「勝田駐屯地」の版間の差分
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2017年7月29日 (土) 00:13時点における版
勝田駐屯地 | |
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正門 | |
位置 | |
所在地 | 茨城県ひたちなか市勝倉3433 |
座標 | 北緯36度22分55秒 東経140度31分50秒 / 北緯36.38194度 東経140.53056度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 陸上自衛隊施設学校長 兼務 |
主要部隊 |
施設学校 施設教導隊 ほか |
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開設年 | 1951年 |
勝田駐屯地(かつたちゅうとんち、JGSDF Camp Katsuta)は、茨城県ひたちなか市勝倉3433に所在し、陸上自衛隊施設学校等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
最寄の演習場は、勝田小演習場、水戸渡河演習場および七会訓練場。
駐屯地司令は、陸上自衛隊施設学校長が兼務。なお、本駐屯地には会計隊及び駐屯地業務隊が存在しない。
沿革
- 1945年(昭和20年)7月17日:日立艦砲射撃により日立兵器株式会社(水戸工場)が壊滅
- 1951年(昭和26年):旧日立精機工場跡に警察予備隊勝田教習所が創立し、勝田駐屯地となる
- 1952年(昭和27年)1月7日:駐屯地の保安隊への移管に伴い、警察予備隊勝田教習所は保安隊施設学校へ改称[1]
- 1954年(昭和29年)7月1日:駐屯地の陸上自衛隊へ移管に伴い、保安隊施設学校は陸上自衛隊施設学校へ改称[2]
- 2002年(平成14年)3月27日:東部方面後方支援隊隷下部隊として、施設教育直接支援中隊を新編。
- 2011年(平成23年)10月16日:陸上自衛隊勝田駐屯地・施設学校開設60周年記念行事の開催。
駐屯部隊・機関
防衛大臣直轄部隊・機関
東部方面総監直轄部隊
最寄の幹線交通
- 高速道路:常磐自動車道 那珂IC、北関東自動車道(東水戸道路) ひたちなかIC
- 一般道:国道6号、国道50号、国道118号、国道245号、国道349号、茨城県道38号那珂湊那珂線、茨城県道63号水戸勝田那珂湊線、茨城県道112号阿波山徳蔵線
- 鉄道:JR東日本常磐線 勝田駅、ひたちなか海浜鉄道湊線 金上駅
- 港湾:茨城港(重要港湾)、大津港(地方港湾)
- 飛行場:百里飛行場(その他の飛行場)
重要施設
- 日本原子力研究開発機構(那珂郡東海村)
- 三菱原子燃料(加圧水型軽水炉(PWR)用燃料の一貫製造メーカー)(那珂郡東海村)
- 原子燃料工業(同上)(那珂郡東海村)
- 東海発電所(解体中)・東海第二発電所(那珂郡東海村)
- 常陸那珂火力発電所(出力100.0万kW。石炭)(ひたちなか市、那珂郡東海村)
- 高萩国家備蓄倉庫(ニッケル、クロム、タングステン、コバルト、モリブデン、マンガン、バナジウムの7種全計11.3万tを備蓄)(高萩市)
- 日立製作所(茨城北部一帯は日立の企業城下町である)
- 東京航空局常陸太田航空衛星センター(常陸太田市)
特徴
他の施設隊ではなかなか見ることの出来ないような希少な装備、坑道掘削装置などの装備も配備されている。
戦時中の歴史を説明する「防衛館」が併設され、戦時中の日本軍の装備が展示され、水戸水兵部隊、水戸工兵部隊、航空部隊についての説明がなされている。主にこの博物館で展示されているのは、第二次大戦時に墜落したB-29の破片や、戦闘機の搭乗員が被弾した際に着用していた「血染めの飛行帽」などがある。また、日露戦争時の軍人が着用していた軍服もある。
脚注
- ^ “なつかし いばらき - 茨城県ニュース No.10”. 茨城県. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “自衛隊法施行令(昭和29年6月30日政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2016年5月1日閲覧。