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2022年10月7日 (金) 03:25時点における版
東京学芸大学附属高等学校 | |
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北緯35度38分5.4秒 東経139度40分42.8秒 / 北緯35.634833度 東経139.678556度座標: 北緯35度38分5.4秒 東経139度40分42.8秒 / 北緯35.634833度 東経139.678556度 | |
過去の名称 | 東京学芸大学教育学部附属高等学校 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人東京学芸大学 |
設立年月日 | 1954年 |
共学・別学 | 男女共学(男女ほぼ同数) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(各学年8学級) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113110000012 |
高校コード | 13006A |
所在地 | 〒154-0002 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう、Tokyo Gakugei University Senior High School)は、東京都世田谷区下馬四丁目にある国立高等学校。通称「学附(がくふ)」、「附高(ふこう)」。
設置者は国立大学法人東京学芸大学で、小金井市にある東京学芸大学の附属学校の1つ。
概要
1954年(昭和29年)に「東京学芸大学教育学部附属高等学校」として開校。2014年(平成26年)に創立60周年を迎えた。学年の約2/3は(世田谷、竹早、小金井)3校からの「附属中学校枠」で入学する。また、1975年にタイ王国からの留学生の受け入れを、翌1976年に帰国子女の受け入れを開始した。
2012年度より文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受けている。2014年度よりSGHアソシエイトに選定されている。SSHおよびSGHAの活動として、日中ティーンエイジアンバサダーやチュラポーン高校(タイ王国)との交流事業、生徒主体の校内団体であるIn-cafeやglobal-cafe、ICT等を利用した授業や隔週で出されるレポートなど先進的かつ積極的に取り組んでいる。
所在地・交通アクセス
沿革
- 1954年(昭和29年)
- 4月 - 東京学芸大学附属高等学校が開校。(生徒数 208名(男女ほぼ同数))
- 5月29日 - 開校式を挙行。
- 本部を世田谷区下馬に置き、校舎は竹早校舎(文京区竹早)と世田谷校舎(世田谷区深沢)の2校舎制とする。各校舎2学級とする。
- 1955年(昭和30年)- 制服・制帽を制定。
- 1958年(昭和33年)- 校旗・校歌を制定。
- 1960年(昭和35年)- 東京学芸大学の建物を利用し、下馬校舎を設置。
- 1961年(昭和36年)- 大学の移転に伴い、竹早校舎と世田谷校舎を廃止し、下馬校舎に統合。1学年6学級とする。
- 1967年(昭和42年)- プールが完成。学級数が現在の1学年8学級になる。
- 1969年(昭和44年)- 10月13日に一部生徒が試験制度の廃止を求めて校舎をバリケード封鎖[1]。男子の制帽自由化。
- 1975年(昭和50年)- タイ国留学生の受け入れを開始。(以降、毎年、数人が共に日本語で学習)
- 1976年(昭和51年)- 海外在学経験者(定員15名)を特別枠で受け入れ開始。
- 1978年(昭和53年)- 大体育館が完成。
- 1979年(昭和54年)- 図書館が開館。
- 1981年(昭和56年)- 別館が完成。
- 1985年(昭和60年)- 西館が完成。
- 1995年(平成7年) - マルチメディア学校教育利用実験開始
- 2004年(平成16年)4月 - 組織改編。大学が国立大学法人化される。校名から教育学部が除かれ、「東京学芸大学附属高等学校」(現校名)に改称。
- 2012年(平成24年)- スーパーサイエンスハイスクールに認定される。それに伴い、校内の合併教室を改修し、In-cafe を設置。
- 2015年(平成27年)-スーパーグローバルハイスクールアソシエイト校に認定される。それをきっかけに有志の生徒と有志の教員の二人三脚により、インカフェ内にグローバルカフェが設立される。また、平和構築等の取り組みにより、さまざまな視点から世界を見つめるバランス感覚を持ち、自分の頭で考え行動できる人の育成を目指す取り組みが初めて作られた。
