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「マツリダゴッホ」の版間の差分

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|レ値 = L121 / 2007年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/2007Rankings/2007_WorldRankings.asp |title=The 2007 World Thoroughbred Racehorse Rankings |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-11-18}}</ref><br />L121 / 2008年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/2008Rankings/2008_WorldRankings.asp |title=The 2008 World Thoroughbred Rankings |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-11-18}}</ref><br />L119 / 2009年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2009_WorldRankings.asp |title=The 2009 World Thoroughbred Rankings |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-11-18}}</ref>
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'''マツリダゴッホ'''(欧字名:{{lang|en|Matsurida Gogh}} [[中国語|香]]:{{Lang|zh|梵高藝展}}、[[2003年]][[3月15日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]][[種牡馬]]。主な勝ち鞍は[[2007年]]の[[有馬記念]]、[[アメカジョキークラブカップ]]、2007年 - [[2009年]]の[[オールカマー]]3連覇、[[2008年]]の[[日経賞]]
'''マツリダゴッホ'''(欧字名:{{lang|en|Matsurida Gogh}}、[[2003年]][[3月15日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]][[種牡馬]]<ref name="JBIS">{{Cite web |title=マツダゴホ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000762445/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>


2007年の[[有馬記念]](GI)優勝馬である。
[[サンデーサイレンス]]産駒の最終世代(ラストクロップ)であり、産駒最後のGI勝ち馬。生涯戦績27戦10勝のうち[[中山競馬場]]に限れば有馬記念を含む重賞6勝(13戦8勝)と極めて得意にしていた<ref>[https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2017/09/20/___split_130/index.php オールカマーで思い出す、「中山マイスター」マツリダゴッホの秋祭り]Web Sportiva(2017.9.20)、2021年1月11日閲覧。</ref>。


== 戦績 ==
== 概要 ==
2003年3月15日、[[北海道]][[静内町]]の[[岡田スタッド]]で生産された[[鹿毛]]の[[牡馬]]である。父は[[サンデーサイレンス]]、母は[[ナリタトップロード]]の妹であるペイパーレインだった。冠名「マツリダ」の高橋文枝が所有し、[[美浦トレーニングセンター]]の[[国枝栄]]厩舎からデビューした。
=== 出自-デビュー前 ===
母・ペーパーレインは現役時代アメリカで38戦6勝<ref>[https://www.jbis.or.jp/horse/0000423846/ ペイパーレイン(USA)]JBISサーチ、2021年1月11日閲覧。</ref>、キーンランドのセールで岡田スタッドが購入し輸入した<ref>[https://uma-furusato.com/winner_info/37114.html 重賞ウイナーレポート 2007年01月21日 AJCC Jpn2]競走馬のふるさと案内所、2021年1月23日閲覧。</ref>。半弟に[[ナリタトップロード]]がいる。


2歳夏にデビュー戦を勝利したが、しばらくして捻挫により、半年間の休養を強いられた。復帰したものの順調に勝ち進めず、[[クラシック (競馬)|クラシック]]には参戦できなかったが、4歳初戦の[[アメリカジョッキークラブカップ]](GII)で[[重賞]]初勝利。秋の[[オールカマー]](GII)で2勝目を挙げ、暮れの[[有馬記念]](GI)で戴冠を果たした。
父・[[サンデーサイレンス]]は1995年から2007年まで13年連続リーディングサイアー。サンデーサイレンスは2002年8月にこの世を去っており、2003年生まれの本馬は産駒最後の世代<ref>[https://jra-van.jp/fun/relay/20090119.html 競馬かわらVAN(リレーコラム) 第35回 SS時代の一つの終わり]JRA-VAN(2009.1.19)、2021年1月11日閲覧。</ref>。


翌5歳には[[日経賞]](GII)優勝、そして史上初めてとなるオールカマー連覇を果たした。さらに6歳でもオールカマーを制し、史上8頭目となるJRA同一重賞3連覇、史上5頭目となるJRA同一平地重賞3連覇を成し遂げた。27戦10勝、重賞6勝を挙げて競走馬を引退した。重賞勝利はすべて[[中山競馬場]]であり、中山のJRA平地重賞6勝は、[[スピードシンボリ]]、[[シンボリルドルフ]]と並ぶ史上最多記録だった。
馬名は[[冠名]]のマツリダ+[[画家]]の[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]より。


引退後は[[種牡馬]]となり、[[ロードクエスト]](母父:[[チーフベアハート]])や[[クールホタルビ]]([[母父]]:[[ヘクタープロテクター]])の父、[[ナムラリコリス]](父:[[ジョーカプチーノ]])の母父として知られる。
=== 2005年 ===
[[2005年]][[8月21日]]、[[札幌競馬場]]の[[新馬|新馬戦]]で[[蛯名正義]]を鞍上にデビュー{{Efn|デビュー戦から[[シャドーロール]]を着用した<ref name="優駿201201">{{Cite journal|和書|journal=優駿|issue=2012年1月号|pages=73}}</ref>。}}。2着に7馬身差をつけて勝利したことにより注目される<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-131776.html 【新馬戦】(札幌4R)〜SS産駒マツリダゴッホ7馬身差圧勝!]ラジオNIKKEI(2005.8.21)、2021年1月11日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-131777.html 【新馬戦】(札幌4R)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2005.8.21)、2021年1月11日閲覧。</ref>。その勢いで[[札幌2歳ステークス]]に向かい、2番人気に推されるがスタートで出遅れ<ref name="優駿201201" />、1番人気[[アドマイヤムーン]]の6着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-132401.html 【札幌2歳S】(札幌)〜アドマイヤムーン北を完全統一!]ラジオNIKKEI(2005.10.1)、2021年1月11日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-132402.html 【札幌2歳S】(札幌)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2005.10.1)、2021年1月11日閲覧。</ref>。その後5か月の休養に入る。


=== 2006年 ===
== デビューまで ==
=== 誕生までの経緯 ===
明けて[[2006年]]3月、復帰戦となる3歳500万下条件戦を勝利して2勝目を挙げる<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-134995.html 【3歳500万下】(中山6R)〜マツリダゴッホ差し切って2勝目!]ラジオNIKKEI(2006.3.12)、2021年1月11日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-134996.html 【3歳500万下】(中山6R)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2006.3.12)、2021年1月11日閲覧。</ref>。
==== ペイパーレイン ====
フローラルマジックは、アメリカで生産された父[[アファームド]]の牝馬である。アメリカで競走馬として走り、ダート8ハロンの[[準重賞]]を制したほか、{{仮リンク|サンタイネスステークス|en|Santa Ynez Stakes}}(G3)で3着となるなど24戦6勝の成績を残した<ref name="優駿-1999-5-131">『優駿』1999年5月号 131頁</ref>。競走馬引退後は、メキシコ国境に近いアメリカの牧場で繁殖牝馬となる<ref name="優駿-2005-11-55">『優駿』2005年11月号 55頁</ref>。初年度となる1990年は、[[ベルボライド]]と交配。1991年に初仔となる牝馬ペイパーレイン(後のマツリダゴッホの母)が産まれた。


ペイパーレインを産み落とした直後、フローラルマジックは、日本の北海道門別町にある競走馬生産牧場の佐々木牧場、佐々木孝に購入され、1991年に輸入された<ref name="優駿-2005-11-55" /><ref name="優駿-1999-5-131" />。初仔の後の産駒は、日本で走っており、持込の2番仔、父{{仮リンク|ベリファ|en|Bellypha}}の3番仔、父[[ジェイドロバリー]]の4番仔、父[[ロドリゴデトリアーノ]]の5番仔を産んでいた<ref name="優駿-1999-5-131" />。このうち、3番仔改めホウシュウサルーンは、1995年の[[全日本3歳優駿]]を優勝。5番仔改めグリーンプレゼンスは、1998年の[[若葉ステークス]](OP)を優勝していた<ref name="優駿-1999-5-131" />。そして1996年には、6番仔となる父[[サッカーボーイ]]の牡馬が産まれていた<ref name="優駿-1999-5-131" />。
[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]への優先出走権を目指して[[青葉賞]]に向かったが、[[アドマイヤメイン]]の4着と敗戦<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-135697.html 【青葉賞】(東京)〜アドマイヤメインらがダービーへの切符獲得!]ラジオNIKKEI(2006.4.29)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-135698.html 【青葉賞】(東京)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2006.4.29)、2021年1月23日閲覧。</ref>。東京優駿を諦めオープン特別の白百合ステークスに出走したが、輸送で馬体が減ったこともあり7着に敗れた<ref>[https://www.jbis.or.jp/race/result/20060527/107/10/ 2006年5月27日(土)2回中京3日 10R 白百合S オープン]JBISサーチ、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[https://uma-jin.net/sp/column/columnDetail.do?charaId=52&pcId=100078 国枝栄/マツリダゴッホ「真の王者を名乗るため]UMAJIN.net(2011.1.30)、2021年1月23日閲覧。</ref>。3か月の休養を挟み、8月の札幌競馬で日高特別(1000万下)に出走し、初の古馬との対戦で3勝目を挙げる<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-137131.html 【日高特別】(札幌)〜マツリダゴッホ人気に応える]ラジオNIKKEI(2006.8.19)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-137132.html 【日高特別】(札幌)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2006.8.19)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


6番仔改め「[[ナリタトップロード]]」は、1999年の[[きさらぎ賞]]や[[弥生賞]]を優勝してクラシックに参戦する。[[皐月賞]]3着、[[東京優駿]]2着を経て、最終戦の[[菊花賞]]で戴冠を果たした<ref>『優駿』2005年11月号 58頁</ref>。その後も第一線で走り、[[天皇賞(春)]]3年連続3着となったほか、[[重賞]]を7勝する活躍を見せることとなる<ref>『優駿』2005年11月号 61頁</ref>。
その後は[[セントライト記念]]に向かい3番人気に支持されるも第4コーナーで前の馬と接触し落馬競走中止<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-137548.html 【セントライト記念】(中山)〜大波乱トーセンシャナオー人馬ともに重賞初制覇]ラジオNIKKEI(2006.9.17)、2021年1月23日閲覧。</ref>。幸い大事には至らなかった。
[[ファイル:Narita Top Road 19991226R1.jpg|サムネイル|253x253ピクセル|[[ナリタトップロード]]]]
ナリタトップロードがクラシックで活躍していた1999年、日本の競走馬生産牧場である[[岡田スタッド]]は、ナリタトップロードの血統に着目してその姉であるペイパーレインを購入する<ref name="優駿-2012-1-73" />。ペイパーレインは、アメリカで競走馬として6勝を挙げた後、アメリカで繁殖牝馬をしていた<ref name="優駿-2012-1-73" />。


==== 岡田スタッド ====
12月の[[中山競馬場|中山競馬]]で、冬至ステークス(1600万下)をタイム差無しの2着の後<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-138992.html 【冬至ステークス】(中山)〜フェイトトリックス惜敗続きに断]ラジオNIKKEI(2006.12.10)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-138993.html 【冬至ステークス】(中山)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2006.12.10)、2021年1月23日閲覧。</ref>、続くクリスマスカップ(1600万下)に勝利し、オープン入りを果たす<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-139177.html クリスマスC】(中山)〜マツリダゴッホがイン強襲]ラジオNIKKEI(2006.12.23)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-139178.html 【クリスマスC】(中山)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2006.12.23)、2021年1月23日閲覧。</ref>。
岡田スタッドは、北海道静内町の競走馬生産牧場である。岡田蔚男が開き、岡田の次男{{Efn|長男[[岡田繁幸]]は、独立して[[ビッグレッドファーム]]を立ち上げる。[[マイネルキッツ]]など活躍馬を輩出する。}}である[[岡田牧雄]]が継いで代表を務めていた。1972年に開設されて以来、生産馬には1973年の[[朝日杯3歳ステークス]]を優勝したミホランザンこそいたが、グレード制が導入されてから、JRA-GIを優勝した馬は現れていなかった<ref name="デイリー-2008-12-22-22">『デイリースポーツ』2008年12月22日号 22頁</ref>。


導入されたペイパーレインには、日本の首位種牡馬、大種牡馬であるサンデーサイレンスがあてがわれる。日本での交配初年度となる2000年は、受胎して4番仔を得る{{Efn|後のトーセンファイナル。[[島川隆哉]]が所有し14戦1勝、骨折で引退した。}}<ref name="ふるさと-2007-オールカマー">{{Cite web |title=2007年09月23日 オールカマー GII|url=https://uma-furusato.com/winner_info/37148.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-11-24}}</ref><ref name="ふるさと-2007-AJCC">{{Cite web |title=2007年01月21日 APNII |url=https://uma-furusato.com/winner_info/37114.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-11-30}}</ref>。続く2年目は種付けをせず、1年空胎で過ごした後、3年目となる2002年3月21日、再びサンデーサイレンスと交配し、受胎を果たした<ref name="JAIRS-母ペイパーレイン" />。それから1年後の2003年3月15日、北海道静内町の岡田スタッドにて、ペイパーレインの5番仔となる鹿毛の牡馬(後のマツリダゴッホ)が誕生する。ペイパーレインは、出産までこぎつけるのが難しい繁殖牝馬だった<ref name="ふるさと-オールカマー2回目">{{Cite web |title=2008年09月28日 オールカマー GII 重賞ウィナーレポート|url=https://uma-furusato.com/winner_info/37154.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-11-24}}</ref>。特に産道に仔がいるにもかかわらず、娩出を中途でやめる癖があった{{Efn|とにかく産駒が得られにくかった<ref name="ふるさと-オールカマー2回目" />。1歳年下の弟妹となるはずの[[マンハッタンカフェ]]産駒は、[[死産]]に終わっている<ref name="JAIRS-母ペイパーレイン">{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38568653550 |title=ペイパーレイン(USA) |access-date=2022-11-24 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20221124092055/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38568653550 |archive-date=2022-11-24}}</ref>。さらに2008年から2010年まで3年連続不受胎、2010年に死している<ref name="JAIRS-母ペイパーレイン" />。5番仔すなわちマツリダゴッホの弟妹で競走馬となったのは、キラリンとマツリダジャパンの2頭しかいない<ref name="JAIRS-母ペイパーレイン" />。}}。ゆえに自力でのスムーズな出産ができず、人の手を必要としていた<ref name="ふるさと-2007-オールカマー" />。この5番仔の際には、出産の兆候が2週間続いたため、力添えする繁殖担当者に2週間の不眠{{Efn|3週間とも<ref>{{Cite web |title=2007年12月23日 有馬記念 GI|url=https://uma-furusato.com/winner_info/37112.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-11-30}}</ref>。}}を強いている<ref name="ふるさと-2007-オールカマー" />。そして2週間後、担当者が引っ張り出して、5番仔が産み落とされた<ref name="ふるさと-2007-オールカマー" />。
=== 2007年 ===
[[ファイル:Horseracing arima-kinen 2007.jpg|230px|thumb|right|[[第52回有馬記念]]、左から3頭目、2007年12月23日、中山競馬場]]


巻き戻して2002年5月、「ペイパーレインの5番仔」が宿された直後には、父サンデーサイレンスが跛行をきたして、その年の種付けを中断していた。まもなく体調不良に陥り、種付けをすることができないまま、8月19日に死亡していた。よって「ペイパーレインの5番仔」は、サンデーサイレンスが最期に交配した世代、すなわち「[[ラストクロップ]]」だった<ref>{{Cite web |title=コースの“鬼”が見せた一世一代の快走 ~マツリダゴッホの場合~ |url=https://books.netkeiba.com/?pid=book_detail&bid=44&cid=5 |website=netkeiba.com |access-date=2022-11-30 |language=ja}}</ref>。
[[2007年]]は[[アメリカジョッキークラブカップ]]から始動。2番人気に支持され、1番人気の[[インティライミ]]を直線で交わすと、2着に5馬身差をつける勝利で重賞初制覇を達成した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-139526.html 【AJCC】(中山)〜遅れてきた大物!4歳馬マツリダゴッホ重賞初制覇]ラジオNIKKEI(2007.1.21)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-139527.html 【AJCC】(中山)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2007.1.21)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


=== 幼駒時代 ===
続く[[日経賞]]では1番人気に支持され、前走同様、直線で一旦は先頭に立ったものの伸びを欠き[[ネヴァブション]]の3着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140374.html 【日経賞】(中山)〜ネヴァブションが3連勝でGII制覇]ラジオNIKKEI(2007.3.24)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140375.html 【日経賞】(中山)〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2007.3.24)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


5番仔は、岡田によれば「体のバランスも良く、筋肉のある馬で肌の薄い良い馬<ref name="ふるさと-2007-AJCC" />」だったという。牧場では期待の1頭であり、騎乗者を固定して、特別メニューが施された<ref name="ふるさと-2007-AJCC" />。岡田スタッドは、古馬での活躍を本懐として、他の牧場よりも遅く仕上げる傾向にあった<ref name="スポニチ-岡田スタッド">{{Cite web |title=【有馬記念】岡田スタツド生産 タイトルホルダー&メロディーレーン、若駒時から光った強じんなスタミナ - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2021/12/21/kiji/20211221s00004000014000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-29 |language=ja}}</ref>。2歳となる頃には、岡田の親戚のビッグレッドファーム、コスモヴューファームとの交流試合に、牧場の期待馬として出場している<ref>{{Cite web |title=【岡田牧雄氏(後編)】姉メロディーレーンと有馬記念へ 弟タイトルホルダーは“超のつく長距離馬” |url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=50319 |website=netkeiba.com |access-date=2022-11-30 |language=ja}}</ref><ref name="スポニチ-岡田スタッド" />。しかし他牧場には後れを取る、4頭立ての「ボロ負け」(岡田)だった<ref name="スポニチ-岡田スタッド" />。それでもその後、順調に成長し、岡田にクラシック参戦を意識させるほどの仕上がりとなった<ref>『優駿』2005年5月号 24頁</ref>。
続いての[[天皇賞(春)]]では、先行するものの抜け出すことができず[[メイショウサムソン]]の11着に敗れ、放牧に出された<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140862.html 【天皇賞・春(GI)】(京都)〜2冠馬の底力、メイショウサムソンが激戦制す]ラジオNIKKEI(2007.4.29)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140863.html 【天皇賞・春】〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2007.4.29)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


5番仔は競走馬となり、高橋文枝の所有となる<ref name="優駿-2008-3-53">『優駿』2008年3月号 53頁</ref>。ただし岡田は、生産馬を原則、他の馬主と負担を分け合う方針を取っているため、実際は、高橋と岡田による共同所有だった<ref name="優駿-2008-3-53" />。高橋文枝は、岩手県八幡平市の建設業、高橋重機有限会社副社長、夫は社長の高橋福三郎だった<ref name="岩手-高橋文枝">{{Cite web |url=http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20071224_3 |title=有馬記念・マツリダゴッホ優勝 馬主は県人 |access-date=2022-11-24 |publisher=[[岩手日報]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071228084014/http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20071224_3 |archive-date=2007-12-28}}</ref>。福三郎は、文枝によれば「馬が購入できるほど馬券を買う人<ref name="デイリー-2008-12-23-2">『デイリースポーツ』2008年12月23日号 2頁</ref>」だった。そこで文枝は、夫の馬券購入を控えさせようとして、馬主となっていた<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。'''福'''三郎の「'''ハッピー'''」を冠名にして、1991年に岩手競馬の馬主として走らせていた<ref name="岩手-高橋文枝" />。1997年には中央競馬にも進出していた<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。
放牧後は[[札幌記念]]<ref>[[馬インフルエンザ]]の影響でレース開催が中止、9月2日に延期された。</ref>にて復帰。[[安藤勝己]]が騎乗して1番人気に推されたものの[[フサイチパンドラ]]の7着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-142258.html 【札幌記念(GII)】(札幌)〜フサイチパンドラ 逃げ切りV]ラジオNIKKEI(2007.9.2)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-142259.html 【札幌記念】〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2007.9.2)、2021年1月23日閲覧。</ref>。しかし、続く[[オールカマー]]では、セントライト記念以来約1年ぶりに蛯名正義に手綱が戻ると、冬に制したアメリカジョッキークラブカップと同様に4コーナーで先頭争いに加わり、直線では粘る[[シルクネクサス]]を交わしてゴール。重賞2勝目を挙げ、中山巧者ぶりを見せた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-142522.html 【オールカマー(GII)】(中山)〜マツリダゴッホ 早めの競馬で重賞2勝目]ラジオNIKKEI(2007.9.23)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-142523.html 【オールカマー】〜レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2007.9.23)、2021年1月23日閲覧。</ref>。[[10月3日]]に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、112ポンドの評価を得た。


