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* 忠節店(岐阜市島栄町2-45<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1979" />、[[1972年]](昭和47年)5月28日開店<ref name="16economic-monthly-1978-4-9">“競争激化する岐阜市小売業界の現況”. 経済月報 1978年4月号 ([[十六総合研究所]]) (1978年4月).pp9</ref> - [[2000年]](平成12年)2月閉店<ref name="nissyoku-1999-12-13-15H">“名鉄パレが来年2月に2店閉鎖”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1999年12月13日)</ref>)
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==== 中濃地区 ====
==== 中濃地区 ====
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** [[日本ライン今渡駅]]に隣接する駅ビル内に出店していた。{{要出典範囲|date=2023年3月|駅ビル解体により建物は現存しない。}}
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2023年5月29日 (月) 00:14時点における版

株式会社パレ
Pare Corporation
パレ本社が当時入居していた名鉄神宮前駅西ビル。パレマルシェ神宮(2021年6月閉店)と併設されていた。
パレ本社が当時入居していた名鉄神宮前駅西ビル。パレマルシェ神宮(2021年6月閉店)と併設されていた。
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
456-8580
愛知県名古屋市熱田区神宮三丁目6-34
名鉄神宮前駅西ビル7階
設立 2004年平成16年)6月
業種 小売業
事業内容 スーパーマーケットチェーン
代表者 東山和典(代表取締役社長
資本金 5700万円(2008年(平成20年)3月31日
売上高 336.87億円(2007年(平成19年)8月期)
従業員数 425名
決算期 8月
主要株主 オークワ
特記事項:データは2012年(平成24年)2月21日までのもの。
2012年(平成24年)2月22日に株式会社オークワに吸収合併されて法人としては消滅。
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パレマルシェ英称:Pare Marche)は、オークワ(本社:和歌山県和歌山市)が愛知県を中心に店舗を展開するチェーンストアのブランド名である。

旧店名は名鉄パレ(めいてつパレ)。かつては愛知県名古屋市熱田区に本社をおく株式会社パレが運営していた。

2008年平成20年)6月にオークワの傘下に入り子会社となり、2012年(平成24年)2月に吸収合併され、法人としては消滅した。

概要

もとは名古屋鉄道(名鉄)系列の事業であり、名鉄の駅周辺に立地する店舗が多い。スーパーマーケット型の店舗と百貨店型の店舗があるものの、このうち百貨店型の店舗(オークワに合併された時点では神宮・西春・西尾の3店舗)はすべて閉店済みである。

店名の「パレ」は、フランス語paré(着飾った、優雅な)に由来する[1]

2012年(平成24年)2月21日に和歌山県を中心に三重県奈良県に店舗を展開する小売業のオークワに吸収合併され[2]、法人としては消滅したものの店舗名は維持されている。ただしオークワへの合併以後、パレマルシェの名称での新規出店は、移転開業である神宮前店(2021年7月、神宮店からの移転)を除いて行われていない。

歴史

名古屋ショッピ

1959年昭和34年)2月に名鉄共栄社(現・名鉄産業)が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットを開設したのが始まりである[3]

1960年(昭和35年)9月7日には名古屋ショッピを設立し[4]、1961年(昭和36年)4月に名古屋市千種区の名古屋市営地下鉄池下駅東口に建設された日本住宅公団の団地内にスーパーマーケットの池下店を開設した[3]。 先述した鳴海スーパーマーケットは池下店の開設と同時に名古屋ショッピに移管された[3]

名古屋ショッピは1962年(昭和37年)7月に名古屋市緑区の住宅公団鳴子団地内に鳴子店を開店したのを皮切りに、岩倉団地の岩倉店や平針団地の平針店、知立団地の知立店など団地型スーパーの出店を進めて行った[3]

また、1962年(昭和37年)4月に二ツ杁駅に二ツ杁店を出店したのを皮切りに、同年12月に笠寺駅に笠寺店、1963年(昭和38年)3月に国府宮駅に国府宮店、同年5月に柏森駅に柏森店と母体となった名古屋鉄道の駅への多店化も進められた[3]

