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== 種牡馬として ==
== 種牡馬として ==
引退後、マヤノトップガンは種牡馬となり、北海道の[[優駿スタリオンステーション]]に繋養される。マヤノトップガンがまだ現役だった1997年3月3日に7億2000万円の種牡馬[[種牡馬#シンジケート|シンジケート]]が組まれたと発表されたこともあり、[[ブライアンズタイム]]の後継[[種牡馬]]として、初年度から期待されていた。ブライアンズタイム系の種牡馬としては、初年度産駒から[[ウオッカ]]を送り出した[[タニノギムレット]]に次ぐ実績を挙げた。芝、ダートともに問題なく、距離も短距離馬から長距離馬まで幅広い産駒を出している。また、活躍馬のなかには父同様初勝利まで時間がかかっても、その後持続的に好成績を挙げるパターンも目立つ。裏を返すと総じて晩成気味であり、2歳時から目立つ成績を挙げる馬は少なかった。また、最初のうちは牝馬の活躍馬が少なかったが、2006年にハロースピードがデビューから2連勝を飾ったのを機に、牝馬の活躍もみられるようになった。主な産駒からは[[プリサイスマシーン]]と[[メイショウトウコン]]がGIで2着に好走するなどの実績を挙げた他、重賞勝ち馬も多数輩出した。産駒がGI制覇を達成することは出来なかったが、2021年にブルードメアサイアーとしての産駒である[[キャッスルトップ]]が[[ジャパンダートダービー]](JpnI)を制している。
引退後、マヤノトップガンは種牡馬となり、北海道の[[優駿スタリオンステーション]]に繋養される。マヤノトップガンがまだ現役だった1997年3月3日に7億2000万円の種牡馬[[種牡馬#シンジケート|シンジケート]]が組まれたと発表されたこともあり、[[ブライアンズタイム]]の後継[[種牡馬]]として、初年度から期待されていた。ブライアンズタイム系の種牡馬としては、初年度産駒から[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]を送り出した[[タニノギムレット]]に次ぐ実績を挙げた。芝、ダートともに問題なく、距離も短距離馬から長距離馬まで幅広い産駒を出している。また、活躍馬のなかには父同様初勝利まで時間がかかっても、その後持続的に好成績を挙げるパターンも目立つ。裏を返すと総じて晩成気味であり、2歳時から目立つ成績を挙げる馬は少なかった。また、最初のうちは牝馬の活躍馬が少なかったが、2006年にハロースピードがデビューから2連勝を飾ったのを機に、牝馬の活躍もみられるようになった。主な産駒からは[[プリサイスマシーン]]と[[メイショウトウコン]]がGIで2着に好走するなどの実績を挙げた他、重賞勝ち馬も多数輩出した。産駒がGI制覇を達成することは出来なかったが、2021年にブルードメアサイアーとしての産駒である[[キャッスルトップ]]が[[ジャパンダートダービー]](JpnI)を制している。


後継種牡馬に恵まれていなかったが、[[2009年]]より[[チャクラ (競走馬)|チャクラ]]が種牡馬入りしている。
後継種牡馬に恵まれていなかったが、[[2009年]]より[[チャクラ (競走馬)|チャクラ]]が種牡馬入りしている。

2021年11月10日 (水) 00:20時点における版

マヤノトップガン
1996年3月9日 阪神競馬場
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1992年3月24日[1]
死没 2019年11月3日(27歳没)[1]
登録日 1994年3月17日
抹消日 1997年12月1日
ブライアンズタイム[1]
アルプミープリーズ[1]
母の父 Blushing Groom[1]
生国 日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者 川上悦夫[1]
馬主 田所祐[1]
調教師 坂口正大栗東[1]
調教助手 大村真哉
福留健一
厩務員 足立信之
競走成績
タイトル JRA賞年度代表馬 (1995年)
最優秀4歳牡馬 (1995年)
生涯成績 21戦8勝[1]
獲得賞金 8億1039万円[1]
勝ち鞍
GI 菊花賞 1995年
GI 有馬記念 1995年
GI 宝塚記念 1996年
GI 天皇賞(春) 1997年
GII 阪神大賞典 1997年
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マヤノトップガン(欧字名:Mayano Top Gun1992年3月24日 - 2019年11月3日)は日本競走馬種牡馬[1]1995年JRA賞年度代表馬JRA賞最優秀4歳牡馬

