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ミナミモア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミナミモア
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1938年
死没 1944年
シアンモア
アストラガル
母の父 ガロン
生国 日本岩手県
生産者 小岩井農場
馬主 池得次
調教師 高木良三東原玉造
競走成績
生涯成績 16戦7勝
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ミナミモア1938年 - 1944年)は、日本競走馬

経歴

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1938年、三菱財閥経営の小岩井農場に生まれる。1940年、小岩井農場のセリ市に上場され5万7000円の高額で落札された。なお、同じ牧場で生まれたセントライトは3万2200円である。

1941年3月16日、横浜開催の新呼馬戦でデビューするが、カミワカの2着。次走の新呼馬戦でもロツクフォード2着に敗れ、同30日、クラシック初戦の横浜農林省賞典四歳呼馬(のちの皐月賞)に出走するもセントライトに3馬身差の2着に敗戦した。

5月4日の東京開催での古呼馬で初勝利を10馬身差の圧勝を飾ると東京優駿競走(日本ダービー)でセントライトを抑えて1番人気に支持された。しかし、前夜までの降雨の影響によって重馬場が災いして9着惨敗している。

秋は三冠最終戦の京都農林省賞典四歳呼馬(のちの菊花賞)までに3戦2勝の成績で臨んだがセントライトの2着に惜敗。中山四歳呼馬特別でも11着惨敗するなど脆い一面も覗かせた。

5歳になると古呼馬特殊ハンデを制して帝室御賞典(春)に出走する。パドックで跛行が目立ち関係者を心配させたが、スタートで先頭に立つと6馬身差のレコードタイムで圧勝した。その後脚部不安を悪化させ勇退した。

引退後は種牡馬になったものの、1944年に死亡した。著名な競走馬の血統表には重賞戦線で活躍したトーワカチドキに入っている程度である。

血統表

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半姉に阪神4歳牝馬勝ち馬のガルモアがおり、近親にクリフジがいるなど活躍馬は多数。

ミナミモア血統サンドリッジ系 / Angelica-St.Simon 5.5x5.5=12.50%) (血統表の出典)

*シアンモア
Shian Mor
1924 黒鹿毛
父の父
Buchan
1916 鹿毛
Sunstar Sundridge
Doris
Hamoaze Torpoint
Maid of the Mist
父の母
Orlass
1909 黒鹿毛
Orby Orme
Rhoda B.
Simon Lass Simmontault
Kilkenny Lass

アストラガル
1925 黒鹿毛
*ガロン
Gallon
1909 栗毛
Gallinule Isonomy
Moorhen
Flair St.Frusquin
Glare
母の母
第五アストニシメント
1913
*インタグリオー Childwick
Cameo
*アストニシメント Quickly Wise
Twirl F-No.7-c


参考資料

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外部リンク

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