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明石志賀之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明石 志賀之助
明石志賀之助(月岡芳年「美勇水滸伝」(1867))
基礎情報
四股名 明石 志賀之助
本名 山内 志賀之助
生年月日 不明
没年月日 不明
出身 下野国宇都宮(現:栃木県宇都宮市[注釈 1]
身長 約251.5cm(8尺3寸)[1]
約221.2cm(7尺3寸)[2]とも。
体重 約184kg(49貫)[1]
約225kg(60貫)[2]とも。
所属部屋 不明
得意技 不明
成績
現在の番付 引退
最高位 初代横綱日下開山
生涯戦歴 不明
幕内戦歴 不明
優勝 0 [注釈 2]
0 [注釈 3]
データ
初土俵 不明
入幕 不明
引退 不明
引退後 不明
他の活動 不明
趣味 不明
備考
日下開山
2015年10月13日現在

明石 志賀之助(あかし しがのすけ、生没年不詳)は、江戸時代前期の大相撲力士で、初代横綱とされる人物[3]下野国宇都宮(現:栃木県宇都宮市)出身という[3]。伝説的な人物であり、活動時期・実在性について諸説がある。

江戸において勧進相撲(職業相撲)をはじめ、また朝廷より「日下開山」の称号を与えられたという。また、従来の力業だけでなく相撲の技に関しても多く研究し、現在でも基本とされている四十八手の技を考案した人物とも言われている。

来歴

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伝承されることがら

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下野国宇都宮(現:栃木県宇都宮市)で同藩士の山内主膳の子として誕生する[4]。幼名は鹿之介[4]

1763年成立の『古今相撲大全』によれば、寛永元年(1624年)に江戸・四谷塩町で初めて勧進相撲を興行したとされ[5]、江戸勧進相撲の創始者とも言われている[5][6]。その証拠となる番付が実在するとされていたが、後年になってその番付は偽物と否定された(番付は複数枚存在し、そのうち1枚は陣幕久五郎による創作だとされる)。

江戸以外も長崎を始め、諸国で相撲を取って抜群の強さを誇ったとされる。『近世奇跡考』によれば、京で仁王仁太夫を倒したことで朝廷から「日下開山」の称号を受けたとされる[1]

『関東侠客伝』には、寛永・正保の頃(1624年 - 1648年)年の頃の侠客(町奴)夢市郎兵衛の義兄弟として登場する[5]

『古今相撲大全』では寛永元年(1624年)の勧進興行とは別の個所に、明石志賀之助は元禄(1688年 - 1704年)頃の力士であるとの記載もある[4]宝井其角には元禄年間に詠んだ「志賀之助男盛りの春立て」の句があり[7]、元禄12年(1699年)に還暦引退相撲を行ったともいう[7]

以上のように、活動時期についても判然としない。生年を1607年慶長12年)[8]とする説、48歳没[9]などとの説があるものの、生没年は不明である。

初代横綱としての顕彰

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1895年(明治28年)に陣幕久五郎が、横綱力士碑を建立すべく歴代横綱の系譜「横綱力士累代姓名」を作成した際、明石志賀之助を初代に据えた(陣幕自身は第12代横綱に位置づけられる)[6]。横綱力士碑は1900年(明治33年)に富岡八幡宮に完成した。日本相撲協会は初代横綱に認定している。

明石は実在した人物か

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明石志賀之助の事績については、後代の伝承や講談によるものが多く、これらの情報の信憑性はかなり低い。池田雅雄は「歴代横綱正伝」(ベースボール・マガジン社『相撲』1971年1月号以下)などで明石の実在を否定しており[4]能見正比古は「横綱物語」(講談社、1975年)で「モデルとなる『明石』なる力士が複数存在した」という説を述べている[4]

宇都宮市の郷土史家・中村弘は、明石志賀之助の実在を証明すべく調査を行い[10]、成果を2012年に『日下開山 初代横綱 明石志賀之助』として出版した[11]。中村の調査によれば、山形県上山市に伝えられた『上山三家見聞日記』において、1661年寛文元年)に上山藩主・土岐山城守頼行の前で明石志賀之助が相撲を取ったという記録があり、実在を証明できるものとしている[7]。中村弘は、明石志賀之助が力士として活動したのは寛永年間(1624年 - 1644年)ではなく、寛文年間(1661年 - 1672年)のことであるとしている[7]

記念碑・記念行事

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栃木県宇都宮市の八幡山に所在する蒲生神社(宇都宮市塙田五丁目)には、1900年に陣幕久五郎により建立された顕彰碑(もとは宇都宮城跡に建てられたが、1951年に移設)や、2007年に建立された明石志賀之助の像が存在する[7][12]。同神社では2008年から「初代横綱 明石志賀之助杯少年奉納相撲大会」を主宰している。

JR宇都宮駅東口広場には、2022年に明石志賀之助の石像が建立された[10][13]

脚注

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注釈

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  1. ^ 上総国久留里城下(現:千葉県君津市)出身という説もある。
  2. ^ 当時は優勝制度なし
  3. ^ 当時は三賞制度なし

出典

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  1. ^ a b c 明石志賀之助”. 百科事典マイペディア(コトバンク所収). 2024年11月27日閲覧。
  2. ^ a b 少年奉納相撲大会のご案内”. 蒲生神社. 2017年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月27日閲覧。
  3. ^ a b 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 10頁。
  4. ^ a b c d e 坪田敦緒. “横綱(三) 続・初代横綱? 明石”. 相撲評論家之頁. 2024年11月22日閲覧。
  5. ^ a b c 水野尚文. “明石志賀之助”. 朝日日本歴史人物事典 (コトバンク所収). 2024年11月27日閲覧。
  6. ^ a b 池田雅雄. “明石志賀之助”. 日本大百科全書(ニッポニカ) (コトバンク所収). 2024年11月27日閲覧。
  7. ^ a b c d e 実存さえ疑われた初代横綱・明石志賀之助の実像に迫る 宇都宮・蒲生神社では奉納相撲も”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2016年4月1日). 2021年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月1日閲覧。
  8. ^ 明石志賀之助(あかししがのすけ)”. 栃木県. 2024年11月29日閲覧。
  9. ^ 第1代横綱 明石 志賀之助 (あかし しがのすけ)”. 大相撲レファレンス. 2024年11月29日閲覧。
  10. ^ a b 初代横綱 幻じゃなかった! 明石志賀之助 宇都宮の郷土史家が地道な調査で存在証明”. 東京新聞社 (2023年3月22日). 2024年11月22日閲覧。
  11. ^ 日下開山 初代横綱 明石志賀之助 すもうの街宇都宮が生んだ大力士”. 随想舎. 2024年11月22日閲覧。
  12. ^ 身長2メートル21センチ、体重225キロの体格再現…初代横綱、迫力の実物大 宇都宮”. 下野新聞digital. 下野新聞社 (2022年7月1日). 2024年11月22日閲覧。
  13. ^ JR宇都宮駅前に初代横綱現る “本人”と同じ221センチ”. 下野新聞digital. 下野新聞社 (2022年10月23日). 2024年11月22日閲覧。

関連書籍

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  • 中村弘『日下開山 初代横綱 明石志賀之助』随想舎、2012年。ISBN 978-4887482562 

関連項目

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外部リンク

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