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[[ファイル:Hua Yan - Birds and Flowers - Google Art Project.jpg|サムネイル|《鳥獸圖》1747年[[揚州八怪]]の一人、{{仮リンク|華嵒|zh|華嵒|}}(かがん)筆|240x240ピクセル]] |
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== できごと == |
== できごと == |
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[[ファイル:South west prospet of mount Vesuvius - September 1747 issue of The Gentleman's Magazine.jpg|サムネイル|1747年9月号の『{{仮リンク|ジェントルマンズ・マガジン|en|The Gentleman's Magazine}}』誌に掲載された、南西から臨む[[ヴェスヴィオ山]]。この雑誌は、[[1731年]]に創刊された、世界で初めて"magazine"の語を用いた[[逐次刊行物]]であった。]] |
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* [[6月9日]](延享4年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]])- [[桜町天皇]]の譲位により[[桃園天皇]]が即位 |
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[[ファイル:Chocolate Pot And Lid (Germany), 1780–1800 (CH 18350635).jpg|サムネイル|フュルステンベルグ窯の蓋付きショコラティエール(チョコレート・ポット)。1780年から1800年頃生産。[[クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館]]蔵。]] |
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* [[6月26日]]-[[8月4日]] - イギリスで[[1747年イギリス総選挙|総選挙]]。[[ヘンリー・ペラム|ペラム]]内閣の与党ペラム派[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の勝利。 |
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*[[グレートブリテン王国|イギリス]] - 科学者、[[ウィリアム・ワトソン (物理学者)|ウィリアム・ワトソン]]がライデン瓶を使って電気回路を示す{{Sfn|DK|2013|p=253}}。 |
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*[[清]] - [[米価]]高騰が問題化{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。 |
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*[[13植民地]] - [[ニューヨーク|ニューヨーク市]]の法律家たちにより、アメリカ最初の合法的団体であるニューヨーク法曹協会({{Lang-en-short|The New York Bar Association}})が組織される。ニューヨーク総督代理、{{仮リンク|キャドワラダー・コールデン|en|Cadwollader Colden}}からの攻撃からの自衛を目的とした{{Sfn|中村|2010|p=286}}。 |
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*[[デンマーク=ノルウェー|デンマーク]] - [[ソーレ (シェラン地域)|ソーレ]]に貴族子弟向きのアカデミー、{{仮リンク|ソーレ・アカデミー|en|Sorø Academy}}が設立される{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=197}}。 |
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* [[フランス王国|フランス]] - アントワーヌ=クロード・マイユが、[[パリ]]の{{仮リンク|サンタンドレ・デ・ザール通り|fr|Rue Saint-André-des-Arts}}で「[[マイユ]]」を開業<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.maille.jp/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%81%A8%E3%81%AF/270%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/ |title=maille.jp : マイユ 270年の歴史 |access-date=2022-04-24 |publisher=[[マイユ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20220424132346/http://www.maille.jp/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%81%A8%E3%81%AF/270%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/ |archive-date=2022-04-24}}</ref>。[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の御用達となる。 |
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* [[プロイセン王国|プロイセン]] - [[ベルリン]]に最初の[[実科学校|レアールシューレ]](実科学校)開校{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=197}}。 |
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* [[ベトナム]] - [[広南国]]の王、[[阮福濶]]が、[[カンボジア]]で新たに即位した{{仮リンク|アントン (カンボジア国王)|en|Ang Tong|label=アントン}}に対する反乱を支援するため、同地に軍隊を派遣。阮氏の軍隊は[[ソクチャン]]を占領し、カンボジアの首都である[[ウドン (カンボジア)|ウドン城]]まで進撃した。 |
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*[[西アジア]] - [[マムルーク|マムルーク勢力]]が[[バグダード]]の支配を掌握{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=197}}。 |
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*[[西アフリカ]] - 東部(現在の[[ベナン]])から南部の[[ナイジェリア]]を占領していた[[ヨルバ人]]が、[[ダホメ王国]]を侵略。ダホメ王国は[[オヨ王国]]への貢納が義務付けられる(-1818年){{Sfn|DK|2013|p=253}}。 |
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*日本 - [[丹羽正伯]]が『[[庶物類纂|庶物類纂増補]]』(54巻)を完成したことにより、『庶物類纂』が現在の形となる{{Sfn|山本|2007|p=122}}。[[1697年]]から段階的に編纂が進められていた。 |
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=== 1月-3月 === |
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* [[1月11日]] –ドイツ7大名窯のひとつ、{{仮リンク|フュルステンベルグ窯|en|Fürstenberg China}}(現在の[[ニーダーザクセン州]][[フュルステンベルク (ヴェーザー)|フュルステンベルク]])が開業。 |
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* [[1月31日]] – 性病専門の病院([[駆黴院]])としては世界初の{{仮リンク|ロンドン駆黴院|en|London Lock Hospital|label=}}が開業(-[[1952年]])。 |
