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千田川熊藏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828年2月22日(文政11年1月8日)[1])は、大坂相撲朝日山部屋真鶴部屋玉垣部屋に所属した大相撲力士。第99代大関[2]。のち千田川吉藏。本名は目良 熊吉(吉藏)。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市)出身。188cm、体重不明。最高位は西大関

経歴

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大坂相撲を経て、1814年11月に関脇格で江戸相撲に加入、紀州藩抱えであった。翌場所には大関に上がった。大関から陥落して2場所後に、四股名を千田川吉藏に改めた。以後も三役、上位で実力を発揮したが病に倒れ、1823年2月以降土俵を離れた。1828年に現役力士のまま死去した。

成績(江戸相撲)

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  • 幕内16場所57勝36敗38休5分預15無勝負

場所別成績

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千田川 熊藏
春場所 冬場所
1814年 x 西関脇
6–3
1預
 
1815年 西大関
3–4–1
1預1無
 
西関脇
5–3
2無
 
1816年 西関脇
4–2–1
1分
 
西関脇
5–3
1分1無
 
1817年 西小結
2–2–4
2無
 
東小結
6–2
2無
 
1818年 西関脇
5–3–1
1無
 
東関脇
4–3–2
1無
 
1819年 東小結
5–2–1
2無
 
西前頭筆頭
3–3–2
1分1無[3]
 
1820年 西前頭筆頭
3–2
1無
 
東小結
4–4–1
1無
 
1821年 西小結
0–0–10 
番付非掲載
不出場
1822年 東前頭2枚目
0–0–10 
番付非掲載
不出場
1823年 西前頭筆頭
引退
2–0–5[4]
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名

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熊野潟(大坂相撲)→千田川熊藏(江戸相撲)→千田川吉藏(1816年3月場所-) [5]

脚注

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  1. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3253&l=j
  2. ^ 大関一覧
  3. ^ 番付外。
  4. ^ この場所より後の番付には載らず、現役中の1828年に死去。
  5. ^ http://tsubotaa.la.coocan.jp/mindex/mindex211.html

関連項目

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外部リンク

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