しかし高橋の所有馬は、あまり走らず、特に中央競馬では、最初の8年間で5勝しかできなかった<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。そこで心機一転、「ハッピー」を廃して、新しい冠名に変更する。「夫が周囲からお祭り男みたいに言われるので<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />」(文枝)「(夫が)祭りや集まりが好き<ref name="岩手-高橋文枝" />」(岩手日報)ということから「'''マツリダ'''」としていた。「マツリダ」にしてから、1億円以上する、ある馬を購入して岩手競馬で走らせていた。しかし思うように活躍せず、馬主を辞める決断をしようと考えていた<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。そんな頃に、5番仔を所有することになる<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。5番仔は、新しい冠名「マツリダ」に、会社の社長室に飾っているお気に入りの「絵を織り込んだ布」の絵の作者、[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]の「ゴッホ」を組み合わせた「'''マツリダゴッホ'''」という競走馬名が与えられた<ref name="岩手-高橋文枝" />。
続いて[[第136回天皇賞|天皇賞(秋)]]に出走。しかし、レース本番では苦手な左回りや、他馬にぶつかる不利も響き15着に敗れた<ref>[https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/akiten/result/akiten2007.html 第136回 天皇賞(秋)]JRA公式サイト、2021年1月23日閲覧。</ref>。


マツリダゴッホは、美浦トレーニングセンターの[[国枝栄]]厩舎に入厩する。入厩当初の評価は高く、程よい前向きさと素直さを兼ね備えて、ソエをきたしていなかった<ref name="報知-2005-8-17-15">『スポーツ報知』2005年8月17日号 15頁</ref>。ただし身体が貧しかった<ref name="報知-2005-8-17-15" />。厩舎スタッフは大成には、馬体重の増加が必要だと考えていた<ref name="報知-2005-8-17-15" />。国枝も素質は認めていたが、身体には筋肉が足りないと考えていた<ref name="デイリー-2008-12-27-2">『デイリースポーツ』2008年12月27日号 2頁</ref>。
その後、第1希望で[[香港カップ]]、第2希望で[[香港ヴァーズ]]に予備登録を行っていたが、馬インフルエンザの影響による[[検疫]]上の問題から[[香港]]への渡航を回避し、出走を見送った。そして得意の中山競馬場で開催される[[第52回有馬記念]]への出走を決めた。


== 競走馬時代 ==
有馬記念当日、レース前の人気は9番人気と低かった。稍重馬場となったレースではメイショウサムソンや、[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]などの有力馬が後方に位置するスローペースの展開となり、先頭に立った[[チョウサン]]をマークしながら、終始内側の経済コースを通り、最後の直線に出たところで抜け出した。真ん中から競り掛ける[[ダイワスカーレット]]を1 1/4馬身差で振り切って初のGI制覇を飾り大波乱を演出した<ref>[http://medical.radionikkei.mitene.jp/keiba/entry-143759.html 【有馬記念(GI)】(中山)〜伏兵マツリダゴッホ 積極策でGI初制覇]ラジオ
NIKKEI(2007.12.23)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-143760.html 【有馬記念】〜レース後のコメント]ラジオ
NIKKEI(2007.12.23)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200804240001-spnavi 蛯名も「ビックリ!」 大穴マツリダゴッホが激走V=有馬記念 大波乱の締めくくり、3連単は有馬史上最高の払戻金]スポーツナビ(2007.12.23)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


=== 条件馬時代 ===
マツリダゴッホの馬主高橋文枝が体調不良であったため、夫の福三郎も中山競馬場に向かわず[[岩手県]][[八幡平市]]の自宅でレースを観戦した。また、生産者[[岡田スタッド]]代表の[[岡田牧雄]]も「オーナーが行かれるということだったので」と同じく自宅で観戦。直線で早め先頭に立ったマツリダゴッホに「ソレっ、ソレッ」と声援を送った。このため、表彰式には馬主・生産者が共に不在という異例の事態となった<ref>Gallop平成競馬全史、産業経済新聞社、p127</ref>。
2005年8月21日、[[札幌競馬場]]の[[新馬戦]](芝1800メートル)にてデビューとなる。[[蛯名正義]]が騎乗して3番人気だった<ref name="優駿-2012-1-73" />。スローペースの5番手を追走し、第3コーナーからまくって進出<ref name="優駿-2012-1-73" />。先頭を奪取しながら最終コーナーを通過した後、直線で突き放した<ref name="ラジオNIKKEI-新馬戦">{{Cite web |title=【新馬戦】(札幌4R)〜SS産駒マツリダゴッホ7馬身差圧勝!|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-131776.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-30 |language=ja}}</ref>。以後差を広げる一方、後方に7馬身差をつけて初出走初勝利を果たした<ref name="ラジオNIKKEI-新馬戦" /><ref name="優駿-2012-1-73" />。


続いて10月1日、[[札幌2歳ステークス]](GIII)で重賞初参戦。[[アドマイヤムーン]]や[[フラムドパシオン]]、モエレジーニアスなどと対して、アドマイヤムーンに次ぐ2番人気だった<ref name="優駿-2005-12-84">『優駿』2005年12月号 84頁</ref>。しかしスタートで出遅れて、後方追走となる<ref name="優駿-2012-1-73">『優駿』2012年1月号 73頁</ref>。まくりながら追い上げるも、スムーズに抜け出していたアドマイヤムーンに敵わなかった<ref name="優駿-2012-1-73" />。大きく後れ、他4頭にも先着を許す6着敗退だった<ref name="優駿-2005-12-84" />。この後は、捻挫をきたして続戦不能となり、長期休養となる。復帰することができないまま、年をまたぎ3歳となった<ref name="優駿-2012-1-73" />。
=== 2008年 ===
[[ファイル:Matsurida_Gogh_20080427.jpg|230px|thumb|2008年4月27日 沙田競馬場]]
当初は[[2008年]][[1月27日]]のアメリカジョッキークラブカップ(中山競馬場)から始動すると国枝師は明言したが、オーナーとの協議の結果、出走明言した翌日に出走回避を表明<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=25517 マツリダゴッホ、AJCCを回避]netkeiba.com(2008.1.5)、2021年1月23日閲覧。</ref>。3月29日に[[ドバイ]]で行われる[[ドバイシーマクラシック]]か同日の日経賞から始動し、その後4月27日に香港で行われる[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]に転戦するという海外遠征を含めた出走プランがあることが明らかにされていた。


翌2006年3月12日、中山競馬場の条件戦(芝1800メートル)で復帰、[[岩田康誠]]が騎乗した。中団追走から、直線で馬場の内側、内柵沿いを突いたが、進路を得られず、外に進路を切り替えて追い上げた。前にはフェラーリファイブがおり、激しく抵抗されたが、終いで差し切り2勝目を挙げた<ref>{{Cite web |title=【3歳500万下】(中山6R)〜マツリダゴッホ差し切って2勝目!|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-134995.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref>。クラシック三冠競走の一冠目・[[皐月賞]]は諦めて、二冠目の東京優駿(日本ダービー)出走を目指して、続いて4月29日の[[トライアル競走]]である[[青葉賞]](GII)に参戦する。[[アドマイヤメイン]]に次いで、マチカネケンジやエイシンテンリューを上回る2番人気だったが、スタートで出遅れた<ref name="優駿-2006-6-9899">『優駿』2006年6月号 98-99頁</ref><ref name="優駿-2012-1-74">『優駿』2012年1月号 74頁</ref>。中団を追走から後れて追い上げたものの、伸びを欠き、逃げるアドマイヤメインには及ばなかった<ref name="優駿-2012-1-74" />。優勝したアドマイヤメインに6馬身以上、3着エイシンテンリューに1馬身半届かない4着で、東京優駿の[[優先出走権]]を逃した<ref name="優駿-2006-6-9899" />。切り替えて5月27日、東京優駿前日の[[白百合ステークス]](OP)に臨むも7着だった<ref name="優駿-2012-1-74" />。
[[1月16日]]に発表された2007年度の[[ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング]]では、121ポンドで29位タイとなった。しかし、出走を明言していたドバイシーマクラシックには、[[1月31日]]に選出馬となったことが発表されたが、馬インフルエンザ問題に起因する出国前検疫で隔離中の調整が困難なことと、渡航便がシンガポール経由で輸送が長時間となることから馬への影響が懸念され、国枝師と高橋文枝オーナーによる話し合いの結果、遠征を見送ることになった<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=26392 ゴッホ&ワンダーらドバイ断念]netkeiba.com(2008.2.21)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


放牧を挟んで夏の北海道・札幌競馬場、8月19日の日高特別(1000万円以下)で復帰。[[横山典弘]]に乗り替わり、古馬相手に1番人気だった<ref name="ラジオNIKKEI-日高特別">{{Cite web |title=【日高特別】(札幌)〜マツリダゴッホ人気に応える|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-137131.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref>。3番手追走から抜け出し、後方に1馬身差をつけて3勝目を挙げた<ref name="ラジオNIKKEI-日高特別" />。続いてクラシック三冠競走の最終戦である菊花賞を目指し、トライアル競走の[[セントライト記念]](GII)に3番人気で臨んだが、最終コーナーにて躓いて前の馬に接触し、横山が落馬<ref>{{Cite web |title=開催競馬・主な出来事|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=15749 |website=netkeiba.com |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref>。競走中止となり、クラシック参戦は叶わなかった。再び間隔を空け3か月後、12月10日の冬至ステークス(1600万円以下)にて1番人気で復帰。直線にて、2番人気のフェイトトリックスとの競り合いを演じ、並んだまま決勝線通過を果たしたが、ハナ差だけ後れて2着だった<ref>{{Cite web |title=【冬至ステークス】(中山)〜フェイトトリックス惜敗続きに断|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-138992.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref>。それでも暮れ、12月23日のクリスマスカップ(1600万円以下)に再び1番人気で参戦<ref name="ラジオNIKKEI-クリスマスC">{{Cite web |title=【クリスマスC】(中山)〜マツリダゴッホがイン強襲|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-139177.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref>。中団追走から直線で内側より進出し、前を行くニホンピロキースを差し切り抜け出した<ref name="ラジオNIKKEI-クリスマスC" />。4分の3馬身差をつけて4勝目、オープンクラスに昇格した<ref name="ラジオNIKKEI-クリスマスC" />。
その後、春の大目標を[[4月27日]]に[[香港]][[シャティン競馬場]]で施行される[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]に定め、そのステップレースとして[[3月29日]]の日経賞に出走した。レースは前方四番手で逃げる[[シルクフェイマス]]を追走、最終第四コーナーでシルクフェイマスを捕らえて先頭に立つと、蛯名正義が手綱を持ったまま楽々と勝利した。


=== アメリカジョッキークラブカップ ===
レース後、国枝師は「[[新潟競馬場]]の[[検疫]][[厩舎]]に入り、19日に香港へ出発する」と香港遠征を明言。更に「今年夏の欧州のGIレースに遠征するプランもある。秋の[[凱旋門賞]]へ挑戦させることも考えています」とマツリダゴッホの海外遠征計画を発表した<ref>[http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200803/ke2008033006.html マツリダ 有馬再現V!] [[サンケイスポーツ]] [[2008年]][[3月30日]]閲覧</ref>。そして[[4月1日]]に正式にクイーンエリザベス2世カップへの選出馬となり招待を受諾することが発表された。[[4月18日]]に[[チャンピオンズマイル]]に出走する同じく国枝栄厩舎所属の[[マイネルシーガル]]と共に出国したが、台風1号が香港を直撃した影響による輸送機材の成田到着遅延から、当初より4時間23分遅れでの出国となった。通常ならば美浦トレーニングセンターからの出発なのだが、前述同様に馬インフルエンザに起因する検疫上の都合から、出国前検疫地である新潟競馬場から陸上輸送を経ての出発であった。さらに、香港到着後も台風の影響から上空待機となり、着陸も遅延となった。
年をまたいで古馬となった2007年、1月21日の[[アメリカジョッキークラブカップ]](GII)で始動する。競走中止した中山芝2200メートルに再び挑んでいた<ref name="デイリー-AJCC">{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2007/01/22/0000221518.shtml |title=ゴッホ ぶっちぎりで重賞初V! |access-date=2022-11-26 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20070124134440/http://www.daily.co.jp/horse/2007/01/22/0000221518.shtml |archive-date=2007-1-24}}</ref>。東京優駿にて[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]に次ぐ2着の[[インティライミ]]、[[朝日杯フューチュリティステークス]]1番人気3着の[[ジャリスコライト]]などと対する10頭立てとなる中、インティライミに次ぐ2番人気、3.2倍だった<ref name="優駿-2007-3-72">『優駿』2007年3月号 72頁</ref>。インティライミがかかり気味に大きく逃げる一方で、中団好位の4番手を折り合いをつけて追走した<ref name="優駿-2007-3-72" />。第3コーナーからスパートを開始して進出し、後方勢を千切り、インティライミに接近。最終コーナーで捕らえ、まもなく差し切っていた<ref name="デイリー-AJCC" />。後方勢の追い上げは失速するインティライミにすら届いておらず、直線ではマツリダゴッホが突き放す一方、独走だった。後方勢を寄せ付けないままに、5馬身差をつけて決勝線通過を果たした<ref name="優駿-2007-3-72" />。


重賞初勝利を挙げる。1999年に[[スペシャルウィーク]]が、[[サイレントハンター (競走馬)|サイレントハンター]]につけた優勝着差・3馬身を2馬身上回る'''アメリカジョッキークラブカップ史上最大着差での優勝'''を果たした<ref>{{Cite web |title=【AJCC】(中山)〜アラカルト|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-139528.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref><ref name="優駿-2007-3-73">『優駿』2007年3月号 73頁</ref>。また2000年[[マチカネキンノホシ]]以来となる4歳馬による優勝だった<ref name="優駿-2007-3-73" /><ref>{{Cite web |title=アメリカJCCアラカルト(21日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/40855 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-26}}</ref>。横山は、JRA重賞90勝目、国枝は、JRA通算400勝目でもあった<ref name="優駿-2007-3-72" />。
これらの悪条件もあってか馬体は大幅に減り万全でない状態で、4月27日のクイーンエリザベス2世カップに出走。積極的に直線で先頭に立ったが、猛追されて6着に終わった<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=27810 QE2世C、マツリダゴッホ惜敗]netkeiba.com(2008.4.27)、2021年1月23日閲覧。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080428-353359.html ゴッホ失速スタミナ切れ6着/QE2世C]日刊スポーツ(2008.4.28)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


続いて3月24日、再び中山の、されど2500メートルの[[日経賞]](GII)に、[[トウショウナイト]]や[[ネヴァブション]]、[[フサイチパンドラ]]らと対して1番人気で臨んでいた。最終コーナーで先頭に並びかけて突き放しを試みたが、直線で後れて追い上げた[[ネヴァブション]]、[[トウショウナイト]]に差し切りを許した。2頭に約半馬身及ばず3着だった。そして4月29日には[[天皇賞(春)]](GI)でGI初出走を果たす。5番人気だったが、道中で失速して11着敗退だった<ref>『優駿』2012年1月号 75頁</ref>。
この結果を受けて今後は国内の競走に専念することになり、凱旋門賞にも登録されなかった。出走には至らなかったが[[6月12日]]に第48回宝塚記念ファン投票の最終結果で5位となる3万9107票を獲得したことが発表されている。


夏休みを挟んで秋、9月2日の[[札幌記念]](GII)にて、[[安藤勝己]]を伴って復帰し、1番人気に支持された<ref name="優駿-2007-11-64">『優駿』2007年11月号 64頁</ref>。スタートから好位内側の5番手を守り、直線で伸びず、フサイチパンドラに逃げ切りを許す。2馬身以上後れを取る7着だった<ref name="優駿-2007-11-64" />。
約4ヶ月の休養を挟んで[[札幌記念]]に出走。4角手前で先頭に立つが、ゴール寸前で[[タスカータソルテ]]に交わされてクビ差の2着だった<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-154554.html 【札幌記念(GII)】(札幌)~タスカータソルテ レコードVで重賞3勝目]ラジオNIKKEI(2008.8.24)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


=== オールカマー(1) ===
続いて[[9月28日]]のオールカマーに出走、59kgという[[負担重量|斤量]]を背負ったレースであったが、直線で先頭に立つとムチを入れられることはなく、最後は蛯名が手綱を持ったままでゴールし、連覇を決めた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-156189.html 【オールカマー】(中山)~グランプリホース復活!マツリダゴッホ人気に応える]ラジオNIKKEI(2008.9.28)、2021年1月23日閲覧。</ref>。
9月23日、重賞勝利を挙げた舞台である中山芝2200メートルに舞い戻って、オールカマー(GII)に臨む。鞍上には、競走中止したセントライト記念以来となる蛯名が舞い戻り、[[サンツェッペリン]]やネヴァブション相手に1番人気に支持された<ref name="優駿-2007-11-80">『優駿』2007年11月号 80頁</ref>。スタートから中団を追走し、第3コーナーから進出して直線で先頭となった<ref name="優駿-2007-11-80" />。内からシルクネクサスの抵抗を受けたが、先頭を守り、半馬身先に決勝線に到達、重賞2勝目を挙げた<ref name="優駿-2007-11-80" />。古馬が出走できる中山芝2200メートルは、アメリカジョッキークラブカップとオールカマーが用意されているが、その両方を同一年のうちに優勝したのは史上初めてだった<ref>『優駿』2007年11月号 81頁</ref><ref>{{Cite web |title=オールカマーアラカルト(23日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/42822 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-28}}</ref>。


続いて[[第136回天皇賞|天皇賞(秋)]](GI)に出走したが、15着だった。大敗を受けて、続く[[ジャパンカップ]]を自重し、短期放牧となる<ref>『優駿』2008年2月号 44頁</ref>。陣営は、翌年のアメリカジョッキークラブカップ連覇を目標に考えていた<ref name="優駿-2008-2-46">『優駿』2008年2月号 46頁</ref>。しかし帰厩したマツリダゴッホは、出世を阻んでいた貧しかった身体が充実して、本格化していた。国枝は、岡田らに暮れの[[有馬記念]]参戦を進言、説得に成功して有馬記念への参戦が決定する<ref>『北海道新聞』2007年12月24日号 26頁</ref>。国枝は、当初は、あくまでアメリカジョッキークラブカップの前哨戦と捉えていたが、成長した姿に手応えを感じながらの参戦となる<ref name="優駿-2008-2-46" />。直前になって国枝はマツリダゴッホは「あまりにも出来が良かった<ref name="デイリー-2008-12-27-2" />」ため、勝利に躍起になっていた<ref name="デイリー-2008-12-27-2" />。しかし15着敗退からの参戦に、周囲からの賛同が得られなかったという<ref name="デイリー-2008-12-27-2" />。
[[天皇賞・秋]]は回避し、不得意な左回りが心配されたが[[11月30日]]の[[ジャパンカップ]]に出走。前半のスローペースに折り合いを欠き、最後の直線で一度は先頭に立つも、[[スクリーンヒーロー]]の4着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-159657.html 【ジャパンC(GI)】(東京)~伏兵スクリーンヒーロー GI初制覇]ラジオNIKKEI(2008.11.30)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


