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『おしん』誕生のきっかけは、「ある[[明治]]生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものでした。[[子守り]][[奉公]]したり、“女郎屋”に売られたりね」という、[[1979年]]に原作者の[[橋田壽賀子]]へ寄せられた1通の[[手紙]]であった。[[静岡県]][[榛原郡]][[川根本町]]出身の[[丸山静江]]の半生を、次女の千鶴子が代筆し、橋田壽賀子が「[[主婦と生活]]」誌で連載していた「母たちの遺産」に送ったことが発端である。その後のドラマ化にあたり、橋田壽賀子やNHK番組関係者から取材を受け、脚本作りに協力した。ドラマでは、丁稚に出る幼いおしんが、[[最上川]]を[[筏|いかだ]]で下るシーンが名場面として知られているが、丸山静江も榛原郡[[金谷町|金谷]]に[[丁稚]]に出るため、[[大井川]]を筏で下って行ったという<ref>[https://web.archive.org/web/20130310042753/http://www.at-s.com/news/detail/474572763.html おしんのモデルは川根本町の女性だった!](2013年3月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[静岡新聞]]2013年3月7日15:33配信 配信日に閲覧</ref>
『おしん』誕生のきっかけは、「ある[[明治]]生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものでした。[[子守り]][[奉公]]したり、“女郎屋”に売られたりね」という、[[1979年]]に原作者の[[橋田壽賀子]]へ寄せられた1通の[[手紙]]であった。[[静岡県]][[榛原郡]][[川根本町]]出身の[[丸山静江]]の半生を、次女の千鶴子が代筆し、橋田壽賀子が「[[主婦と生活]]」誌で連載していた「母たちの遺産」に送ったことが発端である。その後のドラマ化にあたり、橋田壽賀子やNHK番組関係者から取材を受け、脚本作りに協力した。ドラマでは、丁稚に出る幼いおしんが、[[最上川]]を[[筏|いかだ]]で下るシーンが名場面として知られているが、丸山静江も榛原郡[[金谷町|金谷]]に[[丁稚]]に出るため、[[大井川]]を筏で下って行ったという<ref>[https://web.archive.org/web/20130310042753/http://www.at-s.com/news/detail/474572763.html おしんのモデルは川根本町の女性だった!](2013年3月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - [[静岡新聞]]2013年3月7日15:33配信 配信日に閲覧</ref>


主人公のモデルについては、誤報や誤解も多く、「[[ダイエー]]の[[中内]]」や「[[ヤオハン]]の[[和田カツ]]」とする噂話も存在した<ref>[https://archive.is/20130501052536/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1271428347440_02/news/20111224-OYT8T00851.htm 雪国舞台 日本人の苦難体現](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - [[読売新聞]] 2011年11月9日配信 2013年3月7日閲覧</ref>。しかし、「母たちの遺産」での取材内容などをヒントにはしたが、特定のモデルは存在しないことを橋田自身が明言している<ref name=":0" />。「ヒントはいただいたが、モデルはいない。いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた全ての日本人女性です」
主人公のモデルについては、誤報や誤解も多く、「[[ダイエー]]の[[中内]]」や「[[ヤオハン]]の[[和田カツ]]」とする噂話も存在した<ref>[https://archive.is/20130501052536/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1271428347440_02/news/20111224-OYT8T00851.htm 雪国舞台 日本人の苦難体現](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - [[読売新聞]] 2011年11月9日配信 2013年3月7日閲覧</ref>。しかし、「母たちの遺産」での取材内容などをヒントにはしたが、特定のモデルは存在しないことを橋田自身が明言している<ref name=":0" />。「ヒントはいただいたが、モデルはいない。いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた全ての日本人女性です」


[[明治時代|明治世代]]の人の苦労を伝えるのは、自分達の世代の[[義務]]だと感じた。「でもテーマが地味過ぎて、どのテレビ局にも断られました。[[日本放送協会|NHK]]でも、かなり反対があったんですよ。『[[明治]]物は、当たらない』と言われてましたし…。[[川口幹夫]]放送総局長(当時)の賛成で、やっと決まったんです」と橋田は述べている<ref>[[ザテレビジョン]]編集部[編]『TVの出来事まるごと10年!別冊ザテレビジョン』角川書店・[[1992年]]、146ページ</ref>。
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2020年7月11日 (土) 10:07時点における版

おしん
ジャンル テレビドラマ
原作 橋田壽賀子
脚本 橋田壽賀子
出演者 乙羽信子(中・老年期)
田中裕子(青年期)
小林綾子(少女期)
泉ピン子
伊東四朗
大路三千緒
並木史朗
中村雅俊
小林千登勢
東てる美
田中好子
山下真司
田中美佐子
高橋悦史
浅茅陽子
野村万之丞
大橋吾郎
ガッツ石松
今福将雄
高森和子
赤木春恵
渡辺美佐子
長門裕之
北村和夫
長岡輝子
渡瀬恒彦
ナレーター 奈良岡朋子
テーマ曲作者 坂田晃一
音楽 坂田晃一
時代設定 1907年明治40年) - 1983年(昭和58年)
製作
プロデューサー 岡本由紀子(小林由紀子
制作 NHK放送センター
放送
放送国・地域日本の旗 日本ほか#海外での放送を参照
放送期間1983年4月4日 - 1984年3月31日
放送時間月曜〜土曜 8:15 - 8:30
放送枠連続テレビ小説
放送分15分
回数297[1]

特記事項:
撮影=4:3 SDTV
テンプレートを表示

おしん』は、1983年昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていたNHK連続テレビ小説第31作。

8月15日から8月20日までの6日間は『もうひとりのおしん』放送、ならびに12月29日から翌年1月7日までは年末年始特別編成につき中断、NHKの連続テレビ小説では『鳩子の海』以来の1年間放送となった。全297話。NHKテレビ放送開始30周年記念作品。

概要

解説

連続テレビ小説の定番である“戦中と戦後の混乱期を逞しく生きた女一代記”の一つ。下記の理由から、朝ドラの最高傑作とされる。1983〜1984年の平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%(1983年11月12日放送 第186回)。これはビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録となっている。小林綾子の少女期おしんは第4回から第36回まで、田中裕子の青春・成年期おしんは第37回から第225回まで、乙羽信子の中年期おしんは第226回から。老年期(役は中年期と同じく乙羽。白髪の様相が特徴)おしんは第1回から登場(第189回まで度々)するが、人生の進行に伴っては第285回から登場する。作品では、おしんの幼年期の苦労を描いただけではなく、義理や周りを見ることなく他人を押しのけてまで銭儲けをしてもいずれ自分を追いやってしまう、人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきたたくさんの恩人の言葉を通して散りばめられている。

作品は、スリランカインドネシアフィリピン台湾香港ベトナムアフガニスタンシンガポールエジプトイランなど世界68か国や地域で放送され、苦難に遭いつつも決してあきらめず、明治大正昭和という貧困・戦乱・復興の中を生きた主人公・おしんの姿が、日本だけでなく世界各国で人々の共感を呼び、「オシンドローム」という言葉を生み出した。「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」とされ、なおファンが多く根強い人気がある。

NHKの連続テレビ小説において、初めてクレジットロールに方言指導者が明示された作品である(定着するのは『いちばん太鼓』から)。田中ゆかりは『おしん』を「『本格方言ドラマ』の嚆矢」としている[2]。また、1983年10月放送の『おしん』において、日本初の字幕放送の実験放送が行われた(本放送は『いちばん太鼓』から)[3]

朝日新聞2010年9月25日付のbeランキング「心に残る朝ドラヒロイン」アンケート結果では、本作の田中裕子が第2位だった(第1位は樫山文枝おはなはん』、第3位は国仲涼子ちゅらさん』)。

ヒロインを務めた3人の女優のうち、小林はオーディションで選ばれた。田中と乙羽はオーディションではなく直接キャスティングされている。

本編以降の放送日程

  • 1990年代以降、総集編がBSと地上波で放送された。
    放送日:BS2 1999年10月25日 - 1999年10月28日 20:00 - 21:30
    地上波:2000年3月20日 - 2000年3月23日 21:35 - 23:05
  • 2003年4月からは、本放送20周年記念で、毎週月曜日 - 土曜日の夜7時30分からNHK衛星第2テレビジョンで全297話が再放送され、放送終了後の7時45分からは藤原勝也が司会進行で『BSおしんだいすき』という5分間のミニコーナーで、次回予告や視聴者からのお便り紹介、ドラマに登場した当時の風俗や用語解説を行った。また小林綾子丸山裕子今福將雄がゲストで登場したこともあった。なお、当番組が放送されていたため、2000年から12月1日に放送されている『デジタルドリームライブ』は、この年に限って15分遅い放送開始となっている。
  • 全話放送は2003年以降からでそれ以前は少女編と総集編のみ再放送されていた。これは当時田中裕子が所属していた文学座の許可が下りなかったためである。田中におしんのイメージが固定されるのを避けるための文学座の配慮ともいわれている[4]
  • 2008年から2010年にはファミリー劇場でも全話297回を2年間に渡って2回リピート再放送されている。
  • 連続テレビ小説の放送50周年を記念し「おしん総集編」が2011年11月25日に、NHKよりDVD-Videoがリリースされた。なお売り上げ本数は9,000セットで、『ちりとてちん』に抜かれるまで朝ドラDVD最高記録だった[5]
    総集編はおしんの成長に合わせた展開で進み、小林と田中が活躍する部分に旅する老年期のおしんは一切登場することが無いが、最終話「最上川・時の流れ」で山形と東京を見て回るシーンが少し挿入されている。
    【収録内容】
    • DISC.1 第一話「最上川・ふるさと」 第二話「結婚・大震災」
    • DISC.2 第三話「流転」 最終話「最上川・時の流れ」
    • DVD2枚組
    • 収録時間354分/画面サイズ4:3/モノラル/カラー/日本語字幕
  • 2013年、本放送30周年記念で、総集編と全297話がBSプレミアムで放送された[6]
    総集編:2013年1月1日〜4日 18:00〜19:30
    全297話:2013年1月6日〜12月15日 毎週日曜日 10:00 - 11:30(毎週、1週間分を放送)、字幕放送
  • 2019年、連続テレビ小説100作放送を記念して全297話がBSプレミアムで再び放送された[7]
    全297話:2019年4月1日〜2020年3月21日 毎週月~土曜日 7:15 - 7:30、毎週土曜日 23:45 - 翌日曜日 1:15(1週間まとめて)字幕放送
    総集編
    第1話:2019年5月11日 15:00-16:29
    第2話:2019年8月18日 15:00-16:29
    第3話:2019年12月8日 15:00-16:29
    第4話:2020年3月22日 15:00-16:29
    総合テレビで朝ドラ本放送後の平日8:15から生放送される『あさイチ』では、朝ドラを観たキャスター陣が感想(朝ドラ受け)を述べることが恒例だが、その1人である博多華丸はこの本作再放送も視聴しており、2019年11月12日以降、不定期に『スカーレット』のものと合わせて、本作の受けも行うことがあった。ただし、博多大吉は「時間差がある」と突っ込むことも恒例[8]

制作

『おしん』誕生

『おしん』誕生のきっかけは、「ある明治生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものでした。子守り奉公したり、“女郎屋”に売られたりね」という、1979年に原作者の橋田壽賀子へ寄せられた1通の手紙であった。静岡県榛原郡川根本町出身の丸山静江の半生を、次女の千鶴子が代筆し、橋田壽賀子が「主婦と生活」誌で連載していた「母たちの遺産」に送ったことが発端である。その後のドラマ化にあたり、橋田壽賀子やNHK番組関係者から取材を受け、脚本作りに協力した。ドラマでは、丁稚に出る幼いおしんが、最上川いかだで下るシーンが名場面として知られているが、丸山静江も榛原郡金谷丁稚に出るため、大井川を筏で下って行ったという[9]

主人公のモデルについては、誤報や誤解も多く、「ダイエー中内㓛」や「ヤオハン和田カツ」とする噂話も存在した[10]。しかし、「母たちの遺産」での取材内容などをヒントにはしたが、特定のモデルは存在しないことを橋田自身が明言している[11]。「ヒントはいただいたが、モデルはいない。いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた全ての日本人女性です」

明治世代の人の苦労を伝えるのは、自分達の世代の義務だと感じた。「でもテーマが地味過ぎて、どのテレビ局にも断られました。NHKでも、かなり反対があったんですよ。『明治物は、当たらない』と言われてましたし…。川口幹夫放送総局長(当時)の賛成で、やっと決まったんです」と橋田は述べている[12]

おしんの誕生年と昭和天皇の誕生年は同じ明治34年となっている。これは橋田壽賀子の意図的な設定であり、「私は昭和天皇にご覧いただきたくて、このドラマを書いたような気がする。だからおしんの生まれを陛下と同じ明治34年にした」と語っている[13]

おしんというネーミングの由来は「信じる、信念、心、辛抱、芯、新、真」などの「しん」とされており、「日本人は豊かになったが、それと引き換えに様々な『しん』を忘れてしまったのではないかと思って名付けた」と橋田は述べている[14]

キャスティング

少女編を担当する子役を選ぶため、五次審査まであるオーディションが行われた。四次選考で5人が残り最終審査に小林綾子ともう一人の2人に絞られた。実は小林でないもう一人が本命だったが、人気子役でスケジュールが合わないため、小林綾子に決まった[15]

ドラマ撮影

おしん少女時代の撮影は山形県の中山町岩谷地区で撮影された。ここで出演者の控室や囲炉裏のセットのモデルとなった築150年の農家の家が、地元有志によって「おしんの生家」として保存されていたが、2012年(平成24年)冬に雪の重さで倒壊。その後、鶴岡市の庄内映画村オープンセットに移築されている[16]

当初NHKが山形での現地撮影に便宜を図って貰おうと山形の権威ある人物に協力をお願いに行ったところ、「山形はそれでなくても日本のチベットのように言われている。そんな貧乏物語に力は貸せない」と追い返された[17]

最上川川下りのシーンの撮影は、大江町役場の全面的な協力でいかだが再現された。当時ほとんど見られなくなっていた筏を地元の元船頭の当時72歳の男性の指導で製作。この男性が撮影で船頭もつとめた[18]

両親が口減らしのため丁稚奉公に出す『おしんを見送る最上川川下りのシーン』は、貧困による窮乏と悲惨さを象徴し、本ドラマの代表シーンとして、必ず引き合いに出されるほど有名なシーンである。このシーンの撮影が終わるとスタッフや見物の人々から大きな拍手がわきあがった。しかし、父の作造が登場する場面は別撮りで、後年になって伊東四朗は、おしんの姿を見ずに演じることが大変であったことを明かした。なお伊東は、2000年の連続テレビ小説『私の青空』に、ヒロインの父親として登場し、船に乗って旅立つヒロインとその子供を港で見送るという、当作のようなオマージュシーンが存在する。

小林綾子演じる少女時代のおしんが奉公先から脱走するシーンは、ロケ地の雪山で本物の雪を巨大な扇風機で飛ばして撮影された。その後の山小屋暮らしの撮影も雪山で行われ、麓の旅館と雪山を30分かけて往復したという[19]

中村雅俊が演じる脱走兵・俊作がハーモニカで奏でている曲はアイルランド民謡原曲の『庭の千草[1]』という明治時代の小学唱歌で、何度かおしんも吹いている。

東てる美並木史朗の回想によれば、橋田壽賀子の脚本特有の長台詞に役者たちは皆苦労しており、撮影の合間も食事中も雑談する暇もなくひたすら台詞の練習をしていた[20]田中裕子は脚本と評判のいい少女編を受け継ぐプレッシャーの中、撮影中に倒れて救急車で運ばれて入院、1か月撮影が中断した[21]。このため、ドラマ放送を1週分中断し「#番外編『もうひとりのおしん』」が放送された(後述)。

物語

1983年昭和58年)新春、北へ向かう列車の中である老婦人が座っていた。彼女の名は田倉(たのくら)しん。

三重県志摩半島各地に16店舗を構えるスーパーマーケットチェーンの創業者・経営者であった彼女は、新店舗開店という記念すべき日に行方を眩ましてしまった。一族が騒然とする中、おしんとは血こそ繫がらないものの、孫同然の間柄である大学生・八代圭(やしろ けい)は昔、おしんが語ってくれた思い出話を頼りに、山形県銀山温泉へ捜索の旅に出る。

その地でおしんを探し当てた圭は、今すぐ三重へ戻るよう説得するも、おしんは帰ろうとせず、山形の山奥にある廃村に行こうとしており、話を聞かない。だが圭はおしんの願いを叶えてあげたいという気持ちになり、彼女をおぶって雪深い山道を進み、廃村へと辿り着いた。そこがおしんの生まれ故郷であり、雪の中で廃屋となっていた我が家を見たおしんの眼には涙が浮かんでいた。

そうして、おしんは圭にこの家出が80年以上の人生で自分は一体何を得て、何を失ってしまったか。また、自分のことだけしか考えない経営方針に突き進む息子・仁(ひとし)を、どこででそういう息子にしてしまったのか、を振り返るための旅だと打ち明ける。

少女編(第1回〜第36回)

物語は明治40年(1907年)の春、明治も終わりにさしかかった山形の貧しい小作の娘・谷村しんの少女時代から始まる。おしんの家は父・作造、母・ふじ、祖母・なか、兄・庄治、既に年季奉公に出ている姉・はる、みつ、そして弟・正助、妹・こうにおしんを入れて9人家族だった。その年、数え年で7歳になるおしんは、4月から尋常小学校へ通うのを楽しみにしていた。しかし家はここ数年の凶作地主への借りも積り、食事は大根飯で食いつなぐ貧しい生活だった。

作造は口減らしのためにおしんに奉公に出るよう命じる。おしんは嫌がり、ふじとなかはおしんがまだ7つだと反対する。だが、おしんはなかがおしんのために食事の回数を減らしていたのを知る。後日、おしんはふじが冷たい川に入っていくのを見て助けを呼ぶ。ふじは引き上げられるがそれは堕胎のためだった。おしんはこれから生まれる子のために1年奉公に出ることを承知する。口入れ屋・源助が年季奉公の前払いとして米一俵[注 1]を届けてくる。奉公に出る日、なかはおしんにこっそり50銭銀貨[注 2]を渡す。最上川を材木問屋の奉公人定次の筏で下る途中、堤防の上を走っておしんを追いかける作造が泣き崩れる姿を目撃し、おしんは父も苦しんでいることを知る。

左澤町の中川材木店で、おしんは店の主人の軍次の子・武の子守をする。おしんのお目付け役である材木店の奉公人つねは厳しく、ここでも大根飯、雪降る中で川でおしめを洗う辛い奉公生活だった。ある日、尋常小学校を覗いたおしんは授業をしていた松田先生と出会う。松田は夕方中川材木店を訪ねて来て、軍次ときんにおしんを小学校に来させるように説得。軍次は子守りを承知でならと承諾する。おしんは喜ぶが、つねは反対し、おしんを昼飯抜きにする。おしんはそれでも学校へ通う。見かねた松田はおしんに昼飯を持ってくる。しかし同級生たちは松田の贔屓を快く思わず、おしんをいじめる。武への危害を恐れ、おしんは学校をやめる。

定次から上流から筏を流すついでに谷村家にお使いに行ってやると言われたおしんは習い覚えたカタカナで手紙を出す。定次は字の読めないふじとなかに手紙を読み聞かせる。おしんは心配させぬよう辛いことは一切書かず、腹一杯食わせてもらっていると嘘を書いた。町では憲兵が脱走兵を探し回っていた。ある時、つねの財布から50銭銀貨がなくなり、疑いをかけられたおしんは、首にかけた守り袋に入れていた50銭銀貨を取り上げられてしまう。辛抱の糸が切れたおしんは、川の上流にある実家に向かい吹雪の中を歩き出す。

気がつくとおしんは見知らぬ青年に抱かれていた。猟師の俊作が吹雪の中行き倒れとなっていたおしんを見つけ、体を温めてくれたおかげで、おしんは凍死を免れる。ゆくあてのないおしんは、俊作と炭焼き・松造が暮らす月山が見える山小屋に春まで厄介になることになる。203高地で負った銃創が原因の高熱で倒れた俊作をおしんは懸命に看病する。回復した俊作はおしんに読み書きや算術を教える。おしんにせがまれ、俊作は与謝野晶子の詩、『君死にたまふことなかれ』を朗読し、戦争の残酷さ、反戦を説く。

おしんが失踪してから20日。つねの財布から50銭銀貨を持ち出したのは軍次だったと判明するが、つねはおしんが家に逃げ帰ったと思い、源助を呼びつけると、前払いの米一俵の回収と50銭銀貨の返却を依頼する。源助から銀貨を渡されたふじは、おしんが死んだと思い悲しむ。

おしんは、毎日腹いっぱい食べ、勉強できる幸せな日々を送っていた。春がきていよいよ家に帰ることになる。足をくじいた松造にかわって、普段人前に出ない俊作がおしんを連れて山を下りる。俊作から愛用のハーモニカをもらったおしん。だが山狩りの兵隊につかまり、もみ合いの末、俊作は射殺される。おしんは憲兵の取り調べで、俊作が脱走兵として追われる身だったと知る。ようやく家に帰ったおしんにふじとなかは喜ぶが、作造は激怒、兄の庄治も村で白い目で見られると愚痴る。松造はおしんをこっそり訪ね、俊作の身の上を話したあと去っていった。家では妹のすみが生まれていた。

