千田川熊藏
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千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828年2月22日(文政11年1月8日)[1])は、大坂相撲・朝日山部屋、真鶴部屋、玉垣部屋に所属した大相撲力士。第99代大関[2]。のち千田川吉藏。本名は目良 熊吉(吉藏)。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市)出身。188cm、体重不明。最高位は西大関。
経歴
[編集]大坂相撲を経て、1814年11月に関脇格で江戸相撲に加入、紀州藩の抱えであった。翌場所には大関に上がった。大関から陥落して2場所後に、四股名を千田川吉藏に改めた。以後も三役、上位で実力を発揮したが病に倒れ、1823年2月以降土俵を離れた。1828年に現役力士のまま死去した。
成績(江戸相撲)
[編集]- 幕内16場所57勝36敗38休5分預15無勝負
場所別成績
[編集]春場所 | 冬場所 | |||||
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1814年 | x | 西関脇 6–3 1預 |
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1815年 | 西大関 3–4–1 1預1無 |
西関脇 5–3 2無 |
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1816年 | 西関脇 4–2–1 1分 |
西関脇 5–3 1分1無 |
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1817年 | 西小結 2–2–4 2無 |
東小結 6–2 2無 |
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1818年 | 西関脇 5–3–1 1無 |
東関脇 4–3–2 1無 |
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1819年 | 東小結 5–2–1 2無 |
西前頭筆頭 3–3–2 1分1無[3] |
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1820年 | 西前頭筆頭 3–2 1無 |
東小結 4–4–1 1無 |
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1821年 | 西小結 0–0–10 |
番付非掲載 不出場 |
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1822年 | 東前頭2枚目 0–0–10 |
番付非掲載 不出場 |
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1823年 | 西前頭筆頭 引退 2–0–5[4] |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名
[編集]熊野潟(大坂相撲)→千田川熊藏(江戸相撲)→千田川吉藏(1816年3月場所-) [5]
脚注
[編集]- ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3253&l=j
- ^ 大関一覧
- ^ 番付外。
- ^ この場所より後の番付には載らず、現役中の1828年に死去。
- ^ http://tsubotaa.la.coocan.jp/mindex/mindex211.html