ヴィミー
ヴィミー | |
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欧字表記 | Vimy |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1952年 |
死没 | 1980年8月11日 |
父 | Wild Risk |
母 | Mimi |
母の父 | Black Devil |
生国 | フランス |
生産者 | Pierre Wertheimer |
馬主 | Pierre Wertheimer |
調教師 | Alec Head |
競走成績 | |
生涯成績 | 6戦4勝 |
ヴィミー (Vimy, 1952年 - 1980年) は、フランスの競走馬、種牡馬。
経歴
[編集]フランスの実業家、ピエール・ヴェルテメールの生産したサラブレッドの牡馬である。ヴィミーはヴェルテメール所有のもと、アレック・ヘッド調教師のもとで競走馬となった。2歳時は2戦をこなし、1300メートルの競走で1勝を挙げた。
3歳時はメゾンラフィット競馬場で4月に行われたラグランジェ賞(2000メートル)から始動、同着1位で初戦を飾ると[1]、翌戦ロンシャン競馬場で行われたノアイユ賞(2200メートル)でも勝利を挙げた[2]。6月、シャンティイ競馬場で行われたジョッケクルブ賞にも出走し、重馬場も影響してか短頭差でラパーチェに敗れた[3]。
7月にヴィミーはイギリスに渡り、アスコット競馬場のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(11ハロン211ヤード)に出走した。この年の競走は賞金23,000ポンドとイギリス国内でも最高額が懸けられており、10頭立ての中1番人気にはエプソムダービー優勝馬のフィルドレイクで、一方のヴィミーは単勝オッズ11倍扱いであった[4]。レースは3歳馬アクロポリスが先導するなか、ヴィミーは最後の直線まで絶望的な位置にいたが、残り1ハロンで外からアクロポリスを追い抜き、アタマ差で勝利した[5]。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの外国馬の優勝は史上初であった。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの後、セントレジャーステークスやワシントンDCインターナショナルに参戦する構想もあったが、結局はそのまま引退した。
競走馬引退後、ヴィミーはアイルランドキルデア県のアイリッシュ・ナショナルスタッドに種牡馬として繋養された。アイルランドで出した代表産駒に、1963年のエクリプスステークスに優勝したカーキスがいる。1964年にヴィミーは日本へと輸出され、1980年8月11日に同地で死亡した[6]。
主な産駒
[編集]- Khalkis - エクリプスステークス(1963年)
- ショウフウミドリ - 宝塚記念(1972年)
- パッシングゴール - 関屋記念、新潟記念(1972年)
- スピーデーワンダー - 阪神大賞典(1970年)
血統表
[編集]ヴィミーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 Wild Risk 1940 鹿毛 |
父の父 Rialto栗毛 1923 |
Rabelais | St. Simon | |
Satirical | ||||
La Grelee | Helicon | |||
Grignouse | ||||
父の母 Wild Violet鹿毛 1935 |
Blandford | Swynford | ||
Blanche | ||||
Wood Violet | Ksar | |||
Pervencheres | ||||
母 Mimi 1943 鹿毛 |
Black Devil 1931 黒鹿毛 |
Sir Gallahad | Teddy | |
Plucky Liege | ||||
La Palina | Ambassador | |||
Parthenis | ||||
母の母 Mignon1935 鹿毛 |
Epinard | Badajoz | ||
Epine Blanche | ||||
Mammee | Bruleur | |||
Mackwiller | ||||
母系(F-No.) | (FN:F1-u) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Bruleur M4×S5、Ajax M5×M5 | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
[編集]- ^ Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1999). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane's. ISBN 0-354-08536-0
- ^ “Prix Noailles”. France-galop.com. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月11日閲覧。
- ^ “Most valuable British race may go to French colt”. Glasgow Herald. (16 July 1955) 2012年9月11日閲覧。
- ^ “Vimy Wins King George Vi Stakes”. British Pathé (2012年4月5日). 2012年9月11日閲覧。
- ^ “Vimy would have been a very unlucky loser”. The Bulletin. (18 July 1955) 2012年9月11日閲覧。
- ^ Staff. “Vimy (FR)”. Japan Race Horse Registry. 22 November 2013閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|ヴイミー(FR)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年5月23日閲覧。