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禺州(ぐうしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から宋初にかけて、現在の広西チワン族自治区玉林市一帯に設置された。
669年(総章2年)、唐により東峨州が禺州と改称された。州治は峨石県に置かれた。742年(天宝元年)、禺州は温水郡と改称された。758年(乾元元年)、温水郡は禺州の称にもどされた。禺州は嶺南道の容管十州に属し、峨石・温水・陸川・扶莱の4県を管轄した[1]。
972年(開宝5年)、北宋により禺州は廃止され、容州に編入された[2]。
- ^ 『旧唐書』地理志四
- ^ 『宋史』地理志六