年季奉公が明けたはるが家に戻ってくるが、すぐに製糸工場へ勤めに出た。次の奉公先が決まらないおしんは、はるがくれた小遣いで買った石盤でこっそり字の練習をする。その年も凶作で、生活に行き詰まった作造は一家でブラジル移民を決意するが、年老いたなかは置いていくという。悲観したなかは川へ身投げしようとするが、おしんに止められ、移民の話は立ち消えになった。そこで乳飲み子の末妹・すみを養女に出し、ふじが銀山温泉へ働きに出ることになる。おしんはふじに代わって村の共同作業の杉苗植えをする。

りきが子守り奉公の話を持ってくる。奉公先は酒田米問屋・加賀屋で2年で米5俵[注 3]。だという。おしんは再び奉公に出ることを決意するが酒田に行く前に銀山温泉で働くふじに会うことを望み、家族に黙って銀山温泉に徒歩で向かう。酌婦になっていたふじはおしんの訪問に驚くが、母子で一夜を過ごす。翌朝、おしんはふじに似ているこけしを譲ってもらい旅立つ。酒田の加賀屋に着いたが、跡取り息子の嫁である若女将みのはまだ加賀屋の意思決定権をもつ大奥様のくにに子守の雇用に関する許可を得ておらず、困惑しておしんを帰らせようとするがおしんは実家の窮状を訴えてなんとしても奉公させて貰えるよう哀願する。その話にほだされたくにはおしんを奉公人として迎え入れ、みのの末娘小夜の子守りをさせる。おしんの働きぶりにくには感心し、同い年の孫娘・加代の教育に利用する。

ある日、おしんは加代の部屋にあった美しい絵本に魅入られて持ち出してしまう。読んでいたところを加代に見つかってしまい、清太郎、みのに盗人扱いされるが、くにはおしんの見事な朗読を聞いておしんの”読んでみたかっただけで盗みの意思が無かった”ことを信用し、勉強嫌いの加代を逆に嗜めた。だが、その後清太郎とみのは、街で聞いてきたおしんが奉公先から逃げ出し脱走兵と暮らしていた過去を知り、更に不信感を抱く。

おしんは俊作の形見であるハーモニカを取り上げようとした加代と取っ組み合いの喧嘩になり、加代に怪我をさせてしまう。くにはおしんが居なくなることを惜しんだが、加賀屋の中で完全に庇うことが出来る筈も無くおしんをを出すことに決め、別の奉公先を見つけてくる。おしんは解雇されることを覚悟し、加代への詫びの気持ちとしてススキの穂で作ったミミズクを託す。ミミズクを受け取った加代はその出来栄えと、銭でハーモニカを譲らなかったおしんの高邁な自尊心に思い至り、おしんをどこにもやらないでくれとくにに懇願する。

加代はおしんに心を開くが、みのと清太郎は訝しむ。加代はくににおしんも学校に行かせて欲しいとねだるがくには奉公人のおしんには仕事があると断る。その代り子守奉公の仕事が終わった後、くにはおしんに寺子屋仕込みの手習い算盤を教えはじめ、加代も一緒に手習いをするようになった。だがみのからは奉公人の分を超えていると嫌味を言われ、いたたまれなくなったおしんはくにに辞退を申し出るが根性を出して続けてみろと諭されて続けることになる。

酒田にも送電が行われることになり、加賀屋に電気を通すための工事が行われるが、建てられる途中、電信柱が倒れる。工事を見ていた加代が危うく下敷きになるところをおしんがかばい、ことなきを得る。足がすくんで何もできなかったみのは感激し、以後、おしんを実の娘同様に可愛がるようになる。

正月を迎え、9歳になったおしんは加代とお揃いの晴着で初詣に行く。そこで酌婦になったふじが客の男といるのを見かける。その夜、加賀屋の近くに不審な女がいると聞いたおしんは、外に出てふじと再会する。くには陰から一部始終を見届け、家に戻りひっそり泣くおしんを慰める。その後もおしんは傲ることなく奉公人として勤め、加賀屋になくてはならない存在になっていった。加代が洋服を買ってくれなければ学校に行かない、買うまで飯は食わないとわがままを言う。くにはおしんに大根飯を炊かせ、加代とおしんに食べさせる。大根飯を食べた加代は、おしんの境遇を想い、わがままをやめる。

ひな祭りの祝いにりきが顔を出す。なかが危篤と聞いたくには、おしんに米一を持たせ、急ぎ家に帰らせる。なかはおしんの炊いた白米粥を食べ、息を引き取る。野辺の送りに歩くおしんは、家族のため働きづめで死ぬような女にはならないと心に誓う。なかが布を織って貯めた50銭銀貨を形見にもらい、おしんは加賀屋に戻る。

青春編(第37回〜第86回)

第一次世界大戦大戦景気に沸く大正5年(1916年)おしんが加賀屋へ奉公に来て7年の歳月が過ぎた。16歳になったおしんは女中として家事の他、くにに茶道や帳場の手伝いまで仕込まれ、忙しく働いていた。一方、加代は絵描きを目指す自由奔放な女に成長し、女学校を辞めようとしていたそんな折、おしんに縁談が持ち込まれる。相手は相場で儲けた酒田の成金大店(おおだな)、桜木家の凡庸な息子であったが貧乏の辛さを知るおしんは、くにの紹介でもあり話を受け入れる。

ある日、おしんはみのに頼まれ、風景画を描くために砂丘に出かけた加代を呼びに行く。そこで警察に追われる高倉浩太を助けることになる。加代は浩太に惚れる。ところが浩太はおしんを気に入り、何かと用を頼む。浩太は地主の息子でありながら小作争議に命をかける男だった。おしんはそれを知り、浩太に心惹かれるようになる。浩太は過去に奉公人との悲恋がありそれが今の運動をするきっかけだという。浩太は酒田を去るが、加代に内緒でおしんが浩太と会ったことが加代に知られる。おしんは縁談と浩太の間で揺れる。

ふじが加賀屋に口利きしてもらい、女丁持になる。加代はおしんへの浩太からの手紙を盗み見て家出すると、再び酒田に来た浩太の下へ行く。加代はおしんの縁談を浩太に教え、強引に二人で上京してしまう。おしんは桜木の家に手伝いに行くが、酔って絡んできた婚約者である桜木の息子を池に突き落とし、縁談は破談になる。おしんは縁談を破談にしたこと、加代と浩太のことを加賀屋の人間に隠していることに耐えられず加賀屋から暇を貰い帰郷する。

おしんの戻った実家に、奉公先の製糸工場で肺病を患い、瀕死の姉・はるが帰ってくる。おしんははるが密かに好意を寄せていた製糸工場の監督員・平野にはるの見舞いに来てもらう。作造が口入れ屋勝次を連れてきておしんの料亭奉公を決めるが、はるは勝次が製紙工場の女工を騙して女郎部屋に若い娘を売っていた女衒と気づき、おしんに自分が髪結いになるために行く予定だった東京の髪結いの師匠の所書きと手持ちの銭を渡し、故郷から逃げるように言い含めて19歳の生涯を閉じる。おしんはふじの協力で家を抜け出し上京。浅草の髪結い・長谷川たかの下へ向かった。

おしんはたかの店・髪結長谷川まで来るが、姉・はるの所書きを見せても人を入れる余裕がないと言われる。おしんは店の裏手に回り、消えかけの竈火を熾し、台所や店を手伝ってみせる。おしんの働きぶりに、たかは様子を見ることにする。だが奉公人の中で一番若い下働きりつはおしんに仕事を取られ文句をつける。翌日、おしんはりつに迷惑がかかるなら諦めるとたかに申し出るが、たかはやる気があるなら何人でも置くつもりだと言う。それからおしんはりつを立て、自分は裏方に回る。髪結いは12、13歳で弟子入りし、3年下働きし、それからやっとすき手になりまた何年も奉公し、一人前になるまでに7 - 10年もかかるという。一年で一番忙しい年末年始、たかはおしんにすき手をやらせる。だが先輩奉公人のおけい、お夏は、おしんが1年も満たない内にすき手になったことが納得できず辞めると言い出す。おしんは自分が辞めるからと引き留め、ことは収まったが、たかはおしんは意気地がないと言い、以降客の髪を触らせなかった。それ以来、おけい、お夏もおしんに心を閉ざしてしまう。

おしんが下働きのまま2年が経つ。大正7年(1918年)になると髪結いの主流が洋髪になりつつあった。おしんにふじから手紙が届く。おしんが加賀屋で子守をしていた小夜が肺炎で亡くなったという。おしんは暇を貰い久しぶりに帰郷、加賀屋を弔問する。悲しみにくれるみのはおしんは実の娘と同じであり、ずっと加賀屋にいて欲しいと引き留めるが、くにに諭され諦める。くには東京で加代に会ったらどうか助けてやってくれとおしんに頼む。帰京したおしんは日比谷公園での米騒動を聞きつけ、浩太の姿を求めて日比谷公園に向かい検挙されてしまう。翌日、たかが身元引き受け人となり、おしんは店に戻る。たかはおしんほどの娘が2年も下働きをさせられて嫌になったのかと労うが、逮捕されたことが噂になり、先輩奉公人らの風当たりも強くなる。

それから十日ほどたった夜、たかはおしんを呼び出す。たかは最近客が減ったのはおしんのせいではなく、日本髪を結う客が減ったからだと言い、おしんに将来洋髪で一本立ちすることを勧め、まず日本髪の基礎を教える。おしんは下働きの合間に他の髪結いを見学し、洋髪を独学で習得する。ある日店に神田カフェ「アテネ」の女給・染子が訪れ、洋髪を頼む。たかはおしんを呼び出し、長谷川として初めて洋髪を結わせる。染子はおしんの洋髪が気に入らず激怒して長谷川を立ち去るが、周囲から似合うと言われて上機嫌になり、おしんにあらためて髪結いを頼みにくるが、たかが長谷川では洋髪は出来ないと断り、おしん単独での出髪(出張結髪)に行くように命じる。修行中で料金を取らず腕のいいおしんは、他の女給にも髪を頼まれるようになる。さらにおしんは女給たちの恋文の代筆や着物の仕立てまでこなした。恋文の宛先はすべて田倉竜三という男だった。たかはおしんに独り立ちするよう言い渡す。

ある日、おしんは竜三から染子を介して依頼された銀座の高級カフェに出髪に行くが、アテネに出入りしていた髪結いのつると鉢合わせてしまう。つるは自分の客を奪っていくおしんに自分の縄張りを主張するが、おしんが抵抗。カフェの用心棒に出髪はつるに決っていると言われ、叩き出される。騒ぎをききつけて店から飛び出してきた竜三は用心棒を制止し、倒れたおしんをひとりの女給が介抱するが、その女給は行方不明になっていた加代だった。加代はその場を逃げ出すがおしんが追いかけ、二人はようやく再会。加代は東京に寄り付かない浩太を下宿で一人待ち続けていた。おしんは小夜の死を告げ、加賀屋に戻るよう懇願。加代は酒田に一時期のつもりで帰郷する。

おしんは髪結いとして独り立ちし、たかの店の近くの老夫婦の家に下宿する。竜三は自分が出髪を依頼したせいで迷惑をかけたとして、おしんに高価な鏡台を贈る。

加賀屋ではくにらが加代の男(浩太)からひと月も連絡がないことに見切りをつけ、家柄のいい政男を婿に決める。加代は上京しようとするが、くにが倒れる。浩太を諦めきれない加代はおしんに連絡を取り、下宿に浩太が来たら知らせて欲しいと依頼する。加代の下宿に浩太があらわれ、おしんは加代の想いを改めて浩太に伝えるが、小作争議のために逃げ回る浩太は自分に会ったことは言わないで欲しいと言う。おしんは酒田に行き浩太のことを伝えぬまま、祝言を挙げる加代の文金高島田を結う。

加代は加賀屋の跡取りになる覚悟を決め、祝言を挙げる。おしんは、りきからふじが苦労していると聞き、実家に帰る。小作の生活はあいかわらず苦しく、庄治、作造はふじに当たり散らす日々。おしんはふじのためにも再び仕送りを始める。東京に戻ったおしんは、加代の下宿で浩太を追っていた刑事に連行されてしまうが、竜三のお蔭で釈放される。佐賀から上京していた母・清に見合いを勧められた竜三は、おしんと結婚したいと言い出し、清と源右衛門(源じい)は激怒。求婚されたおしんもきっぱり断る。おしんの実家の借金返済や、庄治が嫁をもらうための家を建てるため、作造は手紙でおしんにさらに仕送りを無心する。おしんは仕送りの無理が祟り過労と心臓脚気で倒れ入院する。竜三はおしんに付きっきりで看病する。清は病室に押しかけ勘当すると言い渡すが、竜三は田倉と縁を切り店も出ていくと言い返す。

退院後、仕送りが途絶えたおしんの様子を見に作造が上京する。仕送りをせびる作造に嫌気がさしたおしんは、思わず「田倉さんのところに嫁にいく」と口走る。逆上した作造は田倉羅紗店に怒鳴り込み、源じいと激しく口論してしまう。作造はおしんに結婚しないよう言い含め帰郷する。翌日、おしんと竜三は互いの想いを打ち明け結婚を決める。大正10年(1921年)の春であった。二人だけの祝言を済ませ、竜三は源右衛門の理解を得るため、おしんを田倉羅紗店に同居させる。結婚に反対していた源右衛門はおしんが身につけている礼儀作法や商才、人柄、手際の良さに感服する。佐賀にいる竜三の父・大五郎が上京する。源右衛門が、おしんを褒めちぎり、竜三と一緒にしてやってほしいと書いた手紙を送られていた大五郎は、二人の結婚を認める。源右衛門は自分は用無しなので大五郎と一緒に佐賀に帰ると言うが、おしんは「私を嫌いでなかったらここにいて」と引き止め、店に留まる。

その矢先、作造危篤の報が入りおしんは帰郷する。新居に住む庄治と嫁のとらは冷ややかで、作造は古家に寝ていた。作造は死の床でおしんに感謝し、また謝罪する。おしんが祝言を挙げたことを告げるとこれを喜び、体を起こして作造危篤の報に接して集合したおしんの姉弟達と祝いの酒を飲んで息を引き取った。葬儀の後、新居には小作争議のために小作人が集まっていた。その寄り合いに来た浩太と再会したおしんは結婚したことを告げ、自らの初恋の想いに区切りをつける。

おしんは帰路、酒田の加賀屋に作造の葬式と自身の結婚の報告に上がる。加代は浩太への未練と政男の不貞に悩んでおり、家を出たいと言うが、おしんは加代は我儘だと嗜める。帰宅した政男は加代、みの、おしんの前で落籍した芸者のが妊娠したので産ませて認知すると宣言。泣き崩れる加代におしんはためす術が無かった。

東京に戻ったおしんは竜三と一緒にたかの下へ結婚の挨拶に行くが、戦後恐慌もあり、日本髪を結う客がめっきり減って、長谷川はたかとりつだけになっていた。

試練編(第87回〜第136回)

おしん竜三夫妻のためにカフェ・アテネで結婚祝賀パーティーが開かれる。その最中、田倉羅紗店の店員が羅紗を卸している大口の洋服店が明日にも破産宣告をすると伝えにくるが、竜三も源じいも酔いつぶれ、正気なのはおしんだけであった。翌早朝、おしんは独断で卸した生地を洋服店から回収する。それは加賀屋のくにの教えであったが、竜三は激怒しておしんを張り倒す。だが直後に同業者がやって来て洋服店が破産したことを告げ、そして田倉商会がいち早く対応したことを評価した。洋服店が倒産したのは戦後不景気が遠因だが、直接の原因は竜三が洋服店に薦め、出資した縫製工場のためだった。竜三は自分の判断の甘さを恨んでふて寝してしまう。

大正10年の年末、髪結長谷川では急に日本髪の客が増えて手が足りなくなり、おしんは手伝いにいく。たかはおしんに50円[注 4]の報酬を支払う。戦後不況は続き、竜三の羅紗店も経営が危なくなり、源じいは店を畳んで佐賀に帰ると口にする。おしんは髪結長谷川に駆け込み働かせてくれと懇願。たかは洋髪をやるつもりもなく店を畳もうかとも考えていたが、おしんの申し出に店の再出発を決める。おしんの持ち前の才覚で髪結長谷川は洋髪店として盛況となるが喜々として稼ぎに出るおしんに竜三は男としての面子を潰される。

竜三の努力の甲斐あって久しぶりに大口の注文が入り大量に納品したが注文は詐欺で羅紗を騙し取られてしまう。おしんは田倉のため髪結の仕事に精を出すが、深夜に酔いつぶれた竜三が女給を伴って帰ってくる。女給は高額のツケの支払いを要求するが、おしんは竜三に理解を示し、ツケを支払う。髪結長谷川は盛況でおしんとたか、りつの他、新しい結い手を雇うほどになっていた。田倉羅紗店は開店休業の状態がつづき、竜三は完全に商売への意欲をなくし、おしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになる。たかは甘やかすなとおしんに言うが、おしんは竜三に尽くすため働く。ある夜、竜三が女給を連れてカフェ・アテネへくり出すが、立腹した染子が竜三を激しく叱咤、自宅に戻った竜三はおしんに対して理不尽で身勝手な鬱憤をぶちまける。おしんは自分の行いが竜三のプライドを傷つけているならと別れる気になるが、妊娠していることに気付く。たかは髪結いの亭主と別れた自分の過去を語る。女の稼ぎが男を駄目にすると聞いたおしんはその場で髪結をやめると申し出る。竜三は源じいとおしんを連れて佐賀へ帰ることを提案するが、おしんは拒否。退職したこと、子供が出来たことを伝え、東京で暮らそうと励ます。

おしんが髪結いをやめてから2ヶ月が経ち、とうとう米一粒もなくなるがおしんはのんびり構えていた。見かねたたかが訪ねて来てお金を差し出すが、おしんは、竜三にどん底から立ち直ってほしいからと断る。突然うな重の出前が届く。竜三はかつて佐賀で面倒を見た小作の伜に頭を下げて借りてきた金をおしんに渡し、生活のためならどんなことでもすると宣言、おしんを感激させる。竜三は知り合いに子供の洋服の需要が伸びてきたから、子供服の商売を勧められる。開業資金のためにおしんは不良在庫の羅紗を露天商で売ることを思いつく。竜三は渋り、知り合いの洋服店に勤めに出ると言う。

だがおしんは羅紗の仕入れ値を調べ、竜三と源右衛門の留守中に一人で羅紗を持ち出し、浅草の露天に売りに出る。思った通り羅紗は飛ぶように売れるが、的屋の男衆がやってきて無許可で出店するおしんに帰れと脅し、おしんともみ合いになる。そこに的屋の親分・中沢健が現れて取りなす。怪我をして帰宅したおしんは竜三に叱られた上、売上が入った袋を忘れたことに気付き悔しがる。翌日、田倉羅紗店を健が訪ねてくる。腹の虫が収まらないおしんは健に食って掛かるが、健は売上が入った袋をおしんに差し出す。おしんは健が同郷の出身と知り意気投合。健はおしんに、的屋の仁義の切り方を教え、露天商の許可証も出す。おしんは露天で田倉の羅紗を10日余りで売り尽くし、商売の資金確保に漕ぎ着ける。

おしんはミシンの購入、型紙の発注と子供服の商売の準備を着々と進めるが、洋服店へ勤めに出ている竜三は乗り気ではなかった。しかし、おしんが子供服を一着縫い上げると一転乗り気になり、積極的に協力するようになる。大正11年(1922年)9月1日、田倉商会は子供服専門店として再出発する。しかし、10日経っても一向に売れなかった。おしんは失敗と思いやめようと思ったが、呉服屋・大野屋の仕入れ担当が来て、子供服の納入を頼まれる。竜三の営業の成果だった。大野屋に納入した子供服が飛ぶように売れ竜三はすっかり有頂天、おしんに無断で縫い子と足踏みミシンを3台から6台に増やし、もっと大きな作業場も建てると言い出して勤めていた洋服店も辞めてしまう。さらに裏庭に小さな作業場を建てミシンを5台増加。身重のおしんを尻目に竜三はすっかり天狗になって遊び歩く。大口の注文を取ってきた竜三は夜も縫い子を雇いミシンを動かすと言いだすが、おしんは製糸工場での無理が祟り早死した姉、はるの話をする。源右衛門も竜三の安易な事業拡大を諌める。

おしん第一子の出産が迫り、竜三はおしんに内緒で山形からふじを呼び寄せる。庄治夫妻は難産だが第一子が生まれたという。竜三と源右衛門はふじを観光や外食でもてなし、おしんはやっと親孝行が出来たと二人に感謝する。大正12年(1923年)1月、おしんに長男が産まれる。お七夜の祝いで、竜三は雄と命名。戦争嫌いのおしんは軍人になりそうな名前だと言う。おしんはふじにそのまま田倉の家にいてもらうつもりだったが、ふじは譲らず山形に帰っていった。

佐賀から大五郎が生まれた赤ん坊に見にやって来る。大五郎は作業場を見て金を融資すると言う。竜三から融資の話を聞いておしんは万が一のことを考え、大五郎に融資を辞退したいと言うが竜三は承諾、程なく新築する作業場のための土地が見つかる。酒田から出産祝いに加代が来る。縫い子の糸子が怪我をし、処遇に関して竜三とおしんは言い合いになる。加代はそれを見て本当の夫婦だと羨む。加代はおしんに、加賀屋での生活を捨て酒田には二度と帰らない、東京の実家にいる浩太の消息がわかったので今度こそやり直すと打ち明ける。加代は浩太と会うが浩太は謝罪を繰り返すだけだった。一晩塞ぎ込んだ加代は浩太をあきらめ酒田に戻る。

