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国民の生活が第一はその後、[[日本未来の党]]、[[自由党 (日本 2016-2019)|生活の党]]へと移行したが、相次ぐ国政選挙でこれらの党に所属する議員が多数落選するなど小沢の求心力の衰えが指摘されるようになった。[[2014年]]12月の[[第47回衆議院議員総選挙]]に対しては小沢は「今回は生き残ることを優先したらいい。生き残っていれば、いずれまた一緒にできる」と述べ、他党(民主党や[[維新の党]])からの立候補を公然と認めるようになった<ref>{{cite news|newspaper=日刊ゲンダイ|title=野党再編の起爆剤に? 生き残った「元小沢グループ」の面々|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155761|date=2014-12-15|accessdate=2019-07-21}}</ref>。[[2017年]]10月の[[第48回衆議院議員総選挙]]においても小沢は自由党(生活の党から改称、2003年に解散した旧自由党とは同名の別政党)所属議員の[[希望の党]]や[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]からの立候補を容認する姿勢を示した<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/politics/news/171004/plt1710040006-n3.html |title=小沢一郎自由党代表記者会見・詳報「野党が結集して安倍政権を倒すことが持論なので、民進党と同じ方向で対応した」|date=2017-10-04 |publisher=産経新聞|accessdate=2019-07-21}}</ref>ことから、小沢グループ出身議員は複数の政党に所属する状況となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/politics/news/190204/plt1902040039-n1.html|title=国由合併でうごめく旧小沢系議員 蘇る4年前の「布石」|date=2019-02-04 |publisher=産経新聞|accessdate=2019-07-21}}</ref>。 |
国民の生活が第一はその後、[[日本未来の党]]、[[自由党 (日本 2016-2019)|生活の党]]へと移行したが、相次ぐ国政選挙でこれらの党に所属する議員が多数落選するなど小沢の求心力の衰えが指摘されるようになった。[[2014年]]12月の[[第47回衆議院議員総選挙]]に対しては小沢は「今回は生き残ることを優先したらいい。生き残っていれば、いずれまた一緒にできる」と述べ、他党(民主党や[[維新の党]])からの立候補を公然と認めるようになった<ref>{{cite news|newspaper=日刊ゲンダイ|title=野党再編の起爆剤に? 生き残った「元小沢グループ」の面々|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155761|date=2014-12-15|accessdate=2019-07-21}}</ref>。[[2017年]]10月の[[第48回衆議院議員総選挙]]においても小沢は自由党(生活の党から改称、2003年に解散した旧自由党とは同名の別政党)所属議員の[[希望の党]]や[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]からの立候補を容認する姿勢を示した<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/politics/news/171004/plt1710040006-n3.html |title=小沢一郎自由党代表記者会見・詳報「野党が結集して安倍政権を倒すことが持論なので、民進党と同じ方向で対応した」|date=2017-10-04 |publisher=産経新聞|accessdate=2019-07-21}}</ref>ことから、小沢グループ出身議員は複数の政党に所属する状況となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/politics/news/190204/plt1902040039-n1.html|title=国由合併でうごめく旧小沢系議員 蘇る4年前の「布石」|date=2019-02-04 |publisher=産経新聞|accessdate=2019-07-21}}</ref>。 |
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自由党は2019年4月に[[国民民主党 (日本 2018 |
自由党は2019年4月に[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]に合流し、2020年9月には国民民主党の一部と立憲民主党が合流した。この際に行われた[[2020年新党代表・党名選挙|新党代表・党名選挙]]では合流新党(新「[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]」)に参加する国民民主党議員のうち約10人が小沢一郎のグループに所属していると報じられ、同グループは代表選では[[枝野幸男]]を支持した<ref>{{Cite news |title=合流新党代表選 枝野氏、優勢 支持100人焦点|newspaper=毎日新聞|date=2020-09-09 |url=https://mainichi.jp/articles/20200909/ddm/001/010/080000c|accessdate=2020-09-10}}</ref>。 |
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2011年(平成23年)に発足した[[21世紀国家ビジョン研究会]](小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。 |
2011年(平成23年)に発足した[[21世紀国家ビジョン研究会]](小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。 |
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==== 元職議員 ==== |
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; 立憲民主党 |