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* [[2月11日]] – [[ジョージ王戦争]] - [[グランプレの戦い]]。{{仮リンク|ニコラ・アントワーヌ・クロン・デ・ヴィラーズ2世|en|Nicolas Antoine II Coulon de Villiers|label=}}率いる[[ヌーベルフランス]]の軍隊と[[ミクマク|ミクマク族]]の民兵が、[[ノバスコシア州]]、[[グラン=プレ]]でイギリス軍を破る。 |
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* [[2月]] - {{仮リンク|大小金川の戦い|en|Jinchuan campaigns}}([[十全武功]]):[[四川省|四川]]の[[チベット民族|チベット系]]{{仮リンク|ギャロン人|zh|嘉絨人}}[[土司]]間の内紛起こる{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。[[乾隆帝]]、[[雲貴総督]]の{{仮リンク|張廣泗|zh|張廣泗}}に鎮圧を命じる<ref>{{Cite book|和書 |author=高田時雄 |authorlink=高田時雄 |title=乾隆得勝圖平定金川戰圖 |date=2012年 |series=臨川書店 |isbn=4653040729 |url=http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~takata/TAKATA_Jinchuan.pdf |accessdate=2021-02-14}}</ref>(-[[1749年]])。 |
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* [[3月3日]] - [[ガンデンポタン]]の財務大臣{{仮リンク|ポラネー|en|Polhané Sönam Topgyé}}没する。その子、{{仮リンク|ギュルメー・ナムギュル|en|Gyurme Namgyal}}は清に対し独立政策をとる{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。 |
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* [[3月7日]] – [[スペイン領フィリピンの総督|スペイン領フィリピン総督]]代理の[[司教]]フアン・デ・アルチェデラが、スペイン軍と[[スールー王国|スールー・スルタン]]の{{仮リンク|アジム・ウッディーン1世(スールー王国)|en|Azim ud-Din I|label=アジム・ウッディーン1世}}(Azim ud-Din I)の軍勢を統合させる。 [[ビサヤ諸島]]で発生していた[[モロ|モロ人]]の反乱を鎮圧が目的であった<ref>"The Baptism of Sultan Azim ud-Din of Sulu", by Ebrhard Crailsheim, in ''Image - Object - Performance: Mediality and Communication in Cultural Contact Zones of Colonial Latin America and the Philippines'' (Waxmann Verlag, 2013) p101</ref>。 |
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* [[3月19日]] – [[スコットランド]]の貴族、[[サイモン・フレイザー (第11代ラヴァト卿)|ラヴァト卿サイモン・フレイザー]]が、[[チャールズ・エドワード・ステュアート]]を王位につけんがためにイギリス王[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]に対して起こした、[[1745年ジャコバイト蜂起]]の首謀者の一人であった廉で[[反逆罪]]に問われ、有罪・死刑判決を受ける<ref>"Simon Fraser, Lord Lovat", by J.W. Allen, in ''Lives of Twelve Bad Men: Original Studies of Eminent Scoundrels by Various Hands'' (T. Fisher Unwin, 1894) p196</ref>。[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]で行われた7日間の弾劾裁判と有罪判決の後、フレイザーは最終判決の同日に[[首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑]]に処されることに決まる。しかしながら、この判決はジョージ2世によって[[斬首刑]]に変更された。 |
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=== 4月-6月 === |
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* [[4月9日|4月9日 –]] ラヴァト卿ジョン・フレイザーが斬首によって[[公開処刑]]される。執行人は[[ジョン・スリフト]]。これはイギリス史上最後の斬首刑となった。 |
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*[[4月20日]](延享4年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]])–[[遠江]]で、[[東海道]]の盗賊[[日本左衛門]]([[歌舞伎]]『[[白浪五人男]]』の日本駄右衛門のモデル)が[[見附]]で[[獄門]]に処される。 |
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*[[ファイル:Ricercare a 6 from The Musical Offering.jpg|サムネイル|『音楽の捧げもの』六声のリチェルカーレ譜面。[[ドイツ]]、[[ベルリン州立図書館]]蔵。]][[5月7日]] – [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]が、[[ポツダム]]で[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]と謁見、御前で即興演奏を行う。同年7月には楽譜に書き起こしてフリードリヒ2世に献呈し、さらに9月末には新しく作曲した[[カノン (音楽)|カノン]]と[[リチェルカーレ]]、フルートの参加する[[トリオ・ソナタ]]を加えたものを『[[音楽の捧げもの]]』として出版する。 |
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*[[5月14日]] – オーストリア継承戦争 – [[第一次フィニステレ岬の海戦]]。提督[[ジョージ・アンソン (初代アンソン男爵)|ジョージ・アンソン]]率いるイギリスの艦隊がフランスの艦隊を破る。 |
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*[[5月20日]] - イギリスの海軍外科医、[[ジェームズ・リンド]]が、[[壊血病]]の原因を突き止めるために実験を開始する。 |
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* [[5月24日]](延享4年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]])– [[江戸城]]二の丸が焼失する。 |
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* [[6月9日]](延享4年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) – [[桜町天皇]]の譲位により[[桃園天皇]]が受禅[[践祚]]。改元は翌年に行われた。 |
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*[[6月24日]]-[[10月14日]] – ウィリアム・ムーア船長とフランシス・スミス船長の指揮のもと、イギリスのガレー船ドッブス号とカルフォルニア号が[[ハドソン湾]]を探検航海し、この湾経由の[[北西航路]]は存在しないこと発見する。この探検についての報告は、のちに[[ジョージア植民地]]の[[ジョージア植民地総督|総督]]となるヘンリー・エリスによって出版された。 |
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* [[6月26日]]-[[8月4日]] – イギリスで[[1747年イギリス総選挙|総選挙]]。[[ヘンリー・ペラム|ペラム]]内閣の与党ペラム派[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の勝利。 |
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*[[4月]] - |
