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== 種牡馬時代 ==
== 種牡馬時代 ==
現役引退後は予定通り[[ビッグレッドファーム]]で種牡馬活動に入ったが、2013年よりデビューした産駒の活躍は思わしくなく、中央競馬では[[東京ジャンプステークス]]を制したシンキングダンサー以外は、下級条件馬を数頭出す程度の成績に留まった。6年間の種牡馬生活で送り出した競走馬のうち、137頭が勝ち上がりを決めていた<ref name="rp200617" />。[[2015年]]に[[北アイルランド]]からの譲渡オファーに応じて輸出され、[[ダウン]]のタリーレーンハウススタッドに繋養された<ref>{{Cite news |title = コンデュイット、母国アイルランドの牧場に譲渡 障害用種牡馬に |newspaper = [[スポーツニッポン]] |date = 2015-08-14 |url = http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/08/14/kiji/K20150814010932820.html |accessdate = 2020-06-18}}</ref><ref>{{Cite news |title = コンデュイット、障害競走の種牡馬として北アイルランドに移籍(アイルランド)[生産] |newspaper = 公益社団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |date = 2015-09-24 |url = http://www.jairs.jp/contents/newsprot/2015/38/1.html |accessdate = 2020-06-18}}</ref><!-- スポニチ記事には「母国アイルランド」とあるが、北アイルランドが正しい -->。
現役引退後は予定通り[[ビッグレッドファーム]]で種牡馬活動に入ったが、2013年よりデビューした産駒の活躍は思わしくなく、中央競馬では[[東京ジャンプステークス]]を制したシンキングダンサー以外は、下級条件馬を数頭出す程度の成績に留まった。6年間の種牡馬生活で送り出した競走馬のうち、137頭が勝ち上がりを決めていた<ref name="rp200617" />。[[2015年]]に[[北アイルランド]]からの譲渡オファーに応じて輸出され、[[ダウン]]のタリーレーンハウススタッドに繋養された<ref>{{Cite news |title = コンデュイット、母国アイルランドの牧場に譲渡 障害用種牡馬に |newspaper = [[スポーツニッポン]] |date = 2015-08-14 |url = http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/08/14/kiji/K20150814010932820.html |accessdate = 2020-06-18}}</ref><ref>{{Cite news |title = コンデュイット、障害競走の種牡馬として北アイルランドに移籍(アイルランド)[生産] |newspaper = 公益社団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |date = 2015-09-24 |url = http://www.jairs.jp/contents/newsprot/2015/38/1.html |accessdate = 2020-06-18}}</ref><!-- スポニチ記事には「母国アイルランド」とあるが、北アイルランドが正しい -->。





2020年8月31日 (月) 00:07時点における版

コンデュイット
2008年ブリーダーズカップ・ターフ
(2008年10月25日)
欧字表記 Conduit
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛[1]
生誕 2005年3月23日[1]
死没 2020年6月17日(15歳没)[2]
Dalakhani
Well Head
母の父 Sadler's Wells
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Ballymacoll Stud Farm Ltd.[1]
馬主 Ballymacoll Stud[1]
調教師 Sir Michael R.Stouteイギリス[1]
競走成績
生涯成績 15戦7勝[1]
獲得賞金 3,551,847ポンド(イギリス)
※英ポンド換算[1]
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コンデュイット (Conduit2005年3月23日 - 2020年6月17日) は、イギリス競走馬種牡馬である。2008年セントレジャーステークスブリーダーズカップ・ターフ2009年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ブリーダーズカップ・ターフを制した。

経歴

2007年

2007年8月にデビューし、初勝利に3戦を要しそのまま2歳シーズンを終える。

2008年

2008年は6月に2勝目を挙げると、同月に行われたG2競走キングエドワード7世ステークスで2着と好走し、翌月にはG3競走ゴードンステークスを僅差ながら勝利する。続いて、三冠最終戦セントレジャーステークスに出走し、5番人気ながら早めに抜け出すと、後続を寄せ付けずに3馬身差の快勝。さらにブリーダーズカップ・ターフも快勝し、史上はじめてセントレジャーの勝ち馬がBCターフを制した。同年のエクリプス賞最優秀芝牡馬を受賞した。