=== 有馬記念 ===
連覇を狙った[[有馬記念]]は、中山で好成績を挙げていることなどから[[ダイワスカーレット]]に次ぐ2番人気に支持を集めた。しかしレースでは外枠10番からの発走だったことも影響してか今まで通りの先行策をとることができず後方に控える形となってしまい、その上マークされていたスクリーンヒーローに外へ追い出される形で大外を回らされた挙句直線で失速、12着に大敗する結果となってしまった<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-161095.html 【有馬記念】(中山)~リベンジ完了!ダイワスカーレット圧巻の逃げ切り勝ち]ラジオNIKKEI(2008.12.28)、2021年1月23日閲覧。</ref>。
12月23日、有馬記念(GI)に臨む。この年のグランプリは「超豪華メンバー<ref name="優駿-2008-2-68" />」([[島田明宏]])、出走頭数に対して、出走メンバーのGI級競走勝利数の方が大きかった。最有力視されたのは、前年の皐月賞および東京優駿優勝馬、同期の[[二冠馬|クラシック二冠馬]][[メイショウサムソン]]だった。この春には天皇賞(春)を優勝、フランスの[[凱旋門賞]]参戦は馬インフルエンザにより叶わなかったが、切り替えて臨んだ天皇賞(秋)を優勝。クラシック二冠と天皇賞春秋制覇のGI4勝馬だった<ref name="優駿-2008-2-68">『優駿』2008年2月号 68頁</ref>。対するはタイトル獲得はGII止まりながら、前年の[[メルボルンカップ]]2着、[[有馬記念]]をディープインパクトに次ぐ2着、そして前回出走のジャパンカップでは、引退優勝を果たした[[アドマイヤムーン]]にアタマ差後れ、メイショウサムソンにクビ差先着した[[ポップロック (競走馬)|ポップロック]]だった<ref name="優駿-2008-2-68" />。


その他、5戦4勝菊花賞3着の[[ロックドゥカンブ]]、牝馬二冠を果たした[[ダイワスカーレット]]、牝馬ながら東京優駿優勝を果たした[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]といった新星3歳勢や、GI級5勝で引退レースとなる[[ダイワメジャー]]、外国G1優勝の[[コスモバルク]]や[[デルタブルース]]などベテラン勢も集結する<ref name="優駿-2008-2-68" />。そんな中で、GII2勝、GI級未勝利、天皇賞春秋二桁着順、ファン投票19位のマツリダゴッホは、見劣りしていた。単勝オッズ52.3倍の9番人気、伏兵という立場だった<ref name="優駿-2008-2-68" />。
=== 2009年 ===
[[武豊]]騎手との新コンビで[[4月5日]]の[[産経大阪杯]]から始動したが、中間に順調さを欠いたのが響いてドリームジャーニーの7着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-165811.html 【大阪杯(GII)】(阪神)~ドリームジャーニーがディープスカイを競り落とす]ラジオNIKKEI(2009.4.5)、2021年1月23日閲覧。</ref>。その後[[金鯱賞]]から[[宝塚記念]]へのステップを予定していたが、金鯱賞当週の5月27日に行われた追い切り後に[[鼻出血]]を発症し、金鯱賞を回避<ref name="gogh090529">{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/05/28/kiji/K20090528Z00000060.html |title=【回避】ゴッホ鼻出血…金鯱賞も宝塚も“御破算” |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2021年1月23日 |date=2009-5-28|language=ja}}</ref>。宝塚記念も断念し、秋競馬まで全休することになった<ref name="gogh090529" />。


2枠3番から好スタートを見せて、単騎で逃げる[[チョウサン]]、2番手ダイワスカーレットに次ぐ好位内側の3番手を確保する<ref name="日刊-有馬">{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071224-299152.html |title=伏兵マツリダゴッホが快勝/有馬記念 |access-date=2022-11-26 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071227041924/http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071224-299152.html |archive-date=2007-12-27}}</ref>。チョウサンの逃げが早々に確定したことでペースは速くならなかった<ref>{{Cite web |title=蛯名も「ビックリ!」 大穴マツリダゴッホが激走V=有馬記念 |url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200804240001-spnavi |website=スポーツナビ |access-date=2022-11-26 |language=ja}}</ref>。2番手のダイワスカーレットは、折り合いを欠く場面が見られたが、こちらは折り合いをつけて、スムーズに追走することができた<ref>『優駿』2008年2月号 23頁</ref>。2周目の第3コーナーより後方待機勢が促されて、外を回りながら迫ってきたが、マツリダゴッホは手応え十分で、促されずともそれに抗うことができた<ref name="優駿-2008-2-24">『優駿』2008年2月号 24頁</ref>。好位を守ったまま最終コーナーに差し掛かり、失速するチョウサンをダイワスカーレットとともに捉えて、先頭争いとなる<ref name="優駿-2008-2-68" />。[[ファイル:Horseracing arima-kinen 2007.jpg|272x272px|thumb|right|3番手を追走するマツリダゴッホ(黒帽、桃黒の勝負服、白い[[シャドーロール]])]]
その後、[[8月23日]]の札幌記念に[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]に次ぐ2番人気で出走。レースでは道中後方で待機し、4コーナーで進出するも失速しヤマニンキングリーの9着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-172041.html 【札幌記念(GII)】(札幌)~ヤマニンキングリー 重賞2勝目、ブエナビスタは2着に敗れる]ラジオNIKKEI(2009.8.23)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


ダイワスカーレットは、外に進路を求めていたが、こちらは内側に拘り、コーナーワークで先頭に躍り出ていた<ref name="デイリー-有馬" />。直線に差し掛かってスパートを開始すれば、折り合いを欠いたダイワスカーレットを置き去りにする<ref name="優駿-2008-2-24" />。後方勢も揃って伸びを欠いており、ダイワスカーレットを沈めてからは独走だった<ref name="デイリー-有馬">{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2007/12/24/0000780633.shtml |title=マツリダゴッホが波乱の“CKY”勝利 |access-date=2022-11-26 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071225040046/http://www.daily.co.jp/horse/2007/12/24/0000780633.shtml |archive-date=2007-12-25}}</ref><ref name="サンスポ-有馬" />。2着を守ったダイワスカーレットに1馬身4分の1差をつけ、先頭で決勝線通過を果たした<ref name="優駿-2008-2-68" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=0d4jAyUUhiQ&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2007年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=sHokl9gyeNg&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2007年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}有馬記念戴冠、GI戴冠を果たす。2004年[[ゼンノロブロイ]]以来となる関東馬の優勝だった<ref name="サンスポ-有馬">{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200712/ke2007122400.html |title=【有馬記念】大荒れマツリダ~!仰天“CKY”ですみません! |access-date=2022-11-26 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071225172542/http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200712/ke2007122400.html |archive-date=2007-12-25}}</ref>。また優先出走ファン投票10位以下の優勝は、1998年14位の[[グラスワンダー]]以来だった<ref name="報知-有馬-アラカルト">{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/contents/horserace/2007/results/1223nakayama.htm |title=第52回有馬記念(優勝馬メモ) |access-date=2022-11-26 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080208232827/http://hochi.yomiuri.co.jp/contents/horserace/2007/results/1223nakayama.htm |archive-date=2008-2-8}}</ref>。また蛯名は、2001年[[マンハッタンカフェ]]以来となる有馬記念2勝目<ref name="競馬ブック-有馬-アラカルト">{{Cite web |title=有馬記念アラカルト(23日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/43574 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-26}}</ref>。国枝は、有馬記念初優勝<ref>『優駿』2008年2月号 69頁</ref>。この年の[[NHKマイルカップ]]を[[ピンクカメオ]]で制して以来のGI級競走2勝目だった<ref name="競馬ブック-有馬-アラカルト" />。またサンデーサイレンスのラストクロップとしては、牝馬フサイチパンドラが2006年[[エリザベス女王杯]]を制してGI級タイトルに到達していたが、牡馬産駒としては初めてとなるGI級タイトル奪取だった<ref name="サンスポ-有馬" />。
続く[[9月27日]]のオールカマーに出走し、鞍上の[[横山典弘]]がスタートからハナを奪うとそのまま最後まで脚色が衰えることなくゴールイン。JRA史上5頭目の同一重賞3連覇を達成した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-173586.html 【オールカマー】(中山)~マツリダゴッホが3連覇達成]ラジオNIKKEI(2009.9.27)、2021年1月23日閲覧。</ref>。


単勝5230円は、1991年の[[ダイユウサク]]の14番人気13790円に次ぐ有馬記念史上2番目に高い配当だった<ref name="サンスポ-有馬2" />。また9番人気の戴冠に続いたのは、5番人気のダイワスカーレット、6番人気のダイワメジャーであり、人気のメイショウサムソンやポップロック、ウオッカが揃って馬券圏内を外すという波乱となっていた<ref name="報知-有馬-アラカルト" />。「[[馬単]]」は6万9020円、「[[三連複]]」は7万3320円、「[[三連単]]」は80万880円となり、いずれもレース史上最高配当記録を樹立している<ref name="報知-有馬-アラカルト" />{{Efn|蛯名は、マンハッタンカフェを優勝に導いた前回の有馬記念にて、2着に13番人気[[アメリカンボス]]を連れてきていた。マンハッタンカフェとアメリカンボスの馬番連勝複式は、レース史上最高配当となっていた<ref name="サンスポ-有馬2">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/jockeycoment/2007arima/20071128top.html |title=有馬記念 2007年 1着マツリダゴッホ |access-date=2022-11-26 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080224040933/http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/jockeycoment/2007arima/20071128top.html |archive-date=2008-2-24}}</ref>。}}。レース直後、マツリダゴッホは引き揚げて来て、検量室の前で下馬していた。このとき、「空気読めない」という意味を持つこの年の流行語「[[KY語|KY]]」を用いて「蛯名!KY!!」という野次があったという<ref name="日刊-有馬" />。これに対して蛯名は、「超」を意味する「C」を付け加え「KYというより、CKYでしょう」と返している<ref name="日刊-有馬" />{{Efn|「CKY」については、蛯名が発したという説、「KY」とともに観客が発した説の二節が伝えられる<ref name="デイリー-有馬" />。}}。
迎えた天皇賞(秋)では道中3番手でレースを進めるも直線で失速しブービーの17着と大敗した<ref>[https://jra.jp/datafile/seiseki/g1/akiten/result/akiten2009.html 第140回 天皇賞(秋)]JRA公式サイト、2021年1月23日閲覧。</ref>。


この年の[[JRA賞]]では、[[JRA賞年度代表馬|年度代表馬]]、[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬|最優秀4歳以上牡馬]]の2部門で票こそ得たが、全289票中いずれも1票{{Efn|年度代表馬は、[[アドマイヤムーン]]が178票を集めて受賞。以下、[[ダイワスカーレット]]73票、[[メイショウサムソン]]17票、[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]12票、[[ヴァーミリアン]]5票、該当馬なし2票、無効1票だった<ref name="優駿-2008-2-15" />。}}{{Efn|最優秀4歳以上牡馬も、249票を集めた[[アドマイヤムーン]]が受賞。以下、[[メイショウサムソン]]37票、[[ヴァーミリアン]]1票、[[ダイワメジャー]]1票だった<ref name="優駿-2008-2-15" />。}}に留まり、受賞には至らなかった<ref name="優駿-2008-2-15">『優駿』2008年2月号 15頁</ref>。また国枝は、この年の[[東京競馬記者クラブ賞]]を受賞している<ref>『優駿』2008年2月号 87頁</ref>。
[[11月16日]]、調教師の[[国枝栄]]はマツリダゴッホが[[有馬記念]]を最後に現役を引退し、種牡馬入りすることを発表した<ref name="spo091217">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/12/17/kiji/K20091217Z00000010.html |title=【有馬記念1週前】引退ラン!ゴッホ飾るぞ豪快デモ |newspaper=スポーツニッポン |accessdate=2021年1月23日 |date=2009-12-17|language=ja}}</ref>。


=== 日経賞 ===
現役最後のレースとなった[[12月27日]]の有馬記念は向正面で仕掛け、4コーナーで一旦先頭に立つものの直線で失速し7着に終わり、有終の美を飾ることはできなかった<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-177954.html 【有馬記念】(中山)~古馬の貫禄 ドリームジャーニーが制す]ラジオNIKKEI(2009.12.27)、2021年1月23日閲覧。</ref>。調教師の国枝はこの結果に対して、種牡馬入りの予定を撤回して現役続行することを希望したというが<ref>『[[競馬最強の法則]]』([[KKベストセラーズ]])2010年12月号・p.134</ref>、既に種付け相手となる牝馬が多数集まっていたことなどからオーナーサイドは予定通り引退させることを決め、[[2010年]][[1月4日]]付で競走馬登録を抹消され<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-178223.html マツリダゴッホが登録抹消]ラジオNIKKEI(2010.1.4)、2021年1月23日閲覧。</ref>、[[レックススタッド]]に繋養された<ref>[https://uma-furusato.com/news/50377.html マツリダゴッホがレックススタッドにスタッドイン]競走馬のふるさと案内所 (2010.1.6). 2021年1月23日閲覧。</ref>。
有馬記念を制したことで、当初目標としていたアメリカジョッキークラブカップへの参戦は見送りとなり、代わって外国を志向するようになる<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホ、AJCCを回避|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=25517 |website=netkeiba.com |access-date=2022-11-27 |language=ja}}</ref>。まず3月下旬に行われる[[アラブ首長国連邦]]の[[ナド・アルシバ競馬場]]で行われる[[ドバイワールドカップミーティング]]のドバイシーマクラシックに、そして4月下旬、香港の[[沙田競馬場]]で行われる[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]に、それから6月下旬、日本の宝塚記念に臨むという首香日三ヵ国にまたがる転戦が予定された<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホ、春はドバイを目標に|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-143811.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-11-27 |language=ja}}</ref>。しかし、日本における馬インフルエンザの流行が影響して、スムーズな参戦が望めなくなり、計画初戦のドバイ遠征は断念となる。したがって春は、転戦ではなく、香港遠征のみとなった。


その前哨戦として3月29日、有馬記念と同競馬場、距離である日経賞(GII)に臨むこととなる。GI級競走を優勝したゆえにメンバー中最重量、唯一の59キログラムが課された<ref name="優駿-2008-5-108">『優駿』2008年5月号 108頁</ref>。重賞連勝中の[[アドマイヤモナーク]]のほか、トウショウナイト、[[弥生賞ディープインパクト記念|弥生賞]]並びに[[目黒記念]]2着の4歳馬ココナッツパンチらと対したが、単勝オッズ2.3倍の1番人気だった<ref name="優駿-2008-5-108" />。[[シルクフェイマス]]が大逃げをする中、好位の4番手を追い合って追走<ref name="サンスポ-日経賞">{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200803/ke2008033006.html |title=【日経賞】3馬身差、マツリダ有馬再現V!次走は香港だ |access-date=2022-11-28 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080331235959/http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200803/ke2008033006.html |archive-date=2008-3-31}}</ref>。第3コーナーから進出を開始して、最終コーナーでシルクフェイマスを捉えて抜け出した<ref name="サンスポ-日経賞" />。直線では後続を突き放して独走となり、トウショウナイトらに3馬身差をつけて決勝線を通過する<ref name="優駿-2008-5-108" />。重賞4勝目、1985年[[シンボリルドルフ]]以来となる、前年有馬記念優勝馬による日経賞優勝だった<ref>『優駿』2008年5月号 109頁</ref><ref>{{Cite web |title=日経賞アラカルト(29日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44387 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-28}}</ref>。
== 競走成績 ==

{| border="0" cellspacing="0" cellpadding="1" style="font-size:90%; text-align: center;white-space:nowrap"
続いて、4月27日にクイーンエリザベス2世カップ(G1)に参戦する<ref name="競馬ブック-香港-招待">{{Cite web |title=マツリダゴッホら2頭招待受諾―香港国際競走 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44397 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-27}}</ref>。同じ厩舎で同日開催の[[チャンピオンズマイル]]に臨む[[マイネルシーガル]]とともに、香港に赴いていた<ref name="競馬ブック-香港-招待" />。現地では単勝オッズ5.7倍の3番人気となり、[[ヴィヴァパタカ]]、[[ヘレンマスコット]]という2頭の[[香港ダービー]]優勝馬が立ちはだかった<ref name="優駿-2008-6-59">『優駿』2008年6月号 59頁</ref>。他にもドイツの[[キジャーノ]]、南アフリカの[[アーキペンコ]]などと競う11頭立てだった<ref name="優駿-2008-6-59" />。スタートから先行し、3番手を確保して追走するが<ref name="優駿-2008-6-58">『優駿』2008年6月号 58頁</ref>、折り合いを欠いてしまった<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080428-353359.html |title=ゴッホ失速スタミナ切れ6着/QE2世C |access-date=2022-11-27 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080501105521/https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080428-353359.html |archive-date=2008-5-1}}</ref>。直線にてスパートして抜け出していたが、終いに失速して後退<ref name="報知-香港-6着">{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080428-OHT1T00054.htm |title=「スタミナ切れた」ゴッホ6着…香港・Qエリザベス2世C |access-date=2022-11-28 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080428180337/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080428-OHT1T00054.htm |archive-date=2008-4-28}}</ref>。末脚を発揮して追い込んだアーキペンコなどにかわされていた<ref name="優駿-2008-6-59" />。アーキペンコに3馬身半以上後れを取る6着だった<ref name="優駿-2008-6-59" />。[[ファイル:Matsurida_Gogh_20080427.jpg|230px|thumb|2008年4月27日 沙田競馬場]]
日経賞優勝直後には、秋のヨーロッパ遠征計画という選択肢までも浮上していた<ref name="日刊-凱旋門賞プラン">{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080331-342438.html |title=ゴッホに今秋凱旋門賞挑戦プラン |access-date=2022-11-27 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080401171416/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080331-342438.html |archive-date=2008-4-1}}</ref>。国枝は、1999年凱旋門賞2着の[[エルコンドルパサー]]に倣って、長期滞在を考え、7月イギリスの[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]や、10月フランスの凱旋門賞参戦を考えていた<ref>{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080403-OHT1T00270.htm |title=マツリダゴッホ欧州長期滞在…国枝師「勝つためにエルコンドルスタイル」 |access-date=2022-11-28 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080416205444/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080403-OHT1T00270.htm |archive-date=2008-4-16}}</ref>。ただし秋の遠征を実現するには、香港遠征での結果が求められた<ref name="日刊-凱旋門賞プラン" />。しかし敗退となり、計画は立ち消えて国内専念となる<ref name="netkeiba-2008-全休">{{Cite web |title=マツリダゴッホは春全休|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=27863 |website=netkeiba.com |access-date=2022-11-27 |language=ja}}</ref>。おまけに宝塚記念の出走も見送り、休養となった<ref name="netkeiba-2008-全休" />。

=== オールカマー(2) ===
夏休みを挟み、秋は8月24日の札幌記念で始動する。皐月賞3着の3歳馬[[マイネルチャールズ]]や[[函館記念]]2着のフィールドベアー、[[安田記念]]2着の[[コンゴウリキシオー]]、重賞2勝の[[タスカータソルテ]]と対したが、2.3倍の1番人気だった<ref name="優駿-2008-10-108">『優駿』2008年10月号 108頁</ref>。スタートから好位の4、5番手を追走し、第3コーナーから押し上げて、先頭で最終コーナーに向き、直線では後続を突き放して独走となった<ref name="優駿-2008-10-108" />。しかし終いに鈍り、後方から大外を通って追い上げたタスカータソルテに接近を許した<ref>{{Cite web |title=GP馬一蹴!レコードVタスカータ/札幌記念 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/08/25/kiji/K20080825Z00001510.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。ゴール寸前で差し切られて、クビ差後れを取った<ref name="優駿-2008-10-108" />。コースレコード決着となる中、同タイムの2着だった<ref name="優駿-2008-10-108" />。

続いて9月28日のオールカマーで、得意の中山に舞い戻る。メンバー中最重量、唯一の59キログラムが課される中で、[[エアシェイディ]]、アドマイヤタイトルらと対したが、1.4倍の1番人気という支持だった<ref name="優駿-2008-11-110">『優駿』2008年11月号 110頁</ref>。逃げるキングストレイルの直後2番手を確保<ref name="優駿-2008-11-110" />。スローペースとなる中、向こう正面で行きたがったが、折り合いを保ち、追走した<ref name="日刊-オールカマー連覇">{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080929-413801.html |title=中山は庭ゴッホ強かった/オールカマー |access-date=2022-11-28 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080930212319/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080929-413801.html |archive-date=2008-9-30}}</ref>。外からの早めの追い上げがあって、一時6番手まで沈んだが、第3コーナーから進出を開始し、直線に入ってから逃げ馬を捉えて抜け出した<ref name="優駿-2008-11-110" />。逃げ粘るキングストレイルを千切り、後方勢の追い上げもキングストレイルにすら届いておらず、独走だった<ref name="日刊-オールカマー連覇" />。