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**[[ウィレム4世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム4世]]が、オランダ各州の総督職を全てひとつに併合した[[オランダ総督]]に就く。 |
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**[[カーナティック戦争]] - ナンジャ・ラージャ([[クリシュナ・ラージャ2世]]の兄弟)率いる[[マイソール王国]]の軍隊が[[デーヴァナハッリ城]]を攻略する。この戦役に従軍した[[ハイダル・アリー]]が軍功を認められ、軍人として名を挙げることとなった{{Sfn|太田|2022|p=383}}。 |
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=== 7月-9月 === |
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* [[7月2日]] – オーストリア継承戦争 – [[ラウフフェルトの戦い]]。[[モーリス・ド・サックス]]元帥率いるフランス軍が[[ハノーファー王国|ハノーファー]]・[[グレートブリテン王国|グレートブリテン]]・[[ネーデルラント連邦共和国|ネーデルラント]]の同盟軍相手に決定的な勝利を収める。これによって、フランス・オーストリア戦争の趨勢がほぼ決した。 |
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*[[7月19日]] – [[ナーディル・シャー]]暗殺。以後[[アフシャール朝]]は崩壊しながら衰退し、[[1796年]]に[[ガージャール朝]]によってとどめを刺されることとなる。 |
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*7月 - [[八旗]][[漢軍八旗|漢軍人]]に外省居住が許される{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。 |
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* [[8月15日]] – イギリス、ロシア、ネーデルラントの三国が、フランスとプロイセンへの対抗を目的とした{{仮リンク|サンクトペテルブルク協定(1747年)|en|Convention of Saint Petersburg (1747)}}に合意。 |
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* [[8月24日]] – [[キプロス島|キプロス]]の[[太守]]であった{{仮リンク|サイイド・アブドゥラ・パシャ|en|Seyyid Abdullah Pasha}}が[[オスマン帝国]]の[[大宰相]]に就任し、[[1750年]]まで勤める。 |
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* [[9月13日]] – オーストリア継承戦争 - [[ベルヘン・オプ・ゾーム攻囲戦 (1747年)|ベルヘン・オプ・ゾーム攻囲戦]]。70日間の攻防の末、[[ネーデルラント連邦共和国|ネーデルラント]]の街、[[ベルヘン・オプ・ゾーム]]がフランス軍によって陥落させられる<ref>Henry L. Fulton, ''Dr. John Moore, 1729–1802: A Life in Medicine, Travel, and Revolution'' (Rowman & Littlefield, 2014) p76</ref>。 |
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* [[9月21日]] – [[カリブ海]]で発生した[[ハリケーン]]が、主に[[セント・キッツ島]]に停泊していた軍監を中心に11隻沈没させる。 |
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*[[9月19日]](延享4年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) – 「細川宗孝殺害事件」。江戸城殿中で、[[旗本]][[板倉勝該]]が[[熊本藩|熊本藩主]]の[[細川宗孝]]を刺殺{{Sfn|山本|2007|p=122}}。 |
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*9月 – |
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**ヨハン・セバスティアン・バッハが『[[音楽の捧げもの]]』を出版。 |
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**[[ベンジャミン・フランクリン]]が[[英国王立協会|英国王立研究所]][[フェロー]]の[[ピーター・コリンソン (植物学者)|ピーター・コリンソン]]宛に、[[静電気]]を蓄える装置、[[ライデン瓶]]についての実験報告を送る。翌1748年ふたたび送った手紙のなかでフランクリンは、電気の概念([[蓄電|充電]]、[[放電]])について触れていた。これらの用語および概念を史上初めて用いたのはフランクリンであった{{Sfn|矢田|2020|pp=9-10}}。 |
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=== 10月-12月 === |
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* [[ファイル:Coronation_of_Ahmad_Shah_Durrani_in_1747_by_Breshna.jpg|サムネイル|10月:[[アフマド・シャー・ドゥッラーニー]]が[[ドゥッラーニー帝国|アフガン帝国]]の[[シャー]]に即位。]][[10月1日]] - [[ヒジュラ暦]]1160年{{仮リンク|シャウワール|en|Shawwal}} (第10月)7日、[[カンダハール]]の[[パシュトゥーン人|パシュトゥーン]]族長たちが大会議([[ロヤ・ジルガ]])を開き、アフガニスタンの指導者に[[ドゥッラーニー部族連合]]のアフマド・シャー・ドゥッラニーを選出する。これをもって[[ドゥッラーニー帝国|ドゥッラニー帝国]]が建国された(-1842年){{Sfn|歴史学研究会|2017|p=197}}。 |
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* [[10月21日]] - ジョージ2世が、[[カンタベリー大主教]]{{仮リンク|ジョン・ポター (司教)|en|John Potter (bishop)|label=ジョン・ポター}}の死を受けて、その3日目のこの日に、[[ヨーク大主教]]であった{{仮リンク|トーマス・ヘリング|en|Thomas Herring}}を後任に異動させる。[[ファイル:Bando Matsugoro I as the fox Tadanobu (5759526792).jpg|サムネイル|『義経千本桜』。[[坂東三津五郎 (初代)|初代坂東三津五郎]]演じる[[佐藤忠信|源九郎狐]]。[[勝川春常]]画。サンディエゴ美術館蔵。]] |
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* [[10月24日]] - カリブ海のハリケーンが、イギリスとフランスの間で領有権が争われていた[[セント・キッツ島]]を襲う。イギリスの貨物船12隻とフランスの貨物船1隻が沈没<ref>[https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.32044105232839&view=1up&seq=214&size=125 ''Lloyd's List'' No. 1259], December 18, 1747</ref>。 |
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* [[10月25日]] - オーストリア継承戦争 - [[第二次フィニステレ岬の海戦]]。イギリス海軍がまたもフランス艦隊を破る。 |
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* [[11月9日]] - [[アムステルダム]]で政治改革を求める暴動が勃発<ref>{{cite journal|last=Van den Heuvel|first=Danielle|date=Spring 2012|title=The Multiple Identities of Early Modern Dutch Fishwives|journal=[[Signs (journal)|Signs]]|volume=37|issue=3|pages=587–594|publisher=University of Chicago Press|language=en|doi=10.1086/662705|jstor=10.1086/662705|quote=... in 1747 fishwives organized a large political demonstration in Amsterdam, and in 1748 the Amsterdam fish hawker Marretje Arents was one of the principal initiators of a tax riot in the city.}}</ref>。 |