主な勝ち鞍は、菊花賞有馬記念宝塚記念天皇賞(春)。それぞれのGI級競走を異なる戦法で勝利したことから「変幻自在の脚質」と評される[2][3]

馬名の冠名「マヤノ」は兵庫県神戸市摩耶山に由来する[4]馬主医師田所祐は、神戸市灘区にある田所病院の院長を務めていた[5][6]

戦績

4歳(1995年)

マヤノトップガンのデビュー戦は1995年1月8日[5]ダート新馬戦。鞍上は武豊が務め、単勝1番人気に支持されたが、ワンダーパヒュームに敗れて5着に終わった。その後、ダート戦を2戦するも勝てず、4戦目の3月25日の未勝利戦でようやく初勝利を挙げた。

初勝利後も脚部にソエが見られたため、陣営の判断によりダート1200メートルのレースを使い続けたがなかなか勝てず、7戦目となる5月28日(同年の日本ダービー当日)の500万下のレースで2勝目を挙げた。その後、初のレースとなる900万下(現・2勝クラス)のロイヤル香港ジョッキークラブトロフィーで3着に入り、芝コースへの適性の不安を解消したマヤノトップガンは次走のやまゆりステークス(900万下)で3勝目を挙げ、芝転向を決定づけるとともに本格化の兆しが見え始めた。秋は4歳クラシックの最終戦である菊花賞を目指し、菊花賞トライアル初戦・神戸新聞杯に出走、タニノクリエイトの2着に入り、出走権を獲得した。続くもう1つの菊花賞トライアル・京都新聞杯にも出走し、ナリタキングオーの2着と好走した。

この年の菊花賞は、ダービー馬のタヤスツヨシが秋になって不調に陥り、皐月賞馬のジェニュインは距離適性から天皇賞(秋)に回ったことで、主役不在の混戦となっていた。この時の1番人気は牝馬ながら菊花賞に挑戦してきたオークス馬ダンスパートナー、2番人気はトライアルの京都新聞杯を制したナリタキングオーであった。マヤノトップガンはトライアルでは勝ちきれなかったものの3番人気に推されていた。レースではスタート直後に4番手につけ、道中はその位置をキープし続けた。そして、第4コーナーで一気に先頭に立つと、直線では後続を寄せ付けず、1994年度のナリタブライアンのレースレコード3分4秒6を更新する3分4秒4のレースレコードでG1初勝利をあげた。

菊花賞後、ここまで数多くのレースを使ってきたことから、陣営は年末の大一番・有馬記念へはなかなか出走の意思を明確にしなかったが、状態が悪くなかったことから出走を決断。出走馬に実績のある馬が多く、GIを1勝しただけで信頼が厚くないこと、状態が絶好調ではなかったことから、ヒシアマゾン三冠馬ナリタブライアンより人気がなく、6番人気にとどまった。しかし、レースではスタート直後に先頭に立つとスローペースに落とし、ゴールまで他馬の追随を許さず、そのまま逃げ切り勝ちを収めた。

騎乗していた田原成貴は菊花賞と有馬記念でゴールをしたときに「十字を切って投げキッス」というパフォーマンスを演じたが、これは同年に凱旋門賞ラムタラで制したランフランコ・デットーリの真似である。凱旋門賞の中継を田原とともに見た千田輝彦ら後輩の騎手たちに「勝ったらやってくださいよ」と言われていたためにやった、と田原は後年、自らのエッセイで記している。

1995年度の年度代表馬JRA賞最優秀4歳牡馬に選出された。

5歳(1996年)

第44回阪神大賞典
手前: ナリタブライアン、奥: マヤノトップガン

マヤノトップガンは阪神大賞典から始動。このレースには前年秋の不振からの復活を期すナリタブライアンも出走し、2頭の年度代表馬対決として競馬ファンの注目を集めた。レースは期待に違わずマヤノトップガンとナリタブライアンのマッチレースとなる。残り600メートルの標識付近から他馬を引き離して互いに譲らずにゴールまで並走、最後はアタマ差の2着という決着になった。2着のマヤノトップガンと3着ルイボスゴールドとの差は9馬身も離れていた。なお、後年田原は「あのレースは勝てた騎乗だった」と語っている[7][注 1]。(レースに関する詳細は、第44回阪神大賞典を参照。)

