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'''TBSテレビのアナウンサー一覧'''(ティービーエステレビのアナウンサーいちらん)は、[[TBSテレビ]]のアナウンスセンター<ref name="TBSHD20160310" /> に所属する[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]を一覧にしたものである。なお、ラジオ・テレビ各分社化前のラジオ東京(KRT)→東京放送(TBS、現:[[TBSホールディングス]]〈TBSHD〉)に所属していたアナウンサーも含めて表記する。※はアナウンス部長の経験者。 |
'''TBSテレビのアナウンサー一覧'''(ティービーエステレビのアナウンサーいちらん)は、[[TBSテレビ]]のアナウンスセンター<ref name="TBSHD20160310" /> に所属する[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]を一覧にしたものである。なお、ラジオ・テレビ各分社化前のラジオ東京(KRT)→東京放送(TBS、現:[[TBSホールディングス]]〈TBSHD〉)に所属していたアナウンサーも含めて表記する。※はアナウンス部長の経験者。 |
2021年9月6日 (月) 07:17時点における版
TBSテレビのアナウンサー一覧(ティービーエステレビのアナウンサーいちらん)は、TBSテレビのアナウンスセンター[1] に所属するアナウンサーを一覧にしたものである。なお、ラジオ・テレビ各分社化前のラジオ東京(KRT)→東京放送(TBS、現:TBSホールディングス〈TBSHD〉)に所属していたアナウンサーも含めて表記する。※はアナウンス部長の経験者。
現職アナウンサー
入社年順に表記
男性
- 1988年 - 清原正博、向井政生
- 1989年 - 斎藤哲也
- 1993年 - 清水大輔(元札幌テレビ放送アナウンサー)、初田啓介
- 1996年 - 小笠原亘、土井敏之(元NHKアナウンサー)
- 1997年 - 安住紳一郎、伊藤隆太(報道局社会部記者兼務)
- 1998年 - 駒田健吾、新タ悦男
- 1999年 - 佐藤文康
- 2001年 - 藤森祥平
- 2003年 - 高野貴裕
- 2004年 - 赤荻歩、蓮見孝之
- 2006年 - 伊藤隆佑
- 2007年 - 井上貴博、杉山真也
- 2008年 - 山本匠晃
- 2010年 - 石井大裕
- 2013年 - 国山ハセン、熊崎風斗
- 2017年 - 喜入友浩
- 2018年 - 小林廣輝
- 2019年 - 渡部峻
- 2020年 - 齋藤慎太郎、南波雅俊(元NHKアナウンサー)
- 2021年 - 小沢光葵、高柳光希
女性
- 1987年 - 長峰由紀
- 1995年 - 堀井美香
- 1997年 - 小倉弘子
- 1998年 - 外山惠理
- 1999年 - 豊田綾乃
- 2000年 - 山内あゆ
- 2003年 - 高畑百合子
- 2005年 - 岡村仁美(経営企画室・報道局社会部兼務)
- 2006年 - 出水麻衣、水野真裕美
- 2008年 - 加藤シルビア(産休中)
- 2009年 - 江藤愛
- 2011年 - 古谷有美(産休中)
- 2013年 - 小林由未子(産休中)
- 2014年 - 皆川玲奈
- 2015年 - 宇内梨沙、上村彩子
- 2016年 - 日比麻音子、山本恵里伽
- 2017年 - 山形純菜、山本里菜
- 2018年 - 宇賀神メグ、田村真子、良原安美
- 2019年 - 近藤夏子、篠原梨菜、若林有子
- 2020年 - 野村彩也子
- 2021年 - 佐々木舞音
元アナウンサー
入社年順に表記。
他部署へ異動
丸かっこ内の数字はアナウンス部在籍期間。
- 男性
- 石原俊爾(1969年[2] - 1983年、TBSHD取締役会長・TBSテレビ取締役会長[1])
- 日下部正樹(1985年[3] - 1990年、報道局報道番組部スペシャリスト部長)
- 岡崎潤司(1986年[3] - 1996年・2009年 - 2010年、TBSHD経営企画局グループ企業部担当部長)
- 岡田泰典(1986年[3] - 2016年、広報局)
- 武方直己(1986年[3] - 2006年、スポーツ局業務推進部次長)
- 戸崎貴広(1986年 - 2021年、スポーツ局)
