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「草津駅 (滋賀県)」の版間の差分

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*[[1988年]](昭和63年)[[3月13日]] - 路線愛称の制定により、東海道本線で「[[琵琶湖線]]」の愛称を使用開始。
*[[1988年]](昭和63年)[[3月13日]] - 路線愛称の制定により、東海道本線で「[[琵琶湖線]]」の愛称を使用開始。
*[[2002年]]([[平成]]14年)[[7月29日]] - [[アーバンネットワーク運行管理システム#JR京都・神戸線システム|JR京都・神戸線運行管理システム]]導入。
*[[2002年]]([[平成]]14年)[[7月29日]] - [[運行管理システム (JR西日本)#JR京都・神戸線システム|JR京都・神戸線運行管理システム]]導入。
*[[2003年]](平成15年)
*[[2003年]](平成15年)
**[[3月15日]] - 改札内のエレベーター、エスカレーターが使用開始。
**[[3月15日]] - 改札内のエレベーター、エスカレーターが使用開始。
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:* 東海道本線下りは場内・出発と第二出発を、また上りは第一場内・第二場内と出発の各信号機を持つ。
:* 東海道本線下りは場内・出発と第二出発を、また上りは第一場内・第二場内と出発の各信号機を持つ。
:* 草津線場内信号には1番線(2番のりば)の[[日本の鉄道信号#誘導信号機|誘導信号機]]が併設されており、草津線列車を本線上り列車の後方へ連結することができる。
:* 草津線場内信号には1番線(2番のりば)の[[日本の鉄道信号#誘導信号機|誘導信号機]]が併設されており、草津線列車を本線上り列車の後方へ連結することができる。
:*[[アーバンネットワーク運行管理システム|JR京都・神戸線運行管理システム]]の導入以前は、[[駅自動放送]]を用いず、全て駅係員の肉声で案内を行っていた。
:*[[運行管理システム (JR西日本)|JR京都・神戸線運行管理システム]]の導入以前は、[[駅自動放送]]を用いず、全て駅係員の肉声で案内を行っていた。


=== 駅構内の施設 ===
=== 駅構内の施設 ===

2020年8月21日 (金) 09:04時点における版

草津駅
東口
くさつ
Kusatsu
所在地 滋賀県草津市渋川一丁目1-16
北緯35度1分22.49秒 東経135度57分45.88秒 / 北緯35.0229139度 東経135.9627444度 / 35.0229139; 135.9627444
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 クサ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 3面6線
乗車人員
-統計年度-
29,632人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1889年明治22年)7月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 A 東海道本線琵琶湖線
駅番号 JR-A24
キロ程 491.4km(東京起点)
米原から45.5 km
JR-A23 栗東 (2.3 km)
(2.5 km) 南草津 JR-A25*
所属路線 C 草津線
キロ程 36.7 km(柘植起点)
手原 (4.0 km)
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口
* 当駅から東海道本線(南草津・大阪方)から山陽本線の西明石までは複々線。
テンプレートを表示
草津駅の俯瞰写真。
左から草津1・2番線、3・4番線、5・6番線である。草津1番線に221系が停車中。
構内写真。
3・4番線から東京方へ向けて撮影。
駅西口
東口から市街地方面を見渡した風景。草津宿本陣をモチーフにした和風の門がペデストリアンデッキ上にある

草津駅(くさつえき)は、滋賀県草津市渋川一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)のである。当駅から山陽本線(JR神戸線)西明石駅までの約120 kmが複々線区間となっている。

東海道本線草津線の2路線が乗り入れ、東海道本線を所属線とする[1]。東海道本線は「琵琶湖線」の路線愛称設定区間に含まれている。草津線は当駅を終着駅とし、一部の列車は東海道本線の京都方面との直通がある。駅番号は東海道本線(琵琶湖線)にのみJR-A24が付与されている。