岐阜ストアー・多治見ストアー

岐阜市にあった丸宮百貨店を買収して[5]1962年(昭和37年)11月に名古屋鉄道と名鉄百貨店新岐阜百貨店の共同出資により資本金3000万円で株式会社岐阜ストアーを設立し[3]、12月に岐阜店を開設したのが始まりである[5]

1963年(昭和38年)10月に大垣駅前に大垣店を開店したのを皮切りに多店化を進め、同年11月には美濃太田店も開設している[3]

この他にも、1964年(昭和39年)6月に株式会社多治見ストアーを設立し、多治見市本町にあった主婦の店多治見店の営業を継承して岐阜県内でスーパーマーケット事業を展開した[3]

名鉄ストアー

1965年(昭和40年)8月10日に名鉄ストアーを設立し[1]、同年12月に上飯田駅に日本住宅公団と共同でマンションを併設した駅ビルの中に上飯田店を開設したのが始まりである[5]

1967年(昭和42年)6月に又穂店を出店したのを皮切りに多店化を進め、1968年(昭和43年)11月に津島駅に津島店、1971年(昭和46年)3月に新那加駅に新那加店と出店を進めており、又穂店という例外を除いて駅ビルへの出店を進めて行った[5]

1972年(昭和47年)10月に北陸に進出したほか、1974年(昭和49年)1月に北マリアナ諸島テニアン島に出店したのを皮切りに1976年(昭和51年)3月には北マリアナ諸島のサイパン島へ出店するなど海外へも店舗展開した[6]

1983年(昭和58年)9月には名鉄神宮前百貨店を開設して百貨店事業に進出した[7]

名鉄ショッピ

1971年より名古屋ショッピ・岐阜ストアー・多治見ストアーの3社は仕入れの共通化を図るなどの連携を強めていたが、1980年(昭和55年)9月1日、さらなる効率化を目指して3社が対等合併し、「名鉄ショッピ」として新たにスタートした[8]。3社とも設立時に名鉄百貨店副社長であった長尾芳郎が社長に就任し、合併時の3社の社長も当時名鉄百貨店取締役の座に就いていた山田耕之助であった。その経緯から3社は名鉄百貨店系流通チェーンと見なされており、一方で名鉄ストアーに関しては名鉄直系の流通事業という流れであった。

合併時における年商は名古屋ショッピ(16店舗)100億円、岐阜ストアー(2店舗)26億円、多治見ストアー(2店舗)24億円で、3社合わせて20店舗・年商150億円の巨大チェーン網の誕生であった。また、設立時の発表では不採算店を閉める一方で年に1~2店舗の新規出店を進める予定であった。

名鉄パレ

事業の効率化を図るため経営統合を進め、1987年(昭和62年)9月1日に名鉄ストアーと名鉄ショッピが合併して名鉄グループのスーパーマーケット事業は一つに経営統合されることになった[5]

その後、1992年平成4年)3月1日には社名をフランス語で「優雅」の意味の「パレ」という言葉をとって株式会社名鉄パレに変更した[1]

2005年(平成17年)5月時点でスーパーマーケット23店舗と百貨店3店舗、ホームセンター1店舗の計28店舗を愛知県中心に展開していた[9]。 (百貨店は神宮、師勝西春、西尾の各店。ただし日本百貨店協会には加盟せず)

パレマルシェへ

名鉄グループ中核企業の一つ[10]であったが、2002年(平成14年)度から連続して当期純利益が赤字となり、計50億円以上を出資して支援してきた名鉄グループは独力での同チェーン再建を断念することになった。

そして、2005年(平成17年)4月26日に同年9月1日付でフェニックス・キャピタル株式会社の企業再生ファンドと名古屋鉄道による合弁企業「株式会社パレ」に営業譲渡して新会社へ事業を引き継ぐことを発表した[9]。新会社パレの社長にはクイーンズ伊勢丹を顧客満足度ナンバーワンの店へ成長させた田村弘一が就任し[11]、フェニックス・キャピタルが過半数の株式を取得したほか[12]、名古屋鉄道と三井物産が出資しており、これら上位三社で99.4%を出資して運営された[13]