- 池田裕行(1987年[4] - 1992年、JNNパリ支局長)
- 杉山真喜人(1988年[4] - 1991年、コンテンツ事業局)
- 佐古忠彦(1988年[4] - 2017年、報道局)
- 小林豊(1989年 - 2019年、メディアビジネス局)
- 原山理一郎(1989年[5] - 1991年[6]、メディアビジネス局)
- 岩井健浩(1990年[5] - 2011年、情報制作局)
- 升田尚宏(元NHKアナウンサー[注釈 1]。1994年[8] - 2017年、事業局赤坂サカス推進部)
- 志賀大士(1996年[9] - 2005年、制作局バラエティー制作部。現在『COUNT DOWN TV』プロデューサーなど)
- 品田亮太(2014年 - 2019年、報道局)
- 女性
- 川戸惠子(旧姓:堀川/1966年 - 1988年[10]、シニアコメンテーター[11]。夫は川戸貞吉[12])
- 牧嶋博子(1983年[13] - 1987年、報道局解説・専門記者室長)
- 大沼真理(1984年 - 1989年、事業局事業推進部担当部長)
- 小笠原保子(1989年[5] - 2002年、報道局)
- 有村美香(1990年[5] - 2010年、総務局)
- 秋沢淳子(1991年 - 2019年、事業局)
- 長岡杏子(1994年 - 2021年)
- 小川知子(1995年 - 2021年、アナウンスセンター部長)
- 広重玲子(1996年[9] - 2009年、総務局)
- 木村郁美(1996年[9] - 2018年、秘書室)
- 久保田智子(2000年[14] - 2017年、報道局)
退職者
丸かっこ内の数字は旧ラジオ東京→旧東京放送も含めたTBSテレビ在籍期間。特記事項の無い人物は主にフリーアナウンサーやニュースキャスター、司会者、タレントとして活動している。
男性
- 上松康郎(元NHKアナウンサー[注釈 2]。1951年 - 1952年)[16]
- 小高芳雄(1951年 - 1970年) - 1993年8月に死去[16]。
- 平野貞一(元NHKアナウンサー[注釈 3]。1951年 - 1970年)[16]
- 安田一雄(元NHKアナウンサー[注釈 4]。1951年 - 1975年) - 1999年3月に死去[16]。
- 吉村光夫(元NHK鹿児島放送局アナウンサー[注釈 5]。1951年 - 1981年)[16] - 2011年に死去[20]。
- 渡辺仁三(1951年 - 1969年) - 1987年12月に死去[16]。
- 芥川隆行(1951年 - 1959年) - 妻は本田節子。フリーアナウンサー、ナレーター。ナレーターとしては『ナショナル劇場』(水戸黄門や大岡越前など)を担当。1990年10月に死去[21][22]。
- 池谷三郎(1951年 - 1978年)[21] - 2002年に死去[23]。
- 市原信義(1951年 - 1984年) - 1992年3月に死去[21]。
- 稲川英雄(1951年 - 1980年)[21] - 2004年に死去[24]。
- 財前和夫(1951年 - 1984年)[25]
- 沢弘三(1951年 - 1983年)[21]
- 高野啓二(1951年 - 1978年8月) - 放送業務局視聴者センター在職中に死去[25]
- 永井資久(1951年 - 1981年) - 2000年7月に死去[25]。
- 若林漸(1951年 - 1961年)[25]
- 近江正俊(元NHKアナウンサー[注釈 6]。1952年 - 1976年) - 国際交流基金派遣日本語教師としてインドネシア・アイルランガ大学派遣日本語講師を務めた。1984年10月に死去[27]。
- 小坂秀二(元NHKアナウンサー[注釈 7]。1952年 - 1973年)[27] - 2003年に死去[29]。
- 吉川久夫(1952年 - 1986年、当初は報道部、アナウンス部在籍期間は1953年 - 1970年) - 2001年7月に死去[30]。
- 坂本荘(元NHKアナウンサー[注釈 7]。1952年 - 1968年) - 1980年11月に死去[27]。
- 中村要輔※(元NHKアナウンサー[注釈 7]。1952年 - 1974年) - 1978年1月に死去[27]。
- 榎本勝起(1952年 - 1984年、当初は編成局考査部→制作一課→調査部を経て1954年4月からアナウンサー)[31] - 放送ジャーナリスト[32]。