歴史

年表

関西鉄道の山田延伸計画

関西鉄道は草津駅から草津市山田町の山田港まで鉄道を延伸する計画を持った[8]。山田港以降は大津まで湖上輸送を行い、その先の京都へは琵琶湖疎水を用いて官設鉄道より安い運賃でアクセスすることを目論んだ[9]。路線は初めは天井川である草津川をくぐる計画であったが、工事費がかさむのを避けるため西方に向かって草津川の河床が低くなった位置に鉄橋を架ける路線が構想された[10]。それでも既に敷設された官設鉄道をまたぐ部分で巨額の資金を要した[11]。資金不足に加え、関西鉄道が京都 - 名古屋間ではなく大阪 - 名古屋間での輸送を主軸に考えるようになったことから山田に延伸する計画は立ち消えた[11]

駅構造の変化

非電化時代は駅本屋に面した単式ホームが草津線用の1番のりばと下り本線の2番のりば、ホームのない中線を挟み、上り本線である3番のりばと同副本線の4番のりばの島式ホームという構造であった。

1956年(昭和31年)11月19日の東海道本線全線電化にさきがけ、1955年昭和30年)12月に上り専用ホームだった3・4番のりばを下り専用ホームに変更し、新たな上り専用の島式ホームとして5・6番のりばを増設。2番のりばが下り副本線、3番のりばが下り本線、4番のりばが神戸方面からの電車折り返し専用線(東京方面からの乗入不可)、5番のりばが上り本線、6番のりばが上り副本線の計3面6線に大きく変更された。

1960年(昭和35年)の時点では、東海道本線は島式ホーム2面4線で下り線には貨物待避線を持ち、草津線は単式ホーム1面1線であった[12]。草津線のホームには貨物ホームや貨物仕分線なども設置されていた[12]

1967年(昭和42年)4月12日橋上駅に改築された。

1970年(昭和45年)3月9日に輸送需要の増大が予想され当駅 - 京都駅間が複々線[2]。これに伴いホームが増設された[12]。さらに同年11月に草津線の線路を変更し東海道本線からの直通草津線上り列車は東海道本線を立体交差で越える構造になった。これらにより配線が再変更され、4番のりばが内側線下りとなって米原方面からの乗り入れが可能となり現在の形になった。他にホームを持たない線路を上下各1本持ち、回送列車貨物列車の待避に使用されている。

草津線の旧線路敷は道路に転用されている。草津線(旧線)分岐点横には草津線用蒸気機関車転車台・給炭所・給水塔の設備もあった。現在それらの跡地は保守車両基地とマンションになっている。かつては貨物業務の扱いと草津線直通列車の機関車の交換作業と操車場機能があった。上下線の外側には側線が残っているが、現在は使用されていない。

草津線を開業した関西鉄道が駅南側に検修庫などを持っていた。使用廃止後も跡地が平成になるまで残っていたが、現在は近鉄百貨店草津店とマンション近鉄不動産物件)になっている。

駅構造

のりば 路線 行先 備考
1・2 C 草津線 貴生川柘植方面 一部は5・6番のりば
3・4 A 琵琶湖線 京都大阪方面 草津線からは2番のりば
5・6 米原長浜方面

上表の路線名は旅客案内上の名称(「琵琶湖線」は愛称)で記載している。

島式ホームを計3面8線を持つ[12]。東京方には東海道本線(琵琶湖線)の上下を挟んで中央に電留線が設けられ、列車が東海道本線をまたいで草津線に入れる高架橋が設けられている[12]。草津を境に東京方が複線、神戸方が複々線であるが、方向別複々線のため上下線の列車で平面交差が生じていない[12]

神戸方から草津線へ入る列車は5・6番線に入線してから東海道本線をオーバーパスするが、それ以外の草津線の列車は5・6番線から発着する[12]

当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として東海道本線の野洲駅守山駅栗東駅南草津駅と、草津線内のすべての中間駅を管理している。IC乗車カード「ICOCA」の利用エリア内である。