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* [[11月11日]] - ドイツ7大名窯のひとつ、{{仮リンク|ニンフェンブルク磁器製造所|en|Nymphenburg Porcelain Manufactory}}(現在の[[バイエルン州]][[ミュンヘン]])が、[[ニンフェンブルク宮殿]]内で開業。 |
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* [[11月17日]]から19日 – [[マサチューセッツ湾植民地]]、[[ボストン]]で{{仮リンク|ノウルズ暴動|en|Knowles Riot}} が3日間に渡って発生。[[イギリス海軍]]による[[強制徴募]]に抗議するものであった。 |
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* [[12月7日]] - [[ベンジャミン・フランクリン]]が[[ペンシルベニア植民地]]初の民兵組織であるペンシルバニア{{仮リンク|アソシエイターズ (民兵)|en|Associators|label=アソシエイターズ}}を組織する。同植民地は平和主義であった[[クエーカー|クエーカー教徒]]によって整備されたため、既存の民兵組織が無かった<ref>T"Associators", by Paul G. Pierpaoli, Jr., in ''American Revolution: The Definitive Encyclopedia and Document Collection'' (ABC-CLIO, 2018) p85</ref>。 |
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* [[12月13日]] - [[メリーランド植民地]]船籍の貨物船であった[[スループ船]]エンデヴァー号の漂流。[[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス]]を出港して[[西インド諸島]]に向かって航海を行っている最中に、ハリケーンに巻き込まれる。マストと索具が失われたままエンデヴァー号は6ヶ月ものあいだ漂流したのち、[[スコットランド]]、[[タイリー島]]に漂着した<ref>Rosemary F. Williams, ''Maritime Annapolis: A History of Watermen, Sails & Midshipmen'' (Arcadia Publishing, 2009)</ref>。 |
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* [[12月17日]](延享4年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) – [[大坂]]、[[竹本座]]で[[竹田出雲]]ら作『[[義経千本桜]]』が初演され成功する。 |
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* [[12月27日]] - イギリス議会が1740年帰化法を修正し、非[[英国国教会]]系[[プロテスタント]]教派にも適応範囲を拡げた<ref>George W. Forell, ed., ''Nine Public Lectures on Important Subjects in Religion'' by Nicholaus Ludwig Count von Zinzendorf (Wipf and Stock Publishers, 1998) p xxix</ref>。 |
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* 12月 - [[乾隆帝]]、各省の[[督撫]]に米貴問題(米価高騰問題)の解決策について諮問する{{Sfn|則松|1989|p=226}}。{{Clear}} |
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== 誕生 == |
== 誕生 == |
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{{see also|Category:1747年生}} |
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* [[1月4日]] - {{仮リンク|ヴィヴィアン・デノン|en|Vivant Denon}} - [[フランス]]の画家、[[外交官]](+[[1825年]]) |
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* [[5月5日]] - [[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1792年]]) |
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* [[1月10日]] - [[アブラアム=ルイ・ブレゲ]] - [[スイス]]の時計職人、[[発明家]](+[[1823年]]) |
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*[[1月19日]] - [[ヨハン・ボーデ]] - [[ドイツ]]の[[天文学者]](+[[1826年]])[[ファイル:Johann_Elert_Bode_reversed.jpg|サムネイル|ヨハン・ボーデ]] |
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*[[1月22日]] - [[ティモシー・デクスター]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[実業家]]、[[奇人]](+[[1806年]]) |
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*[[2月10日]] - [[アンドレ・トワン]] - フランスの[[植物学者]]、[[農学者]](+[[1824年]]) |
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*[[2月16日]] - [[ハインリヒ13世 (ロイス=グライツ侯)|ハインリヒ13世]] - [[ロイス=グライツ侯国]]の統治者、軍人(+[[1817年]]) |
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* [[3月20日]]([[延享]]4年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]) - [[会田安明]] - [[幕臣]]、[[和算家]](+1817年) |
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*[[3月25日]] - [[アレクサンドル・ベズボロドコ]] - [[ロシア帝国]]の{{仮リンク|ロシア帝国宰相|en|Chancellor (Russia)|label=宰相}}(+[[1799年]]) |
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*[[3月29日]] - [[ヨハン・ヴィルヘルム・ヘスラー]] - ドイツの作曲家、演奏家 |
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*[[3月31日]] - [[ヨハン・アブラハム・ペーター・シュルツ]] - ドイツの作曲家(+1824年) |
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*[[4月13日]] - [[ガニング・ベッドフォード・ジュニア]] - アメリカの軍人、政治家(+[[1812年]]) |
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*[[4月14日]]([[洗礼]]) - [[ユーヴドール・プライス]] - イギリスの貴族、[[造園家]](+[[1829年]]) |
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*[[5月4日]] - [[フィリップ=ジャン・ペルタン]] - フランスの[[外科医]](+1829年) |