- 大塚矩男(元NHKアナウンサー[注釈 8]。1952年 - 1975年) - 1997年12月に死去[34]。
- 吉田謙司(元NHKアナウンサー[注釈 8]。1952年 - 1975年)[34]
- 鶴田全夫(元NHKアナウンサー[注釈 6]。1953年 - 1980年) - 1992年2月に死去[34]。
- 落合博一(1953年 - 1986年)[34]
- 杉山真太郎(1953年 - 1985年) - 緑山スタジオ・シティに転籍。『ナショナル劇場』2代目ナレーター。1998年9月に死去[30]。
- 鈴木千秋(1953年 - 1961年)[30]
- 薗田潤(1953年 - 1985年) - 1994年11月に死去[30]。
- 高野昭平※(1953年 - 1985年)[34] - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』取締役相談役[35]。
- 竹山恭二(1953年 - 1986年)[30] - 映像作家・文筆家。妻は楢木昭子。2008年に死去[36][37]。
- 中川恭一(1953年 - 1985年)[30]
- 真山照政(1953年 - 1956年)[30]
- 渡辺謙太郎(1953年 - 1985年) - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』へ設立と同時に出向し、代表取締役などを務めた。2006年に死去[30][38]。
- 小竹隆夫(1954年 - 1992年)[31]
- 山林正明(1954年 - 1986年)[31]
- 鈴木治彦(1955年 - 1984年)[39]
- 田畑国夫(1955年 - 1985年)[39]
- 増子智英(1955年 - 1992年)[39]
- 松野道男(1955年 - 1983年)[39]
- 柳広武(1955年 - 1981年) - 1990年6月に死去[39]。
- 青柳純一(1957年 - 1993年)[40]
- 岡部達(1957年 - 1994年)[40]
- 金坂光春(1957年 - 1986年11月) - 1986年11月退職直後に死去[41]。
- 仁村秀雄(1957年 - 1992年)[41]
- 山本文郎(1957年 - 1994年9月定年3ヶ月前に退職)[41] - 2014年に死去[42]。
- 池田孝一郎※(1959年 - 1995年)[43]
- 石井智(1959年 - 1995年7月) - 1995年9月定年退職直後に死去[43]。
- 川野昌宏(1959年 - 1994年4月) - 報道局次長[44] 在職中に死去[43]
- 里見恭夫(1959年 - 1993年)[43]
- 新堀俊明(1959年 - 1992年)[45] - 日本大学芸術学部放送学科教授→非常勤講師。在職中の1987年 - 1997年まで『サンデーモーニング』コメンテーター。2018年に死去[46][47][48]。
- 土屋統督(1959年 - 1995年)[49]
- 藤田和弘(1959年 - 1994年)[49]
- 料治直矢(1959年 - 1995年)[49] - 在職中の1987年 - 1997年2月まで『JNN報道特集』メインキャスター。1997年7月に死去[49]。
- 山田二郎(元NHK佐賀放送局アナウンサー[注釈 9]。1960年 - 1990年)[51]
- 川戸貞吉(1961年 - 1993年)[51] - 演芸評論家。妻は川戸惠子。2019年に死去[12]。
- 田淵威(1961年 - 1997年)[51]
- 恒田光男(1961年 - 1996年)[51]
- 新村尚久(1961年 - 1997年)[51]
- 平山允(1961年 - 1995年)[52]
- 藤林英雄(1961年 - 1997年)[52]
- 小泉正昭(1962年 - 1999年)[53]
- 清水将夫(1962年 - 1999年)[53]
- 鈴木史朗(1962年 - 1998年)[53]
- 石川顯(1964年 - 2001年)[54]
- 大沢悠里(1964年 - 1991年)[54]
- 小島康臣(1964年 - 2000年)[54]
- 平原晋太郎(1964年 - 1993年3月) - 事業局事業部専任部長[55] 在職中に死去[56]
- 桝井貞之(1964年 - 1999年)[56]
- 今村稔(1965年 - 2001年)[57]