次の天皇賞(春)では、単勝オッズがナリタブライアンが1.7倍、マヤノトップガンが2.8倍と2頭が抜けた人気になったが、3番人気(14.5倍)のサクラローレルが優勝し、折り合いを欠いたマヤノトップガンは5着に敗れた。敗因について、マヤノトップガンを管理していた調教師の坂口正大は、調教にミスがあったと語っている。(レースに関する詳細は、第113回天皇賞を参照。)

天皇賞後、陣営が次走に選んだのは宝塚記念であった。この年の宝塚記念は前年に発生した阪神・淡路大震災の復興支援競走として行われた[8]。有力馬の回避が相次いだため、マヤノトップガンは圧倒的な1番人気となるが、鞍上の田原がムチを入れることもなく1着に入った[8]。また、馬主田所祐も大震災で大きな被害を受けており、地元の摩耶山から冠名をとったマヤノトップガンの勝利は被災者に勇気を与えた。

秋はオールカマーから始動。サクラローレルと人気を二分(両馬とも単勝オッズ1倍台)するも4着と完敗。天皇賞(秋)では先行し接戦のなか2着と踏ん張ったが、有馬記念ではサクラローレルの快勝の前に7着と惨敗した。マヤノトップガンが中山コースで2戦とも惨敗したことについて、坂口は当時の中山は力のいる馬場になっていて、トップガンには合わなかったと語っている。

6歳(1997年)

マヤノトップガンは昨年と同じく阪神大賞典から始動。前年からマヤノトップガンの騎乗で悩んでいた田原は、このレースでそれまでの先行策とは一転して初めて最後方からの競馬を試みた。観客からどよめきが起きるほどの驚きを与えたが、マヤノトップガンは3コーナー過ぎから馬なりのまま他馬を交わしていき、4コーナーで先頭に立つとそのまま後続を突き放し圧勝した。

天皇賞(春)では、マヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーの3強対決となった。マヤノトップガンは序盤やや出遅れかかり気味であったが田原は馬なりのまま進めすぐ前方を走っていたギガトンの後ろに付けることで折り合いをつけると3200メートルの最終盤に外側へ持ち出し、先行していたサクラローレルとマーベラスサンデーの2頭を大外から豪快に差し切ってGI4勝目を挙げた。マヤノトップガンがこの時記録した勝ちタイム3分14秒4は1993年にライスシャワーが記録した3分17秒1を2秒7も更新する世界レコードだった。(レースに関する詳細は第115回天皇賞参照。)

天皇賞後、マヤノトップガンはジャパンカップを最終目標として京都大賞典から復帰する予定だったが、調教中に左前脚に浅屈腱炎を発症したため、9月25日に現役引退が発表され、種牡馬入りすることとなった。

11月30日の昼、阪神競馬場で引退式が行われた[9]。田原が騎乗してスタンド前を往復し、スタンドでは階段の手すりに登った人と警備員の間でトラブルも発生するなど、多くの観客が集まった[9]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[10]

