「日本製鉄釜石シーウェイブス」の版間の差分
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2020年7月24日 (金) 08:07時点における版
原語表記 | 釜石シーウェイブスRFC | ||
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クラブカラー |
青 黄 | ||
愛称 | シーウェイブス | ||
創設年 | 2001年 | ||
グラウンド | 釜石市球技場(松倉グラウンド) | ||
監督 | 桜庭吉彦 | ||
所属リーグ | トップチャレンジリーグ | ||
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公式サイト | |||
http://www.kamaishi-seawaves.com/ |
釜石シーウェイブスRFC(かまいしシーウェイブスラグビーフットボールクラブ、アルファベット表記:Kamaishi Seawaves R.F.C.)は、岩手県釜石市に拠点を置くラグビークラブ。2019-2020シーズンはジャパンラグビートップチャレンジリーグに所属する。
概要
1959年に設立された富士製鐵(現・日本製鉄)釜石製鐵所の実業団チームを起源とする。実業団時代の1978年から84年にかけて日本選手権7連覇という偉業を達成し、その強さから「北の鉄人」と呼ばれ、日本ラグビー史に一時代を築いたチームでもある。獲得した全国タイトルは、歴代第2位の計26回(日本選手権8回・全国社会人大会9回・国体9回)を誇る[1]。また、7人制でもYC&AC JAPAN SEVENS優勝1回を誇るなどの戦績を残し、釜石を「ラグビーの町」と広く認識させるに至った。
2001年の関東社会人リーグ1部への降格に前後してクラブチーム化。以後はトップイーストリーグ・トップチャレンジリーグを主戦場としながらトップリーグ参入を目指している。愛称である「シーウェイブス」は、『力強く押し寄せる海の波』を意味する。
本拠地スタジアムは釜石市球技場(松倉グラウンド)[2]。他にも釜石鵜住居復興スタジアムや定期的に北上総合運動公園陸上競技場や盛岡南公園球技場でトップイースト公式戦を行われている。
「非公式黙認マスコットキャラクター」は「なかぴー」「なかりん」[3]。
チームスローガン
- 2014年度:「原点回帰」
- 2015・2016年度:「チェンジ・ザ・ヒストリー」
- 2017年度:「JUST DO IT」
歴史
富士鉄釜石→新日鉄釜石時代
1959年、富士製鐵釜石製鐵所の実業団チームである「富士鉄釜石ラグビー部」として結成。1962年、全国社会人大会に初めて出場したが、1回戦で大阪府警察に敗れた。1969年、全国社会人大会準決勝でトヨタ自工に3年連続で敗れたものの日本選手権初出場を果たした[4]。日本選手権では綿井永寿が率いた日本体育大学に敗れた。
1970年、新日本製鐵への社名変更に伴い、チーム名も「新日鉄釜石ラグビー部」に変更。同年度にリコーと同点ながら全国社会人大会初優勝を果たし、また抽選により日本選手権出場も果たしたが、日本選手権では日比野弘が率いた早稲田大学に敗れた。
1976年、全国社会人大会決勝でトヨタ自工を破り、6年ぶり2回目の優勝を果たすと日本選手権でも大東和美が率いた早稲田大学を破り、初優勝を果たした。そして1978年から1984年まで主将の松尾雄治[5]を筆頭に洞口孝治、千田美智仁、森重隆[6]、小林日出夫らの主力を擁して、全国社会人大会及び日本選手権にて当時最多の7連覇を達成した(当時中継したNHKには映像が一つも保存されていなかったが、2013年に土門正夫アナウンサーが84・85年分を、そして千田美智仁が79年から83年分を提供したため、日本選手権決勝は映像が全て揃うこととなった[7])。ちなみに1981年には釜石市でニュージーランドのクラブチームであるポンソンビーと国際試合が行われて、ポンソンビーが19対13で勝利した。[8]
