鳩子の海
鳩子の海 | |
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ジャンル | ドラマ |
原作 | 林秀彦 |
脚本 | 中井多津夫 |
出演者 |
斉藤こず恵 藤田美保子 岡田裕介 夏八木勲 |
ナレーター | 藤田美保子 |
時代設定 | 昭和20年 - 昭和50年 |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1974年4月1日 - 1975年4月5日 |
放送時間 | 月曜 - 土曜 8:15 - 8:30 |
放送枠 | 連続テレビ小説 |
放送分 | 15分 |
回数 | 312 |
番組年表 | |
前作 | 北の家族 |
次作 | 水色の時 |
『鳩子の海』(はとこのうみ)は、1974年(昭和49年)4月1日から1975年(昭和50年)4月5日まで放送されたNHK連続テレビ小説の第14作。
概要
[編集]広島への原爆投下など、戦争のショックで記憶を失い、瀬戸内の港町(山口県熊毛郡上関町[1])で育てられた少女の放浪の軌跡を描いた[2]。なお、このドラマの舞台の一つとなった結城紬の産地問屋・奥順の「結城紬ミュージアム つむぎの館」(茨城県結城市)には、2024年時点においても本作の資料が保管されている[3]。
ヒロインの子役を演じた斎藤こず恵はこの作品でデビューし、第7回テレビ大賞特別賞を受賞した。また鳩子の青年期を演じた藤田美保子は、このドラマの主要舞台である山口県の出身である。
放送中、番組を見たという広島市在住の被爆者の老人(男性)が、市内萬代橋近くで見たという被爆後の惨状を描いた絵を広島放送局に持参してきた。広島局ではこれをきっかけに市民から原爆の絵を募集したところ、多くの絵が寄せられた。以後広島局では原爆体験を後世に伝える活動を続けており、毎年手紙を募集して8月6日前後に放送で紹介している(詳細は原爆の絵運動参照)。
劇中で頻繁に流され本作品「イメージソング」的位置づけになっている挿入歌「日本よ日本」は、戦争末期、軍を脱走中の天兵と出会った少女時代の鳩子が、戦意高揚のための歌曲募集に応募するため天兵とともに即興で作詞作曲した歌という設定である。
1974年8月28日、「台本執筆の遅れその他」を理由に脚本を林秀彦から中井多津夫に交代させるとNHKが発表した[4]。交代に関して放送作家組合から抗議が来たため、9月3日には中井の担当を第27週から31週のみとした[5]。また、こういうことがあったため1年間の放送はリスクがあるとの判断から次作品から半年間の放送になり、1年間放送の作品は1983年度の『おしん』まで途絶えた[6]。
1974年から1975年の平均視聴率は47.2%、最高視聴率は53.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[7]。
放送ライブラリーでは第1回が公開[8]。
キャスト
[編集]- 鳩子(桃宴仮名子)
- 演 - 藤田美保子(幼少期: 斉藤こず恵)
- 夫・榊原清久
- 演 - 岡田裕介
- 矢部天兵
- 演 - 夏八木勲
- 宮前[9]時子
- 演 - 小林千登勢
- 娘・優子
- 演 - 伊藤めぐみ
- 祖父・軍吉
- 演 - 吉田義夫
- 祖母・波江
- 演 - 滝奈保栄
- 民夫
- 演 - 樋浦勉
- 国行先生(国行誠二)
- 演 - 森下哲夫
- 冬人
- 演 - 堀内正美
- 人兵
- 演 - 嵐勘忍
- 太郎
- 演 - 長谷川淳史
- 吉川
- 演 - 岩井正博
- 初音
- 演 - 池波志乃
- その他
- 演 - 進藤英太郎、鈴木光枝、高橋悦史、伊藤つかさ、柳川慶子
スタッフ
[編集]- 原作 - 林秀彦[8]
- 脚本 - 中井多津夫[9]
- 音楽 - 冬木透[8]
- イメージソング「日本よ日本」(作詞 - 林秀彦、作曲・編曲 - 冬木透、歌 - 斎藤こず恵)
- 題字 - 堀桂琴[8]
- 制作 - 浦野進[8]
- 美術 - 金沢譲太郎[8]
- 技術 - 吉村政明[8]
- 効果 - 柏原宣一[8]
- 演出 - 都成潔[8]、安江泰雅
- 語り - 藤田美保子
映像の現存状況
[編集]- NHK公式には第1回、最終回及び家庭用VTRで寄贈された38話分が現存されている。当時は放送局用ビデオテープ(2インチVTR)が非常に高価で大型だったために放送終了後に別作品を撮影するため上書き消去された。
脚注
[編集]- ^ 【上関『鳩子の海』の舞台となる】 - 上関町商工会 「鳩子の海」始末記
- ^ 「TV joho」『映画情報』第39巻第2号、国際情報社、1974年2月1日、68頁、NDLJP:10339876/68。
- ^ “朝ドラ「鳩子の海」から50年 出生の秘密ひも解いた「結城紬」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2024年7月22日) 2024年8月10日閲覧。
- ^ 「放送デスクメモ(′74・7月~8月)」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第86号、日本マスコミ市民会議、1974年10月1日、56 - 57頁、NDLJP:3463747/30。
- ^ 「放送デスクメモ(′74・8月〜9月)」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第87号、日本マスコミ市民会議、1974年12月1日、56 - 57頁、NDLJP:3463748/30。
- ^ “❷Ⅰ期1作目『娘と私』から14作目『鳩子の海』まで(1961〜 1974)” (PDF). メディア研究部. NHK放送文化研究所. p. 17 (2020年1月30日). 2024年1月18日閲覧。
- ^ “No.110 NHK朝の連続テレビ小説に玉川学園・玉川大学出身者が多数出演”. 玉川豆知識. 玉川学園. 2024年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 放送ライブラリー program番号:177831
- ^ a b “第14作 「鳩子の海」”. 朝ドラ100. NHK. 2024年1月18日閲覧。
- ^ 番組には夫婦と家族の思い出が!俳優・山本耕一さん - NHK番組発掘プロジェクト通信
関連文献
[編集]- 林秀彦『鳩子 1(海流篇)』日本放送出版協会、1974年7月25日。
- 林秀彦『鳩子 2(風紋篇)』日本放送出版協会、1974年12月1日。
- 林秀彦『鳩子 3(天象篇)』日本放送出版協会、1975年4月1日。
外部リンク
[編集]- 連続テレビ小説 鳩子の海 - NHK放送史
- 連続テレビ小説「鳩子の海」 - NHKドラマ - ウェイバックマシン(2024年2月26日アーカイブ分)
- 第14作「鳩子の海」 - NHK朝ドラ100
NHK 連続テレビ小説 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
北の家族
(1973年度) |
鳩子の海
(1974年度) |
水色の時
(1975年度上半期) |