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2016年6月8日 (水) 02:00時点における版
所司和晴 七段 | |
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名前 | 所司和晴 |
生年月日 | 1961年10月23日(63歳) |
プロ入り年月日 | 1985年6月27日(23歳) |
棋士番号 | 172 |
出身地 | 東京都江東区 |
師匠 | 平野広吉 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 所司和晴 |
2014年5月30日現在 |
所司 和晴(しょし かずはる、1961年10月23日 - )は、将棋棋士。平野広吉七段門下。棋士番号は172。東京都江東区出身、千葉県育ち。千葉県立船橋旭高等学校卒[1]。
人物
- 平手から駒落ちまで様々な定跡を研究しており、定跡書などの著作も多いことから「定跡伝道師」とも呼ばれている。特に「東大将棋」シリーズが有名である。
- 2005年に日本将棋連盟の理事選挙に立候補したが、同年5月の棋士総会における投開票の結果、落選した。
- mixiに本名で登録し、タイトル戦などの情報を発信している。ファン等のマイミクシィも気軽に受け付ける。
- 東京アマチュア将棋連盟の顧問を務めている。
将棋類
- 将棋類に詳しく、将棋・チェス・シャンチー(中国象棋)・チャンギ(朝鮮将棋)・マークルック(タイ将棋)の5種類の将棋類を同時に指す「異種5面指し」が可能[2]。
- シャンチーは日本の第一人者。国際的には「所司和晴」の中国語読み「スオスー・ホーチン」の名で知られている。1999年に世界選手権「ノンチャイニーズ」の部で優勝し、棋聯大師(フェデレーションマスター・FM)の称号を獲得した。ノンチャイニーズの部優勝は通算3回(1999年、?、2007年)。2009年は3大会に参加し、中国江蘇省淮安市で開催された「“韓信杯”シャンチー国際名人戦」で世界選手権4位に入賞経験のある趙汝権(中国香港、特級国際大師)から勝ち星を上げた。また、各国1位選手(上位2カ国と開催国のみ2人)が出場するアジア選手権(個人戦)は2勝2敗3引き分けで18人中9位(自己ベスト)。 OCAの第3回アジアインドアゲームズ(ベトナム・ハノイ)は男子団体戦(3人制)に日本代表で参加し6位(中国チームの王斌(男子個人快速戦優勝)と引き分け)。 2010年アジア競技大会に日本代表として出場し、1勝4敗2分の17位に終わった。
- チャンギでも、2009年に中国ハルビン市で行われた第1回世界チャンギ大会およびフォーラムに日本選手の1人として出場した。ベスト32の本戦トーナメント1回戦で敗退[3]
弟子
- プロ入りした門下生に渡辺明、松尾歩、宮田敦史、石田直裕、石井健太郎、近藤誠也、伊奈川愛菓(女流棋士)、渡辺弥生(女流棋士)らがおり、所司門下の奨励会員も多いため、同じく弟子の多い森信雄と並べて「平成の名門」あるいは「東の所司、西の森信」などと呼ばれる。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
- 1978年 6級 = 奨励会入会
- 1980年 初段
- 1985年6月27日 四段 = プロ入り
- 1987年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1992年10月29日 六段(勝数規定)
- 2005年4月27日 七段(勝数規定)
主な成績
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
主な著書
- シャンチー(中国将棋)入門(1996年11月、河出書房新社、ISBN 4-309-26296-1)
- 駒落ち定跡 決定版 八枚落ちから香落ちまで(2000年3月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0209-2)
- 東大将棋ブックス四間飛車道場(全16巻、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-0575-4ほか)
- 二枚落ち裏定跡(2005年9月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0381-1)
- 将棋定跡最先端 居飛車編(2005年12月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1948-8)
- 仕掛け大全 四間飛車編・振り飛車編・居飛車編(2006〜2007年、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2156-3ほか)
ほか多数