キングストレイルに2馬身差をつけて優勝、重賞5勝目を挙げた<ref name="競馬ブック-オールカマー連覇">{{Cite web |title=オールカマーアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/45924 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-28}}</ref>。'''史上初めてとなるオールカマー2勝目、オールカマー連覇達成'''<ref name="競馬ブック-オールカマー連覇" />。1999年[[ホッカイルソー]]の樹立したオールカマーレコードタイでの走破だった<ref name="優駿-2008-11-111">『優駿』2008年11月号 111頁</ref>。また1997年[[メジロドーベル]]以来となるGI級優勝馬によるオールカマー優勝<ref name="優駿-2008-11-111" />。1996年[[サクラローレル]]以来史上2頭目となる負担重量59キログラムを克服してのオールカマー優勝{{Efn|別定戦となった1995年以降。}}だった<ref name="優駿-2008-11-111" />。

=== ジャパンカップ ===
ウオッカとダイワスカーレット、[[ディープスカイ]]が接戦を演じた天皇賞(秋)は見送り、11月30日のジャパンカップ(GI)に参戦する。ウオッカとディープスカイの再戦に、凱旋門賞帰りのメイショウサムソンを加えたJRA史上初めてとなるダービー優勝馬3頭揃い踏みが実現していた<ref>{{Cite web |title=ジャパンカップアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/46538 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-28}}</ref>。東京で飛躍した3頭に比べて、実績が中山に集中するマツリダゴッホは、支持を得られなかった<ref name="優駿-2012-1-78">『優駿』2012年1月号 78頁</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=er__qfITQhI&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2008年 ジャパンカップ({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートから先行してスローペースを追走し、第3コーナーから進出する。中山の必勝パターンで直線に向き、人気3頭に先んじて先頭を奪取していた<ref name="優駿-2012-1-78" />。次第に、内からウオッカが、外から[[スクリーンヒーロー]]とディープスカイが末脚を発揮して接近してきたが、抗って4頭並んでの競り合いに持ち込む<ref name="優駿-2012-1-78" />。しかし早めに動いたことで余力なく、後から追い上げたスクリーンヒーローとディープスカイには太刀打ちできず、終いにウオッカにもアタマ差譲る4着だった<ref name="優駿-2012-1-78" />。

<br/>続いて12月28日、有馬記念に臨む。ウオッカとディープスカイは不在だったが、ダイワスカーレットやスクリーンヒーローが立ちはだかった<ref name="優駿-2009-2-97">『優駿』2009年2月号 97頁</ref>。単勝オッズ4.4倍、ダイワスカーレットに次ぐ2番人気<ref name="優駿-2009-2-97" />。得意の中山に加えて、東京での好走の印象が良く支持を集めていた<ref name="優駿-2012-1-79" />。ただし前年と異なり6枠10番という外枠だった<ref name="優駿-2009-2-97" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=byffPMG2Me8&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2008年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートで後手に回り、好発して先行したダイワスカーレットとメイショウサムソンに大きな差をつけられた<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/keiba/news/081228/kba0812281723034-n1.htm |title=【有馬記念】マツリダゴッホ、まさかの大敗 |access-date=2022-11-28 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20081229110439/http://www.sanspo.com/keiba/news/081228/kba0812281723034-n1.htm |archive-date=2008-12-29}}</ref>。先行を諦めて、スクリーンヒーローの背後に甘んじたが、頼りのスクリーンヒーローが外に張りっぱなしでなかなか内側に戻らず、さらに位置を下げてしまった<ref name="Yahoo-有馬">{{Cite web |title=ダイワスカーレット圧逃V! 37年ぶりの牝馬制覇=有馬記念 |url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200812280007-spnavi?p=2 |website=スポーツナビ |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref><ref name="優駿-2009-2-32">『優駿』2009年2月号 32頁</ref>。最初のコーナーを大きく膨らみながらの通過となり、余計な距離を走らされる不利を被り、中山の得意のパターンに持ち込めなかった<ref name="優駿-2009-2-32" />。2周目の第3コーナーからまくりながら追い上げたが、直線で失速しスムーズに逃げたダイワスカーレットのハナを奪えず終い、不利克服はできなかった<ref name="Yahoo-有馬" /><ref name="優駿-2009-2-32" />。馬群に沈む12着敗退、[[スピードシンボリ]]、シンボリルドルフ、[[グラスワンダー]]、[[シンボリクリスエス]]に並び立つ有馬記念連覇は果たせなかった<ref>{{Cite web |title=連覇の夢消えた…ゴッホ12着大敗/有馬記念 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/12/28/kiji/K20081228Z00000430.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。蛯名は「勝負は最初のコーナーで決まった<ref name="優駿-2012-1-79" />」と振り返っている。

=== オールカマー(3) ===
有馬記念の後は、千葉県のジョイナスファームで放牧<ref name="スポニチ-大阪杯">{{Cite web |title=他場でもやれるんだ!ゴッホ武豊で大阪杯へ |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/01/28/kiji/K20090128Z00000080.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。年をまたいで2009年、6歳でも現役を続行した。この年は、種牡馬としての価値を求めて、中山競馬場以外での良績を目指した。日経賞を見送り、[[阪神競馬場]]の[[産経大阪杯]]に挑戦する<ref name="スポニチ-大阪杯" />。蛯名に代えて、新たに[[武豊]]を起用<ref name="スポニチ-大阪杯" />{{Efn|日経賞の回避は、当日に武がドバイで[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]に騎乗することも、決断の後押しだった<ref name="スポニチ-大阪杯" />。}}。さらに関西で出走する際に、早めに栗東トレーニングセンターへ移動するという、国枝が得意とする「栗東滞在」を敢行している<ref>{{Cite web |title=早くも西でマ~ツリダ!マツリダ!/大阪杯 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/03/31/kiji/K20090331Z00001260.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。

4月5日、産経大阪杯(GII)に2番人気で臨んだが、直線で伸びず7着<ref>『優駿』2009年6月号 88頁</ref>。この敗退により続く5月上旬の天皇賞(春)を断念して美浦に帰還した<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホ「退散せざるを得ない」盾回避 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/04/09/kiji/K20090409Z00000070.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。翻って5月下旬、[[中京競馬場]]の[[金鯱賞]](GII)に武が続投して臨む予定だったが、直前に鼻出血を発症して回避<ref>{{Cite web |title=【回避】ゴッホ鼻出血…金鯱賞も宝塚も“御破算” |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/05/28/kiji/K20090528Z00000060.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=「武豊ゴッホ」継続で金鯱賞参戦 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/04/22/kiji/K20090422Z00000070.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。おまけに宝塚記念にも出走せず、夏休みとなった<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホ、鼻出血で金鯱賞回避 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/48338 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-28}}</ref>。8月23日の札幌記念で復帰。武がフランス遠征したため、横山が舞い戻って参戦<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホ 札幌記念は横山典騎乗 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/07/29/kiji/K20090729Z00002490.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。牝馬クラシック二冠を果たして凱旋門賞を見据える[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]に次ぐ2番人気に支持されたが、9着だった<ref name="優駿-2012-1-79" />。

続いて9月27日、横山が続投してオールカマーに臨む。宝塚記念優勝馬[[ドリームジャーニー]]、重賞2連勝中の[[シンゲン]]と対して、4.6倍の3番人気だった<ref name="優駿-2009-11-98">『優駿』2009年11月号 98頁</ref>。スタートから他が先手を主張せず、大外枠からだったがハナを奪取<ref name="優駿-2009-11-98" />。前半の1000メートルを61.0秒で通過するスローペースを率いた<ref name="スポニチ-オールカマー3連覇" />。先頭は脅かされることなく、最終コーナーに到達し、直線でスパートして突き放した<ref name="優駿-2009-11-98" />。遅れて追い込むドリームジャーニー、シンゲンに2馬身差をつけて、先頭で決勝線を通過した<ref name="優駿-2009-11-98" />。

重賞6勝目を挙げる。'''史上初めてとなるオールカマー3連覇'''を果たす<ref>{{Cite web |title=オールカマーアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/49430 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-29}}</ref>。さらに1956年から[[鳴尾記念]]3連覇の[[セカイオー]]、1993年から[[セイユウ記念]]3連覇の[[シゲルホームラン]]、2003年から金鯱賞3連覇の[[タップダンスシチー]]、2005年から函館記念3連覇の[[エリモハリアー]]に続いて、'''史上5頭目となるJRAの同一平地重賞3連覇'''<ref name="競馬ブック-オールカマー3連覇">{{Cite web |title=マツリダゴッホ、平地では5頭目の同一重賞3連覇達成 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/49429 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-29}}</ref>'''、'''[[障害競走]]3頭{{Efn|1977年から[[中山大障害|中山大障害(秋)]]3連覇の[[バローネターフ]]、2005年から[[中山グランドジャンプ]]3連覇の[[カラジ]]、2006年から[[阪神ジャンプステークス]]3連覇の[[コウエイトライ]]。}}を含めて'''史上8頭目となるJRAの同一重賞3連覇'''を成し遂げた<ref name="競馬ブック-引退">{{Cite web |title=グランプリホース、マツリダゴッホがレックスSで種牡馬入り |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/50459 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-30}}</ref>。さらに[[スピードシンボリ]]、シンボリルドルフに続いて'''3頭目、史上最多タイとなる中山競馬場の平地重賞6勝'''<ref name="競馬ブック-オールカマー3連覇-アラカルト">{{Cite web |title=オールカマーアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/49430 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-29}}</ref>を果たした。
{| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; margin:10px"
|+中山競馬場における平地重賞6勝の記録<ref name="競馬ブック-オールカマー3連覇-アラカルト" />(数字は開催年)
!馬名
!1
!2
!3
!4
!5
!6
|-
|-
|[[スピードシンボリ]]
|colspan="3"|年月日
|[[競馬場]]
|1966[[京成杯]]
|1967[[アメリカジョッキークラブカップ|米JCC]]<!-- アルゼンチンJCCと区別するために、この表現とする。 -->
|競走名
|1967[[日本経済賞]]
|
|[[の競走格付け|格]]
|1969[[記念]]
|1970米JCC
|頭<br />数
|1970有馬記念
|枠<br />番
|-
|馬<br />番
|[[シンボリルドルフ]]
|オッズ<br />(人気)
|1984[[弥生賞]]
|着順
|[[騎手]]
|1984[[皐月賞]]
|1984{{Small|[[セントライト記念]]}}
|斤量<br/>[kg]
|1984有馬記念
|[[競走馬の適性|距離]](馬場)
|1985日経賞
|タイム<br />(上り3[[ハロン (単位)|F]])
|1985有馬記念
|着差
|-
|勝ち馬/(2着馬)
|'''マツリダゴッホ'''
|'''2007米JCC'''
|'''2007[[オールカマー]]'''
|'''2007有馬記念'''
|'''2008日経賞'''
|'''2008オールカマー'''
|'''2009オールカマー'''
|}

それから国枝もオールカマー3連覇であり、[[尾形藤吉]]以来に並ぶオールカマー最多優勝記録だった<ref name="競馬ブック-オールカマー3連覇-アラカルト" />。また騎乗した横山は、10日ほど前に父[[横山富雄]]を喪い、告別式をしたばかりだった<ref name="スポニチ-オールカマー3連覇">{{Cite web |title=【オールカマー】3連覇祭りだ!ゴッホ!ゴッホ!ゴッホ! - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/09/28/kiji/K20090928Z00001740.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-29 |language=ja}}</ref>。横山は、三本指を天に突き刺し、ジャンプして喜びを表現しながら下馬する行為「[[ランフランコ・デットーリ|デットーリジャンプ]]」を披露している<ref name="スポニチ-オールカマー3連覇" />。

それから11月1日の天皇賞(秋)に参戦。横山が[[カンパニー (競走馬)|カンパニー]]に騎乗するために蛯名が舞い戻って臨んだが<ref>{{Cite web |title=【古馬次走】マツリダゴッホ蛯名と再コンビで盾へ |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/10/13/kiji/K20091013Z00001670.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>、[[ブービー賞]]17着だった<ref>{{Cite web |title=【天皇賞・秋】17着マツリダゴッホ |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/11/02/kiji/K20091102Z00002610.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-28 |language=ja}}</ref>。そして引退レースとして12月27日、有馬記念に参戦する。ブエナビスタ、ドリームジャーニーに次ぐ3番人気だった<ref name="優駿-2010-2-88">『優駿』2010年2月号 88頁</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=bO5OwCRwjtY&t=94s&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2009年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}
向こう正面から追い上げて最終コーナーを先頭で通過するスパート<ref name="優駿-2010-2-88" />。「2年前の再現<ref>『優駿』2013年1月号 71頁</ref>」を狙ったが、終いまで続かず失速して7着だった<ref name="優駿-2010-2-88" />。国枝は、翌年の現役続行を希望したが、予定通り競走馬引退<ref>『[[競馬最強の法則]]』2010年12月号 134頁</ref>。年をまたいで7歳となった2010年1月4日付、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消する<ref name="抹消" />。

== 種牡馬時代 ==
競走馬引退後は、北海道[[新ひだか町]]の[[レックススタッド]]で種牡馬として供用されている<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホを訪ねて~レックススタッド |url=https://uma-furusato.com/column/78217.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-11-28}}</ref>。初年度から4年連続で三桁の繁殖牝馬と交配し続け、一時落ち込むも7年目で再び三桁を取り戻した<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。その後は2021年まで右肩下がりの交配数となっている<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。

産駒は、地方競馬と中央競馬の双方で重賞優勝を果たした。初年度の[[ウインマーレライ]](母父:[[フサイチペガサス]])は、2014年[[ラジオNIKKEI賞]](GIII)を優勝<ref name="JBIS-ウインマーレライ" />。また2年目の[[クールホタルビ]](母父:[[ヘクタープロテクター]])は2014年[[ファンタジーステークス]](GIII)を、3年目の[[ロードクエスト]](母父:[[チーフベアハート]])は、2015年[[新潟2歳ステークス]](GIII)を優勝するなど、2歳重賞産駒も輩出している<ref name="JBIS-クールホタルビ" /><ref name="JBIS-ロードクエスト" />。ロードクエストは、他に2016年[[京成杯オータムハンデキャップ]](GIII)、2018年[[スワンステークス]](GII)も優勝し、中央競馬の重賞3勝を果たした<ref name="JBIS-ロードクエスト" />。

