現役中に死亡した力士一覧
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現役中に死亡した力士一覧(げんえきちゅうにしぼうしたりきしいちらん)は、現役中に死亡した大相撲の力士の一覧である。
一覧
[編集]凡例
[編集]力士 |
部屋 |
番付 |
没年月日 |
没年齢 |
死因 |
詳細・備考・補足 |
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仁王 | 大関 | 1644年 | 相撲の取組中に相手の明石志賀之助に頭上から胸を蹴り込まれたときに死亡したと伝わるが、実在不明の伝説的な力士 | |||
丸山 | 横綱 | 1749年12月23日 | 37歳* | 病死 | 赤痢であったと言われる。 | |
白川 | 伊勢ノ海部屋 | 大関 | 1769年11月23日 | 破傷風[1] | ||
戸田川 | 玉垣部屋 | 前頭 | 1773年5月30日 | 病死 | 大坂で死去[1]。 | |
釋迦嶽 | 雷電爲五郎 | 大関 | 1775年2月14日 | 27歳* | ||
繪島潟 | 大関 | 1781年8月17日 | ||||
御所車 | 伊勢ノ海部屋 | 関脇 | 1783年 | |||
大比叡 | 宮城野部屋 | 前頭 | 1787年 | |||
鬼面山 | 笘ヶ島部屋 | 小結 | 1790年7月19日 | 29歳* | ||
鷲ヶ峰 | 大関 | 1791年12月22日 | ||||
柏戸 | 伊勢ノ海部屋 | 小結 | 1792年9月14日 | 33歳* | 病死 | 大坂・堺から住吉へ向かう街道中で死去。 |
嚴嶋 | 雷部屋 | 前頭 | 1794年5月19日 | 39歳* | ||
谷風 | 伊勢ノ海部屋 | 横綱 | 1795年2月27日 | 44歳 | 流感 | 弟(異母弟)は同部屋の前頭筆頭・達ヶ関森右エ門。 |
大空 | 八ツヶ峰部屋 | 前頭 | 1800年3月28日 | 39歳* | ||
花頂山 | 出羽ノ海部屋 | 大関 | 1802年8月13日 | 35歳* | 病死 | |
荒岩 | 玉垣部屋 | 小結 | 1807年5月26日 | 31歳* | ||
四ツ車 | 柏戸部屋 | 前頭 | 1809年4月3日 | 38歳* | ||
繯 | 関ノ戸部屋 | 前頭 | 1811年9月4日 | |||
大木戸 | 伊勢ノ海部屋 | 大関 | 1811年12月11日 | |||
江戸ヶ崎 | 桐山部屋 | 前頭 | 1812年7月10日 | 31歳 | ||
鉞 | 東関部屋 | 大関 | 1812年 | 19歳* | 病死 | |
大岬 | 大関 | 1814年8月3日 | ||||
舞靏 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 前頭 | 1816年8月5日 | |||
大鳴戸 | 前頭 | 1817年8月19日 | ||||
鳴滝 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 関脇 | 1818年2月13日 | 37歳* | 病死 | |
戸田川 | 錣山部屋 | 小結 | 1819年4月10日 | 28歳* | ||
八十嶋 | 追手風部屋 | 前頭 | 1819年10月4日 | 60歳* | ||
山の井 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 関脇 | 1822年6月2日 | 28歳* | ||
玉垣 | 玉垣部屋 | 大関 | 1824年8月5日 | 40歳 | ||
千田川 | 玉垣部屋 | 大関 | 1828年1月8日 | 36歳* | ||
鳥井崎 | 柏戸部屋 | 前頭 | 1830年 | |||
璞 | 伊勢ノ海部屋 | 前頭 | 1834年6月3日 | 38歳* | ||
緋縅 | 玉垣部屋 | 大関 | 1836年8月15日 | 38歳* | ||
