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[[1996年]]の総選挙では、[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]から[[鳩山邦夫]]が出馬し当選(自民党[[深谷隆司]]も[[比例復活]])。鳩山の[[1999年東京都知事選挙]]出馬に伴う[[補欠選挙|補選]]及び[[2000年]]、[[2003年]]の総選挙では、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[中山義活]]が当選した。[[2005年]]の総選挙では、1996年以降3度の選挙で次点に甘んじてきた[[自由民主党 (日本)|自民党]]の深谷が、[[小泉旋風|小泉フィーバー]]の恩恵で議席を初めて獲得し、中山は落選した。[[2009年]]の総選挙では中山が再び選出され、深谷は落選。しかし[[2012年]]の総選挙では深谷の後継指名を受けた自民党の新人[[辻清人]]が選出され、[[みんなの党]]の[[大熊利昭]]も比例で復活当選したが、中山は落選した。[[2014年]]には再度辻に中山、大熊が挑んだがいずれも比例復活もならず落選した。 |
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区割りの一部変更を受けた[[2017年]]の総選挙では、当初立候補を予定していた[[日本共産党|共産党]]の候補が、[[野党]]一本化のためとして立候補を取り下げた。辻、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]の松尾明弘、[[希望の党]]の鳩山太郎(邦夫の長男、元[[東京都議会|都議会議員]])の三者で争われ、辻が三選。松尾と鳩山は比例復活当選も叶わなかった。 |
区割りの一部変更を受けた[[2017年]]の総選挙では、当初立候補を予定していた[[日本共産党|共産党]]の候補が、[[野党]]一本化のためとして立候補を取り下げた。辻、[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]の松尾明弘、[[希望の党]]の鳩山太郎(邦夫の長男、元[[東京都議会|都議会議員]])の三者で争われ、辻が三選。松尾と鳩山は比例復活当選も叶わなかった。 |
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[[東京都第1区|1区]]などに次いで[[都心]]の注目選挙区であるため、2000年の総選挙では[[自由連合 (政党)|自由連合]]が候補者を立てるなど、少数[[政党]]や中堅政党、[[ミニ政党|諸派]]・[[無所属]]候補が多く挑み、候補者が多くなる傾向がある。[[下町]]主体で[[江戸時代]]からの古い歴史を有する地域であるため、[[保守]]的な[[有権者]]が多く、長年にわたり都市部自民の牙城として君臨していた。元[[内閣総理大臣|首相]]の[[鳩山一郎]]が[[三バン#地盤|地盤]]にしていたこともある。しかし、近年、この地域はいわゆる[[都心回帰]]に伴う新[[住民]]の流入に伴い、[[無党派|無党派層]]の増大が見られる。 |
[[東京都第1区|1区]]などに次いで[[都心]]の注目選挙区であるため、2000年の総選挙では[[自由連合 (政党)|自由連合]]が候補者を立てるなど、少数[[政党]]や中堅政党、[[ミニ政党|諸派]]・[[無所属]]候補が多く挑み、候補者が多くなる傾向がある。[[下町]]主体で[[江戸時代]]からの古い歴史を有する地域であるため、[[保守]]的な[[有権者]]が多く、長年にわたり都市部自民の牙城として君臨していた。元[[内閣総理大臣|首相]]の[[鳩山一郎]]が[[三バン#地盤|地盤]]にしていたこともある。しかし、近年、この地域はいわゆる[[都心回帰]]に伴う新[[住民]]の流入に伴い、[[無党派|無党派層]]の増大が見られる。 |
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2020年11月1日 (日) 09:38時点における版
東京都第2区 | |
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行政区域 |
中央区、台東区 (2024年1月1日現在) |
比例区 | 東京ブロック |
設置年 |
1994年 (2017年・2022年区割変更) |
選出議員 | 辻清人 |
有権者数 |
323,316人 1.442 倍(一票の格差・鳥取1区との比較) (総務省・2024年9月登録日) |
東京都第2区(とうきょうとだい2く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。
区域
- 中央区
- 港区の一部(港区の残部は1区)
- 文京区
- 台東区の一部(台東区の残部は14区)
- 台東1-4丁目、柳橋1・2丁目、浅草橋1-5丁目、鳥越1・2丁目、蔵前1-4丁目、小島1・2丁目、三筋1・2丁目、秋葉原、上野1-7丁目、東上野1-5丁目、元浅草1-4丁目、寿1-4丁目、駒形1・2丁目、北上野1・2丁目、下谷1丁目、下谷2丁目(1-12番、13番6-13号、16-23番)、下谷3丁目、根岸1-5丁目、入谷1丁目(4-8、15-20、29-31番)、入谷2丁目34-39番、竜泉1-3丁目、西浅草1丁目、雷門1・2丁目、浅草1丁目、浅草2丁目(1-12、28-35番)、花川戸1・2丁目、千束2丁目33-36番、日本堤2丁目36-39番、三ノ輪1・2丁目、池之端1-4丁目、上野公園、上野桜木1・2丁目、谷中1-7丁目