そして8連覇を狙った1985年は、全国社会人大会準決勝で神戸製鋼に敗れた。1986年は全国社会人大会決勝に進出したが、トヨタ自動車に敗れた。1987年は全国社会人大会予選で秋田市役所に敗れたため、全国社会人大会に出場できなかった。翌年の1988年より東日本社会人リーグに参加し、同年度には東芝府中に次ぐ準優勝を果たした。
しかし1992年を最後に全国社会人大会への出場が途切れ、1993年から1999年まで7年連続で入れ替え戦に回るも、全て勝利して残留を果たしたが、2001年に新設された東日本社会人チャレンジリーグにて最終戦で三菱重工相模原に1点差で敗れたことで3位に終わり[9]、東日本社会人リーグから関東社会人リーグ1部へ降格した。加えて新日本製鐵のスポーツ事業運営の見直しを図る観点から2001年を最後に新日鉄釜石ラグビー部としては一旦幕を下ろした。
釜石シーウェイブス時代
2001年、本拠地の釜石市に密着したクラブチームに生まれ変わり、チーム名称を「釜石シーウェイブスRFC」と改めて4月25日に再始動し、監督は前年まで新日鉄釜石ラグビー部の監督を務めた高橋善幸が就任した。なお同年の関東社会人リーグ1部は、5勝2敗でAグループ4位に終わった。なおシーズン終了後桜庭吉彦は一度現役を引退した。
2002年、ヘッドコーチに元日本代表の桜庭吉彦が就任し、ニュージーランド出身で外国人として初めて日本代表主将を務め引退後東芝府中のヘッドコーチを務めていたアンドリュー・マコーミックを選手として招聘[10]。同年の関東社会人リーグ1部Bグループで7勝負けなし[11]でトップイースト10へ昇格した。なお2002年度で最後の大会となった全国社会人大会には代表決定戦でNECに敗れたため、出場することが出来なかった。
2003年、トップイースト10初年度ではリーグ戦3位に入り、イーストプレーオフにて三菱重工相模原を破ったことでトップリーグへの昇格を争うトップチャレンジ2[12]と日本選手権出場(前身の新日鉄釜石ラグビー部時代以来となる19年ぶり)を果たした。ちなみに日本選手権では3回戦で春口廣が率いる関東学院大学に敗れた。
2004年、マコーミックは再び現役を引退し、チームのテクニカルコーチに就任した。開幕から3連勝するが、その後1勝しか挙げることが出来ずに、5位に終わる。
2005年、ヘッドコーチである桜庭吉彦が現役復帰を果たしたが、チームの成績は8位に終わる。シーズン終了後桜庭吉彦は再び現役を引退した。
2006年、ヘッドコーチにチームのOBである池村章宏が就任してオールブラックスのピタ・アラティニが加入し、津嶋俊一がチームの主将に就任したが、5勝5敗の6位に終わる。
2007年、岩手県ラグビーフットボール協会と提携して「イーハトーブリーグ」を設立。釜石シーウェイブスはBチームが参加した。なお7人制日本代表の石川安彦らが加入し、篠原洋介がチームの主将に就任したが、順位は前年と同じ6位に終わった。
2008年、石川安彦らは退団したものの、元東芝の佐々木天晃や元三洋電機の馬渕勝らが加入し、ピタ・アラティニがチームの主将に就任した。なおチームは7勝を挙げて5年ぶりにリーグ戦を勝ち越したが、勝点の関係により3年連続の6位に終わる。
2009年、元ワールドの長田剛やスコット・ファーディーらが加入し、チームは開幕戦で勝利するがその後3連敗して5位で終わる。
2010年、元コカ・コーラのニールソン武蓮伝らが加入し、チームは開幕から6連勝を果たすが、その後連敗して4位で終える。
