朝のホットライン
朝のホットライン | |
---|---|
ジャンル | 情報番組 |
出演者 |
五味陸仁 荻島正己 草野仁 宇江佐りえ 有村かおり 野口雅子 ほか (出演者を参照) |
オープニング | テーマ曲を参照 |
エンディング | 同上 |
製作 | |
制作 | TBS |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送[注釈 1] |
放送国・地域 | 日本 |
朝のワイドX | |
放送期間 | 1981年9月28日 - 1981年11月13日 |
放送時間 | 平日 7:00 - 8:10 |
放送枠 | TBSテレビ系列朝の情報番組枠 |
放送分 | 70分 |
朝のホットライン | |
放送期間 | 1981年11月16日 - 1988年3月25日 |
放送時間 | 放送時間を参照 |
HOTLINE | |
放送期間 | 1988年3月28日 - 1990年3月30日 |
放送時間 | 平日 7:00 - 8:30 |
放送枠 | TBS系列朝の情報番組枠 |
放送分 | 90分 |
『朝のホットライン』(あさのホットライン)は、TBS系列[注釈 2]で1981年9月28日から1990年3月30日まで生放送されていた朝の報道・情報ワイド番組である。
概要
[編集]前番組『テレビ列島7時』を打ち切って急遽番組が立ち上げられたため、スタート当初は番組名が決まっておらず、『朝のワイドX』という仮称で放送された。その後、番組内で名称を一般公募(採用者には賞金100万円を進呈)し、その中から選ばれた『朝のホットライン』を正式番組名として1981年11月16日から使用した。ラジオの手法を取り入れながら、ニュースやスポーツ・トレンド情報などの朝の話題に加えて、全国のJNN各局からも生中継で話題を伝える番組だった[1]。また番組専用電話番号もあり視聴者から身近な情報を提供してもらっていた。
初代総合司会はTBSアナウンサーの五味陸仁が務めたが、半年後の1982年3月29日に番組がリニューアルされ出演者を総入れ替え。2代目総合司会に静岡放送(SBS)アナウンサー(当時)の荻島正己、進行司会には本番組の直前に放送されていた天気番組を担当していた宇江佐りえが、さらに天気キャスター「ザ・お天気マン」に前田武彦、スポーツキャスターには番組ディレクターで当時TBS映画社(現在のTBSスパークル)の社員だった大沼啓延がそれぞれ起用された。
荻島は当初半年間のリリーフ登板という形でSBSに在籍したままTBS(当時の東京放送)の嘱託社員として契約を結び出向していた。しかし、荻島の司会交代後番組は軌道に乗った事から契約がその都度延長されていた。結局荻島は1985年3月に3年間勤めた番組を勇退するとともにSBSを退社しフリーに転向した。
前田は、1973年に自身が司会をしていた『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系列)において、日本共産党の議員候補が選挙で当選したことを受けて生放送中に万歳をしたことが問題となり、以後大半の番組を降板させられ、メディア出演から遠ざかっていたが、朝のホットラインへの出演を機にメディアに本格復帰した。
そして荻島に代わってNHKからフリーに転じた草野仁がTBSと専属契約を結び、4月1日から本番組の総合キャスターを務めた。さらにレギュラーとして当時はまだ二つ目の若手落語家だった立川志の輔も起用した。同時にそれまで8時終了だった本番組を、キャスター・スタッフが兼務していた『ときめき生情報810』と統合させたうえで8:30までの80分番組(8:00 - 8:10は『JNN8時のニュース』放送のため中断[注釈 3])とした。
1986年秋からは「風のエトランゼ」から新たなテーマ曲に刷新するリニューアルが行われ、1987年3月30日からは『8時のニュース』も統合して90分番組となった。しかし、一時は民放の同時間帯で首位を獲得した視聴率がこの頃、裏番組の『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)に追い抜かれ番組は迷走を始める。1988年3月28日からは、一部主要キャスターの入れ替えと共に番組タイトルを『HOTLINE』に改めリニューアルを行ったが視聴率は盛り返す事が出来ず、1990年3月30日に放送を終了。『朝のワイドX』から続いた8年半の歴史に幕を下ろし、4月からは草野・志の輔を出演者に残したまま番組タイトル・内容・テーマ曲等を全面リニューアルした『THE WAVE』が開始する。
使用スタジオは開始当初テレビ局舎の報道スタジオだったDスタジオが使用され、1983年4月から1984年9月までは同スタジオに置かれた他時間帯のニュース番組と共用のスタジオセット[注釈 4]が使われていたが、1984年10月に『JNNニュースコープ』の50分枠拡大に合わせてセットを変更するに当たり、スタジオをEスタジオに移動。1987年から終了まではFスタジオで放送されていた。