錦木 | 二所ノ関部屋 | 小結 | 1842年7月11日 | |||
杣ヶ花 | 雷部屋 | 前頭 | 1849年8月26日 | 32歳* | 病死 | 庄野宿(現・四日市市)で巡業中に死去[1] |
嚴嶋 | 雷部屋 | 前頭 | 1854年4月13日 | 自殺[1] | 入水自殺 | |
荒馬 | 宮城野部屋 | 関脇 | 1854年5月18日 | 46歳* | ||
君ヶ嶽 | 境川部屋 | 前頭 | 1854年8月30日 | 41歳* | ||
黒崎 | 二十山部屋 | 前頭 | 1855年9月29日 | 31歳* | 大坂巡業中に死去。 | |
黒岩 | 雷部屋 | 前頭 | 1857年5月2日 | 44歳* | ||
寶川 | 雷部屋 | 前頭 | 1858年7月18日 | 43歳* | 病死 | 江戸市中に流行したコレラに罹り死去[1]。 |
武藏野 | 武蔵川部屋 | 前頭 | 1859年7月 | 36歳* | 不明 | 大坂巡業中に急逝。某大名の息子が土俵上で放尿したのを咎めて殴り付け、即日手打ちにされたと伝わる[1]。 |
真鶴 | 秀ノ山部屋 | 前頭 | 1859年 | 自殺[1] | ||
一力 | 木瀬部屋 | 前頭 | 1859年8月25日 | 44歳 | 病死(殺害とも) | 奥州一ノ関で巡業中に急逝 |
伊吹嶋 | 雷部屋 | 小結 | 1860年5月9日 | |||
錦木 | 二所ノ関部屋 | 前頭 | 1861年11月26日 | 39歳 | ||
待乳山 | 待乳山部屋 | 前頭 | 1862年4月12日 | |||
小柳 | 阿武松部屋 | 前頭 | 1862年4月16日 | 33歳* | 殺害 | 弟弟子の不動山岩吉と殿り峰五郎により睡眠中に斬殺される[1]。 |
熊川 | 小野川部屋 | 前頭 | 1863年6月4日 | 殺害 | 壬生浪士組(後の新選組)と乱闘の末死亡[2]。 | |
外ヶ濱 | 伊勢ノ海部屋 | 前頭 | 1863年7月25日 | 45歳* | ||
千羽ヶ嶽 | 玉垣部屋 | 前頭 | 1868年4月23日 | 29歳* | ||
白真弓 | 浦風部屋 | 前頭 | 1868年11月9日 | 40歳* | ||
桑ノ弓 | 伊勢ノ海部屋 | 前頭 | 1869年1月3日 | 水死 | 熊本藩細川氏の抱えで、戊辰戦争に熊本藩の出兵に参加中、千葉県沖で船が座礁し死去[1]。 | |
常盤山 | 常盤山部屋 | 関脇 | 1869年8月27日 | 44歳* | ||
最上山 | 若松部屋 | 前頭 | 1874年7月22日 | 34歳* | 病死 | 療養先の愛知県一宮で死去[1]。 |
盤石 | 木瀬部屋 | 前頭 | 1875年10月15日 | 42歳* | 脳卒中 | 京都で行われた三都合併相撲興行中に死去[1]。 |
小ノヶ崎 | 境川部屋 | 前頭 | 1877年4月24日 | 36歳 | 病死 | |
藤田川 | 湊川部屋 | 前頭 | 1880年10月21日 | 35歳 | 病死 | 巡業先で死去[1]。 |
荒虎 | 伊勢ノ海部屋 | 小結 | 1882年9月19日 | 38歳 | 肺炎 | 盛岡巡業中に死去[1]。 |
荒角 | 桐山部屋 | 前頭 | 1882年9月21日 | 病死 | 新潟巡業中に死去[1]。 | |
男山 | 花籠部屋 | 番付外 | 1886年9月24日 | 21歳 | 病死 | 206cmの長身力士であったが、初土俵前に事故で重傷を負い、下半身不随の状態となった後に病死[3]。 |
友綱 | 梅ヶ谷部屋 | 前頭 | 1887年6月21日 | 32歳 | ||
綾瀬川 | 雷部屋 | 前頭 | 1887年8月29日 | 36~38歳 | 急死[1] | |
相生 | 玉ノ井部屋 | 前頭 | 1888年3月16日 | 27歳 | 熱病 | 東京・赤十字病院で死去[1]。 |
緋縅 | 玉垣部屋 | 前頭 | 1888年9月9日 | 31歳 | 病死 | 長野県湯田中温泉で死去[1]。 |
稲野花 | 田子ノ浦部屋 | 前頭 | 1889年9月15日 | 32歳 | ||