また産駒の牝馬も多く繁殖牝馬となっており、ブルードメアサイアーとしての産駒[[ナムラリコリス]](父:[[ジョーカプチーノ]])は、2021年の[[函館2歳ステークス]](GIII)を優勝している<ref name="JBIS-ナムラリコリス" />。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホの競走成績|url=https://db.netkeiba.com/horse/2003104570/ |website=netkeiba.com |access-date=2022-11-23 |language=ja}}</ref>並びにJBISサーチ<ref>{{Cite web |title=競走成績:全競走成績|マツリダゴッホ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000762445/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-16}}</ref>、『[[優駿]]』<ref name="優駿-2012-1-79">『優駿』2012年1月号 79頁</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
! colspan="3" |競走日
! nowrap="" |競馬場
!競走名
!格
!距離<br/>(馬場)
!頭<br/>数
!枠<br/>番
!馬<br/>番
!オッズ<br/>(人気)
!着順
!タイム<br/>(上り3F)
!着差
!騎手
!斤量<br/>[kg]
!1着馬<br/>(2着馬)
!馬体重<br/>[kg]
|-
|-
|[[2005年|2005]]
|[[2005年|2005]].
|8.
|{{0}}8.
|[[8月21日|21]]
|[[8月21日|21]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|[[新馬|2歳新馬]]
|[[新馬|2歳新馬]]
|
|
| nowrap="" |芝1800m(良)
|
|13
|13
|5
|5
|7
|7
|{{0}}4.1(3人)
| nowrap="" |{{0}}4.1(3人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
| nowrap="" |1:52.8 (34.8)
| nowrap="" | -1.1
|[[蛯名正義]]
|[[蛯名正義]]
|54
|54
|芝1800m(良)
|1:52.8 (34.8)
| -1.1
|(サンファイバー)
|(サンファイバー)
|468
|-
|-
|
|
|10.
|10.
|[[10月1日|1]]
|{{0}}[[10月1日|1]]
|札幌
|札幌
|[[札幌2歳ステークス|札幌2歳S]]
|[[札幌2歳ステークス|札幌2歳S]]
|{{GIII}}
|
|芝1800m(良)
| {{GIII}}
|13
|13
|7
|7
160行目: 234行目:
|{{0}}3.6(2人)
|{{0}}3.6(2人)
|{{0}}6着
|{{0}}6着
|蛯名正義
||55
|芝1800m(良)
|1:51.2 (36.3)
|1:51.2 (36.3)
|{{0|-}}0.8
|{{0|-}}0.8
|蛯名正義
||[[アドマイヤムーン]]
|55
|[[アドマイヤムーン]]
|464
|-
|-
|[[2006年|2006]]
|[[2006年|2006]].
|3.
|{{0}}3.
|[[3月12日|12]]
|[[3月12日|12]]
|[[中山競馬場|中山]]
|[[中山競馬場|中山]]
|3歳500万下
|3歳500万下
|
|
|芝1800m(良)
|
|13
|13
|3
|3
179行目: 253行目:
|{{0}}4.0(2人)
|{{0}}4.0(2人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
||[[岩田康誠]]
||56
|芝1800m(良)
|1:50.1 (34.3)
|1:50.1 (34.3)
| -0.1
| -0.1
|[[岩田康誠]]
|56
|(フェラーリファイブ)
|(フェラーリファイブ)
|476
|-
|-
|
|
|4.
|{{0}}4.
|[[4月29日|29]]
|[[4月29日|29]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[青葉賞]]
|[[青葉賞]]
|{{GII}}
|
|芝2400m(良)
| {{GII}}
|17
|17
|1
|1
198行目: 272行目:
|{{0}}4.5(2人)
|{{0}}4.5(2人)
|{{0}}4着
|{{0}}4着
|2:26.4 (35.5)
|{{0|-}}1.1
|蛯名正義
|蛯名正義
|56
|56
|芝2400m(良)
|2:26.4 (35.5)
|{{0|-}}1.1
|[[アドマイヤメイン]]
|[[アドマイヤメイン]]
|476
|-
|-
|
|
|5.
|{{0}}5.
|[[5月27日|27]]
|[[5月27日|27]]
|[[中京競馬場|中京]]
|[[中京競馬場|中京]]
|白百合S
|白百合S
|
|{{OP}}
|{{OP}}
|芝1800m(良)
|16
|16
|1
|1
217行目: 291行目:
|{{0}}3.4(2人)
|{{0}}3.4(2人)
|{{0}}7着
|{{0}}7着
|1:48.0 (35.4)
|{{0|-}}0.4
|岩田康誠
|岩田康誠
|56
|56
|芝1800m(良)
|1:48.0 (35.4)
|{{0|-}}0.4
|エムエスワールド
|エムエスワールド
|468
|-
|-
|
|
|8.
|{{0}}8.
|[[8月19日|19]]
|[[8月19日|19]]
|札幌
|札幌
|日高特別
|日高特別
|10下
|
|芝2000m(良)
|{{small|1000万下}}
|13
|13
|6
|6
236行目: 310行目:
|{{0}}2.9(1人)
|{{0}}2.9(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:01.4 (35.4)
| -0.2
|[[横山典弘]]
|[[横山典弘]]
|54
|54
|芝2000m(良)
|2:01.4 (35.4)
| -0.2
|(エレアシチー)
|(エレアシチー)
|474
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月17日|17]]
|[[9月17日|17]]
|中山
|中山
|[[セントライト記念]]
|[[セントライト記念]]
|{{GII}}
|
|芝2200m(良)
| {{GII}}
|17
|17
|6
|6
|11
|11
|{{0}}6.2(3人)
|{{0}}6.2(3人)
|中止
| colspan="3" |[[競走中止]]
|蛯名正義
|蛯名正義
|56
|56
|芝2200m(良)
|競走中止
|
|トーセンシャナオー
|トーセンシャナオー
|470
|-
|-
|
|
267行目: 339行目:
|中山
|中山
|冬至S
|冬至S
|16下
|
|芝2000m(良)
|{{small|1600万下}}
|12
|12
|7
|7
274行目: 346行目:
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|横山典弘
|55
|芝2000m(良)
|2:00.2 (35.4)
|2:00.2 (35.4)
|{{0|-}}0.0
|{{0|-}}0.0
|横山典弘
|55
|フェイトトリックス
|フェイトトリックス
|484
|-
|-
|
|
286行目: 358行目:
|中山
|中山
|クリスマスC
|クリスマスC
|16下
|
|芝1800m(良)
|{{small|1600万下}}
|14
|14
|5
|5
293行目: 365行目:
|{{0}}2.7(1人)
|{{0}}2.7(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:46.9 (35.4)
| -0.1
|横山典弘
|横山典弘
|56
|56
|芝1800m(良)
|1:46.9 (35.4)
| -0.1
|(ニホンピロキース)
|(ニホンピロキース)
|482
|-
|-
|[[2007年|2007]]
|[[2007年|2007]].
|1.
|{{0}}1.
|[[1月21日|21]]
|[[1月21日|21]]
|中山
|中山
|[[アメリカジョッキークラブカップ|AJCC]]
|[[アメリカジョッキークラブカップ|アメリカJCC]]
|{{JpnII}}
|
|芝2200m(良)
| {{JpnII}}
|10
|10
|5
|5
312行目: 384行目:
|{{0}}3.2(2人)
|{{0}}3.2(2人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:12.8 (35.3)
| -0.8
|横山典弘
|横山典弘
|56
|56
|芝2200m(良)
|2:12.8 (35.3)
| -0.8
|(インテレット)
|(インテレット)
|484
|-
|-
|
|
|3.
|{{0}}3.
|[[3月24日|24]]
|[[3月24日|24]]
|中山
|中山
|[[日経賞]]
|[[日経賞]]
|{{GII}}
|
|芝2500m(良)
| {{GII}}
|14
|14
|4
|4
331行目: 403行目:
|{{0}}2.4(1人)
|{{0}}2.4(1人)
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|2:32.0 (35.9)
|{{0|-}}0.2
|横山典弘
|横山典弘
|57
|57
|芝2500m(良)
|2:32.0 (35.9)
|{{0|-}}0.2
|[[ネヴァブション]]
|[[ネヴァブション]]
|480
|-
|-
|
|
|4.
|{{0}}4.
|[[4月29日|29]]
|[[4月29日|29]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[天皇賞(春)]]
|[[天皇賞(春)]]
|
|GI
|芝3200m(良)
| GI
|16
|16
|1
|1
350行目: 422行目:
|{{0}}9.6(5人)
|{{0}}9.6(5人)
|11着
|11着
|横山典弘
|58
|芝3200m(良)
|3:15.1 (35.6)
|3:15.1 (35.6)
|{{0|-}}1.0
|{{0|-}}1.0
|横山典弘
|58
|[[メイショウサムソン]]
|[[メイショウサムソン]]
|476
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月2日|2]]
|{{0}}[[9月2日|2]]
|札幌
|札幌
|[[札幌記念]]
|[[札幌記念]]
|{{JpnII}}
|
|芝2000m(良)
| {{JpnII}}
|16
|16
|7
|7
369行目: 441行目:
|{{0}}4.2(1人)
|{{0}}4.2(1人)
|{{0}}7着
|{{0}}7着
|2:00.6 (34.9)
|{{0|-}}0.5
|[[安藤勝己]]
|[[安藤勝己]]
|57
|57
|芝2000m(良)
|2:00.6 (34.9)
|{{0|-}}0.5
|[[フサイチパンドラ]]
|[[フサイチパンドラ]]
|480
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月23日|23]]
|[[9月23日|23]]
|中山
|中山
|[[オールカマー]]
|[[オールカマー]]
|{{GII}}
|
|芝2200m(良)
| {{GII}}
|16
|16
|3
|3
388行目: 460行目:
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:12.5 (34.8)
| -0.1
|蛯名正義
|蛯名正義
|58
|58
|芝2200m(良)
|2:12.5 (34.8)
| -0.1
|(シルクネクサス)
|(シルクネクサス)
|482
|-
|-
|
|
400行目: 472行目:
|東京
|東京
|[[天皇賞(秋)]]
|[[天皇賞(秋)]]
|
|GI
|芝2000m(稍)
| GI
|16
|16
|8
|8
407行目: 479行目:
|32.4(8人)
|32.4(8人)
|15着
|15着
|2:00.1 (35.8)
|{{0|-}}1.7
|蛯名正義
|蛯名正義
|58
|58
|芝2000m(稍)
|2:00.1 (35.8)
|{{0|-}}1.7
|メイショウサムソン
|メイショウサムソン
|486
|-
|-
|
|
419行目: 491行目:
|中山
|中山
|[[有馬記念]]
|[[有馬記念]]
|
|GI
|芝2500m(稍)
| GI
|15
|15
|2
|2
426行目: 498行目:
|52.3(9人)
|52.3(9人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:33.6 (36.3)
| -0.2
|蛯名正義
|蛯名正義
|57
|57
|芝2500m(稍)
|2:33.6 (36.3)
| -0.2
|([[ダイワスカーレット]])
|([[ダイワスカーレット]])
|498
|-
|-
|[[2008年|2008]]
|[[2008年|2008]].
|3.
|{{0}}3.
|[[3月29日|29]]
|[[3月29日|29]]
|中山
|中山
|日経賞
|日経賞
|{{GII}}
|
|芝2500m(良)
| {{GII}}
|13
|13
|6
|6
445行目: 517行目:
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:32.7 (34.6)
| -0.5
|蛯名正義
|蛯名正義
|59
|59
|芝2500m(良)
|2:32.7 (34.6)
| -0.5
|([[トウショウナイト]])
|([[トウショウナイト]])
|496
|-
|-
|
|
|4.
|{{0}}4.
|[[4月27日|27]]
|[[4月27日|27]]
|[[沙田競馬場|沙田]]
|[[沙田競馬場|沙田]]
|[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|QE2世C]]
|[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|QE2世C]]
|
|G1
|芝2000m(良)
| GI
|11
|11
|6
|6
464行目: 536行目:
|
|
|{{0}}6着
|{{0}}6着
|2:01.4
|
|蛯名正義
|蛯名正義
|57
|57
|芝2000m(良)
|2:01.4
|
|[[アーキペンコ|Archipenko]]
|[[アーキペンコ|Archipenko]]
|計不
|-
|-
|
|
|8.
|{{0}}8.
|[[8月24日|24]]
|[[8月24日|24]]
|札幌
|札幌
|札幌記念
|札幌記念
|{{JpnII}}
|
|芝2000m(良)
| {{JpnII}}
|11
|11
|4
|4
483行目: 555行目:
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:58.6 (34.9)
|{{0|-}}0.0
|蛯名正義
|蛯名正義
|57
|57
|芝2000m(良)
|1:58.6 (34.9)
|{{0|-}}0.0
|[[タスカータソルテ]]
|[[タスカータソルテ]]
|478
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月28日|28]]
|[[9月28日|28]]
|中山
|中山
|オールカマー
|オールカマー
|{{GII}}
|
|芝2200m(良)
| {{GII}}
|14
|14
|7
|7
502行目: 574行目:
|{{0|-}}1.4(1人)
|{{0|-}}1.4(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:12.0 (34.6)
| -0.3
|蛯名正義
|蛯名正義
|59
|59
|芝2200m(良)
|2:12.0 (34.6)
| -0.3
|([[キングストレイル]])
|([[キングストレイル]])
|490
|-
|-
|
|
514行目: 586行目:
|東京
|東京
|[[ジャパンカップ|ジャパンC]]
|[[ジャパンカップ|ジャパンC]]
|
|GI
|芝2400m(良)
| GI
|17
|17
|7
|7
521行目: 593行目:
|{{0}}8.0(5人)
|{{0}}8.0(5人)
|{{0}}4着
|{{0}}4着
|2:25.7 (34.4)
|{{0|-}}0.2
|蛯名正義
|蛯名正義
|57
|57
|芝2400m(良)
|2:25.7 (34.4)
|{{0|-}}0.2
|[[スクリーンヒーロー]]
|[[スクリーンヒーロー]]
|492
|-
|-
|
|
533行目: 605行目:
|中山
|中山
|有馬記念
|有馬記念
|
|GI
|芝2500m(良)
| GI
|14
|14
|6
|6
540行目: 612行目:
|{{0}}4.4(2人)
|{{0}}4.4(2人)
|12着
|12着
|2:33.1 (37.5)
|{{0|-}}1.6
|蛯名正義
|蛯名正義
|57
|57
|芝2500m(良)
|2:33.1 (37.5)
|{{0|-}}1.6
|ダイワスカーレット
|ダイワスカーレット
|498
|-
|-
|[[2009年|2009]]
|[[2009年|2009]].
|4.
|{{0}}4.
|[[4月5日|5]]
|{{0}}[[4月5日|5]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[大阪杯|産経大阪杯]]
|[[大阪杯|産経大阪杯]]
|{{GII}}
|
|芝2000m(良)
| {{GII}}
|12
|12
|1
|1
559行目: 631行目:
|{{0}}6.2(2人)
|{{0}}6.2(2人)
|{{0}}7着
|{{0}}7着
|2:00.4 (35.0)
|{{0|-}}0.7
|[[武豊]]
|[[武豊]]
|58
|58
|芝2000m(良)
|2:00.4 (35.0)
|{{0|-}}0.7
|[[ドリームジャーニー]]
|[[ドリームジャーニー]]
|496
|-
|-
|
|
|8.
|{{0}}8.
|[[8月23日|23]]
|[[8月23日|23]]
|札幌
|札幌
|札幌記念
|札幌記念
|{{GII}}
|
|芝2000m(良)
| {{GII}}
|16
|16
|7
|7
578行目: 650行目:
|{{0}}6.9(2人)
|{{0}}6.9(2人)
|{{0}}9着
|{{0}}9着
|2:01.3 (35.6)
|{{0|-}}0.6
|横山典弘
|横山典弘
|57
|57
|芝2000m(良)
|2:01.3 (35.6)
|{{0|-}}0.6
|[[ヤマニンキングリー]]
|[[ヤマニンキングリー]]
|486
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月27日|27]]
|[[9月27日|27]]
|中山
|中山
|オールカマー
|オールカマー
|{{GII}}
|
|芝2200m(良)
| {{GII}}
|15
|15
|8
|8
597行目: 669行目:
|{{0}}4.6(3人)
|{{0}}4.6(3人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:11.4 (34.1)
| -0.3
|横山典弘
|横山典弘
|58
|58
|芝2200m(良)
|2:11.4 (34.1)
| -0.3
|(ドリームジャーニー)
|(ドリームジャーニー)
|486
|-
|-
|
|
|11.
|11.
|[[11月1日|1]]
|{{0}}[[11月1日|1]]
|東京
|東京
|天皇賞(秋)
|天皇賞(秋)
|
|GI
|芝2000m(良)
|     GI    
|18
|18
|7
|7
616行目: 688行目:
|33.2(8人)
|33.2(8人)
|17着
|17着
|1:58.9 (35.3)
|{{0|-}}1.7
|蛯名正義
|蛯名正義
|58
|58
|芝2000m(良)
|1:58.9 (35.3)
|{{0|-}}1.7
|[[カンパニー (競走馬)|カンパニー]]
|[[カンパニー (競走馬)|カンパニー]]
|490
|-
|-
|
|
628行目: 700行目:
|中山
|中山
|有馬記念
|有馬記念
|
|GI
|GI
|芝2500m(良)
|16
|16
|4
|4
635行目: 707行目:
|{{0}}9.4(3人)
|{{0}}9.4(3人)
|{{0}}7着
|{{0}}7着
|蛯名正義
|57
|芝2500m(良)
|2:31.9 (37.6)
|2:31.9 (37.6)
|{{0|-}}1.9
|{{0|-}}1.9
|蛯名正義
|57
|ドリームジャーニー
|ドリームジャーニー
|502
|}
|}

=== 中山競馬場との相性 ===
== 種牡馬時代 ==
経歴のとおり、重賞勝ち(アメリカジョッキークラブカップ、オールカマー3回、有馬記念、日経賞)はすべて中山競馬場で挙げているほどの中山巧者で、全体でも13戦8勝と高い勝率を誇り、負けたレースも2着1回3着1回、と競走中止となったセントライト記念と5、6歳時の有馬記念を除けばすべて馬券に絡んでいる。その反面、中山競馬場以外では[[札幌競馬場]]での2勝があるのみで、特に[[東京競馬場]]のような左回りのレースでは不本意な結果(最高で2008年ジャパンカップの4着)となることが多かった。有馬記念勝利後、国枝は「練習すれば左回りも大丈夫」と苦手な左回りの克服に自信を見せたが、最後に冗談のように「他のも中山競馬場でやるよう、[[日本中央競馬会|JRA]]にお願いしますかね」と答える一幕があった<ref>[http://mainichi.jp/photo/news/20071223k0000e050020000c.html 毎日新聞12月24日記事]より</ref>。

{| border="0" cellspacing="0" cellpadding="1" style="font-size:90%; text-align: center;white-space:nowrap"
=== 年度別成績 ===
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-種牡馬成績">{{Cite web |title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|マツリダゴッホ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000762445/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-11-28}}</ref>。
{| class="wikitable"
!種付年度
!種付年度
!種付頭数
!生産頭数
!血統登録頭数
!出走頭数
!勝馬頭数
!重賞勝馬頭数
![[アーニングインデックス|AEI]]
![[コンパラブルインデックス|CPI]]
|-
|-
!2010
!2011
|128
|83
|80
|68
|48
|2
|0.71
|
|
|-
!2011
!2012
|120
|71
|69
|61
|44
|1
|0.64
|
|-
!2012
!2013
|122
|70
|68
|64
|46
|4
|1.19
|
|-
!2013
!2014
|135
|85
|86
|79
|54
|1
|0.74
|
|-
!2014
!2015
|86
|62
|58
|51
|35
|0
|0.41
|
|-
!2015
!2016
|71
|34
|32
|30
|18
|0
|0.99
|
|-
!2016
!2017
|100
|62
|59
|54
|34
|0
|0.48
|
|-
!2017
!2018
|95
|61
|61
|57
|38
|1
|0.70
|
|-
!2018
!2019
|38
|24
|24
|22
|11
|-
|0.62
|
|-
!2019
!2020
|42
|18
|18
|10
|1
|0
|0.43
|
|-
!2020
!2021
|23
|10
|10
|0
|-
|-
|-
|
|-
!2021
!2022
|13
|0
|0
|0
|-
|-
|-
|
|-
! colspan="4" |合計
|565
|496
|329
|9
|0.79
|1.05
|}
|}
* 情報は、2022年11月28日時点。
* 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、[[アーニングインデックス]]、[[コンパラブルインデックス]]は、[[平地競走]]に限る。


== 種牡馬時代 ==
=== 重賞優勝産駒 ===
地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。
初年度は日高管内に繋養された新種牡馬では最多となる128頭との種付けを行い、翌[[2011年]][[1月24日]]、生まれ故郷の岡田スタッドにて初産駒の牝馬(母ジョースマイル、母父[[ホワイトマズル]])が誕生した。産駒のデビューは[[2013年]]<ref>[http://uma-furusato.com/news/detail/_id_57612 競走馬のふるさと案内所2月1日記事]より</ref>。2013年[[6月8日]]、東京競馬場で行われたメイクデビューで1番人気に推されたマイネルギャルソンが優勝し産駒の初勝利を飾った。[[2014年]]にウインマーレライが[[ラジオNIKKEI賞]]を制し、産駒によるJRA重賞初制覇。
=== グレード制重賞優勝馬 ===
*[[ウインマーレライ]] - ラジオNIKKEI賞
*[[クールホタルビ]] - [[ファンタジーステークス]]
*[[ロードクエスト]] - [[新潟2歳ステークス]]、[[京成杯オータムハンデキャップ]]、[[スワンステークス]]、[[せきれい賞]]、[[OROカップ]]
*[[マイネルハニー]] - [[チャレンジカップ (中央競馬)|チャレンジカップ]]
*[[リンゴアメ]] - [[函館2歳ステークス]]


* 2011年産
=== 地方重賞優勝馬 ===
** [[ウインマーレライ]](牡、母父:[[フサイチペガサス]](2014年[[ラジオNIKKEI賞]])<ref name="JBIS-ウインマーレライ">{{Cite web |title=ウインマーレライ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001141774/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
* コスモナーダム - [[新春盃]]
** コスモナーダム(牡、母父:[[マークオブエスティーム]](2016年*[[新春盃]])<ref>{{Cite web |title=コスモナーダム|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001140089/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
* コスモカット - 夏至賞
* 2012年産
* プレシャスエース - [[栗駒賞]]、[[岩鷲賞]]
** [[クールホタルビ]](牝、母父:[[ヘクタープロテクター]](2014年[[ファンタジーステークス]])<ref name="JBIS-クールホタルビ">{{Cite web |title=クールホタルビ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001150369/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
* コスモリョウゲツ - [[OROカップ]]
* 2013年産
* アトミックフォース - せきれい賞
** [[ロードクエスト]](牡、母父:[[チーフベアハート]](2015年[[新潟2歳ステークス]]、2016年[[京成杯オータムハンデキャップ]]、2018年[[スワンステークス]]、2021年*[[せきれい賞]]、*[[OROカップ]])<ref name="JBIS-ロードクエスト">{{Cite web |title=ロードクエスト|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001171199/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
** [[マイネルハニー]](牡、母父:[[ナリタブライアン]](2016年[[チャレンジカップ (中央競馬)|チャレンジカップ]])<ref>{{Cite web |title=マイネルハニー|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001167388/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
** プレシャスエース(牡、母父:フレンチデピュティ(2020年*[[栗駒賞]]、*[[岩鷲賞]])<ref>{{Cite web |title=プレシャスエース|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001170524/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
** コスモカット(牡、母父:[[エルハーブ]](2016年*夏至賞)<ref>{{Cite web |title=コスモカット|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001167813/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
* 2014年産
** コスモリョウゲツ(牡、母父:[[ソヴィエトスター]](2019年*OROカップ)<ref>{{Cite web |title=コスモリョウゲツ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001189024/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
* 2018年産
** [[リンゴアメ]](牝、母父:[[マイネルラヴ]](2020年[[函館2歳ステークス]])<ref>{{Cite web |title=リンゴアメ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001262555/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>


=== ブルードメアサイアーとしての主な産駒 ===
==== ブルードメアサイアーとしての産駒 ====
* 2019年産
** [[ナムラリコリス]](牝、父:[[ジョーカプチーノ]](2021年函館2歳ステークス)<ref name="JBIS-ナムラリコリス">{{Cite web |title=ナムラリコリス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001310218/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>


== エピソード ==
* [[ナムラリコリス]] - 函館2歳ステークス - 父[[ジョーカプチーノ]]