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* [[5月5日]] - [[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]] - [[神聖ローマ皇帝]](+[[1792年]])[[ファイル:Heinrich_Friedrich_Füger_007.png|サムネイル|晩年の神聖ローマ皇帝[[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]] [[ハインリヒ・フリードリヒ・フューガー|ハインリヒ・フリードリヒ・フューガ]]ー筆]] |
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*[[5月10日]] - [[ヨロ・モルガヌグ]] - [[ウェールズ]]の[[収集家]]、作家、文学[[贋作|贋作者]](+1826年) |
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*[[6月12日]](延享4年) - [[源琦]] - [[円山派]]の[[絵師]](+[[1797年]]) |
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* [[6月15日]](延享4年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[高山彦九郎]] - [[尊皇]]思想家(+[[1793年]]) |
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*[[6月26日]] - [[レオポルト・アントニーン・コジェルフ]] - [[ボヘミア]]の作曲家(+[[1818年]]) |
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*[[7月6日]] - [[ジョン・ポール・ジョーンズ (軍人)|ジョン・ポール・ジョーンズ]] - [[大陸海軍]]および[[ロシア帝国海軍]]の[[提督]](+1792年) |
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*[[7月10日]] - [[ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク]] - [[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン侯]]妃(+[[1820年]]) |
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*[[7月15日]] - [[テレーザ・マルゲリータ・レディ]] - [[トスカーナ大公国|トスカーナ]]の[[修道女]]、[[聖人]] |
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*[[7月25日]] - [[ロジェ・デュコ]] - [[フランス革命|フランス革命期]]・[[フランス第一帝政|第一帝政期]]の政治家(+[[1816年]]) |
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*[[9月11日]] - [[フリードリヒ・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム]] - [[オランダ共和国|オランダ]]の軍人、[[ヘッセン=ルンペンハイム家]]の始祖(+1837年) |
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*[[9月29日]] - [[ユゼフ・ヴィビツキ]] - [[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド]]の貴族、軍人、文筆家人(+[[1822年]]) |
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*[[9月30日]] - [[フリードリヒ・ユスティン・ベルトゥッヒ]] - ドイツの[[出版|出版者]]、[[パトロン]](+1822年) |
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*[[10月6日]] - [[ジャン=フランソワ・ルーベル]] - フランス革命期の政治家(+[[1807年]]) |
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*[[10月7日]] - [[アントワーヌ・ニコラ・デュシェーヌ]] - フランスの植物学者、園芸家(+[[1827年]]) |
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*10月20日 - [[フランソワ・ド・バルテルミー]] - フランス革命期の政治家、[[外交官]](+[[1830年]]) |
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* [[イワン・ハンドシキン]] - ロシアのヴァイオリン奏者、作曲家(+[[1804年]]) |
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*[[ヴィンセンツォ・ブレンナ]] - ロシアで活躍した建築家(+1820年) |
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*[[グリゴリー・シェリホフ]] - ロシアの[[商人]]、[[探検家]](+[[1795年]]) |
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*[[司馬江漢]] - 絵師、[[蘭学者]](+1818年) |
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== 死去 == |
== 死去 == |
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[[ファイル:LucdeClapiers-marquisdeVauvenarges.jpg|サムネイル|[[リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ|リュック・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ]]]] |
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{{see also|Category:1747年没}} |
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<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> |
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* [[ |
* [[1月2日]] - [[ジャン=フェリ・ルベル]] - フランスの作曲家 (*1666年) |
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* 3月3日 - {{仮リンク|ポラネー|en|Polhané Sönam Topgyé}}- チベットの政治家(*1689年) |
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* [[10月4日]] - [[アマロ・ロドリゲス・フェリペ]]、[[スペイン]]の[[海賊]](* [[1678年]]) |
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* [[3月19日]] - [[カタジナ・オパリンスカ]] - ポーランド王[[スタニスワフ・レシチニスキ]]の妃(*1682年) |
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* [[3月23日]] - [[クロード・アレクサンドル・ド・ボンヌヴァル]] - フランスの貴族、オスマン帝国の軍人(*1675年) |
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*[[4月9日]] - [[サイモン・フレイザー (第11代ラヴァト卿)]] - [[スコットランド]]の貴族、[[ジャコバイト]](*[[1667年]]頃) |
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*[[5月28日]] - [[リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ]] - フランスの貴族、著作家、[[モラリスト]](*1715年) |
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*[[5月31日]] - [[アンドレイ・オステルマン]] - ロシア帝国の[[外務大臣|外相]]、政治家(*1686年) |
