コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「北勝富士大輝」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
40行目: 40行目:
大学卒業後は八角親方(第61代[[横綱]]・[[北勝海信芳|北勝海]])の相撲に憧れて[[八角部屋]]に入門<ref>[http://www.daily.co.jp/sumo/2015/02/13/0007735838.shtml 元学生横綱の中村「白鵬と対戦したい」] デイリースポーツonline 2015年2月13日(2015年11月12日閲覧)</ref>。入門の動機として八角部屋のゼネラルマネージャーである長谷川秀一に誘われたという点も大きい。<ref name="tokushu"/>[[2015年]]3月場所で初土俵を踏み、[[前相撲]]は2連勝で1番出世<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/03/12/0007813086.shtml 宇良、一番出世で披露 早くも人気抜群] デイリースポーツonline 2015年3月12日(2015年11月12日閲覧)</ref>。入門同期生には[[御嶽海久司|御嶽海]]、[[宇良和輝|宇良]]らがいる<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/02/28/kiji/K20150228009890950.html 新弟子検査 43人全員が合格 元ボディビルダーに注目] スポニチアネックス 2015年2月28日(2015年11月12日閲覧)</ref>。初めて[[序ノ口]]の番付に名前が載った5月場所は4日目に宇良に破れてプロ初黒星を喫したが、残りは全て勝って6勝1敗<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2015年7月号(名古屋場所展望号) 51頁</ref>。序二段で迎えた7月場所は、両目の結膜炎で稽古不足ながら、7戦全勝で宇良との[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]に進み、雪辱を果たして序二段優勝<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2015年9月号(秋場所展望号) 59頁</ref>。続く9月場所は三段目で7戦全勝優勝<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/09/25/kiji/K20150925011202270.html三段目は大輝が優勝 序ノ口は19歳黒沢がV 幕下大混戦] スポニチアネックス 2015年9月25日(2015年1月12日閲覧) </ref>。11月場所で幕下に昇進後も4場所連続で勝ち越し、負け越し知らずで2016年7月場所での新十両昇進が決定した<ref>{{Cite news |title=新十両に大輝と浜口=大相撲 |newspaper=時事ドットコム |date=2016-05-25 |url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052500194&g=spo |accessdate=2016-05-25}}</ref>。7月場所の大相撲中継の新十両紹介コーナーでは「御嶽海関を超すのが目標」と話し、この場所は10勝5敗の勝ち越しに終わった。<ref>『大相撲ジャーナル』2016年9月号33ページ</ref>十両2場所目の9月場所では初日黒星発進から最終的に12勝3敗の好成績を挙げて十両優勝を果たした。この好成績により11月場所では新入幕を果たし、同時に四股名を「北勝富士」に改めた<ref>由来は、北勝は、師匠の[[八角]]親方の現役名[[北勝海]]より2文字とり、富士は、師匠の師匠で、現在は、大相撲の解説者の[[北の富士]]より2文字とったとしている。</ref><ref name=sponichi161101>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/01/kiji/K20161101013638830.html|title=大輝から改名北勝富士 10場所で新入幕!史上2番目の早さ|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-11-01|accessdate=2016-11-01}}</ref>。前相撲から所要10場所での新入幕は年6場所制が定着した1958年以降に初土俵を踏んだ力士としては大砂嵐に並び2番目のスピード出世<ref>東京新聞 2016年11月1日 朝刊</ref>。北勝富士は福岡市南区の八角部屋の宿舎で新入幕会見を行い「早く番付を駆け上がりたいという強い気持ちでやってきたのでうれしいです」と喜びを語った。さらに「名前を汚さないようさらに精進して頑張りたいです」と決意を語り、今後対戦したい力士として同学年で大学時代にしのぎを削った新小結・御嶽海と同じ高校の先輩の[[大関]]・[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]を挙げた。八角親方は「いい名前と言われるかどうかは自分の頑張りしだい。新入幕でどこまでやるか楽しみだね」と期待を寄せていた<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161031/k10010750851000.html 新入幕で新しこ名 北勝富士「名前汚さぬよう精進」] NHK 10月31日 18時26分</ref>。10月3日、[[所沢市役所]]を訪れ、藤本正人市長に優勝を報告した。北勝富士は「偉大な二人の名前をいただいたので、一層稽古に励みたい。どんどん前に出て、相手の嫌がる相撲をしたい」と力を込めた。市側から市観光大使への就任を要請された北勝富士は、これを快諾した一方、藤本市長に地元の後援会長就任を要請。藤本市長は「横綱を目指して頑張って」とエールを送った。<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201610/CK2016100502000193.html 大輝改め「北勝富士」 地元・所沢市長に十両優勝を報告]東京新聞 2016年10月5日</ref>この新入幕の場所では9勝6敗と勝ち越した。
大学卒業後は八角親方(第61代[[横綱]]・[[北勝海信芳|北勝海]])の相撲に憧れて[[八角部屋]]に入門<ref>[http://www.daily.co.jp/sumo/2015/02/13/0007735838.shtml 元学生横綱の中村「白鵬と対戦したい」] デイリースポーツonline 2015年2月13日(2015年11月12日閲覧)</ref>。入門の動機として八角部屋のゼネラルマネージャーである長谷川秀一に誘われたという点も大きい。<ref name="tokushu"/>[[2015年]]3月場所で初土俵を踏み、[[前相撲]]は2連勝で1番出世<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/03/12/0007813086.shtml 宇良、一番出世で披露 早くも人気抜群] デイリースポーツonline 2015年3月12日(2015年11月12日閲覧)</ref>。入門同期生には[[御嶽海久司|御嶽海]]、[[宇良和輝|宇良]]らがいる<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/02/28/kiji/K20150228009890950.html 新弟子検査 43人全員が合格 元ボディビルダーに注目] スポニチアネックス 2015年2月28日(2015年11月12日閲覧)</ref>。初めて[[序ノ口]]の番付に名前が載った5月場所は4日目に宇良に破れてプロ初黒星を喫したが、残りは全て勝って6勝1敗<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2015年7月号(名古屋場所展望号) 51頁</ref>。序二段で迎えた7月場所は、両目の結膜炎で稽古不足ながら、7戦全勝で宇良との[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]に進み、雪辱を果たして序二段優勝<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2015年9月号(秋場所展望号) 59頁</ref>。続く9月場所は三段目で7戦全勝優勝<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/09/25/kiji/K20150925011202270.html三段目は大輝が優勝 序ノ口は19歳黒沢がV 幕下大混戦] スポニチアネックス 2015年9月25日(2015年1月12日閲覧) </ref>。11月場所で幕下に昇進後も4場所連続で勝ち越し、負け越し知らずで2016年7月場所での新十両昇進が決定した<ref>{{Cite news |title=新十両に大輝と浜口=大相撲 |newspaper=時事ドットコム |date=2016-05-25 |url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052500194&g=spo |accessdate=2016-05-25}}</ref>。7月場所の大相撲中継の新十両紹介コーナーでは「御嶽海関を超すのが目標」と話し、この場所は10勝5敗の勝ち越しに終わった。<ref>『大相撲ジャーナル』2016年9月号33ページ</ref>十両2場所目の9月場所では初日黒星発進から最終的に12勝3敗の好成績を挙げて十両優勝を果たした。この好成績により11月場所では新入幕を果たし、同時に四股名を「北勝富士」に改めた<ref>由来は、北勝は、師匠の[[八角]]親方の現役名[[北勝海]]より2文字とり、富士は、師匠の師匠で、現在は、大相撲の解説者の[[北の富士]]より2文字とったとしている。</ref><ref name=sponichi161101>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/01/kiji/K20161101013638830.html|title=大輝から改名北勝富士 10場所で新入幕!史上2番目の早さ|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-11-01|accessdate=2016-11-01}}</ref>。前相撲から所要10場所での新入幕は年6場所制が定着した1958年以降に初土俵を踏んだ力士としては大砂嵐に並び2番目のスピード出世<ref>東京新聞 2016年11月1日 朝刊</ref>。北勝富士は福岡市南区の八角部屋の宿舎で新入幕会見を行い「早く番付を駆け上がりたいという強い気持ちでやってきたのでうれしいです」と喜びを語った。さらに「名前を汚さないようさらに精進して頑張りたいです」と決意を語り、今後対戦したい力士として同学年で大学時代にしのぎを削った新小結・御嶽海と同じ高校の先輩の[[大関]]・[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]を挙げた。八角親方は「いい名前と言われるかどうかは自分の頑張りしだい。新入幕でどこまでやるか楽しみだね」と期待を寄せていた<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161031/k10010750851000.html 新入幕で新しこ名 北勝富士「名前汚さぬよう精進」] NHK 10月31日 18時26分</ref>。10月3日、[[所沢市役所]]を訪れ、藤本正人市長に優勝を報告した。北勝富士は「偉大な二人の名前をいただいたので、一層稽古に励みたい。どんどん前に出て、相手の嫌がる相撲をしたい」と力を込めた。市側から市観光大使への就任を要請された北勝富士は、これを快諾した一方、藤本市長に地元の後援会長就任を要請。藤本市長は「横綱を目指して頑張って」とエールを送った。<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201610/CK2016100502000193.html 大輝改め「北勝富士」 地元・所沢市長に十両優勝を報告]東京新聞 2016年10月5日</ref>この新入幕の場所では9勝6敗と勝ち越した。