2011年、東北地方太平洋沖地震に際して、拠点を置く岩手県釜石市が壊滅的被害を受ける。一時チーム関係者全員の安否不明の状態が続いたが、後に選手とその家族全員の無事が確認された。チームとしての活動を一時休止。ボランティア活動などの復興支援に積極的に取り組んだ[13]。5月3日に練習を再開[14]。5月4日に「スクラム釜石」という復興・チーム再建支援組織を松尾雄治、石山次郎らが中心となって旗揚げした[15]。また同年にはトップイーストリーグが2部制となり釜石シーウェイブスは1部に所属し、ヘッドコーチにはホッダー・ポールが就任し、佐伯悠がチームの主将に就任し、元日本代表の吉田尚史が加入する。チームは前年と同じく4位で終わった。
2012年、スコット・ファーディーや馬渕勝らは退団したものの、元日本代表の伊藤剛臣らが加入。チームはリーグ戦で最高位タイとなる3位で終える。また三浦健博が引退したことで新日鉄釜石ラグビー部時代からの在籍者がいなくなった。
2013年、元主将のピタ・アラティニや吉田尚史らは退団したものの、トンガ代表のジョシュア・アフや香港代表の調建造や7人制ニュージーランド代表のジェームス・カマナらが加入。チームは前年と同じくリーグ戦で最高位タイとなる3位で終える。
2014年、ヘッドコーチにチームのOBである三浦健博が就任し、須田康夫がチームの主将に就任して調建造やニールソン武蓮伝らは退団したものの、日本代表のヘイデン・ホップグッドやオーストラリア代表のサム・ノートンナイトらが加入。また同年4月にはホップグッドが日本代表に選出され、2001年にクラブチームになって以降、釜石の選手が初めて日本代表に選ばれた。トップイーストリーグでリーグ戦2位に入り、11年ぶりにジャパンラグビートップリーグへの昇格を争うトップチャレンジ2に出場し、大阪府警察、中国電力を相手に2勝0敗でグループ1位で終え、初めてトップチャレンジ1への出場を決めた。トップチャレンジ1では九州電力、Honda Heatに敗れたが、同じトップイーストリーグの宿敵三菱重工相模原に勝利する[16]も1勝2敗で4位で終え、クボタとのトップリーグ入替戦に回ったが、敗れてトップリーグ昇格はならなかった。
2015年、ジョシュア・アフやホップグッドやノートンナイトらは退団したものの、日本代表の北川勇次や松原裕司が加入。チームは開幕から史上初となる8連勝を果たしたが、最終戦で三菱重工相模原に敗れてリーグ戦2年連続2位に入り、トップチャレンジ2への出場が決まった。トップチャレンジ2では中部電力に勝利したが、九州電力に敗れて1勝1敗でグループ2位で終わり、トップチャレンジ1への出場はならなかった。
2016年、セイララ・マプスアや千布亮輔らは退団したものの、韓国代表の許雄や7人制日本代表の中野裕太らが加入。7勝2敗で3位に入り、トップチャレンジへの進出はならなかったが、来シーズンから創設されるトップチャレンジリーグの参入マッチへの出場が決まった。なおトップチャレンジリーグ参入マッチでは大阪府警察、マツダブルーズーマーズに2連勝して1位となり、ジャパンラグビートップチャレンジリーグへの昇格が決定した。
2017年、ヘッドコーチに小村淳が就任し、松原裕司やジェームス・カマナらが退団したものの、韓国代表の權正赫らが加入。トップチャレンジリーグは1stステージでは2勝4敗1分で5位にとなり、2ndステージは下位リーグとなるBグループに入った。そしてBグループでは1勝2敗で3位に終わり、リーグ戦7位となり3地域チャレンジの2位チームとの入れ替え戦に回ったが、大阪府警察を破ってトップチャレンジリーグ残留を果たした。