運転線路呼称
  • 草津1番線(1番のりば、草津線)
  • 1番線(2番のりば、草津線 - 東海道本線)
  • 2番線(ホームなし、東海道本線下り待避線、2番のりばと3番のりばの間)
  • 3番線(3番のりば、東海道本線下り外側線)
  • 4番線(4番のりば、東海道本線下り内側線)
  • 5番線(5番のりば、東海道本線上り内側線)
  • 6番線(6番のりば、東海道本線上り外側線)
  • 7番線(ホームなし、東海道本線上り待避線、6番のりばの外側)
配線図
西日本旅客鉄道 草津駅 構内配線略図
草津線
貴生川柘植方面

東海道本線
琵琶湖線
米原大垣方面
西日本旅客鉄道 草津駅 構内配線略図
東海道本線
京都大阪方面
凡例
出典:[13][14]


特記事項
  • 琵琶湖線ホームには終日、駅係員が常駐し旅客の整理及び客扱終了合図を行っている。
  • 1番のりばは行き止まり式で、草津線の到着・出発と東海道本線下り到着が可能。
  • 駅の北側には4・5番線のみ出入り可能な留置線が2本あり、当駅折り返し列車が使用する。
  • 駅南側に旧草津川天井川トンネルがあるため、トンネルを越えた南側に内外転線の渡り線を持つ。
  • 東海道本線下りは場内・出発と第二出発を、また上りは第一場内・第二場内と出発の各信号機を持つ。
  • 草津線場内信号には1番線(2番のりば)の誘導信号機が併設されており、草津線列車を本線上り列車の後方へ連結することができる。
  • JR京都・神戸線運行管理システムの導入以前は、駅自動放送を用いず、全て駅係員の肉声で案内を行っていた。

駅構内の施設

ダイヤ

琵琶湖線

日中時間帯は1時間に7本(新快速3本、普通列車(大阪方面行きは高槻駅から快速)4本)が停車する。朝晩は本数が多くなる。

2018年3月17日時点の平日ダイヤの1日あたり運行本数は、南草津側では下り143本(新快速59本、快速(京都または高槻から快速)74本、普通10本)、上り148本(新快速67本、快速69本、普通12本)である[15]

草津線

日中時間帯は1時間に2本が発着する。朝晩は京都駅発着も設定されている。

2018年3月17日時点の平日ダイヤの1日あたり運行本数は、上り39本、下り40本(いずれも普通列車のみ)である[15]

貨物取扱

2009年までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあったが、臨時車扱貨物のみの取り扱いであり、最後まで貨物列車の発着はなかった。これは一旦廃止された貨物取扱を、国鉄分割民営化直前に将来の貨物取扱再開に備え「開閉期間・取扱範囲は別に定める」として再開させたものであった。

民営化前の1986年まで旅客駅西口の北側に有蓋車用の貨物ホームが存在した。

駅弁

南洋軒が販売する主な駅弁は下記の通り[16]

  • お手軽近江牛すき焼き弁当

駅弁類は明治22年7月1日の鉄道開業後、同年7月6日に草津村大路の南新助により構内営業出願、同月18日許可、8月1日販売開始である。

利用状況

2018年度の1日平均乗車人員29,632人で、JR西日本の駅では29位である[17]。長らく滋賀県内の駅では当駅が最も乗車人員が多かったが、2014年度に南草津駅を下回って第2位となった。

しかしながら、滋賀県の県庁所在地の駅である大津駅より多く、草津線との接続駅でもある。 また、さらには関空特急はるか、特急びわこエクスプレスの他、大津駅には停まらない特急ひだの停車駅(滋賀県内で停車するのは草津駅と米原駅のみ)である。

草津駅の利用者が駅へのアクセス手段は徒歩が大半を占め、バスや自動車によるアクセスは割合が低い[18]