- 小川哲哉(1965年 - 1972年)[57]
- 車尾具昭(1965年 - 2000年)[57]
- 五味陸仁(1965年 - 2003年)[58]
- 多田護※(1965年 - 2001年)[58] - 2017年に死去[59]。
- 奈良陽(1965年[58] - 2002年) - 2007年に死去[60]。
- 青木靖雄(1967年[61] - 2004年)
- 小口勝彦(1967年[61] - 2004年) - 妻は元フジテレビアナウンサーの岩崎真純[62]。
- 久米宏(1967年 - 1979年)[61]
- 林美雄(1967年[61] - 2002年[63]) - 在職中に死去[63]。
- 宮内鎮雄(1967年[64] - 2005年)
- 小島一慶(1968年 - 1989年)[65] - フリーアナウンサー、ナレーター。妻は池田園子[66]。2020年4月逝去[67]。
- 松永邦久(1968年[65] - 2004年)- 実弟は元HBCアナウンサーの松永俊之。
- 稲生二平(1969年 - 2006年)
- 田中啓生(1969年[2] - 2006年)
- 田中良紹(1969年 - 1991年)[2] - ジャーナリスト[68]。
- 山田修爾※(1969年[2] - 2005年9月定年退職。後に『ザ・ベストテン』のプロデューサーなどを歴任) - 演出家、プロデューサー、芸能事務所『CMA(→キャスト・プラス)』に転籍し常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役も務めた。2013年に死去[69][70][71][72]。
- 近藤美矩(1972年[2] - 2003年)
- 辻村国弘(元NHKアナウンサー[注釈 10]。1972年[2] - 2006年、後に『JNN報道特集』のディレクター、『NEWS23』のデスク、『世界遺産』のプロデューサーを歴任[74]。)
- 山口慎弥(元NHKアナウンサー、1973年 - 2003年)
- 千葉陽一(1974年[75] - 2011年) - コンピュータ会社への勤務を経て中途採用扱いで入社
- 松下賢次(1975年[75] - 2013年)
- 宮澤隆(1975年[75] - 2012年)
- 生島博(1976年 - 1989年)[75] - フリーアナウンサー、芸能事務所『生島企画室』代表取締役会長。
- 高橋進(1976年 - 2016年)
- 鈴木順(1976年[75] - 2013年)
- 松宮一彦(1976年 - 1998年)[76] - 1999年に死去[77]。
- 中村秀昭(1979年 - 2016年)
- 林正浩(1979年[78] - 2016年)
- 柴田秀一(1981年[78] - 2017年2月。解説委員兼務を経て定年7ヶ月前に退職)- TBSラジオのニュースデスク、および日本大学法学部新聞学科専任教員[79]。
- 中村尚登(1981年[13] - 2017年9月定年退職)- TBSラジオのニュースデスク[80]。
- 浦口直樹(1983年 - 2020年)
- 椎野茂(1984年 - 2019年)
- 柄沢晃弘(1984年 - 1991年)[13]
- 下村健一(1985年 - 1999年)[3]
- 田中宏明(1990年 - 1996年)[5]
- 安東弘樹(1991年[8] - 2018年)
- 宮澤祐介(1993年 - 2000年)[8]
- 有馬隼人(2001年[14] - 2004年)
女性
- 植村二三子(1951年 - 1955年)[16]
- 高橋百合子(1951年 - 1953年)[21]
- 大野方子(1951年 - 1963年)[25]
- 高杉恵津子(1951年 - 1984年)[25]
- 玉井和子(1951年 - 1961年)[25]
- 楢木昭子(現姓:竹山/1951年 - 1961年)[25] - 放送史研究者。昭和女子大学名誉教授。夫は竹山恭二[36][37]。
- 本田節子(1951年 - 1983年)[25] - 夫は芥川隆行[22]。
- 武藤和子(1951年 - 1960年)[25] - 夫はTBS元社長の濱口浩三。2010年に死去[81]。
- 岡本昌子(1953年 - 1956年)[30]
- 清水春子(1953年 - 1961年)[31]
- 高橋昭夸(1953年 - 1955年)[31]
- 中島みち(1953年 - 1959年)[31] - ノンフィクション作家。2015年に死去[82]。
