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[[2013年]]、自身初のリーグ戦全34試合に出場。また、この年初めて日本代表に選出され、シーズン終了後に[[Jリーグベストイレブン]]に初めて選ばれた。 |
2020年8月28日 (金) 21:41時点における版
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日本代表での山口(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ホタル | |||||
カタカナ | ヤマグチ ホタル | |||||
ラテン文字 | YAMAGUCHI Hotaru | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年10月6日(34歳) | |||||
出身地 | 三重県名張市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ヴィッセル神戸 | |||||
ポジション | MF (OH, CH) | |||||
背番号 | 5 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2002 | 箕曲ウエストSC | |||||
2003-2005 | セレッソ大阪U-15 | |||||
2006-2008 | セレッソ大阪U-18 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2015 | セレッソ大阪 | 140 | (11) | |||
2016 | ハノーファー96 | 6 | (0) | |||
2016-2018 | セレッソ大阪 | 84 | (3) | |||
2019- | ヴィッセル神戸 | 34 | (3) | |||
代表歴2 | ||||||
2013-[1] | 日本 | 48 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月9日現在。 2. 2019年11月19日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山口 蛍(やまぐち ほたる、1990年10月6日 - )は、三重県名張市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはミッドフィールダー。日本代表。2013シーズンまでの登録漢字表記は、山口 螢[2]。
来歴
プロ入り前
1990年、三重県名張市赤目に次男として誕生[3][4]。「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という願いを込めて『螢』と名付けられた[5]。
小学校3年生の時に父の影響でサッカーを始め、主にトップ下を担当[6]。中学校進学に際しセレッソ大阪、ガンバ大阪、京都パープルサンガの3クラブの入団テストを受けたが、テスト当日に合格の通知をくれたセレッソ大阪U-15へ入団した[6]。
中学時代は電車で片道2時間かけて練習場まで通う日々を送り[4]、1年生の終わりにはJFAエリートプログラムの1期生に選出された[6][7]。
2006年、セレッソ大阪U-18へ昇格。
2008年、チームの主将に就任[8]。JFAプリンスリーグU-18関西で優勝を飾り、自身もリーグMVPに選出された[9]。
セレッソ大阪
2009年、丸橋祐介と共にトップチームへ昇格。同年5月13日から3か月間、ブラジル全国選手権セリエA・パルメイラスに留学した[10]。
2011年、前年は出場機会に恵まれなかったものの、この年はボランチのポジションで徐々に出場機会を増やし、J1第24節浦和レッズ戦で公式戦初得点を記録。
2012年、開幕からレギュラーを掴む。同年、キム・ボギョン、清武弘嗣といった主力の相次ぐ移籍もあってクラブは下位に低迷したが、ファビオ・シンプリシオの加入後は攻撃的ミッドフィールダーとしても起用されるなどユーティリティな活躍を見せ、リーグ戦30試合に出場した。
2013年、自身初のリーグ戦全34試合に出場。また、この年初めて日本代表に選出され、シーズン終了後にJリーグベストイレブンに初めて選ばれた。
2014年、2014シーズンから名前の登録漢字表記を、山口螢から山口蛍に変更。契約更改時に志願し、セレッソ大阪のキャプテンに就任した[11]。8月9日、第19節FC東京戦で負傷退場。右膝外側半月板損傷と診断され、戦列を離れた。結局、山口は最終節まで復帰できず、C大阪は17位でリーグを終え、J2降格となった[12]。シーズンオフには海外クラブへの移籍も視野に動いたが上手くいかず、国内他クラブからの誘いがある中でC大阪残留を決めた[13]。