2018年、監督にGM兼任で桜庭吉彦が就任し、チームの主将に小野航大が就任。ホラニ龍シオアペラトゥーやマオリ・オールブラックスのコディ・レイら総勢20名加入。一方で伊藤剛臣が引退して主将の須田康夫や許雄ら総勢19名が退団した。トップチャレンジリーグは1stステージ最終節でホーム釜石鵜住居復興スタジアムで昇格チームの栗田工業ウォーターガッシュに勝てば上位グループとなるAグループに入れる試合で12-40と完敗を喫し2勝5敗で2年連続5位となりBグループ入り、Bグループでは1勝2敗で3位に終わり、2年連続リーグ戦7位となり3地域チャレンジの2位との入れ替え戦に回ったが、中部電力ラグビー部を破ってトップチャレンジリーグ残留を果たした。
タイトル
- 日本選手権
- 優勝(8回):1976年度、1978年度-1984年度
- 全国社会人大会
- 優勝(9回):1970年、1976年、1978年-1984年度
- 国体[17]
- 優勝(9回):1965年度、1967年度-1968年度、1971年度-1973年度、1977年度、1979年度、1982年度
計26回(歴代第2位、歴代最多は八幡製鉄の計27回)
- YC&AC JAPAN SEVENS
- 優勝(1回):1979年度
主な成績
新日鉄釜石ラグビー部時代
- 全国社会人大会
- 1962年、初出場、1回戦敗退 6-19 大阪府警察
- 1963年、1回戦敗退 9-11 伊丹部隊
- 1964年、2回戦敗退 9-17 近鉄
- 1965年、2回戦敗退 8-8[18] 京都市役所
- 1966年、準決勝敗退 0-20 近鉄
- 1967年、準決勝敗退 5-11 トヨタ自工
- 1968年、準決勝敗退 8-19 トヨタ自工
- 1969年、準決勝敗退 3-21 トヨタ自工 [19]
- 1970年、優勝 6-6 リコー[20]
- 1971年、2回戦敗退 20-28 三菱自工京都
- 1972年、準決勝敗退 7-21 三菱自工京都
- 1973年、準決勝敗退 13-31 近鉄
- 1974年、準決勝敗退 14-14[21] 近鉄
- 1975年、2回戦敗退 14-19 三菱自工京都
- 1976年、優勝 27-3 トヨタ自工
- 1977年、準決勝敗退 14-16 トヨタ自工
- 1978年、優勝 15-3 三菱自工京都
- 1979年、優勝 27-13 東京三洋
- 1980年、優勝 31-15 東京三洋
- 1981年、優勝 19-0 トヨタ自工
- 1982年、優勝 16-0 トヨタ自工
- 1983年、優勝 31-0 東芝府中
- 1984年、優勝 22-0 神戸製鋼
- 1985年、準決勝敗退 9-12 神戸製鋼
- 1986年、準優勝 6-19 トヨタ自工
- 1988年、2回戦敗退 19-43 トヨタ自工
- 1989年、2回戦敗退 25-49 トヨタ自工
- 1990年、1回戦敗退 9-16 トヨタ自工
- 1991年、2回戦敗退 7-46 三洋電機
- 1992年、2回戦敗退 16-44 東芝府中
- 日本選手権
- 1969年、準優勝 13-29 日本体育大学(秩父宮)
- 1970年、準優勝 16-30 早稲田大学(秩父宮)
- 1976年、優勝 27-12 早稲田大学(国立競技場)
- 1978年、優勝 24-0 日本体育大学(国立競技場)
- 1979年、優勝 32-6 明治大学(国立競技場)
- 1980年、優勝 10-3 同志社大学(国立競技場)
- 1981年、優勝 30-14 明治大学(国立競技場)
- 1982年、優勝 21-8 同志社大学(国立競技場)
- 1983年、優勝 35-10 同志社大学(国立競技場)
- 1984年、優勝 31-17 同志社大学(国立競技場)
- 2003年、3回戦敗退、13-14 関東学院大学(秩父宮)
東日本社会人リーグでの成績