幕内上位も窺う西前頭5枚目まで番付を上げた[[2017年]]3月場所は、場所直前に右ふくらはぎの[[肉離れ]]というアクシデントの影響もあって前半戦では5連敗を喫するなど不調であった<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2017年4月号(春場所総決算号) 62頁</ref>。後半戦で立て直したが、14日目に入門以来初となる負け越しが決定した。この場所9日目の[[貴ノ岩義司|貴ノ岩]]戦では流血するハプニングがあった<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20170320/sum17032019570010-n1.html 流血の北勝富士「終わった時はくらくらで倒れそうだった」] SANSPO.COM 2017.3.20 19:57</ref>。しかし怪我をした中で7勝を挙げ、これにより「自分の力を出せれば負けない」という自信が付いた<ref name="yukina"/>5月場所は東前頭7枚目の地位で10勝5敗の好成績を残し、これは自身初の幕内二桁勝利。初の上位対戦となる西前頭2枚目に番付を上げた7月場所は、初日に新大関・[[髙安晃|安]]を破ると、3日目には横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]を押し出しで破り初金星を上げた。3日目の支度部屋では「最高の舞台に立てて、やる前から鳥肌が立っていた。(勝ち残りで)たまりに座っていても、何が何だか分からなかった。目頭が熱くなった」と横綱初挑戦にして金星を獲得したことに興奮気味であった<ref>『大相撲中継』2017年8月12日号 p31</ref>。この場所は14日目に[[石浦将勝|石浦]]を押し出して勝ち越しを決め、[[三賞]]選考会で千秋楽の勝利を条件に敢闘賞の候補に挙がった<ref>『大相撲中継』2017年8月12日号 p4</ref>が、[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]に渡し込みで敗れて自身初の三賞を逃した。北勝富士は三賞について「意識しない方がおかしい。嫌でも耳に入る。調子は良かったが緊張が勝った」と残念がっていた<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20170723/sum17072320430018-n1.html 敗れて技能賞を逃した嘉風「いろんなものが懸かっていたので(体が)動かなかったかもしれない。文句なしでもらえるようにしたい」]SANSPO.COM 2017.7.23 20:43</ref>。8月1日の夏巡業豊田場所では髙安の胸を借りて三番稽古を9番行った様子が伝えられている。最後の1番だけ押し出すことが出来たが、「僕の息が上がっていたので力を抜いて形にしてくれた」と謙遜<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1865492.html 北勝富士へとへと「空気だけで疲れて」高安と9番] 日刊スポーツ 2017年8月1日16時8分</ref>。その他にも夏巡業では上位陣にたっぷりと胸を借りた<ref>『大相撲中継』2017年9月16日号 p5</ref>。7日の本庄場所では同じ埼玉県出身の[[大栄翔勇人|大栄翔]]と並んで握手会を行った<ref>『大相撲中継』2017年9月16日号 p11</ref>。引き続き上位対戦となる東前頭2枚目の地位で迎えた9月場所では、[[日馬富士公平|日馬富士]]を破り2つ目の金星を挙げる活躍を見せたものの、場所中に左手首を骨折した影響もあり12日目に負け越しが決まったが、13日目から3連勝して7勝8敗。本人は後に骨折した左手首について「その中でよく7勝できたな」と振り返っている<ref name="yukina"/>。続く11月場所は、7日目に初顔合わせとの横綱・[[稀勢の里寛|稀勢の里]]を寄り切りで破り、3場所連続3つ目の金星を上げた。激闘に興奮した観客席からは、座布団の代わりに何故かトイレットペーパーが飛んだという<ref>[https://mainichi.jp/articles/20171119/ddm/035/050/153000c 大相撲九州場所 北勝富士、稀勢を撃破]毎日新聞 2017年11月19日 東京朝刊</ref><ref>九州場所に限り、座布団は[[枡席]]に固定されて投げられない仕様になっている。
幕内上位も窺う西前頭5枚目まで番付を上げた[[2017年]]3月場所は、場所直前に右ふくらはぎの[[肉離れ]]というアクシデントの影響もあって前半戦では5連敗を喫するなど不調であった<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2017年4月号(春場所総決算号) 62頁</ref>。後半戦で立て直したが、14日目に入門以来初となる負け越しが決定した。この場所9日目の[[貴ノ岩義司|貴ノ岩]]戦では流血するハプニングがあった<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20170320/sum17032019570010-n1.html 流血の北勝富士「終わった時はくらくらで倒れそうだった」] SANSPO.COM 2017.3.20 19:57</ref>。しかし怪我をした中で7勝を挙げ、これにより「自分の力を出せれば負けない」という自信が付いた<ref name="yukina"/>5月場所は東前頭7枚目の地位で10勝5敗の好成績を残し、これは自身初の幕内二桁勝利。初の上位対戦となる西前頭2枚目に番付を上げた7月場所は、初日に新大関・[[髙安晃|安]]を破ると、3日目には横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]を押し出しで破り初金星を上げた。3日目の支度部屋では「最高の舞台に立てて、やる前から鳥肌が立っていた。(勝ち残りで)たまりに座っていても、何が何だか分からなかった。目頭が熱くなった」と横綱初挑戦にして金星を獲得したことに興奮気味であった<ref>『大相撲中継』2017年8月12日号 p31</ref>。この場所は14日目に[[石浦将勝|石浦]]を押し出して勝ち越しを決め、[[三賞]]選考会で千秋楽の勝利を条件に敢闘賞の候補に挙がった<ref>『大相撲中継』2017年8月12日号 p4</ref>が、[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]に渡し込みで敗れて自身初の三賞を逃した。北勝富士は三賞について「意識しない方がおかしい。嫌でも耳に入る。調子は良かったが緊張が勝った」と残念がっていた<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20170723/sum17072320430018-n1.html 敗れて技能賞を逃した嘉風「いろんなものが懸かっていたので(体が)動かなかったかもしれない。文句なしでもらえるようにしたい」]SANSPO.COM 2017.7.23 20:43</ref>。8月1日の夏巡業豊田場所では髙安の胸を借りて三番稽古を9番行った様子が伝えられている。最後の1番だけ押し出すことが出来たが、「僕の息が上がっていたので力を抜いて形にしてくれた」と謙遜<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1865492.html 北勝富士へとへと「空気だけで疲れて」高安と9番] 日刊スポーツ 2017年8月1日16時8分</ref>。その他にも夏巡業では上位陣にたっぷりと胸を借りた<ref>『大相撲中継』2017年9月16日号 p5</ref>。7日の本庄場所では同じ埼玉県出身の[[大栄翔勇人|大栄翔]]と並んで握手会を行った<ref>『大相撲中継』2017年9月16日号 p11</ref>。引き続き上位対戦となる東前頭2枚目の地位で迎えた9月場所では、[[日馬富士公平|日馬富士]]を破り2つ目の金星を挙げる活躍を見せたものの、場所中に左手首を骨折した影響もあり12日目に負け越しが決まったが、13日目から3連勝して7勝8敗。本人は後に骨折した左手首について「その中でよく7勝できたな」と振り返っている<ref name="yukina"/>。続く11月場所は、7日目に初顔合わせとの横綱・[[稀勢の里寛|稀勢の里]]を寄り切りで破り、3場所連続3つ目の金星を上げた。激闘に興奮した観客席からは、座布団の代わりに何故かトイレットペーパーが飛んだという<ref>[https://mainichi.jp/articles/20171119/ddm/035/050/153000c 大相撲九州場所 北勝富士、稀勢を撃破]毎日新聞 2017年11月19日 東京朝刊</ref><ref>九州場所に限り、座布団は[[枡席]]に固定されて投げられない仕様になっている。