2015年シーズン、C大阪はJ2リーグ4位で終えるも、J1昇格プレーオフ決勝でアビスパ福岡に敗れ、1年でのJ1復帰を逃した。
ハノーファー96
2015年12月21日、ドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96への完全移籍が発表された[14]。背番号は16。2016年1月30日、ブンデスリーガ第19節バイエル・レバークーゼン戦でブンデスリーガ初出場。しかし、3月の代表戦で鼻、眼窩底の骨折[15]。その怪我の影響で試合には出場出来ず、シーズン6試合の出場で止まり、チームは降格となった[16]。
セレッソ大阪復帰
2016年6月19日、半年でセレッソ大阪への復帰が発表された[17]。古巣復帰にあたって「育ったクラブを離れてみて、セレッソに対する思いが想像以上に強くなった」と自身の公式ブログにて心境をつづった [18]。また、翌日の6月20日の復帰会見では「残りのサッカー人生を全てこのクラブとともに歩んでいきたい。プレーで返していくしかない」と“生涯セレッソ宣言”でファンやクラブへの恩返しを誓った。わずか半年の復帰となったが、J2の舞台で奮闘してプレーオフでJ1昇格を決めた[19]。
2017年シーズンから育成出身者としては初の背番号「10」番を背負い、レギュラーとして32試合に出場。クラブ初タイトルとなったルヴァンカップと天皇杯優勝に貢献。また、リーグ最多のインターセプト数を記録し[20]、自身2度目となるJリーグベストイレブンに選出された。
2018年1月22日 キャプテンの就任が発表された[21]。また、背番号を清武弘嗣に10番を譲り、海外移籍前と同じ6番に変更した[22]。このシーズンもレギュラーとして33試合に出場。ホーム最終戦の後に行われたセレモニーでは、結果が出ずに解任が決定した監督の尹晶煥を思い涙を流した[23]。
ヴィッセル神戸
2019年より、ヴィッセル神戸へ完全移籍[24]。メディアによると年俸1億円超の3年契約で総額4億円超の契約となった[25]。背番号はセレッソ時代に付け愛着のあった6番では無く「5番」を着用。理由は「『6』だったらセレッソのイメージが強くあるから。環境を全て変えて神戸に来たから、そこにとらわれなくていいかなと思った。」と話している[26]。開幕戦の古巣・C大阪戦からスタメンで出場し、3月にはチームメイトの西大伍と共に代表復帰を果たした。また、神戸から日本代表が選出されるのは5年ぶりとなった[27]。リーグ戦中盤から副主将に抜てきされ、ピッチでも定位置の中盤から1列前でプレー[28]。この起用により攻撃参加が増え、リーグ戦、ルヴァン杯、天皇杯と全ての大会で得点を挙げた(この年に行われた代表戦でも得点を挙げている)。リーグ戦全試合フル出場を果たし、インターセプト数がリーグ最多であった[29]。チームは、2020年1月1日に行われた天皇杯で優勝し、クラブ初タイトル獲得に貢献した。
2020年2月8日、FUJI XEROX SUPER CUP・横浜FM戦では、勝ち越しゴールとなる得点を挙げるも3-3でPK戦に突入。そのPK戦では、横浜FMの3人目が外すとそのまま9人連続でPK失敗するというサッカー史上稀に見る異常事態となったが、7人目の山口が決めて、神戸2つ目のタイトル獲得に貢献した[30]。
日本代表
2010年、クラブでは出場機会に恵まれなかったが、各クラブの控えメンバーを中心としたU-21日本代表に選出され、広州アジア競技大会に出場[31]。山村和也とダブルボランチを形成し、全試合に出場する活躍で、史上初の金メダル獲得に貢献した[31]。
その後も監督の関塚隆の寵愛を受け、レギュラーとしてロンドン五輪アジア予選を戦った。
ロンドン五輪アジア予選後、ロンドン五輪U-23サッカー日本代表に選出された。本大会では、主にクラブでチームメイトだった扇原貴宏とダブルボランチを形成。過密日程の中、全試合フル出場を果たし、メキシコ五輪以来44年ぶりのベスト4進出に貢献した。
2013年7月、東アジアカップ2013に出場する日本代表に初招集され、第1戦中国戦で国際Aマッチ初出場を果たした[1]。同大会では全3試合に出場し、日本代表の大会初優勝に貢献し、自身も大会MVPに選出された[32]。
2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは、初戦のコートジボワール戦、第二戦のギリシャ戦でスタメンで起用されたが、チームはグループリーグ敗退となった。グループリーグ終了後に国際サッカー連盟 (FIFA) が発表した、公式分析システムで出場全選手736人のランキングを10点満点で発表し、山口は日本代表で本田圭佑に次いで2番目に評価が高かった[33]。
2015年1月に開催されるAFCアジアカップ2015へ臨む日本代表の予備登録メンバーに選出されたが、本登録は叶わなかった[34]。しかし、同年3月27日に行われたキリンチャレンジカップのチュニジア代表戦で代表復帰を果たした。8月5日、東アジアカップ2015第2戦韓国戦で国際Aマッチ初得点を決めた。
