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2020年8月26日 (水) 05:22時点における版
海州(かいしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の江蘇省連雲港市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
549年(武定7年)、東魏は南朝梁から奪取した僑州の青州および冀州を統合し、海州を立てた[1]。その州治は龍苴城に置かれた。海州は東彭城郡・東海郡・海西郡・沭陽郡・琅邪郡・武陵郡の6郡19県を管轄した[2]。
隋代
隋初には、海州は5郡7県を管轄した。582年(開皇2年)に莒州義塘郡の廃止にともない、その管轄県が統合された。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、海州の属郡は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、海州は東海郡と改称され、下部に5県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | |||||
州 | 海州 | 莒州 | 郡 | 東海郡 | ||||
郡 | 朐山郡 | 東海郡 | 海安郡 | 武陵郡 | 沭陽郡 | 義塘郡 | 県 | 朐山県 東海県 漣水県 沭陽県 懐仁県 |
県 | 朐山県 | 広饒県 東海県 |
襄賁県 | 上鮮県 洛要県 |
沭陽県 | 懐仁県 帰義県 義塘県 |
唐代
621年(武徳4年)、唐により東海郡は海州と改められた。742年(天宝元年)、海州は東海郡と改称された。758年(乾元元年)、東海郡は海州の称にもどされた。海州は河南道に属し、朐山・東海・沭陽・懐仁の4県を管轄した[4]。
宋代
宋のとき、海州は淮南東路に属し、朐山・東海・沭陽・懐仁の4県を管轄した[5]。
金のとき、海州は山東東路に属し、朐山・東海・漣水・沭陽・贛楡の5県と太平・金城・荻水・臨洪の4鎮を管轄した[6]。
元代
1278年(至元15年)、元により海州は海州路総管府に昇格した。海州路は海寧府と改められた。ほどなく海寧府は海寧州と改称された。海寧州は淮安路に属し、朐山・沭陽・贛楡の3県を管轄した[7]。
明代以降
明の洪武初年、海寧州は海州の称にもどされた。海州は淮安府に属し、贛楡県を管轄した[8]。
1724年(雍正2年)、清により海州は直隷州に昇格した。海州直隷州は江蘇省に属し、贛楡・沭陽の2県を管轄した[9]。
1912年、中華民国により海州は廃止され、東海県と改められた。