シーズン | 所属 | 順位 | 勝敗 | 監督 | 主将 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1988-1989 | 東日本社会人リーグ | 2位 | 5勝2敗 | 金子敦行 | 長山時盛 | 全国社会人ラグビーフットボール大会に出場 |
1989-1990 | 東日本社会人リーグ | 3位 | 4勝2敗1分 | 金子敦行 | 長山時盛 | 全国社会人ラグビーフットボール大会に出場 |
1990-1991 | 東日本社会人リーグ | 6位 | 3勝4敗 | 金子敦行 | 浦野健介 | 全国社会人ラグビーフットボール大会に出場 |
1991-1992 | 東日本社会人リーグ | 4位 | 4勝3敗 | 金子敦行 | 浦野健介 | 全国社会人ラグビーフットボール大会に出場 |
1992-1993 | 東日本社会人リーグ | 7位 | 1勝6敗 | 浦野健介 | 高橋善幸 | 全国社会人ラグビーフットボール大会に出場[22] |
1993-1994 | 東日本社会人リーグ | 7位 | 1勝6敗 | 浦野健介 | 高橋善幸 | 入替戦 40-31NTT東北(熊谷) 東日本社会人リーグ残留 |
1994-1995 | 東日本社会人リーグ | 7位 | 1勝6敗 | 小林一郎 | 桜庭吉彦 | 入替戦 15-13秋田市役所(秩父宮) 東日本社会人リーグ残留 |
1995-1996 | 東日本社会人リーグ | 8位 | 0勝7敗 | 小林一郎 | 桜庭吉彦 | 入替戦 23-19秋田市役所(熊谷) 東日本社会人リーグ残留 |
1996-1997 | 東日本社会人リーグ | 8位 | 0勝7敗 | 小林一郎 | 阿部佳知己 | 入替戦 66-21秋田市役所(駒沢) 東日本社会人リーグ残留 |
1997-1998 | 東日本社会人リーグ | 7位 | 1勝6敗 | 高橋善幸 | ダニー・カレオパ | 入替戦 34-13セコム(江戸川) 東日本社会人リーグ残留 全国社会人大会代表決定戦 10-22クボタ(東京ガス大森グラウンド) |
1998-1999 | 東日本社会人リーグ | 8位 | 0勝7敗 | 高橋善幸 | 眞野篤司 | 入替戦 15-9明治生命(駒沢) 東日本社会人リーグ残留 |
1999-2000 | 東日本社会人リーグ | 7位 | 1勝6敗 | 高橋善幸 | 青山敦司 | 入替戦 30-12日本IBM(江戸川) 東日本社会人リーグ残留 |
2000-2001 | 東日本社会人リーグ | 8位 | 0勝7敗 | 高橋善幸 | 青山敦司 | 東日本社会人チャレンジリーグ 3位 関東社会人リーグ1部へ降格 |
釜石シーウェイブス時代
シーズン | 所属 | 順位 | 勝敗 | ヘッドコーチ[23] | 主将 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2001-2002 | 関東社会人リーグ1部グループA | 4位 | 5勝2敗 | 高橋善幸 | 池村章宏 | チャレンジリーグ出場決定戦 17-22清水建設ブルーシャークス(NTT仙台総合運動場) |
2002-2003 | 関東社会人リーグ1部グループB | 1位 | 7勝0敗 | 桜庭吉彦 | 池村章宏 | トップイースト10へ参入 全国社会人大会代表決定戦 26-78NEC(秩父宮) |
2003-2004 | トップイースト10 | 3位 | 6勝3敗 | 桜庭吉彦 | 池村章宏 | トップイーストプレーオフ 31-27三菱重工相模原(秩父宮) トップチャレンジ2出場(3チーム中2位) 日本選手権出場 |
2004-2005 | トップイースト10 | 5位 | 4勝4敗1分 | 桜庭吉彦 | 池村章宏 | |