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* [[7月9日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ]] - [[イタリア]]の[[作曲家]](* [[1670年]]) |
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* [[7月11日]](延享4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - 初代[[竹田出雲]]、[[日本]]の[[浄瑠璃]]作者、[[文人]](* 不詳) |
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*[[7月19日]] - [[ナーディル・シャー]] - [[アフシャール朝]]初代皇帝(* [[1688年]]) |
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* [[10月4日]] - [[アマロ・ロドリゲス・フェリペ]] - [[スペイン]]の[[海賊]](* [[1678年]])[[ファイル:Amaro_Pargo.jpg|サムネイル|”アマロ・パルゴ”こと、[[アマロ・ロドリゲス・フェリペ]]]] |
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* [[11月8日]](延享4年[[10月6日]]) - [[寺坂信行|寺坂吉右衛門]]、[[赤穂四十七士]]の一人(*[[1655年]]) |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}}'''注釈'''{{Reflist|group="注"}}'''出典'''{{Reflist}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書 |title=アジア人物史 第8巻 アジアのかたちの完成 |date=2022-12-01 |publisher=集英社 |page=288 |isbn=978-4081571086 |ref={{SfnRef|太田|2022}} |editor=姜 尚中 |editor-link=姜尚中 |chapter=第6章 比類なき盛世の果てに――清朝全盛期 |author=太田信宏 |author-link=太田信宏}} |
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<!-- == 脚注 == |
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* {{Cite book|和書 |title=ビジュアル版 人類の歴史大年表 |date=2013-11-11 |publisher=[[柊風舎]] |isbn=9784864980074 |author=ドーリング・キンダースリー |author-link=DK (出版社) |editor-link=樺山紘一 |translator=[[藤井留美]] |editor=樺山紘一 |ref={{SfnRef|DK|2013}}}} |
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'''注釈''' |
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* {{Cite book|和書 |title=アメリカ史「読む」年表事典1 |date=2010-10-22 |year=2010 |publisher=原書房 |isbn=978-4562046423 |author=中村甚五郎 |ref={{SfnRef|中村|2010}}}} |
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{{Reflist|group="注"}} |
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* {{Cite book|和書|title=電気技術発展の秘話 ―技術を陰で支えた人々―|date=2020-03-19|year=2020|publisher=[[オーム社]]|author=矢田恒二|ref={{SfnRef|矢田|2020}}|url=https://books.google.co.jp/books?id=S9DWDwAAQBAJ&lpg=PA9&ots=V6Rqg1GUnj&dq=1747%E5%B9%B4%20%E9%9B%BB%E6%B0%97&hl=ja&pg=PA9#v=onepage&q=1747%E5%B9%B4%20%E9%9B%BB%E6%B0%97&f=false|accessdate=2021-12-18|isbn=978-4274225246}} |
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'''出典''' |
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*{{Cite book|title=見る、読む、調べる 江戸時代年表|publisher=[[小学館]]|date=2007-10-10|editor=[[山本博文]]|isbn=978-4-09-626606-9}} |
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*{{Cite journal|author=則松 彰文|date=1989-01-25|title=清代中期の経済政策に関する一試論 : 乾隆13年(1748)の米貴問題を中心に|url=https://doi.org/10.15017/24606|journal=九州大学東洋史論集|volume=17|pages=223-255|ref={{SfnRef|則松|1989}}}} |
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*{{Cite book|和書 |title=世界史年表 第3版 |date=2017-10-28 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=9784000612265 |editor-link=歴史学研究会 |ref={{SfnRef|歴史学研究会|2017}} |editor=歴史学研究会}} |
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== 参考文献 == --> |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2024年2月16日 (金) 05:30時点における最新版
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1720年代 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代 |
年: | 1744年 1745年 1746年 1747年 1748年 1749年 1750年 |
1747年(1747 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]- 干支 : 丁卯
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2289年 - 2290年
- イスラム暦 : 1159年 - 1160年
- ユダヤ暦 : 5507年 - 5508年
- ユリウス暦 : 1746年12月21日 - 1747年12月20日
カレンダー
[編集]できごと
[編集]- イギリス - 科学者、ウィリアム・ワトソンがライデン瓶を使って電気回路を示す[1]。
- 清 - 米価高騰が問題化[2]。
- 13植民地 - ニューヨーク市の法律家たちにより、アメリカ最初の合法的団体であるニューヨーク法曹協会(英: The New York Bar Association)が組織される。ニューヨーク総督代理、キャドワラダー・コールデンからの攻撃からの自衛を目的とした[3]。
- デンマーク - ソーレに貴族子弟向きのアカデミー、ソーレ・アカデミーが設立される[4]。
- フランス - アントワーヌ=クロード・マイユが、パリのサンタンドレ・デ・ザール通りで「マイユ」を開業[5]。ルイ15世の御用達となる。
- プロイセン - ベルリンに最初のレアールシューレ(実科学校)開校[4]。
- ベトナム - 広南国の王、阮福濶が、カンボジアで新たに即位したアントンに対する反乱を支援するため、同地に軍隊を派遣。阮氏の軍隊はソクチャンを占領し、カンボジアの首都であるウドン城まで進撃した。
- 西アジア - マムルーク勢力がバグダードの支配を掌握[4]。