楯甲 | 粂川部屋 | 前頭 | 1891年10月28日 | 29歳 | 事故死 | 巡業先の大垣で濃尾地震に遭遇、倒壊寸前の家屋から弟弟子の若島権四郎を逃がした直後、その家屋が倒壊して圧死。 |
泉滝 | 雷部屋 | 前頭 | 1891年11月9日 | 37歳 | コレラ | 大阪巡業中に死去[1]。 |
音羽山 | 雷部屋 | 前頭 | 1894年1月8日 | 36歳 | ||
黒岩 | 高砂部屋 | 前頭 | 1899年9月27日 | 28歳 | 心臓病[1] | |
玉ノ井 | 伊勢ノ海部屋 | 前頭 | 1900年10月28日 | 40歳 | 脳充血 | 巡業先の愛知県愛知郡熱田で死去[1]。 |
緑川 | 高砂部屋 | 前頭 | 1906年6月1日 | 27歳 | 脳充血[1] | |
駒ヶ嶽 | 井筒部屋 | 大関 | 1914年4月11日 | 33歳[4] | 脳出血・腸穿孔 | 大酒を飲んだ後に日差しの下で眠ったため、酒が胃の中で発酵、毒素が全身に回った。 |
加勝山 | 友綱部屋 | 前頭 | 1914年9月20日 | 24歳 | 心臓脚気 | 新潟県三条町の興行場で死去[1]。 |
恵比寿洋 | 出羽海部屋 | 十両 | 1915年8月10日 | 32歳 | 水死 | |
大ノ川 | 君ヶ浜部屋 | 小結 | 1917年1月20日 | 36歳 | 事故死 | 朝稽古で腹を強打し腸を痛め5日後死去[1]。 |
真砂石 | 尾車部屋 | 小結 | 1918年4月6日 | 26歳 | 大腸破裂 | 台湾巡業中に死去[1]。スペインかぜとの関連説もある。 |
花ノ山 | 片男波部屋 | 十両 | 1924年1月1日 | 29歳 | ||
槍ヶ嶽 | 出羽海部屋 | 前頭 | 1926年5月30日 | 29歳 | ||
福柳 | 出羽海部屋 | 関脇 | 1926年12月11日 | 33歳 | フグ中毒死 | 差し入れのフグを食べた後に乗った船内で昏睡状態になり、中毒死。 |
鬼風 | 出羽海部屋 | 前頭 | 1927年5月24日 | 27歳 | ||
桂川 | 三保ヶ関部屋 | 前頭 | 1928年5月16日 | 33歳 | 腸チフス | 場所中に死去。番付は同年10月場所まで残された。 |
沖ツ海 | 若藤部屋 | 関脇 | 1933年9月30日 | 23歳 | フグ中毒死 | |
玉錦 | 二所ノ関部屋 | 横綱 | 1938年12月4日 | 34歳 | 腹膜炎 | 虫垂炎を悪化させた。 |
橋詰 | [5] | 出羽海部屋三段目 | 1942年4月28日 | 23歳 | 戦死 | 殉職した行司の木村良雄と合同で協会葬が営まれた。 |
三舩浪 | 井筒部屋 | 十両 | 1943年9月23日 | 29歳 | ||
枩浦潟 | 立田山部屋 | 小結 | 1945年3月10日 | 29歳 | 認定死 | 東京大空襲で行方不明(死亡認定) |
豊島 | 出羽海部屋 | 関脇 | 1945年3月10日 | 25歳 | 焼死 | 東京大空襲で死去。 |
朝明 | 高砂部屋 | 十両 | 1946年8月25日 | 32歳 | 心不全 | 木曽川を遊泳中に心臓麻痺。 |
鹿嶌洋 | 春日野部屋 | 前頭 | 1947年5月5日 | 32歳 | 腹膜炎 | 広島巡業中に腹膜炎を患って死去。 |
佐渡ノ花 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 三段目 | 1963年11月12日 | 18歳 | フグ中毒死 | 佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件を参照。 |
斎藤山 | 佐渡ヶ嶽部屋 | 序二段 | 1963年11月14日 | 18歳 | フグ中毒死 | 佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件を参照。 |
鳴瀬川 | 宮城野部屋 | 序二段 | 1971年10月7日 | 21歳 | 急性心不全 | |
