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「1988年のヤクルトスワローズ」の版間の差分

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==概要==
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[[ボブ・ホーナー|ホーナー]]旋風の余韻が冷めやらない中、チームは[[1987年]]のドラフト1位で[[長嶋一茂]]を獲得。またホーナーと[[レオン・リー]]の退団を受けて外国人も[[ダグ・デシンセイ]]と[[テリー・ハーパー (野球)|テリー・ハーパー]]に一新し、シーズンを迎えた。期待のルーキー長嶋は父の[[長嶋茂雄]]が[[読売ジャイアンツ|巨人]]でつけていた背番号「3」が与えられたが、プロの壁は厚く、衰えが目立つデシンセイからレギュラーを奪うまでには至らなかった。一茂フィーバーに沸き立つ打撃陣は「イケトラコンビ」の[[広澤克実]]・[[池山隆寛]]がこの年も主砲として打ちまくったが、両者ともに三振が多く、本塁打は147本と1位ながらも打率は.246とリーグ5位。前年の4位躍進を受け、チームは[[1980年]]以来のAクラス入りを期待されたが開幕ダッシュには失敗。6月には4位ながらも首位の巨人に3ゲーム差と迫るが、それ以降は失速。後半戦以降は[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]との4位争いが続いたが、優勝の[[中日ドラゴンズ|中日]]に22ゲーム差を付けられた。投手陣は11年目の[[尾花高夫]]やこの年抑えに転向した[[伊東昭光]]が活躍したが、[[高野光]]・[[荒木大輔]]が途中ケガで離脱する。伊東の最多勝という明るい話題はあり、防御率も3.79と良化したが、尾花と伊東の活躍に依存しており、層の薄さは変わらなかった。前年同様、若手選手の活躍は目立ったが、低迷するチームのカンフル剤にはならず、関根監督の2年目は借金11の5位で終了した。
[[ボブ・ホーナー|ホーナー]]旋風の余韻が冷めやらない中、チームは[[1987年]]のドラフト1位で[[長嶋一茂]]を獲得。またホーナーと[[レオン・リー]]の退団を受けて外国人も[[ダグ・デシンセイ]]と[[テリー・ハーパー (野球)|テリー・ハーパー]]に一新し、シーズンを迎えた。期待のルーキー長嶋は父の[[長嶋茂雄]]が[[読売ジャイアンツ|巨人]]でつけていた背番号「3」が与えられたが、プロの壁は厚く、衰えが目立つデシンセイからレギュラーを奪うまでには至らなかった。一茂フィーバーに沸き立つ打撃陣は「イケトラコンビ」の[[広澤克実]]・[[池山隆寛]]がこの年も主砲として打ちまくったが、両者ともに三振が多く、本塁打は147本と1位ながらも打率は.246とリーグ5位。前年の4位躍進を受け、チームは[[1980年]]以来のAクラス入りを期待されたが開幕ダッシュには失敗。6月には4位ながらも首位の巨人に3ゲーム差と迫るが、それ以降は失速。後半戦以降は[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]との4位争いが続いたが、優勝の[[中日ドラゴンズ|中日]]に22ゲーム差を付けられた。投手陣は11年目の[[尾花髙夫|尾花高夫]]やこの年抑えに転向した[[伊東昭光]]が活躍したが、[[高野光]]・[[荒木大輔]]が途中ケガで離脱する。伊東の最多勝という明るい話題はあり、防御率も3.79と良化したが、尾花と伊東の活躍に依存しており、層の薄さは変わらなかった。前年同様、若手選手の活躍は目立ったが、低迷するチームのカンフル剤にはならず、関根監督の2年目は借金11の5位で終了した。


== チーム成績 ==
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*34 [[高野光]]
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*40 [[鈴木平]]
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2020年12月23日 (水) 05:15時点における版

1988年のヤクルトスワローズ
成績
セントラル・リーグ5位
58勝69敗3分 勝率.457[1]
本拠地
都市 東京都新宿区
明治神宮野球場
球団組織
オーナー 松園尚巳
経営母体 ヤクルト本社
監督 関根潤三
« 1987
1989 »