2005-2006 | トップイースト10 | 8位 | 2勝6敗1分 | 桜庭吉彦 | 池村章宏 | |
2006-2007 | トップイースト11 | 6位 | 5勝5敗 | 池村章宏 | 津嶋俊一 | |
2007-2008 | トップイースト11 | 6位 | 4勝6敗 | 池村章宏 | 篠原洋介 | イーハトーブリーグが設立。 |
2008-2009 | トップイースト11 | 6位 | 7勝3敗 | 池村章宏 | ピタ・アラティニ | |
2009-2010 | トップイーストリーグ | 5位 | 6勝4敗1分 | 池村章宏 | ピタ・アラティニ | |
2010-2011 | トップイーストリーグ | 4位 | 7勝4敗 | 池村章宏 | ピタ・アラティニ | |
2011-2012 | トップイーストリーグ1部 | 4位 | 6勝3敗 | ホッダー・ポール | 佐伯悠 | |
2012-2013 | トップイーストリーグ1部 | 3位 | 6勝3敗 | ホッダー・ポール | 佐伯悠 | |
2013-2014 | トップイーストリーグ1部 | 3位 | 7勝2敗 | ホッダー・ポール | 佐伯悠 | |
2014-2015 | トップイーストリーグ1部 | 2位 | 7勝2敗 | 三浦健博 | 須田康夫 | トップチャレンジ2出場(3チーム中1位) トップチャレンジ1出場(4チーム中4位) トップリーグ入替戦 5-34クボタ(熊谷) トップイーストリーグ残留 |
2015-2016 | トップイーストリーグ1部 | 2位 | 8勝1敗 | 三浦健博 | 須田康夫 | トップチャレンジ2出場(3チーム中2位) |
2016-2017 | トップイーストリーグ1部 | 3位 | 7勝2敗 | 三浦健博 | 須田康夫 | トップチャレンジリーグ参入マッチ出場(3チーム中1位) トップチャレンジリーグへ参入 |
2017-2018 | トップチャレンジリーグ | 7位 | 2勝4敗1分(1st) 1勝2敗(2nd) |
小村淳 | 須田康夫 | 入替戦 55-19大阪府警察(東京ガス) トップチャレンジリーグ残留 |
2018-2019 | トップチャレンジリーグ | 7位 | 2勝5敗(1st)
1勝2敗(2nd) |
桜庭吉彦 | 小野航大 | 入替戦 41-7 中部電力ラグビー部(釜石復興)
トップチャレンジリーグ残留 |
2019年度陣容
[24] 太字は今年からの新加入選手
- 主将 小野航大
|
|
2020年度新加入予定選手
在籍した選手
新日鉄釜石ラグビー部時代在籍
※は釜石シーウェイブス時代にも選手として在籍した選手。太字は元日本代表選手。
- 青山敦司
- 阿部佳知己
- ※池村章宏
- 石山次郎
- 泉秀仁
- 市口順亮
- 伊藤正義
- 氏家靖男
- 金子敦行
- 川崎拓
- 菊地保
- ※京野和也(現・釜石シーウェイブス副務)
- 金野年明
- 小林一郎
- 小林日出夫
- 小藪修
- 坂下功正(現・釜石シーウェイブスアドバイザー)
- ※桜庭吉彦(現・釜石シーウェイブスゼネラルマネジャー)
- 佐々木和寿
- 佐々木祟
- 佐藤勉
- 佐野正文
- 柴田忠敏
- 瀬川清
- 高橋善幸(現・釜石シーウェイブス最高顧問)
- 高橋博行
- 多田信行
- ダニー・カレオパ
- 谷藤尚之
- 千田美智仁
- 永岡章
- 仲上太一
- 長山時盛
- 畠山剛
- 細川直文(佐野正文の弟)
- 洞口孝治
- 松尾雄治
- 松尾雄介(松尾雄治の弟)
- 眞野篤司
- ※三浦健博
- 三浦達夫(新日鉄釜石ラグビー部初代主将、三浦俊也の父)
- 三浦智拓
- 南村明美
- 宮田浩二
- 宮本政志
- 村口和夫
- 森重隆
- 和田透
釜石シーウェイブス時代在籍
