神津里季生
神津 里季生(こうづ りきお、1956年(昭和31年)3月[1] - )は日本の労働運動家。2015年10月から7代目日本労働組合総連合会会長[2]を務めた。
人物・経歴
[編集]東京都生まれ[2]。東京学芸大学附属高等学校18期生[3]、1979年、東京大学教養学部アジア科卒業[2][4]。同年、新日本製鐵株式会社に入社[2]。
新日本製鐵広畑製鐵所に勤務[5]、1983年から新日鐵本社の労働組合建材・鋼管支部書記長(非専従)[5]、1984年から専従となり新日鐵本社労働組合執行委員[2][5]、1988年日本鉄鋼産業労働組合連合会特別本部員、1990年から鷲尾悦也により日本労働組合総連合会(連合)を通じて外務省在タイ日本国大使館一等書記官として3年間派遣された[5]。
1994年、新日鐵労働組合連合会書記次長、1998年、新日鐵労働組合連合会書記長、2002年、新日鐵労働組合連合会会長、2006年、日本基幹産業労働組合連合会事務局長、2010年、日本基幹産業労働組合連合会中央執行委員長、全日本金属産業労働組合協議会副議長[6]。
2010年から連合副会長、2013年から連合事務局長[7][8]、2015年10月から同会長[2]。
2017年10月4日に開かれた連合の定期大会において、第48回衆議院議員総選挙では特定政党の支援を見送り、希望の党や立憲民主党から出馬する民進党出身者を個別に支援する意向を示した[9]。
2021年10月6日、連合会長退任[10]。
山本周五郎の『ながい坂』を座右の書とする[11]。東京大学では硬式野球部に所属したが、1年のときにバッティングキャッチャーをしていて左手の親指を骨折する大怪我を負ったのを機に選手を諦めてマネージャーに転身、新日本製鐵広畑でも野球部マネージャーを務めて都市対抗野球出場を経験した[12]。
出典
[編集]- ^ 日本の危機と国民の力 IMF JC 2011 Spring
- ^ a b c d e f “神津里季生氏(59)”. 日本経済新聞 (2015年10月28日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ “同窓会・会報 泰山木19号 同期会”. www.taizanboku.gr.jp. 2022年5月30日閲覧。
- ^ 神津里季生(日本労働組合総連合会(連合)会長)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】 デイリー新潮[リンク切れ]
- ^ a b c d “公益社団法人 教育文化協会(ILEC) INSTITUTE OF LABOR EDUCATION & CULTURE”. 一橋大学. 2022年5月30日閲覧。
- ^ “神津 里季生 (連合(日本労働組合総連合会)会長)”. FACTA ONLINE. 2022年5月30日閲覧。
- ^ “JCM : 第56回協議委員会(2013年12月9日)”. 金属労協 (2013年12月12日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ “連合次期会長に神津氏選出へ 新日本製鉄の労組出身”. 朝日新聞 (2015年9月19日). 2015年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月30日閲覧。
- ^ “連合、特定政党支援せず 神津会長「1強政治に終止符」”. 日本経済新聞 (2017年10月4日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ “連合初の女性会長、芳野氏選出 JAM出身、事務局長は清水氏”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月6日閲覧。
- ^ “連合会長 神津里季生氏”. 日本経済新聞 (2016年2月7日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ “連合会長・神津里季生さん「野球がしたくて東大へ」”. 毎日新聞 (2018年2月3日). 2022年5月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 連合|神津里季生連合会長の会長室
- 神津里季生 (@rikiokozu56) - X(旧Twitter)
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