教育
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入学試験
- 附属中学生
同じく東京学芸大学附属学校はいくつかあるが、内部進学には定員があり入学試験を受験し合格しなければならない。
世田谷中学校、竹早中学校、小金井中学校の3校から内部進学者を募集している。
なお、国際中等教育学校前期課程は中高一貫が前提となっているため、内部進学者を受け付けていない。
附属中学生の入試は2016年(平成28年)入学生まで一般中学生が受ける入試と共通の入試日と共通問題であった。
- 一般中学生
2016年まで、都立・県立の公立高校合格発表を待ってから入学手続きを行うことができた。
授業
文理の教科選択は3年生からであり、2年生までは文理を問わず地歴公民科や理科を幅広く履修する。なお、3年生では「理系学科志望の生徒が文系教科目を履修する」等、文系理系の枠にとらわれない教科目選択を行うこともできる。
授業の内容は学習指導要領に沿ってはいるが、多くの教科では教科書の水準を質量共に上回る発展的な授業を展開する。
国内の高校としては2003年に「情報」科目が一律に導入される前の1995年よりコンピュータ教育を取り入れており[2]、Appleの HP では、その授業風景が特集されていたことがある。
SSHやSGHを授業内に取り入れており、希望する生徒の探究心をサポートする体制となっている。
国際化への取り組みは、タイ・チュラポーン高校との交流やグローバルカフェのイベントを通して実施されている。自らと異文化の視点を持つ人たちとの交流を通じて、生徒たちに新たな学びの場を提供している。
また、年に3回・計8週間、東京学芸大学の教育実習を受け入れている。
大学進学状況
毎年、(国公立)東京大学、一橋大学、東京工業大学や(私立)慶應義塾大学、早稲田大学といった首都圏の国公立・私立の難関大学に数多くの合格者を輩出している。
各年度の大学合格者数(浪人含む) | 東京大学 | 国公立大学医学部医学科(防衛医科大学校を含まず) | 慶應義塾大学 | 早稲田大学 |
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2016年度 | 57名(57名進学) | 40名(40名進学) | 148名(54名進学) | 177名(46名進学) |
2017年度 | 46名(46名進学) | 28名(28名進学) | 103名(30名進学) | 140名(25名進学) |
2018年度 | 49名(49名進学) | 30名(30名進学) | 114名(40名進学) | 155名(35名進学) |
2019年度 | 45名(45名進学) | 20名(20名進学) | 119名(48名進学) | 136名(31名進学) |
2020年度 | 28名(28名進学) | 24名(24名進学) | 102名(42名進学) | 123名(42名進学) |
2021年度 | 30名(30名進学) | 26名(23名進学) | 93名(33名進学) | 100名(33名進学) |
設備
1936年(昭和11年)、東急電鉄総帥・五島慶太の誘致によって赤坂区青山北町(当時)から移転した東京府青山師範学校として建設され、1961年(昭和36年)以降は、大学の小金井移転に伴って空いた、敷地の一部[3]と建物をそのまま用いている。このため校内は非常に広く、大きなグラウンドが2つ(大グラウンド・芝グラウンド※現在は芝はない)と体育館が3つ(大体育館・小体育館・第一体育館)、柔道場、さらにはそれらとは別に講堂、西館、別館がある。L字型の校舎は、青山師範学校の歴史的な建造物で、テレビドラマや映画の撮影に使用されたこともある。正門から昇降口までは見事な銀杏並木が並んでいる。季節を通して美しい並木の様子から「ロマンス街道」と生徒の間で呼ばれている[4]。
妙高教育研究所
約110名が宿泊できる施設であり、体育館、弓道場などを併設している。かつては、坪岳スキー場の運営をしていた。
1年次の林間学校、スキー教室、部活動の合宿などで利用されている。また、保護者、在校生、卒業生のほか一般の個人利用もできる。
学校生活
- 通学路
最寄り駅は、東急東横線学芸大学駅。道順は複雑ではあるものの、駅前の交番には同校までの地図が常備されている。田園都市線三軒茶屋駅からも歩けるが、渋谷駅での乗り換えの便などから田園都市線沿線在住の生徒以外は殆どが学芸大学駅から通学している。なお、渋谷駅南口から学芸大学附属高校の前まで東急バス(野沢龍雲寺循環)が出ている。また、三軒茶屋駅北口からも学芸大学附属高校付近(徒歩1分未満)まで東急バス(目黒駅行)が出ている。