: 出典:[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/19/kiji/K20161119013746890.html 波乱が起きても座布団が舞うことのない九州場所]スポニチ 2016年11月19日 10:40</ref>。その日の支度部屋では「前の2個より(力を)出し切ったし、取り口を覚えています。うれし涙は3個目だから、いいですよ」と笑顔で答えている<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201711180000655.html 北勝富士「慌ててくれて」稀勢の里撃破を振り返る]日刊スポーツ 2017年11月18日20時54分</ref>。10日目の千代大龍戦で勝ち越しを果たしたが、この日(11月21日)は父親の誕生日であり、北勝富士は「相手の引きは頭にあったので、前に前に意識して出ました。今日は父親の誕生日なんで、勝ち越せて良かったです。全体的に前に出ているんで良かったです。(兄弟子の)隠岐の海も勝ち越し? 2人で勝ち越せて良かったです」とコメントしている<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20171121-OHT1T50104.html 北勝富士、千代大龍下し8勝目!「父親の誕生日なんで勝ち越せて良かった」] 2017年11月21日17時23分 スポーツ報知(報知新聞社、2017年11月25日閲覧)</ref>。最終的のこの場所は11勝4敗で技能賞を獲得。2018年1月場所は、三役から平幕に落ちる星の力士がいなかったため、前場所から2枚半上昇にとどまる東前頭筆頭で迎えた。平幕で11勝の翌場所に三役に昇進できなかった例では、最も少ない昇進幅となった<ref name="chukeihokutyo">『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78</ref>。この場所不調の白鵬から金星を獲得した以外は振るわず、最終的に自身初の2桁黒星となる4勝11敗の大敗を喫した。因みに4場所連続金星獲得は幕内では1999年5月場所の[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]以来史上2例目<ref name="chukeihokutyo"/>。続く3月場所は5枚半下降とやや番付運に恵まれ西前頭6枚目の地位に就いた。9月場所は初日から7連勝で、特に序盤の5番は5勝中4勝が押し出しと押しが冴えに冴えていた<ref>『相撲』2018年10月号 p.28</ref>。この場所は後半失速して9勝6敗に終わるが、勝った9番中6番が押し出しであった。2019年1月場所は6日目から2日連続で不戦勝を勝ち取る幸運に恵まれ(後述)、9勝6敗の勝ち越し。これによって続く3月場所は新小結(西小結)となったが、大関以上には[[角番]]大関の[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]にしか勝てないなど幕内上位の壁に阻まれ、11日目に負け越しを確定させた。時事通信も「存在感示せず」と残念がり、本人も場所中の支度部屋で「三役になって満足をしてしまったのかも。もっと向上心を持たないといけない。地力、馬力もまだまだ足りない」と反省の弁を続けた<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032001157&g=spo 北勝富士、存在感示せず=大相撲春場所] JIJI.COM
: 出典:[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/19/kiji/K20161119013746890.html 波乱が起きても座布団が舞うことのない九州場所]スポニチ 2016年11月19日 10:40</ref>。その日の支度部屋では「前の2個より(力を)出し切ったし、取り口を覚えています。うれし涙は3個目だから、いいですよ」と笑顔で答えている<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201711180000655.html 北勝富士「慌ててくれて」稀勢の里撃破を振り返る]日刊スポーツ 2017年11月18日20時54分</ref>。10日目の千代大龍戦で勝ち越しを果たしたが、この日(11月21日)は父親の誕生日であり、北勝富士は「相手の引きは頭にあったので、前に前に意識して出ました。今日は父親の誕生日なんで、勝ち越せて良かったです。全体的に前に出ているんで良かったです。(兄弟子の)隠岐の海も勝ち越し? 2人で勝ち越せて良かったです」とコメントしている<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20171121-OHT1T50104.html 北勝富士、千代大龍下し8勝目!「父親の誕生日なんで勝ち越せて良かった」] 2017年11月21日17時23分 スポーツ報知(報知新聞社、2017年11月25日閲覧)</ref>。最終的のこの場所は11勝4敗で技能賞を獲得。2018年1月場所は、三役から平幕に落ちる星の力士がいなかったため、前場所から2枚半上昇にとどまる東前頭筆頭で迎えた。平幕で11勝の翌場所に三役に昇進できなかった例では、最も少ない昇進幅となった<ref name="chukeihokutyo">『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78</ref>。この場所不調の白鵬から金星を獲得した以外は振るわず、最終的に自身初の2桁黒星となる4勝11敗の大敗を喫した。因みに4場所連続金星獲得は幕内では1999年5月場所の[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]以来史上2例目<ref name="chukeihokutyo"/>。続く3月場所は5枚半下降とやや番付運に恵まれ西前頭6枚目の地位に就いた。9月場所は初日から7連勝で、特に序盤の5番は5勝中4勝が押し出しと押しが冴えに冴えていた<ref>『相撲』2018年10月号 p.28</ref>。この場所は後半失速して9勝6敗に終わるが、勝った9番中6番が押し出しであった。2019年1月場所は6日目から2日連続で不戦勝を勝ち取る幸運に恵まれ(後述)、9勝6敗の勝ち越し。これによって続く3月場所は新小結(西小結)となったが、大関以上には[[角番]]大関の[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]にしか勝てないなど幕内上位の壁に阻まれ、11日目に負け越しを確定させた。時事通信も「存在感示せず」と残念がり、本人も場所中の支度部屋で「三役になって満足をしてしまったのかも。もっと向上心を持たないといけない。地力、馬力もまだまだ足りない」と反省の弁を続けた<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032001157&g=spo 北勝富士、存在感示せず=大相撲春場所] JIJI.COM
2019年03月20日19時48分 (時事通信社、2019年3月21日閲覧)</ref>が、残りの4日は全勝して7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。9月場所は1番も勝てず休場した白鵬からの金星を除いて大関以上からは白星を奪えず、7日目まで1勝6敗と上位の壁に阻まれたが、残りの小結以下との対戦では全勝して9勝6敗と勝ち越した。三役に復帰し、自己最高位の東小結で迎えた九州場所は、三役以上からの白星は関脇の御嶽海と不調の大関の高安からのみで、6日目まで4勝2敗と序盤は好調であったものの7日目から5連敗と途中から崩れ、13日目に負け越しを確定させる。残りを2連勝して7勝8敗と踏みとどまったが、平幕への陥落は決定的となり三役の壁に阻まれた結果となった。
2019年03月20日19時48分 (時事通信社、2019年3月21日閲覧)</ref>が、残りの4日は全勝して7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。9月場所は1番も勝てず休場した白鵬からの金星を除いて大関以上からは白星を奪えず、7日目まで1勝6敗と上位の壁に阻まれたが、残りの小結以下との対戦では全勝して9勝6敗と勝ち越した。三役に復帰し、自己最高位の東小結で迎えた九州場所は、三役以上からの白星は関脇の御嶽海と不調の大関の高安からのみで、6日目まで4勝2敗と序盤は好調であったものの7日目から5連敗と途中から崩れ、13日目に負け越しを確定させる。残りを2連勝して7勝8敗と踏みとどまったが、平幕への陥落は決定的となり三役の壁に阻まれた結果となった。