田倉商会は今までの店の儲けを総てつぎ込み借金づくめで悲願の作業場を新築する。9月1日、留守と子守りのために源右衛門と雄は羅紗店に残り、おしんと竜三が工場の落成祝いの準備をしている正午2分前、関東大震災が田倉商会とおしん達を襲う。揺れがおさまり竜三とおしんは羅紗店の方へ向かう。店は倒壊、源右衛門は身を挺して雄を庇い抱きしめて死んでいた。瓦礫から火災が発生し炎が迫る。雄を抱いた竜三は源右衛門に縋りつくおしんを遺体から引き剥がして上野公園に向かう。

上野公園に2日野宿し火災が落ち着いたのを聞いて店を見に行く途中、たかとりつに会う。たかから工場の辺りは焼け野原になったと聞いた竜三は動転し走り出す。無事だった健がやってきて何かとおしん一家の面倒を見てくれることになる。竜三が茫然自失で戻ってくる。新築した工場は地震では全壊しなかったものの、その後の火事で全焼していた。竜三は佐賀に帰ることしか頭になくなる。だがおしんは佐賀の姑に嫁として未だに認めて貰っていないこともあり東京に残っていちから出直そうと竜三に進言する。ふじが加賀屋の助けを借りて見舞いにやってくる。おしんは絶対に佐賀に行かないと言い張るが、ふじに平手打ちされ、子供が出来た以上、夫に付き従って佐賀に行けと説得される。おしんは佐賀行きを承諾、雄を連れて佐賀へ向かった。

おしんがやっと辿り着いた田倉家の敷居は高かった。大五郎は震災を逃れた竜三、雄の無事を喜ぶが、竜三の長兄・福太郎は借金までした東京の商いの失敗に苦言する。源右衛門の死について清はおしんさえいなければこんなことにならなかったとおしんを口撃する。相談なしに竜三に金を出した大五郎も田倉家の中で立場がない。おしんと竜三は物置のような一室を割り当てられる。竜三が雄のおしめを洗うと清は割って入り嫁を甘やかすなと叱責する。

竜三一家無事の祝いが行われるが、おしんと福太郎の嫁・恒子の分の膳が無い。おしめのことで清はおしんに小言を言う。恒子に女は男衆が食事を済ませてから頂く、この辺の習慣だと言われる。おしんは土間で食事、風呂もしまい湯。おしんは台所を手伝いを申し出るが、恒子は本家の嫁の勤め、余計なこととおしんの助けを拒否する。清は福太郎の手前おしんを客扱いできないと言い、竜三と一緒に開墾、野良仕事をするよう言いつける。

田倉家は元々大地主で竜三は畑仕事をしたことがなかったのだが、大五郎の代で事業に失敗し凋落してしまっていた。佐賀に着いた翌朝、おしんは洗濯の石鹸はどこかと恒子に尋ねるが、石鹸は一家ごとに別であり、買う金は清に貰う、雄のおしめ洗いで石鹸を使われたと愚痴る。清はおしんに山形の実家はこれだけ娘が世話になっているのに何も送ってこないのかと嫌味、朝食時にはおしんがお櫃に手を伸ばすと「痩せの大食い」と嘲笑う。

竜三とおしんは作男・耕造とその妻・佐和と開墾を始める。佐和は田舎の百姓の嫁とは思えない程の美人であった。開墾は重労働だが弁当は握り飯二つのみ。竜三は不満を口にするが耕造と佐和は小さな一本の薩摩芋を分け合っていた。米の飯は小作や作男は祭りの時のみ。耕造の家は母と小姑が三人もいるので佐和が苦労をしているとこぼす。家に戻って耕造の話になると、佐和は元・島原女郎で村のつまはじき者であり、佐和と口を利くなと指示するが、おしんは元女郎のどこが悪いのと口答えしたため、清は憤慨する。清が竜三に餅を差し出すと竜三はおしんの分も欲しいと言う。すると清はおしんにおなごは腹が減っても自分のものまで亭主に差し出すものだと叱る。

おしんは、佐和の髪が見事なので野良で一度丸髷[注 5]を結う。耕造と佐和は大変に喜んでくれたが、帰宅したおしんに、清は田倉家に泥を塗ったと激怒する。佐和の髪を見て、田倉家におしんに髪を結ってもらえないかと頼む人がいるという。それを聞いたおしんは、髪結いに行きたいと願うが、苗字帯刀の家柄を誇りにしている清が許すことは無かった。おしんは竜三になぜ髪結いしてはならないのかと不満と愚痴をこぼす。おしんが髪結をしたいのは自由になるお金が欲しいからという理由を知った竜三はおしんの立場を理解せずに母・清に雑費のためにと金銭を無心するが、おしんは清から何も不自由はさせていないと小言を言われる。姑と嫁、夫婦仲は険悪になるばかり。畑でおしんは佐和から身の上話を聞く。耕造は佐和の身請のために田畑を売って作男になったので佐和も家の中では針のむしろだという。

おしんは竜三に田倉家を出て町に出ようと言うが、商売に懲りた竜三は良い返事をしない。だが竜三も実家の野良仕事に虚しさを感じてもいた。竜三は大五郎がやっている有明海の干拓の組に入り自分の土地を手に入れることを思いつく。干拓事業は結果が出るまで長い年月を要するため、清は良い顔をしない。畑になるまで10年もかかると言うが、大五郎の口利きで竜三は組に入る。おしんはなんとか気に入られようと再度家事の手伝いを願い出るが叶わない。長兄の子供たちが穀潰しと囃し立てる。清がおしんをそう言っていると教えられる。福太郎と清は、干拓は大きな台風がくれば水の泡となる事業だと愚痴る。清は竜三の干拓参加をおしんのせいにする。それを聞いたおしんは干拓事業を案じるが、竜三は聞き入れない。おしんは心配をかけまいとして山形や酒田、東京への手紙には辛いことは一切書かず、普段の口数すら少なくなっていった。

大正13年(1924年)の正月。東京のたかから年賀状が届く。髪結長谷川を3月にも再開できそうだと記してあり、おしんは東京に戻ってたかの下で再び働くことを夢見るようになる。それ以来、心の中で3月までの辛抱だと呪文のように繰り返すようになっていた。おしんは再度竜三に田倉家を出るつもりはないかと問うが干拓に賭ける竜三の意思は固い。竜三とおしんは衝突し、とうとう家庭内別居をすることになる。

おしんが源右衛門の墓参りをしていると、誰かが掘割に身投げしたという。行ってみるとそれは佐和だった。後日、おしんは一命を取り留めた佐和を訪ねると、佐和は納屋で寝起きをしていた。聞くと佐和は自分が女郎であったことと、身請けのために土地を失ったことなどで夫が姑と喧嘩が絶えないのが申し訳なくなり、気づいたら飛び込んでいたのだと言う。佐和の身の上を気の毒に感じたおしんは佐和に一緒に東京に逃げようと誘う。たかから東京で仮住まいを定めたとの手紙が届き、おしんは喜ぶ。

おしんは彼岸の中日に発つと決め、佐和に汽車賃を渡す。佐和はおしんが妊娠していることに気付く。計画の日、竜三の次兄で陸軍大尉・亀次郎が来て挨拶する。末妹・篤子も帰郷して妊娠を打ち明ける。おしんは雑木林で汽車の時間を待つが、佐和は身重のおしんの身を案じ、干拓に出ている竜三を呼び出して計画を漏らしてしまう。おしんは竜三に見つかり、東京に行くなら雄を置いていけと言われる。おしんは雄を奪う竜三に掴みかかるが振り解かれて倒れ、木の枝が刺さって流血、失神する。

竜三に介抱され意識を取り戻したおしんは東京に行くと泣き叫んで抵抗するが、佐和に宥められ、竜三の荷車で田倉家に戻る。竜三は清に怪我に至った顛末を隠す。おしんの怪我は酷く首から右肩にかけてざっくりと肉が裂けていた。さらに激しい出血のあとの衰弱と傷からくる発熱とで3日ほど昏睡状態になる。清は金がかかり疫病神だと罵る。10日経ち右手は使えないが歩けるようになる。だが清が世話する雄には会わせてもらえない。おしんは竜三に怪我にかかった費用を手持ちの100円の中から出しておいて欲しいと伝えるが、竜三は清の気持ちが解らないのかとおしんを叱る。おしんは「血を分けた母親なのにあなたは何もわかっていないのね」と愚痴るのであった。

篤子の岩田帯の前日、おしんは床上げするが右手がしびれて思うように動かない。祝いの日、おはぎも握れず、小鉢も割ってしまう。竜三は怪我は首と右肩なのだから手が自由にならない筈がないと言う。清は針仕事を持ってくるがおしんは針が持てなかった。再び開墾に出るようになる。畑で佐和は東京に出る筈の金をおしんに返すと言うが、おしんは裏切られた恨み言と共にそれを突っぱねる。佐和は身籠ったことを竜三にだけは話した方がいいと言うがおしんは拒絶する。

怪我から1ヶ月経ったが、右手は相変わらずで思うように働けない。そのことで清ばかりか、竜三にも疎んじられる。見かねた大五郎はおしんを町医者に見せに行くがどこも悪くないという診断であった。竜三が大五郎、清に呼び出され、おしんを実家に帰してはどうかと提案される。清は竜三に離婚を迫る。おしんが佐和から貰った腹帯を竜三に見られ、妊娠が発覚。竜三は里に帰って産んだほうがいいと言うがおしんは谷村家はもう兄の代だからと田倉家にいると言う。おしんの覚悟を知った竜三は、おしんに腹帯を締め、清におしんとは別れないと告げる。

おしんが佐和と逃げ出そうとしていたことが耕造の母親から清に知らされ、清はおしんを詰問する。佐和の小姑がおしんの渡した汽車賃の30円[注 6]を見つけ、何の金かと佐和は姑小姑に折檻されたという。再び身を売った金なのかと疑われ、おしんに貰ったと白状した。おしんが外に飛び出すと放心状態の耕造が「佐和を返せ」とおしんに詰め寄る。佐和は既に佐賀を逃げ出していた。竜三は大五郎と清に、おしんの妊娠とおしんに怪我をさせたのは自分であると打ち明け、おしんはこの家で出産させると宣言する。

清は竜三に一つの家にお産が二つあると、どちらかが欠くと言われ、忌み嫌うのでおしんを他所に移すと言い出す。大五郎はそんな風習はただの迷信だと一蹴するが恒子も心配する。竜三と夫婦の絆を取り戻したおしんは、大きなお腹で野良仕事の日々だが、清に口をきいてもらえない。ある日、佐賀では妊婦には良いとされるドジョウが用意されるが、ドジョウを食べられたのは帰省した篤子だけであった。竜三はおしんの分のドジョウが無いことを意見するが清は相手にしない。見かねた恒子は、おしんを呼び出し、お産の迷信のことを教え、このままでは清に殺される、山形に帰った方がいいと勧める。風習を信じる清はおしんが身二つになるまで、預かってくれる所が見つかり、一人移れと言うが、おしんは迷信に納得せず拒絶、清は激怒し決裂する。清は竜三に自分は一度も姑に逆らったことはなかったと泣きつく。おしん、最後の意地であった。

自立編(第137回〜第185回)

田植えの一番忙しい時期。おしんは身重の体を押して田植えをする。清は身重の篤子を連れ帰り、ぜんざいを食べさせ、一番風呂に入れる。同じ妊婦のおしんをこき使い、自分の娘を甘やかす清に憤る竜三をおしんは止める。おしんは文句を言われるのは結局私なのだからと宥めるが、竜三はおしんから頼られていないのかと拗ね、以後口出ししなくなる。ふじから手紙とおしめと産着が届く。やがておしんは野良仕事が終わると眠気で立てなくなる。洗い物をしながら居眠りをするおしんを見た福太郎は、もう働くのは無理だと意見する。大五郎のはからいで、おしんは仕事を休むが、家事も雄の子守りもさせてもらえず、居場所がない。昼食のうどんを食べようとすると、清は働かず食べるのかと激しく口激。翌日からおしんは何があっても仕事を休まなかった。

やがて、稲刈りの季節を前にして産み月になる。清はお産は不浄なので、篤子は家の納戸、おしんは裏の納屋代わりの離れを使えと指示。恒子は魔除けの麻の葉を刺した出産用の厚地の木綿の下敷きをおしんに渡す。稲刈りから帰宅した夕刻、篤子が産気づき、竜三が町の産婆を呼びに行く。夜、離れにいたおしんも産気づくが一人耐える。篤子はひどい難産で、見るに堪えない清は部屋を飛び出し「みんなおしんのせいだ」と叫ぶが、大五郎は清を突き倒し「二度とそんなこと言ったら叩き出す」と怒鳴りつける。産婆から手に負えないので町の医者を呼んでくれ、朝までに産まれなければ赤子をあきらめねばならないと言われ、竜三が真夜中の雨の中走り出す。

陣痛に苦しむおしんは、離れから竜三を呼ぶが入口で倒れてしまう。朝方、医者が到着し、篤子は無事出産。竜三がやっと離れの方へ行くとおしんが気を失っていた。目を覚ましたおしんは、女の子を産んだ、お乳をやりたいと言うが、竜三はごまかす。清は母屋で近所の女衆を招いて篤子の出産祝いをする。清たちの笑い声に、竜三はいらだち、怒鳴り込む。竜三に代わり、大五郎がおしんに産んだ子は死んでいたと告げる。おしんは子どもに愛と名付けたのだと叫ぶ。

死産のショックでおしんは放心状態となり、ものも言わず、ただ乳が出るばかり。一方篤子は乳の出が悪い。清はおしんに乳を分けてもらえないかと言うが、篤子は嫌がり、竜三も激怒。恒子はおしんのためになるかもと竜三を説得。おしんは自分の子ではない赤子を抱き黙ってお乳をやる。清はおしんは慈母観音のようだと感激する。正気に返ったおしんは死産を受け入れ、死んだ愛の代わりに生まれた篤子の子に乳をやりたいと言う。清はおしんに手をついて感謝し和解する。

清は篤子の子に愛と名付けた。おしんは愛に乳をやり、今まで遠ざけられていた雄の守りをする平穏な日々を送る。竜三たちはおしんが清から嫁として認められたと安堵する。生後33日目の愛の宮参り。篤子と愛は嫁ぎ先に帰る。佐和からおしんに手紙が届く。手紙には東京で無事に暮らしを立てていることが綴られていた。おしんは竜三に家を出て東京に行くと打ち明ける。死産してから家を出ると考えていたが愛に乳をやるため留まっていた、ここでは失うばかりで何も残らなかった、黙って行かせて下さいと言われ竜三はうろたえる。おしんは大五郎と清に、明日、雄と二人で出ていくと伝える。清は激昂し雄は田倉の子だと譲らない。竜三も清に同調する。

翌早朝、雄を一緒に連れて行くことを半ば諦め、荷物をまとめて挨拶にきたおしんに恒子が清に隠れて雄を連れ出してきてくれると言う。おしんはその意外な申し出に戸惑うが恒子の言葉を信じ、源右衛門の墓の前で待った。恒子は清の留守を狙い雄を連れ出しておしんに手渡す。おしんは恒子の思いがけない機転と心配りに感謝して佐賀を離れ東京へ向かった。

おしんは、再建した髪結長谷川に身を寄せ、たかに佐賀での日々を打ち明ける。さっそくたかはおしんに試しに自分の髪結いをさせるが、おしんの右手はまだ力が入らず、熱したコテがたかの頭皮に当たってしまい、やけどをさせそうになる。佐賀での怪我のこと、そのことで右手が不自由になったことを話すとたかはおしんに大いに同情しできることだけやってくれればいいと言うが、おしんは髪結ができない以上居候するわけにはいかないと思う。

佐和からの手紙を頼りにおしんは佐和の仕事先を訪ねる。佐和は住み込み女中として働いておりおしんに借りた汽車賃を返すが、ここでは子供と一緒に働くことは出来ないと言う。長谷川に来た健はおしんの事情を知り、露天商を勧める。たかは反対するが、自活したいおしんの意思を認める。おしんは健が用意したどんどん焼きの屋台を始める。健はおしんに頼まれ、母子で住む長屋を見つけてくる。おしんは髪結長谷川を出ることをたかに言っておらず、たかは寂しがる。屋台の仕事に忙しく明け暮れる中、大正14年(1925年)1月、おしんは佐賀の竜三に手紙を出すが、手紙は清が受け取り破り捨てる。恒子はその一部始終を見ていたが清に口止めされる。

健はおしんと雄のため細々と世話を焼く。それを見たたかは世間の口はうるさいとおしんに忠告するがおしんは「健さんとはそんな関係ではない」と気にもとめない。夜遅く健がいつものようにおしんを長屋まで送り布団を敷いたところで、健の女が長屋に怒鳴り込んでくる。女は健がおしんの屋台出店のために大変な手間と金を使ったことでおしんを責めるが健は「男は本気で惚れた女には指1本触れなくても力になりたいものだ!」と言い放つ。おしんは健の気持ちを初めて知り辛くなる。翌日、健が謝りに来るがおしんは健の親切を丁重に断り、故郷山形に帰ると決め、雄と帰郷する。その後、髪結長谷川に竜三からおしんの消息を訊ねる手紙が届き、たかと健は訝しむ。

4年ぶりに山形に帰ったおしんにふじは喜ぶ。兄の庄治も5日に一度の風呂を勧めるが、おしんが田倉家を出てしばらく谷村家にいると聞かされると態度を変える。谷村家では小作争議で小作米は4割になり、麦飯が食べられるようになっていた。だがおしんが夕食を食べると、庄治は長男は家と親の面倒を見なければならない、おまけに兄妹が転がりこんできたら貧乏をついで長男くらい引き合わないものはないと文句を言う。庄治の嫁・とらも仏頂面。それを聞いたふじはおしんのために庄治夫妻と所帯を別にして、納屋から勝手に食料を持ち出す。とらはおしんはわがままだと庄治に愚痴り、庄治は一度嫁に行ったら石にかじりついてでも辛抱するのがおなごの道だと吐き捨てる。ふじはおしんが手紙に書かなかった佐賀での暮らしを聞いて、田倉の姑は鬼だと言う。庄治が働かないおしんに嫌味を言うとふじはとらも同じではないかと言い返す。とらが雄を折檻して泣かせる。とらの子・貞吉の飴を雄坊が取り上げたのだという。それを聞いたふじは憤慨し、納屋の米を銭に代え飴や干物を買ってくる。庄治は納屋に南京錠をつけ、鍵をとらに渡す。嫁と対立するふじにおしんは戸惑う。

おしんはりきの世話で手の足りない農家の手伝いを始める。おしんは度々、佐賀の竜三にあてて手紙を送っていたが、手紙は全て姑・清が破り捨て、竜三の見合いを進めていた。田植えの季節になり、庄治はおしんをあてにするが、おしんは他の農家に田植えに行く約束があった。ふじは庄治に、乳飲み子を抱えたとらに田植えをさせろ、自分はやってきたと言う。言い返せない庄治はとらに田植えの支度をしろと怒鳴る。そこへりきが加賀屋のくにが倒れたと知らせに来る。

翌日おしんは酒田の加賀屋に駆けつける。くにの最期の床で看病し続けるおしん。くにはおしんに「加代には姉も妹もいないのでどうか頼む」との言葉を残して大往生する。葬式に別居していた政男が線香を上げに来るが加代は激怒。おしんは跡継ぎを産むため復縁するよう宥める。おしんは初七日まで手伝いをする。加代はりきから佐賀でのおしんの苦労を聞いており、おしんも母と兄夫婦の確執を打ち明ける。加代はおしんに、加賀屋に借金をして主が夜逃げした酒田の空き家での商売を勧め、元手も貸すと言う。清太郎、みのもおしんの境遇に同情し大正14年初夏吉日、おしんは加賀屋の援助で飯屋・めし加賀屋を開店をする。開店した日に政男が仲人の取りなしで加賀屋に戻ってくる。加賀屋は加代が取り仕切っていたが、夫を立てるために政男に任せる。

飯屋は初日全く客が来なかった。おしんは握り飯を作って港に売りに行くが、やはり売れず、無料で港湾作業者に配って帰る。翌日おしんは店を休業して手書きで飯屋のビラを作って配る。これを見つけた政男は加賀屋の名に傷がつくと立腹、おしんを庇う加代と対立する。3日後、店を再開すると客で埋まり大繁盛となる。加代は加賀屋ですることがないからと夜遅くまで店を手伝うが、清太郎、みのは夫婦仲を心配する。政男は一度家を出た負い目もあり、加代のふるまいを静観する。

ある夜、客の1人が酒を出せと言ってくる。おしんは飲み屋ではないと断るが、加代は酒を1杯15銭で出し、飯の客よりよっぽど儲かると言う。おしんは店の空気が荒れると気が進まないが、客の求めに応じ酒を出すようになる。店を見に来た政男は、加代に気が済むまで手伝えばよいと笑顔で帰る。おしんと加代は政男の心遣いに感激する。

突然店にヤクザが乗り込んできて、酒を安く出しているせいで周囲の店の売り上げが落ちていると因縁をつけ、暴れ始める。おしんは健より習った見事な仁義をきりヤクザを驚かせる。ヤクザはおしんがハッタリで口にした健の一家と自分たちが遠縁であると感心し、酒売りを認めて貰うことが出来た。雄が麻疹にかかり、おしんは店を休んで看病する。酒田に来てからも、おしんは何度も佐賀の竜三に手紙を出すが、やはり清に破り捨てられていた。

