エラマナムー
エラマナムー | |
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ウェインストック卿(バリーマッコル・スタッド)の勝負服 | |
現役期間 | 1978年~1980年 |
欧字表記 | Ela-Mana-Mou |
原語表記 | έλα μάνα μου |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡馬 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1976年 |
死没 | 2008年 |
父 | Pitcairn (ピットカーン) |
母 | Rose Bertin |
母の父 | High Hat (ハイハット) |
生国 | アイルランド |
生産者 | Patrick Clarke |
馬主 |
Audry Muinos |
調教師 |
Guy Harwood |
競走成績 | |
生涯成績 | 16戦10勝 (10-2-2-2) |
獲得賞金 | 286,581ポンド(ポンド換算) |
勝ち鞍 |
エクリプスステークス(1980) |
エラマナムー (Ela-Mana-Mou) はアイルランドで生まれ、イギリスで調教を受けた競走馬である。
2歳時からトロイと重賞戦線で勝ち負けを繰り返していたが、3歳末にトロイと同じ厩舎に移籍し、古馬になるとエクリプスステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを含む重賞4連勝を達成して、1980年の最優秀古馬に選ばれた。
経歴
[編集]出自
[編集]父ピットカーンはペティンゴ産駒のマイラーでグッドウッドマイルなどG3レースを3勝したが、アイリッシュ2000ギニー2着などG1級のレースでは今一歩足りなかった。エラマナムーは、ピットカーンの初年度産駒であり、エラマナムーの活躍する前にピットカーンは日本に輸出された。
母Rose Bertinは3号族に属する1勝馬で、その牝系ではナスルーラ産駒の5代母Belle of Allが1951年の1000ギニー、コロネーションステークスなどに優勝している。
母の父ハイハットはハイペリオン産駒でオックスフォードシャーステークスなどに勝ち、1966年1000ギニー優勝馬Glad Rags(GB)、同年アイリッシュセントレジャー優勝馬White Gloves(IRE)、1973年アイリッシュ1000ギニー優勝馬Cloonagh(GB)などを輩出し、こちらも日本に輸出された。
エラマナムーはアイルランドのPatrick Clarkeのもとで生まれ、イヤリングセールにおいて4,500ギニーでAudry Muinosに購買され、ウエストサセックス・パルバラのGuy Harwood調教師に預けられた。
エラマナムー(Ela-Mana-Mou)という名前はギリシャ語の"έλα μάνα μου"から名付けられており、直訳すると"come on, my mother"になりスラングとして"Come on, my darling"を意味する。
競走馬時代
[編集]2歳時 (1978年)
エラマナムーは2歳の6月にニューベリーのメイドンレース・ケンネットステークス(6f)を3馬身差で勝利し競走馬デビューすると、7月にはケンプトンパークのウィローステークス(6f)にも勝利した。
続いて、7月のうちにグッドウッドに移動して、G3・ヴィンテージステークス(7f)に出走したエラマナムーであったが、トロイに2馬身半差を付けられ2着に敗れた。
9月になりリングフィールドの6fのハンデキャップを勝利した後、アスコットのG2・ロイヤルロッジステークスに出走すると、前回敗れたトロイに今度は3/4馬身差を付け、リファーズウィッシュを3着に抑えて優勝した。
3歳時 (1979年)
3歳になったエラマナムーは2000ギニーには出走せずに、ニューマーケットのヒースステークス(9f)で3歳初戦を迎え、2着に4馬身差を付けて快勝した。
第200回の区切りとなるダービー制覇を目指し、調教されたが、調教師のHarwoodが馬房を終始モニタリングするような徹底振りであった。
ダービーではトロイ、エリザベス女王所有のミルフォードに次ぐ3番人気で、スターキー騎乗のエラマナムーは、レース序盤は抑えて進んだが、直線でも先頭まで届かずトロイ、Dicken's Hill、Northern Babyに次ぐ4着に終わった。
ダービー敗戦の2週間後に再びターフに現れたエラマナムーはロイヤルアスコットのキングエドワードステークス (12f)を楽勝した。
7月にはフランス遠征を行いサンクルー大賞に出走したが、健闘はしたもののゲイメセンの2着となり、帰国後のキングジョージでもトロイとゲイメセンに敵わず3着であった。
その後2ヶ月休養し、チャンピオンステークスに出走したが、好調時のフォームが見られず、アイルランドの牝馬Cairn Rougeの6着に敗れた。
このシーズンの終わりにエラマナムーはSimon Weinstockの代理人Peter Wraggに500,000ギニーで買われ、厩舎もライバル・トロイの調教師であるウエスト・イルスリーのディック・ハーンのもとに移り、騎手もトロイのW.カーソンが乗り替わることになった。
4歳時 (1980年)
新陣営となった4歳初戦を4月にニューマーケットのG3・アールオブセフトンステークス(9f)で迎えたエラマナムーはそこを首差で勝利し、6月には当時G2だったロイヤルアスコットのプリンスオブウェールズステークスでも2馬身差で勝利した。
7月になるとエクリプスステークスに出走し、コロネーションカップ優勝の牝馬Sea Chimesらと対決した。結果はエラマナムーがヘンリー・セシル厩舎の3歳馬Hello Gorgeous、アイルランドのGregorian、着外に沈んだSea Chimesらに勝った。
ロイヤルアスコットのキングジョージでは、フランス調教馬Le Marmotに次ぐ2番人気で、残り4ハロンで先頭に立つと追いすがるディアヌ賞優勝馬
Mrs Pennyを3/4馬身抑えて優勝した。
2ヶ月以上休養の後、凱旋門賞に出走したが、牝馬デトロワの3着に敗れ、引退することになった。
種牡馬成績
[編集]- 1982年産
- 1983年産
- Almaarad(1988年アラルポカル、1989年アンダーウッドステークス、コックスプレート)
- 1984年産
- Eurobird(1987年アイリッシュセントレジャー)
- Natski(1988年メトロポリタンハンデキャップ)
- 1985年産
- Emmson(1987年フューチュリティステークス)
- 1987年産
- Snurge(1990年セントレジャーステークス、1991年ミラノ大賞典、1992年ロスマンズLtd. インターナショナルステークス)
- 1991年産
- Double Trigger(1995年ゴールドカップ)
血統表
[編集]エラマナムーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ペティション系<フェアトライアル系[1]<フェアウェイ系[2]<ファラリス系[3]<サイリーン系[4]<ベンドア系[4]<ストックウェル系[4]<エクリプス系[5]<ダーレーアラビアン系[5] |
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父 Pitcairn (IRE) *ピットカーン 1971 栗鹿毛 |
父の父 Petingo (GB)1965 鹿毛 |
Petition | Fair Trial | |
Art Paper | ||||
Alcazar | Alycidon | |||
Quarterdeck | ||||
父の母 Border Bounty (GB) 1965 鹿毛 |
*バウンティアス | Rockefella | ||
Marie Elizabeth | ||||
B Flat | Chanteur | |||
Ardeen | ||||
母 Rose Bertin (GB) 1970 栗毛 |
High Hat (GB) *ハイハット 1957 栃栗毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Madonna | Donatello | |||
Women's Legion | ||||
母の母 Wide Awake (GB) 1964 鹿毛 |
Major Portion | Court Martial | ||
Better Half | ||||
Wake Island | Relic | |||
Alor Star | ||||
母系(F-No.) | (FN:3-g) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Hyperion 3×5、Fair Trial 4×5、Alycidon 4×5、Donatello 4×5 | [§ 3] | ||
出典 |
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- 血統表中の「*」は日本へ輸入された馬であることを示す。