滋賀県統計書によると、近年の1日平均乗車人員推移は下表のとおりである。

年度別1日平均乗車人員[19]
年度 1日平均
乗車人員
出典
1992年(平成04年) 28,219 [20]
1993年(平成05年) 28,579 [21]
1994年(平成06年) 28,600 [22]
1995年(平成07年) 27,195 [23]
1996年(平成08年) 28,030 [24]
1997年(平成09年) 28,565 [25]
1998年(平成10年) 28,529 [26]
1999年(平成11年) 27,920 [27]
2000年(平成12年) 27,648 [28]
2001年(平成13年) 27,231 [29]
2002年(平成14年) 26,887 [30]
2003年(平成15年) 26,882 [31]
2004年(平成16年) 27,023 [32]
2005年(平成17年) 27,031 [33]
2006年(平成18年) 27,831 [34]
2007年(平成19年) 28,134 [35]
2008年(平成20年) 28,234 [36]
2009年(平成21年) 27,622 [37]
2010年(平成22年) 27,654 [38]
2011年(平成23年) 27,435 [39]
2012年(平成24年) 27,687 [40]
2013年(平成25年) 28,315 [41]
2014年(平成26年) 27,966 [42]
2015年(平成27年) 28,629 [43]
2016年(平成28年) 28,854 [44]
2017年(平成29年) 29,591 [45]
2018年(平成30年) 29,632 [17]

駅周辺

実質的表玄関は旧市街地である草津宿、百貨店など大型商業施設や市役所が存在する東口である。 西口にも大型ホテルや、小規模商業施設が集中しており人の往来は多く市街地を形成している。駅のコンコースが自由通路として駅東西の市街地を結ぶ道路としての役割を持つ[46]。2013年(平成25年)から草津市では草津駅を中心に歩いて暮らせる「草津市中心市街活性化基本計画」が進められ、駅前ショップやカフェ、草津川跡地整備工事などによって歩行者の数が増加した成果が見られている[47]

草津駅南側にある踏切は「下笠道踏切」と呼ばれ、草津駅に西口がなかった頃から、草津市西部への連絡路として交通量が多く、開かずの踏切として知られていた。そのため自動化が遅れたが、草津駅のホーム下を抜ける自動車専用の地下道ができ、下笠道踏切は歩行者専用になって自動化された。その後歩行者専用の地下道が建設され、2007年4月6日の開通をもって、下笠道踏切は閉鎖された。

草津宿本陣
近鉄百貨店草津店
草津川トンネル。不使用の2線を含め6線のトンネルが通じている
栗東駅 - 草津駅間にある高さの低いトンネル
2007年4月6日で閉鎖された下笠道踏切
2007年4月6日に開通した歩行者専用の地下道

東口

1954年(昭和29年)の草津市の市制への移行による行財政制度の整備に伴う都市化、1956年(昭和31年)の東海道本線の電化に伴う鉄道駅中心とする都市構造の変化の影響により草津の商店街の中心が草津川南側の本町地区から草津駅北側の大路井地区へ移り変わった[48]

1967年(昭和42年)3月に約3倍の4200平方メートルに拡張され、路線バスやタクシーの乗り場が新たに整備された[49]。その翌年の1968年(昭和43年)には大型店のヒカリ屋と平和堂が草津駅前に進出・出店した[50]。この影響で、草津川南側の商店街の衰退化が著しくなった[51]

1970年(昭和45年)に草津市は専門家に草津市駅前再開発計画の立案を依頼し、1971年(昭和46年)6月に公表して駅前地区を5ブロックに分けて再開発する計画を立てたが、踏切の立体交差化に対する反対や国鉄用地の買収の停滞によりこの計画は一度頓挫した[52]。次いで1974年(昭和49年)に草津市は再び再開発計画を立案し、総面積4万8千平方メートルの駅前地区を5ブロック(A-F地区)に分けた案を立てた[53]。このうち、駅東口広場の南側にある「A地区」では権利者たちが「クリーン街づくり研究会」を結成し、1981年(昭和56年)11月に草津駅前A地区市街地再開発準備組合を発足させた[53]1982年(昭和57年)4月に設計業者に依頼してモデルプランを公表し、「スーパーでは得られないシティ間隔にあふれたナウイ施設」をスローガンとした商業施設を建設し、立体駐車場や駅との連絡通路を設ける予定となった[54]。その後、1985年(昭和60年)12月1日に草津駅前A地区再開発組合を設立し、1986年(昭和61年)12月1日に建築物の工事に着工された[55]。1989年(平成元年)4月1日に「エルティ932」として開業した[56]。エルティ932が開業する前年の1988年(昭和63年)12月10日に草津駅東口から国道1号へ通じる都市計画道路(通称名:サンサン通り)が開通した[57]