大正14年の秋。加代は浩太が酒田に来たと話す。日本農民組合の庄内支部が酒田にできて、小作の代表として浩太が、地主の代表として政男が会ったという。政男は加代に、運動をする浩太のことを、惜しい男だと話す。おしんの手紙や竜三が問い合わせた先の返事は竜三に届かない。清は竜三に再婚を強く勧めていたが竜三は断り続けていた。

めし加賀屋に浩太がやってくる。加代は浩太におしんが飯屋を始めるまでの顛末を話し、自分が回り道させたおしんと浩太の縁を結ぼうとする。浩太はおしんに自分は雄の父親になるつもりだと告げるが、おしんの心は竜三にあった。治安維持法が制定され農民運動や労働争議が弾圧され始めたため、浩太はまた隠れて運動をしなければならなくなる。浩太は竜三の気持ちを確かめたいと佐賀へ手紙を出すが清が開封してしまう。

めし加賀屋でおしん、加代、浩太が大正15年(1926年)の新春を迎える。そこへりきがやって来て、谷村家のふじへ竜三から手紙が来ておしんの消息を教えて欲しいと書いてあったという。りきはおしんに手紙一本くらい出してやれと言うが、おしんは今まで何度も手紙を出していた。浩太は何かの手違いで手紙が竜三の手にわたっていないのではないかと疑問を投げる。

佐賀では再婚を渋る竜三に清は堪りかね、おしんは他の男と一緒になるつもりだと、浩太からの手紙を竜三に見せてしまう。竜三は自分宛の手紙をなぜ勝手に開けたかと憤慨し、手紙にはおしんが竜三に何度も手紙を出したと書いてあったが清はおしんの嘘だと開き直る。それを見た恒子は竜三を呼び出し、清がこれまでに破り捨てていたおしんの手紙を裏張りして保管しておいたものをすべて渡した。それを読んだ竜三は再婚をきっぱり断り、佐賀におしんと雄を呼び戻すと決心する。竜三の手紙がとうとうおしんの下へ届く。中には20円もの為替と何枚にも書かれた便箋が入っていた。

再び加賀屋に来た浩太は、おしんが喧嘩する客を追い出し、絡んでくる酔っ払いをあしらっているのを見て、酔客相手の商売を危ぶみ、商売代えを勧める。みのが店を訪ね、おしんに、加代が店に入り浸っていることで夫婦の暮らしが壊れてしまう、家に落ち着かせて欲しいと頼む。浩太は、伊勢で漁師をしている浩太の伯母が面倒を見てくれる魚の行商をする仕事を見つけてくる。おしんは店を閉めることを決意。旅立つ前夜、おしん、加代、浩太は酒を酌み交わし、また3人で会おうと約束する。

酒田を発ったおしんは、伊勢の網元・神山ひさの下に身を寄せる。雄を乗せた箱車を押し、魚の行商人としての第一歩を踏み出す。おしんの強かな商魂が功を奏し、おしんの行商は軌道に乗る。おしんの願いは、店を出し竜三を呼び寄せること。その年の暮れ大正天皇崩御。時代は大正から昭和に変わり、ひさの世話になって一年が経つ。浩太がおしんの様子を見に伊勢に立ち寄る。浩太は変わらず農民運動をしているが、農民運動が公に認められるようになったものの小作争議の形態が変わってきていると言う。これまでは小作が地主に小作料の引き下げを要求していたが、逆に地主が小作に小作料の引き上げを要求するようになり小作争議は泥沼状態に陥っていた。ひさは、おしんは魚の行商としての信用もつき自分の店を持てると太鼓判を押す。浩太が慌ただしく帰ったあと、おしんは竜三に家族三人で暮らしたいと手紙を出す。しかし竜三から返事はなかなか届かなかった。

おしんを気に入ったひさは田倉家が竜三を、亭主を置いて逃げたおしんのところへよこす筈がない、諦めろ、店を出すことはない、自分の下に居ろ、浩太もおしんに一人でいて欲しいのだと諭す。佐賀では竜三が考えあぐねていた。竜三は自分には甲斐性がない、おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘る。大五郎は伊勢に行く気のない竜三に、おしんを諦めるかおまえがおしんの下に行けと一喝。結局竜三は伊勢には行かないと手紙に書く。

竜三からの手紙にひさは呆れるが、おしんは竜三の気持ちを踏みにじりたくないと答える。その年の夏も過ぎようという頃、ラジオで今度の嵐は大きく、九州では被害が出て、長崎や佐賀では堤防が破れたと報じていた。台風が過ぎた朝、佐賀の田倉家に、嵐の中干拓を見に行った竜三と大五郎が濡れ鼠になって戻って来る。台風[注 7]による波風と満潮の時期が重なってしまったために干拓をしていた土地は全て流され全滅した。竜三は「これまでの努力が全て無駄になった」と号泣。翌朝、竜三は佐賀を出て新しく出直すと置き手紙をして田倉家を出奔する。

竜三はおしんと雄のいる伊勢に来た。箱車を押すおしんと目が合った途端竜三は逃走するがおしんが追いかけ、捕まえる。竜三は日本は不景気で新天地満州なら仕事がある、下関から関釜連絡船で中国大陸に渡りその後汽車で満州大連に行くつもりだ、二人をひと目見に来ただけだと言う。夜、おしんは家族一緒に暮らすことを哀願するが竜三は単身で満蒙開拓団に加わり、土地持ちになったら迎えに来ると譲らない。涙ぐむおしんを竜三は抱き締める。

明くる日、旅立つ竜三は行商に行くおしんに付いていった。おしんが競りが行われる浜辺から行商先の町まで1里半(約6km 帰路もいれると約12km)重い箱車に荷と雄を載せて歩くと聞き、竜三はおしんの行商の過酷さに驚く。おしんは竜三と別れて行商に出るが、竜三はこっそりおしんのあとをつけた。降りしきる雨の中、行商先の山村へ通ずる長い坂道でも重い箱車を懸命に押し続けるおしんを見て竜三は男泣きしてしまう。竜三は満州行きをやめ、おしんと魚屋になることを決意する。

おしんと竜三はひさの後押しで、鮮魚店・田倉魚店を開店する。暫くは仕入れと店を竜三が、行商を今まで通りおしんが担当することに決める。最初魚の名前もわからない竜三だったが、おしんに従い仕事を覚えていく。ひさは竜三が御用聞きに回っているため、おしん一人の時より売上が落ちているのではないかと心配するが、店の主人は竜三だと譲らない。

おしんは佐賀の田倉家へ、竜三と一緒に魚屋をはじめたことを手紙で報告する。受け取った清は手紙を破き竜三を伊勢から連れ戻すと声を荒げるが、大五郎は竜三とおしんの仲を裂いたのは母親のお前であり、放っておけときつく言い放つ。清は母親よりも女房かと深く嘆息する。伊勢に竜三の荷物と清の手紙が届く。手紙には「竜三は伊勢で魚屋を一生の仕事とし、佐賀に逃げ帰らないこと」そしておしんのこれまでの苦労をねぎらい、竜三を待っていてくれたことに対する感謝の気持ちが綴られていた。

昭和4年(1929年)雄の小学校入学の晴れ姿を見せようと、おしんは山形のふじに10円の為替と共に伊勢に来てほしいと手紙を出す。手紙を受け取った庄治はとらに読んでもらい、ふじに伝える。年老いて邪魔者扱いされていたふじは、口減らしをするのかと気乗りしないが庄治は行くようにと勧める。ふじが伊勢にやって来るが雄の入学式を見たらすぐ帰ると言う。庄治から手紙が来てふじを預かれと言ってきた。やはりふじと庄治夫妻は上手くいってないと知り、おしんはふじを返さない口実を思案する。

そんな時、おしんに三度目の妊娠が判明。竜三はおしんの気持ちを汲んで佐賀での死産に触れ、おしんが無事出産するまでついていてくれとふじに頼む。ふじは老いて昔のように働けない自分は穀潰しだから帰ると頑なに固辞するが、おしんはここでは大きな顔をしていればいいと懇願、竜三がふじの前で床に手をつき頭を下げるのでふじは田倉家で暮らすことになる。

加代から手紙が届く。加代も妊娠しており9ヶ月だと綴られていた。おしんはこれで加賀屋も安泰だと安堵する。昭和4年10月。おしんは無事男の子を出産するが、突然ふじが倒れる。ふじを往診した医者は、大病院で詳しく検査してもらった方がいいと診断。男の子は仁(ひとし)と名付ける。検査の結果ふじは白血病と判明。この頃の白血病は不治の病でおしんの産褥期ということもあり竜三は家族に隠す。ふじは床を離れられなくなるがおしんは無事に床を上げる。

死期を悟ったふじは故郷の家で死にたいとおしんに打ち明け、竜三はおしんに本当の病名を告げる。加代から手紙があり無事出産、希望(のぞみ)と名付けたという。おしんは母をおぶって山形に帰りたいと竜三に頼む。仁はひさに預け、竜三はおしんとふじを送り出す。おしんは庄治に迎えを頼んでいたが駅に現れなかった。おしんはふじを背負って雪の降る山道を実家へ向かう。家は庄司夫婦に物置にされていたがおしんが二人に怒鳴って片付けさせ、ふじを寝かせる。ふじの帰郷を聞いて訪ねてきたおりきとおしんに寄り添われ、ふじは故郷に降る雪を愛でながらその生涯を静かに閉じる。

おしんは伊勢に戻る。日本は世界恐慌の真っただ中。おしんは山形でおりきから加賀屋が危ないという噂を聞いていた。昭和5年(1930年昭和恐慌。おしんがふじの訃報を加賀屋に送ったところ、加代からお供え代として10円の為替が送られてきたのでおしんは安心する。

雄が三学期を終えた頃、おしんが加代に送った手紙が返送されてくる。一緒におりきから加代の夫、政男が自殺したという手紙が来た。加賀屋に連絡を取ろうとするも電話番号は既に使われていなかった。ひさから急に呼ばれて家に行くと浩太がいた。浩太は加代がおしんを頼って伊勢に来てるのではないかと考えたという。浩太が酒田を訪ねると加賀屋が潰れ、家屋は差し押さえられ、一家は夜逃げ同然でいなくなったとおしんに説明する。加賀屋の若旦那・政男は商品相場に手を出していて、3月の大暴落で支えきれなくなっての自殺だった。

おしんは加代、浩太からの連絡を待つが何の知らせもないまま昭和6年(1931年)の春を迎える。浩太がやって来ておしんに加代が見つかったと知らせる。

太平洋戦争編(第186回〜第225回)

浩太は加代の住所と100円[注 8]をおしんに差し出す。住所を見た竜三は顔を曇らせるが、翌日おしんを送り出す。おしんは東京のたかを訪ねる。懐かしい再会も束の間、所書きをたかに見せると女が一人で行くところではないと言う。たかは健を呼び、加代がいる場所への案内を依頼する。健は加代のいる場末のカフェーを探り当て、加代を出せと店の用心棒に凄むが抵抗に合う。赤子の泣き声が奥から聞こえ、食べ物が欲しいと言いながら加代が階段を降りてくる。加代は女に売春をさせる店に息子の希望と身を寄せていたのだった。

おしんと目があった加代は逃げるが、健が高額の代金を男に払い、おしんは加代の部屋へ向かう。加代は何も聞かないで黙って帰ってくれとおしんから目を逸らすがおしんは浩太の100円を加代に渡し、そして清太郎、みのと一緒に伊勢に来て欲しいと説得する。心配はいらないと言いながら加代が押入れを開けるとそこには清太郎とみのの遺骨があった。夜逃げして上京したものの両親はあいついで病死。昔勤めてたカフェーには断られ、みのの入院費のために今の店に500円を前借りしたという。

加代のいる店は最初の借金の利子が雪だるま式に増えて足抜けできなくなる女郎部屋より酷いところだった。出るには1000円という大金が必要だという。おしんは加代が駄目ならせめて希望だけでも引き取れたら、と明くる日同じ店を尋ねるが、加代は大量に酒をあおったあと、吐いた血で窒息、息絶えていた。おしんは両親の骨箱と希望を引き取り、加代を荼毘に付す。骨箱の包みの間には浩太から預かってきた100円と加代の手紙があった。手紙には全ては自分の身から出た因果であり、おしんに息子の希望を託したいこと、おしんへの謝意が綴られていた。

おしんは3つの骨壷と加代の忘れ形見の希望を連れ伊勢に帰る。おしんは竜三に独断で3人の骨や希望を連れ帰ったことを詫びるが、竜三は加代の忘れ形見である希望を引き取って自分たちの子供とすることは二人にとって当然であり、八代家の墓を伊勢に建てること、将来加賀屋再興を託したい等、すべてを快く引き受ける。

この年満州事変。竜三は浮足立ち、柳条湖事件を報じる新聞を雄に聞かせる。それを見ておしんは戦争はいけないことだと言うが相手にされず、竜三は雄にこれからは軍人の世の中、そして佐賀の葉隠の話をする。子供を背負って店に出るおしんと竜三は子守を雇うことを考えるが、それを諦め、当時としては高価な氷冷蔵庫と自転車を買う。

ひさが来て昨夜、浩太がひさの下に来たことをおしんに告げる。特高に付け回され疲弊した様子であり、加代・八代家の墓の場所を聞きたがったという。ひさはおしんに浩太に運動を止めるように言って欲しいと哀願する。満州事変をきっかけに浩太のような運動家にはより厳しくなった、特高に捕まったら拷問されて死ぬ目に会うのだとひさはおびえる。おしんは浩太を訪ねる。加代の墓の場所を聞いた浩太は明日墓参りに行くと言う。おしんは浩太に加代の子である希望を見せようと加代の墓で待つが浩太は現れない。墓から離れると浩太の姿が見えた。おしんが希望を抱きかかえて浩太に見せると同時に特高が浩太を捕縛した。おしんが帰宅するとひさが来ていて、浩太が加代の墓参りに出た後に特高が踏み込んできたという。ひさは特高に捕まったらおしまいだと悲嘆。それ以後浩太の消息はなく、4年の歳月が流れる。  

東北大凶作の折の昭和10年(1935年)の2月。健が10歳の少女・初子を連れ田倉家に立ち寄る。初子は健の山形の遠縁の小作の娘で、健は3年の年季、50円で引き取り、大阪の飛田遊郭へ奉公に出すつもりだという。健と田倉家に泊まった初子は幼いながら懸命に台所を手伝う。おしんは初子の姿に自分の奉公時代を重ね、佐賀で死産した愛の生まれ変わりのような気持ちになる。おしんは竜三の承諾を得て健に50円を払い、初子を引き取る。

小学校に仁と希望が上がり、初子も4年生として編入させる。おしんと竜三は希望の入学用品に八代希望と書くか、田倉希望と書くか思い悩む。竜三は希望を引き取った時に養子にして田倉の籍に入れておけばよかったと言う。初子は雄の中学受験合格を願い水垢離をする。雄が合格した夜、おしんは希望の持ち物に八代姓を書く。翌朝、おしんは希望と仁にその由縁を打ち明け、八代家の墓に参る。

小学校に入学した希望が早退してもう学校には行かないと言う。仁は希望が学校でもらいっ子、親なしだと言われたと喧嘩して戻ってくる。希望がいなくなり、おしんは探し回る。夜、疲れ切ったおしんが八代家の墓に行くと希望が現れる。おしんはみんな心配していると希望を叱り抱き合う。

仁は我侭。希望はおとなしい。初子は働き者。雄は下の子をよく可愛がる。おしんは子どもたちに同じようにしてるつもりなのに、と思う。おしんは第四子を身ごもる。昭和11年(1936年二・二六事件の日、おしんは36歳で女の子を出産、禎(てい)と名付ける。おしんは5人の母親になる。昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋事件。初子は3年の年季が明け小学校卒業が近づく。竜三は初子を山形に返すつもりだったが、雄たちは反対。おしんは初子の意思を聞き、家族として一緒に暮らすと決める。

人の噂でひさの家に男がいると聞いたおしんが様子を見に行くと浜辺に松葉杖をついた右足が不自由な浩太がいた。おしんは浩太に話しかけるが、浩太は俯き目をそらし逃げていく。おしんがひさに問いただすと、昔の浩太は死んだのだ、昔の自分を捨てて監獄から出てきたのだという。浩太は転向を強要され、社会主義と縁を切って釈放されたが、6年間の監獄生活の間に拷問に遭い右足が曲がらなくなっていた。転向を恥じる浩太は、ひさにもめったに口を聞かなくなり誰にも会いたがらない。おしんは浩太のことを竜三に相談するが、すべてがご時勢だと言う。誰も逆らえない強大な権力が日本の運命を握っている。昭和12年の暮れ日本軍が南京を占領。戦勝を祝う提灯行列におしんも勝利を喜ぶ日本人の一人になっていた。

突然、陸軍少佐で竜三の次兄・亀次郎が田倉魚店を訪れる。竜三は亀次郎に雄を上の学校に上げる金がなく、中学を出れば十分だと言うと、亀次郎は雄に陸軍士官学校を狙うとよい、士官学校は官費で金もいらないと話すが、おしんは眉をひそめる。また亀次郎は竜三に5人の子供の教育費のためにも、もっと太い商いをしろと忠言。竜三はの連隊の納入業者になる決断をし、おしんは意見するも最後には同意する。

竜三は軍の納入業者になるつもりで店はもう閉めてもいいと言うが、おしんは信用が大事だと仕入れを続ける。昭和13年(1938年)、連隊への食料品を納める業者の入札が行われ、無事軍の納入業者になる。竜三は長い間世話になった網元・ひさからの仕入れを止め、銀行の融資を受けトラックを購入。店を閉めるつもりでいたが、おしんは店を続けたいと懇願。店で売る魚もトラックで市場から仕入れてもらう。

昭和13年の春、雄の進学を考える時期となる。寅年の初子は縁起が良いので方々から千人針を頼まれる。雄は学校から進路希望をするように言われ、陸軍士官学校に行くと竜三に相談する。竜三は入学できればこんな名誉なことはないと賛成するが、おしんは反対し口論となる。憂国の空気に感化された雄の意志は固かったが、初子からおしんが雄を抱えてこれまで生き抜いてきたことを問われて考え直し、三高の文科を志望し、ゆくゆくは京都帝大にも行くつもりだと両親に告げる。

昭和14年(1939年)戦争は終結するどころか拡大する一方だった。雄は無事京都の三高に合格し、家を出て京都で下宿をする。秋、ひさが漁を止めると聞き、ひさの下へ行く。船の燃料の石油が統制・配給になったので漁を止め、ひさは東京の息子の家に行くという。浩太は近くの町の大きな造酒屋の一人娘・並木香子と祝言をあげる。

竜三は連隊に鮮魚だけではなく魚肉練り製品も納入する話を決め、酔って帰ってくる。おしんを抱きしめて「お前には本当に苦労をかけたが、もう大丈夫だ、もう辛い思いをさせない!」と上機嫌。戦争に押しつぶされる人、戦争を足がかりにのし上がる人。物資統制でどの家庭も物資不足に嘆く中、軍に関わる田倉家だけは物も食料も豊かだったがおしんの心は晴れなかった。

昭和15年(1940年)京都から雄も帰郷し全員で新春を迎える。初子は3月に高等小学校を卒業後、実母から兵隊に男手が取られ人手が足りないので帰ってきてくれと連絡があったので山形の実家に帰ると言い出したが雄はただひとり、強硬に反対する。頼むから初子を返さないでくれと両親に懇願する雄を見て、おしんも竜三も雄は初子が好きなのだと気がつく。竜三は自慢の息子・雄の嫁には初子のような小作の娘、奉公人はなれないと二人の恋仲に反対するが、おしんはふたりの気持ちを大事にしたいと抗う。

統制の影響で田倉魚店に行列ができるが、軍に出入りしているから商売ができると嫌味を言われてしまう。竜三が帰ってきて、軍への魚を横流しして儲けていると連隊に投書があったという。竜三は怒り、魚店を閉めさせる。

初子の高等小学校卒業。初子は雄に想いを残しながらも竜三が自分の存在に否定的なことに気づいており、卒業式の次の日に帰郷する切符を買う。だが竜三はまた新たに工場をやると言いだし、軍の衣料の縫製で襦袢、袴下などの工場の監督をおしんに依頼、そして家のことは実家に戻す予定だった初子を留まらせて任せたいと突然言い出したため、初子はそのまま田倉にいることになる。竜三の軍事関連事業も好調で、小さな店から大きな屋敷に引っ越す。おしんは縫製工場の監督。竜三は隣組の組長になった。

昭和16年(1941年)春、仁と希望は中学校に進学。田倉家に突然庄治が訪ねてくる。おしんは歓迎し家に上げる。雄と同い年の庄治の息子・貞吉は高等小学校を出て15歳で少年飛行兵に志願して合格していた。おしんが霞ヶ浦予科練かと聞くと、陸軍の航空学校だという。おしんが、そういう学校行くと、少尉になれるんでしょと言うと、庄治は陸軍士官学校をでなければ将校にはなれない、おまけに操縦士に向いてないと整備兵に回された、貧乏小作の息子はどんなに頭がよくても出世できないと吐き捨てる。そして戦争に行く貞吉に庄治は福岡で最後の別れをしてきたところなのだと話す。竜三は初対面の庄治を外食で立派に饗し、また竜三は息子を兵隊に取られた庄治に深く同情する。翌日庄治にはたくさんの手土産をもたせて山形へ帰した。

