担任 大阪師管大阪師管区
最終上級単位 第6方面軍
最終位置 湖北省 当陽
戦歴 太平洋戦争
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第132師団(だいひゃくさんじゅうにしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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太平洋戦争末期、武漢地区の警備と治安維持を目的として1945年(昭和20年)2月1日軍令陸甲下令により、第131師団・第132師団・第133師団の3個師団の編成が発令された。これら3個師団は、武漢方面に在った部隊から兵力を抽出して設けられた師団である。

師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち、砲兵を欠いた丙師団である。しかし、これら3個師団には、7月10日付けで師団砲兵隊が設けられた。

第132師団は、上海に転用された第39師団や、湘桂作戦のため南下した第68師団などの残留部隊を基幹に編成された。編成後、第6方面軍の指揮下に入り、第39師団の任務を引き継ぎ、宜昌、当陽方面の警備を担当し、その地で終戦を迎えた。

師団概要

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歴代師団長

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  • 柳川悌 中将:1945年(昭和20年)3月19日 - 終戦[1]

参謀長

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  • 中森恒二 大佐:1945年(昭和20年)3月28日 - 終戦[2]

最終司令部構成

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  • 参謀長:中森恒二大佐
    • 参謀:高橋亮次郎中佐
  • 高級副官:山中孝夫少佐
  • 兵器部長:相野光繁少佐
  • 経理部長:佐伯武光主計少佐
  • 軍医部長:嘉納正武軍医少佐
  • 獣医部長:日比重光獣医少佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第97旅団(大阪):梶浦銀次郎少将
    • 独立歩兵第599大隊:小坂田浩少佐
    • 独立歩兵第600大隊:岩崎守大尉
    • 独立歩兵第601大隊:川崎陸雄少佐
    • 独立歩兵第602大隊:原実大尉
  • 歩兵第98旅団(大阪):河村貞雄少将
    • 独立歩兵第603大隊:山内一大尉
    • 独立歩兵第604大隊:小浜勇少佐
    • 独立歩兵第605大隊:日高博大尉
    • 独立歩兵第606大隊:伊藤清少佐
  • 第132師団砲兵
  • 第132師団工兵隊:江口与四郎大尉
  • 第132師団輜重隊:有富正一大尉
  • 第132師団通信隊:伊豆貝元貞中尉
  • 第132師団兵器勤務隊:前原孝宣大尉
  • 第132師団野戦病院:本多次郎少佐
  • 第132師団病馬廠:井上繁蔵大尉

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』293頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』452頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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