また学区制限がないこと[5]、帰国子女を受け入れていることから、近隣で一人暮らしをしている生徒も存在する。
- 制服
同校では、制服着用義務が生徒に課せられている。
冬服は、制定されてから半世紀間、ほとんど不変の伝統あるデザインとなっている。男子の上着はスクールカラーである紺色の学生服に銀色のボタン、詰襟の左襟には泰山木の花をかたどった大きい銀の校章バッジを付け、白いプラスチック製カラーを入れる。女子の上着は身頃・襟とも紺のセーラー服に紺色の3本ラインとなっており、襟には男子と同じデザインの校章バッジと胸当て(制服制定当初にはなかったが、後に装着を規定)を付ける。スカートは、24本ヒダのプリーツスカートである。胸には青いスカーフを結ぶか、最近指定された青い成型済みリボンを付ける。附高結びのスカーフが正装とされているが、普段の学校生活では指定リボンを付ける生徒が多数である。ズボンとスカートは、共布の紺色である。なお、両端にプリーツを折ってから結ぶ、スカーフの「附高結び」(蛾結び)[6]は、1960年代に女子生徒たちが自主的に開発した着こなしで、今では附高の伝統として認知されている。
6月~9月は夏服期間である。男子の上は、胸に校章を表示した白ワイシャツ、ズボンは1964年から霜降りに変更された。また女子は、校章バッジを付けた紺の襟に白い身頃、紺の3本ラインのセーラー服であるが、胸当てはない。スカートは冬と同じ紺色。5月および10月は移行期間であり、夏冬どちらの制服を着用してもよいことになっている。
創立当初は制帽(黒色学生帽)着用も義務であったが、1969年度から制帽は自由化された。その後、生徒は引き続き制服自由化を要求したものの、激しい高校紛争とその直後に新聞部を中心に提唱された制服廃止要求にもかかわらず、学校側は、制服の同一性が「共に学び共に語る友情の絆、高校集団としての意識の形成」に資するとして積極的意義を唱え、制服そのものは廃止されなかった。
その後、1990年代半ばに「制撤会」が制服自由化運動を展開したことがあったが、全校生徒の間に廃止の機運は盛り上がらず、立ち消えとなった。
- クラス編成
1クラス概ね40人程度の編成で、A組からH組までの8クラス×3学年の24クラスで推移している。
1クラスには前述した3つの附属中学校からの内部進学者と外部進学者、さらには帰国子女(一学年に15人程度)とタイからの留学生(一学年に2人程度)を混合し構成される(2021年現在は0人)。学区による通学区域の制限は無く、全国から入学者を受け入れている。
- 行事
月別行事表[7]
- 4月 - 新体力テスト
- 5月 - 遠足・3年球技大会・1年地理実習
- 6月 - 体育祭・2年球技大会
- 7月 - 1年林間学校
- 9月 - 辛夷祭(こぶしさい)(文化祭)
- 10月 - 1年野外実習(地学)
- 11月 - 2年学習旅行(修学旅行)・1年球技大会・1年野外実習
- 12月 - 1年プラネタリウム見学・2年スキー教室
- 1月 - 1年スキー学校・歌留多会
- 2月 - 1,2年マラソン記録会(こどもの国)・1年科学見学実習・2年社会見学実習
1年時に参加必須の林間学校(妙高山登山)、冬のスキー教室(希望制)は妙高寮にて行われる。また実習や劇鑑賞のほとんどにレポートが課されている。
- 辛夷祭
全校的な盛り上がりを見せる文化祭。クラスごとに出し物を決めて参加するが、毎年1年生は娯楽、2年生は食品販売・模擬店(運動部も食品関係の模擬店を出店)、3年生は演劇となっている。特に3年生各クラスの演劇はキャストだけでなく、戯曲準備、演出、衣裳、小道具、大道具から、予算管理や著作権処理等の制作などのスタッフワークを全て生徒が行なう本格的なもので、辛夷祭の目玉となっており、3年生の演劇に憧れて本校を目差す受験生もいるほどである。その他にも音楽部や演劇部、合唱部、ダンス部、中庭ステージ(通称「中ステ」)でのライブなど出し物も行われる。
また、辛夷祭で発行された文藝部の部誌の掲載作品の一部は『凱風電子版』というサイトで読むことができる。タイ王国留学生によって毎年出店されるタイ風喫茶店は、タイ料理も提供される本格的なものとなっていた(近年は飲み物の販売を行っている)。
一部保護者より、3年次の夏休みを辛夷祭のクラス演劇に費やすことが大学受験の障害になるのではないかという指摘がなされ、辛夷祭そのものが7月に開催されたこともあったが、現在では9月初旬~中旬の開催に戻っている。