12月8日、ラジオが真珠湾攻撃を伝える。野菜が手に入らなくなりおしんは庭を畑にする。帰省した雄が戦争を賛美する。おしんは俊作から貰った「明星」を雄に手渡し、戦争賛美の精神を諌める。国民服の竜三は方々で少年を兵隊に志願させるよう説得。おしんが竜三に仁や希望も志願させるつもりかと聞くと、当たり前だと言う。昭和17年(1942年)4月。雄は京都帝国大学に入学。太平洋での華々しい戦果が連日報道される。

昭和18年(1943年)秋。突然雄が帰省する。二十歳になった雄は見つかったらただじゃすまないと「明星」をおしんに返し、学徒出陣を告げる。おしんは雄に俊作のことを話す。俊作は、もしおしんが戦争に巻き込まれても、おしんだけは戦争に反対しろと言ったが、「お母さんは何のためにこの本を大事にしていたのか、何もできなかった」と雄の前で涙する。

雄の入隊の日、初子は雄に千人針を渡す。雄は初子に「初っちゃんが好きだ。終生の伴侶と決めている。待っていて欲しい」と告白。初子も同じ気持ちであることを告げる。雄は初子の身体を強く抱きしめ、家族だけに見送られて自宅を後にする。

昭和19年(1944年)5月、雄から30日に面会できるとの葉書が届いたが、仁も希望も初子も軍需工場に動員されていた。竜三はこの非常時に休むわけにはいかないと言う。おしんは竜三には内緒で初子を面会に連れて行くが竜三は気づいていないふりをしておしんと初子を送り出す。面会の会場で前日にこしらえた雄の好物のおはぎをふるまう。雄は同期の川村清一にもおはぎを分け与え面会を終える。7月、サイパン陥落。竜三はいよいよ本土爆撃、空襲が始まる、禎を疎開させた方がいいと言うと、おしんはアメリカが日本まで飛んできて爆弾落とすなんて、取り越し苦労だと返す。9月、雄から葉書が届く。雄の行方を知りたいおしんは陸軍中佐の義兄亀次郎に手紙を出す。亀次郎は軍の機密が絶対秘匿である原則を破って(文書、電話は不可なため)田倉家を訪問し、直接おしんに雄が博多から輸送船に乗り南方に派遣されたことを伝える。また、いつ本土空襲を受けても不思議ではないと言う。決心したおしんは禎を疎開先に託す。仁は特攻隊のニュースに刺激され、自分も志願すると言い出し、家を出て行ってしまう。11月末、東京大空襲

昭和20年(1945年)春、疎開先で粗末に扱われていた禎が、疎開先を抜け出し、無賃乗車で帰ってくる。つらい思いをしてるのは禎一人じゃないと、翌日竜三は疎開先に返す。7月、空襲にあい、竜三の工場は焼夷弾で焼失、自宅はなんとか守り抜く。雄の戦死公報が届くが、おしんは戦死を信じなかった。竜三は雄の写真に向かって座り、雄の後を追う決意を口にする。8月、広島、長崎に原爆投下。15日の正午、玉音放送十五年戦争終結。だが、田倉家には仁からいよいよ出撃しますとの手紙が届いていた。その夜、明かりの無い縁側で竜三とおしんは久しぶりに静かに語り合い、竜三はおしんに「私の人生で一番素晴らしかったことはおしんと巡り会えたことだ」と告白する。

16日、竜三は背広を来て出かけるがその日帰宅しなかった。翌日竜三から手紙が届く。手紙には「雄や仁を殺した父親として、また近隣の子息を志願させ、戦争に協力した罪はせめて私の命をかけて許しを請うしかないと思っています。私にとって死を選ぶことは戦争に協力した人間として当然受けなければならない報いです」と記されていた。おしんの元に村役場の人間が訪ねてくる。竜三は林の中で正座し、短刀で心臓を突いて自刃していた。清と亀次郎が連絡を受けてやってくる。清は遺骨の前で竜三を弱虫だと責めるが、おしんは「竜三は立派。節を曲げず自分の生き方にけじめをつけた。そんな竜三が好きです」と庇う。清はおしんに礼を言い、竜三の骨を一片胸に抱いて佐賀へ帰っていった。

28日。連合軍先遣隊厚木到着。おしんは居間で寝ている仁に気が付き、帰ってきたことを喜ぶ。仁は戦争が終わったあと、徹夜で書類の焼却などの後始末をやらされ、混乱の中、占領軍が来る前に追い出されたという。目的を失い悔しがる仁だったが、竜三の死を知って気持ちを切り替え、物資が不足する中、希望を連れてヤミ屋をやりだす。禎が帰ってくる。9月。全国で学校が再開され始め、おしんは仁と希望に学校に行けと言う。仁は反発するが、折れ、ヤミ屋はおしんと初子の仕事になる。

家に元の持ち主だという引揚者が来る。空き家になるので軍に貸したが、帰ってきたらすぐ明け渡す約束だった、出て行けと言われて揉めてしまう。決め手もなく、結局一つ屋根の下で二組の家族の生活が始まる。仁は連中を追い出さないならこっちが出ていこうと言うが、おしんは雄はこの家に帰ってくると返す。おしん一家はヤミ屋、引揚一家は米兵に媚びを売る。戦時国債も紙切れになり金もなく、おしんは庄治を頼ろうと山形へ向かう。

GHQ主導によって農地改革が断行されることになり、実家の庄治夫妻は小作から土地持ち農家になると大はしゃぎの最中だった。おしんは戦中、何もかも不足していた時に庄治家族宛に何度と無く物資を送っていたこともあって頼ってみたのだが、今度長男貞吉が嫁をもらい、新居を建てるつもりだからとおしんに対してけんもほろろだった。おしんが8つの時に自分で植えた杉は切り出せるまでに成長していたが、おしんは山形を去るしか無かった。

川村が復員して田倉を訪ねてくる。おしんは雄の消息を聞けると思い嬉々として家の中に招き入れようとするが川村はおもむろに直立不動をとり「田倉候補生の遺品をお届けにあがりました!田倉候補生は昭和20年4月18日、ルソン島の戦いにおいて名誉の戦死を!」と敬礼。初子はその場で卒倒気絶し、おしんは呆然と立ち尽くす。川村は雄の日記を差し出す。マラリアにかかり、餓死したことがふたりに伝えられる。

すっかり気を落とした初子におしんは雄のことを思い出すからと(田舎の)山形に帰ってはどうかと勧める。翌朝、初子は暇を貰うとの置手紙を残して姿を消していた。ひさが田倉家を訪ねてくる。東京から伊勢に帰ってきて、また漁をやるという。おしん一家はひさの家に身を寄せることになる。引っ越しの日、初子から為替の入った手紙が送られてきた。消印は東京であった。

夫と息子を失ったおしんは再び伊勢に戻ってきた。浩太が訪ねてくるがアメリカの命令で自らが命をかけてきた農地改革がいとも簡単に実現したこと、軍国主義の世の中の雰囲気が敗戦によって平和至上の空気に一瞬にして転じたことに対し「自分が青春を犠牲にして闘ってきたものは一体何だったのか」と虚しさを口にする。おしんは浩太と伊勢の海を眺めながら半生の中で死に別れた人々に思いを馳せ、失ったものをきっと取り返してみせると決意する。昭和21年の夏、おしん46歳の再出発だった。

再起編(第226回〜第261回)

終戦から4年後の昭和25年(1950年)の春、田倉家はひさの下から再び独立し、魚と野菜を扱う田倉商店を開店する。おしんはオート三輪の運転を覚え、行商も続ける。仁も希望も、大学に進学せずおしんを手伝っていた。浩太も穏やかな妻子ある酒屋の主人となっていた。初子が家を出てから毎月おしんの下に送金があり、消印が東京だったことから、おしんは東京の健に初子の捜索を頼んでいた。そして健から速達、おしんは東京へ向かう。長谷川たかとの再会後、健と共に初子の元へ行くが、初子はパンパン・ガールになっていた。おしんは初子を説得し、伊勢に連れ帰る。

初子が帰ってまもなく、希望が陶工になりたいと言い出す。希望に加賀屋を再興させるつもりだったおしんは反対する。だが希望は家を出て、窯元に弟子入りする。仁も展望の持てない家業に見切りをつけ、予科練時代の知り合いを頼り東京の百貨店に就職する。しかし、大学を出ていない仁は望んだ部署へは配属されず、配送へ回される。おしんは工場で働く女性相手に夜の行商を始める。浩太は店を建て替え、並木食料品店の主人となった。年末、おしんが仁に出した手紙が受取人不明で返送されてくる。百貨店に電話すると仁は十日前に退職しており、消息不明になっていた。

昭和26年(1951年)の正月。雄の戦友・川村が線香を上げに現れる。川村は家族を亡くし、ペニシリンのヤミやメチルアルコールを売って儲けた金をさらに株に投資し成功し、今は東京で小さな貿易会社もやっているという。川村は雄の思い人だった初子に求婚する。初子は突然の求婚に立腹し拒絶。三が日を過ぎ初荷の日、川村が再び訪ねて来る。立地のいい駅前の地所を買うつもりだ、おしんの商売のために土地を貸してもいいと言う。春、また川村が店に現れる。初子は身体を売っていた過去を話すが、川村は自分にも傷はあると言い、初子をあきらめない。

名古屋から女が訪ねてきて、仁を引き取れと言われる。仁はヒモになっていた。おしんは放置するが、初子は女と名古屋へ行き仁を説得。仁は改心し帰郷するが、このまま同じ土地で店をしてても伸び代がない。初子は川村に会い、仁やおしんのために土地を貸すことを希望、そして川村に結婚してもいいと伝える。だが川村は初子との結婚を条件にはせず、雄のためと無条件で土地を譲渡すると話す。その後、おしんらは新聞で川村が殺害されたことを知る。川村は高利貸しもやっており怨恨で殺害されていた。入れ替わりに駅前の土地のおしん名義の譲渡契約書と登記の写しが届く。おしんは身寄りのない川村の遺体を引き取り雄と同じ墓地に葬り、そして川村が遺してくれた駅前の土地に新たに田倉商店を開店する。

昭和30年(1955年)、仁は店に奉公に来た百合と男女の仲になる。それに気づいたおしんと初子は百合を嫁に迎える気でいたが、仁は店をセルフサービススーパーに変えること、さらにスキー場で知り合った名古屋の衣料品会社の娘・道子と結婚すると宣言しおしんは激怒する。百合は仁を庇い、家を出て希望の窯元にやってくる。希望は事情を知り、窯元で働けるよう取り計らう。おしんは、しぶしぶ道子とその父・川部仙造の訪問を受け、挨拶する。おしんは川部の出資で勝手に店の改装計画を決めてしまう仙造に不満を抱く。おしんは、意地を張り、浩太を保証人として銀行の融資を取り付け、自力でセルフサービスのスーパーを始めようとする。

道子は店の近くに別居するつもりでいたが、おしんは道子を呼び出し、商人の嫁が同居しないなら嫁に来なくてよいと言い放つ。仁は道子を諦めると言い出すが、仙造はおしんの言い分に理解を示し同居することになる。12月、名古屋で結婚式を挙げ、新婚旅行を終えて田倉家で同居生活が始まる。おしんは道子に「家事は全てまかせる。店は手伝わなくてよい」と言い渡すが、半日も経たずに道子は実家に逃げ帰る。翌日、名古屋に迎えに行った仁とすれ違いに仙造に連れられ道子が帰ってくる。道子は自分に田倉家の嫁は務まらないと詫びる。おしんは道子がまだ仁が好きだと聞き、今後一切口出ししないと和解。仙造に自分のような嫁の苦労はさせたくないと語る。

昭和31年(1956年)、希望が師匠に認められ、百合と簡素な披露宴を行う。3月、スーパー開店にあたって、仁は少年航空時代の後輩でアメリカでスーパーの店員経験のある崎田辰則を呼び寄せ、禎も名古屋から開店セールの手伝いのために帰省させられる。禎は店を手伝わない道子に不満をぶつけるが、道子はつわりで妊娠が発覚。開店前日、川部家は開店の足手まといになるからと道子を連れ帰る。

翌日の3月15日、田倉商店はセルフサービスのスーパーとして新装開店。三日間の開店安売りサービスを禎も手伝う。利益を顧みない金額設定に商店街の他店の人間から文句が出るがそれがおしんの商売根性に火をつけることとなった。閉店時間を会社帰りの人に合わせ延長し自分たちの作った惣菜を販売することで価格以外に活路を見い出す。商売の利益が自分の学費の1ヶ月分にも満たないことを三日間の手伝いで実感した禎は母おしんの働きをみて涙して名古屋へ帰るのを延長する。商売の面白さを知った禎の働きぶりはおしんと初子を感心させる。辰則と禎の働きを見て、仁は店のために禎と辰則を結婚させようと言い出し、禎に話をもちかける。おしんは仁の横暴さにあきれる。

完結編(第262回〜第297回)

禎は辰則が田倉に必要な人間と認めつつそんな関係にはなりたくないと仁に黙って名古屋に逃げ帰る。薄利多売の店は銀行のローンの返済に精一杯で、おしんは少しでも学費の足しになるようお惣菜の幅を広げようと提案する。以前万引きをした子供の親は子供が泥棒呼ばわりされたと怒鳴り込んでくる。PTAでは田倉商店での不買運動をすると脅す。おしんは黙って頭を下げ、客の需要を考え、店に台所を作って惣菜の種類を増やす。 禎は名古屋で徹という男と交際していた。禎に金をせびり、夜遊びに興じる徹に愛想をつかした禎は徹と別れる。禎は母親の苦労と仕事をする姿を思い出し、大学を中退して田倉に帰ると店の手伝いを始める。おしん達は大学へ戻るよう説得するが、禎は働くのが好きだと言い、辰則と結婚してもいいと言う。翌朝、禎は辰則に逆プロポーズ。辰則は禎の将来を思って断り仕事を辞めると言い出す。禎の気持ちを知ったおしんは、辰則に禎との結婚を考えてほしいと頼む。

3か月ぶりに身重の道子が田倉に戻るがおしんと衝突。道子は再び実家に帰り、昭和31年(1956年)の秋、男の子を出産。おしんは初孫に亡き竜三の「竜」の字を取るよう仁に伝えるが、仙造は剛と命名。怒ったおしんはお七夜を欠席する。道子と剛を連れて戻った仁は、道子は子育てに専念するため家事は初子にまかせると宣言。おしんは家族は思い通りにはならないと諦める。

昭和32年(1957年)2月、禎と辰則が結婚。開店一周年セール。4月、夫・竜三と長男・雄の13回忌法要と川村の法要が営まれる。おしん57歳、日本は長い苦難の時代を乗り越え高度経済成長が始まろうとしていた。

昭和42年(1967年)スーパーたのくらは開店時の借金も完済し、売場面積も開店時の2倍、従業員20人を抱える大店舗になっていた。店に住み込んでいるのはおしんと初子だけで仁夫婦と禎夫婦はそれぞれ自宅を構えていた。ある日、仁夫妻、辰則・禎夫妻と希望がおしんの元に集まる。仁は社長のおしんに反対されてきたチェーン店を出したいと頼む。そこへ希望が展覧会で特選を取ったと知らせが入る。おしんは希望に窯を持たせ独立させることを条件に仁の提案を許可。仁は2号店建設の為におしんが昔の知り合いに温情で借金の担保に取っている土地と店をおしんに無断で巻き上げトラブルになる。おしんは仁が立ち退かせた家族の為に希望独立の為に用意しておいた土地を与えてしまい、希望の独立のために浩太を頼る。2号店・3号店の建設と希望の窯、住居の工事が進められる。

希望一家の引っ越しの前夜、百合が交通事故で急死する。おしんは百合の葬儀に出席しようとする仁夫妻に、百合は仁を許してないと怒り、出席を拒否。道子は夫と百合の過去を知り、子どもを連れて実家に帰ってしまう。おしんは川部家へ行き、平身低頭謝り、子供たちのために家に戻ってほしいと頼む。道子は家に戻るが、仁は再び女性問題で道子を悩ませる。おしんは仁は一度痛い目にあわないとわからないのかと歎息する。おしんと初子は、残された圭を預かる。圭は初子にすっかり懐いてしまう。翌年の正月、おしんは、希望に初子との再婚を勧めるが、それは幼い頃から姉弟として過ごした希望にも初子にも到底考えられないことだった。おしんは、自分の思惑が初子を傷つけた結果になったことを反省する。

昭和43年(1968年)、スーパーたのくらが6号店まで店舗を拡大。仁は家庭を顧みず仕事に邁進するが、仁の長男・剛が名古屋の盛り場で補導される事件が起きる。仁夫婦はおしんが必要だと同居を願い出、初子も同居させると言う。おしんは当初拒絶するが、自分亡き後を憂慮し初子を独立、店を持たせようと考え直す。初子は毛糸手芸店を始めることを決めるが、辰則は出店にかかる資金に渋い顔をする。だが仁は初子が戦後身を売って田倉に送金をしていたことにも気づいており、田倉が初子を援助することは当然のことだと宣言。おしんは仁の初子への思いやりに感激する。仁夫婦は新しい家を建て、おしんと同居を始めるが道子はおしんの世話で初子を当てにしていたことで目論見が外れる。

同居を始めて間もなく、兄嫁とらが息子の嫁に追い出されたと、山形からおしんの下へやってくる。とらは嫁との衝突、亡くなったふじとの嫁姑関係での苦悩を吐露。おしんは同じ姑の立場から同情し、自分の部屋に泊めてやる。後日、庄治が迎えに来るが、息子貞吉夫妻は果樹園を抵当に入れ、商売をすると出ていったという。おしんは姑の苦労を嫁にさせてはいけないと諭すが、とらは恨み言を重ね、庄治と山形に帰っていった。

それから14年の歳月が流れた昭和57年(1982年)、スーパーたのくらは16号店まで店を増やし、三重県でも有数の中堅企業になっていた。仁が社長を務め、おしんは副社長に退いていた。おしんの81歳の誕生日の宴で、仁は17号店の出店を発表する。しかし出店予定地を見ておしんは愕然とし猛反対する。そこは浩太が身代を築き上げた並木食料品店が影響を受ける場所だった。しかしおしんの反対に仁は聞く耳を持たず、出店計画を進めてしまう。おしんは仁に浩太との仲を疑われたくなかった為、それ以上仁に抗うことを諦める。妻を亡くし、独り隠居暮らしをしている浩太をおしんが尋ねて詫びるが、浩太はお互い子どもたちに任せようとおしんを慰める。

昭和58年(1983年)17号店開店の前日、浩太が大事な話があるとおしんを尋ねてくる。浩太の息子・宗男がスーパーたのくら17号店より駅に近く商売に有利な並木所有の土地を田倉とは別の大手スーパーに売るつもりであるという。もし土地が売却されればスーパーたのくらは当然苦境に立たされることになる。だが、おしんはスーパーたのくらが倒産しても構わないと達観しており、浩太の気持ちだけ受け取り、仁にはそのことを伝えなかった。

17号店開店の日、おしんは出奔する(第1話へ)。山形、東京、佐賀、伊勢と圭と一月ほど周り、旅から戻ってきて圭だけがおしんの過去と親族が抱えていた全ての秘密を知る。

何もかも終わっているだろうと帰るとまだ並木家は大手スーパーに土地を売却してはいなかったがスーパーたのくらの危機の噂が出回り、仁の娘、あかねの縁談が破談になっていた。スーパーたのくらは苦境に立たされ、仁はおしんに並木に大手スーパーに土地を売却しないように頼んでほしいと依頼し、おしんは浩太の下に向かう。

浩太は、大手スーパーの買収する土地の一部分は自分の名義であったため、売却を保留していた。浩太は最後にもう一度おしん自身に気持ちを確かめたいと問い質すが、おしんは改めて土地を売却してもよいと回答する。大手スーパーが開店し、スーパーたのくらはたちまち苦境に追い込まれた。道子は離婚を希望し仁は同意していたが、おしんに窘められる。初子と希望が道子の下へやってきて、それぞれの家や店の権利書を差し出し離婚を思いとどまるように懇願する。あかねとみどりは、仁のそばで家計を支えると言い出す。仁は道子ともう一度話し合い、道子も苦境をお互いに乗り越えることを決意。

仁はいよいよ会社を畳むことを家族に打ち明けるが、道子も子供たちも家を支える覚悟を決めていた。圭は大学卒業後は商人になって加賀屋を再興すると決意し、おしんは感激する。抵当に入っている田倉家の自宅と土地を手離し、一家は借家に引っ越し、おしんは初子の元に預けられることになる。引っ越し当日、初子や禎も集まり、荷物をまとめていると突然浩太がやってくる。浩太は大手スーパーが赤字の17号店を肩代わり(買収)してスーパーたのくらの倒産を回避させるという案を仁に持ち掛ける。スーパーたのくらは残った16店で再出発することになり、別れの晩餐は一転祝宴となる。

後日、おしん、仁、初子、禎、希望、圭の6人で墓参りすると浩太がやってくる。おしんと浩太は海岸でお互いの思いを語る。浩太はおしんと結婚していたら、と未練ともプロポーズともとれる言葉をかけるがおしんは結婚しなくてよかった、これからも良い友達で、と打ち明ける。散歩中の女性(奈良岡朋子)が「お幸せそうですね、いつまでもお元気で」と話しかける。おしんは満足げに微笑み、物語は幕を閉じる。

