武藤和子
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むとう かずこ 武藤 和子 | |
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プロフィール | |
本名 | 濱口 和子 |
生年月日 | 1930年 |
没年月日 | 2010年12月3日 (80歳没) |
最終学歴 | 青山学院大学卒業 |
職歴 | ラジオ東京(現TBS)アナウンサー(1951年 - 1960年) |
活動期間 | 1951年 - 1960年 |
ジャンル | 娯楽 |
配偶者 | 濱口浩三 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
『歌のない歌謡曲』 『連続小説』 『郵便手帳』 |
武藤 和子(むとう かずこ、1930年[1] ‐ 2010年12月3日)は、日本のアナウンサーである。キリスト教信者であり[2]、洗礼名は「ルチア」[1]。
日本の民放局女性アナウンサーの草分けの一人であり、後年、濱口浩三(TBS社長、マスコミ・ソフィア会会長)と結婚し「濱口 和子」(はまぐち かずこ)となった[1]。
経歴
[編集]青山学院大学卒業後[1]、1951年(昭和26年)10月に、同年12月25日の開局を控えていたラジオ東京(現TBS)[注釈 1]へアナウンサー第1期生として入社[3][4][1]。音楽番組『歌のない歌謡曲』初代担当[5][6]や、婦人向けニュース番組[1]などを担当。
1960年(昭和35年)7月に退社[5][6]。退職から1年間は嘱託アナウンサーの後、完全にフリーに[7]。
2010年(平成22年)12月3日、死去[1]。80歳没[1]。墓所は聖イグナチオ教会クリプタ聖堂地下A111-4[8]。
出演番組
[編集]※いずれも、ラジオ番組。
- 歌のない歌謡曲(1952年。初代担当)[5][6]
- ちえのわクラブ[1](1952年[5])
- 連続小説(1953年)[5][6]
- 映画ストーリー(1953年10月6日 - 1953年12月22日)[9]
- 郵便手帳(1954年)[5][6]
- 八元放送「風薫る五月」(1954年5月9日の23:10 - 23:55に放送された特別番組。同局アナの坂本荘とともに担当)[9]
- 婦人新聞[6]
- 舞台中継[6]
- 歌謡漫談[6]
- 映画音楽(1957年)[6]
- 歌う週刊誌(1957年)[6]
- ラジオ・ステーション・ブレイク(1960年3月)朝7時台フィックス土曜日[10]
注釈
[編集]- ^ 1955年4月にラジオテレビ兼営局となる。1960年11月29日に東京放送へ社名変更。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(東京放送ホールディングス(TBSHD)へ社名変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i “濱口会長令夫人、ルチア濱口和子様ご逝去 マスコミ・ソフィア会オフィシャルブログ” (2010年12月8日). 2014年1月11日閲覧。
- ^ “長女からの会員のみなさまへのメッセージ” (PDF) (2014年7月6日). 2015年7月17日閲覧。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。「1951.10<1期生> 15人入社(男9・女6) 芥川隆行 池谷三郎 稲川英雄 市原信義 沢 弘三 財前和夫 高野啓二 永井資久 若林 漸 大野方子 高杉恵津子 玉井和子 楢木昭子 本田節子 武藤和子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、2-3頁。「51.10<1期生>15人入社(男9・女6) 芥川 隆行 池谷 三郎 稲川 英雄 市原 信義 沢 弘三 財前 和夫 高野 啓二 永井 資久 若林 漸 大野 方子 高杉恵津子 玉井 和子 楢木 昭子 本田 節子 武藤 和子」
- ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。「武藤和子[1960.7退社] R「歌のない歌謡曲(1952)<初代>」「ちえのわクラブ(1952)」「連続小説(1953)」「郵便手帳(1954)」」
- ^ a b c d e f g h i j 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、2-3頁。「武藤 和子…[60.7 退社] R「歌のない歌謡曲(52)<初代アナ>」「連続小説(53)」「郵便手帳(54)」「婦人新聞」「舞台中継」「歌謡漫談」「映画音楽(57)」「歌う週刊誌(57)」」
- ^ 東京放送社史編集室 編「7 放送活動 ● アナウンサー 3 アナウンス部の移り変わり」『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月、374頁。全国書誌番号:65011407。「三十四年一月、社員から嘱託アナウンサー(一年ごとに契約更新、担当番組ごとに出演料を支払う)に転じる制度が設けられ、まず第二期生の中島道アナが退社して嘱託に転じた。続いて四月には鈴木千秋、翌三十五年に芥川隆行、武藤和子らがつぎつぎと嘱託に転じていった。そのあと一年を経て中島、芥川、武藤らは相ついで嘱託から完全にフリーのタレント・アナウンサーとなった。」
- ^ “故 濱口浩三さん「納骨式」”. Cumsophia Online (2014年6月23日). 2017年6月3日閲覧。
- ^ a b 東京放送 編「ラジオ番組データベース 「出演者別リスト」→「む」→「武藤和子」」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM)東京放送、2002年1月。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、13頁。「1960年3月 *朝7時台のラジオ・ステーション・ブレイクに女性アナをフィックスする。 (月…清水、火…楢木、水…高杉、木…大沢、金…綱、土…武藤、日…高橋)」
参考文献
[編集]- 東京放送社史編集室 編『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月。全国書誌番号:65011407。
- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館サーチの書誌情報
- DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- 『TBSアナウンサーの動き』(収録されたPDFファイル。ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
- ラジオ番組データベース
- DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- マスコミ・ソフィア会オフィシャルブログ