- 甘利和子(1954年 - 1985年)[31]
- 綱徳子(1954年 - 1963年)[31]
- 来栖琴子(元NHKアナウンサー[注釈 4]。1954年 - 1979年、当初は嘱託だったが1963年6月に正社員)[83]
- 大沢嘉子(1955年 - 1963年)[39]
- 杉田喜代子(1955年 - 1956年)[40]
- 高橋作子(1955年 - 1992年)[40]
- 松浦園子(1955年 - 1962年)[40]
- 榎本和恵(1956年編成局嘱託) - 1956年10月に退社後はラジオ東京放送劇団に入団[40]。
- 町田教子(現姓:木元/1956年 - 1958年。当初は編成局嘱託、1957年に社員採用され正式に入社)[40] - 評論家、ジャーナリスト[84]。
- 松浦淑恵(元JOKK劇団→山陽放送。1956年編成局嘱託) - 1956年10月に退社後はラジオ東京放送劇団に入団[40]。
- 麻生雅子(1957年 - 1994年)[41]
- 石川知子(1957年 - 1963年)[41]
- 大場ゆかり(1957年 - 1961年)[41]
- 草間範子(1957年 - 1961年)[41]
- 佐藤美智子(1957年 - 1960年)[43]
- 鈴木美江(1957年 - 1960年)[43]
- 須藤孝子(1957年 - 1963年)[43]
- 前田和子(1957年 - 1959年)[43]
- 三好和子(1957年 - 1960年)[43]
- 相場君子(1959年 - 1963年)[49]
- 今井登茂子(1959年 - 1962年)[49]
- 加藤かな子(1959年 - 1964年)[49]
- 加藤珪子(1959年 - 1964年) - 1984年2月に死去[49]。
- 土井誉子(1959年 - 1961年)[49]
- 蛭田玲子(1959年 - 1964年)[49]
- 内田房子(1961年 - 1963年)[52]
- 小木曽ひろ子(1961年4月 - 1961年8月)[52]
- 坂元良江(1961年 - 1970年)[52]
- 島倉恭子(1961年 - 1965年)[52]
- 野中泰子(1961年 - 1997年)[52]
- 原田淑枝(1961年 - 1965年)[52]
- 結城田鶴子(1961年 - 1964年)[52]
- 若本ミチ子(1961年 - 1963年)[52]
- 梅田早苗(1962年 - 1998年)[53]
- 古村朋子(1962年 - 1968年)[53]
- 佐藤紀子(1962年 - 1966年)[53]
- 塩田光代(1962年 - 1964年)[53]
- 清水恵子(1962年 - 1967年) - 1993年6月に死去[53]。
- 富田幸子(1962年 - 1966年)[53]
- 山口紘子(1962年 - 1967年)[53]
- 宇野淑子(1964年[56] - 2002年)
- 高階玲子(1964年 - 1992年)[56]
- 二村義子(1964年 - 1971年)[57]
- 山田照子(1964年 - 1978年)[57]
- 吉野好子(1964年 - 1965年)[57]
- 桐本幸子(1965年 - 1999年)[58]
- 手塚俊子(1965年 - 1974年)[10]
- 本田綾子(1965年 - 1969年)[10]
- 岩崎直子(1966年 - 1970年)[10]
- 遠藤泰子(1966年 - 1972年)[10]
- 藤田恒美(1966年[10] - 2003年)
- 堀川友子(1966年 - 1970年)[10]
- 池田園子(1968年 - 1970年)[65] - 夫は小島一慶[66]。
- 石井和子(1968年 - 1971年)[65] - フリーアナウンサー、気象予報士、日本気象予報士会顧問(前会長)。
- 見城美枝子(1968年 - 1973年)[65] - フリーアナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、青森大学副学長社会学部教授。
- 郷司淑子(1968年 - 1974年)[65]
- 菅原牧子(1968年[65] - 2003年)
- 神津栄子(旧姓:浅井/1977年 - 1992年)[76]
- 三雲孝江(1977年 - 1990年)[78] - 『情報7days ニュースキャスター』『ひるおび!』(月曜日)コメンテーター。