クラブ活動
- オーケストラ
- 美術
- 軽音楽
- 演劇
- モダンジャス研究
- ESS
- 囲碁
- 家庭科
- 書道
- かるた
- 合唱
- 天文
- 文藝
- 数理研究同好会
- パソコン同好会
- 落語研究同好会
- クイズ研究同好会
- 生物同好会
- 理工学研究同好会
- ソフトテニス
- 卓球
- ホッケー
- 野球
- 水泳
- サッカー
- ハンドボール
- 男子バスケット
- 女子バスケット
- 男子バレー
- 女子バレー
- 陸上競技
- 男子硬式テニス
- 女子硬式テニス
- 柔道
- 剣道
- 弓道
- 山岳
- バドミントン
- ダンス
備考
著名な出身者
学問
- 吉村作治 - 考古学者、東日本国際大学学長(東京学芸大学教育学部附属高等学校竹早校舎OB)
- 松井孝典 - 惑星科学者、東京大学名誉教授
- 野谷文昭 - ラテンアメリカ文学研究者、東京大学名誉教授、名古屋外国語大学教授
- 武田佐知子 - 歴史学者、追手門学院大学教授
- 坂井素思 - 放送大学教授、社会経済学者
- 霞信彦 - 慶應義塾大学法学部教授
- 渡部直己 - 早稲田大学文学学術院教授
- 川合眞紀 - 化学者、自然科学研究機構長、日本化学会会長、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
- 長谷川寿一 - 東京大学大学院総合文化研究科教授
- 千野香織 - 美術史家
- 長谷川眞理子 - 総合研究大学院大学教授
- 柏木孝夫 - 東京工業大学名誉教授
- 河添房江 - 東京学芸大学教育学部教授
- 寺尾美子 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授(英米法)
- 内藤明 - 国文学者、万葉学者、歌人。早稲田大学社会科学部・早稲田大学社会科学総合学術院教授
- 野矢茂樹 - 東京大学大学院総合文化研究科教授、哲学者
- 所澤潤 - 教育学者、現職は、東京未来大学こども心理学部教授、群馬大学名誉教授
- 小池和彦 - 東京大学医学部教授、内科学、消化器病学
- 小田俊理 - 東京工業大学名誉教授
- 大橋真由美 - 上智大学法学部教授、総務省アドバイザー
- 上杉和彦 - 明治大学文学部教授
- 竹中千春 - 立教大学法学部教授
- 長木誠司 - 音楽学者、東京大学大学院総合文化研究科教授
- 森川雅博 - お茶の水女子大学理学部教授
- 村越真 - 静岡大学教育学部教授、認知心理学者、オリエンテーリング選手
- 佐伯順子 - 同志社大学社会学部教授
- 大槻東巳 - 上智大学理工学部教授、物理学者
- 茂木健一郎 - 脳科学者
- 和仁陽 - 東京大学大学院法学政治学研究科准教授(法制史)
- 堀川貴司 - 国文学者、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授
- 小幡績 - 慶應義塾大学大学院経営管理研究科准教授
- 高山佳奈子 - 京都大学法学部教授、刑法学者
- 鈴木正信 - 成城大学文芸学部准教授、歴史学者
- 加藤耕一 - 西洋建築史学者、東京大学大学院工学系研究科教授
- 大隅典子 - 東北大学副学長、日本分子生物学会理事長、神経科学者
- 入山章栄 - 早稲田大学大学院経営管理研究科教授
- 中村亨 - 数学ライター
- 武川正吾 - 東京大学名誉教授、社会学者[要出典]
政治
行政
- 青柳一郎 - 国土交通省国土政策局長、内閣府政策統括官(防災担当)、国土交通省大臣官房政策立案総括審議官
- 市川恵一 - 外務省北米局長
- 岡井朝子 - 国際連合事務次長補、国際連合開発計画総裁補兼危機対応局長
- 後藤久典 - 中小企業庁中小企業取引研究官
- 佐竹基 - 国家公務員共済組合連合会理事
- シントン・ラーピセートパン - 駐日タイ王国大使、タイ王国外務省東アジア局局長
- 田中一穂 - 日本政策金融公庫総裁、財務事務次官[8]
- 田谷廣明 - 東京税関長、大蔵官僚
- 藤原誠 - 第12代文部科学事務次官
- 松尾元信 - 金融庁総合政策局長
- 道盛大志郎 - 元国土交通省政策統括官、元東京国税局長
- 御巫智洋 - 外務省国際法局長
- 森信親 - 金融庁長官[9]
- 山田真貴子 - 内閣広報官、東北新社役職員による総務省幹部接待問題で辞職
- 横尾和子 - 社会保険庁長官、最高裁判所判事
法曹
- 伊藤真 - 伊藤塾塾長
- 佐村浩之 - 東京地方裁判所部総括判事、新司法試験委員(環境法)[要出典]
- 久保田紀昭 - 弁護士
- 近藤崇晴 - 最高裁判所判事