- 西アフリカ - 東部(現在のベナン)から南部のナイジェリアを占領していたヨルバ人が、ダホメ王国を侵略。ダホメ王国はオヨ王国への貢納が義務付けられる(-1818年)[1]。
- 日本 - 丹羽正伯が『庶物類纂増補』(54巻)を完成したことにより、『庶物類纂』が現在の形となる[6]。1697年から段階的に編纂が進められていた。
1月-3月
[編集]- 1月11日 –ドイツ7大名窯のひとつ、フュルステンベルグ窯(現在のニーダーザクセン州フュルステンベルク)が開業。
- 1月31日 – 性病専門の病院(駆黴院)としては世界初のロンドン駆黴院が開業(-1952年)。
- 2月11日 – ジョージ王戦争 - グランプレの戦い。ニコラ・アントワーヌ・クロン・デ・ヴィラーズ2世率いるヌーベルフランスの軍隊とミクマク族の民兵が、ノバスコシア州、グラン=プレでイギリス軍を破る。
- 2月 - 大小金川の戦い(十全武功):四川のチベット系ギャロン人土司間の内紛起こる[2]。乾隆帝、雲貴総督の張廣泗に鎮圧を命じる[7](-1749年)。
- 3月3日 - ガンデンポタンの財務大臣ポラネー没する。その子、ギュルメー・ナムギュルは清に対し独立政策をとる[2]。
- 3月7日 – スペイン領フィリピン総督代理の司教フアン・デ・アルチェデラが、スペイン軍とスールー・スルタンのアジム・ウッディーン1世(Azim ud-Din I)の軍勢を統合させる。 ビサヤ諸島で発生していたモロ人の反乱を鎮圧が目的であった[8]。
- 3月19日 – スコットランドの貴族、ラヴァト卿サイモン・フレイザーが、チャールズ・エドワード・ステュアートを王位につけんがためにイギリス王ジョージ2世に対して起こした、1745年ジャコバイト蜂起の首謀者の一人であった廉で反逆罪に問われ、有罪・死刑判決を受ける[9]。貴族院で行われた7日間の弾劾裁判と有罪判決の後、フレイザーは最終判決の同日に首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処されることに決まる。しかしながら、この判決はジョージ2世によって斬首刑に変更された。
4月-6月
[編集]- 4月9日 – ラヴァト卿ジョン・フレイザーが斬首によって公開処刑される。執行人はジョン・スリフト。これはイギリス史上最後の斬首刑となった。
- 4月20日(延享4年3月21日)–遠江で、東海道の盗賊日本左衛門(歌舞伎『白浪五人男』の日本駄右衛門のモデル)が見附で獄門に処される。
- 5月7日 – ヨハン・ゼバスティアン・バッハが、ポツダムでフリードリヒ2世と謁見、御前で即興演奏を行う。同年7月には楽譜に書き起こしてフリードリヒ2世に献呈し、さらに9月末には新しく作曲したカノンとリチェルカーレ、フルートの参加するトリオ・ソナタを加えたものを『音楽の捧げもの』として出版する。
- 5月14日 – オーストリア継承戦争 – 第一次フィニステレ岬の海戦。提督ジョージ・アンソン率いるイギリスの艦隊がフランスの艦隊を破る。
- 5月20日 - イギリスの海軍外科医、ジェームズ・リンドが、壊血病の原因を突き止めるために実験を開始する。
- 5月24日(延享4年4月16日)– 江戸城二の丸が焼失する。
- 6月9日(延享4年5月2日) – 桜町天皇の譲位により桃園天皇が受禅践祚。改元は翌年に行われた。
- 6月24日-10月14日 – ウィリアム・ムーア船長とフランシス・スミス船長の指揮のもと、イギリスのガレー船ドッブス号とカルフォルニア号がハドソン湾を探検航海し、この湾経由の北西航路は存在しないこと発見する。この探検についての報告は、のちにジョージア植民地の総督となるヘンリー・エリスによって出版された。
- 6月26日-8月4日 – イギリスで総選挙。ペラム内閣の与党ペラム派ホイッグ党の勝利。
- 4月 -
- オラニエ公ウィレム4世が、オランダ各州の総督職を全てひとつに併合したオランダ総督に就く。
- カーナティック戦争 - ナンジャ・ラージャ(クリシュナ・ラージャ2世の兄弟)率いるマイソール王国の軍隊がデーヴァナハッリ城を攻略する。この戦役に従軍したハイダル・アリーが軍功を認められ、軍人として名を挙げることとなった[10]。
7月-9月
[編集]- 7月2日 – オーストリア継承戦争 – ラウフフェルトの戦い。モーリス・ド・サックス元帥率いるフランス軍がハノーファー・グレートブリテン・ネーデルラントの同盟軍相手に決定的な勝利を収める。これによって、フランス・オーストリア戦争の趨勢がほぼ決した。
- 7月19日 – ナーディル・シャー暗殺。以後アフシャール朝は崩壊しながら衰退し、1796年にガージャール朝によってとどめを刺されることとなる。
- 7月 - 八旗漢軍人に外省居住が許される[2]。
- 8月15日 – イギリス、ロシア、ネーデルラントの三国が、フランスとプロイセンへの対抗を目的としたサンクトペテルブルク協定(1747年)に合意。
- 8月24日 – キプロスの太守であったサイイド・アブドゥラ・パシャがオスマン帝国の大宰相に就任し、1750年まで勤める。
- 9月13日 – オーストリア継承戦争 - ベルヘン・オプ・ゾーム攻囲戦。70日間の攻防の末、ネーデルラントの街、ベルヘン・オプ・ゾームがフランス軍によって陥落させられる[11]。
- 9月21日 – カリブ海で発生したハリケーンが、主にセント・キッツ島に停泊していた軍監を中心に11隻沈没させる。
- 9月19日(延享4年8月15日) – 「細川宗孝殺害事件」。江戸城殿中で、旗本板倉勝該が熊本藩主の細川宗孝を刺殺[6]。
- 9月 –
- ヨハン・セバスティアン・バッハが『音楽の捧げもの』を出版。
- ベンジャミン・フランクリンが英国王立研究所フェローのピーター・コリンソン宛に、静電気を蓄える装置、ライデン瓶についての実験報告を送る。翌1748年ふたたび送った手紙のなかでフランクリンは、電気の概念(充電、放電)について触れていた。これらの用語および概念を史上初めて用いたのはフランクリンであった[12]。
10月-12月
[編集]- 10月1日 - ヒジュラ暦1160年シャウワール (第10月)7日、カンダハールのパシュトゥーン族長たちが大会議(ロヤ・ジルガ)を開き、アフガニスタンの指導者にドゥッラーニー部族連合のアフマド・シャー・ドゥッラニーを選出する。これをもってドゥッラニー帝国が建国された(-1842年)[4]。
- 10月21日 - ジョージ2世が、カンタベリー大主教ジョン・ポターの死を受けて、その3日目のこの日に、ヨーク大主教であったトーマス・ヘリングを後任に異動させる。
- 10月24日 - カリブ海のハリケーンが、イギリスとフランスの間で領有権が争われていたセント・キッツ島を襲う。イギリスの貨物船12隻とフランスの貨物船1隻が沈没[13]。
- 10月25日 - オーストリア継承戦争 - 第二次フィニステレ岬の海戦。イギリス海軍がまたもフランス艦隊を破る。
- 11月9日 - アムステルダムで政治改革を求める暴動が勃発[14]。
- 11月11日 - ドイツ7大名窯のひとつ、ニンフェンブルク磁器製造所(現在のバイエルン州ミュンヘン)が、ニンフェンブルク宮殿内で開業。
- 11月17日から19日 – マサチューセッツ湾植民地、ボストンでノウルズ暴動 が3日間に渡って発生。イギリス海軍による強制徴募に抗議するものであった。
- 12月7日 - ベンジャミン・フランクリンがペンシルベニア植民地初の民兵組織であるペンシルバニアアソシエイターズを組織する。同植民地は平和主義であったクエーカー教徒によって整備されたため、既存の民兵組織が無かった[15]。
- 12月13日 - メリーランド植民地船籍の貨物船であったスループ船エンデヴァー号の漂流。アナポリスを出港して西インド諸島に向かって航海を行っている最中に、ハリケーンに巻き込まれる。マストと索具が失われたままエンデヴァー号は6ヶ月ものあいだ漂流したのち、スコットランド、タイリー島に漂着した[16]。
- 12月17日(延享4年11月16日) – 大坂、竹本座で竹田出雲ら作『義経千本桜』が初演され成功する。
- 12月27日 - イギリス議会が1740年帰化法を修正し、非英国国教会系プロテスタント教派にも適応範囲を拡げた[17]。
- 12月 - 乾隆帝、各省の督撫に米貴問題(米価高騰問題)の解決策について諮問する[18]。
誕生
[編集]→「Category:1747年生」も参照
- 1月4日 - ヴィヴィアン・デノン - フランスの画家、外交官(+1825年)
- 1月10日 - アブラアム=ルイ・ブレゲ - スイスの時計職人、発明家(+1823年)
- 1月19日 - ヨハン・ボーデ - ドイツの天文学者(+1826年)
- 1月22日 - ティモシー・デクスター - アメリカの実業家、奇人(+1806年)
- 2月10日 - アンドレ・トワン - フランスの植物学者、農学者(+1824年)
- 2月16日 - ハインリヒ13世 - ロイス=グライツ侯国の統治者、軍人(+1817年)
- 3月20日(延享4年2月10日) - 会田安明 - 幕臣、和算家(+1817年)
- 3月25日 - アレクサンドル・ベズボロドコ - ロシア帝国の宰相(+1799年)
- 3月29日 - ヨハン・ヴィルヘルム・ヘスラー - ドイツの作曲家、演奏家
- 3月31日 - ヨハン・アブラハム・ペーター・シュルツ - ドイツの作曲家(+1824年)
- 4月13日 - ガニング・ベッドフォード・ジュニア - アメリカの軍人、政治家(+1812年)