2020年6月23日 (火) 01:22時点における版

北勝富士 大輝
基礎情報
四股名 大輝 → 北勝富士
本名 中村 大輝
愛称 ダイキ[1]
生年月日 (1992-07-15) 1992年7月15日(32歳)
出身 埼玉県所沢市
身長 185cm
体重 164kg
BMI 48.44
所属部屋 八角部屋
得意技 押し
成績
現在の番付 西前頭5枚目
最高位 東小結
生涯戦歴 226勝164敗4休(31場所)
幕内戦歴 165勝146敗4休(21場所)
優勝 十両優勝1回
三段目優勝1回
序二段優勝1回
技能賞2回
データ
初土俵 2015年3月場所
入幕 2016年11月場所
趣味 ダーツ、YouTube閲覧[1]ミュージカル鑑賞[2]
備考
金星7個(白鵬2個、日馬富士1個、鶴竜2個、稀勢の里2個)
2020年4月27日現在

北勝富士 大輝(ほくとふじ だいき、1992年7月15日 - )は、埼玉県所沢市久米出身で、八角部屋所属の現役大相撲力士。本名は中村 大輝(なかむら だいき)。身長184cm、体重164kg、血液型はA型[3]。得意技は押し。最高位は東小結2020年3月場所)。好物はステーキ寿司。嫌いなものは梅干し辛い物[1]。所沢市出身者初の幕内力士[4]。平成4年度生まれの関取を指す、「花のヨン組」の1人[5]

来歴

アマチュア時代

乳児期には9つ上の姉がミルクやおむつの世話をしばしば行っていたが目を離すとすぐにその場からいなくなる子であったため、外を歩くときは縄跳びの縄で縛っての散歩のようにして、どこかに行ってしまわないようにされた[6]。幼稚園児の頃、デパートで迷子になる度に自ら迷子係の所へ行き「お母さんが迷子になっているから、放送してください」と頼み、次第に両親も中村がいなくなっても心配せず放送を待つようになった[6]。幼少期よりサッカー水泳など多くのスポーツに親しんでおり、おむつをつけているときからやっていたスキーの腕前は3歳の頃に上級者コースで滑るほどであった[6]。所沢市のわんぱく相撲で小学2年生、3年生のときに続けて同じ相手に負けて準優勝に終わったため、優勝トロフィーが欲しさに[6]所沢市立南小学校4年生から地元の相撲道場である入間少年相撲クラブに通った[7]。クラブに通ったばかりの頃は弱く、稽古でも同級生に勝てず大会でも1回戦で負けてばかりであったため、親から「お前、見込みないからやめちゃえ」と言われたこともあり、本人はそう言われるたびに歯を食いしばって稽古した[6]。小学5年生の頃から急激に強くなり、埼玉県内では無敵になった。6年生のときにクラブが埼玉県の大会で初めて優勝して監督が喜んだのは中村にとって良い思い出である[6]所沢市立南陵中学校では柔道部に所属し、市大会で優勝の実績を持つが、相撲の大会と日程が重なったため県大会は欠場した[8]。相撲のほうは中学2年生で立川錬成館に移籍[9]。3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で優勝している[10]が、うれしさのあまり気持ちが高ぶって過呼吸になったため団体戦は欠場した[6]埼玉栄高校に進学すると3年次に高校総体で優勝し、高校横綱のタイトルを獲得した[11]。埼玉栄高校の相撲部監督である山田道紀からは挨拶や礼儀、相手を思いやる気持ちや感謝の心を学んだ。相撲が取れるのは周囲の人物のおかげであり、決して当たり前のことではないということを学んだ[12]日本体育大学体育学部武道学科進学後は2年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会135キロ以上級に優勝[13]して個人初タイトルを獲得。同じ年には全国学生相撲選手権大会個人優勝し、大相撲幕下15枚目格付出資格を獲得した[14]。3年次には国体相撲競技成年男子の部で優勝し、タイトル獲得から1年間しか行使できない幕下15枚目格付出資格を再取得[15]。しかし、大学まで行かせてくれた両親のことや、当時履修中だった教職課程のことがあって中退はせず[16][17]、最終的に大学では個人タイトル13冠となったが[18]、4年次に幕下付出資格を得られる3大タイトルを1つも獲得できずに幕下付出の権利を失った[19]

大相撲入門後

大学卒業後は八角親方(第61代横綱北勝海)の相撲に憧れて八角部屋に入門[20]。入門の動機として八角部屋のゼネラルマネージャーである長谷川秀一に誘われたという点も大きい。[1]2015年3月場所で初土俵を踏み、前相撲は2連勝で1番出世[21]。入門同期生には御嶽海宇良らがいる[22]。初めて序ノ口の番付に名前が載った5月場所は4日目に宇良に破れてプロ初黒星を喫したが、残りは全て勝って6勝1敗[23]。序二段で迎えた7月場所は、両目の結膜炎で稽古不足ながら、7戦全勝で宇良との優勝決定戦に進み、雪辱を果たして序二段優勝[24]。続く9月場所は三段目で7戦全勝優勝[25]。11月場所で幕下に昇進後も4場所連続で勝ち越し、負け越し知らずで2016年7月場所での新十両昇進が決定した[26]。7月場所の大相撲中継の新十両紹介コーナーでは「御嶽海関を超すのが目標」と話し、この場所は10勝5敗の勝ち越しに終わった。[27]十両2場所目の9月場所では初日黒星発進から最終的に12勝3敗の好成績を挙げて十両優勝を果たした。この好成績により11月場所では新入幕を果たし、同時に四股名を「北勝富士」に改めた[28][29]。前相撲から所要10場所での新入幕は年6場所制が定着した1958年以降に初土俵を踏んだ力士としては大砂嵐に並び2番目のスピード出世[30]。北勝富士は福岡市南区の八角部屋の宿舎で新入幕会見を行い「早く番付を駆け上がりたいという強い気持ちでやってきたのでうれしいです」と喜びを語った。さらに「名前を汚さないようさらに精進して頑張りたいです」と決意を語り、今後対戦したい力士として同学年で大学時代にしのぎを削った新小結・御嶽海と同じ高校の先輩の大関豪栄道を挙げた。八角親方は「いい名前と言われるかどうかは自分の頑張りしだい。新入幕でどこまでやるか楽しみだね」と期待を寄せていた[31]。10月3日、所沢市役所を訪れ、藤本正人市長に優勝を報告した。北勝富士は「偉大な二人の名前をいただいたので、一層稽古に励みたい。どんどん前に出て、相手の嫌がる相撲をしたい」と力を込めた。市側から市観光大使への就任を要請された北勝富士は、これを快諾した一方、藤本市長に地元の後援会長就任を要請。藤本市長は「横綱を目指して頑張って」とエールを送った。[32]この新入幕の場所では9勝6敗と勝ち越した。