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* [[松木謙公]]<ref group="注">2011年2月に民主党除籍。その後は[[新党大地 (2012-)|新党大地・真民主→新党大地]]→無所属→[[維新の党]]→民進党→[[希望の党]]→[[国民民主党 (日本 2018 |
* [[松木謙公]]<ref group="注">2011年2月に民主党除籍。その後は[[新党大地 (2012-)|新党大地・真民主→新党大地]]→無所属→[[維新の党]]→民進党→[[希望の党]]→[[国民民主党 (日本 2018)|旧国民民主党]]を経て合流による[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]に入党。</ref>(4回、[[比例北海道ブロック|比例北海道]]・[[北海道第2区|北海道2区]]) |
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* [[樋高剛]]<ref group="注">2012年7月に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]除籍。その後の所属は[[国民の生活が第一]]→[[日本未来の党]]→[[自由党 (日本 2016-2019)|生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党]]→[[希望の党]]→自由党→立憲民主党。</ref>(3回、[[神奈川県第18区|神奈川18区]]) |
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* [[黒田雄]]<ref group="注">2012年7月に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]除籍。その後の所属は[[国民の生活が第一]]→[[日本未来の党]]→[[自由党 (日本 2016-2019)|生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党]]→[[立憲民主党 (日本 2017)|旧立憲民主党]]→立憲民主党。</ref>(1回、[[千葉県第2区|千葉2区]]) |
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2020年12月25日 (金) 08:51時点における版
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設立 |
旧自由党グループ:2003年(平成15年) 一新会:2004年(平成16年) 北辰会:2005年(平成17年) 木曜会:2010年(平成22年) 新しい政策研究会:2011年(平成23年) |
---|---|
設立者 | 小沢一郎 |
種類 | 民主党のグループ |
会員数 | 民主党所属国会議員他 |
事務総長 | 新しい政策研究会:東祥三 |
会長 |
一新会:鈴木克昌 木曜会:田中直紀 新しい政策研究会:小沢一郎 |
重要人物 | 小沢一郎 |
主要機関 |
旧自由党グループ 一新会 北辰会 木曜会 新しい政策研究会 |
関連組織 |
小沢一郎政治塾 自由党 |
予算 |
一新会:8,633,922円[1] 北辰会:650,000円[2] |
ウェブサイト | 新しい政策研究会 |
特記事項 | |
かつての呼び名 | 北辰会:一新会倶楽部 |
小沢グループ(おざわグループ)は、民主党のグループ。かつて、小沢一郎を支持した複数のグループの呼称である。小沢一郎の民主党離党により民主党内のグループとしては消滅したと見られている。
概説
2003年(平成15年)の民由合併によって解散した旧自由党出身の議員を指していた。当初は党中党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年(平成16年)6月に当時当選1〜2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、2005年(平成17年)秋、第44回衆議院議員総選挙の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。2006年(平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙、第45回衆議院議員総選挙でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。
第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに国民新党出身の議員も参加することとなった。2010年(平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした[1]。
政策的には旧自由党時代は右派的、新自由主義的なものが多かったが、小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。旧自由党出身で当初小沢グループと見られていた議員の中でも、渡辺秀央、大江康弘のように小沢と対立し離党した議員や藤井裕久、平野達男のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。小沢同様、選挙に向けて自民党との対立軸を鮮明にする傾向があり、対案路線を掲げる前原グループや野田グループとは対立することが多かった。
ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に小沢チルドレンとマスメディアで呼ばれた。
鳩山政権下では、前原グループや野田グループ出身の松本剛明や細野豪志、原口一博、横路グループの高嶋良充などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。
2011年(平成23年)12月21日、小沢を支持する三つのグループが勉強会「新しい政策研究会」を発足させた[2]。2011年12月、小沢を支持する内山晃ら9人の民主党所属の議員が「新党きづな」を結成して集団離党する。さらに2012年(平成24年)7月、当の小沢が計48人の議員を率いて民主党を集団離党して新党「国民の生活が第一」を結成した。新党結成後も一部の議員は民主党内に残ったが、この時点で民主党内の小沢系グループは消滅したとされる。
国民の生活が第一はその後、日本未来の党、生活の党へと移行したが、相次ぐ国政選挙でこれらの党に所属する議員が多数落選するなど小沢の求心力の衰えが指摘されるようになった。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に対しては小沢は「今回は生き残ることを優先したらいい。生き残っていれば、いずれまた一緒にできる」と述べ、他党(民主党や維新の党)からの立候補を公然と認めるようになった[3]。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙においても小沢は自由党(生活の党から改称、2003年に解散した旧自由党とは同名の別政党)所属議員の希望の党や立憲民主党からの立候補を容認する姿勢を示した[4]ことから、小沢グループ出身議員は複数の政党に所属する状況となっている[5]。
