コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

戸田信子 (アナウンサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とだ のぶこ
戸田 信子
プロフィール
本名 Nobuko Toda Patton
出身地 日本の旗 日本岩手県二戸郡一戸町
生年月日 (1960-03-13) 1960年3月13日
没年月日 (2018-08-04) 2018年8月4日(58歳没)
血液型 B型
最終学歴 京都光華女子大学文学部日本文学科
所属事務所 スタッフ東京
職歴 IBC岩手放送
活動期間 1983年 - 2000年頃
配偶者 既婚
担当番組・活動

戸田 信子(とだ のぶこ、1960年3月13日 - 2018年8月4日[注 1])は、日本のアナウンサー[注 2]。日本でアナウンサーとして活動した後、アメリカ合衆国日本語教育者として活動していた。米国名は、Nobuko Toda Patton(日本語表記:パットン信子=パットンのぶこ)[注 3]。アナウンサー時代の愛称は宇宙人[4]

来歴

[編集]
年表 経歴
1960年3月13日 岩手県二戸郡一戸町出身[5]
1983年3月 光華女子大学(現在の京都光華女子大学)文学部日本文学科およびCHK名古屋アナウンススクール卒業[注 4]。血液型はB型[1]
1983年4月 岩手放送(現在のIBC岩手放送。以下、IBC)にアナウンサーとして入社し、テレビ『ポップチャンネル』ラジオ『IBCトップ40』『ワイド145』『ジャスト・ジャズ・タイム』『爆発ワイドラジオ新鮮組』などの番組を担当[注 5]。アナウンサーとしての同期に菊池幸見がいる[注 6]
1988年10月 東京放送(TBS)[注 7]へ出向し、テレビの報道番組『JNNニュースデスク'88・'89』のサブキャスターを担当[注 8]
1989年9月 『JNNニュースデスク』の終了後IBCを退社し、スタッフ東京所属のフリーアナウンサーに転向[要出典]
1992年4月 - 1993年3月 テレビ朝日ステーションEYE』メインキャスター
1993年4月 - 1994年9月 テレビ朝日『CNNデイブレイク』月 - 木曜日メインキャスター
1996年4月 - 1997年3月 かつての所属先であるIBCで『おばんDEナイト』の司会を担当[9]
1997年4月 IBCが立ち上げた夕方ワイド番組『幸見の夕刊テレビ』と自身がかつてパーソナリティを務めていた『IBCトップ40』に出演[10][11]
※前者は1998年9月まで、後者は1999年3月まで放送した
上記の両番組の終了後 『幸見の夕刊テレビ』で共演したアメリカ人男性と結婚し、アメリカ合衆国へ渡る[注 9]ケンタッキー州で大学講師として日本語教育に携わり[12][注 10]、夫ほか4人による共著[13]により『Beginning Japanese』(ビギング ジャパニーズ)[注 11]という日本語の教科書を上梓した[4]
2018年8月4日(米国時間) 肺がんのため死去。58歳没[2]