キャスト

主人公

オープニングの登場者名としては名字はなく全放送を通して、そのまま、「おしん」と画面に表示される。

谷村 しん(少女期)
演 - 小林綾子
第1部(初回 - 36回)主人公。
1901年明治34年)生とされている。利発で心の優しい少女。家の貧しさと口減らしのため7歳で奉公に出される。
しかし奉公先の厳しさに耐えかね、抜け出し遭難しかけた所を脱走兵・俊作に助けてもらい様々なことを教わる。
その後、酒田の米問屋「加賀屋」に奉公に出ることになり、当家の跡取り娘・八代加代のかけがえの無い友情と、大奥様・くにの教えを一身に受け、立派に成長していく。
谷村 しん→田倉 しん(青春〜成年期)
演 - 田中裕子
第2部(37回 - 225回)主人公。
初登場時は16歳。くにの薦めで見合い結婚することになったが、農民運動を指導する浩太と出会い、淡い恋心を抱く。縁談は泥酔した見合い相手をうっかり突き飛ばしたのが原因で破談。加賀屋を出ることになってしまう。
家に戻ったおしんは、死んだ姉・はるの夢であった髪結いの見習いとなるため上京し「長谷川」の女主人・たかの下で、洋髪を主とした天才的な髪結いとして活躍することとなる。
仕事を通じて羅紗問屋「田倉商店」の主人・田倉竜三と出会い、親の反対を押し切って結婚。商売にも類稀な才能を発揮し、子供服の製造業で工場を構えるまでになったが、関東大震災で全てを失う。
後に竜三の故郷佐賀に移るが、姑の清の辛い仕打ちを受け、遂には死産を経験してしまう。心身ともに疲れ、耐えかねたおしんは佐賀を出る決心をし、雄を連れながらも持ち前の度胸と順応の速さにより新しく仕事を覚えては、その土地ごとで生活するようになる。
東京で露店商、酒田では食堂兼飲み屋、そして浩太の紹介で三重で魚の行商をはじめることになる。
田倉 しん(中年〜老年期)
演 - 乙羽信子
第3部(226回 - 最終回)主人公。
戦争で夫・竜三と長男・雄やすべての財産を失うが、魚の行商で一からやり直す。
次男の仁ら残された家族の支えもあり再び自分の店を構えるまでに立ち直るが、商売のことや子供たちの結婚など苦労が絶えない。成人した子供たちを諭そうとしても思い通りにならず、「もう時代が変わったのだ」とあきらめることが増える。
息子の仁が店をスーパーに転換し大成功するが、商売に対する姿勢は変わらず、店を改装するまで総菜売り場を担当した。商売と仁夫婦の危機に家族の団結を訴え、田倉家をまとめあげた。
第1部・第2部は、老境に差し掛かったおしんがそれまでの半生を振り返り、義理の孫となる圭とともに思い出の土地を巡る旅をしつつ、圭に当時の出来事を語り次ぐという形式で描かれており、ストーリー全体の狂言回しの役割も果たしている。

谷村家

谷村 ふじ
演 - 泉ピン子
おしんの母。貧しい小作農家に嫁いできた働き者。普段から家の炊事洗濯から朝から夕方まで田畑を耕す小作人の仕事をしていた。家族想いな性格で、何かとおしんを気にかける。
おしんに代わって銀山温泉に出稼ぎに行き、酌婦として働いたこともあった。この姿でおしんに再会したときは「(家族に)顔向けできないようなことはしていない」と言い聞かせた[注 9]
現代のパートにおいておしんの部屋に置かれている古いこけしは、おしんが酒田の加賀屋に奉公する前に銀山の宿で働くふじを訪ねて去る際に、母からもらった大事な物である。
谷村 作造(さくぞう)
演 - 伊東四朗
おしんの父。貧しい小作農家で働き者。厳しい性格だが、貧しい大家族を養うために辛い気持ちを人前では見せない。
しかし、7歳のおしんを奉公に出す際は川岸でおしんが乗る船を心配のあまり追いかけていくなど、根は悪い人ではない[注 10]。が、その後も、表向きは常におしんに対しては冷たい批判的な態度をとり続け、おしんが最初の奉公先から逃げ出した際も心配することも無く、母親のふじが探しに行こうとすると叱責して阻む。また、おしんが無事に帰って来た時は、平手打ちをして叱責するが、小屋のわらの中で眠っているおしんをなでたりもする。しかし、俊作と一緒にいたことを「国賊の脱走兵と一緒にいた」として、激高しおしんを殴りつけ、出血して倒れ気絶させた。小作農に疲弊しており、おしんが帰ってきて間もなくブラジルへの一家そろっての移民を考えるが、なかが体の自由がきかないことを理由に、おしんやふじ達に反対され断念する。おしんの結婚祝いの杯を交わしたその夜、肝硬変で死去。
谷村 なか
演 - 大路三千緒
おしんの祖母。働き者で、布を織ってわずかな現金収入を得ていたが、おしんが物心つく頃にはリウマチで手足が不自由になっており、かろうじて子守りやご飯の支度ができる程度の体になっていた。
初めての奉公へと旅立つおしんに50銭銀貨を与えるなど、孫のことをいつも気遣っていた、心優しい老女。
故におしんも家を思うたびに祖母のことを気遣っていたが、ふじが出稼ぎから帰ってきたあと危篤に陥り、急遽帰郷できたおしんと再会し、おしんが作ったおかゆを食べてこの世を去った。
家族のためだけに働いて死んでいった祖母の辛い生き様はその後のおしんの人生感に影響を与える。
谷村 庄治(しょうじ)
演 - 佐野大輔吉岡祐一
おしんの兄。成人してからは小作の長男として生まれてきたことを憾んで酒におぼれたこともあった。とらと結婚してからは、両親を古い家に住まわせて、おしんの仕送りで建てた新居で別居する。
おしんが圭と一緒に実家の墓参りをする時の会話から、現在は亡くなっていることがわかる。
谷村 とら
演 - 渡辺えり子(現:渡辺えり
庄治の妻。長男の嫁だが庄治と子供たちの生活を第一に考えており、姑のふじや時折実家に帰ってくるおしんのことは、口やかましく図々しいと冷たい態度を取る。
昭和43年、突如として伊勢のおしんの元に家出して来る。理由は嫁と息子から邪険にされたことであった。しばらく滞在した後、迎えに来た庄治とともに帰って行った。
谷村 はる
演 - 仙道敦子千野弘美
おしんの長姉。貧しい家計を支えるため奉公に出ている。年季が明けて帰宅したとき、脱走事件をおこしたおしんが読み書きできるのに感心し、奉公先から餞別にもらった銭を石盤と石筆を買う代金として与える。その後製糸工場で働くが、過酷な労働環境により肺結核で死亡。髪結になる夢をおしんに託す。享年19。
谷村 みつ
演 - 長谷川真由美古坂るみ子
おしんの次姉。奉公に出ている。作造が危篤の時は、正助・こうと実家に戻り、おしんと一緒に父親を看取った。
谷村 正助
演 - 住吉真沙樹小林徹也
おしんの弟。
谷村 こう
演 - 片桐尚美鍵本景子
おしんの妹。
谷村 すみ
演 - 柳美帆
おしんの妹で谷村家の末娘。おしんが奉公に出る切っ掛けとなった。その後貧しさのため母ふじが銀山温泉へ働きに出ることになり、養育出来なくなり乳飲み子のうちに他家へ貰われていった。

加賀屋(八代家)

八代 加代(やしろ かよ)
演 - 志喜屋文(少女期)→東てる美
おしんの二度目の奉公先である酒田米問屋・加賀屋の長女。おしんとは同い年で、わがままで気が強く両親など周辺から甘やかされていた大店のお嬢様であり、奉公入り当初はおしんのことを気に入らずに嫌っていたが、ふとした喧嘩や命を助けてもらったことで改心してからは、実の姉妹のように仲良くなった。
青春期は画家になることにあこがれて加賀屋を継ぐことを拒否。大正デモクラシーの風潮の中、社会主義に理想を抱き、偶然出会った社会主義者の高倉浩太に恋心を浮かべて、浩太を追って加賀屋から出奔。東京でしばらく浩太と同棲していたが、浩太はすぐに加代の元を離れていった。
再会したおしんから妹の小夜の死を知り、酒田に帰郷する。あくまでも一時的な帰郷のつもりで、その後も浩太を思って家出しようとしたが、くにが倒れた事態と浩太から連絡がなかった(偶然、おしんは浩太と再会できたが、彼から口止めされていた)ために断念する。
大卒の政男と結婚してからは彼のやり方に不満を抱き、女一人で加賀屋を引っ張っていく。おしんが佐賀から家出してきて、くにの臨終を看取った後、事情を知った上で、酒田で加賀屋が保有していた空家をおしんに譲って、食堂兼飲み屋を開店させる。加代は夫も加賀屋もそっちのけで手伝ったため、結局おしんが店を閉める一因となる。
だが、おしんが伊勢に移った後に、政男が手を出していた商品相場で多額の借金を抱えて自殺。加賀屋は破産、家族で東京に夜逃げするが、両親も相次いで死去。息子の希望を抱え娼妓に身を落としてしまう。
浩太や健の協力で上京したおしんと再会するが、娼館への借金の利子が増えて1000円にもなっており、仕事をやめられない状態だった。おしんと再会した夜、飲酒から成る胃病のため喀血し、血がのどに詰まり、昭和6年(1931年)窒息死。一人息子の希望はおしんがひきとり、遺骨はおしんが伊勢に建てたお墓に両親とともに納められた[注 11]
加代と浩太の関係を巡っておしんが結果的に二人の仲を裂いたことは、おしんの一生の後悔になった。
八代 政男
演 - 森篤夫
加代の夫。加賀屋の婿養子で八代希望の実父。東京帝国大学卒。
婿養子であることを引け目に感じ、また加代が自分を好きでもないことも察しており、外に出て女を作って子供を産ませるなど放蕩三昧の生活を送る。そのため、夫婦仲は悪化した。くにの死後、仲人を介して詫びを入れ、加賀屋に戻る。加賀屋に戻ってからは加代を立て、おしんの店を手伝うのも認めていた。
昭和恐慌で米問屋の経営、株取引などうまく行かず商品先物の取り引きでも失敗し、加賀屋の破産の責任を取り昭和5年(1930年)春に自殺した。
八代 くに
演 - 長岡輝子
加代の祖母。加賀屋の「大奥様」。おしんの理解者。広い心で、幼いが向学心のあるおしんを見守る。
おしんの奉公人としての働きぶりや簡単な読み書きができ、向学心があることを知って、信頼を置くようになり、加代と一緒に勉強を教え、帳簿の見方や花嫁修業としてお茶や生け花も身につけさせ、おしんがこれから生活していく術を教えてくれた大恩人でもある。
加代の家出の件では心を痛め、加代が帰郷直後に再度家出しようとした時に心臓病で倒れる。おしんが佐賀から家出して山形の実家に帰った頃は危篤に陥っており、駆けつけたおしんに加代のことを頼んだ翌朝、76年の生涯を閉じた。
八代 みの
演 - 小林千登勢
加代の母。当初、おしんにも優しかったが、娘の加代と奉公人のおしんに対するくにの考えにズレが生じ一時冷たくなる。
しかし、おしんが加代の命を助けたことで改心し、実の娘のように愛情を持って接するようになる。
加賀屋破産後、3か月入院した後、東京で死亡。上述の理由で加代は死目にあえなかった。
八代 清太郎(せいたろう)
演 - 石田太郎
加代の父。母親であり加賀屋の経営を取り仕切っているくにには頭が下がる若干頼りない性格。
しかし、娘の加代のことになると強気に。上記のみのと同じく途中からおしんを優しく接するようになる。
加賀屋破産後、心労がたたり東京で脳卒中で死亡する。
八代 小夜(さよ)
演 - 宮城望(乳児期)→大塚ちか
おしんが子守をした加代の妹。おしんが加賀屋を去った2年後に肺炎で亡くなる。
番頭
演 - 小野泰次郎
加賀屋の番頭。
きく / うめ
演 - 吉宮君子 / 佐藤仁美
加賀屋の奉公人。おしんの少女編に登場する先輩たち。
さく / たま
演 - 今野博美 / 井沢明子
加賀屋の奉公人。おしんの青春編に登場する。

田倉家(佐賀)

おしんの夫と義理の家族。

田倉 竜三(りゅうぞう)
演 - 並木史朗
おしんの夫。明治28年(1895年)生まれ。佐賀の旧家の三男。跡継ぎではないため独立し、東京で羅紗問屋を開業していた。
髪結いのおしんの評判を聞きつけ、つきあいのあるカフェの女給のために彼女を呼び寄せたのがきっかけでおしんと知り合った。加代とも面識があり、帰郷した加代との連絡を取り持つうちにおしんに興味を抱き、やがて結婚に至る。
苦労しらずのお坊ちゃんだが、おしんや育ての親である源右衛門のことを誰よりも大切に思っている。
また、男の面子にこだわり、結婚後もおしんが髪結いや自分の商売に口出しすることを嫌がっていたが、次第にその力を認め、共に事業の拡大に全力を注ぐ。
しかし関東大震災により事業財産の全てを失ってしまい、おしんと長男の雄を連れ佐賀の実家に戻る。
おしんが雄を連れて佐賀を離れた後も親子3人で暮らすため干拓事業に精を出していたが事業は台風によって失敗し、今度は満州開拓に乗り出そうとする。別れのために訪れた伊勢で魚の行商をしていたおしんを見て改心し、夫婦共に伊勢で働き、魚屋店を構え一家を養えるまでになる。
戦時下には軍の仕事を引き受け羽振りが良く、戦争を嫌うおしんに反して、積極的に戦争協力を行う。戦争への協力、また自身の息子や隣組の若者達を戦争に送り戦死させた責任を取り、おしんと家族のことを思いながらも昭和20年8月16日に自決した。
田倉 清(きよ)
演 - 高森和子
おしんの姑。神経質かつ昔気質の性格で、小作の娘ということからおしんと竜三の結婚に反対しており、佐賀ではおしんに辛く当たる。
おしんに野良仕事をやらせ、「家のことは、恒子(長兄の嫁)の仕事だから」と家事はさせなかった。おしんが佐和に髪結いをした時は、田倉家の恥だと激怒する。右手が不自由になったおしんが、台所も針仕事もできないとわかると一層疎んじるようになる。
それでも、おしんが死産した時はさすがにやりすぎたと反省し、一時的に和解するがおしんの家出で破綻。おしんからの手紙も破り捨て竜三たちにも見せなかった[注 12]
だが竜三が伊勢でおしんと共に魚の行商をし始めたころから、息子がいかにおしんを妻として慕っているかを考えて、その仲を認めるようになる。
竜三の自殺後に伊勢のおしんを訪ね、再び和解する。そして、竜三の骨の一部を持って佐賀に帰っていった。
田倉 大五郎(だいごろう)
演 - 北村和夫(当初の予定では、佐藤英夫
おしんの舅で田倉家の当主。裕福な地主だが、有明海干拓や竜三の事業に金を出して失敗し、家計を危うくしている。奉公人の源右衛門とは共に育った仲で、その源右衛門のとりなしもあって竜三とおしんの結婚に賛成していた。佐賀に来たおしんに辛く当たる清をたびたび宥めるが、自分の事業の失敗のこともありあまり口出しできない。
なお、おしんが初子を迎えに東京を訪ねて来た頃には大五郎も清も既にこの世の人ではないことが、たか、健とおしんの会話で分かる。
田倉 福太郎(ふくたろう)
演 - 北村総一朗
竜三の長兄で田倉家の跡継ぎ。父親の放漫な出資で田倉家が傾きかけたのを苦々しく思っている。佐賀に戻ってきた竜三とおしんにも当初は冷ややかな態度をとるが、おしんの働きぶりを見て次第に彼女を認めるようになる。
田倉 恒子(つねこ)
演 - 観世葉子
福太郎の妻。長男の嫁として厳しい姑の清に仕え、何年も田倉家で身を粉にして働いてきた。
初めはおしんを厄介者と扱うような態度をみせていたが、同じ嫁としての立場からおしんに共感。おしんを陰ながら支援するようになり、おしんのために産着を用意した他、おしんが佐賀を出る時は見舞いに出た清の隙をついて雄を連れ出し、おしんに引き渡した。また清が破り捨てていたおしんからの手紙を拾い集めて裏張りし、後に竜三に渡したりもしている。
田倉 亀次郎(かめじろう)
演 - 成瀬正
竜三の次兄。陸軍中佐。妻(ひろ子)と子もあるが登場はしていない。帰郷した際、大怪我をしたおしんに応急手当をした。
伊勢で竜三に軍に魚を収める仕事を紹介し、雄には陸軍士官学校進学を勧める。
山根(田倉) 篤子(やまね(たのくら)あつこ)
演 - 長谷直美
竜三の妹。おしんが田倉家に来る前に他家に嫁いでいるが、何かにつけて田倉家に戻り、清に甘やかされている。おしんと同時期に妊娠し、彼女が田倉家で出産することになったのも、おしんが長女の愛を死産する要因となった。その後、清はおしんへの償いとして、篤子の娘に「愛」と命名した。
今村 源右衛門(いまむら げんえもん)
演 - 今福将雄
田倉家(佐賀)の奉公人。竜三やおしんからは「源じい」と呼ばれる。田倉の本家で竜三の子守をしていた。竜三のお目付け役として一緒に上京し田倉商店の従業員として働く。
当初はおしんを貧しい小作人の娘ということで、田倉商店に転がり込んだおしんのことを快く思っていなかった。
だが家事全般はもちろん、読み書きやそろばん、お茶生け花などが出来て気立ての良いところを知ると次第に彼女を認め、大五郎への手紙に竜三とおしんの結婚に太鼓判を押すほどになる。
田倉商会の工場落成の際は商会本店で雄の子守りをしていたが、関東大震災が発生すると本店の家屋が崩落。崩れてきた柱から雄を庇い、死亡した。
佐太郎 / 千代 / 千賀 / 平吉
演 - 木内聡 / 藤田亜里早 / 金子成美 / 服部賢悟四元りょう
福太郎、恒子夫妻の子ら。
なお佐太郎は現代のパートにも登場しており(老年期の配役は平島武広)、おしんに再会するも「見た事がある」と言うだけでほとんど忘れていた。
おしんも当時の辛い状況を考えて、話し合おうとはしなかった。
また、佐賀でお墓参りをするおしんと圭の会話から前述の清と大五郎の他に福太郎と恒子も現在は既に鬼籍に入っていることがわかる。
つぎ
演 - 有明祥子
田倉家(佐賀)の奉公人。

田倉家(伊勢)

