衡陽郡
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衡陽郡(こうよう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から南北朝時代にかけて、現在の湖南省東部に設置された。
概要
[編集]257年(太平2年)、呉により長沙西部に衡陽郡が置かれた[1]。衡陽郡は荊州に属し、郡治は湘南県に置かれた。
307年(晋の永嘉元年)、荊州の7郡と江州の桂陽郡を分割して湘州が立てられると、衡陽郡は湘州に転属した。晋の衡陽郡は湘郷・重安・湘南・湘西・烝陽・衡山・連道・新康・益陽の9県を管轄した[2]。395年(太元20年)、酃・利陽・新平の3県を廃止した。
南朝宋のとき、衡陽郡は湘西・湘南・益陽・湘郷・新康・重安・衡山の7県を管轄した[3]。
南朝斉のとき、衡陽郡は湘西・益陽・湘郷・新康・衡山の5県を管轄した[4]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、衡陽郡は廃止されて、衡州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、衡州は衡山郡と改称された[5]。
621年(武徳4年)、唐が蕭銑を平定すると、衡山郡は衡州と改められた。742年(天宝元年)、衡州は衡陽郡と改称された。758年(乾元元年)、衡陽郡は衡州と改称され、衡陽郡の呼称は姿を消した[6]。