新会社への移行に伴い、店名もパレマルシェになり、売場の商品構成も大きく変化させることで再建を目指した[14]

オークワ傘下入り

2008年(平成20年)6月9日に同月30日付で主要株主であるフェニックス・キャピタルと名古屋鉄道、三井物産からオークワへ発行済みの株式の99.4%を70億円で譲渡することが発表され[13]、経営権が移行することになった。この営業権譲渡により、オークワの傘下に入ることに伴い、2008年(平成20年)6月30日付でオークワから会長と社長が就任することになった[13]。2008年(平成20年)6月時点の店舗数は17店舗で[13]、オークワ側はパレを傘下に入れることで東海地区への出店の足掛かりを得ることが狙いであったとされている[15]。なお、パレ創業時の社長であった田村は2010年3月に逝去している[16]

2011年(平成23年)2月時点の店舗数は16店舗で2010年(平成22年)2月期の売上高は約366億円となっていた[15]

その後、オークワ本体による東海地方への出店が進んで2011年(平成23年)2月までに愛知県と岐阜県に8店舗を構えるようになったため、重複する業務を合理化するとして2012年(平成24年)2月にオークワに吸収合併されることになった[15]。ただし、オークワへの吸収後も店舗名は「パレマルシェ」として営業を続けることになった[15]

プライベートブランド

オークワの傘下入りに伴って、プライベートブランド(PB)商品が共同仕入れ機構・日本流通産業(ニチリウグループ)の「くらしモア」へ移行することになった。そのため、かつて扱っていた八社会PB商品である「Vマーク(バリュープラス)」の取り扱いは2008年(平成20年)8月末で終了となった。

なおニチリウグループはオークワが中核企業の一つとなっており[17]1999年(平成11年)5月20日からオークワの大桑氏が2代目社長に就任する[18][19]など関係が深い。

年表

株式会社名鉄パレ管財

  • 1959年昭和34年)2月 - 名鉄共栄社(現・名鉄産業)が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットを開設[3]
  • 1960年(昭和35年)9月7日 - 「名古屋ショッピ」設立[4]
  • 1963年(昭和38年)10月25日 - マコー四日市店開店[20]
  • 1965年(昭和40年)8月10日 - 「株式会社名鉄ストアー」設立[1]
    • 「名鉄ストアー」時代の企業ロゴは社名を略した「MS」を象ったものだが、東京放送1961年から30年間使用した「TBS」に類似したロゴ体だった。
  • 1972年(昭和47年)10月に北陸に進出[7]
  • 1973年(昭和48年) - 子会社「フジ・レジャー開発株式会社」を設立する。
  • 1974年(昭和49年)1月 - 北マリアナ諸島テニアン島へ出店する[7]
  • 1976年(昭和51年)3月 - 北マリアナ諸島のサイパン島へ出店する[7]
  • 1983年(昭和58年)9月 - 名鉄神宮前百貨店を開設して百貨店事業に進出[7]
  • 1987年(昭和62年)9月1日 - 株式会社名鉄ショッピと合併する[5]
  • 1992年平成4年)3月1日 - 社名を株式会社名鉄パレに変更する[1]
  • 2005年(平成17年)
    • 北マリアナ諸島からの撤退を発表する。
    • 社名を株式会社名鉄パレ管財に変更し、同社のストア事業とフジ・レジャー開発のベーカリー事業を株式会社パレへ譲渡する。以後はパレへの不動産賃貸が主な事業となる。
  • 2006年(平成18年) - フジ・レジャー開発が解散する。
  • 2007年(平成19年) - 2007年度中に名鉄パレ管財を解散する旨、名古屋鉄道によって決議される。

株式会社パレ

  • 2004年(平成16年) - 設立。
  • 2005年(平成17年) - ジャパン・リカバリー・ファンド・ツー(業務執行組合員はフェニックス・キャピタル株式会社)と名古屋鉄道から増資を受け、名鉄パレなどから事業を譲受する(商法上の事後設立に該当)。
  • 2008年(平成20年)6月30日 - 株式をオークワへ譲渡[13]。オークワから会長と社長が就任[13]
  • 2009年(平成21年)11月1日 - オークワグループの商品券の取り扱いを開始。
  • 2012年(平成24年)2月21日 - 親会社のオークワと吸収合併。店舗ブランドはそのまま維持される[15]