幕内上位も窺う西前頭5枚目まで番付を上げた2017年3月場所は、場所直前に右ふくらはぎの肉離れというアクシデントの影響もあって前半戦では5連敗を喫するなど不調であった[33]。後半戦で立て直したが、14日目に入門以来初となる負け越しが決定した。この場所9日目の貴ノ岩戦では流血するハプニングがあった[34]。しかし怪我をした中で7勝を挙げ、これにより「自分の力を出せれば負けない」という自信が付いた[12]5月場所は東前頭7枚目の地位で10勝5敗の好成績を残し、これは自身初の幕内二桁勝利。初の上位対戦となる西前頭2枚目に番付を上げた7月場所は、初日に新大関・髙安を破ると、3日目には横綱・鶴竜を押し出しで破り初金星を上げた。3日目の支度部屋では「最高の舞台に立てて、やる前から鳥肌が立っていた。(勝ち残りで)たまりに座っていても、何が何だか分からなかった。目頭が熱くなった」と横綱初挑戦にして金星を獲得したことに興奮気味であった[35]。この場所は14日目に石浦を押し出して勝ち越しを決め、三賞選考会で千秋楽の勝利を条件に敢闘賞の候補に挙がった[36]が、琴奨菊に渡し込みで敗れて自身初の三賞を逃した。北勝富士は三賞について「意識しない方がおかしい。嫌でも耳に入る。調子は良かったが緊張が勝った」と残念がっていた[37]。8月1日の夏巡業豊田場所では髙安の胸を借りて三番稽古を9番行った様子が伝えられている。最後の1番だけ押し出すことが出来たが、「僕の息が上がっていたので力を抜いて形にしてくれた」と謙遜[38]。その他にも夏巡業では上位陣にたっぷりと胸を借りた[39]。7日の本庄場所では同じ埼玉県出身の大栄翔と並んで握手会を行った[40]。引き続き上位対戦となる東前頭2枚目の地位で迎えた9月場所では、日馬富士を破り2つ目の金星を挙げる活躍を見せたものの、場所中に左手首を骨折した影響もあり12日目に負け越しが決まったが、13日目から3連勝して7勝8敗。本人は後に骨折した左手首について「その中でよく7勝できたな」と振り返っている[12]。続く11月場所は、7日目に初顔合わせとの横綱・稀勢の里を寄り切りで破り、3場所連続3つ目の金星を上げた。激闘に興奮した観客席からは、座布団の代わりに何故かトイレットペーパーが飛んだという[41][42]。その日の支度部屋では「前の2個より(力を)出し切ったし、取り口を覚えています。うれし涙は3個目だから、いいですよ」と笑顔で答えている[43]。10日目の千代大龍戦で勝ち越しを果たしたが、この日(11月21日)は父親の誕生日であり、北勝富士は「相手の引きは頭にあったので、前に前に意識して出ました。今日は父親の誕生日なんで、勝ち越せて良かったです。全体的に前に出ているんで良かったです。(兄弟子の)隠岐の海も勝ち越し? 2人で勝ち越せて良かったです」とコメントしている[44]。最終的のこの場所は11勝4敗で技能賞を獲得。2018年1月場所は、三役から平幕に落ちる星の力士がいなかったため、前場所から2枚半上昇にとどまる東前頭筆頭で迎えた。平幕で11勝の翌場所に三役に昇進できなかった例では、最も少ない昇進幅となった[45]。この場所不調の白鵬から金星を獲得した以外は振るわず、最終的に自身初の2桁黒星となる4勝11敗の大敗を喫した。因みに4場所連続金星獲得は幕内では1999年5月場所の土佐ノ海以来史上2例目[45]。続く3月場所は5枚半下降とやや番付運に恵まれ西前頭6枚目の地位に就いた。9月場所は初日から7連勝で、特に序盤の5番は5勝中4勝が押し出しと押しが冴えに冴えていた[46]。この場所は後半失速して9勝6敗に終わるが、勝った9番中6番が押し出しであった。2019年1月場所は6日目から2日連続で不戦勝を勝ち取る幸運に恵まれ(後述)、9勝6敗の勝ち越し。これによって続く3月場所は新小結(西小結)となったが、大関以上には角番大関の栃ノ心にしか勝てないなど幕内上位の壁に阻まれ、11日目に負け越しを確定させた。時事通信も「存在感示せず」と残念がり、本人も場所中の支度部屋で「三役になって満足をしてしまったのかも。もっと向上心を持たないといけない。地力、馬力もまだまだ足りない」と反省の弁を続けた[47]が、残りの4日は全勝して7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。9月場所は1番も勝てず休場した白鵬からの金星を除いて大関以上からは白星を奪えず、7日目まで1勝6敗と上位の壁に阻まれたが、残りの小結以下との対戦では全勝して9勝6敗と勝ち越した。三役に復帰し、自己最高位の東小結で迎えた九州場所は、三役以上からの白星は関脇の御嶽海と不調の大関の高安からのみで、6日目まで4勝2敗と序盤は好調であったものの7日目から5連敗と途中から崩れ、13日目に負け越しを確定させる。残りを2連勝して7勝8敗と踏みとどまったが、平幕への陥落は決定的となり三役の壁に阻まれた結果となった。

東前頭2枚目の地位で土俵に上がった2020年1月場所は11勝4敗。序盤戦で2横綱(白鵬戦は不戦勝)、2大関を破った押し相撲が評価されたことからこの場所は技能賞を受賞[48]



取り口

2017年7月場所後の座談会で錣山(元関脇・寺尾)が語ったところによると、アマチュア時代は捌いて勝つ相撲であったが、角界入り後は立合いの当たりで一遍に決める相撲へ変わった[49]。報道ではしばしば「力強い」と評されることがある[50]がどちらかというとパワー一辺倒ではなくバランス型に近く、突き押しの他に上手前褌を狙っての寄り、投げ、引き、いなしを使って相手を処理する。頭から当たって左を差すのが主な勝ち筋であり、猪突猛進でないためか2017年7月場所などは5秒以上10秒以内で終わった相撲が7番であった[51]。懸念材料としては右膝の怪我があるが、錣山によると稽古熱心さでそれを補っているという[49]。2017年9月場所前の座談会では舞の海から「押し一本だと、この先厳しいかもしれません。ひざの故障もあるし、ずっと押しだけでいくと限界があると思います。押して駄目な時は前みつを取って食い下がるといった相撲があれば、取り口の幅も広がっていくと思います。体質、体型もあるでしょうけど、もう一つ、プロとしての尻や太もも、膝の上あたりにこぶが欲しいですね」と言われている[52]。おっつけの威力は相当のものがあり、2017年11月場所2日目に御嶽海を破った際には「おっつけが良く、相手の肩からみちみちという音が聞こえた。今年の(最高の)一番を更新ですね」と本人が取組後に振り返っている[53]。そのおっつけが評価されて2017年11月場所は技能賞を獲得している[54]。一方、2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝御嶽海阿武咲とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘しており、御嶽海以外の共通点として「押し込んですぐに叩きに行く」と相撲のワンパターンさを突っ込んでいる[55]。2019年3月場所前に14代ニ子山は自身のコラムで、横綱・大関相手だと頭から当たる良い相撲を取るが、平幕が相手だと手を出して立合いを止めようとして星が挙がらなくなるという傾向を指摘した[56]。2019年3月場所3日目の栃ノ心戦のように左おっつけ右のど輪で廻しを取らせずに相手を遠ざけて勝つ相撲が北勝富士の理想の相撲であり、本人も「まわしを引かれたらアウトだと思っていた。それだけ圧力をかけていくのが自分の相撲」と語っていた[57]。2020年1月場所3日目に鶴竜から金星を奪った際にも右のど輪が決め手となった[58]