自由党は2019年4月に国民民主党に合流し、2020年9月には国民民主党の一部と立憲民主党が合流した。この際に行われた新党代表・党名選挙では合流新党(新「立憲民主党」)に参加する国民民主党議員のうち約10人が小沢一郎のグループに所属していると報じられ、同グループは代表選では枝野幸男を支持した[6]。
2011年(平成23年)に発足した21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。
主な集団
各グループの概要、所属議員の2016年現在の状況等を以下に記す。先述のとおり、領袖の小沢の離党により民主党のグループとして消滅しているため、いずれも民進党のグループとしては存在していない。
旧自由党グループ
自由党に所属、または自由党公認で立候補した経験がある国会議員より成るグループ。自由民主党羽田派、新生党、新進党との連続性から、いわゆる保守本流(田中派)の流れを汲む。
所属国会議員一覧
旧民進会派に所属する国会議員
衆議院議員 | ||
---|---|---|
立憲民主党(6名) | ||
小沢一郎[注 1] (17回、岩手3区) |
菊田真紀子[注 2] (6回、新潟4区) |
小宮山泰子[注 3] (6回、比例北関東・埼玉7区) |
岡島一正[注 4] (3回、比例南関東・千葉3区) |
佐藤公治[注 5] (3回・参院1回、広島6区) |
村上史好[注 6] (3回、比例近畿・大阪6区) |
参議院議員 | ||
立憲民主党(1名) | ||
森裕子[注 7] (2回、新潟県) |
その他
- 参議院議員
- 元衆議院議員
- その他
- 元参議院議員
- 国民民主党
- 民進党
- その他
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党(無派閥)。
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は川端グループ→前原グループ。2017年10月に民進党離党。その後は無所属。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党。2014年11月に復党。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→希望の党→無所属。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→無所属→自由党→国民民主党。
- ^ 2013年4月に民主党離党。その後の所属は日本維新の会→維新の党→おおさか維新の会→日本維新の会。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は無派閥。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は細野派→旧細野グループ。2019年5月に国民民主党離党。その後の所属は立憲民主党。
- ^ 2011年6月に民主党除籍。無所属→新党大地→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→松野グループ)→希望の党→国民民主党を経て、2020年9月に入党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→希望の党→自由党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2019年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て2019年5月に入党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→立憲民主党。
- ^ 2005年11月に民主党除籍。その後の所属は無所属→改革クラブ→無所属→たちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会→無所属→太陽の党→次世代の党→日本のこころを大切にする党→日本のこころ
- ^ 2012年11月に民主党除籍。その後の所属は減税日本・反TPP・脱原発を実現する党→日本未来の党→みどりの風。
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は細野派→旧細野グループ。2017年10月に希望の党に合流。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は玄葉グループ。2013年3月に民主党除籍。その後の所属は無所属(所属会派は「新党改革・無所属の会」)→自民党。
- ^ 2008年9月に民主党除籍。その後の所属は改革クラブ→新党改革。
- ^ 2008年9月に民主党除籍。その後の所属は改革クラブ→無所属→幸福実現党→無所属→自由民主党。
一新会
2004年(平成16年)6月16日に小沢を支持する1期〜3期の衆議院議員を中心に結成された。菅政権の時代には代表幹事に鈴木克昌、会長代行に奥村展三が就任し事務を取り仕切っていた[7]。グループ名は自由党のスローガンであった「日本一新」に由来する。国会会期中は毎週木曜日に定例会を開催し、それ以外でも多くの勉強会を開催した。民主党の他のグループ同様、緩やかな繋がりにすぎず、議員によって小沢との距離に大きな差があるが、マスコミには他の小沢グループと一括して扱われることがあった。川端グループや鳩山グループに所属する議員も多かった。
2004年(平成16年)9月と2006年(平成18年)9月に、箱根で、地方議員や各地の後援者を含めた全国研修会を開いた。
第44回衆議院議員総選挙後、一新会は党内最大派閥となり、小沢が幹事長に就任した。副幹事長を側近議員で固め、鳩山政権の政策決定においても影響力を利かせるようになった。
しかし、小沢の献金問題などの不祥事で内閣支持率が激減して内閣は総辞職し、小沢も幹事長の離任を余儀なくされる。その後の代表選では小沢が支援した樽床伸二が敗北し、代表選後の役員人事改造では国会対策委員長に樽床が起用された他は軒並み小沢と距離を置く議員で固められ、一新会は反主流派に転落した。
所属国会議員一覧
旧民進会派に所属する国会議員
立憲民主党 | |||
---|---|---|---|
衆議院議員(9名) | |||
海江田万里[注 1] (7回、東京1区) |
松原仁[注 2] (7回、比例東京ブロック・東京3区) |
菊田真紀子[注 3](6回、新潟4区) | 小宮山泰子[注 4] (6回、比例北関東ブロック・埼玉7区) |
田嶋要[注 5] (6回、比例南関東ブロック・千葉1区) |
牧義夫[注 6] (6回、比例東海ブロック・愛知4区) |