- 吉川美代子(1977年[78] - 2014年)
- 有村かおり(現姓:松富/1983年 - 1999年)[13] - キャスター、作家
- 野口雅子(1983年 - 1990年)[13]
- 木場弘子(1987年 - 1992年)[4] - 千葉大学教育学部特命教授。夫は元プロ野球選手で中日ドラゴンズ監督の与田剛。
- 戸田恵美子(旧姓:畑/1987年[4] - 2004年)
- 香川恵美子(1988年 - 1998年)[4] - 夫は元プロ野球選手でオリックス・バファローズ二軍監督の田口壮。
- 福島弓子(1989年 - 1999年)[5] - 夫は元プロ野球選手のイチロー
- 渡辺真理(1990年 - 1998年)[5] - 夫はフジテレビジョンドラマプロデューサーの高井一郎
- 雨宮塔子(1993年 - 1999年)[8]
- 進藤晶子(1994年 - 2001年)[8] - 夫はプロゴルファーの深堀圭一郎。
- 小島慶子(1995年[9] - 2010年) - タレント、エッセイスト、女優。
- 海保知里(1999年[14] - 2008年)
- 竹内香苗(2001年[14] - 2012年) - 2018年1月より『伊集院光とらじおと』火曜パートナー
- 川田亜子(2002年 - 2007年) - 2008年に死去[85]。
- 山田愛里(2002年 - 2012年)
- 小林麻耶(2003年 - 2009年)
- 青木裕子(2005年 - 2012年) - 夫はナインティナインの矢部浩之。
- 新井麻希(2005年 - 2010年) - 2017年10月より『伊集院光とらじおと』月曜パートナー
- 枡田絵理奈(2008年 - 2015年) - 夫はプロ野球・広島東洋カープの堂林翔太。
- 田中みな実(2009年 - 2014年)
- 小林悠(2010年 - 2016年) - 退社後は活動休止中。
- 佐藤渚(2010年 - 2017年) - 夫はプロサッカー選手・FC岐阜の柏木陽介。
- 吉田明世(2011年 - 2019年)
- 林みなほ(2012年 - 2019年)
- 笹川友里(2013年[注釈 11] - 2021年) - 夫は元フェンシング選手の太田雄貴。
- 宇垣美里(2014年 - 2019年)
- 伊東楓(2016年 - 2021年)
関連人物
アナウンス部長
- 現在
- 利根川展(2017年7月 - )
- 過去
- 中村要輔( - 1967年11月)
- 小坂秀二(1967年11月15日 - 1972年1月)
- 高野昭平(1972年2月 - 1981年6月)
- 池田孝一郎(1981年7月 - 1991年4月)
- 三好和昭(1991年5月 - 1994年6月) - 報道出身(元『JNN報道特集』プロデューサー[86])、後に東京エレクトロン監査役[87]。
- 多田護(1994年6月 - 1997年6月)
- 弟子丸千一郎(1997年6月 - 2001年5月) - 2013年死去。
- 若林貴世志(2001年5月 - 6月) - 元TBSホールディングス取締役。2016年死去。
- 山田修爾(2001年6月 - 2005年6月)
- 石川眞実(2005年6月 - 7月、編成局長兼務) - 後にTBSテレビ常務取締役。バラエティ番組『リンカーン』に名前のみ登場していた。
- 齋藤薫(2005年7月 - 2011年6月[88])
- 本多由幸(2011年7月 - 2017年6月)現 TBSサンワーク代表取締役社長。元 情報制作局情報センター情報2部長[89]
系列局からの出向社員
過去に、報道・情報番組においてJNN系列各局のアナウンサーや報道記者が司会やニュースデスクなどを担当するために出向した事例があった。過去の該当者は以下の通り。
- 『JNNニュースデスク』(開始当初、番組キャスターはJNN系列各局の報道記者・アナウンサーがニュースデスクとして出向していた)
- 『モーニングジャンボ』→『モーニングジャンボ奥さま8時半です』
- 『モーニングジャンボ奥さま8時半です』[注釈 12]
- 道上洋三(朝日放送アナウンサー)
- 『おはよう720』→『おはよう700』(主に「キャラバン」と呼ばれる国外取材キャスター)
- 荻島はのちに「朝のホットライン」のキャスターとしてSBSから再出向したが、視聴者からの反響が大きく、期間を延長・継続して担当することからSBSの社業に影響するとしてSBSを退職、正式に上京してフリーアナとなった。