西口

1968年(昭和43年)3月に西口が完成[46]。完成まで駅を利用するには下笠か渋川の踏切を渡らなければならず、駅西口への要望が強かった[46]。駅西口の完成時までに3400平方メートルの駅前広場と幅員22メートル、延長65メートルの取り付け道路が新設され、琵琶湖方面へのバスターミナルが併設された[58]。タクシーが配車されるようになったのは1972年(昭和47年)2月以降である[4]

バス路線

草津駅には近江鉄道バス・滋賀交通帝産湖南交通のバスが乗り入れる[59]。事業者ごとに乗車位置が異なり、同じ行先でも異なる乗車位置となるため、利用者には分かりづらいといえる[60]。草津駅から特に運行本数が多い方面は岡本・山寺工業団地方面や、浜街道方面である[60]。草津市内のほぼすべての路線が草津駅か南草津駅を発着とする[60]

草津駅東口バスターミナルの看板

1984年(昭和59年)時点では国鉄バスも乗り入れていた[61]。草津市の市制施行以降は草津駅を中心としたバス路線の開設や本数増加が見られ、昭和40年代以降は草津駅を起点とした新興住宅地や工業地域への新規路線の開設が見られた[62]

隣の駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)
A 琵琶湖線(東海道本線)
新快速
守山駅 (JR-A22) - 草津駅 (JR-A24) - 南草津駅 (JR-A25)
普通(京都駅または高槻駅から快速となる列車を含む)
栗東駅 (JR-A23) - 草津駅 (JR-A24) - 南草津駅 (JR-A25)
  • 運行区間の全駅に停車する各停 (普通電車) (7両編成)は当駅着で、南草津駅方面からのみの運転。但し、7両編成(207系321系)自体が営業運転で入るのは野洲駅までとなっている。
C 草津線
手原駅 - 草津駅
  • 東海道新幹線南びわ湖駅建設計画に伴い当駅と手原駅の間に草津線新駅を建設する構想があったが、新幹線新駅の建設が中止となったため具体化はしていない。