階猛[注 7](5回、岩手1区) | 篠原孝 (5回、長野1区) |
福田昭夫[注 8] (4回、栃木2区) |
岡島一正[注 9] (3回、比例南関東・千葉3区) |
||
参議院議員(1名) | |||
田名部匡代 (1回・衆院3回、青森県) |
離党、脱会した議員
- 衆議院議員
- 元衆議院議員
- 自由党
- 民主党→民進党
- 希望の党
- 立憲民主党
- 国民民主党
- 無所属・その他
- 元参議院議員
政治資金収支報告書の記載
「党費又は会費を納入した人の数」は、平成17年分政治資金収支報告書には31人、平成18年分政治資金収支報告書には33人、平成19年分政治資金収支報告書には33人、平成20年分政治資金収支報告書には33人、平成21年分政治資金収支報告書には46人、平成22年分政治資金収支報告書には45人と記載されている[10]。
- ^ 2017年10月に民進党を離党。その後の所属は立憲民主党。
- ^ 2017年9月に民進党除籍。希望の党→無所属を経て2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に民進党離党。その後の所属は無所属。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党。2014年11月に復党。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→結いの党→維新の党→民進党(旧維新の党グループ・松野グループ)→希望の党→国民民主党(旧細野グループ→階グループ)。
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は細野派→旧細野グループ→階グループ。2017年10月に希望の党合流。2018年5月に国民民主党に参加するも、2019年5月に離党。
- ^ 2018年5月に民進党を離党。その後の所属は立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→立憲民主党。
- ^ 2014年2月に民主党除籍。その後の所属は自由民主党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党を経て2014年11月に復党。2018年2月に民進党離党。その後の所属は自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は立憲民主党
- ^ 小沢グループ離脱後の所属は細野派→旧細野グループ。2019年5月に国民民主党離党。その後の所属は立憲民主党。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党→新党大地→希望の党→国民民主党を経て、2020年9月に入党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→希望の党→自由党を経て、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て2019年5月に入党。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 2005年11月に民主党除籍。その後の所属は無所属→改革クラブ→無所属→たちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会→無所属→太陽の党→次世代の党→日本のこころを大切にする党→日本のこころ
- ^ 2012年10月に民主党除籍。その後の所属は日本維新の会→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→松野グループ)→希望の党→無所属。
- ^ 2010年2月に民主党離党。その後の所属は新党大地→無所属→民主党→民進党→立憲民主党→無所属。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→松野グループ)→希望の党→無所属→れいわ新選組。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→無所属→日本を元気にする会。
- ^ 民主党→自由民主党。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
北辰会
2010年(平成22年)11月25日に小沢を支持する当選1回の衆議院議員を中心に結成された。既に存在していた一新会倶楽部を改編した組織で、一新会と同じく毎週木曜日に定例会を開いた。
所属国会議員一覧
離党、脱会した議員
- 衆議院議員
- 立憲民主党
- その他
- 参議院議員
- 元衆議院議員
- 自由党
- 民進党
- 希望の党
- 立憲民主党
- 無所属・その他
政治資金収支報告書の記載
「党費又は会費を納入した人の数」は、平成22年分政治資金収支報告書には24人と記載されている[13]。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→立憲民主党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。
- ^ 2012年10月に民主党除籍。その後の所属はみんなの党→無所属→おおさか維新の会→日本維新の会。
- ^ 2012年11月に民主党除籍。その後の所属は自由民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→日本維新の会→維新の党→おおさか維新の会→日本維新の会。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→民進党→希望の党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→希望の党→自由党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て2019年5月に入党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党。2014年11月に復党。2016年に再び離党し日本維新の会→立憲民主党
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→新党大地→無所属→国民民主党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→無所属。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→みんなの党→無所属→民進党→国民民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→無所属。