人物・エピソード

取組・稽古・巡業関連

  • 高校時代から新入幕の頃まで毎日稽古場で気付いたことをノートに書きこんでいたが、入幕からしばらくすると書けていない状況になった[12]
  • 2016年10月14日の大相撲秋巡業豊橋場所の朝稽古では照ノ富士に指名され、関取でも5分も続ければ息が上がるハードな稽古であるぶつかり稽古を13分間も行うなど厳しく鍛えられ、北勝富士は完全にグロッキーになってしばらく立ち上がれなくなったと伝えられた[59]
  • 2017年の夏巡業中、北勝富士は「日体大4年の時に(青森)十和田大会で団体戦で優勝したんです。次の日は、高校生の試合を見るために十和田に泊まって、メンバーで焼き肉食べてビール飲んで…。最高の気分で宿に戻ろうとしたら、たまたま近くで花火大会があったらしくて、花火が上がって、みんなで写真撮ったなー」と当時を振り返っている。7月29日の岐阜場所では、岐阜市内で花火が打ち上がるのを見た。「もう2度とやらない団体戦をやりたいなーって思い出しました」と、少し寂しい気持ちになったことを明かしている[60]
  • 2017年8月26日の夏巡業所沢場所では巡業会場を後にする際に、後援会長が所有する4000万円の真っ赤なフェラーリで送迎された[61]。前日の夜には居酒屋に同級生や知り合いが120人程度集まり、激励会を開いてくれた[12]
  • 花道を下がった時点で敗因は分かっているので、Youtubeで負けた試合を分析することはしないと、2017年11月の記事で述べている[12]
  • 2019年1月場所、6日目で鶴竜が、翌7日目も御嶽海が休場したため、不戦勝を獲得。1999年9月場所の玉春日以来史上3人目の2日連続で不戦勝を獲得する珍事となった[62]
  • それ以前から胃腸が強い方ではなく、新三役となった2019年3月場所は勝ち越さなければならないというプレッシャーによって初日からずっと毎朝5時半頃に腹痛がしていた。ところが11日目に負け越して就寝すると、吹っ切れたため朝になると治っていた[63]

交友関係

  • ライバルは御嶽海。中学時代の頃からライバルとして意識しており、中学3年生の都道府県大会ベスト8で御嶽海に勝った時は物凄く嬉しくて、思わずガッツポーズが出た。[64]一方で、大卒入門でありすぐに年下の世代からの突き上げが来ると思っている北勝富士は、御嶽海と共に少ない時間を意識しながら自分達の代で盛り上げたいと奮闘している[12]
  • 郷土である埼玉県出身の大栄翔阿炎とは仲が良く、新小結の際に「3人でよく食事に行くが『埼玉をもっと盛り上げられたら』という話もしている」と北勝富士本人が語っていた。一方で2018年1月場所で新入幕を果たした阿炎が、一気に番付を上昇させる姿を見て「先を越されるかと思っていた」と当時の心境を吐露した[65]
  • 日体大の6学年先輩である妙義龍は憧れの存在であり、北勝富士は「スタイルも似ているし、目標にしてやってきた。理想とする相撲です」と語っている。妙義龍も北勝富士をかわいがっており、巡業中には食事に連れていくなどした。2017年1月場所3日目に幕内で初顔となったが押し倒しによって破り、妙義龍に恩返ししている[66]
  • 2017年頃に後援会の紹介でマック鈴木と知り合い、以降親交を深めるようになった。2019年3月1日に行われた自身の握手会を兼ねたトークショーでも、マックはイベントを盛り上げるためにノーギャラで駆け付けた[67]

自己管理・験担ぎ関連

  • 1ヶ月前の自分より強くなることを目標として、大学生時代より1ヶ月に1度、自身の肉体を前後左右より撮影し続けている。写真を見比べて自身の成長度合いを確かめているという[68]
  • 十両へ昇進した頃は大師匠の北の富士からの評価があまり芳しくなく、2016年の文献では「身体がちょっと緩んますね」と批判された。北の富士によれば、大学相撲の選手は4年生になると後輩が身の回りの世話をして、気分が関取衆と同じになり、稽古もあまりしなくなるという[69]
  • リラックス方法としては趣味のYoutube閲覧とダーツに加え、酒、カラオケ、ヒーリング音楽を取り入れている[12]
  • ある時は黒酢、ある時はタマネギ、またある時はバナナといったように、 験担ぎのために時期によって様々な物を飲食し続けている[12]
  • 番付発表後から千秋楽まで、後援会関係者との食事であっても酒を一滴も飲まない。睡眠時間を含めて生活のリズムを崩したくないという[70]

その他相撲関連

  • 入門当時の四股名は、同名の年寄名跡があるために本名である「中村」のままとすることができなかったので、初土俵時より大輝 明道となった。明道という名前は、自身の父親と埼玉栄高校相撲部監督の名前から1字ずつ取ったものである[71]。この四股名は新入幕直前の2016年9月場所まで名乗った。
  • 現在の四股名である北勝富士は、かつて八角部屋の別の力士が使っていたが、その力士は最高位東三段目3枚目で引退している[72]
  • 北勝富士の活躍にあやかって「北勝富士」という名の焼酎も作られている。大関になったら所沢航空記念公園に自分の銅像を建てるという話もあるという[12]
  • 本人は「地味でいいんです。宇良関みたいに飛んだり跳ねたりできませんから。それより親方や相撲経験者、長年のファンの方たちから『あいつの相撲はいい』と言われるようになりたい」と、玄人受けする力士を目指している[16]
  • 2017年5月9日、「北勝富士を応援する会」の内野正幸会長から「ウチノ看板(株)」名義となる自身5本目の化粧まわしを贈呈された。 北勝富士は「これまで4本(化粧まわしを)持っていますが、すべて色違い。青(い房)がきれい。僕のラッキーカラーでもあるので」と興奮気味[73]。図案化された三角形は内野会長の発案で、戦国武将の毛利元就の「三本の矢」の教えに、「ピラミッドもイメージした。どっしりして倒れないという。ピラミッドパワーは縁起がいい」と願いを込めた[74]

マスコミ出演・参加イベントなど

  • 大学時代、Sexy Zone CHANNELフジテレビTWO)に出演。[75]
  • 2017年1月28日、母校の市立南小と市立南陵中をそれぞれ訪れ、児童・生徒と交流した。力士として初めて両校を訪問した北勝富士は、子どもたちに「一生懸命やれば必ず成功する。夢に向かって頑張って」と呼び掛けた。北勝富士は小学校の卒業アルバムに「ぼくは、相撲取りになり横綱になりたいです」と夢を記したエピソードを披露。自身の小学生時代を「相撲の稽古、遊び、勉強に一生懸命だった」と振り返り、子どもたちに「とにかく一生懸命やってほしい」と呼び掛けた[76]
  • 2017年6月3日、所沢市の所沢警察署で一日署長を務めた。地元公民館から所沢駅まで約1.1キロをパレード。「パレードしてガラガラだったらどうしようと思っていた」と心配したが、約1000人が同市出身初の幕内力士である北勝富士を一目見ようと殺到した。パレード後には、交通安全や振り込め詐欺への注意などを駅前で呼びかけ、祖母に振り込め詐欺の電話があった体験を元にスピーチした。同年5月場所は前頭7枚目で10勝を挙げ、7月場所は上位総当たりの地位まで番付を上げることが確実。「昇進とか、優勝して、またパレードができるようにしたい」と笑顔を見せた[4][77]
  • 2018年2月10日の第51回NHK福祉大相撲では、市川由紀乃と『WINDING ROAD』をデュエット、ソロでは『Rainy Blue』を歌い、喉を披露[78]
  • 2019年5月5日にメットライフドームで行われた西武×楽天戦の試合前にセレモニアルピッチを行い、御嶽海似と言われる西武の主砲・山川穂高と真剣勝負となってセカンドフライに抑えた。山川は勝負の後に「お相撲さんの球は重かったです。絶対ホームラン打ちたいと思います」と完敗を認めリベンジを誓った[79]