番組制作は第二制作局(1979年12月にそれまで制作局と報道局にあった情報系番組の制作グループを分離独立させて発足)→社会情報局(1985年6月に第二制作局から改称、1996年5月にTBSビデオ問題により解体)の報道制作部が担当だった。しかし、1983年4月1日まで当番組で朝の『JNNニュース』を放送していた名残で、最終回の1990年3月30日まで『製作著作 TBS』の表示はなかった(後継番組の『THE WAVE』から『製作著作 TBS』やスタッフロールが表示されるようになった)。
1989年1月8日(日曜日)の昭和天皇崩御特別番組では当番組の司会をしていた草野・野口が午前の番組に出演していた。秋田放送・南海放送では日本テレビの報道特別番組を放送していたため、放送されなかった。
放送時間・タイトル変遷
[編集]期間 | 番組タイトル | 放送時間(JST) | ||
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第1部 | 第2部 | |||
1981.9.28 | 1981.11.13 | 朝のワイドX | 7:00 - 8:10[注釈 5](70分) | (放送なし) |
1981.11.16 | 1983.4.1 | 朝のホットライン | ||
1983.4.4 | 1985.3.29 | 7:00 - 8:00[注釈 6] (60分) | ||
1985.4.1 | 1987.3.27 | 8:10 - 8:30(20分) | ||
1987.3.30 | 1988.3.25 | 8:00 - 8:30(30分) | ||
1988.3.28 | 1990.3.30 | HOTLINE |
出演者
[編集]期間 | 総合司会 | アシスタント | スポーツ | 天気 | |
---|---|---|---|---|---|
1981.9.28 | 1982.3.26 | 五味陸仁 | 若杉恵子 | (不明) | (不明) |
1982.3.29 | 1984.3.30 | 荻島正己[1] | 宇江佐りえ | 大沼啓延[1] | 前田武彦 |
1984.4.2 | 1984.9.28 | あさののぞみ | |||
1984.10.1 | 1985.3.29 | 二階堂杏子[注釈 7] | |||
1985.4.1 | 1987.9.25 | 草野仁[注釈 8] | 有村かおり[注釈 9] | ||
1987.9.28 | 1988.3.25 | 相沢早苗 | |||
1988.3.28 | 1990.3.30 | 野口雅子 | 岡田泰典[注釈 10] |
その他
[編集]- 鳥井守幸(コメンテーター)[1]
- 田畑光永(コメンテーター)
- 宇都木員夫(芸能デスク)
- 桂都丸(リポーター)
- 立川志の輔(リポーター、『THE WAVE』も続投)
- 阿川佐和子(リポーター)
- キャシー中島、林寛子 (後期8時台 日替りコーナー担当)
主なコーナー
[編集]五味 - 荻島時代
[編集]- お天気マン・スポーツマン・ビッグマンなどは草野に交代後も放送。
- 朝の最新ニュース(1981年9月28日 - 1983年4月1日)
- JNNニュースの枠として適用されていた。本番組の前後に『JNNおはようニュース&スポーツ』『JNN8時のニュース』が開始したため、一旦本番組からは独立する。
- ザ・スポーツマン
- スポーツを通じて繰り広げられた人間ドラマに焦点を当てながら、放送前日の主なスポーツの結果を伝えたコーナー。テレビのスポーツニュースとしては珍しく、プロ野球などの試合のダイジェストVTRにナレーションを一切入れない代わりに、ドラマの惹句や歌謡曲の歌詞を彷彿とさせる字幕を大きく表示させていた。
- ビッグマン
- ある著名人へ朝から夜までの密着取材を行うコーナー[1]。
- 100人中継
- 旬の話題になる場所へ出向き、番組開始の「おはようございま〜す!!」コールや、即興アンケートを実施してコーナーを盛り上げた。参加者の中には明らかに「出たがり」な人も少なからずいた。
- HOT君の旅
- トヨタ・タウンエース(2代目)の屋根にHOT君の大型バルーンを積載。番組スタッフと一般公募で選ばれたリポーターが乗り込み、全国を旅して回った。
- ポップルポップ
- 毎朝一曲洋楽に乗せてイメージビデオをオンエア。番組は開始からこのコーナー前までモノラル放送であるが、このコーナーからステレオ放送になる。後に「ポップルポップinUSA」にタイトル変更。ニューヨークから電話で最新の全米ヒットチャートをリポートしていた。
- ザ・お天気マン( - 1987年9月25日)
- 元々、気象に関して造詣が深かった前田武彦[注釈 11]が、生中継で天気図などの解説を交え、天気予報を伝えた。出演時は水兵帽を被っていた。