小選挙区制が導入され東京都第2区となった以降は、中央区・文京区・台東区を区域としていたが、2017年の区割り変更により、港区の一部が1区から本区へ、台東区の一部が本区から14区へ移行した。
歴史
衆議院が小選挙区制度に移行した時点の区域は、それまでの中選挙区時代の東京都第8区と同じ区域であった(2017年の区割り変更まで)。 1996年の総選挙では、旧民主党から鳩山邦夫が出馬し当選(自民党深谷隆司も比例復活)。鳩山の1999年東京都知事選挙出馬に伴う補選及び2000年、2003年の総選挙では、民主党の中山義活が当選した。2005年の総選挙では、1996年以降3度の選挙で次点に甘んじてきた自民党の深谷が、小泉フィーバーの恩恵で議席を初めて獲得し、中山は落選した。2009年の総選挙では中山が再び選出され、深谷は落選。しかし2012年の総選挙では深谷の後継指名を受けた自民党の新人辻清人が選出され、みんなの党の大熊利昭も比例で復活当選したが、中山は落選した。2014年には再度辻に中山、大熊が挑んだがいずれも比例復活もならず落選した。
区割りの一部変更を受けた2017年の総選挙では、当初立候補を予定していた共産党の候補が、野党一本化のためとして立候補を取り下げた。辻、立憲民主党の松尾明弘、希望の党の鳩山太郎(邦夫の長男、元都議会議員)の三者で争われ、辻が三選。松尾と鳩山は比例復活当選も叶わなかった。
1区などに次いで都心の注目選挙区であるため、2000年の総選挙では自由連合が候補者を立てるなど、少数政党や中堅政党、諸派・無所属候補が多く挑み、候補者が多くなる傾向がある。下町主体で江戸時代からの古い歴史を有する地域であるため、保守的な有権者が多く、長年にわたり都市部自民の牙城として君臨していた。元首相の鳩山一郎が地盤にしていたこともある。しかし、近年、この地域はいわゆる都心回帰に伴う新住民の流入に伴い、無党派層の増大が見られる。
小選挙区選出議員
選挙名 | 年 | 当選者 | 党派 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第41回衆議院議員総選挙 | 1996年 | 鳩山邦夫 | 民主党 | 東京都第2区設置後、初の選挙 |
第41回衆議院議員補欠選挙 | 1999年 | 中山義活 | 民主党 | ※鳩山の東京都知事選挙出馬に伴う。 |
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 | |||
第43回衆議院議員総選挙 | 2003年 | |||
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 | 深谷隆司 | 自由民主党 | |
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 | 中山義活 | 民主党 | |
第46回衆議院議員総選挙 | 2012年 | 辻清人 | 自由民主党 | |
第47回衆議院議員総選挙 | 2014年 | |||
第48回衆議院議員総選挙 | 2017年 | 2017年区割変更後、初の選挙 |
選挙結果
時の内閣:第3次安倍第3次改造内閣 解散日:2017年9月28日 公示日:2017年10月10日
当日有権者数:43万5872人 最終投票率:58.00%(前回比:0.41%) (全国投票率:53.68%(1.02%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 辻清人 | 38 | 自由民主党 | 前 | 112,993票 | 45.90% | ―― | 公明党推薦 | ○ |
松尾明弘 | 42 | 立憲民主党 | 新 | 91,230票 | 37.06% | 80.74% | ○ | ||
鳩山太郎 | 43 | 希望の党 | 新 | 41,955票 | 17.04% | 37.13% | ○ |
- 前回当区で出馬した大熊は、希望の党公認候補として茨城4区から立候補したが落選。
時の内閣:第2次安倍改造内閣 解散日:2014年11月21日 公示日:2014年12月2日
当日有権者数:43万7590人 最終投票率:57.59%(前回比:-7.37%) (全国投票率:52.66%(6.66%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 辻清人 | 35 | 自由民主党 | 前 | 103,954票 | 42.63% | ―― | 公明党推薦 | ○ |
中山義活 | 69 | 民主党 | 元 | 58,407票 | 23.95% | 56.19% | ○ | ||
大熊利昭 | 51 | 維新の党 | 前 | 44,550票 | 18.27% | 42.86% | ○ | ||
石沢憲之 | 29 | 日本共産党 | 新 | 32,296票 | 13.24% | 31.07% | |||
犬丸勝子 | 59 | 犬丸勝子と共和党 | 新 | 4,668票 | 1.91% | 4.49% |
時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日
当日有権者数:42万3177人 最終投票率:64.96%(前回比:-3.57%) (全国投票率:59.32%(9.96%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 辻清人 | 33 | 自由民主党 | 新 | 84,663票 | 32.35% | ―― | 公明党推薦 | ○ |