玉の海 | 片男波部屋 | 横綱 | 1971年10月11日 | 27歳 | 急性冠症候群 | 虫垂炎の手術後に併発した右肺動脈幹血栓症・肺血栓により死去。 |
中ノ村 | 伊勢ノ海部屋 | 序二段 | 1974年8月28日 | 17歳 | 急性心不全 | |
蒼竜 | 時津風部屋 | 幕下 | 1985年10月12日 | 26歳 | 白血病 | |
本松 | 間垣部屋 | 幕下 | 1986年9月7日 | 24歳 | 腎不全 | 悪性骨腫瘍による。 |
若鬼竜 | 時津風部屋 | 三段目 | 1987年4月3日 | 26歳 | 心不全(虚血性心不全・鬱血性心筋症) | |
塩沢 | 伊勢ノ海部屋 | 幕下 | 1987年6月19日 | 22歳 | 肺癌 | |
市川 | 九重部屋 | 序二段 | 1988年10月25日[6] | 16歳 | 自殺 | 当時部屋付き年寄であった君ヶ濱の財布を預かっていたところ紛失してしまったことを苦にした。 |
[注釈 1] |
榎田高砂部屋 | 序二段 | 1989年10月20日 | 18歳 | 急性白血病・クモ膜下出血 | |
龍興山 | 出羽海部屋 | 前頭 | 1990年2月2日 | 22歳 | 虚血性心不全 | |
近村 | 九重部屋 | 序二段 | 1990年7月23日 | 19歳 | 心不全(急性心不全) | 1990年7月場所千秋楽の翌日に死去。 |
大威力 | 朝日山部屋 | 序二段 | 1992年2月10日 | 18歳 | 水死 | 朝稽古後の入浴中に意識を失い溺死。 |
琴干場 | 佐渡ヶ嶽部屋 | [注釈 2] | 三段目1992年3月1日 | 24歳 | 心不全(急性心不全・肥大型心筋症) | |
魁士 | 放駒部屋 | 序ノ口 | 1992年7月14日 | 15歳 | 心不全(心筋梗塞) | 場所中(出場期間中)に死去。 |
若藤光 | 宮城野部屋 | 三段目 | 1996年10月21日 | 25歳 | 心不全 | |
剣晃 | 高田川部屋 | 小結 | 1998年3月10日 | 30歳 | 肺出血 | 汎血球減少症による。場所休場中に死去。 |
前田 | 北の湖部屋 | 序ノ口 | 2003年7月17日 | 15歳 | 心臓病 | 心臓肥大による拡張性心筋症 |
吉村 | 田子ノ浦部屋 | 三段目 | 2004年8月7日 | 17歳 | 多臓器不全 | 髄膜炎による[7]。 |
中渕 | 貴乃花部屋 | 幕下 | 2004年10月16日 | 32歳 | 心不全(虚血性心不全)[8][9] | |
時太山 | 時津風部屋 | [注釈 3] | 序ノ口2007年6月26日 | 17歳 | ショック多発外傷による外傷性ショック死 | 詳細は時津風部屋力士暴行死事件を参照。 |
若三梅 | 間垣部屋 | 幕下 | 2008年12月15日 | 25歳 | 急性骨髄性白血病 | |
勝武士 | 高田川部屋 | 三段目 | 2020年5月13日 | 28歳 | 多臓器不全 | 同年世界的に流行した新型コロナウイルスによる肺炎のため死去。日本国内における同感染症による20歳代初の死者[10]。 |
響龍 | 境川部屋 | 三段目 | 2021年4月28日 | 28歳 | 急性呼吸不全 | 同年3月場所の13日目の一番で、相手力士の掬い投げを受け土俵に頭部から落下し強打した[11]。入院し治療を行っていたが、1ヶ月後に死去[12]。寝たきり状態が続き、肺血栓を患っていたという。 |
本場所途中の力士の死亡について
[編集]本場所途中に死亡した力士は、戦前では桂川・大ノ川、戦後では剣晃・前田などの例があるが、大抵は病気の悪化などの原因で死亡直前の時点では休場しており、休場していない出場期間中に死亡した例は、明確な記録が残っている中では魁士(1992年7月場所、9日目(死亡前日)までの2勝3敗の成績が残されている)が唯一のケースであり、力士の死亡によって不戦敗(対戦相手が不戦勝)になったケースは理論上考えられるがその前例はまだない。なお響龍は本場所の取組中の事故が原因で死亡したが、実際に死亡したのは当該取組(2021年3月場所13日目)から1ヶ月後の本場所の開催されていない時期であった。