太字はラグビーユニオンの代表に選出されたことのある選手
- 合澤英旦
- アンドリュー・マコーミック(現・関西学院大学ラグビー部ヘッドコーチ)
- 石川安彦
- 伊藤剛臣
- 井上益基也
- 岡崎英二
- 奥田浩也(現・北海道バーバリアンズ)
- 小野寺政人
- 小原義巧(現・盛岡工業高校ラグビー部監督)
- 片岡将(現・日野自動車)
- 神田佑樹
- 菅野朋幸
- キキワカ・ウイルソニー
- 北川勇次
- 金野新(現・S.R.C)
- 權正赫
- クリス・アルコック
- コーリー・トーマス
- コディ・レイ
- 斉藤芳(現・秋田ノーザンブレッツ)
- 佐伯悠
- 佐久間隆(現・マツダブルーズーマーズ)
- 佐々木一徹
- 佐々木天晃(現・北上矢巾ブレイズラガー)
- 佐々木陽丞
- 佐藤雄太
- サム・ノートンナイト
- ジェイク・レッツ
- ジェームス・カマナ
- ジャスティン・コベニー
- ジョシュア・アフ
- 四ノ宮マイケル(現・NTTコム)
- 調建造
- スコット・ファーディー(現・ブランビーズ)
- 須田康夫
- セイララ・マプスア
- ソロモナ・バー・トロケ
- タウファ・タフィアイバハ優
- 高野裕平
- 田邉篤
- 田村義和
- ダラス・タタナ
- 千布亮輔(現・日野)
- 鄭貴弘
- 長田剛(現・釜石シーウェイブスストレングス&コンディショニングコーチ)
- 中村彰(現・近鉄)
- ニールソン武蓮伝
- 沼田邦光
- パトリス・オリビエ(現・近鉄)
- 原田航路(現・新日鐵住金大分)
- 樋澤泰二(現・TOSENクリーンファイターズ)
- ピエイ・マフィレオ(現・PSIコストカッツ)
- ピタ・アラティニ
- 藤原健太
- 藤原誠(現・釜石シーウェイブスアシスタントコーチ)
- ヘイデン・ホップグッド
- 保坂豪
- 細川諭
- 細川進(現・釜石シーウェイブスアシスタントコーチ)
- 許雄
- 星野将利
- ホラニ龍シオアペラトゥー
- マーク・リー
- マット・マフィ
- マヘ・トゥビ
- 松井康輔
- 松原裕司
- 馬渕勝(現・北海道バーバリアンズ)
- 水本裕也
- 村田オスカロイド
- 村田賢史
- 森山裕樹
- 森雄祐
- 山本将太
- ユルゲン・ヴィサー
- 吉田祐太
- 吉田尚史(現・東洋大学ラグビー部FWコーチ)
- ルイ・ラターヘーパエア
- ロコツイ・シュウペリ
スポンサー
以下は、公式サイトにて確認されるスポンサーの一覧である
- 新日鐵住金
- 新日鉄住金エンジニアリング
- 新日鉄興和不動産
- 日鉄住金テックスエンジ
- 釜石鉱山
- 川原商会
- 岩手銀行
- ローソン
- 小岩金網
- 阪神低温
- SMC
- 昇和自動車
- ノーブルグループ
- チタカ・インターナショナル・フーズ
- フクダ・アンド・パートナーズ
- ALSOK岩手
- 斉藤整形外科
- はまと神経内科クリニック
- 中田薬局
- JA岩手五連
- Xcoal
- 産業振興
- チューリッヒ保険
- ボディプラスインターナショナル
メディア
- テレビ・ラジオ
- 新聞
書籍
- 釜石ラグビー栄光の日々松尾雄治とくろがねのラガーたち 著者上岡伸雄 (中央公論新社)
- 釜石ラグビーの挑戦 著者 大友 信彦 (水曜社)
- 鉄人たちの雌伏―釜石ラグビーの新たな挑戦 著者永田 洋光 (阪急コミュニケーションズ )
- 負げねっすよ、釜石鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント 著者松瀬学 (公文社)
日本製鉄のスポーツチーム
- 現在活動するスポーツチーム
- 日本製鉄釜石サッカー部
- 日本製鉄八幡ラグビー部(元・八幡製鐵ラグビー部)
- 日本製鉄大分ラグビー部