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上がり3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1995 1. 8 京都 4歳新馬 ダ1200m(良) 16 7 13 01.7(1人) 05着 01:14.9 (38.9) -1.1 武豊 55 ワンダーパヒューム
2. 19 京都 4歳未勝利 ダ1200m(良) 14 2 2 07.6(4人) 03着 01:14.2 (37.6) -0.4 田原成貴 55 スタースワロー
3. 11 京都 4歳未勝利 ダ1200m(稍) 8 1 1 01.8(1人) 03着 01:14.2 (36.6) -0.7 武豊 55 ポリシュアドミラル
3. 25 京都 4歳未勝利 ダ1200m(良) 14 2 2 02.0(2人) 01着 01:13.0 (37.2) -0.2 武豊 55 ランドゼノビア
4. 15 京都 4歳500万下 ダ1200m(重) 14 4 6 06.8(3人) 03着 01:12.6 (37.1) -0.3 武豊 55 フサイチビクトリー
5. 7 京都 4歳500万下 ダ1200m(良) 11 4 4 05.2(4人) 03着 01:12.1 (36.1) -0.6 田原成貴 55 ワカサアイネス
5. 28 中京 4歳500万下 ダ1700m(良) 11 7 8 08.2(4人) 01着 01:46.8 (38.2) -1.2 田原成貴 55 (キタサンシルバー)
6. 18 中京 香港JC杯 芝2000m(良) 13 8 13 15.3(5人) 03着 02:01.3 (36.6) -0.1 田原成貴 55 フェアダンス
7. 9 中京 やまゆりS 芝1800m(良) 13 6 2 05.2(2人) 01着 01:49.8 (36.0) -1.2 田原成貴 54 (スリリングアワー)
9. 17 京都 神戸新聞杯 芝2000m(良) 14 8 14 13.5(5人) 02着 01:59.8 (36.2) -0.0 田原成貴 56 タニノクリエイト
10. 15 京都 京都新聞杯 GII 芝2200m(良) 15 6 11 04.4(2人) 02着 02:11.5 (34.5) -0.1 田原成貴 56 ナリタキングオー
11. 5 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 5 10 06.5(3人) 01着 R3:04.4 (35.9) -0.2 田原成貴 57 (トウカイパレス)
12. 24 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 12 7 10 13.0(6人) 01着 02:33.6 (35.3) -0.3 田原成貴 55 タイキブリザード
1996 3. 9 阪神 阪神大賞典 GII 芝3000m(良) 10 8 10 02.0(1人) 02着 03:04.9 (34.5) -0.0 田原成貴 58 ナリタブライアン
4. 21 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 16 4 7 02.8(2人) 05着 03:18.8 (36.1) -1.0 田原成貴 58 サクラローレル
7. 7 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 13 6 9 02.0(1人) 01着 02:12.0 (34.6) -0.2 田原成貴 58 (サンデーブランチ)
9. 15 中山 オールカマー GII 芝2200m(重) 9 6 6 01.8(1人) 04着 02:17.6 (37.6) -0.9 田原成貴 59 サクラローレル
10. 27 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 17 4 8 08.1(4人) 02着 01:59.1 (35.1) -0.5 田原成貴 58 バブルガムフェロー
12. 22 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 3 3 05.9(2人) 07着 02:35.3 (38.3) -1.5 田原成貴 57 サクラローレル
1997 3. 16 阪神 阪神大賞典 GII 芝3000m(稍) 8 8 9 01.9(1人) 01着 03:07.2 (37.1) -0.6 田原成貴 59 (ビッグシンボル)
4. 27 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 16 2 4 03.7(2人) 01着 R3:14.4 (34.2) -0.2 田原成貴 58 (サクラローレル)
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

種牡馬として

引退後、マヤノトップガンは種牡馬となり、北海道の優駿スタリオンステーションに繋養される。マヤノトップガンがまだ現役だった1997年3月3日に7億2000万円の種牡馬シンジケートが組まれたと発表されたこともあり、ブライアンズタイムの後継種牡馬として、初年度から期待されていた。ブライアンズタイム系の種牡馬としては、初年度産駒からウオッカを送り出したタニノギムレットに次ぐ実績を挙げた。芝、ダートともに問題なく、距離も短距離馬から長距離馬まで幅広い産駒を出している。また、活躍馬のなかには父同様初勝利まで時間がかかっても、その後持続的に好成績を挙げるパターンも目立つ。裏を返すと総じて晩成気味であり、2歳時から目立つ成績を挙げる馬は少なかった。また、最初のうちは牝馬の活躍馬が少なかったが、2006年にハロースピードがデビューから2連勝を飾ったのを機に、牝馬の活躍もみられるようになった。主な産駒からはプリサイスマシーンメイショウトウコンがGIで2着に好走するなどの実績を挙げた他、重賞勝ち馬も多数輩出した。産駒がGI制覇を達成することは出来なかったが、2021年にブルードメアサイアーとしての産駒であるキャッスルトップジャパンダートダービー(JpnI)を制している。

後継種牡馬に恵まれていなかったが、2009年よりチャクラが種牡馬入りしている。

2015年3月11日付で種牡馬登録を抹消。種牡馬引退後はけい養先の優駿スタリオンステーションにて、功労馬として余生を送っていたが[11]、4年半後の2019年11月3日、老衰により27歳で死亡した[12]