2016年10月6日、W杯出場へ向けて重要な一戦であったロシアW杯最終予選のイラク戦では1-1で迎えたアディショナルタイムに決勝ゴールを決めた。また、この日は自身の誕生日でもあった[35]。
2018年6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出され、3試合に出場した[36]。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、途中出場で入るも後半残り1分のベルギーのカウンター攻撃からの失点場面での山口のディフェンス対応についてスポーツメディアなどで議論が起こった[37]。「(山口は)ファウルしてでも止めるべきだった」という声にチームメイトの酒井宏樹は、「蛍のところでファウルするのは無理でした」と番組で話している[38]。
プレースタイル
豊富な運動量と抜群のボール奪取能力を持つ中盤のダイナモ[6]。
フィジカルの強さを生かした対人守備を得意とし、タイトなマークと鋭い危険察知能力で相手のチャンスの芽を摘む守備職人であるが[8][39]、ユース時代は背番号「10」を着けて攻撃的なポジションでプレーしており、パスの精度が高く、攻撃センスにも長けている[8]。
2020年6月に那須大亮のYouTube内の企画で、元スペイン代表で神戸でチームメイトだったダビド・ビジャからJリーグで印象に残った日本人選手のMF部門に選ばれている。ビジャは「彼は才能にも恵まれており、フィジカル的なコンディションもいい。チームメートとしてたくさんプレーできて、僕にとっても光栄だった」、「中盤の選手として必要なものを全て兼ね備えている」と山口の事を称賛している[40]。
所属クラブ
- 2000年 - 2002年 箕曲ウエストSC(名張市立錦生小学校)
- 2003年 - 2005年 セレッソ大阪U-15(名張市立赤目中学校)
- 2006年 - 2008年 セレッソ大阪U-18(清明学院高等学校)
- 2009年 - 2015年 セレッソ大阪
- 2016年 - 同年6月 ハノーファー96
- 2016年6月 - 2018年 セレッソ大阪
- 2019年 - ヴィッセル神戸
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | C大阪 | 26 | J2 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | |
2010 | J1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
2011 | 6 | 17 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 21 | 1 | ||
2012 | 30 | 2 | 6 | 0 | 4 | 2 | 40 | 4 | |||
2013 | 34 | 6 | 8 | 1 | 0 | 0 | 42 | 7 | |||
2014 | 19 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 20 | 1 | |||
2015 | J2 | 35 | 1 | - | 0 | 0 | 35 | 1 | |||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2015-16 | ハノーファー | 16 | ブンデス1部 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | C大阪 | 41 | J2 | 19 | 1 | - | 1 | 0 | 20 | 1 | |
2017 | 10 | J1 | 32 | 2 | 2 | 0 | 5 | 1 | 39 | 3 | |
2018 | 6 | 33 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | ||
2019 | 神戸 | 5 | 34 | 3 | 2 | 1 | 5 | 2 | 41 | 6 | |
2020 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 201 | 15 | 22 | 2 | 20 | 5 | 243 | 22 | |
日本 | J2 | 57 | 2 | - | 1 | 0 | 58 | 2 | |||
ドイツ | ブンデス1部 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | ||||
総通算 | 264 | 17 | 22 | 2 | 21 | 5 | 307 | 24 |