- 4月14日(洗礼) - ユーヴドール・プライス - イギリスの貴族、造園家(+1829年)
- 5月4日 - フィリップ=ジャン・ペルタン - フランスの外科医(+1829年)
- 5月5日 - レオポルト2世 - 神聖ローマ皇帝(+1792年)
- 5月10日 - ヨロ・モルガヌグ - ウェールズの収集家、作家、文学贋作者(+1826年)
- 6月12日(延享4年) - 源琦 - 円山派の絵師(+1797年)
- 6月15日(延享4年5月8日) - 高山彦九郎 - 尊皇思想家(+1793年)
- 6月26日 - レオポルト・アントニーン・コジェルフ - ボヘミアの作曲家(+1818年)
- 7月6日 - ジョン・ポール・ジョーンズ - 大陸海軍およびロシア帝国海軍の提督(+1792年)
- 7月10日 - ヴィルヘルミーネ・カロリーネ・ア・ダンマーク - ヘッセン侯妃(+1820年)
- 7月15日 - テレーザ・マルゲリータ・レディ - トスカーナの修道女、聖人
- 7月25日 - ロジェ・デュコ - フランス革命期・第一帝政期の政治家(+1816年)
- 9月11日 - フリードリヒ・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム - オランダの軍人、ヘッセン=ルンペンハイム家の始祖(+1837年)
- 9月29日 - ユゼフ・ヴィビツキ - ポーランドの貴族、軍人、文筆家人(+1822年)
- 9月30日 - フリードリヒ・ユスティン・ベルトゥッヒ - ドイツの出版者、パトロン(+1822年)
- 10月6日 - ジャン=フランソワ・ルーベル - フランス革命期の政治家(+1807年)
- 10月7日 - アントワーヌ・ニコラ・デュシェーヌ - フランスの植物学者、園芸家(+1827年)
- 10月20日 - フランソワ・ド・バルテルミー - フランス革命期の政治家、外交官(+1830年)
- イワン・ハンドシキン - ロシアのヴァイオリン奏者、作曲家(+1804年)
- ヴィンセンツォ・ブレンナ - ロシアで活躍した建築家(+1820年)
- グリゴリー・シェリホフ - ロシアの商人、探検家(+1795年)
- 司馬江漢 - 絵師、蘭学者(+1818年)
死去
[編集]→「Category:1747年没」も参照
- 1月2日 - ジャン=フェリ・ルベル - フランスの作曲家 (*1666年)
- 3月3日 - ポラネー- チベットの政治家(*1689年)
- 3月19日 - カタジナ・オパリンスカ - ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキの妃(*1682年)
- 3月23日 - クロード・アレクサンドル・ド・ボンヌヴァル - フランスの貴族、オスマン帝国の軍人(*1675年)
- 4月9日 - サイモン・フレイザー (第11代ラヴァト卿) - スコットランドの貴族、ジャコバイト(*1667年頃)
- 5月28日 - リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ - フランスの貴族、著作家、モラリスト(*1715年)
- 5月31日 - アンドレイ・オステルマン - ロシア帝国の外相、政治家(*1686年)
- 7月9日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ - イタリアの作曲家(* 1670年)
- 7月11日(延享4年6月4日) - 初代竹田出雲、日本の浄瑠璃作者、文人(* 不詳)
- 7月19日 - ナーディル・シャー - アフシャール朝初代皇帝(* 1688年)
- 10月4日 - アマロ・ロドリゲス・フェリペ - スペインの海賊(* 1678年)
- 11月8日(延享4年10月6日) - 寺坂吉右衛門、赤穂四十七士の一人(*1655年)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ a b DK 2013, p. 253.
- ^ a b c d 歴史学研究会 2017, p. 196.
- ^ 中村 2010, p. 286.
- ^ a b c d 歴史学研究会 2017, p. 197.
- ^ “maille.jp : マイユ 270年の歴史”. マイユ. 2022年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月24日閲覧。
- ^ a b 山本 2007, p. 122.
- ^ 高田時雄『乾隆得勝圖平定金川戰圖』〈臨川書店〉2012年。ISBN 4653040729 。2021年2月14日閲覧。
- ^ "The Baptism of Sultan Azim ud-Din of Sulu", by Ebrhard Crailsheim, in Image - Object - Performance: Mediality and Communication in Cultural Contact Zones of Colonial Latin America and the Philippines (Waxmann Verlag, 2013) p101
- ^ "Simon Fraser, Lord Lovat", by J.W. Allen, in Lives of Twelve Bad Men: Original Studies of Eminent Scoundrels by Various Hands (T. Fisher Unwin, 1894) p196
- ^ 太田 2022, p. 383.
- ^ Henry L. Fulton, Dr. John Moore, 1729–1802: A Life in Medicine, Travel, and Revolution (Rowman & Littlefield, 2014) p76
- ^ 矢田 2020, pp. 9–10.
- ^ Lloyd's List No. 1259, December 18, 1747
- ^ Van den Heuvel, Danielle (Spring 2012). “The Multiple Identities of Early Modern Dutch Fishwives” (英語). Signs (University of Chicago Press) 37 (3): 587–594. doi:10.1086/662705. JSTOR 10.1086/662705. "... in 1747 fishwives organized a large political demonstration in Amsterdam, and in 1748 the Amsterdam fish hawker Marretje Arents was one of the principal initiators of a tax riot in the city."
- ^ T"Associators", by Paul G. Pierpaoli, Jr., in American Revolution: The Definitive Encyclopedia and Document Collection (ABC-CLIO, 2018) p85
- ^ Rosemary F. Williams, Maritime Annapolis: A History of Watermen, Sails & Midshipmen (Arcadia Publishing, 2009)
- ^ George W. Forell, ed., Nine Public Lectures on Important Subjects in Religion by Nicholaus Ludwig Count von Zinzendorf (Wipf and Stock Publishers, 1998) p xxix
- ^ 則松 1989, p. 226.
参考文献
[編集]- 太田信宏 著「第6章 比類なき盛世の果てに――清朝全盛期」、姜 尚中 編『アジア人物史 第8巻 アジアのかたちの完成』集英社、2022年12月1日、288頁。ISBN 978-4081571086。
- ドーリング・キンダースリー 著、藤井留美 訳、樺山紘一 編『ビジュアル版 人類の歴史大年表』柊風舎、2013年11月11日。ISBN 9784864980074。
- 中村甚五郎『アメリカ史「読む」年表事典1』原書房、2010年10月22日。ISBN 978-4562046423。
- 矢田恒二『電気技術発展の秘話 ―技術を陰で支えた人々―』オーム社、2020年3月19日。ISBN 978-4274225246 。2021年12月18日閲覧。
- 山本博文, ed (2007-10-10). 見る、読む、調べる 江戸時代年表. 小学館. ISBN 978-4-09-626606-9
- 則松 彰文 (1989-01-25). “清代中期の経済政策に関する一試論 : 乾隆13年(1748)の米貴問題を中心に”. 九州大学東洋史論集 17: 223-255 .
- 歴史学研究会 編『世界史年表 第3版』岩波書店、2017年10月28日。ISBN 9784000612265。