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1988年のヤクルトスワローズ(1988ねんのヤクルトスワローズ)では、1988年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。

この年のヤクルトスワローズは、関根潤三監督の2年目のシーズンである。

概要

ホーナー旋風の余韻が冷めやらない中、チームは1987年のドラフト1位で長嶋一茂を獲得。またホーナーとレオン・リーの退団を受けて外国人もダグ・デシンセイテリー・ハーパーに一新し、シーズンを迎えた。期待のルーキー長嶋は父の長嶋茂雄巨人でつけていた背番号「3」が与えられたが、プロの壁は厚く、衰えが目立つデシンセイからレギュラーを奪うまでには至らなかった。一茂フィーバーに沸き立つ打撃陣は「イケトラコンビ」の広澤克実池山隆寛がこの年も主砲として打ちまくったが、両者ともに三振が多く、本塁打は147本と1位ながらも打率は.246とリーグ5位。前年の4位躍進を受け、チームは1980年以来のAクラス入りを期待されたが開幕ダッシュには失敗。6月には4位ながらも首位の巨人に3ゲーム差と迫るが、それ以降は失速。後半戦以降は大洋との4位争いが続いたが、優勝の中日に22ゲーム差を付けられた。投手陣は11年目の尾花高夫やこの年抑えに転向した伊東昭光が活躍したが、高野光荒木大輔が途中ケガで離脱する。伊東の最多勝という明るい話題はあり、防御率も3.79と良化したが、尾花と伊東の活躍に依存しており、層の薄さは変わらなかった。前年同様、若手選手の活躍は目立ったが、低迷するチームのカンフル剤にはならず、関根監督の2年目は借金11の5位で終了した。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 荒井幸雄
2 渋井敬一
3 杉浦享
4 デシンセイ
5 ハーパー
6 広沢克実
7 池山隆寛
8 八重樫幸雄
9 尾花高夫
1988年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 広島 -- 広島 -- 巨人 -- 中日 -- 中日 -- 中日 -- 中日 --
2位 巨人 4.5 巨人 1.5 広島 0.5 巨人 1.0 広島 6.5 広島 7.0 巨人 12.0
3位 阪神 5.0 阪神 2.5 中日 1.0 広島 1.5 巨人 7.5 巨人 8.0 広島 15.0
4位 ヤクルト 5.5 大洋 4.0 ヤクルト 3.0 大洋 5.0 大洋 12.0 大洋 17.0 大洋 20.5
5位 大洋 7.0 中日 4.5 阪神 6.5 ヤクルト 9.5 ヤクルト 12.0 ヤクルト 17.0 ヤクルト 22.0
6位 中日 8.0 ヤクルト 5.5 大洋 7.0 阪神 10.0 阪神 19.0 阪神 23.0 阪神 29.5


1988年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 中日ドラゴンズ 79 46 5 .632 優勝
2位 読売ジャイアンツ 68 59 3 .535 12.0
3位 広島東洋カープ 65 62 3 .512 15.0
4位 横浜大洋ホエールズ 59 67 4 .468 20.5
5位 ヤクルトスワローズ 58 69 3 .457 22.0
6位 阪神タイガース 51 77 2 .398 29.5

オールスターゲーム1988

  • ファン投票
広沢克実
  • 監督推薦
伊東昭光
尾花高夫
池山隆寛

選手・スタッフ

[2]

表彰選手

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
伊東昭光 最多勝利 18勝 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
池山隆寛 遊撃手 初受賞
広沢克己 外野手 初受賞
ゴールデングラブ賞
選出なし

ドラフト

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 川崎憲次郎 投手 津久見高 入団
2位 岡幸俊 投手 高知商業高 入団
3位 笘篠賢治 外野手 中央大学 入団
4位 幸田正広 内野手 安田学園高 入団
5位 関根毅 外野手 東海大学 入団
6位 天野武文 捕手 瀬戸内高 入団

出典

  1. ^ 年度別成績 1988年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月12日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7