主な産駒

グレード制重賞優勝馬

「*」は地方競馬限定重賞。

地方重賞優勝馬

ブルードメアサイアーとしての産駒

太字はGI級競走。

エピソード・特徴

  • 成績には前述のとおりムラがあったが、これはマヤノトップガンの気性難から来るものであったと田原成貴は認めている。
  • マヤノトップガンの特徴ともいえるのが脚質の自在性で、勝った4度のGI競走では、好位抜出、逃げ切り、4角先頭、直線強襲という異なる戦法で勝っている[2][3]。これもマヤノトップガンの気性難から来るもので、事前に作戦を決めずに、スタート後の馬の状況に合わせて位置取りを変えていたためである[14]
  • マヤノトップガンの引退した翌年、人気にあやかってかアングロアラブ種の競走馬で「マノノトップガン」(1996年生)という名で登録をした馬がいた。当該馬は姫路競馬場兵庫県競馬組合)の白鷺賞荒尾競馬の九州アラブグランプリやアラブ大賞典を制した。また、ばんえい競馬で「ヤマノトップガン」(1995年生)という馬がオープン馬として活躍した。
  • 日本中央競馬会2000年に実施した「Dream Horses 2000」のファン投票において、マヤノトップガンは「20世紀の名馬100」に15位で選ばれている。

血統表

マヤノトップガン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロベルト系
[§ 2]

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale

*アルプミープリーズ
Alp Me Please
1981 栗毛
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
母の母
Swiss
1974 栗毛
Vaguely Noble *ヴィエナ
Noble Lassie
Gala Host My Host
Huspah F-No.14-a
母系(F-No.) 14号族(FN:14-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah4×5、Alibhai5×5、Nearco5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ マヤノトップガン 5代血統表 2017年8月26日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com マヤノトップガン 5代血統表 2017年8月26日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ マヤノトップガン 5代血統表 2017年8月26日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ マヤノトップガン 5代血統表 2017年8月26日閲覧。


脚注

注釈

  1. ^ 覚醒剤取締法違反で逮捕され釈放された後、田原本人が新聞紙面上ではあるが、公の場に姿を現した2020年12月17日付け(前日発行)の東京スポーツ本紙1・2面の独占インタビュー記事上で、このレース騎乗について語り、本人曰く「あのレースは勝てた騎乗だった。俺がもう1テンポ、2テンポ追い出しを遅らせていれば…、本当に後悔している。」と語った[7]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o マヤノトップガン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年4月14日閲覧。
  2. ^ a b 逃げても勝てる、追い込んでも勝てる!変幻自在の名馬マヤノトップガン”. ミドルエッジ. 株式会社ディー・オー・エム (2016年11月25日). 2021年7月14日閲覧。
  3. ^ a b [追悼記事]マヤノトップガン~変幻自在に駆ける空~”. ウマフリ. 株式会社ワークシフト (2019年11月7日). 2021年7月14日閲覧。
  4. ^ 未来に語り継ぎたい名馬物語(38) マヤノトップガンの不思議」『優駿』2018年10月号。2021年3月24日閲覧。
  5. ^ a b 吉川良『人生をくれた名馬たち (1)』アドレナライズ、2016年。p.34。(初版は毎日コミュニケーションズ、2003年)
  6. ^ トップガン馬主・田所祐氏、死去 netkeiba.com、2005年1月14日。2021年3月24日閲覧。
  7. ^ a b 天才ジョッキー・田原成貴独占インタビュー 栄光と転落のすべて」『東京スポーツ』2020年12月16日、1・2面。2021年2月4日閲覧。
  8. ^ a b マヤノトップガン〜1996年・宝塚記念に見た「夢」〜 ウマフリ、2020年6月27日。2021年3月25日閲覧。
  9. ^ a b 優駿』1998年1月号 6-7頁
  10. ^ マヤノトップガンの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年4月14日閲覧。
  11. ^ マヤノトップガンが種牡馬引退 - 競馬ブック  2015年4月16日閲覧
  12. ^ 名馬マヤノトップガンが死す 95年菊花賞&有馬記念を制覇”. netkeiba.com (2019年11月5日). 2019年11月5日閲覧。
  13. ^ メイショウアイアン”. JBISサーチ. 2019年11月4日閲覧。
  14. ^ 田原成貴『八百長』(ベストセラーズ

参考文献

  • 発行人 渡辺秀茂、編集人 芹沢邦雄、岡田毅『週刊Gallop臨時増刊 週間100名馬 Vol.64 マヤノトップガン』2001年3月8日号通巻第976号、産業経済新聞社、2001年3月1日。 
  • 青柳昌之 編「マヤノトップガン」『THE BEST SELECTION 名馬物語』発行人 浜村幸一 編集長 堀内 忠、㈱エンターブレイン〈エンターブレイン・ムック〉、2004年11月5日、75 - 84頁。 
  • 優駿
    • 1998年1月号、日本中央競馬会、1998年1月1日。
      • T『走って輝く。 マヤノトップガン引退式』

外部リンク