== 馬主 ==
=== 不在 ===
有馬記念当日は、オーナーの高橋文枝、生産者の岡田牧雄ともに不在であった<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2007/12/24/0000780640.shtml |title=勝ったのに…馬主、生産者ともに不在 |access-date=2022-11-24 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071225040106/http://www.daily.co.jp/horse/2007/12/24/0000780640.shtml |archive-date=2007-12-25}}</ref>。高橋は、岩手から中山までの新幹線のチケットを確保して向かう準備ができていたが、当日、更年期障害に見舞われて、立ち上がることすらできなかった<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。そのため自宅の布団で臥しながらのテレビ観戦だったという<ref name="デイリー-2008-12-23-2" />。夫の福三郎は、妻に寄り添っていた<ref name="サンスポ-有馬" />。また岡田は、天気予報が悪くてマツリダゴッホにとって苦手の重馬場になること、勝てる見込みがないと考えていなかった<ref name="デイリー-2008-12-22-22" />。そのため、自宅のソファでテレビ観戦していたという<ref name="デイリー-2008-12-22-22" />。ゆえに優勝後の表彰式では、表彰者不在という事態となった<ref>『Gallop平成競馬全史』127頁</ref>{{Efn|高橋は、有馬記念こそ不在だったが、マツリダゴッホの応援には、香港にまで向かっている<ref name="デイリー-高橋3">『デイリースポーツ』2008年12月25日号 2頁</ref>。高橋によれば「わたしが見に行くと勝てない<ref name="デイリー-高橋3" />」という。}}。
本馬の[[馬主]]は[[岩手県]]にある高橋重機[[有限会社]]で副社長を務める高橋文枝<ref name="iwate">{{Cite news|和書|date=2007-12-24|title=グランプリ馬 馬主は県人 有馬記念・マツリダゴッホ優勝 八幡平市の高橋さん大感激 GI「信じられない」|page=25|language=日本語|newspaper=[[岩手日報]]|publisher=岩手日報社}}</ref>(たかはし ふみえ)。中央競馬のほかには[[岩手県競馬組合|岩手競馬]]に所有馬を置いている<ref name="iwate" />。中央競馬における[[勝負服 (競馬)|勝負服]]は桃、黒縦縞、黒袖桃一本輪。[[冠名]]は夫の名前に由来する「ハッピー」<ref name="iwate" />(1999年産以前の馬)、夫の嗜好に由来する「マツリダ」<ref name="iwate" />(2000年産以降の馬)を使用している。

さらに調教師の国枝は、競馬場に臨場していないときに、大レースを優勝することが多かった<ref name="デイリー-国枝-有馬">{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2007/12/24/0000780641.shtml |title=また大穴!国枝厩舎「びっくりしたよ」 |access-date=2022-11-24 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071225040114/http://www.daily.co.jp/horse/2007/12/24/0000780641.shtml |archive-date=2007-12-25}}</ref>。同じ年、[[ピンクカメオ]]が制した東京競馬場のNHKマイルカップ(JpnI)にも、[[クーヴェルチュール]]が制した札幌競馬場の[[キーンランドカップ]](JpnIII)にも臨場していなかった<ref name="デイリー-国枝-有馬" />。しかし有馬記念は、当日は中山競馬場に臨場しており、国枝に限っては優勝を見届けている<ref name="デイリー-国枝-有馬" />。

=== ニューポリトラック ===
2007年11月、美浦トレーニングセンターの南馬場に、ポリトラックコースが新たに設けられている<ref name="日刊-有馬-国枝">{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071224-299153.html |title=波乱の結果にも国枝師冷静/有馬記念 |access-date=2022-11-26 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20071227041929/http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071224-299153.html |archive-date=2007-12-27}}</ref>。マツリダゴッホの調教には、このニューポリトラックが積極的に用いられた<ref name="日刊-有馬-国枝" />。国枝によれば、ポリトラックは、調教時間の中間に馬場整備車によるハロー掛けがされないために混雑せず、マツリダゴッホのような神経質な馬も、十分な調教をこなすことができるのだという<ref name="優駿-2008-2-25">『優駿』2008年2月号 25頁</ref>。有馬記念では、最終追い切りを、ポリトラックにして戴冠した<ref name="優駿-2008-2-25" />。その1週間前の[[朝日杯フューチュリティステークス]]でも、最終追い切りをポリトラックとした美浦・斎藤誠厩舎の[[ゴスホークケン]]も戴冠しており、栗東所属馬の優勢の中で一矢報いた美浦所属馬によるGI連勝だった<ref name="優駿-2008-2-25" /><ref>{{Cite web |title=“ポリトラック”追い切り馬がG1連勝 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/43587 |website=競馬ブック |access-date=2022-11-30}}</ref>。

=== 馬インフルエンザ禍の不運 ===
馬インフルエンザの流行は、マツリダゴッホの競走生活に多大な影響を与えている。

まず4歳時、アメリカジョッキークラブカップで重賞優勝を果たした後、国枝は外国遠征、特に香港への遠征を狙っていた。しかし馬インフルエンザの流行など事情が重なり、実現できなかった。また国内専念となった秋の始動戦は、馬インフルエンザのために2週間後ろ倒しとなった札幌記念だった<ref name="優駿-2007-11-64" />。秋はその後も、国内に専念して、暮れの有馬記念戴冠に至っている。

有馬記念を制した翌年の新たな目標は、前年に叶わなかった外国遠征だったが、ドバイ遠征はやはり馬インフルエンザの影響で実現しなかった。そして次なる香港遠征で初めてとなる外国遠征がようやく実現する。ただし実現はしても、流行禍ゆえの障壁が課されていた。流行禍による検疫は、協定によって美浦ではできず、馬インフルエンザの確認されていない新潟競馬場に移動してから行わなければならなかった<ref>{{Cite web |title=マツリダゴッホ香港遠征白紙も!! |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/03/19/kiji/K20080319Z00001000.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-27 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=いろんなこと。|url=http://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/200804060000/ |website=楽天ブログ |access-date=2022-11-27 |language=ja}}</ref>。さらに期間は、通常の倍以上の14日間必要だった<ref name="競馬ブック-香港-招待" />。美浦から新潟を経由して、千葉県の成田国際空港から出国するという、遠回りをされていた<ref name="優駿-2008-6-58" />。

流行禍の検疫を乗り越えたマツリダゴッホは、次に不運に見舞われた。台風が香港を直撃したことで、厳しいフライトとなった<ref name="優駿-2008-6-58" />。大きく揺れる機内で長時間を過ごし、予定より4時間半遅れての到着となっていた<ref name="優駿-2008-6-58" />。おかげで香港入国直後は、体重を大きく減らしていた。それでも厩舎は、飼葉を工夫するなど最善の対策して臨んでいた<ref name="優駿-2008-6-58" />。レース直前、陣営は、競馬場パドックで行われた枠順抽選会に参加している。他の陣営が代表一人が登壇して抽選機を回していたが、国枝だけでなく、厩舎スタッフ全員で壇上に上がり回していた<ref name="報知-香港-ラッキー7">{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080424-OHT1T00244.htm |title=ゴッホ国枝師「ラッキー7」当てた!!…27日香港国際GI |access-date=2022-11-27 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080428221520/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080424-OHT1T00244.htm |archive-date=2008-4-28}}</ref>。引き当てたゲート番は「7」[[ラッキーセブン]]で吉兆かと思われたが、香港調教馬のジャックポットディライトが出走取消したために繰り上がり、「6」で臨んでいる<ref>{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080425-OHT1T00325.htm |title=マツリダゴッホ、ダートで調整…27日香港国際GI |access-date=2022-11-27 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-date=2008-4-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080428175823/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080425-OHT1T00325.htm}}</ref><ref name="報知-香港-ラッキー7" />。そして6着敗退、蛯名は敗因に環境の変化を挙げていた<ref name="報知-香港-6着" /><ref name="優駿-2008-6-58" />。

=== 中山巧者 ===
中山競馬場では、10勝中8勝、重賞6勝を挙げる活躍を見せた<ref name="競馬ブック-引退" />。優れたスタミナを存分に発揮する第3コーナーからのまくり作戦は、直線が短く、坂がある中山のコースが都合が良かった<ref>『優駿』2008年12月号 38頁</ref>。有馬記念優勝直後には、国枝が「左回りで結果が出ていないので他のGIもJRAに頼んで中山に移してもらおうか<ref name="サンスポ-有馬2" />」という冗談も話している。マツリダゴッホはこの年、中山で3勝を挙げる「中山巧者」だったが、蛯名も44勝、国枝も19勝を挙げている<ref name="報知-有馬-アラカルト" />。蛯名国枝ともに、この年の中山リーディングに輝いていた<ref name="報知-有馬-アラカルト" />。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
714行目: 960行目:
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|ref4 = <ref name="ped"/>
}}
}}
=== 血統背景 ===
*祖母フローラルマジックの代表産駒に[[ナリタトップロード]]([[菊花賞]]など重賞7勝)がいる。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
722行目: 966行目:
{{Notelist}}
{{Notelist}}
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
{{Reflist|3}}

== 参考文献 ==

* 『Gallop平成競馬全史』([[産業経済新聞社]])
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1999年5月号
*** 「【重賞データファイル】第36回報知杯弥生賞(GII)ナリタトップロード」
** 2005年11月号
*** 井口民樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝(54)】ナリタトップロード 世紀末の{{Ruby|挑戦者|チャレンジャー}}」
** 2005年12月号
*** 「【重賞プレイバック】第40回札幌2歳ステークス(GIII)アドマイヤムーン」
** 2006年6月号
*** 「【重賞プレイバック】第13回青葉賞(GII)アドマイヤメイン」
** 2007年3月号
*** 「【重賞プレイバック】第48回アメリカジョッキークラブカップ(GII)マツリダゴッホ」
** 2007年11月号
*** 「【重賞プレイバック】サマー2000シリーズ 第43回札幌記念(JpnII)フサイチパンドラ」
*** 「【重賞プレイバック】第53回オールカマー(GII)マツリダゴッホ」
** 2008年2月号
*** 「【2007年度JRA賞決定!】年度代表馬にアドマイヤムーン」
*** 島田明宏「【第52回有馬記念】波乱の結果となったグランプリは 待ち受ける『世界戦』のプロローグ」
*** 黒須田守「【優駿ロングインタビュー】国枝栄 さぁ、さらなる飛躍へ」
*** 「【重賞プレイバック】第52回有馬記念(GI)マツリダゴッホ」
*** 「【ニュース&トピックス】武豊騎手が日本プロスポーツ大賞殊勲賞を受賞」
** 2008年3月号
*** 田中哲実「【優駿たちの故郷をたずねて】岡田スタッド(北海道新ひだか町)受け継がれた開拓者魂」
** 2008年5月号
*** 「【重賞プレイバック】第56回日経賞(GII)マツリダゴッホ」
** 2008年6月号
*** 秋山響(TIS)「【クインエリザベスII世C&チャンピオンズマイル】グランプリホースの真の力は見られず」
** 2008年10月号
*** 「【重賞プレイバック】サマー2000シリーズ 第44回札幌記念(JpnII)タスカータソルテ」
** 2008年11月号
*** 「【重賞プレイバック】第54回産経賞 オールカマー(GII)マツリダゴッホ」
**2008年12月号
***平松さとし「【Point of Japan Cup(2)】中山のスペシャリストマツリダゴッホが府中に見参!」
** 2009年2月号
*** 平松さとし「【第53回有馬記念】有力馬3頭 それぞれの戦い マツリダゴッホ "いつもの形"に持ち込めなかった 悔しい敗戦」
*** 「【重賞プレイバック】第53回有馬記念(GI)ダイワスカーレット」
** 2009年6月号
*** 「【重賞プレイバック】第53回産経大阪杯(GII)ドリームジャーニー」
** 2009年11月号
***「【重賞プレイバック】第55回産経賞 オールカマー(GII)マツリダゴッホ」
** 2010年2月号
*** 「【重賞プレイバック】第54回有馬記念(GI)ドリームジャーニー」
** 2012年1月号
*** 阿部珠樹「【優駿激闘譜】マツリダゴッホ 得意のコースで勝ち取った "中山巧者"の称号」
** 2013年1月号
*** 阿部珠樹「【優駿激闘譜】ドリームジャーニー グランプリで結実させた"夢の旅路"」
*『スポーツ報知』
**2005年8月17日号
***「【SS最後のきらめき】マツリダゴッホ 素直で乗り味がいい『優等生』」
*『デイリースポーツ』
**2008年12月22日号
***「【チームゴッホ夢へ一直線 連覇だマツリダ】岡田スタッド 岡田牧雄さん 派手な記録達成で兄を超える!!」
**2008年12月23日号
***「【チームゴッホ夢へ一直線 連覇だマツリダ】高橋文枝オーナー編(1)馬主を辞めたい…引退前に運命の出会い」
**2008年12月25日号
***「【チームゴッホ夢へ一直線 連覇だマツリダ】高橋文枝オーナー編(3)孫づくりのため 息子の無事祈る」
**2008年12月27日号
***「【連覇だマツリダ チームゴッホ夢へ一直線】国枝師編 JC惜敗も信じる愛馬の底力」
*『北海道新聞』
**2007年12月24日
***「まさか!!いいの!? 有馬記念マツリダゴッホ優勝 生産牧場お祭りムード 新ひだか」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=2003104570|yahoo=2003104570|jbis=0000762445|racingpost=679457/matsurida-gogh}}
{{競走馬成績|netkeiba=2003104570|yahoo=2003104570|jbis=0000762445|racingpost=679457/matsurida-gogh}}
* {{競走馬のふるさと案内所|0000762445|マツリダゴッホ}}
* {{競走馬のふるさと案内所|0000762445|マツリダゴッホ}}



2022年12月17日 (土) 21:24時点における版

マツリダゴッホ
2009年4月5日 阪神競馬場
欧字表記 Matsurida Gogh[1][2]
香港表記 梵高藝展[3]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 鹿毛[1][2]
生誕 2003年3月15日[1][2]
抹消日 2010年1月4日[4]
サンデーサイレンス[1][2]
ペイパーレイン[1][2]
母の父 Bel Bolide[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1][2]
生産者 岡田スタッド[5]
生産牧場 岡田スタッド[1][2]
馬主 高橋文枝[1][2]
調教師 国枝栄美浦[1][2]
厩務員 藤井寿雄[6]
競走成績
生涯成績 27戦10勝[2]
日本)26戦10勝[1]
(日本国外)01戦00勝[1]
獲得賞金 6億5013万9000円[2]
WTRR
WTR
L121 / 2007年[7]
L121 / 2008年[8]
L119 / 2009年[9]
勝ち鞍
GI 有馬記念 2007年
GII オールカマー 2007年 - 2009年
GII 日経賞 2008年
JpnII AJCC 2007年
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マツリダゴッホ(欧字名:Matsurida Gogh2003年3月15日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

2007年の有馬記念(GI)優勝馬である。

概要

2003年3月15日、北海道静内町岡田スタッドで生産された鹿毛牡馬である。父はサンデーサイレンス、母はナリタトップロードの妹であるペイパーレインだった。冠名「マツリダ」の高橋文枝が所有し、美浦トレーニングセンター国枝栄厩舎からデビューした。

2歳夏にデビュー戦を勝利したが、しばらくして捻挫により、半年間の休養を強いられた。復帰したものの順調に勝ち進めず、クラシックには参戦できなかったが、4歳初戦のアメリカジョッキークラブカップ(GII)で重賞初勝利。秋のオールカマー(GII)で2勝目を挙げ、暮れの有馬記念(GI)で戴冠を果たした。

翌5歳には日経賞(GII)優勝、そして史上初めてとなるオールカマー連覇を果たした。さらに6歳でもオールカマーを制し、史上8頭目となるJRA同一重賞3連覇、史上5頭目となるJRA同一平地重賞3連覇を成し遂げた。27戦10勝、重賞6勝を挙げて競走馬を引退した。重賞勝利はすべて中山競馬場であり、中山のJRA平地重賞6勝は、スピードシンボリシンボリルドルフと並ぶ史上最多記録だった。

引退後は種牡馬となり、ロードクエスト(母父:チーフベアハート)やクールホタルビ母父:ヘクタープロテクター)の父、ナムラリコリス(父:ジョーカプチーノ)の母父として知られる。

デビューまで

誕生までの経緯

ペイパーレイン

フローラルマジックは、アメリカで生産された父アファームドの牝馬である。アメリカで競走馬として走り、ダート8ハロンの準重賞を制したほか、サンタイネスステークス英語版(G3)で3着となるなど24戦6勝の成績を残した[10]。競走馬引退後は、メキシコ国境に近いアメリカの牧場で繁殖牝馬となる[11]。初年度となる1990年は、ベルボライドと交配。1991年に初仔となる牝馬ペイパーレイン(後のマツリダゴッホの母)が産まれた。

ペイパーレインを産み落とした直後、フローラルマジックは、日本の北海道門別町にある競走馬生産牧場の佐々木牧場、佐々木孝に購入され、1991年に輸入された[11][10]。初仔の後の産駒は、日本で走っており、持込の2番仔、父ベリファ英語版の3番仔、父ジェイドロバリーの4番仔、父ロドリゴデトリアーノの5番仔を産んでいた[10]。このうち、3番仔改めホウシュウサルーンは、1995年の全日本3歳優駿を優勝。5番仔改めグリーンプレゼンスは、1998年の若葉ステークス(OP)を優勝していた[10]。そして1996年には、6番仔となる父サッカーボーイの牡馬が産まれていた[10]

6番仔改め「ナリタトップロード」は、1999年のきさらぎ賞弥生賞を優勝してクラシックに参戦する。皐月賞3着、東京優駿2着を経て、最終戦の菊花賞で戴冠を果たした[12]。その後も第一線で走り、天皇賞(春)3年連続3着となったほか、重賞を7勝する活躍を見せることとなる[13]

ナリタトップロード

ナリタトップロードがクラシックで活躍していた1999年、日本の競走馬生産牧場である岡田スタッドは、ナリタトップロードの血統に着目してその姉であるペイパーレインを購入する[14]。ペイパーレインは、アメリカで競走馬として6勝を挙げた後、アメリカで繁殖牝馬をしていた[14]

岡田スタッド

岡田スタッドは、北海道静内町の競走馬生産牧場である。岡田蔚男が開き、岡田の次男[注釈 1]である岡田牧雄が継いで代表を務めていた。1972年に開設されて以来、生産馬には1973年の朝日杯3歳ステークスを優勝したミホランザンこそいたが、グレード制が導入されてから、JRA-GIを優勝した馬は現れていなかった[15]

導入されたペイパーレインには、日本の首位種牡馬、大種牡馬であるサンデーサイレンスがあてがわれる。日本での交配初年度となる2000年は、受胎して4番仔を得る[注釈 2][16][17]。続く2年目は種付けをせず、1年空胎で過ごした後、3年目となる2002年3月21日、再びサンデーサイレンスと交配し、受胎を果たした[18]。それから1年後の2003年3月15日、北海道静内町の岡田スタッドにて、ペイパーレインの5番仔となる鹿毛の牡馬(後のマツリダゴッホ)が誕生する。ペイパーレインは、出産までこぎつけるのが難しい繁殖牝馬だった[19]。特に産道に仔がいるにもかかわらず、娩出を中途でやめる癖があった[注釈 3]。ゆえに自力でのスムーズな出産ができず、人の手を必要としていた[16]。この5番仔の際には、出産の兆候が2週間続いたため、力添えする繁殖担当者に2週間の不眠[注釈 4]を強いている[16]。そして2週間後、担当者が引っ張り出して、5番仔が産み落とされた[16]

巻き戻して2002年5月、「ペイパーレインの5番仔」が宿された直後には、父サンデーサイレンスが跛行をきたして、その年の種付けを中断していた。まもなく体調不良に陥り、種付けをすることができないまま、8月19日に死亡していた。よって「ペイパーレインの5番仔」は、サンデーサイレンスが最期に交配した世代、すなわち「ラストクロップ」だった[21]

幼駒時代

5番仔は、岡田によれば「体のバランスも良く、筋肉のある馬で肌の薄い良い馬[17]」だったという。牧場では期待の1頭であり、騎乗者を固定して、特別メニューが施された[17]。岡田スタッドは、古馬での活躍を本懐として、他の牧場よりも遅く仕上げる傾向にあった[22]。2歳となる頃には、岡田の親戚のビッグレッドファーム、コスモヴューファームとの交流試合に、牧場の期待馬として出場している[23][22]。しかし他牧場には後れを取る、4頭立ての「ボロ負け」(岡田)だった[22]。それでもその後、順調に成長し、岡田にクラシック参戦を意識させるほどの仕上がりとなった[24]