- 月曜日 - 木曜日は、当時のTBS本社屋上や日本武道館近くの北の丸公園[注釈 12]を中心に東京から放送。
- ネット局のスタジオからも毎日3局、女性アナウンサーがクロマキー合成で映された各地の空を背景に各地方の天気概況を伝え、セットは各局ともにクロマキーの前にアナウンサーが座り、テーブルにネームプレートを置く形式で統一されていた。
- ザ・お天気マンのBGMとして、シンセサイザーを駆使したドイツのバンドCUSCOの『Alcatraz』が使われた。その曲は視聴者からの反響や問い合わせも多く、広く知られるところとなったが、同じくドイツの電子音楽グループ・クラフトワークの楽曲『Computer World』も同コーナーの一部で使われ続けた。
- 金曜日のみ大阪から、近藤光史(当時MBSアナウンサー)とともに中継で出演していた。日によっては、100人中継と同じ場所から中継することもあった。
草野時代
[編集]- 8時のニュース(1987年4月1日 - 1990年3月30日)
- 当番組内包後は8時に『JNNおはようニュース&スポーツ』と同じ時報を流してニューススタジオに切り替えていた。
- 志の輔の出た出たデータ
- 後期からは「志の輔の今週の出た出たニッポン」に変更、毎回志の輔がタイトルコールした後、志の輔が「略して…」というと、出演者全員で「出た…ポン!」と言いながらおなかを叩いて始まる。後にこの場面は、この回の中継先の人々が担当する様になった。
- ぴっかりにっこり今日のお天気、早苗のちょっと物知り
- いずれも天気担当の相沢早苗による、天気コーナーの後の小ネタコーナー。
- キャラバンII(リメイク版)
- TOKYO新ハッ見!
- 東京都内の最新スポットを紹介。コーナーテーマは小泉今日子「なんてったってアイドル」のイントロ部分。スピンオフ企画で「札幌-」や「ヒロシマ‐」もあった。
- エアロビクス
- 有村かおりがレオタードに着替え、表参道のスポーツクラブから生中継していた。
- 生中クイズ
- 中継先からクイズを出題、番組内の答えをはがきで応募すると、抽選で数名に番組特製テレホンカードをプレゼントしていた。
- 岡やんのけさコッコ
- 中継先の岡田泰典が天気予報を終えてから俳句を詠み、スタジオの草野が採点していた。
- 女のネットワーク
- 8時台に放送。『ときめき生情報810』の「耳より情報 女のネットワーク」を引き継いだ。当日の「お天気マン」と同じ系列局のアナウンサーがスタジオから話題を紹介した。
- スケッチオンライブ
- 8時台に放送。系列各局からの生中継コーナー。これ以前から系列各局からの中継コーナー自体は放送されていた。「お天気マン」・「女のネットワーク」・中継コーナーに出演するアナウンサーの中には『ザ・ベストテン』の追っかけマン・追っかけウーマンも並行して務めていたアナウンサーがいた。
- ジャスト10ミニッツ
- トレンド系のミニ特集コーナー。
- 草野仁のざっくばらん
- 8時台に放送。司会の草野とゲストとのトークコーナー。
放映ネット局
[編集]系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送(TBS) | TBS系列 | 制作局 現在:TBS |
北海道 | 北海道放送(HBC) | ||
青森県 | 青森テレビ(ATV) | ||
岩手県 | 岩手放送(IBC) | 現在:IBC岩手放送 | |
宮城県 | 東北放送(TBC) | ||
秋田県 | 秋田放送(ABS) | 日本テレビ系列 | 番組販売での参加 |
山形県 | テレビユー山形(TUY) | TBS系列 | 開局翌日の1989年10月2日から (実際はサービス放送中の1989年9月25日から) |
福島県 | 福島テレビ(FTV) | フジテレビ系列 | 1983年9月30日打ち切り 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局 |
テレビユー福島(TUF) | TBS系列 | 開局翌日の1983年12月5日から (実際には1983年11月22日試験放送開始から) | |
山梨県 | テレビ山梨(UTY) | ||
新潟県 | 新潟放送(BSN) | ||
長野県 | 信越放送(SBC) | ||
静岡県 | 静岡放送(SBS) | ||
石川県 | 北陸放送(MRO) | ||
中京広域圏 | 中部日本放送(CBC) | 現在:CBC | |
近畿広域圏 | 毎日放送(MBS) | ||
島根県 鳥取県 |
山陰放送(BSS) | ||
岡山県 →岡山県 香川県 |
山陽放送(RSK) | 現在:RSK山陽放送 1983年3月までの放送免許エリアは岡山県のみ 1983年4月から相互乗り入れにより香川県もエリア認定 | |
広島県 | 中国放送(RCC) | ||
山口県 | テレビ山口(TYS) | 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 | |
