宕渠郡
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宕渠郡(とうきょ-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。後漢末から隋代にかけて、現在の四川省北東部に設置された。
概要
[編集]218年(建安23年)、劉備により巴郡の宕渠・宣漢・漢昌の3県が分割されて、宕渠郡が立てられた[1]。宕渠郡は梁州に属し、郡治は宕渠県に置かれた。222年(蜀漢の章武2年)、宕渠郡は廃止され、巴西郡に編入された。延熙年間、再び宕渠郡が立てられ、王士が太守となった。9年後に廃止された。304年(西晋の永興元年)、李雄により再び宕渠郡が立てられた[2]。
439年(南朝宋の元嘉16年)、宕渠郡は梁州から益州に転属したとされる。いっぽう梁州に南宕渠郡が立てられ、宕渠・漢興・宣漢・宋康の4県を管轄した[3]。益州の「南宕渠郡」は宕渠・漢興・宣漢の3県を管轄した[4]。以上のように『宋書』州郡志の記述は混乱しており、経緯は定かではない。
南朝斉のとき、梁州に南宕渠郡・北宕渠郡・東宕渠郡があり、益州に西宕渠郡・東宕渠獠郡があった。梁州の南宕渠郡は宕渠・漢初・宣漢・宋康の4県を管轄した。益州の西宕渠郡は宕渠・宣漢・漢初・東関の4県を管轄した。東宕渠獠郡は宕渠・平州・漢初の3県を管轄した[5]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、境陽郡は廃止されて、渠州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、渠州が宕渠郡と改称された。宕渠郡は流江・賨城・宕渠・咸安・隣水・墊江の6県を管轄した[6]。
618年(武徳元年)、唐により宕渠郡は渠州と改められた[7]。