参考:現役中に死亡した行司・呼出・床山
[編集]行司
[編集]行司名 | 部屋 | 最高位 | 没年月日 | 没年齢 | 死因 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
10代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1839年2月4日 | ? | 9代庄之助と同一人物 | |
5代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1850年3月1日 | ? | ||
5代木村多司馬 | ? | 8人目 | 1868年5月 | ? | ||
6代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1880年9月2日 | 66歳 | ||
7代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1883年8月15日 | ? | ||
14代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1884年8月14日 | 58歳 | ||
15代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1897年9月22日 | 57歳 | ||
8代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1897年12月18日 | 54歳 | ||
木村瀬平 | ? | 立行司 | 1905年2月5日 | 68歳 | 心臓麻痺 | |
9代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1910年6月28日 | 56歳 | ||
16代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1912年1月6日 | 62歳 | 肺炎 | |
11代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1914年3月15日 | 54歳 | ||
18代木村庄之助 | 高砂部屋 | 立行司 | 1925年6月11日 | 55歳 | 脳溢血 | |
14代式守伊之助 | ? | 立行司 | 1925年12月26日 | 55歳 | 式守伊之助としては1場所も務められなかった | |
19代木村庄之助 | 出羽海部屋 | 立行司 | 1932年5月30日 | 63歳 | ||
5代式守錦太夫 | ? | 幕内格 | 1938年5月 | ? | ||
20代木村庄之助 | ? | 立行司 | 1940年3月9日 | 63歳 | 胃癌 | |
木村良雄 | 出羽海部屋 | 十両格 | 1942年11月 | 31歳 | 事故死 | 皇軍慰問の先発の為に乗っていた船が中国・上海市近くで被雷し、沈没 |
8代木村清之助 | 立浪部屋 | 立行司 | 1942年12月1日 | 68歳 | もと大阪相撲、大相撲の東西合併で東京に加入、東京では三役格 | |
6代式守錦太夫 | ? | 十両格 | 1945年3月17日 | ? | 戦死 | 硫黄島の戦いで玉砕 |
木村友治郎 | ? | 幕内格 | 1946年11月30日 | 49歳 | ||
木村公乃助 | 中村部屋 | 幕内格 | 1961年10月9日 | 50歳 | ||
10代式守与太夫 | 立浪部屋 | 三役格 | 1983年5月25日 | 57歳 | 胃癌 | |
木村筆之助 | 伊勢ノ海部屋 | 幕内格 | 1984年4月26日 | 60歳 | 糖尿病 | 1980年9月場所より休場、1984年1月場所より番付行司欄最下位に別格扱いで掲載 |