現在営業中の店舗

2022年令和4年)8月21日現在、オークワでは「パレマルシェ」ブランドとして8店舗を展開している。出店店舗の詳細については公式サイト「パレマルシェ/チラシ・店舗情報」を参照。

店舗一覧

ギャラリー

かつて存在した店舗

愛知県

名古屋市地区

堀田店
緑区
南区
港区
  • 木場町店(港区木場町8-51[33]1988年(昭和63年)4月開店[29] - ?閉店)
    • 常盤木材が所有する延べ床面積約5,710m2の建物に出店していた[34]
    • 店舗面積約2,813m2[33]
北区
西区
  • 東枇杷島店(西区枇杷島通3-35[35]1964年(昭和39年)11月1日開店[35] - ?閉店)
    • 店舗面積462m2[35]
  • 又穂店西区又穂町2-1[34]1967年(昭和42年)6月開店[3] - 2009年(平成21年)2月閉店)
    • 名古屋鉄道が所有する土地に建設された住宅公団又穂団地[3][36]内に出店していた。
    • 店舗面積約1,188m2[34]
    • 2009年(平成21年)2月25日に一旦閉店の後、内部の改装を行い、同年2月28日にオークワのディスカウント形態店舗「プライスカット又穂」として開店。[要出典]
    • 2012年(平成24年)2月21日付でオークワのディスカウント業態部・プライスカット業態に編入[37]
    • 2015年(平成27年)1月19日をもって、プライスカット又穂の店舗としても閉店。2016年(平成28年)11月から解体工事が行われ、更地になった。[要出典]
天白区
守山区
千種区
昭和区
熱田区
  • 神宮店熱田区神宮3-6-34[6]1983年(昭和58年)9月開店[7] - 2021年(令和3年)6月20日閉店[42]
    • 店舗面積約10,951m2[22]
    • 神宮前駅西口の駅ビルにて営業していた。
    • 前述の通り、同店閉店後の2021年7月21日に、μPLAT神宮前1Fに「神宮店」を開業させている(食料品売場のみ営業)。
瑞穂区

尾張(名古屋市以外)地区

常滑店
名鉄犬山線沿線地区
  • 西春店(愛知県北名古屋市鹿田3926-10[6]1994年(平成6年)10月開店[6]-2022年(令和4年)1月20日一部専門店及び直営店閉店)
    • 店舗面積約10,248m2[6]
    • 跡地には2022年5月21日にヨシヅヤの「Yストア西春店」が開業。[要出典]
  • 岩倉店(岩倉市東新町南江向24-5[4]、1965年(昭和40年)9月25日開店[39] - ?閉店)
  • 江南店(江南市藤ヶ丘6-1[4][39]、1968年(昭和43年)11月9日開店[39] - ?閉店)
    • 店舗面積637m2[39]
  • 柏森店(丹羽郡扶桑町柏森字戸白73[47]1963年(昭和38年)5月開店[3] - ?閉店)
  • 扶桑店(丹羽郡扶桑町高雄下野71[6]
    • ニューマウント株式会社の工場跡地の一部を利用しオープンしたトステムビバ扶桑ショッピングパークの食品テナントという位置づけであった。後にトステムビバはペット&グリーンに改装するも撤退したため、跡地スペースを含め衣料品売り場拡充やテナント導入等の大幅な改装を行った。[要出典]
    • マックスバリュ中部が継承して2005年(平成17年)10月7日にマックスバリュ扶桑店が開業[48]
    • 店舗面積約1,700m2[48]
    • なお継承後の建物は2017年(平成29年)6月30日に一旦閉店し、マックスバリュは同年7月13日に同敷地内に新築のアクロスプラザ扶桑内に移転再オープン。その後旧店舗は解体しアクロスプラザのテナント増床分に充てている。[要出典]
名鉄名古屋本線沿線地区
名鉄常滑線・河和線沿線(知多)地区
その他の尾張地区