- 日本製鉄室蘭シャークス(元・新日鐵室蘭野球部)
- 日本製鉄室蘭サッカー部
- 日本製鉄かずさマジック(元・新日鐵君津野球部)
- 日本製鉄東海REX(元・新日本製鐵名古屋野球部)
- 日本製鉄鹿島硬式野球部(元・住友金属鹿島硬式野球部)
- 日本製鉄広畑硬式野球部
- 光シーガルズ(元・新日鐵光野球部)
- 日本製鉄大分硬式野球部
- 日本製鉄大分サッカー部
- 堺ブレイザーズ(元・新日鐵堺バレーボール部)
- かつて活動していたスポーツチーム
関連項目
- 地域密着
- 釜石市
- 新日本製鐵
- 新日鐵住金→日本製鉄
- 富士製鐵
- 釜石製鐵所
- 神戸製鋼コベルコスティーラーズ(同じく全国社会人大会・日本選手権で7連覇を果たしたチーム)
- ラグビーワールドカップ2019(釜石市での開催が決定した)
- 釜石鵜住居復興スタジアム(ラグビーワールドカップ2019の会場になる)
- 驚きももの木20世紀(愛と友情のノーサイド・新日鉄釜石物語)
- プロジェクトX〜挑戦者たち〜(第63回:鉄の男たち 逆境からの日本一)
脚注
- ^ 日本製鉄八幡の計27回が歴代最多である。
- ^ グラウンド案内 - 公式ホームページ
- ^ 【なかぴー&なかりん】~がんばれ釜石シーウェイブス!~ (釜石SWファン交流会@代々木)
- ^ 日本選手権初出場に至った経緯は第7回日本選手権の辞退を参照。
- ^ 1982年から1984年は監督を兼任した。
- ^ 1981年に監督を兼任した。
- ^ No.230 ラグビー伝説の新日鉄釜石 7連覇の軌跡を発掘!、NHK番組発掘プロジェクト、2019年4月19日、同年4月22日閲覧
- ^ ラグビーの奥深さ まちの復興にきっと役立つ
- ^ 東日本社会人チャレンジリーグ - 関東ラグビーフットボール協会
- ^ マコーミックら新戦力7人発表 岩手日報 2002年4月1日
- ^ 関l社会人1部Bグループ - 関東ラグビーフットボール協会
- ^ なおこの時はコカ・コーラに勝利したが、豊田自動織機に敗れ、1勝1敗で2位で終わり、入れ替え戦に進出できなかった。
- ^ “北の鉄人”被災地で奮闘「力仕事は任せろ」 スポーツニッポン 2011年3月16日
- ^ 活動自粛の釜石シーウェイブス、練習再開 ラグビー asahi.com 2011年5月4日
- ^ 松尾雄治氏ら「スクラム釜石」設立 サンケイスポーツ 2011年5月5日
- ^ 三菱重工相模原に勝利したのは2008年9月以来、約6年4ヶ月ぶりである。
- ^ 1974年まで一般男子の部、1975年から1977年は成年男子(一般)の部、それ以降は成年男子の部
- ^ 抽選で京都市役所が勝ち抜いた
- ^ 優勝の近鉄、準優勝のトヨタ自工、3位の三菱自工京都が日本選手権出場を辞退したため同じく3位の新日鉄釜石が出場した。
- ^ リコーと共に同点優勝だったが抽選で日本選手権には新日鉄釜石が出場した
- ^ 抽選で近鉄が勝ち抜いた
- ^ 7位だったが東北優先条項で出場。そのため6位のサントリーが入れ替え戦に出場した。HISTORY OF SUNGOLIATH
- ^ 2001-2002シーズンと2018-2019シーズンは監督
- ^ 選手プロフィール - 公式ホームページ
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 釜石シーウェイブスRFC公式ブログ
- 日本製鉄釜石シーウェイブス (KamaishiSW) - Facebook
- 釜石シーウェイブスRFC (@KamaishiSW) - X(旧Twitter)
- スクラム釜石 (@scrumkamaishi) - X(旧Twitter)
- 釜石製鉄所の部活動紹介
- イーハトーブリーグ