愛媛県 | 南海放送(RNB) | 日本テレビ系列 | 番組販売での参加 |
高知県 | テレビ高知(KUTV) | TBS系列 | |
福岡県 | RKB毎日放送(RKB) | ||
長崎県 | 長崎放送(NBC) | ||
熊本県 | 熊本放送(RKK) | ||
大分県 | 大分放送(OBS) | ||
宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | ||
鹿児島県 | 南日本放送(MBC) | ||
沖縄県 | 琉球放送(RBC) |
テーマ曲
[編集]- 「風のエトランゼ」マイケル・カーン&グランド・オーケストラ
- 1986年9月頃まで使用。『朝のワイドX』当時はサビ部分を、『朝のホットライン』からはAメロ部分を採用。なお、原曲を長調にしたアレンジ版で、演奏もレコード版とは異なる(番組で使用したバージョンは現在も音源化されていない)。また、1985年4月から1986年9月頃までの7:00と8:10では曲が開始する部分が異なっていた。
- 曲名不明
- 1986年10月頃から1988年3月25日まで使用。使用以前の1986年に日本テレビ『全国高等学校クイズ選手権』(1988年3月から裏番組である日本テレビ『ズームイン!!朝!』を担当する福留功男司会)の各県代表決定BGMとして使われていた。
- 「ENERGY」CHAGE&ASKA
- 1988年3月28日から使用。THE ALPHAが演奏を担当。'87 インストルメンタル版が使われ、のちに歌詞付でアルバム発売
- 「ALCATRAZ」CUSCO
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 一部、ステレオ放送を実施。
- ^ 本来は日本テレビ系列の秋田放送と南海放送も含む。また、福島テレビではJNN脱退後も半年間放送が継続された。
- ^ そのため、8:10にもう一度オープニングアニメとテーマ曲を流して司会者が挨拶する流れだった。両方のオープニングとも「27局ネット」のピクチャーテロップが出ていた。
- ^ 本番組に隣接したスペースを直前の『JNNおはようニュース&スポーツ』と『8時のニュース』で使っていたため、両番組のタイトルバックで『ホットライン』のセットが映り込んだり、『おはようニュース&スポーツ』のエンディングでは同番組キャスターが横で準備をしていた荻島にお辞儀してバトンタッチする演出も見られた。
- ^ 8:00からの『ポップルポップ』から放送終了までステレオ放送。
- ^ 7:50頃の『ポップルポップ』(1985年3月末まで)から放送終了までステレオ放送。
- ^ TBSラジオ『全国こども電話相談室』の「電話のお姉さん」(進行役のパーソナリティ)を兼務。
- ^ 後番組『THE WAVE』へも続投。
- ^ アメリカ合衆国で長期ロケ企画を担当した間はネット局の女性アナウンサーが週替わりで担当。
- ^ 1989年3月までは関東と一部地域で直前まで生放送されていた『ドーナツ6』と兼務。
- ^ 気象予報士(1993年創設)ではなく、「ザ・お天気マン」の肩書。
- ^ 当時、TBSの分室があった科学技術館から。前田専用のデスクも分室に設けられていた。
- ^ TBSと東北放送・岩手放送、当時JNN系列だった福島テレビの共同制作で大宮駅を出発する下りの一番列車が盛岡駅に到着するまでを完全中継しつつ、停車する県からの話題や仙台・大宮・盛岡を出る一番列車の発車の様子も伝える企画だった。この日は6:30から10:55までを関連特番として放送し、本番組並びに直前の『ウェザーりえの朝一番』(6:50 - 7:00、1983年3月に『おはようニュース&スポーツ』の開始に伴い統合される形で終了)と後続番組『モーニングジャンボ奥さま8時半です』も関連特番の一部としていた(6:30 - 6:50と8:10からの20分、10:00からの各パートは単発特番として放送)。
出典
[編集]関連項目
[編集]- ウェザーショー・空飛ぶお天気スタジオ
- THE WAVE(後番組)
- ときめき生情報810(8:10枠の後継・前身番組)
TBS 平日朝の情報番組枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
朝のホットライン
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TBSおよびJNN 平日朝のJNNニュース | ||
テレビ列島7時
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朝のホットライン
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TBSおよびJNN 平日朝8時台のJNNニュース | ||
朝のホットライン
8時のニュース |
THE WAVE
8時のニュース |