三河地区

西尾店
豊田市
  • 保見店(豊田市保見ヶ丘町5-1[54]1975年(昭和50年)4月1日開店[55] - 2005年(平成17年)8月5日閉店[56]
    • 保見団地内に出店していた[57]
    • 店舗面積約2,268m2[58]
    • 跡地には日系ブラジル人3世が経営する[59]「アイ・ビー・フォックス」が2006年(平成18年)6月28日に「フォックスタウン」が開業した[56]
    • 開業当時は名鉄ストアーという店名で、後に名鉄パレと改称した。
  • 朝日店(豊田市朝日町1-3[4]1973年(昭和48年)9月開店[29] - ?閉店)
    • メイツプラザ(店舗面積約3,140m2)内に出店していた[58]
西三河(豊田市以外)
  • 豊明店(豊明市二村台3-1-1[4]、?開店 - ?閉店)
  • 知立店(知立市昭和9-2[4][39]1966年(昭和41年)10月12日開店[39] - 2005年(平成17年)6月末日閉店[60]
    • 知立団地内に出店していた[3]
    • 店舗面積約570m2[4]
    • 跡地には2008年(平成20年)2月に「マルスフードショップ」が開業した[61]
  • 小垣江店(刈谷市小垣江町亥新田1-1小垣江ビル[62]、?開店 - ?閉店)
    • 店舗面積約2,299m2[62]
  • 新安城店(安城市1986年(昭和61年)7月開店[29] - ?閉店)
  • 岡崎店(岡崎市康生通西3-1-1[4]1973年(昭和48年)4月開店[58] - ?閉店)
    • 西三河総合ビル(店舗面積約7,288m2[58]地下1階に出店していた[63]
    • メルサが継承して直営の食品売り場として営業した後[63]1990年(平成2年)9月14日にヤングファッション売り場となった[64]
  • 大府店(大府市1990年(平成2年)6月開店[29] - ?閉店)
  • (初代)西尾店(西尾市住吉町4-18[54]、1973年(昭和48年)12月開店[65] - 2013年(平成25年)閉店[65]
    • 西尾駅のステーションビル[65](店舗面積約7,292m2[54])に出店していたが[65]、ビルの再開発に伴って閉店となった[65]
    • 店舗面積約5,256m2[22]
    • かつては名鉄ストアー時代に名鉄西尾百貨店、名鉄パレになってからは名鉄パレ百貨店西尾という百貨店型の店舗だった。
  • (二代目)西尾店(西尾市住吉町4-18、2013年(平成25年)8月21日開店 - 2016年(平成28年)2月7日閉店)
    • 西尾駅から南に50mの場所に移転。鉄骨造り平屋建てで直営売場面積は257坪の食品に特化した店舗だった[65]
豊橋市
  • 菰口店(豊橋市菰口町1-20[6]1996年(平成8年)3月開店[6] - ?閉店)
    • 店舗面積約1,558m2[6]
    • 2008年(平成20年)10月1日にディスカウント業態に変更して「プライスカット菰口店」として新装開業した[66]
  • 飯村店(豊橋市飯村南2-31-1[6]1991年(平成3年)11月開店[6] - 2017年(平成29年)8月20日閉店)
    • 店舗面積約3,988m2[6]。開店時は2階にギガス(のち経営統合にてケーズデンキ)豊橋飯村店が入居していたが2016年(平成28年)7月31日に閉店。パレマルシェ閉店後、空きビルを解体し、2019年(令和元年)12月12日に名古屋鉄道の新規事業として名鉄インプレス運営による「ゆのゆ TOYOHASHI」が開設された[67]