- 『JNNおはようニュース&スポーツ』
- 『JNNニュースデスク'88・'89』
- 『筑紫哲也 NEWS23』
局契約
- 特記ない限りNHKから移籍
- 野村泰治(1975年 - 1988年)
- 森本毅郎(1984年 - 1997年) - 専属契約解除後もTBSの番組に継続して出演
- 草野仁(1985年 - 1991年) - 同上
- 池田裕子(1986年 - 1987年) - 同系列のテレビドラマ出演をきっかけに女優に転向
- 美里(田丸)美寿々(1994年 - 2010年) - 元フジテレビジョンアナウンサー→フリー→テレビ朝日契約キャスターから移籍
- 中井亜希(1996年 - 1998年) - 専属契約解除後、関連会社のBS-iの番組に出演
- 草野満代(1997年 - 2006年)
- 膳場貴子(2006年 - 現在)
備考
- TBSグループのアナウンサーは全員TBSテレビ所属となっており、同社テレビ番組への出演の他、グループ会社(兄弟会社)であるTBSラジオとBS-TBSの番組にも「TBSアナウンサー」[注釈 13] として出演している。会社法上は、TBSテレビが自社のアナウンサーをTBSラジオとBS-TBSに番組単位で在籍出向させているため、TBSラジオとBS-TBSはアナウンサーの自社雇用をしない[注釈 14]。
- 2004年10月、東京放送(現:TBSホールディングス)は新たに設立した「TBSテレビ」(旧:TBSエンタテインメントを中心にTBSライブ・TBSスポーツを合併・当時は番組制作会社)へテレビジョン放送事業全般を委託、それに伴い東京放送在籍中のアナウンサーを含む社員820人をこの「TBSテレビ」へ同年10月1日付で出向させ、2005年以降の新卒・中途採用アナウンサーも同社が採用していた[90]。約4年もの間、社籍が異なるアナウンサーが同じ職場に在籍していたことになるが、その後、2009年4月に東京放送が持株会社へ移行、それに伴う吸収分割により、出向中の全てのアナウンサーが現在のTBSテレビへと自動的に転籍した。
- 1990年代前半まで、報道担当の男性アナウンサーは「TBSアナウンサー」としてテロップで画面に登場することは少なかった。これは報道局所属であったことや、突発的な事故などの際には取材記者も兼ねていたことが影響していた。JNNニュースなどの提供読みも報道担当の男性アナウンサーはほとんど行っておらず、経験者は高橋進や向井政生など限られた少数であった。ただし五味陸仁や柴田秀一など情報番組の司会を担当していた男性アナウンサーもいた。この傾向が崩れたのは1994年頃。当時スポーツ担当だった佐古忠彦、情報番組担当だった岡田泰典が報道担当に移ってからのこと。佐古・岡田は以後報道のみの出演になるが、スポーツ担当の男性アナウンサーもJNNフラッシュニュースなどに登場することも多くなった。ただしベテランの男性アナウンサーの中には報道番組(一般ニュース)を担当したのことのないアナウンサーもいる(林正浩や松下賢次など)。
- 株式会社である以上、労使交渉がまとまらなければ、労働組合のストライキも起こりうる。その場合、担当番組を管理職のアナウンサーや外部のフリーアナウンサーが代行出演する。一例として2009年(平成21年)3月13日は、TBSテレビで『ピンポン!』『2時っチャオ!』『イブニング・ファイブ』など各番組の担当アナウンサー(メイン司会も含む)が、放送での説明もないまま欠席している。
- TBSテレビでは、退社者を対象とした復職(ジョブリターン)制度が2018年までに設けられた。安住紳一郎は自身のラジオ『安住紳一郎の日曜天国』でこの新設された制度に言及し、「女性アナウンサーで辞めるアナウンサーがいるんですけど、一度辞めても、8年くらい育児をして、もう一度戻ってきて中途採用を受けて、そこからキャリアを積み直すっていうスタイルが可能ってこともなりました」と説明した[91]。その後2000年に入社して2017年まで在籍していた久保田智子が、アナウンサー経験者としては初めてジョブリターン制度を利用して、2020年12月1日付でTBSテレビに再入社した(ただし復職後はアナウンサーではなく報道局員との事)[92]。
アナウンサー番組
TBSテレビ
- ディスク・タイム(1961年)[93]
- きょうも楽しく〜小鳥とともに〜(1961年8月14日 - 1962年3月31日)[94]
- チャンネル☆ロック!
- E娘!