その他の公式戦
- 2015年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2016年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2018年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合1得点
- 2020年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合1得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | C大阪 | 6 | 2 | 0 |
2014 | 8 | 0 | ||
2018 | 4 | 0 | ||
2020 | 神戸 | 5 | ||
通算 | AFC | 14 | 0 |
- 公式戦・Jリーグ初出場 - 2009年10月18日 J2第45節 愛媛FC戦(大阪長居スタジアム)
- 公式戦・Jリーグ初得点 - 2011年8月28日 J1第24節 浦和レッドダイヤモンズ戦(大阪長居スタジアム)
タイトル
クラブ
- セレッソ大阪U-18
- セレッソ大阪
- Jリーグカップ:1回(2017年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回(2017年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2018年)
- ヴィッセル神戸
代表
- U-21日本代表
個人
- JFAプリンスリーグU-18関西 MVP(2008年)
- 東アジアカップ MVP(2013年)
- Jリーグベストイレブン:2回(2013年、2017年)
- Jリーグ・優秀選手賞:3回(2013年、2017年、2019年)
- J1リーグ・月間ベストゴール賞:1回(2017年6月)
- J2リーグ・月間MVP:1回(2016年9月)
代表歴
- 国際Aマッチ初出場 - 2013年7月21日 東アジアカップ2013 中国戦(ソウルワールドカップ競技場)[1]
出場大会
- U-17日本代表
- 2007年 - 国際ユースサッカーin新潟
- U-21日本代表
- 2010年 - 広州アジア競技大会
- U-22日本代表
- 2011年 - ロンドン五輪アジア予選
- U-23日本代表
- 2012年 - キリンチャレンジカップ、ロンドン五輪
- 日本代表
- 2013年 - 東アジアカップ2013
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ
- 2015年 - 東アジアカップ2015
- 2016年 - 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ
試合数
- 国際Aマッチ 48試合 3得点(2013年 - )[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 8 | 0 |
2014 | 7 | 0 |
2015 | 9 | 1 |
2016 | 6 | 1 |
2017 | 8 | 0 |
2018 | 7 | 0 |
2019 | 3 | 1 |
通算 | 48 | 3 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2015年8月5日 | 中国、武漢 | 韓国 | △1-1 | 東アジアカップ2015 |
2. | 2016年10月6日 | 日本、さいたま | イラク | ○2-1 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
3. | 2019年11月19日 | 日本、吹田 | ベネズエラ | ●1-4 | キリンチャレンジカップ2019 |
出演
CM
脚注
- ^ a b c d “山口 蛍”. サッカー日本代表データベース
- ^ 山口蛍選手 登録漢字表記変更について セレッソ大阪公式サイト 2014年1月21日
- ^ ロンドン五輪:「地元の期待、息子に」サッカー代表・山口蛍選手の父、名張市長に出場報告 / 三重 - 毎日jp (毎日新聞伊賀版) 2012年7月12日
- ^ a b サッカー五輪代表 名張出身山口選手が選出 - 伊賀タウン情報 YOU 2012年7月13日
- ^ U22山口蛍が五輪への道に光を放つ - nikkansports.com 2011年6月16日
- ^ a b c d U-23日本代表の“ダイナモ”山口蛍「ロンドン五輪は自分をアピールするチャンス」 - SOCCER KING 2012年6月14日
- ^ 3大会ぶり8強の日本、支えるJFAの取り組み - MSN産経ニュース 2012年7月31日