岐阜県

岐阜市

  • 岐阜ストアー本店 → 岐阜店(岐阜市徹明通1-17[68]1962年(昭和37年)12月1日開店[68] - ?閉店)
    • 店舗面積1,175m2[68]
    • 1948年(昭和23年)に創業し、わずか11年後の1959年(昭和34年)に閉店した[69]丸宮百貨店を買収して出店していた[5]。開設にあたっては、1953年(昭和28年)に増築した4階建(一部5階建)の建物を利用し、徹明町交差点に建つ3階建ての建物並びに増築部分と連接した2階建ての建物は取り壊し、なごや初寿司等が入居するテナントアーケード及び名鉄モータープール(有料駐車場)に変更して「岐阜ストアー(のち、名鉄岐阜ストアー)」として営業を開始した[70]独特な広告塔は丸宮百貨店時代に完成し、マークを岐阜ストアーのGSマークに取り換えて使用していた。各階に売場が設けられていたが、店内エスカレーターは存在せず、実質1階の食品売り場をメインに営業しており、営業末期には外壁等の老朽化が著しかった。[要出典]
    • 名鉄ショッピ時代に閉店し、跡地には1990年(平成2年)11月3日に岐阜メルサ(ファッション館)が開業したが[5]、売り上げ低迷のため2009年(平成21年)8月に閉店。その居抜きスペースの一部を使い2011年(平成23年)4月に「ドン・キホーテ柳ケ瀬店」が入居していたが2020年10月25日閉店[71]2022年12月現在も空きビルとなっている。[要出典]
  • 三里店(岐阜市清上沼715-1[54]1995年(平成7年)9月開店[6] - 2005年(平成17年)閉店)
  • 忠節店(岐阜市島栄町2-45[4]1972年(昭和47年)5月28日開店[72] - 2000年(平成12年)2月閉店[73]

大垣市

中濃地区

多治見市

  • 多治見店(多治見市本町[3]1964年(昭和39年)6月開店[3] - ?閉店)
  • 多治見駅前店(多治見市本町1-2[54]1971年(昭和46年)10月開店[29] - ?閉店)
  • 多治見橋店(多治見市、1977年(昭和52年)11月開店[29] - ?閉店)
  • ホワイトタウン店(多治見市、1982年(昭和57年)4月開店[29] - ?閉店)
    • ホワイトタウンに出店していた[3]

静岡県

石川県

三重県

  • マコー四日市店(四日市市諏訪町13-6[87]1963年(昭和38年)10月25日開店[20] - 1967年(昭和42年)3月9日閉店[88]
    • 店舗面積約1,494m2[87]
    • 地下1階・地上5階建ての新道ビルの地下1階から地上3階までに出店していた[89]

関連企業

2005年(平成17年)1月時点で存在していた、名鉄パレ関連企業を挙げる。

  • フジ・レジャー開発株式会社
    • インストアベーカリー「メイクレール」、ファストフード「あつあつ家」を運営していたほか、株式会社バークレーとともに、まんが喫茶「山ん馬」をチェーン展開していた。
  • Meitetsu Shopping Center Inc.(名鉄ショッピングセンター)
  • M & F Corporation of Micronesia
    • テニアン島にて「名鉄フレミングホテル」「名鉄フレミングレストラン」「名鉄フレミングストアー」を運営していた。1974年(昭和49年)1月に出店した[7]

また、1963年(昭和38年)5月、伊藤忠商事と名鉄、名鉄百貨店の合弁にてスーパーマーケット「マコ―」が設立され[90]、四日市店・鶴舞店・東山店が開設されている[5]

  • しかしながら1967年(昭和42年)7月、同じく伊藤忠商事と名鉄が1964年(昭和39年)12月に合弁して設立した[90]「ナゴヤスポーツガーデン」と合併して[5]終焉となった。