おしんの子供たちとその家族。

田倉 雄(ゆう)
演 - 伊藤毅荻堂譲二山野礼央槇浩松田洋治冨家規政
おしんの長男。大正12年(1923年)1月14日生。伊勢での行商時代にも母子ともに過ごし、誰よりも母を想う青年に成長。
一時は陸軍士官学校進学を志すが、戦争を嫌う母の言葉、そして初子の言葉を受けて断念し、県立中学から三高そして京都帝大文科へ進む。
初子とは相思相愛の仲であったが、学徒出陣の出征後に戦死する。戦友川村の話及び雄自身の手記から餓死であったことが発覚する。
田倉 愛(あい)
演 - なし
おしんの長女。大正13年(1924年)秋、佐賀で出生直後に死亡。
田倉 仁(ひとし)
演 - 望月匡貴内田慎一山下真司高橋悦史
おしんの次男。昭和4年(1929年)10月生まれ。
雄や希望とは異なり、粗暴な一面もあり、戦時中には親の反対を押し切り、家族の生活費を無断で持ち出して家出した上で特攻隊へ志願、出陣命令を受け実家に訣別の葉書を送ったが、鹿児島で待機中に終戦を迎えたことにより一命を取り留める。
しかし、雄と同様に母や家族を想う優しい一面もあるものの、それが他人を思いやらない自己中心的な心に繋がり、おしんを苦しめてきた。
戦後には田倉家の跡取りとしての意識を強く持ち、戦後は進学せずにおしんと商売に精を出していたが、いつまで経っても儲からない商売に行き詰まっており、やがてセルフサービスの新しい商売の話を持ち出す。「スーパーたのくら」の経営に成功するが、大きな危機にぶつかる。
八代 希望(のぞみ)
演 - 大渕貴人萩原等司塩屋智章野村万之丞
加代の忘れ形見。おしんの養子。仁と同い年で兄弟として育つ。
おしんは希望に加賀屋を再興させることが恩返しであると考え、姓は八代のままである。希望は戦後の再出発においては進学せずに商売を手伝っていた。しかしやがて自身が商売に向いていないことを悟り、田倉の家を出て陶芸家の道を志す。親(おしん)思いで、穏やかな性格。
田倉 初子(はつこ)
演 - 上中はるか長島裕子[注 13]田中好子佐々木愛
おしんの養女。中沢健の遠縁。大正15年(1926年)生まれ、千人針の話から初子の生年が寅年であることがわかる。山形の小作の娘で、おしんと似た境遇で、幼くして死んだ娘の愛と年が近いため、おしんは娘同様に育て、仁や希望にとっては優しい姉、雄とは相思相愛の仲になる。
雄の戦死後、おしんに自分を縛らずに自由になり山形に帰るように諭されておしんの元を去ったが、実は雄の後を追い誰にも知られない所で死にたいためであった。だが結局死ねずにいたところ、声をかけられたアメリカ兵について行き東京でアメリカ兵相手の娼婦に身を落とし、伊勢の家に送金していた。昭和24年、おしんの説得で伊勢へ戻る。
再び田倉家の家事と商売を支え、一度は雄の戦友の川村からの求婚に、駅前の土地譲渡と引き換えに同意する意思を示したもののその川村が刺殺され、その後は仁から生活面の御礼として裁縫店を与えられるも、独身を通して実の母のように慕うおしんの面倒を見る。
田倉 禎→崎田 禎(てい→さきた てい)
演 - 野竹和子山下陽子浅沼友紀子吉野佳子→吉野由樹子
おしんの次女。昭和11年(1936年)2月26日生まれ。誕生日が明らかでない登場人物が多い中、禎は2.26事件当日に生まれたとドラマ中に描写されている。
戦時中に家族の中で禎だけが学童疎開させられた。疎開先は竜三の工場の従業員の実家で、伊勢から片道三時間の場所であった。疎開先は農家で食べ物には困らないと聞いており、竜三は疎開先になかなか手に入らない物資や食料をできるかぎり届けていたにもかかわらず、疎開先に子供が六人いたことなどから、禎はろくに食事もさせてもらえず頭にトコジラミがたかっても放置されるなど冷たく扱われてしまい、勝手に無賃乗車で帰宅した。しかし、竜三に諭され禎は次の日に疎開先に戻った。
一時は進学をあきらめて田倉家の家事をこなしていたが、自分の子供には学問をさせたかったおしんの願いから名古屋の大学へ進学する。
大学では学生生活を謳歌していたが、帰省した際に新しい商売に踏み切ったおしん達が身を粉にして働いている姿を見て大学での日々に違和感を覚えて中退。
おしんの商売を手伝い、仁に勧められていた従業員の辰則と結婚。「崎田食料品店」を開き独立するが、スーパーたのくら2号店出店のため閉店する。
田倉 道子(みちこ)
演 - 田中美佐子浅茅陽子
仁の妻。旧姓川部。裕福な家庭で育った現代的な女性で、一人娘として甘やかされて育ったため家事が得意でない。
貧しい小作人の娘という境遇や人一倍働き者のおしんとはたびたび諍いを起こす。
結婚しても、同居生活や出産などでおしんたちと衝突を巻き起こし、耐えられないと決まれば実家に帰っていた。
中年期からは、おしんが彼女と距離を置きつつあったために、何事も問題無く通ってきたが、新舗開店時の家出で今までの鬱憤を含んで立腹。
しかし、おしんがいかに一族のために尽くしているかの姿を見て分かり合うようになる。
崎田 辰則(さきた たつのり)
演 - 渡辺寛二桐原史雄
禎の夫。仁の戦友で、アメリカのスーパーで働いていた経験を持つことから田倉商店の従業員として仁に招かれる。気さくな性格で商売の成功のため精力的に働く。
八代 百合(ゆり)
演 - 丘山未央寺田路恵
昭和27年、17歳の時に継母との折り合いが悪く実家を出て田倉商店に住み込みで働く奉公人。良く働き控えめな性格で、おしんや初子からも可愛がられていた。
仁と関係を持つが、昭和30年、仁の結婚に際して身を引き、田倉家を出て希望の陶匠で働く。
おしんは百合を不憫に思っていたが、後に希望の妻となる。しかし、息子・圭を産み、新居を構え引っ越す前日に交通事故で死去してしまう。
八代 圭(けい)
演 - 岩淵健大橋吾郎
希望と百合の一人息子。加代の孫。子供の頃、母の死によって一時おしんの下で生活していたことがあり、他の孫たちよりもおしんを慕っていて、おしんからも可愛がられていた。大学生の春休みに帰郷すると祖母代わりのおしんが家出しており、思い出話を頼りに捜索に訪れた銀山温泉で見事おしんを見つけることに成功する。
おしんと血の繋がりがないことは知っていたが、それ以上のこと(奉公や実の祖父母のことなど)はこの時点では聞かされてはいなかった。その後、おしんが過去に過ごした土地を一緒に訪れ、おしんが今までひた隠しにしてきた人生を知ることとなる。
物語終盤に実の祖母である加代、おしんの師匠であるくにといった先祖たちを思って、加賀屋の再興を目指そうと思い立つ。
田倉 剛(たけし)
演 - 玉野叔史宮本宗明
おしんの初孫。仁の長男。幼少期に非行に走る。スーパー田倉の営業部長。
田倉 幸子(ゆきこ)
演 - 景山真弓
剛の妻。
田倉 あかね
演 - 甲斐みどり鈴木美江
仁の長女。彼氏がいたが、ある事情で別れを告げられるが、なんとか立ち直る。
田倉 みどり
演 - 米沢由香川上麻衣子
仁の次女。名古屋の大学に通っている女子大生。
田倉 進
演 - 永山純一
剛の長男。おしんの曾孫。

複数編での重要人物

高倉 浩太→並木 浩太(たかくら こうた→なみき こうた)
演 - 渡瀬恒彦
農民運動の活動家で、おしんの初恋相手。実は大地主、大金持ちの貴族院議員の息子で、浩太もおしんをかつての初恋の女性(若くして死去)と重ね合わせていた。竜三との結婚後も、伊勢での商売を紹介するなど生涯にわたっておしんを援助する。おしんの父作造が亡くなった直後に農民運動の関係でおしんの故郷を訪れたこともある。
戦時下には特高警察による拷問を受け、足に障害を負って転向。造り酒屋の並木家に婿入りして過去を捨てる。
長年農民運動で掲げていた農地開放政策がアメリカ軍からの圧力によりあっさり実現すると日本の政治運動に虚しさを覚える。商売に精を出し成功し[注 14]、戦後は「並木食料品店」を経営、楽隠居の身となる。
未亡人となったおしんが店を出す際や加代の子である希望が独立する際も支援した。さらに、大型店に賭けたスーパーたのくらが倒産の危機にあった際、不採算の大型店を引き取って大手資本に仲介する話をまとめ、スーパーたのくらの窮地を救う。
長谷川 たか(はせがわ たか)
演 - 渡辺美佐子
おしんの髪結いの師匠。日本髪専門の髪結い「長谷川」の女主人だが、おしんが洋髪で独り立ちできるよう育ててくれる。
江戸っ子気質で義理人情の深い、加賀屋のくにと並ぶ、人生の師匠でもある。
昭和30年の時点では亡くなっていることが第239回のおしんのセリフでわかる(後述の健も同様)。
中沢 健(なかざわ けん)
演 - ガッツ石松
的屋の親分。おしんが無許可で露天を出して揉めたのを助ける。おしんが落とした売上金を返しに田之倉羅紗店にやってきておしんと意気投合。
おしんの度胸の良さに感心し、気前良く露天の出店許可を出し、おしんの商売に貢献する。奇遇にも同じ山形出身で、チフスで死んだ妹がおしんと同じ丑年生まれで似ていることから、以後、おしんを密かに慕う。
また、東京でおしんの人生の局面(佐賀から家出後の就労と住居の世話、娼妓になった加代との対面、消息不明になった初子の調査など)で重要な役割を果たす。なお、戦争中に露天商からは足を洗い、戦後は堅気として暮らしていた。
神山 ひさ(かみやま-)
演 - 赤木春恵
伊勢に住む浩太の親類。網元。浩太の母のいとこである。浩太の面倒を幼少期から見ており、特高警察に追われる浩太の身を案じる。
浩太の紹介でおしんと雄を預かり、おしんが魚の行商人として独り立ちする手助けをし、戦時中は漁師たちが戦争に取られ燃油もままならないことから一旦東京の息子の元に身を寄せるが、戦後には戦災を免れた伊勢の自宅に戻り、未亡人となり家を追われたおしんが再起するため再び行商の手助けをする。
なお、昭和30年の時点では亡くなっていることが第238回のおしんのセリフからわかる。

山形の人々

源助
演 - 小倉馨
口入れ屋。おしんの最初の奉公先の中川材木店を世話した。中川材木店には9歳のおぼこだと言っていたが、7歳のおしんをつれていく。おしんが逃げ出した後、おしんの前払いの米一俵を無理矢理回収する。
中川軍次
演 - 平泉征(現:平泉成
おしんの最初の奉公先である中川材木店の主人。幼少のおしんのことを気にかけ、松田先生からの申し出を受け入れておしんを尋常小学校に通わせるなど理解はある。しかし、つねの高圧的態度の前には何の役にも立ってはいなかった。
後年、老年期のおしんが訪れた時は中川材木店はなくなっており、土地の人の記憶にもなかった。後述する中川材木店の人達の消息は現在は不明である。
中川 きん
演 - 今出川西紀
中川軍治の妻。おしんのことを気にかけていたが、やはりつねに言いくるめられることが多かった。
つね
演 - 丸山裕子
中川材木店の奉公人。家事を20年以上取り仕切って来た女中で、奉公にきたおしんの躾け係となる。仕事熱心だが、頑固で気が強く、口調もきつい。幼いおしんにも容赦なく厳しく接する。おしんが小学校に通いはじめると「奉公人の分際で」と反対して昼飯を与えず、軍次・きん夫妻からもなだめられたが、学校をやめると「やっとわかったか」と喜んだ。自分の財布から50銭銀貨がなくなったのをおしんが盗んだと決めつけ、おしんの銀貨を取り上げる。おしんの失踪後、軍次がつねの財布から無断で銀貨を借りてそのことを言い忘れていただけと判明するが、反省するどころか、奉公の代償の米を取り返すことを口入屋に指示して一層おしんを苦しめる。
しかし、この時の厳しいしつけにより、おしんは家事と辛抱強く働くことを身につけた。
定次(さだじ)
演 - 光石研
中川材木店の奉公人。12才から奉公している。奉公に出るおしんを迎えに来た人物。以来、おしんを気にかけて声をかけたり、つねから庇ったりしていた。
おしんが書いた手紙を仕事のついでにふじの元に届けたり、その手紙を代読したりもしていた。
松田
演 - 三上寛
最初の奉公先近辺にある左澤尋常小学校の教師。
授業を興味津々に覗き込んでいたおしんを見つけ、自身も乳児を背負って就学していた経験があったために、中川家を説得して小学校に通わせた。
俊作(しゅんさく)
演 - 中村雅俊
中川材木店から逃げ出したおしんを雪の山中で助けた猟師の青年。標準語を話す。山から下りず、鉄砲で撃った動物の毛皮を、松造に里で売ってもらっている。日露戦争の203高地で受けた銃弾が体に残っており、時折高熱を出す。
おしんが家に帰らず山小屋にとどまるのを渋っていたが、高熱で倒れたところを看病してもらったあとは、おしんに読み書きや算数、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』を教え、戦争の愚かさや命の尊さを説く。
春になり、おしんの里帰りに同行したが憲兵に見つかり、逃亡しようとしたところ射殺されてしまう。
実は脱走兵で追手から逃れるため山に潜んでいた。東京出身であり、一家は父親も兄弟も職業軍人である名門。俊作も日露戦争に出征したが、203高地の凄まじい戦いで考えが変わり、戦地から逃走。山形の山中で行き倒れていたところを松造に救われたという過去があった。
彼が大事に持っていた「君死にたまふことなかれ」の掲載された雑誌『明星』とハーモニカは里帰りの際におしんに手渡され、直後に形見となってしまったが、何時までも大切に取っておいた。この俊作と松造との生活によって、おしんは「人は物よりも心が豊かであれば幸せになれる」ことを知る。更に、「人を恨んだり憎んだり傷つけたりせず、相手の気持ちになり憐れみを持って許し接することにより、心豊かな人間になれる。」と、人の生きるべき道の教えを受け、おしんの人生観におおきな影響を与える。
松造
演 - 大久保正信
俊作と共に暮らす炭焼き職人。山を転々としながら暮らしている。息子二人を203高地で亡くしており、同じくそこで傷を負った俊作を匿っている。
当初は俊作と同じく自分たちの存在を知ったおしんを煙たがっていたが、次第に孫娘のようにかわいがる。俊作の死後、おしんが憲兵の取り調べで口を割らなかったため、罪に問われなかった。
おしんが吹いていたハーモニカの音に気付いて訪ねてきて、俊作の過去をおしんにうち明け、どこかへ去っていった。
りき
演 - 渡辺富美子
谷村家の近所に住む村人。口入れをすることもある。当時の村人としては珍しく文章の読み書きが出来たため、おしんが子供の頃に奉公先の口利きをしてくれたり、字が読めないふじたちの代わりに手紙を読んで聞かせるなどおしんたちを何かと助ける。
桜木徳男
演 - 津村鷹志(津村隆)
おしんの元婚約者。酒田の成金桜木家の息子。
泥酔しておしんに抱き着き、おしんに池の中に突き飛ばされる。結果おしんは加賀屋の奉公を辞めることになる。
平野
演 - 金田明夫
おしんの姉・はるが働いていた製糸工場の監督員ではるが密かに恋心を抱いていた。おしんが見舞いに来てほしいと製糸工場まで出向いて平野に頼みに行き、はるが亡くなる直前に花束を持って見舞いに訪れた。
勝次
演 - 江幡高志
作造が連れてきた口入れ屋。おしんが加賀屋を辞めた後の次の奉公先を斡旋したが、女衒であった。

東京の人々

りつ
演 - 名川忍
髪結い「長谷川」の奉公人。千葉の小作出身。最初、飛び込んできたおしんを厄介者と嫌っていたが、次第におしんを姉のように慕う。
洋髪主流の影響でほとんどの奉公人が辞めてしまった中、たかのために一人「長谷川」に残って奉公していた。
震災直後、田舎に戻り髪結いの店を持つ。
豊 / その / 袖 / けい / 夏
演 - 田中世津子 / 真野ゆうこ / 木瓜みらい / 島村美紀 / 富沢美智江
髪結い「長谷川」の奉公人。
つる
演 - 此島愛子
カフェの女給相手に洋髪の出髪をする髪結い。おしんの商売仇。
染子(そめこ)
演 - 日向明子
神田のカフェー「アテネ」の女給。おしんにとって最初の髪結い客で、最初結った髪が気に入らず怒って帰ってしまったが、店で好評だったため贔屓の客になる。
「アテネ」の客であった竜三に軽い恋心を抱いて、字の書けるおしんに恋文を書くようにお願いしたことが、おしんと竜三の結婚のきっかけとなった。
両者の結婚には認め、仲間たちと共に暖かく見守る。ある時、田倉商店の危機に一人豪遊して「アテネ」に訪れた竜三を叱ったこともあった。
震災直後、おしんとは離れ離れになってしまい、消息は不明。
波子(なみこ) / 八重子(やえこ) / 茂子
演 - 浦谷ひづる / 谷川みゆき / 古館ゆき
神田のカフェー「アテネ」の女給たち。染子に影響されて、おしんの髪結いの常連客となる。
ロク / サブ
演 - おぼん / こぼん
中沢健の子分。おしんが彼らに無断で露店をしていた所、おしんと押し問答となる。
しかし、親分とおしんの和解の後は、おしんの手助けをする。
徳造 / かね
演 - 神田正夫 / 橋本菊子
おしんが髪結いとして初めて独立した時の最初の下宿先の大家夫婦。
留吉
演 - 中島元
大工、田倉商会を子供服縫製所への改造を請け負った。
中本
演 - 小池栄
婦人服の仕立屋。おしんは型紙の制作を依頼したり技術指導を受けたりした。
立原 / 長野
演 - 大矢兼臣 / 加賀谷純一
大野屋の仕入れ担当者。
山口ミサ
演 - 渡辺康子
ミシンの技術指導員。
梅子 / 糸子 / 敏子 / 弓枝 / 勝子 / 久代
演 - 大畑ゆかり / 中尾和子 / 百瀬三邦子 / 西沢正代 / 野沢由香里 / 大越章子
ミシンの縫い子。

佐賀の人々

耕造(こうぞう)
演 - 隈本吉成
竜三の幼馴染で、田倉家の小作。居候になった竜三・おしんと一緒に畑仕事をする。
佐和(さわ)
演 - 香野百合子
田倉家の小作・耕造の妻。元女郎(ドラマ120回では清は「島原ん女郎たい」と言っている)で近所から距離を置かれているがおしんと懇意にする。耕造が自分を身請けするため田畑を売り、小作人になったため、姑や小姑から辛く当たられている。耕造が孤立し家族仲が悪くなっているのを気に病んで身投げ騒ぎを起こした。
おしんは佐和の境遇に共感し、一度目の家出の時は彼女にお金を渡し、彼女と一緒に逃げる手はずになっていたが、彼女は計画を無謀とみて竜三に相談。そのため、おしんの家出は失敗したうえに、この時に肩に負った傷が元でおしんの右手が効かなくなり、結果的におしんを裏切ることになってしまった。
後におしんよりも一足先に東京へ逃亡。おしんが佐賀から上京した後で再会し、おしんからもらったお金を全額返済した。

伊勢の人々

並木 香子
演 - 片岡静香
浩太の妻。造り酒屋の一人娘。
並木 宗男
演 - 長谷川哲夫
浩太の息子。浩太の後を継いで食料品店を営む。スーパーたのくらの強引なやり方に激怒し、17号店出店反対運動の先頭に立つが、失敗。やがて自身の店を含めた商店街の土地を大手資本に提供し、自分は出来上がったスーパーにテナントに入るという戦法をとり、スーパーたのくらを窮地に追い込む。

川村 清一
演 - 斉藤洋介
雄の戦友。戦時中におしんと初子が軍隊にいる雄に面会した時に同席し、おしんが持ってきたおはぎを食べさせてもらった。
戦後、戦死した雄の遺品を届けに田倉家を訪れる。家族は満州に渡ったまま消息不明で天涯孤独の身となり、生きるため裏の仕事で大金を儲ける。数年後、雄の思い人だった初子に思いを寄せ、結婚を申し込み拒絶されるが、結婚を拒むために自らが娼婦だったことを告白した初子に、自分にも傷はある、戦争にめぐりあった者の不安だったと説く。
初子の申し出もあり、雄の代わりに親孝行の意味も込めてと駅前の土地をおしんに譲渡する。しかしその直後、営んでいた高利貸しの債務者に刺殺され28歳の若さで生涯を閉じる。
川部 仙造
演 - 長門裕之
道子の父。小学校しか出ていないが、大阪の衣料問屋の奉公人から独立し一代で名古屋の衣類問屋の主人となった。商売拡大のため道子と仁の結婚を進める。
田倉のスーパー転換の際に自分の商売への介入を嫌い出資を断るおしんの態度にはじめ反感を持つ。
やがて同じ時代を生きたもの同士として共感を示し、甘える道子や批判する波江よりもおしんの考え方を認めるようになる。
なお、現代は亡くなっていることが第289話の道子の台詞からわかる。
川部 波江
演 - 今井和子
道子の母。若い頃に嫁姑問題で苦い経験をしたため、一人娘の道子にはそういう思いはさせたくないとの考えから、結婚には当初から否定的で、結婚後も姑のおしんに冷たい態度をとることが多かった。
栄造
演 - 大友柳太朗
希望の陶芸の師匠。何度も手紙を送った希望の熱意にほだされ、希望を弟子にする。
ふみ
演 - 風見章子
栄造の妻。
次郎
演 - 菊池浩二
田倉商店の従業員。スーパー転換後も真面目な働きぶりが認められ、初めての支店になる2号店の店長に任命される。
征男(いさお)
演 - 家中宏
田倉商店の従業員。次郎と同様に3号店の店長に任命される。
芳枝
演 - 石田紀子
田倉家(伊勢/完結編・昭和43年)のお手伝い。
文子
演 - 伊藤公子
田倉家(伊勢/完結編・現代)のお手伝い。
宿の仲居
演 - 芝田陽子
老年期のおしんが銀山温泉に回想の旅に出た時に宿泊した宿の仲居。
銀山温泉の宿の女将
演 - 草村礼子
語り
演 - 奈良岡朋子
本作のナレーション。最終回に犬を連れて散歩する女性として顔出し出演し、海岸で共に歩くおしん・浩太を夫婦だと思って挨拶し、去って行った。