5番仔は競走馬となり、高橋文枝の所有となる[25]。ただし岡田は、生産馬を原則、他の馬主と負担を分け合う方針を取っているため、実際は、高橋と岡田による共同所有だった[25]。高橋文枝は、岩手県八幡平市の建設業、高橋重機有限会社副社長、夫は社長の高橋福三郎だった[26]。福三郎は、文枝によれば「馬が購入できるほど馬券を買う人[27]」だった。そこで文枝は、夫の馬券購入を控えさせようとして、馬主となっていた[27]三郎の「ハッピー」を冠名にして、1991年に岩手競馬の馬主として走らせていた[26]。1997年には中央競馬にも進出していた[27]

しかし高橋の所有馬は、あまり走らず、特に中央競馬では、最初の8年間で5勝しかできなかった[27]。そこで心機一転、「ハッピー」を廃して、新しい冠名に変更する。「夫が周囲からお祭り男みたいに言われるので[27]」(文枝)「(夫が)祭りや集まりが好き[26]」(岩手日報)ということから「マツリダ」としていた。「マツリダ」にしてから、1億円以上する、ある馬を購入して岩手競馬で走らせていた。しかし思うように活躍せず、馬主を辞める決断をしようと考えていた[27]。そんな頃に、5番仔を所有することになる[27]。5番仔は、新しい冠名「マツリダ」に、会社の社長室に飾っているお気に入りの「絵を織り込んだ布」の絵の作者、フィンセント・ファン・ゴッホの「ゴッホ」を組み合わせた「マツリダゴッホ」という競走馬名が与えられた[26]

マツリダゴッホは、美浦トレーニングセンターの国枝栄厩舎に入厩する。入厩当初の評価は高く、程よい前向きさと素直さを兼ね備えて、ソエをきたしていなかった[28]。ただし身体が貧しかった[28]。厩舎スタッフは大成には、馬体重の増加が必要だと考えていた[28]。国枝も素質は認めていたが、身体には筋肉が足りないと考えていた[29]

競走馬時代

条件馬時代

2005年8月21日、札幌競馬場新馬戦(芝1800メートル)にてデビューとなる。蛯名正義が騎乗して3番人気だった[14]。スローペースの5番手を追走し、第3コーナーからまくって進出[14]。先頭を奪取しながら最終コーナーを通過した後、直線で突き放した[30]。以後差を広げる一方、後方に7馬身差をつけて初出走初勝利を果たした[30][14]

続いて10月1日、札幌2歳ステークス(GIII)で重賞初参戦。アドマイヤムーンフラムドパシオン、モエレジーニアスなどと対して、アドマイヤムーンに次ぐ2番人気だった[31]。しかしスタートで出遅れて、後方追走となる[14]。まくりながら追い上げるも、スムーズに抜け出していたアドマイヤムーンに敵わなかった[14]。大きく後れ、他4頭にも先着を許す6着敗退だった[31]。この後は、捻挫をきたして続戦不能となり、長期休養となる。復帰することができないまま、年をまたぎ3歳となった[14]

翌2006年3月12日、中山競馬場の条件戦(芝1800メートル)で復帰、岩田康誠が騎乗した。中団追走から、直線で馬場の内側、内柵沿いを突いたが、進路を得られず、外に進路を切り替えて追い上げた。前にはフェラーリファイブがおり、激しく抵抗されたが、終いで差し切り2勝目を挙げた[32]。クラシック三冠競走の一冠目・皐月賞は諦めて、二冠目の東京優駿(日本ダービー)出走を目指して、続いて4月29日のトライアル競走である青葉賞(GII)に参戦する。アドマイヤメインに次いで、マチカネケンジやエイシンテンリューを上回る2番人気だったが、スタートで出遅れた[33][34]。中団を追走から後れて追い上げたものの、伸びを欠き、逃げるアドマイヤメインには及ばなかった[34]。優勝したアドマイヤメインに6馬身以上、3着エイシンテンリューに1馬身半届かない4着で、東京優駿の優先出走権を逃した[33]。切り替えて5月27日、東京優駿前日の白百合ステークス(OP)に臨むも7着だった[34]

放牧を挟んで夏の北海道・札幌競馬場、8月19日の日高特別(1000万円以下)で復帰。横山典弘に乗り替わり、古馬相手に1番人気だった[35]。3番手追走から抜け出し、後方に1馬身差をつけて3勝目を挙げた[35]。続いてクラシック三冠競走の最終戦である菊花賞を目指し、トライアル競走のセントライト記念(GII)に3番人気で臨んだが、最終コーナーにて躓いて前の馬に接触し、横山が落馬[36]。競走中止となり、クラシック参戦は叶わなかった。再び間隔を空け3か月後、12月10日の冬至ステークス(1600万円以下)にて1番人気で復帰。直線にて、2番人気のフェイトトリックスとの競り合いを演じ、並んだまま決勝線通過を果たしたが、ハナ差だけ後れて2着だった[37]。それでも暮れ、12月23日のクリスマスカップ(1600万円以下)に再び1番人気で参戦[38]。中団追走から直線で内側より進出し、前を行くニホンピロキースを差し切り抜け出した[38]。4分の3馬身差をつけて4勝目、オープンクラスに昇格した[38]

アメリカジョッキークラブカップ

年をまたいで古馬となった2007年、1月21日のアメリカジョッキークラブカップ(GII)で始動する。競走中止した中山芝2200メートルに再び挑んでいた[39]。東京優駿にてディープインパクトに次ぐ2着のインティライミ朝日杯フューチュリティステークス1番人気3着のジャリスコライトなどと対する10頭立てとなる中、インティライミに次ぐ2番人気、3.2倍だった[40]。インティライミがかかり気味に大きく逃げる一方で、中団好位の4番手を折り合いをつけて追走した[40]。第3コーナーからスパートを開始して進出し、後方勢を千切り、インティライミに接近。最終コーナーで捕らえ、まもなく差し切っていた[39]。後方勢の追い上げは失速するインティライミにすら届いておらず、直線ではマツリダゴッホが突き放す一方、独走だった。後方勢を寄せ付けないままに、5馬身差をつけて決勝線通過を果たした[40]

重賞初勝利を挙げる。1999年にスペシャルウィークが、サイレントハンターにつけた優勝着差・3馬身を2馬身上回るアメリカジョッキークラブカップ史上最大着差での優勝を果たした[41][42]。また2000年マチカネキンノホシ以来となる4歳馬による優勝だった[42][43]。横山は、JRA重賞90勝目、国枝は、JRA通算400勝目でもあった[40]

続いて3月24日、再び中山の、されど2500メートルの日経賞(GII)に、トウショウナイトネヴァブションフサイチパンドラらと対して1番人気で臨んでいた。最終コーナーで先頭に並びかけて突き放しを試みたが、直線で後れて追い上げたネヴァブショントウショウナイトに差し切りを許した。2頭に約半馬身及ばず3着だった。そして4月29日には天皇賞(春)(GI)でGI初出走を果たす。5番人気だったが、道中で失速して11着敗退だった[44]

夏休みを挟んで秋、9月2日の札幌記念(GII)にて、安藤勝己を伴って復帰し、1番人気に支持された[45]。スタートから好位内側の5番手を守り、直線で伸びず、フサイチパンドラに逃げ切りを許す。2馬身以上後れを取る7着だった[45]

オールカマー(1)

9月23日、重賞勝利を挙げた舞台である中山芝2200メートルに舞い戻って、オールカマー(GII)に臨む。鞍上には、競走中止したセントライト記念以来となる蛯名が舞い戻り、サンツェッペリンやネヴァブション相手に1番人気に支持された[46]。スタートから中団を追走し、第3コーナーから進出して直線で先頭となった[46]。内からシルクネクサスの抵抗を受けたが、先頭を守り、半馬身先に決勝線に到達、重賞2勝目を挙げた[46]。古馬が出走できる中山芝2200メートルは、アメリカジョッキークラブカップとオールカマーが用意されているが、その両方を同一年のうちに優勝したのは史上初めてだった[47][48]

続いて天皇賞(秋)(GI)に出走したが、15着だった。大敗を受けて、続くジャパンカップを自重し、短期放牧となる[49]。陣営は、翌年のアメリカジョッキークラブカップ連覇を目標に考えていた[50]。しかし帰厩したマツリダゴッホは、出世を阻んでいた貧しかった身体が充実して、本格化していた。国枝は、岡田らに暮れの有馬記念参戦を進言、説得に成功して有馬記念への参戦が決定する[51]。国枝は、当初は、あくまでアメリカジョッキークラブカップの前哨戦と捉えていたが、成長した姿に手応えを感じながらの参戦となる[50]。直前になって国枝はマツリダゴッホは「あまりにも出来が良かった[29]」ため、勝利に躍起になっていた[29]。しかし15着敗退からの参戦に、周囲からの賛同が得られなかったという[29]

有馬記念

12月23日、有馬記念(GI)に臨む。この年のグランプリは「超豪華メンバー[52]」(島田明宏)、出走頭数に対して、出走メンバーのGI級競走勝利数の方が大きかった。最有力視されたのは、前年の皐月賞および東京優駿優勝馬、同期のクラシック二冠馬メイショウサムソンだった。この春には天皇賞(春)を優勝、フランスの凱旋門賞参戦は馬インフルエンザにより叶わなかったが、切り替えて臨んだ天皇賞(秋)を優勝。クラシック二冠と天皇賞春秋制覇のGI4勝馬だった[52]。対するはタイトル獲得はGII止まりながら、前年のメルボルンカップ2着、有馬記念をディープインパクトに次ぐ2着、そして前回出走のジャパンカップでは、引退優勝を果たしたアドマイヤムーンにアタマ差後れ、メイショウサムソンにクビ差先着したポップロックだった[52]

その他、5戦4勝菊花賞3着のロックドゥカンブ、牝馬二冠を果たしたダイワスカーレット、牝馬ながら東京優駿優勝を果たしたウオッカといった新星3歳勢や、GI級5勝で引退レースとなるダイワメジャー、外国G1優勝のコスモバルクデルタブルースなどベテラン勢も集結する[52]。そんな中で、GII2勝、GI級未勝利、天皇賞春秋二桁着順、ファン投票19位のマツリダゴッホは、見劣りしていた。単勝オッズ52.3倍の9番人気、伏兵という立場だった[52]

2枠3番から好スタートを見せて、単騎で逃げるチョウサン、2番手ダイワスカーレットに次ぐ好位内側の3番手を確保する[53]。チョウサンの逃げが早々に確定したことでペースは速くならなかった[54]。2番手のダイワスカーレットは、折り合いを欠く場面が見られたが、こちらは折り合いをつけて、スムーズに追走することができた[55]。2周目の第3コーナーより後方待機勢が促されて、外を回りながら迫ってきたが、マツリダゴッホは手応え十分で、促されずともそれに抗うことができた[56]。好位を守ったまま最終コーナーに差し掛かり、失速するチョウサンをダイワスカーレットとともに捉えて、先頭争いとなる[52]

3番手を追走するマツリダゴッホ(黒帽、桃黒の勝負服、白いシャドーロール

ダイワスカーレットは、外に進路を求めていたが、こちらは内側に拘り、コーナーワークで先頭に躍り出ていた[57]。直線に差し掛かってスパートを開始すれば、折り合いを欠いたダイワスカーレットを置き去りにする[56]。後方勢も揃って伸びを欠いており、ダイワスカーレットを沈めてからは独走だった[57][58]。2着を守ったダイワスカーレットに1馬身4分の1差をつけ、先頭で決勝線通過を果たした[52]

映像外部リンク
2007年 有馬記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2007年 有馬記念(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

有馬記念戴冠、GI戴冠を果たす。2004年ゼンノロブロイ以来となる関東馬の優勝だった[58]。また優先出走ファン投票10位以下の優勝は、1998年14位のグラスワンダー以来だった[59]。また蛯名は、2001年マンハッタンカフェ以来となる有馬記念2勝目[60]。国枝は、有馬記念初優勝[61]。この年のNHKマイルカップピンクカメオで制して以来のGI級競走2勝目だった[60]。またサンデーサイレンスのラストクロップとしては、牝馬フサイチパンドラが2006年エリザベス女王杯を制してGI級タイトルに到達していたが、牡馬産駒としては初めてとなるGI級タイトル奪取だった[58]

単勝5230円は、1991年のダイユウサクの14番人気13790円に次ぐ有馬記念史上2番目に高い配当だった[62]。また9番人気の戴冠に続いたのは、5番人気のダイワスカーレット、6番人気のダイワメジャーであり、人気のメイショウサムソンやポップロック、ウオッカが揃って馬券圏内を外すという波乱となっていた[59]。「馬単」は6万9020円、「三連複」は7万3320円、「三連単」は80万880円となり、いずれもレース史上最高配当記録を樹立している[59][注釈 5]。レース直後、マツリダゴッホは引き揚げて来て、検量室の前で下馬していた。このとき、「空気読めない」という意味を持つこの年の流行語「KY」を用いて「蛯名!KY!!」という野次があったという[53]。これに対して蛯名は、「超」を意味する「C」を付け加え「KYというより、CKYでしょう」と返している[53][注釈 6]

この年のJRA賞では、年度代表馬最優秀4歳以上牡馬の2部門で票こそ得たが、全289票中いずれも1票[注釈 7][注釈 8]に留まり、受賞には至らなかった[63]。また国枝は、この年の東京競馬記者クラブ賞を受賞している[64]

日経賞

有馬記念を制したことで、当初目標としていたアメリカジョッキークラブカップへの参戦は見送りとなり、代わって外国を志向するようになる[65]。まず3月下旬に行われるアラブ首長国連邦ナド・アルシバ競馬場で行われるドバイワールドカップミーティングのドバイシーマクラシックに、そして4月下旬、香港の沙田競馬場で行われるクイーンエリザベス2世カップに、それから6月下旬、日本の宝塚記念に臨むという首香日三ヵ国にまたがる転戦が予定された[66]。しかし、日本における馬インフルエンザの流行が影響して、スムーズな参戦が望めなくなり、計画初戦のドバイ遠征は断念となる。したがって春は、転戦ではなく、香港遠征のみとなった。

その前哨戦として3月29日、有馬記念と同競馬場、距離である日経賞(GII)に臨むこととなる。GI級競走を優勝したゆえにメンバー中最重量、唯一の59キログラムが課された[67]。重賞連勝中のアドマイヤモナークのほか、トウショウナイト、弥生賞並びに目黒記念2着の4歳馬ココナッツパンチらと対したが、単勝オッズ2.3倍の1番人気だった[67]シルクフェイマスが大逃げをする中、好位の4番手を追い合って追走[68]。第3コーナーから進出を開始して、最終コーナーでシルクフェイマスを捉えて抜け出した[68]。直線では後続を突き放して独走となり、トウショウナイトらに3馬身差をつけて決勝線を通過する[67]。重賞4勝目、1985年シンボリルドルフ以来となる、前年有馬記念優勝馬による日経賞優勝だった[69][70]

続いて、4月27日にクイーンエリザベス2世カップ(G1)に参戦する[71]。同じ厩舎で同日開催のチャンピオンズマイルに臨むマイネルシーガルとともに、香港に赴いていた[71]。現地では単勝オッズ5.7倍の3番人気となり、ヴィヴァパタカヘレンマスコットという2頭の香港ダービー優勝馬が立ちはだかった[72]。他にもドイツのキジャーノ、南アフリカのアーキペンコなどと競う11頭立てだった[72]。スタートから先行し、3番手を確保して追走するが[73]、折り合いを欠いてしまった[74]。直線にてスパートして抜け出していたが、終いに失速して後退[75]。末脚を発揮して追い込んだアーキペンコなどにかわされていた[72]。アーキペンコに3馬身半以上後れを取る6着だった[72]

2008年4月27日 沙田競馬場

日経賞優勝直後には、秋のヨーロッパ遠征計画という選択肢までも浮上していた[76]。国枝は、1999年凱旋門賞2着のエルコンドルパサーに倣って、長期滞在を考え、7月イギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスや、10月フランスの凱旋門賞参戦を考えていた[77]。ただし秋の遠征を実現するには、香港遠征での結果が求められた[76]。しかし敗退となり、計画は立ち消えて国内専念となる[78]。おまけに宝塚記念の出走も見送り、休養となった[78]

オールカマー(2)

夏休みを挟み、秋は8月24日の札幌記念で始動する。皐月賞3着の3歳馬マイネルチャールズ函館記念2着のフィールドベアー、安田記念2着のコンゴウリキシオー、重賞2勝のタスカータソルテと対したが、2.3倍の1番人気だった[79]。スタートから好位の4、5番手を追走し、第3コーナーから押し上げて、先頭で最終コーナーに向き、直線では後続を突き放して独走となった[79]。しかし終いに鈍り、後方から大外を通って追い上げたタスカータソルテに接近を許した[80]。ゴール寸前で差し切られて、クビ差後れを取った[79]。コースレコード決着となる中、同タイムの2着だった[79]

続いて9月28日のオールカマーで、得意の中山に舞い戻る。メンバー中最重量、唯一の59キログラムが課される中で、エアシェイディ、アドマイヤタイトルらと対したが、1.4倍の1番人気という支持だった[81]。逃げるキングストレイルの直後2番手を確保[81]。スローペースとなる中、向こう正面で行きたがったが、折り合いを保ち、追走した[82]。外からの早めの追い上げがあって、一時6番手まで沈んだが、第3コーナーから進出を開始し、直線に入ってから逃げ馬を捉えて抜け出した[81]。逃げ粘るキングストレイルを千切り、後方勢の追い上げもキングストレイルにすら届いておらず、独走だった[82]

キングストレイルに2馬身差をつけて優勝、重賞5勝目を挙げた[83]史上初めてとなるオールカマー2勝目、オールカマー連覇達成[83]。1999年ホッカイルソーの樹立したオールカマーレコードタイでの走破だった[84]。また1997年メジロドーベル以来となるGI級優勝馬によるオールカマー優勝[84]。1996年サクラローレル以来史上2頭目となる負担重量59キログラムを克服してのオールカマー優勝[注釈 9]だった[84]

ジャパンカップ

ウオッカとダイワスカーレット、ディープスカイが接戦を演じた天皇賞(秋)は見送り、11月30日のジャパンカップ(GI)に参戦する。ウオッカとディープスカイの再戦に、凱旋門賞帰りのメイショウサムソンを加えたJRA史上初めてとなるダービー優勝馬3頭揃い踏みが実現していた[85]。東京で飛躍した3頭に比べて、実績が中山に集中するマツリダゴッホは、支持を得られなかった[86]

映像外部リンク
2008年 ジャパンカップ(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから先行してスローペースを追走し、第3コーナーから進出する。中山の必勝パターンで直線に向き、人気3頭に先んじて先頭を奪取していた[86]。次第に、内からウオッカが、外からスクリーンヒーローとディープスカイが末脚を発揮して接近してきたが、抗って4頭並んでの競り合いに持ち込む[86]。しかし早めに動いたことで余力なく、後から追い上げたスクリーンヒーローとディープスカイには太刀打ちできず、終いにウオッカにもアタマ差譲る4着だった[86]
続いて12月28日、有馬記念に臨む。ウオッカとディープスカイは不在だったが、ダイワスカーレットやスクリーンヒーローが立ちはだかった[87]。単勝オッズ4.4倍、ダイワスカーレットに次ぐ2番人気[87]。得意の中山に加えて、東京での好走の印象が良く支持を集めていた[2]。ただし前年と異なり6枠10番という外枠だった[87]

映像外部リンク
2008年 有馬記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートで後手に回り、好発して先行したダイワスカーレットとメイショウサムソンに大きな差をつけられた[88]。先行を諦めて、スクリーンヒーローの背後に甘んじたが、頼りのスクリーンヒーローが外に張りっぱなしでなかなか内側に戻らず、さらに位置を下げてしまった[89][90]。最初のコーナーを大きく膨らみながらの通過となり、余計な距離を走らされる不利を被り、中山の得意のパターンに持ち込めなかった[90]。2周目の第3コーナーからまくりながら追い上げたが、直線で失速しスムーズに逃げたダイワスカーレットのハナを奪えず終い、不利克服はできなかった[89][90]。馬群に沈む12着敗退、スピードシンボリ、シンボリルドルフ、グラスワンダーシンボリクリスエスに並び立つ有馬記念連覇は果たせなかった[91]。蛯名は「勝負は最初のコーナーで決まった[2]」と振り返っている。