著書

[編集]
  • 『Beginning Japanese Workbook: Your Pathway to Dynamic Language Acquisition』(2010年、Tuttle Publishing) ISBN 978-0804840576 「Nobuko Patton」名義。Michael L. Kluemper、Lisa Berkson、Nathan Pattonとの共著。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 参考:
    • 生年月日…[1]
    • 没年月日…[2]
  2. ^ 次の資料より、「IBC・TBSの元アナウンサー」という記載あり[3]
  3. ^ 参考:
    • 「Nobuko Toda Patton」…[2]
    • 「パットン信子」…[3]
  4. ^ 参考:
    • 出身大学名…[6]
      • 学部学科名含む…[1]
    • 出身アナウンススクール名…[6]
  5. ^ 参考(担当番組名):
    • 「IBCトップ40」表記…[4]
    • 「ポップチャンネル」表記…[4]
    • 「ワイド145」[1]
    • 「ジャスト・ジャス・タイム」[1]
    • 「爆発ラジオ新鮮組」[1]
  6. ^ 参考:
    • 雑誌記事…2019年[7]
  7. ^ 法人としては後の東京放送ホールディングス、放送事業は後のTBSテレビTBSラジオに継承。
  8. ^ TBSでニュースキャスターを務めたことは、次の資料を参照[4]。うち、テレビの『ニュースデスク』でキャスターを務めたことは、次の資料を参照[8]
  9. ^ 次の資料より、2000年にアメリカ合衆国へ渡ったことが記載[3]
  10. ^ IBCアナウンサーののち、ケンタッキー州の大学で日本語教師として活動していることは、2010年8月10日にIBCラジオで放送された『ワイドステーション』ゲスト出演時にも紹介[4]。次の資料では、ケンタッキー大学にて日本語の指導を行っているという旨の記載あり[3]
  11. ^ 参考:
    • 「ビギング ジャパニーズ」表記…[13]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、207頁。
  2. ^ a b c Nobuko Toda Patton News-Graphic.com Aug 11, 2018
  3. ^ a b c d 8月22日放送のゲストは! - カシオペアFM番組『カシオペアフレンズ』公式ブログ2009年8月21日付 - 同22日放送予定の番組で、ゲスト出演の戸田について記述あり。
  4. ^ a b c d e f やっぱり!宇宙人!! - IBC岩手放送公式サイト内アナウンサーブログ(文:照井健)2010年8月10日(インターネットアーカイブ同9月16日付保存キャッシュ)
  5. ^ 開館10周年”. 一戸町立図書館☆あねっくす(運営:特定非営利活動法人 いちのへ文化・芸術NPO) (2012年7月11日). 2019年7月28日閲覧。
  6. ^ a b 放送局アナウンサー合格者紹介”. CHK名古屋アナウンススクール(運営:株式会社オフィスシーエッチケー). 2019年7月28日閲覧。
  7. ^ 『ラジオライフ』2019年9月号(同年7月25日発売。発行元:三才ブックス)に掲載された、菊池幸見へのインタビュー記事。
  8. ^ TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』内テレビ番組データベースより、「年代別リスト」→「1988年」→『JNNニュースデスク』番組情報(タイトル表記は、原資料よりコピペ・引用)を参照。小川邦雄、椎野茂とともに出演者として明記。
  9. ^ 【なつかし番組】おばんDEナイト. IBC岩手放送 6BOX(IBC公式YouTubeチャンネル). 25 December 2012. 2019年7月28日閲覧1996年4月〜1997年3月放送。出演アナウンサーは、戸田信子、江幡平三郎(動画解説文から一部引用)。
  10. ^ 幸見の夕刊テレビ form internet”. IBC岩手放送. 1998年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月28日閲覧。
  11. ^ IBC...トップ40”. IBC岩手放送. 1998年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月28日閲覧。
  12. ^ 外国人向け日本語学習テキスト出版 元IBC戸田さん 岩手日報Web News 2010年8月25日付・同8月27日閲覧 アーカイブ 2016年3月4日 - ウェイバックマシン いずれも、[リンク切れ]
  13. ^ a b 8月21日放送のゲストは! - カシオペアFM番組『カシオペアフレンズ』公式ブログ2009年8月16日付 - 同21日放送予定の番組で、ゲスト出演の戸田について記述あり。

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]
先代
三雲孝江
※『プライムタイム
平日最終のJNNニュース
女性キャスター
(1988年 - 1989年)
JNNニュースデスク'88・'89
次代
浜尾朱美
※『筑紫哲也 NEWS23
「ステーションEYE」歴代のキャスター一覧
期間 平日 週末
メイン スポーツ お天気 メイン お天気
月 - 木
1991.4.1 1992.3.27 内田忠男
松井康真
山上万恵美1
松井康真 田中滋実1 放送なし
1992.3.30 1993.4.2 内田忠男
戸田信子
1993.4.3 1993.9.30 渡辺宜嗣2
蓮舫
田畑祐一 桜庭章彦 村田好夫3
清文枝4
黒川敦子4
1993.10.1 1994.10.2 田畑祐一 大熊英司
1994.10.3 1995.3.31 中山貴雄
1995.4.1 1995.10.1 田原浩史 蟹瀬誠一
岡田洋子
1995.10.2 1996.3.31 蟹瀬誠一
岡田洋子5
中山貴雄 田崎滋子 松苗慎一郎
川瀬眞由美6
増田ひろみ4
1996.4.1 1996.9.29 大下容子
1996.9.30 1997.3.30 蟹瀬誠一
大下容子
坪井直樹7
1997.4.5 1997.9.28 放送終了 蟹瀬誠一7
川瀬眞由美7