ほか

スタッフ

『おしん』の反響

日本での反響

  • 本放送の人気ぶりからオシンドロームと呼ばれるほどの社会現象を巻き起こした。この『オシンドローム』という言葉はアメリカのニュース雑誌「タイム」のフリー記者であるジェーン・コンドンが紙上で掲載したもので、1984年の第1回新語・流行語大賞の新語部門・金賞を受賞している[22]
  • 中曽根康弘首相は「おしん、康弘、隆の里」と自らを2名に準えて表現し、混迷する政局を耐え忍ぶ姿を自戒している。「隆の里」とは31歳で第59代横綱に昇進し、新横綱全勝優勝を遂げた力士・隆の里俊英のことで、苦難を越えて昇進した人物像から「おしん横綱」という愛称を持つ。
  • 田中角栄も極貧の生まれから一代で身を起こした己の人生と『おしん』を照らし合わせて、涙ながらに「俺は男おしんだ」と語っている。ただし、橋田は後のインタビューで「教科書のような話を書いたつもりはないので、政治家や財界人が訓示に引用するのには、違和感を覚えた」と述べている。
  • カルビーの創業者で、当時71歳だった松尾孝がおしんにぞっこんで、「おしんさんを見てますとね、自分が商売を始めたころの苦労を思い出しましてねえ」と、おしんを呼び捨てにせず、「おしんさん」と敬称をつけるほど惚れ込みようで、「綾子ちゃんをわが社のコマーシャルに」と切望した[23]。しかし、茶の間のアイドルになった小林には、50社以上の企業からCM出演の申し込みが殺到した[23]
    • 幸い小林が東映に所属していたため、松尾と東映の社長・岡田茂が広島一中(現広島国泰寺高校)の先輩後輩の関係で、契約がトントン拍子に進み、小林のCM初出演がカルビー『かっぱえびせん』に決まった[23]。CM制作は東映CMが担当し、放送開始1ヶ月半後の1983年5月中旬から制作が始まり、当時はほとんどなかった台本つき、さらに美術にもお金をかけて通常の2倍の2000万円で製作した[23]
    • 当初のCMタイトルは『綾ちゃんの大根めし』で、小林が『おしん』そのままの貧しい着物姿で登場して「腹が減ったときには大根めしでもうまかった」とドラマそのままのセリフがあり、オンエア直前にNHKから「これでは『おしん』が企業とタイアップしたようにとられる」とクレームを受けた[23]
    • また橋田が毎日新聞エッセーで「『おしん』は私のものなのよ。なのに私にはひとことも相談がないんですもの。あれは視聴者が出したお金で作った公共放送のドラマですよ。そのイメージを、一私企業が宣伝に使ってはいけないのよ。いくらドラマのキャラクターには著作権がないからって、強引すぎる」と訴えた[23]。このため、タイトルは『食事編』に変更され、小林のセリフはカット、小林の食事シーンに「世の中がどんなに変わろうと、子供たち、元気でがんばって下さい」などのナレーションが入るものに変更され、1983年夏からオンエアされている[23]
  • 「おしんのしんは辛抱のしん」と辛抱を呼びかける現象までも発生したが、橋田は「あれは辛抱を描いたドラマではありません」と自粛を呼びかけていた。
  • 昭和天皇も連続テレビ小説を視聴し、『おしん』を視聴した際に「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」と感想を述べたという[24]。橋田は日経・私の履歴書で「昭和天皇にご覧いただきたくて(中略)おしんの生まれを陛下と同じ明治34年にした。」と記している。
  • 中曽根の言動を模したようなものに「おしん、家康、隆の里」というのがあるが、「家康」とは、おしんの同年に放送されたNHK大河ドラマ徳川家康』を示し、作中と史実において伝わってくる家康の忍耐心を隆の里、『おしん』となぞらえたもので、流行語となった[25]
  • 本放送時、札幌市水道局の水道使用量が急速に減少して警告が鳴り、ラジオドラマ『君の名は』の再来か、というエピソードが当時の北海道新聞に掲載された。
  • 嫁姑戦争の舞台となった佐賀県では、「佐賀の女性はこんなのではない」「県のイメージダウンになる」とNHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到[11]NHKが「もう少し見てもらえれば真意を汲み取ってもらえる」と釈明を出す必要に迫られた。この時、姑を演じた高森和子はテレビのトーク番組に出演し「あれは演技の上ですよ」と苦笑しながら釈明している。
  • ドラマと現実の区別がつかなくなった熱狂的な視聴者が、おしん役の小林綾子や母ふじを演じた泉ピン子宛てに白米を送ったり、「おしんに渡してほしい」と、NHKに多額の金銭[注 15]が送ってこられることもしばしばあった。作中でおしんの父・作造がおしんやふじに厳しく接するため、作造役の伊東四朗宅に石が投げ込まれたり[11],「お宅のご主人は娘に厳しすぎる」と視聴者が抗議に訪れ、家人が「あれはそういう役」「うちには娘はいない」と応対するも最後には庭先で口論になったこともあったという。おしんと対立した姑を演じた高森和子は町中でにらみつけられたり、苦情を言われたこともあった。
  • 当時の「おしんブーム」にあやかろうと、演歌歌手・金沢明子が「おしんの子守唄」をリリースしている。なおB面曲の「おしん音頭」は、歌詞がユーモラスだったことから「森田一義アワー 笑っていいとも!」で取り上げられたことがある。シングルレコードのジャケット柄は宗美智子による漫画版『おしん』のイラストであり、1983年11月末までに6万枚を売り上げた[26]
  • 「おしんブーム」で山形県を訪れる観光客が増加、県内観光名所の飲食店のメニューに「大根めし」も登場し話題となった。
  • 『おしん』の幼年期については非常に反響が大きかったため、1984年夏にNHK総合テレビで幼年期のみ再放送されている。
  • 必殺仕事人IV』22話「主水、大根めしを食べる」において、中村主水がお灸に辛抱できない中で、上司の田中熊五郎が小説を読みながら、本作を連想させる発言をする。主水から毒づかれるが、ムキになっていた。
  • 1983年5月26日に発生した「日本海中部地震」を描いた矢口高雄のコミック「激濤 Magnitude 7.7」に、夫婦で出漁していた猟師が『おしん』のお昼の再放送を見ようと急いで港に戻るシーンが描かれている。なお、実際の当日の昼の放送は、報道特別番組のため休止された。
  • 1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』の制作過程において、先に初起用が決定していた白組司会・鈴木健二(当時NHKアナウンサー。白組司会抜擢の背景は当時司会を担当していた『クイズ面白ゼミナール』が平均視聴率40%を記録していたことと著書『気くばりのすすめ』が300万部突破のベストセラーとなっていたため)に対抗する紅組司会の候補として当初本作の高視聴率にあやかる形で田中裕子と泉ピン子が上がったという(60%の本作、40%の『クイズ面白ゼミナール』で合計100%構想)。しかし最終的には1度はリストから完全に消えていた黒柳徹子が続投することとなった(4年連続起用)[27]。黒柳は司会発表会見で「週刊誌では『気くばり先生』と『おしん』と書かれていたようで…。新鮮味に欠ける私で申し訳ありません」と述べた[28]
  • DVD-Videoに続いて[29]、2013年9月27日に「少女編」「青春編」がBlu-ray Discで発売され、2013年11月22日に「試練編」「自立編」「太平洋戦争編」、2014年1月24日に「再起編」「完結編」がBlu-rayでNHKエンタープライズから発売されている。
  • 連続テレビ小説通算第100作を記念して、歴代の朝ドラ主演女優が多数起用された2019年上半期の『なつぞら』に、小林綾子と田中裕子がともに出演している。小林は『おしん』以来36年ぶりの連続テレビ小説出演となり、『なつぞら』と同時期にNHK BSプレミアムで『おしん』が再放送されていたため話題となった。

外国での反響

759阿信屋
759阿信屋
  • 『おしん』は日本国外、とりわけアジア圏で人気が高く、『おしん』を観て日本や日本女性に好意的な印象を抱いたという人々も数多い[要出典]。少女時代を演じた小林綾子が放送された国を訪れると、今でも「オシン!」、泉ピン子は「オシンマザー!」と呼ばれ、様々な歓待を受けるという。
  • 海外初の放映は1984年のシンガポールで、日本で放送を見てファンとなった駐日シンガポール大使の要望により実現し、視聴率80%を達成、このヒットによりタイやオーストラリア、アメリカ、中国などで放送されることになった[30]
  • 当時の内閣総理大臣中曽根康弘と親密な関係にあったアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが、1983年に来日した際に国会で「日本にはおしんの精神がある」と日本人を『おしん』に喩え、称賛している[要出典]
  • 中華人民共和国では非常に人気があり、初回放送から20年以上経った2007年でも、湖南テレビにて、『阿信』(アーシン)として再放送されている(「阿」は古来の中国語で幼名につけられる接頭語で、日本語の「お」に相当。「信」の方は宛字)[要出典]。 
  • 香港では、1985年に無綫電視で『亞信的故事』(アッソンデクースィー)として放送された。広東語のオリジナル主題歌「信」をジュディ・オングが歌い、香港を含む東南アジアの広東語圏全域で大ヒットしている。また香港を中心に展開している食品ディスカウント・ストアチェーンに「759阿信屋」というのまで存在する。
  • 中華民国台湾)では、1994年に中視で中国同様『阿信』として放送された。オープニング曲「永遠相信」はジュディ・オングが、エンディング曲『感恩的心』は欧陽菲菲が歌い、どちらも大ヒットした。なお、エンディング曲「感恩的心」は、中視の放送休止時間中のフィラーとしても使用されている。2008年3月25日20時から再放送(なお、再放送版、フィラーではエンディング曲の歌手がロジャー・ヤンとなっている)。
  • ベトナム社会主義共和国では、1990年代半ばに『おしん』がVTVで放送され、放映時間には町に人影がまばらになるほど高視聴率を取った[31]。都市部では「おしん」という語は貧しい女性を意味するようになり[31]ベトナム語メイド家政婦やお手伝いさんを指す名詞クオック・グー綴り:osin)になっている。2013年9月からHTVで再放送されている。放映当時のベトナムは、一般的に人々の生活も安定して衣食の面ではほとんど不自由がなくなり、働けば働くほど収入が得られるようになりつつあるなど、努力の結果を予測できる社会になり始めていたころであり、また、長く続いた戦争で国土が焦土化してしまったベトナムにとって、戦後驚異的に経済復興した日本は自国の未来と重なる部分が多かったため、人々の共感を呼んだ。[32]
  • エジプトでは1993年に放映された。カイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。2018年放映のNHK番組の取材によると、エジプトでは「おしん」という名前は、働き者で正直者、向上心があって賢いというイメージがあり、放送から25年たった今でも店名や社名に「おしん」を使う例がみられるほか、子供にはイスラム教に関連する名前をつけることが一般的である中、「おしん」と名付けられた女性たちもいた[33]。当初は前例がないという理由で市役所に断られ、裁判に訴えた者まであったという[34]
  • アフガニスタンイランではペルシャ語吹き替えにて放送されたが、爆発的人気を誇り、長きに亘り『Oshin(ウーシン)』は日本を表す代名詞となった。なおイスラム教国では、男女が自然に触れ合う場面などが放映時に削除されたため、逆に「オリジナルにはわいせつシーンがある」との憶測を呼んだことがある。
  • イランでは『家を離れて幾年月』という題で1986年にイラン国営テレビでの放映されたが最高視聴率90%超を記録する人気となり、戦争で夫や息子を失う等、受難と物資不足を経験していた当時のイラン人の激しい共感を呼んだ[35]。「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されることもあった[36]。おしん夫婦が経営した子供服製造所の名前から、イランでは俗に古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」とも呼ぶ[36]。日本人旅行者がイラン国内で銃を突きつけられ、スパイ容疑で尋問された際に司令官がおしんファンで難を逃れた等の逸話もある[37]
  • 1989年1月28日、ムハンマドの娘ファーティマの誕生日兼婦人デーであるこの日には「イスラム女性の象徴はだれか」という質問形式のラジオ番組が放送されたが、ある女性が質問に『おしん』と回答しその後の受け答えでファーティマを古い女性だと形容した。ホメイニ師が責任者の処罰を要求した結果、件のラジオ局の責任者4人に対し反イスラム的であるとして科刑、解雇という判決が下されるが、当のホメイニ師が恩赦として判決を撤回させている[38]
  • ジャマイカでは、おしんブームが到来し、男女に限らず、名前に「オシン」をつけるのが流行した[要出典]
  • ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るためにお祈りの時間を変更した[30]

海外での放送

海外で放送された国と地域(2012年3月現在68の国と地域)

番外編『もうひとりのおしん』

終戦記念日である8月15日からの6日間、ドラマ『おしん』を中断して放送された。これは田中裕子が疲労で倒れ、絶対安静を余儀なくされてドラマ撮影に支障が生じたことで急遽制作されたドキュメンタリー作品で、おしんと同じように戦前から戦後の混乱期を耐え抜いて生きてきた女性たちの群像をテーマに描いたものである。しかし、田中の休養については何ら告知もしておらず、視聴者からのクレームも多かったという[39]

出演者

大橋吾郎小林綾子橋田壽賀子小木新造 ほか

スタッフ

放送日

放送回 放送日 サブタイトル
第1回 08月15日(月) いろりのまわりに家族がいた
第2回 08月16日(火) めしはいつも大根めし
第3回 08月17日(水) 女は一生働きづめ
第4回 08月18日(木) 夏も冬も着たきりすずめ
第5回 08月19日(金) ことばは国の手形
第6回 08月20日(土) 日本中のおしんたちへ

舞台

小説・文庫・シナリオ本

漫画

  • 原作:橋田壽賀子
  • 漫画:宗美智子
    • 『おしん』 1巻、集英社マーガレットコミックス〉、1983年。ISBN 4-08-850786-X 
    • 『おしん』 2巻、集英社〈マーガレットコミックス〉、1983年。ISBN 4-08-850819-X 

演劇

映画

アニメ映画版

テレビドラマの第1部をアニメーション映画化したもの。1984年3月17日公開。高視聴率を挙げたドラマとは裏腹に上映打ち切りが相次ぎ、興行的には失敗に終わる。制作費3億円に対し配給収入は約2億円。失敗の原因に関してサンリオは「サンリオのファミリー映画はいつも子供が親を引っぱってきた。今回は子供にソッポを向かれたのが原因」としている。2006年、ポニーキャニオンから発売された『サンリオ映画シリーズ』の1作としてDVD化された。

  • アニメ版ではおしんの年齢や年号がはっきりと描写されている。
    • 物語の始まりは明治40年春、おしんは数え年で7歳、満年齢で5歳であった。
    • 俊作、松造とで雪山に篭っている時に明治40年暮れ明治41年となった。この2年前に日露戦争が終わっていた。
    • 加賀屋に奉公に来て最初の年に明治41年から明治42年になり加代と共に新年を祝った。
  • エンディングクレジットには「お豊」という登場人物がおり声を芝田陽子が担当している。芝田陽子はテレビドラマ版では銀山温泉の仲居として登場しているがアニメ版では存在を確認できない。
声の出演
スタッフ
主題歌
  • 「小さな願い」 歌:小林綾子
  • 「雪割草のように」 歌:上條恒彦
    作詞:山上路夫
    作曲:坂田晃一

実写映画版

2012年6月11日にセディックインターナショナルから、実写映画化が発表された。放映開始30周年を迎える2013年10月12日に劇場公開された。主人公のおしん役は半年にわたる全国オーディションで[41]、約2500人の中から濱田ここねが選ばれた。またテレビドラマ版に出演した泉ピン子、小林綾子、ガッツ石松が別の役柄で出演する[42]。監督は山形県鶴岡市出身の冨樫森。山形県内でオールロケを敢行し、2013年2月15日にクランクインし、3月31日にクランクアップした[43]。第22回金鶏百花映画祭にて国際映画部門の最優秀作品賞を受賞。最終興行収入は4億円だった[44]

キャスト(実写映画)

スタッフ(実写映画)

協力

受賞

テレビ放送

2015年12月31日に『大晦日! 映画特別企画』と銘打って、TBSの9:55 - 11:55(JST)で地上波初放送[45]文字多重放送)。視聴率は1.4%だった。

脚注

注釈

  1. ^ 当時の相場で約4~5円。現在の約8~10万円前後。
  2. ^ 現在の約1万円程。
  3. ^ 当時の相場で約6円/俵。5俵は現在の約60万円前後
  4. ^ 現在の約20~30万円
  5. ^ 当時の既婚女性が結う日本髪。
  6. ^ 当時の東京~佐賀の汽車賃は三等客車利用で約20円。30円は現代の15万円程。
  7. ^ 昭和2年 9月12日 台風第9号 死者行方不明者423人
  8. ^ 現在の約20~30万円
  9. ^ 現代パートのおしんはこの発言について「信じてやらなきゃ母ちゃんが浮かばれない」とつぶやいている。加賀屋のくには「おっか様がどげなことをしてもけして悪く思うんでねえぞ」と言っている。
  10. ^ 演じた伊東は後年、CX系「メントレ」にゲスト出演した際、このシーンが実は別撮りによるものであったことを明かしている。
  11. ^ その後、成人した希望によって酒田に移されるが、お墓参りの都合から分骨されて伊勢のお墓にも納められている。余談だが最終回、おしんと浩太がお墓参りをし、後述の奈良岡朋子顔出しシーンに繋がる。
  12. ^ 後に浩太からの手紙がきっかけでこの行為が発覚してからは竜三に手紙を渡すようにはなった。
  13. ^ 長島ナオトの姉。
  14. ^ 加代の夫政男は浩太の商才を見抜いており、酒田で飯屋を営んでいたおしんにそのことを話したことがある。
  15. ^ 2019年放送のNHK朝ドラ同窓会"おしん"で泉ピン子と小林綾子が100万円が送られてきたと説明

出典

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  2. ^ 『ドラマと方言の新しい関係』笠間書院、2014年、26-27頁。
  3. ^ FAQ -よくある質問”. NHKグローバルメディアサービス. 2014年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月7日閲覧。
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  5. ^ 最低平均視聴率なのにDVDが大売れ!「ちりとてちん」貫地谷しほりがメッセージ!”. シネマトゥデイ (2008年6月26日). 2016年8月16日閲覧。
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  7. ^ 再放送情報 連続テレビ小説アンコール「おしん」”. NHKオンライン (2019年2月13日). 2019年3月23日閲覧。
  8. ^ 華丸、ついにBS「おしん」の朝ドラ受けも始める 大吉苦笑「時間差あるから」,デイリースポーツ,2019年11月12日
  9. ^ おしんのモデルは川根本町の女性だった!(2013年3月10日時点のアーカイブ) - 静岡新聞2013年3月7日15:33配信 配信日に閲覧
  10. ^ 雪国舞台 日本人の苦難体現(2013年5月1日時点のアーカイブ) - 読売新聞 2011年11月9日配信 2013年3月7日閲覧
  11. ^ a b c 日本経済新聞2019年5月23日付「私の履歴書 橋田壽賀子」
  12. ^ ザテレビジョン編集部[編]『TVの出来事まるごと10年!別冊ザテレビジョン』角川書店・1992年、146ページ
  13. ^ 私の履歴書 橋田壽賀子(23)おしん症候群”. 日本経済新聞 (2019年5月24日). 2019年10月13日閲覧。
  14. ^ 朝ドラ人気ヒロインの名前由来は? おしん、め以子、谷田部みね子…”. スポーツニッポン (2018年4月12日). 2018年4月19日閲覧。
  15. ^ 大好きだから迷わずこの道を進んでゆきます。 小林綾子”. 5L(ファイブエル) 株式会社TARGET (2015年12月2日). 2019年7月7日閲覧。
  16. ^ おしんの生家撮影地”. 山形県中山町観光協会. 2019年7月7日閲覧。
  17. ^ 私の履歴書」橋田壽賀子(21)宿願 歩み始めた「おしん」500人から残った綾子ちゃん 『日本経済新聞』2019年5月25日付朝刊。
  18. ^ 番組エピソード 連続テレビ小説「おしん」”. NHK名作選みのがしなつかし. 2019年7月7日閲覧。
  19. ^ インタビュー小林綾子さん NHK「朝ドラ100」”. NHKオンライン. 2019年4月20日閲覧。
  20. ^ 共演者も仰天した、怪優・田中裕子『おしん』撮影秘話(2/5)”. 週刊現代、現代ビジネス (2019年6月23日). 2019年7月13日閲覧。
  21. ^ 共演者も仰天した、怪優・田中裕子『おしん』撮影秘話(3/5)”. 週刊現代、現代ビジネス (2019年6月23日). 2019年7月13日閲覧。
  22. ^ 第1回〔1984(昭和59)年〕- 新語・流行語大賞”. 2013年1月7日閲覧。
  23. ^ a b c d e f g 「『やめられない、とまらない』カルビー松尾孝社長(71歳)の"おしん狂い"」 小林綾子ちゃんのCMデビュー」『週刊朝日1983年昭和58年)7月15日号、朝日新聞社、27 - 29頁。 
  24. ^ 「われらが遺言・五〇年目の二・二六事件」(『文藝春秋』1986年3月号)
  25. ^ 参考・出典 大原誠・著「NHK大河ドラマの歳月」日本放送出版協会
  26. ^ 『週刊日録20世紀 1983(昭和58年)』講談社、1998年、39頁。
  27. ^ 田中は同紅白に審査員として出演した。泉は1977年に「哀恋蝶」が10.9万枚(オリコン最高位37位)のヒットを記録したが紅白には落選となった経緯がある。紅白に対しては「歌手としての意地がある」と何度も応援出演を断っていた(鬼姑ピン子 ポリシー曲げて紅白狙う! デイリースポーツ(2014年9月4日))。
  28. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年。
  29. ^ 最低平均視聴率なのにDVDが大売れ!「ちりとてちん」貫地谷しほりがメッセージ!”. シネマトゥデイ (2008年6月26日). 2016年8月16日閲覧。
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  42. ^ おしん : 映画版母親役に上戸彩 主役は新人子役の濱田ここね”. まんたんウェブ (2013年2月5日). 2013年2月5日閲覧。
  43. ^ 上戸彩、『おしん』クランクアップで濱田ここねを抱擁「一生親友でいたい」”. マイナビニュース (2013年4月4日). 2013年7月21日閲覧。
  44. ^ 「2013年 日本映画・外国映画業界総決算」『キネマ旬報(2月下旬決算特別号)』第1656号、キネマ旬報社、2014年、201頁。 
  45. ^ TVステーションダイヤモンド社)関東版2016年1号 84頁

関連項目

外部リンク

NHK 連続テレビ小説
前番組 番組名 次番組
おしん
(1983年度通年)
NHK BS2 連続テレビ小説・アンコール
おしん