- ママアナのデジ@缶
- アナCAN
- メガデジ
- ナビっち(2009年4月 - 2010年3月)
- TBS24時
- 女子アナの罰
BS-TBS
- スイモクチャンネル
複数のアナウンサーの中から1人が出演するコーナー・企画を放送。
TBSチャンネル
- TBSチャンネルガイドシリーズ
- 日本全国ラーメン選手権
- 日本全国駅弁選手権
- TBS女子アナ 日本歴史探訪
- TBS女子アナ 鉄道の旅
- ほかに女性アナウンサーが出演する紀行ものシリーズも制作・放送されている。
TBSラジオ
- 朝のひととき(1958年) - アナウンサー制作番組[95]
- ヤンアナジョッキー → ミスヤンアナジョッキー(1992年 - 1993年)
- 倶楽部・アナ魂ダ!(2004年10月 - 2005年3月)
- アナアナ探検隊(2005年10月 - 2006年3月)
- 講談社 ラジオブックス
- Kakiiin
- 悠と渚のハツラツサンデー
- ザ・トップ5
- ラジオ・パープル
- 女子アナウンス部御中
かつてTBSラジオが運営していた有料の音声配信サイト「らじこん」において、複数の女性アナウンサーがそれぞれ個人で出演する音声コンテンツを配信していた。「らじこん」の廃止に伴い2015年4月をもって配信終了。
関連書籍
- TBSアナウンスセンター編 編『We love TBS!! 女子アナウンサーのすべて見せます。』アスキー、1998年8月。ISBN 978-4-7561-1854-7。
- アルファワークス構成・編集 編『おいしい顔ダイアリー TBSアナウンサーとCooking』学習研究社、2003年6月。ISBN 978-4-05-603148-5。
脚注
注釈
- ^ 1989年入局[7]。
- ^ 1934年入局[15]。
- ^ 1939年入局[17]。
- ^ a b 1944年三次入局[18]。
- ^ 1948年入局[19]。
- ^ a b 1950年入局[26]。
- ^ a b c 1947年一次入局[28]。
- ^ a b 1946年入局[33]。
- ^ 1960年二次入局[50]。
- ^ 1968年入局[73]。
- ^ 一般職で入社、2014年にアナウンス部に異動。
- ^ 朝日放送のスタジオからのコーナーを担当。
- ^ TBSテレビに所属する以上厳密には「TBSテレビアナウンサー」であるが、TBSラジオの略称は厳密には「TBS R」(旧TBSラジオ&コミュニケーションズ時代は「TBS R&C」)であり、単に「TBS」とすれば厳密には東京放送→TBSテレビのみを指すため、ラジオでもこの肩書きで通る。ただし一般的にはTBSラジオ(ともすればTBSHDも)もTBSテレビとひとまとめに相変わらず「TBS」と略されており、その「TBSアナウンサー」ですら自身の勤務局が「TBSテレビ」と述べるケースも安住紳一郎の給与発言や宇垣美里の退社発表等と多くない。
- ^ 同様の体制は、TBSグループ同様にラテ兼営から分社化したSTVラジオ(札幌テレビ放送)・CBCラジオ(CBCテレビ)・朝日放送ラジオ(朝日放送テレビ)にも引き継がれている(括弧内のテレビ局が出向元)。
出典
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{{cite report}}
:|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ a b “早起き名人会プロデューサの川戸貞吉さんが死去 81歳”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2019年3月11日) 2019年3月12日閲覧。
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- ^ “元TBSアナの久保田智子さん ジョブリターン制度で復職、昨年特別養子縁組制度で母に”. スポーツニッポン. (2020年12月13日) 2020年12月26日閲覧。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、11頁。「1961年5月1日 *テレビ「ディスク・タイム」 <休止時間(朝の部 6:40〜50、昼の部 11:25〜30、夜の部 16:45〜55)を利用してのトーク番組。7期生の新人アナを中心>開始」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、11頁。「1961年8月14日 *テレビ「きょうも楽しく〜小鳥とともに〜」(月〜日 6:30〜6:40) <早出女子アナ勤務者のフィックス番組。〜62.3.31>」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、11頁。「1958年1月4日 *アナウンサー制作番組「朝のひととき」スタート(5:25〜5:55)」
参考文献
- NHKアナウンサー史編集委員会 編『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日。ISBN 4-06-203232-5。
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
関連項目
外部リンク
- アナウンスBoo!!(アナウンサー通信) TBSテレビ
- TBSアナウンサー公式インスタグラム (@tbs_annogram) - Instagram