脚注

  1. ^ a b c d e “名鉄ストア、3月1日から「名鉄パレ」に社名変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年3月4日)
  2. ^ “オークワ、東海地区の子会社パレを吸収合併”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年3月16日)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 名鉄百貨店社史編纂室 『名鉄百貨店開店30周年記念社史』 名鉄百貨店、1985年5月10日。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1979年10月。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 416-417 
  7. ^ a b c d e f g h 『流通会社 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
  8. ^ 『中日新聞縮刷版・1980年7月号「名鉄百貨店系」「名古屋ショッピ」「岐阜ストアー」「多治見ストアー」スーパー3社が合併』中日新聞本社、8月、931頁。 
  9. ^ a b “名鉄パレ、フェニックス・キャピタルに営業譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月16日)
  10. ^ 中日新聞朝刊 2005年4月27日付 9面
  11. ^ “中部流通特集:小売トップインタビュー=パレ・田村弘一社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月17日)
  12. ^ “名古屋鉄道、名鉄パレをフェニックス・キャピタルに譲渡へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月9日)
  13. ^ a b c d e f “オークワ、名古屋のSMパレを買収”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年6月13日)
  14. ^ “バイヤー視点:パレ・掘武雄氏「“おいしかった”というお客の声が最高の喜び」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月23日)
  15. ^ a b c d e “オークワ、子会社のパレを吸収合併 「パレマルシェ」は継続”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2011年3月8日)
  16. ^ 田村弘一氏(グリーンファクトリー社長、パレおよびクイーンズ伊勢丹元社長)2日死去”. 2023年1月7日閲覧。
  17. ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:牛尾誠之常務理事に聞く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月15日)
  18. ^ “日本流通産業・大桑社長、PB開発より強化など語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年6月14日)
  19. ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:大桑社長に聞く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月15日)
  20. ^ a b 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp183
  21. ^ a b 「パレマルシェ神宮前店」オープンについて”. オークワ (2021年7月14日). 2021年7月23日閲覧。
  22. ^ a b c d e f g h i 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
  23. ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1975年10月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年10月1日).pp9
  24. ^ a b c “名鉄河和SCオープン”. 中部財界 1979年5月号 (中部財界社) (1979年5月).pp32
  25. ^ a b 『流通会社年鑑 1981年版』 日本経済新聞社、1980年12月。
  26. ^ “名鉄東郷店オープン”. 中部財界 1982年12月号 (中部財界社) (1982年12月).pp50
  27. ^ a b “「イクト」開業に長い行列 新岐阜百貨店跡に新商業施設”. 中日新聞 (中日新聞社). (2009年9月6日)
  28. ^ 名鉄岐阜駅 新商業ビル「ECT(イクト)」が9月6日(日)にグランドオープン。 - 名古屋鉄道ニュースリリース 2009年7月31日
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
  30. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp180
  31. ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp366
  32. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp179
  33. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
  34. ^ a b c d e 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
  35. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp163
  36. ^ 吉岡健次 山崎春成編 『現代大都市の構造』 東京大学出版会、1978年7月25日。ISBN 978-4-13-061028-5
  37. ^ 『組織変更および人事異動に関するお知らせ』 オークワ、2012年2月27日 。
  38. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp373
  39. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp372
  40. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp371
  41. ^ a b c d e f g 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp182
  42. ^ オークワ/チラシ・店舗情報/愛知県/パレマルシェ 神宮店”. www.okuwa.net. 2021年6月8日閲覧。
  43. ^ 『日本職員録 第14版 中』 人事興信所、1972年。ppな8
  44. ^ パレマルシェ 堀田店”. オークワ. 2022年7月31日閲覧。
  45. ^ 2023年2月期 第2四半期累計期間 営業の概況” (PDF). オークワ. p. 8 (2022年10月3日). 2022年10月6日閲覧。
  46. ^ 【閉店】ナフコ 不二屋岩倉店”. 2023年1月7日閲覧。
  47. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年。pp576
  48. ^ a b “マックスバリュ中部、「マックスバリュ扶桑店」をオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年10月17日)
  49. ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp365