- 島田仁郎 - 最高裁判所長官
- 早川吉尚 - 立教大学法学部・大学院法務研究科教授(国際私法)、弁護士
- 池田祐久 - 外国弁護士、東京財団政策研究所理事
- 宮崎裕子 - 最高裁判所判事、弁護士
産業
- 信元久隆 - 曙ブレーキ工業会長兼社長、日本自動車部品工業会会長
- 彦根明 - 建築家、彦根建築設計事務所共同宰[10]
- 山口勝業 - イボットソン・アソシエイツ日本法人創立者・会長
- 五十嵐壮太郎 - ドリパス創業者、ブルーム社長
- 東哲郎 - 東京エレクトロン会長兼社長兼CEO、日本半導体製造装置協会会長
- 太田道彦 - 丸紅副会長、日本カザフスタン経済委員会会長
- 瀧口浩平 - メドレー創業者・社長
医学
芸術
- 浅田秀子 - メゾ・ソプラノ奏者
- 小森輝彦 - バリトン歌手
- 成井豊 - 劇作家・演出家
- 水原央 - 劇作家・演出家
- 千野秀一 - キーボーディスト、作曲家、編曲家、即興演奏家(中退)
- 笹路正徳 - 作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、鍵盤楽器奏者
- 高木椋太 - シャンソン歌手
- 布川俊樹 - ギタリスト、作曲家、編曲家
- 羽深由理 - 作曲家、編曲家
- 松野勉 - 建築家
文学
マスコミ
- 荒井昭博 - テレビプロデューサー
- 高島肇久 - 元NHK解説委員長、元外務報道官、海外通信・放送・郵便事業支援機構会長
- 阿部百江 - 日本経済新聞記者
- 国井雅比古 - NHKアナウンサー
- 鳥谷規 - ニッポン放送エンターテインメント開発局ライツ・新規ビジネス推進室長兼部長、プロデューサー、ディレクター
- 三上たつ次 - NHKチーフアナウンサー
- 植村なおみ - 元よみうりテレビアナウンサー
- 村上由利子 - NHKアナウンサー
- 森圭介 - 日本テレビアナウンサー
- 平井理央 - フリーアナウンサー、元フジテレビアナウンサー、元タレント
- 竹内由恵 - テレビ朝日アナウンサー
- 天明麻衣子 - フリーアナウンサー、元NHK仙台放送局契約キャスター
- 望月衣塑子 - 東京新聞社会部記者
- 波多野健 (プロデューサー)
- 篠原梨菜 - TBSアナウンサー、元タレント
- 辻沙穗里 - 毎日放送アナウンサー
- 田中碧 - テレビ神奈川アナウンサー
- 加藤行輝 - 元NHKアナウンサー[要出典]
芸能
- マッスル北村 - ボディービルダー、タレント
- 中田敦彦 - お笑いコンビ・オリエンタルラジオメンバー、音楽グループ・RADIO FISHメンバー
- 歌原奈緒 - タレント
- 橋本侑樹 - アイドルグループ・アリス十番元メンバー、渋谷区議会議員
- 惣田紗莉渚 - アイドルグループ・SKE48メンバー
- バベンチ - お笑いトリオ
その他
- 枝廣淳子 - 環境ジャーナリスト、同時通訳者、翻訳家
- 竹谷宗久 - 実業家
- 神津里季生 - 労働運動家、7代目日本労働組合総連合会会長
- 八田真行 - ハッカー、コラムニスト
- 小林りん - 社会起業家(中退)
- 平原勇次 - バスケットボール審判員
- 花形冴美 - プロボクサー
- 藤井厳喜 - 国際問題アナリスト、未来学者、評論家、株式会社ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン代表取締役
関連校
脚注
- ^ 「高校紛争全国に広がる 2ヵ月間で49校も」『朝日新聞』昭和44年(1969年)10月28日朝刊、12版、15面
- ^ “情報教育”. 東京学芸大学附属高等学校. 2011年5月29日閲覧。
- ^ 敷地の南西側は東京学芸大学附属世田谷小学校 (1936-1957) → 図書館短期大学 (1964-1981) → 放送大学東京世田谷学習センター (1985-2012) → 建物解体、世田谷区立下馬中央公園
- ^ “東京学芸大学附属高等学校同窓会創立50周年”. 日本郵趣協会. 2011年5月29日閲覧。
- ^ H29年度入試公示(一般・帰国生)について (PDF)
- ^ 高山佳奈子のブログ「附高結びの方法」[1]
- ^ 表は平成28年(2016年)度の予定。
- ^ 『週刊ダイヤモンド』2018年6月9日号、46頁
- ^ 東京学芸大学附属高等学校同窓会会報『泰山木』32号 (PDF) p.18
- ^ 彦根建築設計事務所 - PROFILE
関連項目
外部リンク
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