オールカマー(3)

有馬記念の後は、千葉県のジョイナスファームで放牧[92]。年をまたいで2009年、6歳でも現役を続行した。この年は、種牡馬としての価値を求めて、中山競馬場以外での良績を目指した。日経賞を見送り、阪神競馬場産経大阪杯に挑戦する[92]。蛯名に代えて、新たに武豊を起用[92][注釈 10]。さらに関西で出走する際に、早めに栗東トレーニングセンターへ移動するという、国枝が得意とする「栗東滞在」を敢行している[93]

4月5日、産経大阪杯(GII)に2番人気で臨んだが、直線で伸びず7着[94]。この敗退により続く5月上旬の天皇賞(春)を断念して美浦に帰還した[95]。翻って5月下旬、中京競馬場金鯱賞(GII)に武が続投して臨む予定だったが、直前に鼻出血を発症して回避[96][97]。おまけに宝塚記念にも出走せず、夏休みとなった[98]。8月23日の札幌記念で復帰。武がフランス遠征したため、横山が舞い戻って参戦[99]。牝馬クラシック二冠を果たして凱旋門賞を見据えるブエナビスタに次ぐ2番人気に支持されたが、9着だった[2]

続いて9月27日、横山が続投してオールカマーに臨む。宝塚記念優勝馬ドリームジャーニー、重賞2連勝中のシンゲンと対して、4.6倍の3番人気だった[100]。スタートから他が先手を主張せず、大外枠からだったがハナを奪取[100]。前半の1000メートルを61.0秒で通過するスローペースを率いた[101]。先頭は脅かされることなく、最終コーナーに到達し、直線でスパートして突き放した[100]。遅れて追い込むドリームジャーニー、シンゲンに2馬身差をつけて、先頭で決勝線を通過した[100]

重賞6勝目を挙げる。史上初めてとなるオールカマー3連覇を果たす[102]。さらに1956年から鳴尾記念3連覇のセカイオー、1993年からセイユウ記念3連覇のシゲルホームラン、2003年から金鯱賞3連覇のタップダンスシチー、2005年から函館記念3連覇のエリモハリアーに続いて、史上5頭目となるJRAの同一平地重賞3連覇[103]障害競走3頭[注釈 11]を含めて史上8頭目となるJRAの同一重賞3連覇を成し遂げた[104]。さらにスピードシンボリ、シンボリルドルフに続いて3頭目、史上最多タイとなる中山競馬場の平地重賞6勝[105]を果たした。

中山競馬場における平地重賞6勝の記録[105](数字は開催年)
馬名 1 2 3 4 5 6
スピードシンボリ 1966京成杯 1967米JCC 1967日本経済賞 1969有馬記念 1970米JCC 1970有馬記念
シンボリルドルフ 1984弥生賞 1984皐月賞 1984セントライト記念 1984有馬記念 1985日経賞 1985有馬記念
マツリダゴッホ 2007米JCC 2007オールカマー 2007有馬記念 2008日経賞 2008オールカマー 2009オールカマー

それから国枝もオールカマー3連覇であり、尾形藤吉以来に並ぶオールカマー最多優勝記録だった[105]。また騎乗した横山は、10日ほど前に父横山富雄を喪い、告別式をしたばかりだった[101]。横山は、三本指を天に突き刺し、ジャンプして喜びを表現しながら下馬する行為「デットーリジャンプ」を披露している[101]

それから11月1日の天皇賞(秋)に参戦。横山がカンパニーに騎乗するために蛯名が舞い戻って臨んだが[106]ブービー賞17着だった[107]。そして引退レースとして12月27日、有馬記念に参戦する。ブエナビスタ、ドリームジャーニーに次ぐ3番人気だった[108]

映像外部リンク
2009年 有馬記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

向こう正面から追い上げて最終コーナーを先頭で通過するスパート[108]。「2年前の再現[109]」を狙ったが、終いまで続かず失速して7着だった[108]。国枝は、翌年の現役続行を希望したが、予定通り競走馬引退[110]。年をまたいで7歳となった2010年1月4日付、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消する[4]

種牡馬時代

競走馬引退後は、北海道新ひだか町レックススタッドで種牡馬として供用されている[111]。初年度から4年連続で三桁の繁殖牝馬と交配し続け、一時落ち込むも7年目で再び三桁を取り戻した[112]。その後は2021年まで右肩下がりの交配数となっている[112]

産駒は、地方競馬と中央競馬の双方で重賞優勝を果たした。初年度のウインマーレライ(母父:フサイチペガサス)は、2014年ラジオNIKKEI賞(GIII)を優勝[113]。また2年目のクールホタルビ(母父:ヘクタープロテクター)は2014年ファンタジーステークス(GIII)を、3年目のロードクエスト(母父:チーフベアハート)は、2015年新潟2歳ステークス(GIII)を優勝するなど、2歳重賞産駒も輩出している[114][115]。ロードクエストは、他に2016年京成杯オータムハンデキャップ(GIII)、2018年スワンステークス(GII)も優勝し、中央競馬の重賞3勝を果たした[115]

また産駒の牝馬も多く繁殖牝馬となっており、ブルードメアサイアーとしての産駒ナムラリコリス(父:ジョーカプチーノ)は、2021年の函館2歳ステークス(GIII)を優勝している[116]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[117]並びにJBISサーチ[118]、『優駿[2]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
2005. 08. 21 札幌 2歳新馬 芝1800m(良) 13 5 7 04.1(3人) 01着 1:52.8 (34.8) -1.1 蛯名正義 54 (サンファイバー) 468
10. 01 札幌 札幌2歳S GIII 芝1800m(良) 13 7 11 03.6(2人) 06着 1:51.2 (36.3) -0.8 蛯名正義 55 アドマイヤムーン 464
2006. 03. 12 中山 3歳500万下 芝1800m(良) 13 3 3 04.0(2人) 01着 1:50.1 (34.3) -0.1 岩田康誠 56 (フェラーリファイブ) 476
04. 29 東京 青葉賞 GII 芝2400m(良) 17 1 2 04.5(2人) 04着 2:26.4 (35.5) -1.1 蛯名正義 56 アドマイヤメイン 476
05. 27 中京 白百合S OP 芝1800m(良) 16 1 2 03.4(2人) 07着 1:48.0 (35.4) -0.4 岩田康誠 56 エムエスワールド 468
08. 19 札幌 日高特別 10下 芝2000m(良) 13 6 9 02.9(1人) 01着 2:01.4 (35.4) -0.2 横山典弘 54 (エレアシチー) 474
09. 17 中山 セントライト記念 GII 芝2200m(良) 17 6 11 06.2(3人) 競走中止 蛯名正義 56 トーセンシャナオー 470
12. 10 中山 冬至S 16下 芝2000m(良) 12 7 9 02.3(1人) 02着 2:00.2 (35.4) -0.0 横山典弘 55 フェイトトリックス 484
12. 23 中山 クリスマスC 16下 芝1800m(良) 14 5 8 02.7(1人) 01着 1:46.9 (35.4) -0.1 横山典弘 56 (ニホンピロキース) 482
2007. 01. 21 中山 アメリカJCC JpnII 芝2200m(良) 10 5 5 03.2(2人) 01着 2:12.8 (35.3) -0.8 横山典弘 56 (インテレット) 484
03. 24 中山 日経賞 GII 芝2500m(良) 14 4 5 02.4(1人) 03着 2:32.0 (35.9) -0.2 横山典弘 57 ネヴァブション 480
04. 29 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 16 1 1 09.6(5人) 11着 3:15.1 (35.6) -1.0 横山典弘 58 メイショウサムソン 476
09. 02 札幌 札幌記念 JpnII 芝2000m(良) 16 7 13 04.2(1人) 07着 2:00.6 (34.9) -0.5 安藤勝己 57 フサイチパンドラ 480
09. 23 中山 オールカマー GII 芝2200m(良) 16 3 6 02.3(1人) 01着 2:12.5 (34.8) -0.1 蛯名正義 58 (シルクネクサス) 482
10. 28 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(稍) 16 8 16 32.4(8人) 15着 2:00.1 (35.8) -1.7 蛯名正義 58 メイショウサムソン 486
12. 23 中山 有馬記念 GI 芝2500m(稍) 15 2 3 52.3(9人) 01着 2:33.6 (36.3) -0.2 蛯名正義 57 ダイワスカーレット 498
2008. 03. 29 中山 日経賞 GII 芝2500m(良) 13 6 9 02.3(1人) 01着 2:32.7 (34.6) -0.5 蛯名正義 59 トウショウナイト 496
04. 27 沙田 QE2世C G1 芝2000m(良) 11 6 2 06着 2:01.4 蛯名正義 57 Archipenko 計不
08. 24 札幌 札幌記念 JpnII 芝2000m(良) 11 4 4 02.3(1人) 02着 1:58.6 (34.9) -0.0 蛯名正義 57 タスカータソルテ 478
09. 28 中山 オールカマー GII 芝2200m(良) 14 7 11 -1.4(1人) 01着 2:12.0 (34.6) -0.3 蛯名正義 59 キングストレイル 490
11. 30 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 17 7 13 08.0(5人) 04着 2:25.7 (34.4) -0.2 蛯名正義 57 スクリーンヒーロー 492
12. 28 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 6 10 04.4(2人) 12着 2:33.1 (37.5) -1.6 蛯名正義 57 ダイワスカーレット 498
2009. 04. 05 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 12 1 1 06.2(2人) 07着 2:00.4 (35.0) -0.7 武豊 58 ドリームジャーニー 496
08. 23 札幌 札幌記念 GII 芝2000m(良) 16 7 14 06.9(2人) 09着 2:01.3 (35.6) -0.6 横山典弘 57 ヤマニンキングリー 486
09. 27 中山 オールカマー GII 芝2200m(良) 15 8 15 04.6(3人) 01着 2:11.4 (34.1) -0.3 横山典弘 58 (ドリームジャーニー) 486
11. 01 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 18 7 13 33.2(8人) 17着 1:58.9 (35.3) -1.7 蛯名正義 58 カンパニー 490
12. 27 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 4 7 09.4(3人) 07着 2:31.9 (37.6) -1.9 蛯名正義 57 ドリームジャーニー 502

種牡馬時代

年度別成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[112]

種付年度 種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2010 2011 128 83 80 68 48 2 0.71
2011 2012 120 71 69 61 44 1 0.64
2012 2013 122 70 68 64 46 4 1.19
2013 2014 135 85 86 79 54 1 0.74
2014 2015 86 62 58 51 35 0 0.41
2015 2016 71 34 32 30 18 0 0.99
2016 2017 100 62 59 54 34 0 0.48
2017 2018 95 61 61 57 38 1 0.70
2018 2019 38 24 24 22 11 0.62
2019 2020 42 18 18 10 1 0 0.43
2020 2021 23 10 10 0
2021 2022 13 0 0 0
合計 565 496 329 9 0.79 1.05

重賞優勝産駒

地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。

ブルードメアサイアーとしての産駒

エピソード

不在

有馬記念当日は、オーナーの高橋文枝、生産者の岡田牧雄ともに不在であった[125]。高橋は、岩手から中山までの新幹線のチケットを確保して向かう準備ができていたが、当日、更年期障害に見舞われて、立ち上がることすらできなかった[27]。そのため自宅の布団で臥しながらのテレビ観戦だったという[27]。夫の福三郎は、妻に寄り添っていた[58]。また岡田は、天気予報が悪くてマツリダゴッホにとって苦手の重馬場になること、勝てる見込みがないと考えていなかった[15]。そのため、自宅のソファでテレビ観戦していたという[15]。ゆえに優勝後の表彰式では、表彰者不在という事態となった[126][注釈 12]

さらに調教師の国枝は、競馬場に臨場していないときに、大レースを優勝することが多かった[128]。同じ年、ピンクカメオが制した東京競馬場のNHKマイルカップ(JpnI)にも、クーヴェルチュールが制した札幌競馬場のキーンランドカップ(JpnIII)にも臨場していなかった[128]。しかし有馬記念は、当日は中山競馬場に臨場しており、国枝に限っては優勝を見届けている[128]

ニューポリトラック

2007年11月、美浦トレーニングセンターの南馬場に、ポリトラックコースが新たに設けられている[129]。マツリダゴッホの調教には、このニューポリトラックが積極的に用いられた[129]。国枝によれば、ポリトラックは、調教時間の中間に馬場整備車によるハロー掛けがされないために混雑せず、マツリダゴッホのような神経質な馬も、十分な調教をこなすことができるのだという[130]。有馬記念では、最終追い切りを、ポリトラックにして戴冠した[130]。その1週間前の朝日杯フューチュリティステークスでも、最終追い切りをポリトラックとした美浦・斎藤誠厩舎のゴスホークケンも戴冠しており、栗東所属馬の優勢の中で一矢報いた美浦所属馬によるGI連勝だった[130][131]

馬インフルエンザ禍の不運

馬インフルエンザの流行は、マツリダゴッホの競走生活に多大な影響を与えている。

まず4歳時、アメリカジョッキークラブカップで重賞優勝を果たした後、国枝は外国遠征、特に香港への遠征を狙っていた。しかし馬インフルエンザの流行など事情が重なり、実現できなかった。また国内専念となった秋の始動戦は、馬インフルエンザのために2週間後ろ倒しとなった札幌記念だった[45]。秋はその後も、国内に専念して、暮れの有馬記念戴冠に至っている。

有馬記念を制した翌年の新たな目標は、前年に叶わなかった外国遠征だったが、ドバイ遠征はやはり馬インフルエンザの影響で実現しなかった。そして次なる香港遠征で初めてとなる外国遠征がようやく実現する。ただし実現はしても、流行禍ゆえの障壁が課されていた。流行禍による検疫は、協定によって美浦ではできず、馬インフルエンザの確認されていない新潟競馬場に移動してから行わなければならなかった[132][133]。さらに期間は、通常の倍以上の14日間必要だった[71]。美浦から新潟を経由して、千葉県の成田国際空港から出国するという、遠回りをされていた[73]

流行禍の検疫を乗り越えたマツリダゴッホは、次に不運に見舞われた。台風が香港を直撃したことで、厳しいフライトとなった[73]。大きく揺れる機内で長時間を過ごし、予定より4時間半遅れての到着となっていた[73]。おかげで香港入国直後は、体重を大きく減らしていた。それでも厩舎は、飼葉を工夫するなど最善の対策して臨んでいた[73]。レース直前、陣営は、競馬場パドックで行われた枠順抽選会に参加している。他の陣営が代表一人が登壇して抽選機を回していたが、国枝だけでなく、厩舎スタッフ全員で壇上に上がり回していた[134]。引き当てたゲート番は「7」ラッキーセブンで吉兆かと思われたが、香港調教馬のジャックポットディライトが出走取消したために繰り上がり、「6」で臨んでいる[135][134]。そして6着敗退、蛯名は敗因に環境の変化を挙げていた[75][73]

中山巧者

中山競馬場では、10勝中8勝、重賞6勝を挙げる活躍を見せた[104]。優れたスタミナを存分に発揮する第3コーナーからのまくり作戦は、直線が短く、坂がある中山のコースが都合が良かった[136]。有馬記念優勝直後には、国枝が「左回りで結果が出ていないので他のGIもJRAに頼んで中山に移してもらおうか[62]」という冗談も話している。マツリダゴッホはこの年、中山で3勝を挙げる「中山巧者」だったが、蛯名も44勝、国枝も19勝を挙げている[59]。蛯名国枝ともに、この年の中山リーディングに輝いていた[59]

血統表

マツリダゴッホ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛
父の父
Halo 1969
黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well 1975
鹿毛 
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*ペイパーレイン
Paper Rain 1991
栗毛
Bel Bolide 1985
栃栗毛
Bold Bidder Bold Ruler
High Bid
Lady Graustark Graustark
Inyala
母の母
*フローラルマジック
Floral Magic 1985
黒鹿毛
Affirmed Exclusive Native
Won't Tell You
Rare Lady Never Bend
Double Agent
母系(F-No.) (FN:18) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 5・5(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [137]
  2. ^ [138][139]
  3. ^ [137]
  4. ^ [137]


脚注

注釈

  1. ^ 長男岡田繁幸は、独立してビッグレッドファームを立ち上げる。マイネルキッツなど活躍馬を輩出する。
  2. ^ 後のトーセンファイナル。島川隆哉が所有し14戦1勝、骨折で引退した。
  3. ^ とにかく産駒が得られにくかった[19]。1歳年下の弟妹となるはずのマンハッタンカフェ産駒は、死産に終わっている[18]。さらに2008年から2010年まで3年連続不受胎、2010年に死している[18]。5番仔すなわちマツリダゴッホの弟妹で競走馬となったのは、キラリンとマツリダジャパンの2頭しかいない[18]
  4. ^ 3週間とも[20]
  5. ^ 蛯名は、マンハッタンカフェを優勝に導いた前回の有馬記念にて、2着に13番人気アメリカンボスを連れてきていた。マンハッタンカフェとアメリカンボスの馬番連勝複式は、レース史上最高配当となっていた[62]
  6. ^ 「CKY」については、蛯名が発したという説、「KY」とともに観客が発した説の二節が伝えられる[57]
  7. ^ 年度代表馬は、アドマイヤムーンが178票を集めて受賞。以下、ダイワスカーレット73票、メイショウサムソン17票、ウオッカ12票、ヴァーミリアン5票、該当馬なし2票、無効1票だった[63]
  8. ^ 最優秀4歳以上牡馬も、249票を集めたアドマイヤムーンが受賞。以下、メイショウサムソン37票、ヴァーミリアン1票、ダイワメジャー1票だった[63]
  9. ^ 別定戦となった1995年以降。
  10. ^ 日経賞の回避は、当日に武がドバイでウオッカに騎乗することも、決断の後押しだった[92]
  11. ^ 1977年から中山大障害(秋)3連覇のバローネターフ、2005年から中山グランドジャンプ3連覇のカラジ、2006年から阪神ジャンプステークス3連覇のコウエイトライ
  12. ^ 高橋は、有馬記念こそ不在だったが、マツリダゴッホの応援には、香港にまで向かっている[127]。高橋によれば「わたしが見に行くと勝てない[127]」という。

出典

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    • 2008年2月号
      • 「【2007年度JRA賞決定!】年度代表馬にアドマイヤムーン」
      • 島田明宏「【第52回有馬記念】波乱の結果となったグランプリは 待ち受ける『世界戦』のプロローグ」
      • 黒須田守「【優駿ロングインタビュー】国枝栄 さぁ、さらなる飛躍へ」
      • 「【重賞プレイバック】第52回有馬記念(GI)マツリダゴッホ」
      • 「【ニュース&トピックス】武豊騎手が日本プロスポーツ大賞殊勲賞を受賞」
    • 2008年3月号
      • 田中哲実「【優駿たちの故郷をたずねて】岡田スタッド(北海道新ひだか町)受け継がれた開拓者魂」
    • 2008年5月号
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      • 秋山響(TIS)「【クインエリザベスII世C&チャンピオンズマイル】グランプリホースの真の力は見られず」
    • 2008年10月号
      • 「【重賞プレイバック】サマー2000シリーズ 第44回札幌記念(JpnII)タスカータソルテ」
    • 2008年11月号
      • 「【重賞プレイバック】第54回産経賞 オールカマー(GII)マツリダゴッホ」
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      • 平松さとし「【Point of Japan Cup(2)】中山のスペシャリストマツリダゴッホが府中に見参!」
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      • 「【チームゴッホ夢へ一直線 連覇だマツリダ】岡田スタッド 岡田牧雄さん 派手な記録達成で兄を超える!!」
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      • 「まさか!!いいの!? 有馬記念マツリダゴッホ優勝 生産牧場お祭りムード 新ひだか」

外部リンク