眉州
眉州(びしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の四川省眉山市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
[編集]548年(太清2年)、南朝梁により設置された青州を前身とする。554年(廃帝3年)、西魏により青州は眉州と改称された[1]。562年(保定2年)、北周により眉州から青州が分離された。579年(宣政2年)、青州は嘉州と改称された[2]。
隋代
[編集]隋初には、眉州は2郡3県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、眉州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、嘉州は廃止され、眉州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、眉州は眉山郡と改称され、下部に8県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | ||
州 | 眉州 | 嘉州 | 郡 | 眉山郡 | |
郡 | 斉通郡 | 青神郡 | 平羌郡 | 県 | 通義県 丹棱県 青神県 竜游県 平羌県 峨眉県 夾江県 洪雅県 |
県 | 斉通県 洪雅県 | 青神県 | 平羌県 |
唐代
[編集]618年(武徳元年)、唐により眉山郡は嘉州と改められた。619年(武徳2年)、嘉州の通義・丹棱・洪雅・青神・南安の5県が分割されて眉州が置かれた。622年(武徳5年)、南安県は廃止された。628年(貞観2年)、陵州の隆山県は眉州に移管された。712年(先天元年)、玄宗の諱を避けるために隆山県は彭山県と改称された。742年(天宝元年)、眉州は通義郡と改称された。758年(乾元元年)、通義郡は眉州の称にもどされた。眉州は剣南道に属し、通義・彭山・丹棱・洪雅・青神の5県を管轄した[4]。
宋代
[編集]976年(太平興国元年)、北宋により太宗の諱を避けるために通義県は眉山県と改称された。993年(淳化4年)、洪雅県は嘉州に移管された。眉州は成都府路に属し、眉山・彭山・丹棱・青神の4県を管轄した[5]。
元代
[編集]元のとき、眉州は嘉定府路に属し、彭山・青神の2県を管轄した[6]。
明代以降
[編集]明のとき、眉州直隷州は四川省に属し、彭山・丹棱・青神の3県を管轄した[7]。
清のとき、眉州直隷州は四川省に属し、彭山・丹棱・青神の3県を管轄した[8]。
1913年、中華民国により眉州直隷州は廃止され、眉山県と改められた。