脚注

  1. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. ^ a b c 祖田圭介 2013, p. 14.
  3. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 588.
  4. ^ a b 草津市史編さん委員会 1988, p. 592.
  5. ^ 鉄道貨物協会「貨物時刻表」では2010年度、「鉄道要覧」では平成21年度(2009年度)から記述削除。
  6. ^ 琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・大阪環状線の駅のホームで使用している「入線警告音」の音質を見直します
  7. ^ "近畿エリアの12路線 のべ300駅に「駅ナンバー」を導入します!" (Press release). JR西日本. 20 July 2016. 2018年2月24日閲覧
  8. ^ 辻良樹 2007, p. 35.
  9. ^ 辻良樹 2013, p. 36.
  10. ^ 辻良樹 2013, pp. 36–37.
  11. ^ a b 辻良樹 2013, p. 37.
  12. ^ a b c d e f g 祖田圭介 2013, p. 77.
  13. ^ 「JR西日本 東海道本線 米原-神戸間 線路配線略図」、「特集 東海道本線2」、『鉄道ファン』 第48巻1号(通巻第561号) 2008年1月号、折込、交友社、2008年
  14. ^ 草津駅(JR西日本) - 構内図
  15. ^ a b 草津市地域公共交通活性化再生協議会 2018, p. 26, 本編.
  16. ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、230頁。 
  17. ^ a b データで見るJR西日本2019”. 西日本旅客鉄道. 2019年9月30日閲覧。
  18. ^ 草津市地域公共交通活性化再生協議会 2018, p. 23, 本編.
  19. ^ 滋賀県総合政策部統計課. “滋賀県統計書”. 県政情報. 滋賀県. 2020年8月8日閲覧。
  20. ^ 平成4年滋賀県統計書[リンク切れ]
  21. ^ 平成5年滋賀県統計書 (PDF)
  22. ^ 平成6年滋賀県統計書 (PDF)
  23. ^ 平成7年滋賀県統計書 (PDF)
  24. ^ 平成8年滋賀県統計書 (PDF)
  25. ^ 平成9年滋賀県統計書[リンク切れ]
  26. ^ 平成10年滋賀県統計書 (PDF)
  27. ^ 平成11年滋賀県統計書 (PDF)
  28. ^ 平成12年滋賀県統計書 (PDF)
  29. ^ 平成13年滋賀県統計書 (PDF)
  30. ^ 平成14年滋賀県統計書 (PDF)
  31. ^ 平成15年滋賀県統計書 (PDF)
  32. ^ 平成16年滋賀県統計書 (PDF)
  33. ^ 平成17年滋賀県統計書 (PDF)
  34. ^ 平成18年滋賀県統計書 (PDF)
  35. ^ 平成19年滋賀県統計書 (PDF)
  36. ^ 平成20年滋賀県統計書 (PDF)
  37. ^ 平成21年滋賀県統計書 (PDF)
  38. ^ 平成22年滋賀県統計書 (PDF)
  39. ^ 平成23年滋賀県統計書 (PDF)
  40. ^ 平成24年滋賀県統計書 (PDF)
  41. ^ 平成25年滋賀県統計書 (PDF)
  42. ^ 平成26年滋賀県統計書 (PDF)
  43. ^ 平成27年滋賀県統計書 (PDF)
  44. ^ 平成28年滋賀県統計書 (PDF)
  45. ^ 平成29年滋賀県統計書 (PDF)
  46. ^ a b c 草津市史編さん委員会 1988, p. 591.
  47. ^ 健美家編集部 (2020年8月9日). “長期的には不動産投資市場にも影響? 人が集まり生き残る地方都市のキーワードは「コンパクトシティ」!”. 健美家 
  48. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 606.
  49. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 590.
  50. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 614.
  51. ^ 草津市史編さん委員会 1988, pp. 615–616.
  52. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 677.
  53. ^ a b 草津市史編さん委員会 1988, p. 678.
  54. ^ 草津市史編さん委員会 1988, pp. 678–679.
  55. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 679.
  56. ^ “JR草津駅前 エルティ932オープン 消費税どこ吹く風 買い物客どっと”. 京都新聞. (1989年4月2日) 
  57. ^ “サンサン通り 10日開通 都計・草津駅前線 国道1号へ571メートル”. 京都新聞. (1988年12月8日) 
  58. ^ 草津市史編さん委員会 1988, pp. 591–592.
  59. ^ 草津駅|接続交通機関:JRおでかけ情報”. 西日本旅客鉄道. 2019年12月28日閲覧。
  60. ^ a b c 草津市地域公共交通活性化再生協議会 2018, p. 27, 本編.
  61. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 600.
  62. ^ 草津市史編さん委員会 1988, p. 602.

参考文献

  • 草津市史編さん委員会『草津市史』 第四巻、草津市役所、1988年4月1日。 
  • 祖田圭介「東海道本線 線路改良の記録」『鉄道ピクトリアル』第54巻第9号、電気車研究会、2004年9月1日、10-23頁。 
  • 辻良樹『関西 鉄道考古学発見 いまも残る鉄道形成時代の面影を京都・大阪・神戸、その周辺にたずねる』JTBパブリッシング、2007年10月。ISBN 978-4-533-06908-6 
  • 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 -名古屋-神戸-」『鉄道ピクトリアル』第63巻第3号、電気車研究会、2013年3月1日、10-23頁。 
  • 草津市地域公共交通活性化再生協議会『草津市地域公共交通網形成計画』草津市、2018年10月https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/seisaku/shikeikaku/sangyotoshisuido/mokeikakusakutei.html 

関連項目

1957年公開の松竹映画『顔』の タイトルバックおよびオープニングシーンは草津駅で撮影された。 (のちのシーンで刑事が「草津で乗り移った草津、、、」という セリフもある)

外部リンク

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