  50. ^ a b “開店予定”. ショッピングセンター 1987年3月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年3月1日).pp46
  51. ^ a b “名鉄常滑駅の商業施設「パレマルシェ」来夏閉鎖”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2011年10月18日)
  52. ^ a b 春日井市史編集委員会 『春日井市史 資料編(5)』 春日井市、1993年3月31日。
  53. ^ a b “財界耳うちばなし”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp99
  54. ^ a b c d e f g h i j k l m 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2004年版』 東洋経済新報社、2004年。
  55. ^ “SC情報”. ショッピングセンター 1975年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年5月1日).pp9
  56. ^ a b “アイ・ビー・フォックス、豊田市保見団地のショッピングセンター28日オープン”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2006年6月5日)
  57. ^ 戸井田克己 『日本の内なる国際化 日系ニューカマーとわたしたち』 古今書院、2005年3月19日。ISBN 978-4772260220
  58. ^ a b c d 『東三河の経済と社会 第二輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1977年3月。
  59. ^ “70ドルから年商100億円=〝移民の夢〟実現した玉田さん=ニューズウィーク、日経新聞でも紹介”. ニッケイ新聞(ニッケイ新聞社). (2006年11月11日)
  60. ^ 『平成17年知立市議会6月定例会会議録 6月9日(木)第2号』 知立市議会、2005年6月9日。
  61. ^ “知立団地にマルスフードショップがSC出店”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2008年2月21日)
  62. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版』 東洋経済新報社、2000年。
  63. ^ a b 今井弘行 “リニューアルを機に、SCコンセプトを具現化するため保証金制度をやめた『岡崎メルサ』”. ショッピングセンター 1991年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1991年6月1日).pp31
  64. ^ 今井弘行 “リニューアルを機に、SCコンセプトを具現化するため保証金制度をやめた『岡崎メルサ』”. ショッピングセンター 1991年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1991年6月1日).pp33
  65. ^ a b c d e f “中部秋季特集:オークワ、「パレマルシェ西尾店」移転新築オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年9月10日)
  66. ^ “パレ社長 東山和典氏 DS一号店を試金石に”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2008年10月2日)
  67. ^ 温浴施設 1 号店「ゆのゆ TOYOHASHI」が 12 月 12 日(木)にオープン! ~『結びの湯』をコンセプトとした、豊橋市内最大級の温浴施設~”. 2023年1月7日閲覧。
  68. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp326
  69. ^ 『岐阜市史 通史編 現代「丸宮百貨店の盛衰」』岐阜市、1981年、421頁。 
  70. ^ 『保存版 岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、11月19日、129頁。 
  71. ^ 森村陽子(2011年6月8日). “柳ケ瀬に客足戻る ドン・キホーテ開店1カ月余り”. 中日新聞 (中日新聞社)
  72. ^ a b c d e f “競争激化する岐阜市小売業界の現況”. 経済月報 1978年4月号 (十六総合研究所) (1978年4月).pp9
  73. ^ a b “名鉄パレが来年2月に2店閉鎖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年12月13日)
  74. ^ “岐阜市小売商業の現況 大型店進出をめぐって”. 経済月報 1975年5月号 (十六総合研究所) (1975年5月).pp8
  75. ^ “中部流通特集:小売業界、出店相次ぐ=ヤマナカ「忠節フランテ館」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月30日)
  76. ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp145
  77. ^ a b c 各務原市教育委員会 『各務原市史 史料編 近代・現代』 各務原市、1986年3月31日。pp745
  78. ^ a b c d “浜松の旧ヨーカ堂ビルに進出した核テナント「パレマルシェ」、開店から半年で撤退へ”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2009年12月1日)
  79. ^ “パレ、浜松市中心街に「パレマルシェかじ町」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年5月25日)
  80. ^ a b c d e “遠鉄ストア、「湖西店」開店 名鉄、ユーストアと三つ巴”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年9月26日)
  81. ^ パレマルシェ北寺島店の閉店に伴うATM廃止のお知らせ” (PDF). 浜松信用金庫 (2015年8月20日). 2016年1月5日閲覧。
  82. ^ “静岡特集=名鉄ストア核店舗の湖西SC、隣町ユーストアに対抗し増床”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年3月9日)
  83. ^ a b “遠鉄ストア、9月下旬「湖西店」開店、営業中の湖西店は閉鎖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年8月26日)
  84. ^ a b c “「ららぽーと磐田」オープン 食品核店舗に「パレマルシェ」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年7月1日)
  85. ^ a b “1ケタ成長,地方スーパー健闘-「小売業調査」より”. 生協運営資料 1982年8月号 (日本生活協同組合連合会) (1982年8月1日).pp108
  86. ^ a b “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp44
  87. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年。pp296
  88. ^ 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp224
  89. ^ “国鉄・名鉄・近鉄の鉄道資本スーパーに進出”. 新日本経済 1963年11月号 (新日本経済社) (1963年11月1日).pp106-107
  90. ^ a b 『伊藤忠商事100年』伊藤忠商事株式会社、10月1日 1969、245頁。 

外部リンク