- ^ a b c 山口螢と扇原貴宏、快進撃を支えるボランチコンビ[リンク切れ] - スポーツナビ 2012年7月31日
- ^ プリンスリーグU-18 関西2008 表彰式が行われました! Archived 2013年5月1日, at Archive.is - セレッソ大阪公式サイト 2008年7月20日
- ^ 山口螢、丸橋祐介選手 ブラジル留学のお知らせ - セレッソ大阪公式サイト 2009年5月12日
- ^ Jリーグマッチデーハイライト~アディショナルタイム~ #10(スカパー!、2014年2月15日)
- ^ 山口蛍、全治6週間の重傷だった…アギーレJ初戦出場絶望的 - スポニチ Sponichi Annex
- ^ 山口蛍&扇原がC大阪残留へ - nikkansports.com
- ^ 山口蛍選手 ハノーファー69へ移籍合意のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2015年12月21日
- ^ 顔面強打の山口蛍 鼻、眼窩底の骨折で独出発も延期 soccerking 2016年3月30日
- ^ ハノーファー降格決定。清武弘嗣、酒井宏樹、山口蛍はどうなる? soccerking 2016年4月26日
- ^ ハノーファー69 山口蛍選手 移籍加入のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2016年6月19日
- ^ 山口蛍オフィシャルブログ「セレッソに復帰します」 2016年6月20日付
- ^ 「自然と出た」蛍の涙…号泣する盟友には「曜一朗は背負ってきたものの大きさが違う」 ゲキサカ(2016年12月4日)
- ^ C大阪山口蛍、比類なきインターセプト断トツ30回日刊スポーツ 2018年12月20日
- ^ 2018シーズン キャプテン、副キャプテン決定のお知らせ セレッソ大阪(2018年1月22日)
- ^ C大阪背番号10は清武弘嗣に「蛍と話して決めた」 日刊スポーツ(2018年1月16日)
- ^ C大阪ホーム最終戦で思わず涙…山口蛍主将「尹さんに申し訳ない」ゲキサカ 2018年11月24日
- ^ セレッソ大阪よりMF山口蛍選手 完全移籍加入のお知らせヴィッセル神戸 2018年12月19日
- ^ C大阪・山口蛍、神戸移籍決定的 3年総額4億円中日スポーツ 2018年12月12日
- ^ 【スポーツ】神戸新加入の山口蛍が背番号6を選ばなかった理由デイリースポーツ 2018年1月21日
- ^ 西大伍と山口蛍が日本代表復帰 神戸から5年ぶり日刊スポーツ 2019年3月14日
- ^ 移籍は正解と言い切る神戸・山口 新たな一歩へ王座目指す サッカー天皇杯決勝毎日新聞 2019年12月30日
- ^ 神戸のカットマン山口蛍インターセプト数43回日刊スポーツ 2019年12月17日
- ^ PK戦で“9人連続失敗”。ヴィッセル神戸対マリノス戦で前代未聞の珍事【FUJI XEROX SUPER CUP】フットボールチャンネル 2020年2月8日
- ^ a b “雑草”たちがアジア1に!! - ゲキサカ 2010年11月26日
- ^ 東アジア杯MVPはなぜ山口螢だったのか? ザックジャパンにもたらした計り知れない貢献度を検証する - Football Channel 2013年7月30日
- ^ 本田、FIFAW杯プレー分析システムで736人中37位 - サンスポ 2014年7月2日
- ^ AFC アジアカップ オーストラリア 2015 SAMURAI BLUE(日本代表)予備登録メンバー - JFA
- ^ 山口蛍、誕生日に値千金の決勝弾で日本代表を導く「入ってホッとした」/ロシアW杯アジア最終予選GOAL.com 2016年10月7日
- ^ 先発は1試合のみ…山口蛍「自分の力不足。4年後を目指すかどうかは…」 サッカーキング 2018年7月4日
- ^ 残り1分の3点目、ベルギーカウンターは誰の責任? 山口蛍、「棒立ち」の原因とはJ-castニュース 2018年7月3日
- ^ 「蛍のところでファウルは無理」 酒井宏樹、ベルギー高速カウンターで断言J-castニュース 2018年7月18日
- ^ 五輪の悔しさと手応えで飛躍へ C大阪・山口蛍 (上) - 日本経済新聞 2012年12月1日
- ^ ビジャが“凄い日本人Jリーガー”4人を選出「すごく良いGK」「かなり印象に残っている」ゲキサカ 2020年6月28日
- ^ “大谷 C大阪・蛍と「箱根」共闘 日本ハム新CM出演”. スポニチアネックス. (2016年12月27日) 2016年12月27日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 山口蛍 - J. League Data Siteによる選手データ
- オフィシャルブログ
- 山口蛍 (@hotaru10_official) - Instagram