- ^ 2017年10月5日より日本維新の会の公認を得る。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は無所属。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→維新の党。
- ^ 2012年5月に民主党離党。その後の所属は国民新党→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党。
- ^ 2011年12月に民主党除籍。その後の所属は新党きづな→国民の生活が第一→日本未来の党。
木曜会
2010年(平成22年)11月11日に小沢を支持する参議院議員を中心に結成された。
所属国会議員一覧
離党、脱会した議員
- 元参議院議員
- 国民民主党
- 無所属・その他
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 2016年9月に民進党離党。その後の所属は無所属。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属はみどりの風。
- ^ 2013年12月に民主党離党。その後の所属は無所属。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→維新の党→おおさか維新の会→日本維新の会→希望の党→無所属。
新しい政策研究会
一新会、北辰会、木曜会の3派合同の勉強会として発足。複数の政党の議員が参加する超党派の形となった。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙と2013年7月の第23回参議院議員通常選挙でほとんどの所属議員が落選し、以降目立った活動は見られない。
2011年(平成23年)12月21日の初会合には以下の106名が出席した[14]。
役員、所属議員の一覧などは当該項目を参照のこと。
現在
所属国会議員一覧
立憲民主党 | |||
---|---|---|---|
衆議院議員(9名) | |||
小沢一郎 (17回、岩手3区) |
牧義夫 (6回、比例東海・愛知4区) |
小宮山泰子 (6回、比例北関東・埼玉7区) |
佐藤公治 (3回・参院1回、広島6区) |
岡島一正 (3回、比例南関東・千葉3区) |
村上史好 (3回、比例近畿・大阪6区) |
山岡達丸 (2回、比例北海道・北海道9区) |
日吉雄太[注 1] (1回、比例東海・静岡7区) |
屋良朝博[注 2] (1回、沖縄3区) |
|||
参議院議員(4名) | |||
森裕子 (3回・新潟県) |
青木愛[注 3] (2回・衆院3回、比例区) |
木戸口英司[注 4] (1回、岩手県) |
横澤高徳[注 5] (1回、岩手県) |
元職議員
- 立憲民主党
- 松木謙公[注 6](4回、比例北海道・北海道2区)
- 樋高剛[注 7](3回、神奈川18区)
- 岡本英子[注 8](1回、神奈川3区)
- 川島智太郎[注 9](1回、比例東京)
- 木村剛司[注 10](1回、東京14区)
- 黒田雄[注 11](1回、千葉2区)
- 萩原仁[注 12](1回、大阪2区)
- ^ 立憲民主党→自由党の出戻り組。
- ^ 沖縄県知事選出馬を表明した玉城デニーの自動失職に伴う補選当選者。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党。
- ^ 初当選後、生活の党と山本太郎のなかまたちに入党。その後の所属は自由党→国民民主党。
- ^ 小沢一郎選対下の推薦候補。
- ^ 2011年2月に民主党除籍。その後は新党大地・真民主→新党大地→無所属→維新の党→民進党→希望の党→旧国民民主党を経て合流による立憲民主党に入党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→希望の党→自由党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→民進党→旧立憲民主党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→旧国民民主党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→民主党→おおさか維新の会→日本維新の会→旧立憲民主党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→旧立憲民主党→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→新党大地→無所属→旧国民民主党→立憲民主党。
脚注
- ^ “政治団体に衣替え、小沢氏支持派「北辰会」設立” (日本語). 読売新聞. (2010年11月25日) 2010年11月26日閲覧。
- ^ “小沢G統合勉強会、106人で消費増税けん制”. (2011年12月22日) 2011年12月22日閲覧。
- ^ “野党再編の起爆剤に? 生き残った「元小沢グループ」の面々”. 日刊ゲンダイ. (2014年12月15日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ “小沢一郎自由党代表記者会見・詳報「野党が結集して安倍政権を倒すことが持論なので、民進党と同じ方向で対応した」”. 産経新聞 (2017年10月4日). 2019年7月21日閲覧。
- ^ “国由合併でうごめく旧小沢系議員 蘇る4年前の「布石」”. 産経新聞 (2019年2月4日). 2019年7月21日閲覧。
- ^ “合流新党代表選 枝野氏、優勢 支持100人焦点”. 毎日新聞. (2020年9月9日) 2020年9月10日閲覧。
- ^ “小沢G、溶解?…「俺もオヤジのように離党か」” (日本語). 読売新聞. (2010年10月8日) 2010年10月8日閲覧。
- ^ a b c “民主党:小鳩「離脱」相次ぐ グループの求心力低下 不信任案騒動、傷深く”. 毎日新聞. (2011年6月15日). オリジナルの2012年6月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ “裏切り、投降…グループ再編の動き 民主、ますます自民化”. 産経新聞. (2011年9月1日). オリジナルの2012年4月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ 一新会平成22年分政治資金収支報告書参照
- ^ “小沢系「菅降ろし」拍車 批判高まり首相派も動揺”. 日本経済新聞. (2011年2月19日) 2020年9月1日閲覧。
- ^ “民主・平山氏も離党届/増税法案に反対”. 四国新聞社. (2012年4月11日) 2020年9月1日閲覧。
- ^ 北辰会平成22年分政治資金収支報告書参照
- ^ “小沢系勉強会の出席者”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2011年12月21日) 2012年1月31日閲覧。