趣味

  • ダーツは2016年から始めて、現在では趣味としている。暇さえあればスマホでYouTube鑑賞しており「これがなかったら死んでます(笑)」というほどの中毒ぶり[16]
  • 2017年頃、初めてミュージカルを鑑賞したが、その作品は劇団四季が演じる『ライオンキング』。最初は「正直、ばかにしてました。何で歌うのかって」と軽い気持ちであったがそのクオリティに感動し、以来劇団四季の虜になった[2]
    • 妻とはミュージカル鑑賞が共通の趣味で、自身6度目の鑑賞となる『ライオン・キング』の鑑賞後、誰もいなくなったロビーで北勝富士はプロポーズしたと伝わる[80]

合い口

いずれも2020年3月場所終了現在
  • 横綱・白鵬には3勝7敗(不戦勝1含む)。直近の自力勝利は2019年9月場所で決まり手は寄り切り。2020年1月場所は不戦勝。
  • 横綱・鶴竜には4勝5敗(不戦勝1含む)。直近の勝利は2020年3月場所で決まり手は送り倒し。
  • 大関・貴景勝には4勝9敗。貴景勝の大関在位中は北勝富士の2勝2敗。直近の勝利は2020年1月場所で決まり手は押し出し。
  • 大関・朝乃山には2勝5敗。いずれも朝乃山の大関昇進前における対戦成績である。直近の勝利は2019年9月場所で決まり手は押し出し。
  • 元大関・琴奨菊には2勝5敗。いずれも琴奨菊の大関陥落後においての対戦成績である。直近の勝利は2018年9月場所で決まり手は押し出し。
  • 元大関・照ノ富士には3勝。照ノ富士の大関在位中は北勝富士の2勝。直近の勝利は2017年11月場所で決まり手は押し出し。
  • 元大関・髙安には6勝5敗(不戦勝1含む)。髙安の大関在位中は北勝富士の5勝5敗(不戦勝1含む)。直近の勝利は2020年1月場所で決まり手は押し出し。
  • 元大関・栃ノ心には3勝4敗。栃ノ心の大関在位中は北勝富士の3勝1敗。直近の勝利は2019年3月場所で決まり手は押し出し。

(以下は横綱・大関の引退力士)

  • 元横綱・日馬富士には1勝1敗。
  • 元横綱・稀勢の里には2勝1敗。
  • 元大関・豪栄道には4勝7敗。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 9 2 安美錦 0 1 1 2 逸ノ城 5 4
魁聖 3 2 琴勇輝 2 1 正代 0 5 宝富士 4 3
豪風 2 1 玉鷲 5 6 栃煌山 5 3 御嶽海 7(1) 8
妙義龍 5 4 嘉風 6 4
小結
阿炎 2 5 遠藤 4 8 阿武咲 2 4 臥牙丸 1 0
松鳳山 4 2 大栄翔 4 4 千代鳳 1 0 千代大龍 7 1
竜電 4 4
前頭
荒鷲 3 2 石浦 2 2 宇良 0 1 炎鵬 1 0
7 1 旭秀鵬 1 0 琴恵光 1 0 佐田の海 2 0
蒼国来 1 2 大奄美 1 1 大翔丸 4 1 貴ノ岩 5 0
隆の勝 1 0 千代翔馬 3 1 千代ノ皇 1 0 千代の国 2 4
千代丸 3 0 照強 1 0 徳勝龍 1 0 友風 1 0
豊響 0 1 錦木 3 3(1) 英乃海 1 0 明生 2 1
豊山 0 3
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2020年3月場所終了現在、現役力士

主な成績

2020年3月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:226勝164敗4休(31場所)
  • 幕内成績:165勝146敗4休(21場所)
  • 十両成績:22勝8敗(2場所)

三賞・金星

  • 三賞:2回
    • 技能賞:2回(2017年11月場所、2020年1月場所)
  • 金星:7個
    • 白鵬:2個(2018年1月場所、2019年9月場所)
    • 日馬富士:1個(2017年9月場所)
    • 鶴竜:2個(2017年7月場所、2020年1月場所)
    • 稀勢の里:2個(2017年11月場所、2018年11月場所)

各段優勝

  • 十両優勝:1回(2016年9月場所)
  • 三段目優勝:1回(2015年9月場所)
  • 序二段優勝:1回(2015年7月場所)

場所別成績

北勝富士 大輝
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2015年
(平成27年)
x (前相撲) 東序ノ口11枚目
6–1 
東序二段36枚目
優勝
7–0
東三段目36枚目
優勝
7–0
東幕下25枚目
5–2 
2016年
(平成28年)
東幕下16枚目
5–2 
西幕下8枚目
5–2 
西幕下筆頭
4–3 
西十両13枚目
10–5 
西十両6枚目
優勝
12–3
西前頭11枚目
9–6 
2017年
(平成29年)
東前頭8枚目
9–6 
西前頭5枚目
7–8 
東前頭7枚目
10–5 
西前頭2枚目
8–7
東前頭2枚目
7–8
西前頭3枚目
11–4
2018年
(平成30年)
東前頭筆頭
4–11
西前頭6枚目
6–9 
西前頭9枚目
4–7–4[81] 
東前頭16枚目
11–4 
東前頭9枚目
9–6 
西前頭筆頭
7–8
2019年
(平成31年
/令和元年)
西前頭2枚目
9–6 
西小結
7–8 
東前頭筆頭
7–8 
西前頭筆頭
9–6 
東前頭筆頭
9–6
東小結2
7–8 
2020年
(令和2年)
東前頭2枚目
11–4
東小結
4–11 
新型コロナウイルス
拡大により中止
西前頭5枚目
 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 大輝 明道(だいき あきみち)2015年3月場所 - 2016年9月場所
  • 北勝富士 大輝(ほくとふじ だいき)2016年11月場所[29] -