2代式守伊三郎 | 時津風部屋 | 三役格 | 1987年10月15日 | 62歳 | 脳梗塞 | |
15代木村玉光 | 放駒部屋 | 幕内格 | 1988年9月15日 | 60歳 | 肝臓癌 | |
木村圭吾 | 二子山部屋 | 幕下格 | 1995年1月7日 | 23歳 | 脳挫傷 | 門限に遅れて締め出されたため、部屋の2階から入ろうとして転落した[13] |
木村誠司郎 | 九重部屋 | 幕下格 | 2003年12月26日 | 33歳 | 胃癌 | |
4代木村正直 | 朝日山部屋 | 三役格 | 2013年1月29日 | 59歳 | 肝細胞癌 |
呼出
[編集]呼出名 | 部屋 | 最高位 | 没年月日 | 没年齢 | 死因 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初太郎 | 双葉山道場 | (番付制以前) | 1940年10月2日 | ? | 呼び上げを務め、「三羽烏」と呼ばれた3人の呼出の内の1人(残りの2人は宗吉と清吉) | |
関造 | 時津風部屋 | (番付制以前) | ? | ? | 土俵作りを務めた戦前の呼出 | |
卯之助 | 出羽海部屋 | (番付制以前) | 1960年4月30日 | 74歳 | 呼び上げを務めた | |
源司 | ? | (番付制以前) | 1960年 | 69歳 | ||
栄吉 | 時津風部屋 | (番付制以前) | 1965年12月29日 | 51歳 | 呼び上げを務めた | |
真吉 | 間垣部屋 | (番付制以前) | 1984年 | 18歳 | 入門直後に死去 | |
勲 | 出羽海部屋 | 十両呼出 | 1995年5月11日 | 54歳 | 溺死 | 病気を苦にした自殺とみられる |
幸太郎 | 伊勢ヶ濱部屋 | 幕内呼出 | 1996年1月12日 | 63歳 | 膀胱腫瘍 | |
政弘 | 二所ノ関部屋 | 三役呼出 | 1999年12月29日 | 63歳 | 心不全 | |
扇太郎 | 田子ノ浦部屋 | 序二段呼出 | 2008年6月19日 | 25歳 |
床山
[編集]床山名 | 部屋 | 最高位 | 没年月日 | 没年齢 | 死因 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
床泰 | 浦風部屋 | ? | ? | ? | 戦前の頃の床山、入門から5年半ほどで死去 | |
床熙 | 伊勢ヶ濱部屋 | 一等床山 | 1989年3月3日 | 57歳 | ||
床泉 | 東関部屋 | 三等床山 | 2016年6月3日 | 35歳 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 古今大相撲事典(ISBN 978-4336018786)
- ^ -力士と喧嘩騒動-
- ^ 武州の力士(中 英夫著(1976)出版社:埼玉新聞社)
- ^ 荒井太郎『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』(2008年5月大空出版)27頁
- ^ 「近世日本相撲史」第2巻20頁
- ^ 「相撲」1988年12月号133頁
- ^ “大相撲の三段目力士が死去 将来を期待された17歳”. 47NEWS/共同通信. (2004年8月8日) 2010年8月7日閲覧。
- ^ “大相撲の序二段力士が死去 イベント参加中に倒れる”. 47NEWS/共同通信. (2004年10月16日) 2010年8月7日閲覧。
- ^ 相撲ニュース(2004年10月6日-11月29日分)
- ^ 「高田川部屋の勝武士がコロナ感染死 28歳」『日刊スポーツ』2020年5月13日。2020年5月13日閲覧。
- ^ 「響龍が俵に激しく頭部ぶつける 動けず救急搬送」『日刊スポーツ』2021年3月26日。2021年4月29日閲覧。
- ^ 「響龍さん死去 28歳 春場所取組で倒れ入院、寝たきり続き急性呼吸不全で」『日刊スポーツ』2021年4月29日。2021年4月29日閲覧。
- ^ 『相撲』1995年2月号123頁。