2009年

休養を終えて4歳緒戦は5月のブリガディアジェラードステークス (G3)から始動したが、チマデトリオンフのハナ差の2着に敗れた。続く7月4日のエクリプスステークスでは二冠馬シーザスターズの3着だった。そして7月25日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは1番人気に支持され、レースでは2着のタータンベアラーに1馬身3/4差をつけ優勝、G1・3勝目を挙げた。その後、ぶっつけで凱旋門賞に挑んだがシーザスターズの4着に敗れた。

凱旋門賞後の10月29日、翌2010年から日本のビッグレッドファームで種牡馬となることが発表された。その後、ブリーダーズカップ・ターフでは道中最後方追走から徐々に進出すると、大逃げを打ったプレシャスパッション英語版をゴール前で交わして優勝、史上2頭目の連覇を飾った。引退レースとなったジャパンカップでは同年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス・BCターフの覇者の参戦ということで大いに注目が集まった。人気もウオッカオウケンブルースリに次ぐ3番人気となった。道中はやや後方待機で直線で追い上げるも、ウオッカ、オウケンブルースリをとらえられず、レッドディザイアに交わされ4着に敗れた。

競走成績

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
2007.08.10 ニューマーケット メイドン 芝7f 7着 R.ムーア 2 3/4馬身 Tanweer
2007.08.29 ケンプトン メイドン AW8f 3着 R.ムーア 2 1/2馬身 City of the Kings
2007.09.22 ウルヴァーハンプトン メイドン AW8f141y 1着 J.スペンサー 3/4馬身 (Oberlin)
2008.04.25 サンダウン ハンデキャップ競走 芝10f7y 3着 R.ムーア 2 1/2馬身 Colony
2008.06.07 エプソム ヘリテージH 芝10f18y 1着 R.ムーア 6馬身 (Ramona Chase)
2008.06.20 アスコット キングエドワードVIIS G2 芝12f 2着 R.ムーア 3/4馬身 Campanologist
2008.07.29 グッドウッド ゴードンS G3 芝12f 1着 R.ムーア アタマ (Donegal)
2008.09.13 ドンカスター セントレジャーS G1 芝14f132y 1着 L.デットーリ 3馬身 (Unsung Heroine)
2008.10.25 サンタアニタ BCターフ GI 芝12f 1着 R.ムーア 1 1/2馬身 (Eagle Mountain)
2009.05.28 サンダウン ブリガディアジェラードS G3 芝10f7y 2着 R.ムーア ハナ Cima de Triomphe
2009.07.04 サンダウン エクリプスS G1 芝10f7y 3着 R.ムーア 5 1/2馬身 Sea the Stars
2009.07.25 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 1着 R.ムーア 1 3/4馬身 (Tartan Bearer)
2009.10.04 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 4着 R.ムーア 1 3/4馬身 Sea the Stars
2009.11.07 サンタアニタパーク BCターフ GI 芝12f 1着 R.ムーア 1/2馬身 (Precious Passion)
2009.11.29 東京 ジャパンC GI 芝2400m 4着 R.ムーア 2 3/4馬身 ウオッカ

種牡馬時代

現役引退後は予定通りビッグレッドファームで種牡馬活動に入ったが、2013年よりデビューした産駒の活躍は思わしくなく、中央競馬では東京ジャンプステークスを制したシンキングダンサー以外は、下級条件馬を数頭出す程度の成績に留まった。6年間の種牡馬生活で送り出した競走馬のうち、137頭が勝ち上がりを決めていた[2]2015年北アイルランドからの譲渡オファーに応じて輸出され、ダウン県のタリーレーンハウススタッドに繋養された[3][4]


2020年6月17日、コンデュイットは急性の脳損傷が原因で死亡、15歳であった[5][6]

おもな産駒

血統表

コンデュイット (Conduit)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミルリーフ系ネヴァーベンド系
[§ 2]

Dalakhani
2000 芦毛 アイルランド
父の父
Darshaan
1981 鹿毛 イギリス
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Delsy Abdos
Kelty
父の母
Daltawa
1989 芦毛 アイルランド
Miswaki Mr. Prospector
Hopespringseternal
Damana *クリスタルパレス
Denia

Well Head
1989 鹿毛 アイルランド
Sadler's Wells
1981 鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
母の母
River Dancer
1983 鹿毛 アイルランド
Irish River Riverman
Irish Star
Dancing Shadow *ダンサーズイメージ
Sunny Valley F-No.1-l
母系(F-No.) 1号族(FN:1-l) [§ 3]
5代内の近親交配 Never Bend5×5=6.25%、Native Dancer5×5=6.25%(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。


近親など

脚注

注釈

出典

外部リンク