脚注

  1. ^ a b c d 『相撲』2016年7月号24ページ
  2. ^ a b 【スポーツ】北勝富士のかわいい趣味「何回見ても違う発見が」 デイリースポーツ 2019.04.19(2019年12月17日閲覧)
  3. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年5月号(夏場所展望号)別冊付録 『平成27年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑』 44頁
  4. ^ a b 北勝富士、次はVパレードだ 2017年6月4日7時0分 スポーツ報知
  5. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
  6. ^ a b c d e f g 『相撲』2016年11月号88ページから89ページ
  7. ^ 中村大輝選手 社団法人所沢青年会議所
  8. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』2015年4月号(春場所総決算号) 119頁
  9. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年3月号(春場所展望号) 25頁
  10. ^ 平成19年の試合記録・結果 公益財団法人 日本相撲連盟
  11. ^ 相撲・中農、北農 決勝T進出 美ら島沖縄総体8月3日(第7日) 琉球新報 2010年8月4日(2015年11月12日閲覧)
  12. ^ a b c d e f g h i j 大空出版『相撲ファン』vol.06 p30-36
  13. ^ 第39回東日本学生相撲個人体重別選手権大会結果 日体大相撲部Blog
  14. ^ 目標は貴乃花 日体大2年生・中村が学生横綱に スポニチアネックス 2012年11月11日
  15. ^ 相撲成年個人は中村大輝が初V/国体 日刊スポーツ 2013年10月1日(2015年11月12日閲覧)
  16. ^ a b c 週刊FLASH 2017年7月18日号
  17. ^ 大相撲:大輝、前相撲で出発 資格2度失効、夢捨てず 毎日新聞 2015年2月18日(2015年11月12日閲覧)
  18. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年8月号(名古屋場所総決算号) 69頁
  19. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年1月号(初場所展望号) 44頁
  20. ^ 元学生横綱の中村「白鵬と対戦したい」 デイリースポーツonline 2015年2月13日(2015年11月12日閲覧)
  21. ^ 宇良、一番出世で披露 早くも人気抜群 デイリースポーツonline 2015年3月12日(2015年11月12日閲覧)
  22. ^ 新弟子検査 43人全員が合格 元ボディビルダーに注目 スポニチアネックス 2015年2月28日(2015年11月12日閲覧)
  23. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年7月号(名古屋場所展望号) 51頁
  24. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年9月号(秋場所展望号) 59頁
  25. ^ 序ノ口は19歳黒沢がV 幕下大混戦 スポニチアネックス 2015年9月25日(2015年1月12日閲覧)
  26. ^ “新十両に大輝と浜口=大相撲”. 時事ドットコム. (2016年5月25日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052500194&g=spo 2016年5月25日閲覧。 
  27. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年9月号33ページ
  28. ^ 由来は、北勝は、師匠の八角親方の現役名北勝海より2文字とり、富士は、師匠の師匠で、現在は、大相撲の解説者の北の富士より2文字とったとしている。
  29. ^ a b “大輝から改名北勝富士 10場所で新入幕!史上2番目の早さ”. スポニチアネックス. (2016年11月1日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/01/kiji/K20161101013638830.html 2016年11月1日閲覧。 
  30. ^ 東京新聞 2016年11月1日 朝刊
  31. ^ 新入幕で新しこ名 北勝富士「名前汚さぬよう精進」 NHK 10月31日 18時26分
  32. ^ 大輝改め「北勝富士」 地元・所沢市長に十両優勝を報告東京新聞 2016年10月5日
  33. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年4月号(春場所総決算号) 62頁
  34. ^ 流血の北勝富士「終わった時はくらくらで倒れそうだった」 SANSPO.COM 2017.3.20 19:57
  35. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p31
  36. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p4
  37. ^ 敗れて技能賞を逃した嘉風「いろんなものが懸かっていたので(体が)動かなかったかもしれない。文句なしでもらえるようにしたい」SANSPO.COM 2017.7.23 20:43
  38. ^ 北勝富士へとへと「空気だけで疲れて」高安と9番 日刊スポーツ 2017年8月1日16時8分
  39. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p5
  40. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p11
  41. ^ 大相撲九州場所 北勝富士、稀勢を撃破毎日新聞 2017年11月19日 東京朝刊
  42. ^ 九州場所に限り、座布団は枡席に固定されて投げられない仕様になっている。
    出典:波乱が起きても座布団が舞うことのない九州場所スポニチ 2016年11月19日 10:40
  43. ^ 北勝富士「慌ててくれて」稀勢の里撃破を振り返る日刊スポーツ 2017年11月18日20時54分
  44. ^ 北勝富士、千代大龍下し8勝目!「父親の誕生日なんで勝ち越せて良かった」 2017年11月21日17時23分 スポーツ報知(報知新聞社、2017年11月25日閲覧)
  45. ^ a b 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78
  46. ^ 『相撲』2018年10月号 p.28
  47. ^ 北勝富士、存在感示せず=大相撲春場所 JIJI.COM 2019年03月20日19時48分 (時事通信社、2019年3月21日閲覧)
  48. ^ 遠藤が初の殊勲賞 正代、徳勝龍、霧馬山に敢闘賞 日刊スポーツ 2020年1月26日14時13分(2020年1月26日閲覧)
  49. ^ a b 『大相撲中継』2017年8月12日号 p16
  50. ^ 大相撲界で進まない世代交代 白鵬も断言「いかに今の上位陣が強いか」 Sponichi Annex 2016年11月29日 10:40
  51. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p57-73
  52. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p19
  53. ^ ライバルに快勝の北勝富士「相手の肩からみちみちという音が聞こえた」 SANSPO.COM 2017.11.13 19:24(産経新聞社、2017年11月23日閲覧)
  54. ^ 北勝富士が初三賞、貴景勝は殊勲賞 大相撲九州場所 日本経済新聞 2017/11/26 14:50(日本経済新聞社、2017年11月26日閲覧)
  55. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.44
  56. ^ 大相撲ジャーナル』2019年3月号 p.40.
  57. ^ 北勝富士「自分の相撲」圧力かけ3連勝三役初勝利 日刊スポーツ 2019年3月12日19時30分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月13日閲覧)
  58. ^ 鶴竜をもろ手押し出し 3連勝 北勝富士、三役へ手応え 東京新聞 2020年1月15日 朝刊(2020年1月16日閲覧)
  59. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号25ページ
  60. ^ 夏の絵日記2017 7月31日 北勝富士「花火と大学時代」 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)(2017年8月23日閲覧)
  61. ^ “所沢の星”北勝富士の凱旋で大フィーバー 夏巡業 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2017年8月26日19時43分(2017年9月6日閲覧)
  62. ^ 北勝富士、2日連続の不戦勝 20年ぶり史上3人目の珍事スポニチアネックス 2019年1月20日 5時30分
  63. ^ 北勝富士 前日負け越しで“お腹の急降下”ストップ 会心の相撲で4勝目 Sponichi Annex 2019年3月21日 20:18(スポーツニッポン新聞社、2019年3月22日閲覧)
  64. ^ アマチュア相撲では特にガッツポーズは禁止されていない。
  65. ^ 北勝富士が念願新三役「普通じゃなれない運もある」 日刊スポーツ 2019年2月25日17時27分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月21日閲覧)
  66. ^ 北勝富士「憧れの先輩」妙義龍を押し倒しで破る「真っ向勝負で勝てたのはうれしい」 2017年1月10日20時13分 スポーツ報知
  67. ^ 北勝富士が初トークショー、親交マック鈴木氏も登場 日刊スポーツ 2019年3月1日20時27分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月21日閲覧)
  68. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年10月号(秋場所総決算号) 59頁
  69. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p44
  70. ^ 飲んで食って勝つは昔の話 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2017年9月21日). 2019年11月25日閲覧。
  71. ^ 中・高・大学で横綱…中村、しこ名は「大輝」 八角部屋入門 スポニチアネックス 2015年2月13日(2015年11月12日閲覧)
  72. ^ 先代北勝富士の全成績
  73. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p6-7
  74. ^ 北勝富士に5本目の化粧まわし 青い房に「僕のラッキーカラー」 2017年5月9日18時5分 スポーツ報知
  75. ^ 2015年1月21日、2月4日放送分。
  76. ^ 所沢出身の北勝富士関が母校訪問 「一生懸命やれば必ず成功」 東京新聞 2017年1月28日
  77. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p103
  78. ^ 『相撲』2018年3月号 p.12-13
  79. ^ 西武山川、北勝富士と「どすこい」披露 対決敗れ「お相撲さんの球は重かった」 Full-Count 2019.05.05(株式会社Creative2、2019年5月5日閲覧)
  80. ^ 北勝富士が“ライオンキング婚”プロポーズは劇場ロビーで「結婚してください」 2019年10月1日 18時25分スポーツ報知(2019年12月17日閲覧)
  81. ^ 頸椎椎間板ヘルニア、右大腿四頭筋肉離れのため11日目から休場

関連項目

外部リンク