中山義活 | 67 | 民主党 | 前 | 64,676票 | 24.72% | 76.39% | 国民新党推薦 | ○ | |
比当 | 大熊利昭 | 49 | みんなの党 | 新 | 48,704票 | 18.61% | 57.53% | ○ | |
松本和巳 | 47 | 日本維新の会 | 元 | 38,564票 | 14.74% | 45.55% | ○ | ||
桑名文彦 | 42 | 日本共産党 | 新 | 23,035票 | 8.80% | 27.21% | |||
井上雅弘 | 57 | 無所属 | 新 | 2,045票 | 0.78% | 2.42% | × |
時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日
当日有権者数:40万5333人 最終投票率:68.53%(前回比:+0.07%) (全国投票率:69.28%(1.77%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中山義活 | 64 | 民主党 | 元 | 138,603票 | 51.03% | ―― | ○ | |
深谷隆司 | 73 | 自由民主党 | 前 | 98,593票 | 36.30% | 71.13% | 公明党推薦 | ||
中島束 | 65 | 日本共産党 | 新 | 26,172票 | 9.64% | 18.88% | |||
田中博子 | 57 | 無所属 | 新 | 4,579票 | 1.69% | 3.30% | × | ||
加藤文康 | 46 | 幸福実現党 | 新 | 1,924票 | 0.71% | 1.39% | |||
千葉潤 | 41 | 無所属 | 新 | 1,748票 | 0.64% | 1.26% | × |
時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日
当日有権者数:37万5228人 最終投票率:68.46%(前回比:+6.32%) (全国投票率:67.51%(7.65%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 深谷隆司 | 69 | 自由民主党 | 元 | 127,889票 | 50.94% | ―― | ○ | |
中山義活 | 60 | 民主党 | 前 | 98,335票 | 39.17% | 76.89% | ○ | ||
中島束 | 61 | 日本共産党 | 新 | 24,848票 | 9.90% | 19.43% |
時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日
当日有権者数:35万9604人 最終投票率:62.14%(前回比:-2.41%) (全国投票率:59.86%(2.63%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中山義活 | 58 | 民主党 | 前 | 104,477票 | 47.98% | ―― | ○ | |
深谷隆司 | 68 | 自由民主党 | 元 | 91,926票 | 42.22% | 87.99% | ○ | ||
室喜代一 | 48 | 日本共産党 | 新 | 21,334票 | 9.80% | 20.42% |
時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日
当日有権者数:33万8347人 最終投票率:64.55%(前回比:+2.70%) (全国投票率:62.49%(2.84%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中山義活 | 55 | 民主党 | 前 | 88,744票 | 41.89% | ―― | ○ | |
深谷隆司 | 64 | 自由民主党 | 前 | 81,923票 | 38.67% | 92.31% | ○ | ||
室喜代一 | 44 | 日本共産党 | 新 | 32,155票 | 15.18% | 36.23% | |||
栄博士 | 39 | 無所属 | 新 | 5,371票 | 2.54% | 6.05% | × | ||
小松一彦 | 36 | 自由連合 | 新 | 3,665票 | 1.73% | 4.13% |
投票日:1999年4月11日
当日有権者数:人 最終投票率:%
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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当 | {{{2}}} | {{{3}}} | {{{4}}} | 新 | {{{6}}}票 |
時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日 (全国投票率:59.65%(8.11%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 鳩山邦夫 | 48 | 民主党 | 前 | 88,183票 | 44.73% | ―― | ○ | |
比当 | 深谷隆司 | 61 | 自由民主党 | 前 | 68,503票 | 34.75% | 77.68% | ○ | |
中嶋束 | 52 | 日本共産党 | 新 | 40,461票 | 20.52% | 45.88% |